オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~   作:ぶーく・ぶくぶく

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第166話:階段の先

 

 

/*/ 旧宿屋地下・石造りの回廊 /*/

 

 

階段を下りた先に広がっていたのは、想像以上の光景だった。

 

狭い地下室を想像していた四人の前に現れたのは、入り組んだ回廊と部屋の連なり――迷宮と呼んでも差し支えない規模の地下構造体だった。壁は粗削りの石で築かれているが、要所要所に魔術的な刻印が彫り込まれ、淡い光を帯びている。空気は異様に冷たく、鼻を突くのは鉄錆と血の混じった臭気だった。

 

「……なんつーか、想像以上っすねぇ」

ルプスレギナが口元を押さえ、鼻をひくつかせる。

 

「完全に、魔術師の隠れ家……いや、研究施設か」ジョンが低く呟いた。

 

床には幾重にも重ねられた魔法陣の痕跡があり、焼け焦げた跡や乾ききった血痕が点々と残っている。人間を実験に使ったのは明らかで、その不気味さにぐりもあは背筋を震わせながらも、目を輝かせていた。

 

「これは……興味深いですね。人を使って冒涜的な魔術研究を……」

 

モモンガが前方を見やり、杖を軽く叩いた。

「不用意に立ち入らず、記録を探す方が効率的でしょう。研究者というのは、往々にして記録魔ですから」

 

やがて一行は、壁一面に本棚が並ぶ広間に出た。机には羊皮紙や瓶が散乱し、奥には小さな寝台まで置かれている。まさしく研究者の書斎兼居室だった。

 

「……ありましたよ」

ぐりもあが机の上に残された厚い本を持ち上げた。革装の表紙には金具がついており、明らかに日記帳の体裁だ。

 

「日記だ。そうそう、こういうのがないとね」

ぐりもあは嬉々として言い、ページをぱらぱらとめくった。

 

ジョンが呆れたように笑う。

「……ぐりもあさん、やけに嬉しそうだな」

 

「そりゃあそうですよ。こんなお約束、うれしくないはずないじゃないですか。闇の魔導士が残した不気味な日記なんて、まさに王道です!」

 

ルプスレギナは肩を竦めながら机に肘をつき、面白そうに覗き込む。

「じゃあ読んでみるっすか?」

 

ぐりもあは慎重に開き、朗読を始めた。

 

「――『人の肉体は脆弱だ。刃に裂かれ、病に蝕まれ、時の流れに呑まれる。魂もまた、容易く折れる。だが神話存在は違う。我らが想像する以上の強大さと永劫性を備え、人の限界を嘲笑う。ああ、我はその力を渇望する。人の檻を破り、神話の力を得ねばならぬ』」

 

ジョンが渋い顔をする。

「……この手の書き出しはヤバいものって相場だよな」

 

モモンガは腕を組み、無表情の骸骨の顔をわずかに傾けた。

「ふむ。実際、かなり危険な思想に傾倒している。人間への嫌悪と、神話存在への賛美……実に典型的だ」

 

ぐりもあはさらにページをめくる。

「『神器を手に入れた。我が血と魂を代価にすれば、境界を越えて呼び寄せることができる。現れたそれは、血液を糧とし、肉体を蝕む呪いを伴う存在――人の理解を超えた、強大なる異形。これを従え、融合することができれば、我は人を超え、超人となれるはずだ』」

 

ルプスレギナが舌打ちした。

「……血を食う存在っすか。もうその時点でロクでもないっすね」

 

「だが」ぐりもあは続ける。「『しかし失敗した。制御は叶わず、代償は大きすぎた。器である我が肉体は裂け、魂は引き裂かれそうになる。だが――まだ道は途絶えてはいない。次こそは、真なる契約を……』」

 

そこから先のページは、途中で文字が乱れ、インクが滲んで判読できなくなっていた。最後の行は血で書かれたのか、黒ずんだ赤がこびりついている。

 

「……ここで途切れてますね」

 

ジョンは深く息を吐き、机に日記を置いた。

「結局のところ、神器を使って何かを呼び出したが……失敗した、ってわけか」

 

モモンガは顎に手を当て、静かに頷く。

「だが呼び出された存在が消えたとは限らない。ここに残っているか、あるいは逃げ出して街へ紛れているか……」

 

「それが連続殺人事件の正体ってわけっすかね」ルプスレギナがにやりと笑う。「血を糧にする化け物……なら辻褄は合う」

 

「……厄介ですね」ぐりもあは冷静にまとめる。

 

静まり返った地下書斎の中で、四人は黙り込み、日記に綴られた狂気の余韻を噛みしめていた。

 

 

