オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~   作:ぶーく・ぶくぶく

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第162話:天気予報

 

 

/*/ ナザリック地下大墳墓 第九階層・モモンガの執務室。 /*/

 

 

 壁一面を覆う投影魔導陣が、青白く輝いていた。

 そこには大陸全域の雲の流れ、気圧分布、風向が、繊細な魔力線として描かれている。

 

 ぐりもあが前に立ち、指先で魔力を走らせた。

「現在、アインズ・アイズより送信された観測情報を解析中。

 過去三十六時間の雲域移動と湿度変化を基に――予測を展開します」

 

 音もなく空間が変化し、半透明の立体地図に色が流れ込む。

 赤、青、緑、そして白。

 それぞれが天候の境界を示す、ナザリック式気象魔導投影図である。

 

「すごい……」

 アルベドが呟く。

「これが、空の上から見た天の流れ……なのですね」

 

 ぐりもあが胸を張る。

「はい。アインズ・アイズは〈風界感知〉と〈水界占断〉を複合運用することで、

 地上のどの占星師よりも正確に、七日先までの気象変化を算出可能になりました」

 

「つまり……週間予報、というわけか」

 アインズの低い声が響く。

 

 ぐりもあは頷き、指先を鳴らした。

 すぐに、天井から金糸のような文字列が降り注ぐ。

 

《ナザリック週間天候予報》

 

・第一日:快晴(魔力風、北東より微)

・第二日:午後より降雨、雷鳴を伴う(外界魔素濃度上昇)

・第三日:晴れのち曇り、温度安定

・第四日:高湿度、錬金植物区画で結露注意

・第五日:南方より熱帯気流、気温上昇

・第六日:強風、外壁補修作業を延期推奨

・第七日:曇りのち晴れ、外郭農地で豊作の兆し

 

 報告を終えたぐりもあが満足げに言った。

「この予報は、アインズ・アイズの観測網が二十四刻ごとに更新いたします。

 また、ナザリック各階層の気温調整・湿度管理も自動で最適化されるよう連動済みです」

 

 デミウルゴスが手帳を閉じる。

「素晴らしい。これで農業区画の収穫管理が格段に効率化されます。

 外界の人間どもは“明日の天気”すら神託に頼っているというのに……」

 

「ふふ、我らはすでに神の領域に手を伸ばしているのですわね」

 アルベドが微笑む。

 

 アインズは少しだけ照れたように(表情筋は動かないが)肩をすくめる。

「まあ……便利ではあるな。天候の読み違いでピクニックが中止になることもない」

 

 その言葉に、デミウルゴスが小さく苦笑した。

「アインズ様は実に先を見通されております。“娯楽の安定供給”こそ文明の証ですから」

 

 部屋に笑いが広がる中、天井の投影図では新たな雲の流れが更新されていく。

 アインズ・アイズは今も軌道上で、天の流れを見つめ続けている。

 

 ――空より降る知識の光が、今日もナザリックの地を照らしていた。

 

 

/*/ 王国南部 トブの大森林近郊 小村・ベルンハーフ /*/

 

 

 朝の霧がまだ地を包むころ、村の広場に人が集まっていた。

 中央に立つのは、黒鉄の柱のような奇妙な装置。上部には金属の輪が回転し、淡い光を放っている。

 ――ナザリック製〈伝言中継塔〉である。

 

 普段は無音のその塔が、今朝に限って低く唸りを上げた。

 子どもたちが「始まったぞ!」と駆け寄る。老人たちは帽子を脱ぎ、胸に手を当てる。

 

 光輪が明滅し、空に紋章が浮かび上がった。

 漆黒の頭蓋を戴く王――アインズ・ウール・ゴウンの紋。

 

 次いで、柔らかな女声が響く。

『こちら、ナザリック天候管理局よりお知らせいたします――』

 

 それは明瞭で、風にもかき消されぬ、まるで天から降る声だった。

 

『本日、魔導国南部は終日晴れ。

 午後より北西の風がやや強く吹きますが、雨の心配はありません。

 明後日には降雨が予測されますので、洗濯や収穫作業は今日明日がおすすめです。

 ――以上、アインズ・アイズ観測網による予報でした。』

 

 声が消えると同時に、光輪は静かに回転を止めた。

 

