オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~   作:ぶーく・ぶくぶく

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第158話:人間メイド奮闘記

 

 

/*/ 魔導国王国大使館 本館 /*/

 

 

朝の鐘が鳴り、大使館の一日は慌ただしく始まる。

 

ツアレは鏡の前で自分のメイド服を整えながら、小さく息を吐いた。

かつて奴隷として娼館に落とされていた頃には想像もできなかった清潔な衣服。

胸元にはナザリックの紋章が縫い付けられている。

 

「……今日も一日、失敗しないように」

 

彼女が呟くと、すぐ隣で髪を結っていたミレーネが、心配そうに笑みを浮かべた。

 

「ツアレさん、大丈夫ですよ。セバス様が見ていてくださるんですから」

 

「ええ。でもルプスレギナ様の"視線"も忘れないでね」

 

その言葉に、部屋の空気が一瞬ぴりりとした。

 

女主人ルプスレギナ――表向きはにこやかで陽気。けれど気分次第で牙を見せる存在。

人間メイドにとっては「もっとも優しく、もっとも恐ろしい上司」だった。

 

「おなかすいた?あ、今日の朝食って王国の使者に出す分の試食もあるんだよね?」

制服の腰紐を結びながら、カリナが嬉しそうに声を上げる。

 

「カリナ、あなたねぇ……。あれは"毒見"を兼ねてるんだから、喜んで食べるものじゃないの」

セリーヌが呆れ顔で返す。その表情はいつも少し強張っている。彼女は気丈に振る舞うが、アンデッドと目が合うだけで背筋が凍るほど臆病だった。

 

そんな三人を見渡し、ツアレは苦笑する。

「ほら、行きましょう。遅れると……あの方の機嫌を損ねます」

 

 

/*/ 大広間・朝礼

 

 

大広間にはすでにルプスレギナが待っていた。

燭台に灯る青白い魔法の炎が、壁にかけられた魔導国の旗を揺らめかせ、広間を不気味に照らしている。

 

彼女は犬のような耳を楽しげに揺らし、にっこりと笑みを浮かべた。

――その笑顔は、温かさよりも捕食者の余裕を思わせる。

 

「おはよぉ?、可愛い子ちゃんたち! 今日はねぇ、王国から外交官が来るよん。

 で、みんな?? 失敗したらどうなるか、分かってるよねぇ?」

 

軽やかな声色。けれどその一言に、場の空気が一瞬で凍り付いた。

ツアレを含めた人間メイド四人の背筋に、冷たい汗が伝う。

 

「は、はいっ!」

 

声を揃えたつもりが、セリーヌの声が一瞬裏返った。

カリナは慌てて手を前に組むのを忘れ、ミレーネは小さく肩を震わせている。

そんな未熟さが一目でわかる光景だった。

 

それを眺めながら、ルプスレギナは愉快そうに喉を鳴らした。

 

「ふふっ、いい返事?♪ でもさぁ、声が裏返るのはダメだよ? 外交官の前で笑われちゃうでしょ。

 あ、でも……失敗したら外交官を丸ごと食べちゃえばいいんだっけ?」

 

冗談めかした調子で、彼女はちらりと犬歯を覗かせる。

冗談のはずなのに、その刹那、メイドたちの喉は恐怖で鳴り、返事を失った。

 

「……」

 

重い沈黙。

 

ルプスレギナはぱんっと両手を打ち鳴らし、空気を一気に切り替える。

「はーい、冗談だよ冗談♪ みんな、真面目ちゃんで可愛いね?

 でもね、ほんとに私、ちゃーんと見てるから。油断したら……だめだよ?」

 

最後の一言だけは、笑顔のまま、声色に低い圧が混じった。

その一瞬の圧力は、肉食獣に睨まれた獲物の気分を、否応なく思い出させるものだった。

 

「「は、はいっ!」」

 

再び返事を揃える四人。

その瞳は怯えと緊張で揺れながらも、同時に誓いのような光を宿していた。

 

――救ってくれたナザリックのために、必ず役目を果たす。

――失敗して、あの方々の顔に泥は塗れない。

 

ルプスレギナはそんな決意に気づいたのか、気づかぬふりをしているのか。

ただ愉快そうに、犬の耳をふわりと揺らして言った。

 

「じゃあ、可愛い子ちゃんたち。今日も一日、がんばってね?♪」

 

大広間に残された人間メイドたちは、ほっとしたように、しかし同時に胃を締め付けられる思いで深く息を吐いたのだった。

 

 

/*/ 廊下でのドタバタ

 

 

外交官を迎える準備で、メイドたちは慌ただしく廊下を駆けていた。

大広間へ続く回廊は、魔法で磨き上げられた大理石が鏡のように光り、足音すら吸い込むほど静かだ。

 

その静けさを破ったのは、派手な悲鳴だった。

 

