オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~   作:ぶーく・ぶくぶく

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第182話:あなたのお名前なんてーの?

 

 

/*/ スレイン法国・漆黒聖典訓練場 /*/

 

 

夜風が、石畳を撫でていく。

訓練場に灯る松明の光が、風に揺れて赤金の輪郭を描いた。

 

槍の穂先を地に突き立てたまま、ケネウスは息を整えていた。

昼間の訓練で汗も血も洗い流したはずなのに、

鎧の奥ではまだ、心臓だけが戦場の鼓動を続けている。

 

「……あいかわらず、律儀な男だな」

 

背後からかかった声は、夜より冷たく甘やかだった。

振り返れば、月光を背に立つ小柄な影――イビルアイ。

その紅の瞳は松明の炎を映して妖しく揺れていた。

 

「イビルアイ様。お疲れ様です」

「おい、隊長。そう言えば――」

 

彼女はふと、歩を止めた。

夜気が二人の間に流れ、火の粉が風に流れる。

 

「そういえばな、あんたのこと“隊長”としか呼んだことないな」

「……ああ、まあ。部下もそう呼びますから」

 

「ぼーや、名前ちゃんとあるのか?」

 

唐突な問いに、ケネウスは一瞬まばたきした。

“ぼーや”という言葉は、彼の生涯で初めて向けられた呼称だった。

どんな敵にも“神の槍”“第1席次”と呼ばれてきた自分に――。

 

それは、まるで鎧の隙間に差し込む月光のようだった。

 

「……あの、親から貰った名前、ありますよ。

 ただ、役職柄“隊長”と呼ばれることが多いだけで」

 

「そうなのか。じゃあ――なんと言うんだ?」

 

イビルアイがわずかに首を傾げる。

その仕草は、不死の吸血鬼というより、

年頃の少女が興味を覗き込むようで。

 

ケネウスは、胸の奥の緊張を吐息とともに押し出した。

 

「ケネウス・レクス・ヴァロールです」

 

その名を言葉にした瞬間、

彼自身の心臓が一拍跳ねた。

――己の名を、誰かに“聞かせたい”と思ったのは、初めてだった。

 

イビルアイはしばし黙し、

ゆっくりと彼の名を口の中で転がした。

 

「ケネウス・レクス・ヴァロール……

 “炎”と“王”と“勇気”か……」

 

紅い瞳がふと和らぐ。

それは、戦場では決して見せない穏やかさだった。

 

「良い名だな」

 

短い言葉なのに、

それは光よりも強く彼の胸に刺さった。

 

「ありがとうございます」

 

ケネウスはわずかに俯き、

槍の影に隠れるようにして息をついた。

夜風がふたりの間を抜け、金属の匂いがわずかに漂う。

 

沈黙の中、彼は思い切って口を開いた。

 

「……イビルアイ様のお名前を、窺っても……?」

 

イビルアイの瞳がわずかに揺れた。

長い年月の中で、ほとんど誰にも問われたことのない名。

その響きは、かつて人であった少女の心を呼び覚ます。

 

「……キーノ・ファスリス・インベルン」

 

名を告げる声は、驚くほど静かだった。

だが、その静けさの中に――

千年の孤独と、誰かに“聞かれてしまった”痛みが混ざっていた。

 

ケネウスは、その名を胸の奥で反芻した。

“キーノ”。

どこか懐かしい響き。

聖歌に似た優しさがある。

 

「……美しい名ですね」

 

思わず口にした言葉に、イビルアイが小さく肩を揺らす。

それは笑いとも、ため息ともつかない、

夜に溶けていくような声だった。

 

「人間に、そう言われたのは初めてだよ」

 

ケネウスは答えなかった。

ただ、月明かりの下でその姿を見つめていた。

紅の瞳に映るのは、神の槍ではなく――一人の男の影。

 

夜が更けていく。

訓練場に残るのは、槍と、夜風と、ふたりの名だけ。

 

その夜のことを後に思い出すたび、ケネウスはふと胸に熱を感じた。

――“名を交わす”とは、戦場で血を交わすよりも深いことなのだと。

 

 

 

 

/*/ それぞれの「ほう」 /*/

 

 

【一】スレイン法国・漆黒聖典詰所

 

朝靄の訓練場に、神槍の影が立っていた。

ケネウス・レクス・ヴァロール――。

槍を磨く手を止め、ふと夜明けの光を見上げる。

 

ほんの一瞬、金属に映った自分の顔が、どこか柔らかく笑っているのに気づいた。

普段なら気にも留めぬその表情に、思わず息を漏らす。

 

「……ほう」

 

誰にも聞かれぬ小さな吐息。

その音に反応したのは、近くで書類を抱えていた若い聖典員だった。

 