 沈黙。

 そして、ざわめき。

 

「……しゃ、しゃべった……」

「空の向こうから声が……」

「神託じゃ……! 本当に神託じゃよ!」

 

 農夫が空を仰ぎ、老婆が膝をついて祈りを捧げる。

 子どもたちは顔を見合わせて笑った。

「お日様の神さまが、しゃべった!」

 

 その横で、村長が冷静にメモを取っていた。

「明後日は雨か……なら、麦の脱穀は明日までに済ませねば。――これは、ありがたい」

 

 彼の横にいた行商人が感心したように言う。

「さすがはアインズさまだ。天気を“前もって知る”なんて、どんな魔法だ?」

 

 村長は静かに首を振った。

「魔法……というより、あれは“天を見ている”のだろう。

 この空の上から、全部の雲を」

 

 その言葉に、誰もが空を見上げた。

 雲ひとつない青空のどこかで、確かに《アインズ・アイズ》は輝いている。

 

 ――神の眼が、天より見下ろしている。

 そんな感覚が、村の誰の胸にも静かに根を下ろしていた。

 

 その日以降、ベルンハーフ村では毎朝の習慣として、

 「ナザリック天気」を聞いてから畑に出るのが当たり前になったという。

 

 

/*/ 聖王国南境 星見の塔 /*/

 

 

 祭壇の上、数百本の蝋燭が揺れていた。

 占星師たちの長――老占星官バル=セリウスは、金の望遠鏡を握りしめながら叫ぶ。

 

「愚かな行いだ! 天の秩序は神々のものである!

 それを“魔物の王”が盗み取り、地上に下ろすなど――異端以外の何物でもない!」

 

 集まった弟子たちは口々に同意する。

「魔導国の“天の声”は、人の世界を惑わせる呪いです!」

「彼らは天を盗む者、星を縛る者です!」

 

 やがて、会議は過激な方向へと傾いていった。

 「神の知識を奪う魔塔を壊さねばならぬ」――と。

 

 

/*/

 

 

 数日後。

 

 王国と聖王国の国境地帯。

 村の広場に立つ〈伝言中継塔〉が、闇の中で光を絶やしていた。

 ローブ姿の男たちが呪文を唱え、封魔の札を貼りつける。

 

「これでよい……これで人々は“偽りの天”から解き放たれる……」

 

 彼らの背後で、風が止んだ。

 次いで、音が消えた。

 

 ――まるで世界そのものが息をひそめたかのように。

 

 塔の頂で、黒い光がひとつ、瞬く。

 

 それを見た占星師のひとりが、言葉を失った。

 闇の中に立つ影――鎧に包まれた巨体が、無言で彼らを見下ろしている。

 胸元に刻まれた、あの紋章。

 

 骸骨の王の紋。

 

 風が吹いた。蝋燭のように光が消え、悲鳴も呑み込まれた。

 

 

/*/

 

 

 翌朝。

 

 村人たちは、静まり返った広場で奇妙な光景を見た。

 ――折られた中継塔は、夜のうちに修復され、

 塔の根元には銀の札が一枚、地面に突き刺さっていた。

 

 その札には、黒い文字でこう刻まれていた。

 

《神の声を封じようとする者は、沈黙の果てに至る》

 

 以後、この地方ではナザリックの天気放送を妨げようとする者は現れなかった。

 むしろ人々は、その声を――「天からの訓戒」として、より深く信じるようになったという。

 

 そして空の上では、アインズ・アイズが静かに回り続けていた。

 何も語らず、ただ見つめる。

 人々の祈りも、恐怖も、すべてを。

 

 

/*/ ナザリック地下大墳墓 第九階層・戦略情報室 /*/

 

 

 黒曜の卓上に、四つの印章が並べられていた。

 聖王国、竜王国、リ・エスティーゼ、そして帝国。

 それぞれが封蝋を施された外交書簡だ。

 

 アルベドが一つずつ開封し、読み上げていく。

 

「まず、ローブル聖王国――」

 紙を掲げ、声を低くする。

 

「『天は神のものであり、人の手が届くべきではない。

 ナザリック魔導国による“天候支配”は神聖の侵害に等しい。

 直ちに天上観測を停止せよ』……と」

 