「きゃあっ!」

 

先頭を走っていたカリナが、足を滑らせて豪快に転んだのだ。

彼女の腕に抱えていた銀の食器が宙を舞い、光を反射してきらきらと回転する。

 

「カリナ!」

「待って、落ちるっ!」

 

セリーヌとミレーネが同時に駆け寄る。

次の瞬間、空中に淡い光の幕がぱっと張られ、食器は一枚も割れることなく、整然と床へと収まった。

 

「……処理完了」

 

廊下の隅、燭台の影に立っていたスケルトン文官が、骨の指を下ろしながら淡々と告げる。

眼窩の奥の青白い光は揺らぎもせず、冷たい空気を漂わせていた。

 

「きゃああああっ!」

「な、なんで無表情で助けるのよぉ!」

「こ、心臓止まるかと思った……!」

 

三人は揃って悲鳴を上げ、壁際に飛び退く。

助けられたはずなのに、怯えた小動物のように背を丸めている。

 

スケルトン文官はそんな反応を一瞥すらせず、書類の束を抱え直すと、骨の踵を打ち鳴らしてその場を去っていった。

 

カリナは腰を抜かしたまま、涙目で呟く。

「……お礼、言うべきだったかなぁ」

 

「言ったら言ったで、骨の顔で無反応よ。あれはあれで怖いんだから」

セリーヌが青ざめた顔で返す。

 

「でも……割れなくてよかったね」

ミレーネは胸を押さえ、かすかに笑う。

 

そのやり取りを、廊下の先から見ていたツアレは、額を押さえて深くため息をついた。

 

「……大使館の一日は、今日も波乱ね」

 

だが、彼女の唇にはほんの少しだけ、安堵の笑みも浮かんでいた。

――割れ物一つも守れなかった昔の自分たちとは違う。

ナザリックの庇護下で、確かに前へ進んでいる。

 

しかし次の瞬間、背後からひょいと首筋に冷たい息がかかる。

 

「なぁに、可愛い子ちゃんたち?? 転んだの? ふふっ」

 

振り返れば、ルプスレギナが楽しそうに覗き込んでいた。

メイドたちの背筋は同時にぴしりと固まる。

 

「ま、いっか♪ 外交官が来る前に転んでくれて助かったよん。

 ……本番でやらかしたら、どうなるかわかってるよねぇ?」

 

笑顔のまま、低く囁かれたその一言に、四人は一斉に頭を下げた。

 

「「「「は、はいっ!」」」」

 

廊下には再び、張り詰めた空気が満ちる。

 

ツアレは心の奥で――今日も胃薬が欲しい、と静かに思った。

 

 

/*/ 

 

 

こうして、人間メイドたちの奮闘は続いていく。

 

かつて娼館の薄暗い部屋に閉じ込められ、名すら呼ばれず、ただ消耗品のように扱われていた彼女たち。

あの地獄のような日々を思えば、いま身にまとう清潔な制服も、手にする銀器の輝きも、まるで夢の中の出来事のようだった。

 

もちろん、不安も失敗も尽きない。

ルプスレギナの笑顔一つで心臓は跳ね上がり、アンデッドの無表情な眼窩に視線を向けられるだけで背筋は冷たくなる。

ほんの小さな失態が、命取りになるかもしれない――そんな緊張は一日たりとも消えない。

 

それでも。

 

彼女たちの胸には、確かに一つの誇りが宿っていた。

 

「あの方々に救われたから、忠誠を尽くす」

 

その想いだけは、誰にも揺るがせない。

 

だからこそ、足が震えても立ち上がる。

声が裏返っても返事をする。

失敗しそうになっても、必死に取り繕って前に進む。

 

かつては価値を奪われた彼女たちが、今や魔導国の顔――大使館のメイド。

彼女たちが仕える背後には、ナザリックという比類なき強者の影がある。

 

「大丈夫。私たちは、もう独りじゃない」

 

誰がともなく、そう囁く声が胸の奥に響く。

 

そして人間メイドたちは今日も走る。

氷のような緊張と、かすかな誇りを抱きながら――。

 

 

/*/ 魔導国大使館・晩餐会の日

 

 

本館の大広間は、すでに煌びやかな光に包まれていた。

銀器は磨き上げられ、テーブルクロスはピンと張られ、香炉からは上品な香りが漂う。

 

人間メイドたちは、緊張で手が震えていた。

特にカリナは、皿を運ぶたびに心臓が跳ね上がる。

セリーヌは完璧を意識するあまり、息を止めて小走りになり、ミレーネは魔法で輝く燭台の炎をじっと見つめながら、神経を集中させていた。

 

「外交官が来る時間よ!」

廊下の奥からルプスレギナの声が響く。犬の耳が揺れて、彼女はにっこりと笑った。

 