/*/ 地下実験室 白銀の大鏡 /*/

 

 

 書斎の探索を終え、隣室へ足を踏み入れた四人は思わず息を呑んだ。そこは明らかに実験や儀式のために作られた空間であり、床一面には血のように赤黒い染料で描かれた魔法陣が広がっていた。壁際には薬品や触媒が詰め込まれた棚が並び、そして何より目を引くのは、正面の壁に埋め込まれた巨大な鏡だった。

 

 白銀色に輝くその鏡は、まるで自らが光源であるかのように淡い輝きを放ち、周囲に刻まれた神聖文字が不気味な脈動を見せている。

 

「……これは」

 モモンガが一歩進み、手をかざす。〈物品鑑定〉の詠唱が低く響き、鏡全体を淡い魔力が包み込んだ。次の瞬間、彼の赤い瞳が大きく見開かれる。

 

「……ユグドラシルに存在した神話級アイテム。しかも、ただのレプリカではなく……現実に“変質”して存在している。間違いありません、これは神話級神器!」

 

 その声に一行は緊張を走らせる。ぐりもあは思わず鏡に近づきながら「おやおや」と目を輝かせた。

 

「分類は……World-Class Itemに準ずるが、やや劣る存在。形状は白銀の大鏡、周囲に神聖文字……由来は太陽神が天岩戸に籠った際、その姿を映し出して誘い出した鏡、と伝えられています」

 

「つまり……神の遺したものか」

 ジョンが低く呟き、ルプスレギナは気味悪そうに耳をぴくつかせる。

 

 モモンガはさらに説明を続ける。

「主能力は『真実顕現(アポカリプス・リフレクション)』。対象を映すだけで偽装や変身を完全に看破し、吸血鬼やリッチの正体すら暴く。ワールドアイテムによる秘匿でさえ一定確率で突破する……」

 

「げっ、それやばすぎじゃないっすか? モモンガ様も化けの皮剥がされちゃう?」

「……可能性は否定できませんね」

 

 さらに鏡の縁に刻まれた文字が淡く輝き、別の能力が浮かび上がる。

「次に『八重反射(ミラー・カウンター)』。最大八回まで、自動的に魔法を反射する。しかも階層差やレベル差を無視し、反射された魔法は威力倍加……」

 

 ぐりもあは唇を舐め、「なるほど、戦闘用神器にしては洒落にならない性能ですね」と笑った。

 

「そして究極解放能力――『天照映し(アマテラス・グレア)』。鏡面から太陽の如き光を放ち、不死者や悪魔に特大のダメージを与える。同時に範囲内のアンデッドは能力が半減する……ただし使用者の生命力を激しく消耗する、と」

 

「……それ、俺にとっては最悪の天敵じゃん」ジョンが肩をすくめる。「でも、神の道具って時点で人間の手に余るんだよな」

 

 さらに副能力の記述が続く。

「魂写し――対象を鏡に閉じ込め、写し身を戦わせる……神威防御――攻撃を鏡に映し返し、空間ごと反転させてダメージを相手に送り返す」

 

「ははぁ……神聖なものでも、使いようによっては凶器そのものってわけか」ジョンが腕を組む。「神様なんて、人間からすりゃ理解の及ばない化け物だもんな」

 

 ルプスレギナは鏡に映る自分の姿を覗き込み、少しだけ肩をすくめた。

「なんか嫌っすね。うっかりしたら魂抜かれそうっす」

 

「その危険は大いにありますね」ぐりもあが答える。「だからこそ、ここに隠されていたのでしょう。連続殺人事件の黒幕も、この鏡を利用して何かを呼び出したか、あるいは自らが力を得ようとした……」

 

「結果は失敗。けれど、その過程で犠牲になった者たちの血と怨念が、この街に爪痕を残している……そういうわけか」モモンガが鏡から視線を外す。

 

 淡く光を放ち続ける鏡は、ただそこに在るだけで禍々しい存在感を放ち、一行の背筋に冷たいものを走らせるのだった。

 

 

/*/ 地下実験室 散乱する資料の山 /*/

 

 

 白銀の大鏡を前にしばし沈黙していた一行だったが、やがてジョンが顎に手を当て、軽い調子で口を開いた。

 

「……で、どうする? 回収するか?」

 

 場の空気を和ませるような軽口にも聞こえたが、その実、判断を急がなければならない重大な問いだった。モモンガは赤い瞳を細め、淡々と答える。

 

「もちろん回収はします。ただ、ここで即座に動かすのは危険です。この研究所全体を探索し、罠や残された実験の痕跡を確認してからにしましょう」

 