 デミウルゴスが口角を上げた。

「ふむ、“天を盗む者”とは詩的な言い回しですな。

 だが、彼らが抗議の書状を送ってこられるということは――つまり観測が正確だったという証明でもあります」

 

「そうね」アルベドは冷ややかに笑う。「信仰心は強いが、天気の読みは弱い」

 

 モモンガは頭蓋の奥で唸る。

「我々としては悪意はない。単に、雨の日を予測して農業効率を上げたかっただけなんだが……」

 

「モモンガ様、民衆の間では『空の神の声』として定着しております。

 もはや宗教問題でございます」

 

 デミウルゴスの言葉にアインズは沈黙した。

 

 

/*/ スレイン法国 高神官院・外交会議 /*/

 

 

「彼らの技術を敵対的に扱うのは得策ではない」

 白衣の神官が言う。

「むしろ――こちらも恩恵にあずかるべきです。

 天候を読む力があれば、作物収穫も戦略行軍も数段向上する」

 

「だが神の権能を人が使うことは……」

「新たな神が権能を行使されているのだ。なにが問題になるだろう」

 

 そうして、法国は“自国向け天候観測”の技術供与を求める使節を魔導国へ派遣することを決定した。

 ――“天を奪う”者から、“天を借りる”者へ。

 

 

/*/ 竜王国・王都 宮廷評議会 /*/

 

 

「魔導国の予報は三日先まで正確らしい」

「それどころか七日先まで、気温の誤差は一度以下とのことです」

「……農夫の占いよりも働くではないか」

 

 ドラウディロン女王は唇を緩めた。

「ならば、使いを出すぞ。竜王国にも“空の耳”を――」

 

 彼女の瞳に、かすかに反射する衛星の光。

 誰も知らぬうちに、夜空の神話が現実へと変わりつつあった。

 

 

/*/ リ・エスティーゼ王国・王都 /*/

 

 

「魔導国の予報は市民にも流されていると?」

「はい。伝言塔で毎朝放送されています。市場では“雨避けの占い”よりも人気です」

 

 ザナック王が苦笑した。

「……民の心を掴むのは剣より天気、か。ならば我が国も、その声を借りねばなるまい」

 

 彼は筆を取り、魔導国宛てに使節派遣の文書を書き始めた。

 ――“空の声を共有したい”。

 

 

/*/ バハルス帝国・皇帝宮殿 技術会議 /*/

 

 

「魔導国の技術に依存するのは危険だ!」

 帝国学士院の老魔術師が机を叩く。

「我らも“天を見る眼”を作るべきだ!」

 

「だが、どのように?」

「観測気球を使うのだ。魔力結晶で上昇させ、風と温度を測定する。

 彼らが星を使うなら、我々は……“空飛ぶ観測塔”だ!」

 

 皇帝ジルクニフは苦笑し、椅子に身を預ける。

「よかろう。――天を盗めぬなら、覗き見るのだ」

 

 こうして帝国は独自の気象観測計画を立ち上げる。

 後に「帝国気象院」と呼ばれる学術機関の始まりである。

 

 

/*/ ナザリック 情報局報告書 /*/

 

 

【現状総括】

・ローブル聖王国:宗教的理由による抗議書提出。対話の余地なし。

・スレイン法国・竜王国・リ・エスティーゼ王国:観測情報の提供を要請。

・バハルス帝国:独自研究に着手(成功確率は低)。

 

【アインズ様への提案】

 各国への観測データ供与を限定的に実施し、

 “天候同盟”を構築することで外交支配力を強化する。

 

 ――天を見通す者は、地上すべてを制す。

 

 報告書の末尾には、アルベドの花押と共に、

 デミウルゴスの一文が記されていた。

 

「神の知識を盗む者」とは、

 ――すなわち、神となる者のことだ。

 

 

/*/ アインズ・ウール・ゴウン魔導国 対外会議室 /*/

 

 

 長卓の上には、各国の使節団が整然と並んでいた。

 その視線は、一枚の地図に注がれている。

 ――各地の降水・気温・風向を詳細に描いた“予報地図”。

 

 最初に声を上げたのは、ローブル聖王国の使節だった。

「魔導国は――“天を盗んでいる”。

 それは神々の領域を侵犯する行為だ! 聖王陛下の名において、我らはその行為の即時停止を要求する!」

 