「た、隊長!? 何か……お気づきに!?」

「い、いえ……なんでもありません。槍の光が少し、美しく見えただけです」

「え、美しい!? 槍が、ですか!? え、恋!? 恋の話ですか隊長っ!」

 

「落ち着きなさい、セリウス。恋ではない。これは――」

「隊長、最近笑ってますよね!? 食堂でスープを二杯もおかわりしてましたし!」

「……味付けが変わっただけでしょう」

 

「でも!」

「ですが!」

「いやしかし!」

 

詰所の隅から次々と顔を出す聖典員たち。

槍より鋭い視線をケネウスに突き刺す。

 

「誰ですか!? 隊長を笑わせる奇跡の女神は!」

「いや、まさか……まさかイビルアイ殿では!?」

「ば、馬鹿な、吸血鬼だぞ!」

「だが、美人だ!」

「それに強い!」

「あと背が小さ――」

「そこまでだ」

 

静かに槍の柄で床を叩く音が響き、部屋の温度が一瞬で氷結した。

ケネウスはわずかに目を伏せ、しかし、頬の筋肉がほんの少しだけ動く。

 

「……ほう。そういうふうに見えるのか」

 

その微笑があまりに珍しく、聖典員たちは“神槍より貴重な奇跡”と記録したという。

 

 

【二】王都・蒼の薔薇拠点

 

同じ頃。

イビルアイは窓際の椅子に腰かけ、魔導書を閉じていた。

昼下がりの陽が頬に差し、白磁の肌を金色に染める。

 

「……ほう」

 

独り言のような吐息。

仲間たちは、その音に即座に反応した。

 

「ほら! 出た! いま“ほう”って言った!」

ガガーランが身を乗り出す。

「なになに? 誰のこと考えてんの?」

「……別に」

「嘘だ! その顔は嘘つきの顔だぞ!」

 

イビルアイは頬を指で押さえる。

そこにはかすかな熱があった。

不死者である彼女が、“血が上る”感覚など、何百年ぶりか。

 

「ふふん……まさかとは思うが、あの法国の隊長殿か?」

ラキュースが穏やかに微笑む。

「“炎と王の勇気”……いい名よね。あなたの趣味に合ってるわ」

 

「……やめろ。別にあいつのことなど」

「顔赤いぞ、イビルアイ!」

「吸血鬼でも照れるんだな!」

「おいガガーラン、それ以上からかうな!」

「だって面白ぇんだもん!」

 

イビルアイは頭を抱えた。

だが――

心の奥にあるあの声、

静かに名を告げたあの夜の響きが、

どうしても耳から離れなかった。

 

「ケネウス・レクス・ヴァロール」

 

その名を思い出すだけで、

胸の奥に“温度”が戻ってくる気がした。

 

 

【三】ナザリック地下大墳墓 第9階層・ジョンの私室

 

ジョンは書き物机に肘をつきながら、ニヤニヤしていた。

目の前には、アインズとぐりもあ、アルベドの三人。

 

「……ジョン様。なぜ笑っているのです?」アルベドが眉をひそめる。

「いやぁ、ちょっとな。法国と蒼の薔薇の連中が、えらく面白いことになってるんだ」

「面白い?」アインズが首を傾げる。

ジョンは魔導通信機を指で弾いた。そこに映るのは、

ケネウスがぼんやり朝の空を見上げる映像と、

イビルアイが窓辺で頬を押さえている姿。

 

「ふむ……恋、ですか?」ぐりもあが口の端を上げる。

「おう。燃え上がる信仰と、千年凍えた心。最高の組み合わせだろ?」

「ジョン様、それをどうなさるおつもりで?」

「うーん……例えばだな――“偶然”同じ任務で鉢合わせさせるとか」

「もしくは、“合同演習”の名目で強制的に一緒にさせるとか?」ぐりもあが悪魔的に笑う。

「そうそう。それそれ。あとは夜に二人きりになるような――」

 

アインズが額に手を当てた。

「ジョン……それは完全に恋愛シミュレーションの仕掛け人の発想だぞ……」

「だろ? 人の心の化学反応ってのは面白ぇじゃないか。あの槍使いと吸血姫、相性は抜群だぜ」

 

アルベドが苦笑した。

「ふふ、ジョン様。あなたは本当に悪魔よりタチが悪い」

 

ジョンは椅子にもたれ、指を組んだ。

目に浮かぶのは、月下で互いの名を告げた二人の姿。

 

「――さて、次の“イベント”は、どんな舞台にするかな」

 

その笑みは、恋の神か、それとも混沌の演出家か。

ナザリックの照明がゆらぎ、机上の設計図に新たなタイトルが書き込まれる。

 

《神槍と吸血姫 合同任務計画書》

――主催:ジョン・カルバイン

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