 そう言って彼は視線を床に散らばる紙片や書物に向けた。そこには血で汚れた羊皮紙、何度も修正された魔法陣の設計図、解剖図のような絵が無数に転がっている。その中で、革のファイルに綴じられた分厚い冊子をジョンが拾い上げた。表紙には黒々とした筆跡で「レポートファイルNo.2」と記されている。

 

「……番号が振ってあるってことは、これ以外にも複数存在するってことか」

 ジョンは渋い顔をしながらページをめくり始めた。

 

 そこに記されていたのは、明らかに尋常ではない研究記録だった。精緻な筆致で書かれた文字列は高度な学識を感じさせる。だが内容は、魔術と医学を組み合わせたおぞましい人体実験の成果であった。

 

 ぐりもあが横から覗き込み、眉をひそめる。

「……これは……ただのアンデッド化や強化魔法ではありませんね。人間そのものを、種として作り替えようとしている」

 

 ページには人体の断面図や臓器の構造改造、骨格を強靭化する呪術的工程が描かれていた。魔力の回路を書き換え、魂の器を拡張し、限界を超えた存在を生み出すことを目的としているらしい。

 

「ふむ、ただの狂気ってわけでもなさそうだな」ジョンが低く呟く。「失敗ばかりじゃなく、ある程度の成功例も……あるのか?」

 

 レポートには「耐久試験成功」「魔力伝導率改善」「精神耐性付与」などの記録が残されていた。実際に被験者が人間の枠を超える力を一時的に発揮した痕跡がある。だが同時に、暴走や自我の崩壊によって失敗した例も夥しく記載されていた。

 

「……つまり、アンデッドのように死を経由するのではなく、生きたまま人間を超人へと進化させようとした。そういうことですか」モモンガが整理するように言葉を紡ぐ。

 

 ルプスレギナは腕を組み、不快そうに鼻を鳴らした。

「なんか気持ち悪いっすね。こういうの、人間がやるからタチ悪いっす。魔物のほうがよっぽど素直じゃないですか」

 

 ぐりもあは少し楽しげに目を細める。

「でも興味深いですよ。神話存在を賛美していた日記の記述と合わせると、この研究者は“人間という不完全な種を、神話存在に近づける”ことを目的にしていたのかもしれませんね。ああ、やっぱりお約束で面白い」

 

「面白いとか言うなよ……」ジョンは頭をかきながらファイルを閉じた。だが、その声にわずかに緊張が混じる。

 

 研究の痕跡は明らかに途絶している。だが成功の可能性が残されているという事実は、誰にとっても無視できるものではなかった。

 

「……この研究所、ただ放棄されただけじゃない。何かを成し遂げた後に、痕跡を隠して逃げた――そう考えるべきでしょう」

 

 モモンガの冷静な言葉に、部屋の空気がさらに重くなるのだった。

 

 

/*/ 地下研究所 死臭漂う通路 /*/

 

 

 探索をさらに進めると、行き止まりのような通路の先に転がる数体の人影が目に入った。だが、近づくまでもなくそれが「遺体」であることは明らかだった。皮膚は紙のように乾き切り、骨と薄い革袋のような肉だけを残したミイラ状の死体。よく見ると、全身には無数の細かい穴が穿たれており、そこから血液や体液を一滴残らず吸い尽くされたかのようだった。

 

「……ひどいな、これは」

 ジョンが眉をひそめる。

 

「まるで生きたまま、体を吸い上げられたような……」ぐりもあは口元を押さえ、言葉を濁した。

 

 さらに進むと、ある部屋に辿り着いた瞬間、一行は息を呑む。そこには床一面に、同じような乾いた死体が積み上げられていたのだ。その数、おそらく百体を優に超える。

 

 鼻をつく異臭が部屋中に充満していた。乾いた腐臭と、薬品の残り香と、何か形容しがたい甘ったるさが混じり合っている。ぐりもあは思わず壁に手をつき、顔を背ける。

 

「……っ、うぇ……これは……きつい……」

「わたしも……正直、これは耐えられません……」モモンガの声にも珍しく苦悶の色が浮かぶ。

 

 その横で、ジョンとルプスレギナは比較的平然としていた。ただルプスレギナが眉をしかめ、ぶつぶつと呟く。

「最悪っす……匂いが服につくの嫌なんすけど」

 

「平気そうだな」ぐりもあが涙目で問うと、ジョンが肩をすくめて答える。

「人狼はな、嗅ぎたくない匂いを“認識しない”ようにできるんだよ。野生じゃ便利な習性なんだが、こういうときも役に立つ」

 

「……羨ましい……」ぐりもあは小さく呻くように言った。

 