 モモンガの代理として出席していたアルベドが、微笑を崩さぬまま首を傾げた。

「盗む? 私どもは天を“観測”しているに過ぎません。

 雨がいつ降るかを知ることは、農民を飢えから救うための施策です」

 

「神の意志を先に知ることこそ、傲慢なのです!」

 聖王国の使者は机を叩いた。

「貴様らは天上の真理を覗き見ている! そのような行いは異端だ!」

 

 その言葉に、別の陣営から小さく笑う声が漏れた。

 竜王国の使節が扇を畳み、軽やかに言う。

「異端で結構ですわ。我が国も“予報”を希望いたします。

 沿岸部の漁師たちにとって、嵐を前もって知ることほど有益なものはありませんからね」

 

 続けて、リ・エスティーゼ王国の使節も口を開く。

「当王国でも同様です。収穫期の気候を知ることは国家の根幹。

 我々は聖王国のように神意を恐れず、合理を尊びます」

 

 そして、最も野心的な笑みを浮かべたのは――帝国の特使だった。

「ふむ……我が帝国も、いずれ独自の気象観測を成し遂げねばならん。

 “魔導国に依存する”わけにはいかぬからな」

 

 アルベドは優雅に微笑んだ。

「ではどうぞ。観測というのは、実に簡単なことです。

 空を見上げれば、すべてが見えるのですから」

 

 その言葉の裏に含まれた“含意”を読み取れた者は、ごくわずかだった。

 ――“空を見上げても、我々の存在は見えない”。

 魔導国は、自らの人工衛星《アインズ・アイズ》の存在を一切明かしていなかった。

 

 

/*/

 

 

 数週間後。バハルス帝国北部の草原地帯。

 新設された観測拠点では、巨大な気球がゆっくりと上昇していた。

 

「高度八千……九千……おお、すごい! ここまで上がると雲の形が変わって見える!」

「観測水晶の反応を記録しろ! これで我々も“天気予報”を――」

 

 その瞬間。

 空が閃光で裂けた。

 

 轟音。爆風。気球が破裂する。

 落下していく破片の中で、観測士たちはただ呆然と空を見上げた。

 

 そこには――白金の鱗を持つ巨大な竜の影があった。

 天空を支配する古き竜王。

 彼の眼には、気球の魔力反応が“侵入者”として映ったのだ。

 

 翌日、帝都は沈黙に包まれた。

 竜王に撃墜された報告書には、ただ一行だけ記されていた。

 

 《高度九千において、天は竜のものなり》

 

 

/*/

 

 

 一方その頃、魔導国上空――

 漆黒の空を漂う《アインズ・アイズ》は、静かに世界を見下ろしていた。

 

 その“瞳”には、雲の影も、竜王の翼も、聖王国の祈りも、すべてが映っている。

 

 だが誰も知らない。

 それが“神”ではなく、“骸骨の王”の見ている夢であることを。

 

 

/*/ アーグランド評議国 竜王宮 /*/

 

 

 白金の大広間には、冷たい風が吹き抜けていた。

 竜王の宮殿において、炎は灯されない。

 その空気を裂くように、黒衣の大使が進み出た。

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国より派遣された特命使節、アルベドである。

 背後にはデミウルゴスが控え、静かに笑みを浮かべていた。

 

 白金の竜王が玉座の上から告げる。

「そなたらの使いが参ったと聞く。……何用か」

 

 アルベドは優雅に一礼し、封蝋を解いた書状を掲げた。

「魔導国よりの正式な申し入れです。

 ――アーグランド評議国所属の竜王陛下におかれましては、

 貴国領内にて発生したハバルス帝国観測気球撃墜事件について、

 魔導国として遺憾の意を表明いたします」

 

 竜王の金の瞳が細められる。

「……ふむ、帝国のことなら帝国に申せ。なぜ貴国が抗議を?」

 

 アルベドはわずかに口角を上げる。

「帝国の観測計画には、魔導国より供与された気象通信術式が用いられておりました。

 我々としても、友邦の技術者が命を落とした件を看過できません」

 

「空を漂う異形を焼き払ったまで。

 それが我が縄張りに入ったのだ。理は竜にある」

 