「今日の晩餐会、失敗したら……まぁ、想像できるでしょ?」

 

背筋が凍るような警告に、三人のメイドは息を呑む。

しかし、胸の奥にはひとつの強い想いがあった――

 

「あの方々に救われたから、私は忠誠を尽くす」

 

廊下を走るときよりも、さらに慎重に、大きな皿を抱えて晩餐会場へ。

ツアレも傍らで静かに見守っている。彼女は表情を変えず、ただ小さくうなずいた。

 

晩餐会場の扉が開くと、外交官一行が姿を現した。

彼らの目は光り、鋭い観察眼をこちらに向ける。

「よく来たな」と、静かに語りかけるその声だけで、メイドたちの心臓は再び跳ね上がった。

 

「は、はい!」

三人は揃って返事をする。息が少し震えても、声だけは揃えた。

 

ルプスレギナは笑いながら目を細める。

「いいわね、その調子。さあ、最初のワインを運んで」

 

カリナが前に進み、大きな銀のトレイを持ち上げる。

だが、微かな緊張で手が滑りかける――。

その瞬間、背後から光の幕が現れ、ワインのグラスは宙で止まった。

無表情のスケルトン文官が、さりげなく魔法で助けたのだ。

 

「……処理完了」

 

三人は声にならない悲鳴を上げる。

だが、それ以上に、心の奥で「ここにいる人たちは、自分たちを見てくれている」という安心感が芽生えた。

 

晩餐会は続く。

料理を運び、礼儀を守り、外交官の要求に応える――小さな失敗も許されない世界。

それでも、人間メイドたちは、胸に秘めた忠誠心を力に変えて動き続けた。

 

そして夜が更けるころ、外交官たちは笑顔で去っていった。

「よくやったな」とルプスレギナは三人を見つめ、満足そうに微笑む。

 

「……今日も、なんとか乗り切れたね」

カリナが息を吐くと、セリーヌとミレーネも笑みを返す。

恐怖も不安もあるけれど、彼女たちは確かにここで、誇りを持って立っていた。

 

ツアレは少し離れた場所から、額を押さえてため息をつく。

「……本当に、波乱の一日ね」

 

人間メイドたちは、微かな達成感を胸に、次の任務に備えて再び動き出す――。

 

 

/*/魔導国大使館・夜の巡回

 

 

晩餐会が終わり、大広間には静けさが戻った。

しかし人間メイドたちは、まだ任務の途中だった。夜の巡回が待っている。

 

「さて、次は廊下と別館の見回りよ」

ルプスレギナが言う。犬の耳を揺らしながら、にこやかに笑うけれど、その目は鋭く光っている。

 

カリナ、セリーヌ、ミレーネの三人は、それぞれ魔法で照らすランタンや、運ぶ書類を手に準備を整えた。

ツアレは後ろで静かに観察している。

「……本館の巡回は、危険も多いわ」

 

廊下に足を踏み出すと、光沢のある床が月明かりを反射して幻想的に輝く。

だが滑りやすいその床で、カリナが小さく足をすべらせ、ランタンを持った手がぶるりと震んだ。

 

「きゃっ!」

「カリナ、気をつけて!」

セリーヌとミレーネが駆け寄る。

 

すると、またもや無表情のスケルトン文官が現れ、魔法でランタンを安定させた。

 

「……処理完了」

 

三人は思わず息を呑む。

「どうしていつも無表情なのよ……!」

「心臓に悪すぎるって!」

小声で互いに文句を言いながらも、胸の奥には安心感が広がった。

 

別館に向かう廊下で、異変が起きた。

遠くから不気味な音が聞こえる――ドアの軋む音、床のきしむ音、そして低いうなり声。

 

「な、何の音……?」

ミレーネの声が震える。

 

カリナは勇気を振り絞って前に進む。

「きっと、何かの仕掛けか、魔法の影響……」

セリーヌも続く。

 

別館の扉を開けると、中庭の魔法装置が暴走していた。

光と風の魔法が不規則に噴き出し、ランタンの光を乱反射させる。

 

「待って、危ない!」

カリナが叫び、三人は協力して魔法の乱れを抑える。

ツアレが静かに呪文を唱え、光の乱れを安定させた瞬間、魔法装置は元の状態に戻った。

 

「ふぅ……間に合った」

セリーヌが息をつくと、カリナも肩を震わせながら笑う。

「……あの方々に救われたから、私たちも守るんだ」

 

ルプスレギナが別館の扉の外で微笑む。

「よくやったわね。今日も無事に任務完了……」

 

人間メイドたちは胸を張る。

恐怖も不安も、もう恐れるだけではなく、忠誠心を力に変える勇気になっていた。

 

夜空の下、大使館は静かに光を放つ。

そしてその中で、三人の人間メイドたちは、明日もまた奮闘する決意を胸に、巡回を終えるのだった。

 

 

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