 部屋の奥には粗末な寝台や机が残されており、ここが研究所の部下や協力者たちの居住区だったことを示していた。しかし、その全員がこの無惨なミイラと化している。血と体液を吸い尽くしたのが、件の日記に記されていた「血液を糧とする存在」なのは明らかだった。

 

「……こいつら、結局“使い捨て”にされたってことか」ジョンの声は低く、冷たい響きを帯びていた。

 

 さらに探索を進めると、壁の隙間や家具の裏に、いくつかの抜け道や隠し扉が発見された。地下全体は複雑に入り組み、逃走や攪乱を前提とした構造になっていたのだろう。だが、すでに使われた形跡はなく、そこから得られる手がかりも少なかった。

 

「……目ぼしいものは、もう残されていないようですね」モモンガがため息のように呟く。

 

「うん。だが、犠牲になった数から考えると……この研究の規模は想像以上だったんだろうな」ジョンが辺りを見渡し、背後で倒れた死体に視線を落とす。

 

 静まり返った通路に、死者たちの無言の訴えが残響しているようで、誰もが口をつぐむしかなかった。

 

ジョンはぐるりと地下室を見渡してから、浅く息を吐いた。

「つまり、そういうことだな。超人になろうとして融合に失敗、部下食って腹が減って地上で連続殺人。最後は冒険者にやられた、と。自然な筋書きだ」

 

ぐりもあは日記とレポートを抱え直し、にやりと笑った。

「まぁ王道の悲劇ってやつですね。でも資料が大量にある。書斎だけで二千冊くらいは軽くありましたよ。役に立つかどうかは最古図書館で目録を取らせれば分かります」

 

モモンガは冷静に目を細める。

「回収できる資源は全て持ち帰りましょう。研究資料、魔導書、触媒、そして――あの鏡は極めて危険です。移送前に封印と安定化を施す必要があります」

 

ルプスレギナは肩をすくめ、床に転がる骨の山をちらりと見た。

「鏡はどうすんすか? 壁に埋まってたぞ。取り出すの大仕事っすよ」

 

ジョンは鏡をまっすぐ見据えた。白銀の面は淡く光を放ち、そこに映る空気すら歪めている。

「周りの壁ごとえぐって持って帰ろう。現場で切り出すのは危険だ。石ごと切り取って動かす。シモベ呼ぶ。運搬班と封印班と護衛班を分けて手際よく」

 

ぐりもあが羽ペンで地図に印をつける。

「まず書斎の書物は巻子・冊子ごとに分類して箱詰め。魔導書は別途保護箱に入れて封印札を打っておきます。二千冊を一晩で動かすのは無理だから、優先度を付けましょう。重要度高→魔術理論書・レポートNo.2・日記。残りは目録だけ取って運搬手配」

 

モモンガは短く詠唱し、周囲の魔力の乱れを探る。

「鏡は『真実顕現』の能を持つ。輸送中に不用意に覗かせると秘匿や変装を剥がし、反射で魔法を跳ね返す可能性が高い。まず鏡面を布で覆い、外部からの魔力感知を鈍らせる結界を施します。次に鏡を含む壁面を振動結界で切り離す。運搬時は魔力遮断箱に入れ、二重の封印札を施す」

 

ルプスレギナは嬉々として腕を組んだ。

「うん、やることいっぱいっすね! 壁ごとえぐるの楽しそうっすよ」

 

ジョンはにやりと笑って短く合図した。

「じゃあ手順は決まった。まずシモベを呼べ。封印班はモモンガとぐりもあが指揮。俺とルプスレギナは物理班、鏡の切り出しと搬出を取り仕切る。警戒は怠らず、異常が出たら直ちに撤収だ」

 

ぐりもあは近くの棚から空箱を引っ張り出し、楽しげにメモを取り始める。

「それと、万一に備えて最古図書館へ連絡を入れておきます。運搬の翌日に学匠二名と調査官一名を同行させましょう。専門家の目で確認してもらわないと危険ですからね」

 

モモンガは短く頷き、低い声で付け加えた。

「この鏡は単なる武器ではない。場合によっては『対象の本性を暴く』ことで、ここに残された呪詛や結界の鍵ともなり得る。回収後の処遇は我々の責任です」

 

ジョンは剣の柄に手をかけ、険しい顔で言った。

「ならば行動開始。無駄に怯むな。手際よく片付けるぞ」

 

四人はそれぞれの役割を確認すると、不可知化を解き、地下室の暗がりに向かって低く号令をかけた。外ではシモベたちが応じる声が遠くから聞こえ、作業の気配が少しずつ大きくなっていった。宿屋の地下に残された悪夢を、彼らは今、持ち帰ろうとしている。

 

 

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