 その声は、雷鳴のように響いた。

 しかしアルベドは一歩も退かない。

「……では、お伺いします。

 “空”とは、どこからどこまでを陛下の領とされるのですか?」

 

 竜王は一瞬、沈黙した。

「空は、天が終わるまで。

 我が翼の届く限り、そこは竜のものだ」

 

 その答えを聞いた瞬間、デミウルゴスの口元にわずかな笑みが走った。

「実に明快な見解です。しかし――」

 

 アルベドが静かに言葉を継ぐ。

「魔導国の観測は、そのさらに“上”です。

 貴殿の翼も、風も届かぬ彼方。

 いかなる竜も息をできぬ薄闇の層で、我々は研究を行っております」

 

 白金竜王の瞳がわずかに揺らめいた。

「……貴様ら、天を見ているのか」

 

「ええ、すべてを見ています。雲の上も、風の道も。

 陛下が飛ばれる高度よりさらに高く――“天そのもの”を」

 

 竜王は、しばらく黙していた。

 やがて、重々しい声で問う。

「貴様らが天を覗くならば……その目が、我をも見下ろすというのか?」

 

 アルベドは微笑む。

「我々は“観測”するのみ。

 しかし、必要であれば“警戒”もします」

 

 竜王の口角がわずかに上がった。

「なるほど……面白い。天を盗む骸骨王か」

 

 その言葉は、警告であり、ある種の称賛でもあった。

 

 

/*/

 

 

 会談後、魔導国大使館の通信水晶が光を放つ。

 デミウルゴスの報告が本国に届く。

『《アインズ・アイズ3号機》、竜王の索敵圏を完全に回避。

 高度六万にて安定軌道を維持中。視認・魔力反応ともに検出されず』

 

 アインズが静かに頷いた。

「良い。竜王が空の主なら、我らは天の亡霊だ。

 この星の誰も、“見えぬ空の王”がいるとは思うまい」

 

 窓の外では、星が一つ、ゆっくりと流れていく。

 だがその光は、星ではなかった。

 ――それは、《アインズ・アイズ》が放つ観測信号の反射。

 天を盗む者の、冷たい視線だった。

 

 

/*/ バハルス帝国 皇帝執務室 /*/

 

 

 昼下がりの光が、分厚いカーテンの隙間から差し込んでいた。

 机上に積まれた書簡の山、その中央に赤い封蝋のひとつが置かれている。

 “アインズ・ウール・ゴウン魔導国より”――そう刻印されたものだった。

 

 ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、眉間を押さえながら嘆息する。

「で? お前が言ってきたのか。……竜王に」

 

 執務机の向こう側、椅子の背にもたれていたジョンが、気の抜けた笑みを浮かべていた。

「言ってきた。ちゃんと礼儀正しく、書面も持ってな。

 “観測気球を勝手に撃ち落とすな”ってな」

 

 ジルクニフは手を止め、顔を上げた。

「で、どうだった?」

 

「ダメだ。あれは話が通じねぇ。

 “空は全て竜のもの”って、譲る気ゼロ。

 国境? 高度? 理屈? そんなもん通じねぇ。

 あいつらにとっちゃ、風が吹く範囲全部が縄張りだ」

 

 ジョンは苦笑しながら、懐から折れたペンの軸を取り出して机に置いた。

「ちなみにこれ、会談中に風圧で折れたやつな。

 “声”でな。あの竜、喋るだけで空気が歪む」

 

 ジルクニフは短く息を吐き、背凭れに沈み込む。

「……まるで神話の中の存在だな。

 理屈じゃなく、存在そのものが理だ」

 

「その通り。人間の法律じゃ裁けねぇ領域の王様だ」

 ジョンが肩をすくめた。

「だが、まあ安心しろ。

 魔導国の人工衛星は、もっと上を飛んでる。竜王の羽根じゃ届かねぇ」

 

「衛星……?」

 ジルクニフが目を細めた。

「お前ら、どこまでやる気だ」

 

「安心しろよ。観測だけだ。

 天気予報と、竜王の飛行ルートと、あと雷雲の形成データと……」

 

「おい、それ全部軍事情報じゃないか」

 

 ジョンは笑って煙草をくわえた。

「便利な言葉だろ、“気象観測”。」

 

 その軽口に、ジルクニフは半ば呆れながらも笑みを返す。

「……竜王に抗議するような奴が、よく生きて帰ってきたな」

 

「そりゃまあ、“死んでも問題ない駒”だからな」

 

 言葉の奥に、わずかな皮肉と自嘲が混じる。

 窓の外では、帝都の上空を一羽の鷹が旋回していた。

 だがそのはるか上、雲のさらに上層には――

 誰も知らない“骸骨の王の目”が静かに地上を見つめている。

 

 

/*/

 

 

 ジョンは立ち上がり、出口に向かいながら言った。

「次に気球を上げる時は、竜の目に見えねぇようにしてやる。

 ステルス加工、魔導遮蔽、あと音波も吸収させる。

 竜が風を聴くなら、風ごと消すさ」

 

「無駄だと分かっていても、空を見上げるのが人間か……」

 ジルクニフが小さく笑った。

「いいさ。せいぜい“天の盗人”として、歴史に名を残してやる」

 

「おうよ。」

 ジョンが軽く手を上げる。

「天を盗むってのは、気分がいいもんだぜ」

 

 そして扉が閉じる。

 残された執務室には、静かな風の音と、遠くから響く雷鳴だけが残った。

 

 

/*/ バハルス帝国 皇帝執務室 翌日/*/

 

 

 昼下がりの光が、厚いカーテンの隙間から差し込み、執務室の書類の山を淡く照らしていた。

 

 ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、机の前で地図をじっと見つめている。

 そこに、秘書官ロウネ・ヴァミリネンが静かに一礼し、報告書を差し出した。

 

 ロウネは微笑みを抑えつつ、机上に広げた書類を指差す。

「こちらです。観測塔と魔導通信機の配置案。帝国独自の中層気象中継ネットワークを構築可能です。

 魔導国からの技術供与は、上空六万以上を除く範囲で許可されました」

 

 ジルクニフの瞳が光る。

「なるほど、これなら独立して運用できる。よし、観測院設立だ。早速着手せよ」

 

 ロウネは静かに頷く。

「承知しました。塔建設、魔導通信機の組み込み、運用マニュアル整備も含めて、速やかに準備いたします」

 

 ジルクニフは手元の地図を見ながら呟いた。

「だが、あの骸骨王の目も、いつか帝国を見下ろすことになるだろうな」

 

 ロウネは淡々と答える。

「それでも、現段階で帝国が空を読む力を得ることは可能です。

 必要なデータは中層に限られますが、天気予報と農作・軍事運用には十分でしょう」

 

 

/*/ 数週間後 帝国首都・観測塔建設現場/*/

 

 

 塔の頂上に立つ若い魔術師が、魔導通信機をセットする。

 塔の先端には風速計、気圧計、温度計が並び、精密魔力結晶が回転する。

 

 ロウネが塔の下から魔導通信機を確認しつつ報告する。

「地上?中層の気象データはリアルタイムで帝都に送信されます。

 これで農作管理、軍事行動計画の精度も向上する見込みです」

 

 塔の上空、遥か雲海の彼方――

 《アインズ・アイズ》のステルス衛星が静かに地上を見下ろす。

 帝国の野望も、すべて“骸骨の王”の目に映っていることを、誰も知らない。

 

 ロウネは少しだけ口角を上げ、メモを手元に取る。

「帝国は、ついに空を読む時代に追いつきました」

 

 その声は静かだが、確かな自信が込められていた。

 

 

/*/ ナザリック地下大墳墓 第9層 モモンガ執務室 /*/

 

 

 朝の光が差し込むわけでもない執務室で、珈琲と紅茶の湯気が静かに漂っていた。

 

 モモンガは玉座に腰掛け、前に広げられた報告書に赤い眼を走らせる。

 向かいにはジョンが熱々の珈琲を手に、ぐりもあは香り高い紅茶を口に含みながら座っていた。

 

「……竜王の奴、傲慢過ぎて話にならなかったな」

 モモンガが低く呟く。

「空は全て竜のものだと言い張り、飛び回るのは勝手にしてもいいが、他所の観測気球を勝手に撃ち落とすな、と何度言っても通じなかった」

 

 ジョンが珈琲を一口飲み、肩をすくめる。

「だって、最初に帝国が魔導国に頼らず自力でなんとかしようとしたんだぜ!

 そりゃ、ロックってもんだろ」

 

 ぐりもあは紅茶を口に含み、片眉を上げながら柔らかく笑みを浮かべる。

「ジョンさん、随分帝国の肩を持ちますね」

 

「いや、しょうがないだろ。

 空の主張が強すぎるんだ、竜王って奴は。

 あの高度じゃ、魔導国の衛星でも触れない。帝国が気球で測ろうとして、撃ち落とされるのも無理はない」

 

 モモンガが冷静に頷く。

「なるほど。衛星は竜王の索敵圏外で運用されているということか」

 

「その通りだ」

 ジョンが手元の報告書を軽く叩き、続ける。

「だから、帝国は今、中層だけで観測してる。

 魔導国の技術を使えば、安全にデータが取れる」

 

 ぐりもあは紅茶を口に含み、少し考え込む。

「面白いですね。人間の観測技術と、魔導国の衛星技術の“高度差”で、安全圏を作るわけですか」

 

「そういうことだ」

 ジョンが珈琲をもう一口飲み、微笑む。

「竜王は偉大だけど、意外と自分の届く範囲しか信用してない。

 魔導国は、その上の領域を知ってるから、干渉されない」

 

 モモンガは椅子に背もたれを預け、手を組んで報告書に目を落とす。

「ならば、この状況を帝国に知らせ、観測網を安全に運用させることも可能だな」

 

「うん、それで帝国も天気予報で有利になるし、魔導国も問題ない」

 ジョンが珈琲を傾けつつ笑う。

「なにより、俺としては竜王の傲慢さを改めて確認できたのが収穫だな」

 

 ぐりもあはくすりと笑った。

「傲慢な相手の観察も、立派なデータになりますね」

 

 珈琲と紅茶の湯気がゆらりと揺れる中、三人は淡々と報告書の読み合わせを続けた。

 空の覇者と、地上の科学者たちとの間で生まれる小さな知恵の戦いが、今日も静かに進行している。

 

 

/*/ ナザリック地下大墳墓 第9層 モモンガ執務室 /*/

 

 

 珈琲と紅茶の湯気が揺れる静かな執務室で、報告書の読み合わせは一段落した。

 

 ぐりもあは紅茶のカップを片手に、机の上の魔導計算盤と通信スクロールを広げる。

「さて、次は竜王の飛行パターンと天候傾向の解析ですね」

 

 ジョンが珈琲を飲みながら覗き込む。

「解析って、竜王が通った軌道を予測するってことか?」

 

「はい。魔導衛星や中層観測塔から得た風速、気圧、雲量のデータを統合すれば、

 高高度での飛行ルートや、雷雲の発生傾向も割り出せます」

 ぐりもあは紅茶を口に含みつつ、スクロールのデータを指でなぞる。

 

 目に見えない線が、スクロール上に軌跡として浮かび上がる。

「ほら、ここ。先週、帝国領上空で旋回していた高度と時間帯。

 風向から推測すると、雲量の多い時間帯は避けて飛んでいます。

 つまり竜王は雲の少ない晴天を選んで飛行している、と」

 

 モモンガが玉座から眼を細める。

「なるほど。風の影響も計算に入れているのか」

 

「ええ。そして、雲や気流の変化から次に飛ぶ可能性のあるルートも推測可能です」

 ぐりもあが紅茶を置き、手元の結晶に魔力を注ぐと、スクロール上の軌跡が色分けされ、

 「安全圏」「高リスク」「潜在観測圏」と分類されていく。

 

 ジョンが笑いながら言った。

「へぇ、見える化すると結構分かりやすいな。これなら帝国の観測塔も安心して運用できる」

 

「ええ。さらに、竜王の飛行パターンを分析して気象傾向と組み合わせれば、

 観測塔の最適配置や、観測データの予測精度も向上します」

 ぐりもあの声には、微かに興奮が混じっていた。

 

 モモンガがゆっくり頷く。

「では、これを帝国に提供すれば、空の干渉も最小限に抑えられるな。

 竜王が干渉する高度外で、観測網を最大限活用できる」

 

 ぐりもあは紅茶を口に含み、微笑む。

「ええ。そして帝国は、天気予報の精度を上げるとともに、

 竜王の行動パターンも知ることができます。情報戦としても有効です」

 

 ジョンは珈琲を傾け、机の上の軌跡図を眺めた。

「なるほど、空の支配者が誰であれ、データがあれば立ち回りは可能ってわけか」

 

 執務室の静寂の中、紅茶と珈琲の香りが漂う。

 地上の人間たちが、天空の覇者を知ることはない――だが、ナザリックの目はすでにすべてを見通していた。

 

 

/*/ ハバルス帝国 首都・帝国気象院/*/

 

 

 帝国首都の郊外に建てられた観測塔群の頂上では、若い魔術師たちが緊張と期待に包まれて作業を進めていた。

 

 塔の先端には風速計、気圧計、温度計が設置され、魔導通信機が光を帯びながら回転する。

 下層の管理室では、ぐりもあが魔導スクロールを手元に置き、解析結果を元に塔の最適運用を指示していた。

 

「まずは中層気象データの取得を開始してください」

 ぐりもあの声は落ち着いているが、その内容は精密かつ即座に反映される指示だった。

「風向・風速、雲量、気圧をリアルタイムで集約。竜王の飛行ルートに干渉しないよう、高度は六万以下に制限します」

 

 若い魔術師たちは一斉に塔の操作を開始する。

 風速計が針を振り、魔導結晶が回転し、観測データが魔導スクロールに映し出される。

 

「データ受信開始。これで地上から中層までの気象情報が即座に帝都に届きます」

 魔術師のひとりが興奮気味に報告する。

 

 ぐりもあは淡々と確認しつつ、スクロール上に竜王の飛行傾向を重ね合わせる。

「過去一週間の軌跡と気象条件を組み合わせれば、次回飛行ルートの予測も可能です」

 

 帝国側の観測官たちの目が輝く。

「なるほど……これで天気予報の精度は飛躍的に向上する。

 農作計画も、軍事行動も、事前に調整可能だ!」

 

 塔の外、雲海の上では竜王が悠然と飛び回っている。

 帝国の観測塔が稼働していることを竜王はまだ知らない。

 その高度の上では、ナザリックのステルス衛星《アインズ・アイズ》が静かに監視を続けていた。

 

 ぐりもあは紅茶を口に含み、満足げに指示を続ける。

「これで帝国も安全圏で観測可能になりました。

 天気予報も、竜王の行動も、双方に干渉されず把握できます」

 

 帝国の魔導官たちは互いに顔を見合わせ、感嘆の声を上げる。

 こうして、ぐりもあの冷静な解析により、帝国は初めて天空の情報を安全に掌握することに成功したのだった。

 

 

/*/ ナザリック地下大墳墓 第9層 モモンガ執務室 /*/

 

 

 珈琲と紅茶の湯気が揺れる静かな執務室で、報告書の読み合わせはひと段落した。

 

 ぐりもあは紅茶を片手に、スクロールに目を落としながら静かに呟く。

「確かに、自分の出来る範囲でそれを超えて頑張ってやろうとしている人間って、良いですね。肩入れしたくなります」

 

 ジョンは珈琲を一口飲み、にやりと笑った。

「だろー。俺もそう思うんだよな」

 

 モモンガは玉座に腰掛け、両手を組んで赤い眼を細める。

「ですね。と言うか、竜王が上から目線過ぎるんですよ。

 自分の高度がすべてだと思い込み、他者の努力や領域を考慮しない」

 

 ぐりもあは紅茶を口に含みながら、微かに頷く。

「ええ。その点、帝国の人間はまだ、限られた範囲であっても努力してやろうとしている。

 見ていて好感が持てます」

 

 ジョンは軽く肩をすくめ、笑みを浮かべた。

「ま、上から目線の奴には辟易するけどな。でも、やる奴がいると助かるよ」

 

 モモンガは静かに頷き、報告書に視線を戻す。

「ならば、帝国の観測塔計画も、彼らが努力できる範囲で支援すればよいということですね。

 竜王が干渉する高度の上には、こちらの衛星が控えていますし」

 

 珈琲と紅茶の香りの中、三人は静かに作戦の余白を確認する。

 地上の努力と、上空の支配者。小さな知恵の戦いが、今日も密かに進行していた。

 

 

/*/

 

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