オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ スレイン法国・占星院「天穹の間」 /*/
夜の宮殿の最上階、雲より高く浮かぶ白き塔。
その頂にある円形の間――“天穹の間”には、静寂だけが満ちていた。
幾千もの星を模した魔法光球が宙に浮かび、淡く瞬く。
その中央で、制服姿の女がひとり、巨大な水晶盤の上に両手を翳した。
占星千里(オラクル)。
星を読む者にして、神敵の再臨を見通す唯一の眼。
彼女の唇がかすかに震える。
「……星が、軋んでいる」
空間全体が微かに鳴動した。
天井を覆う星図が歪み、南天の第七星群――“カトラスの鎖”が血のような紅に染まる。
霧のような魔力が漂い、水晶盤の上に一つの影が浮かび上がった。
――黒い都市。
山脈の稜線の間、霧の奥に、幾重にもねじれた塔と歪んだ門が見える。
その影の奥から、赤黒い光と無数の翼のようなものが渦巻く。
ミリアは息を呑み、震える指で筆を取った。
「黒き都市、門を開く。悪魔座、逆行す――三千年ぶりの兆し。
神敵、再臨せり。」
水晶盤の中で、霧が裂ける。
そこに現れたものは、血と硫黄の匂いを運ぶような幻視。
うねる炎の中、歪んだ王冠を戴いた影が立っていた。
「……ヤルダバオト。」
その名を口にした瞬間、天穹の間の星々が一斉に明滅した。
空気が震え、光が弾け、塔の外では風が唸る。
ミリアは祈るように書簡を封じると、聖印を押した。
「星は告げている。――“聖典の矛を掲げよ、神の兵を放て”。」
使いの天使が白光を残して飛び去る。
その羽音だけが、嵐のような静寂を裂いていった。
/*/ スレイン法国・最高評議会 /*/
夜を徹して集められた6の席。
白い大理石の床には、淡い金の聖句が刻まれている。
円卓の中央で、大神官が立ち上がった。
「――神敵再臨。」
その声が響いた瞬間、会議の空気が重く沈む。
神官長たちは沈黙し、ただ祈るように胸に手を当てた。
老いた神官の一人が震える声で問う。
「星は、確かか?」
「確かだ。」大神官は答える。
「占星千里が視た。黒き都市が再び脈を打ち、ヤルダバオトの影が甦る。
このまま放置すれば、西境は七日にして炎に沈む。」
場内にざわめきが広がる。
しかし、大神官は一歩も退かぬまま宣言した。
「漆黒聖典を動かす時だ。」
その言葉と同時に、鐘が鳴り響いた。
天井のステンドグラス越しに、黎明の光が射す。
金と白の光が交差し、円卓の上に落ちた。
文官が命令書を読み上げる。
『漆黒聖典 第5席次 “一人師団(アイン・レギオン)” クアイエッセを派遣せよ。』
『補助部隊として陽光聖典を随行させ、神の天使を降ろし、悪魔軍の進行を阻止せよ。』
「神の敵は、神の光によって討たねばならぬ。」
その瞬間、全員が立ち上がった。
神官長たちは一斉に聖句を唱え、
高天から金の羽がひとひら落ちてくる。
外では、鐘楼が鳴り響き、兵たちが祈りを捧げる。
天光が白い城壁を照らし、旗が一斉に翻った。
クアイエッセ――“一人師団”。
その名が読み上げられるたび、空気が震えた。
彼が戦場に立つ時、
獣が吼え、天が震えるという。
そして今、神敵再臨の報せとともに、
法国の白の軍勢が再び動き始めた。
遠い山脈の向こうで、赤黒い煙が昇る。
黒い都市は門を開き、
この地上に、再び“災厄の影”が差し込み始めていた。
/*/ スレイン法国東境 山脈前線 /*/
夜が鳴いた。
黒い玄武岩の都市の門が、再び開かれた。
光なき空から、血色の霧とともに――悪魔の軍勢が這い出してくる。
山を越えて吹き下ろす風は熱を帯び、
大地は脈打ち、岩の下で呻くような音を立てていた。
天を覆う赤い月の下、炎の影が幾万と蠢く。
その中心に立つ一人の男――クアイエッセ・ハゼイア・クインティア。
漆黒聖典第5席次、“一人師団(アイン・レギオン)”。
彼は白銀の鎧を纏い、片膝をつく。
周囲を囲む陽光聖典の兵士たちが、祈りの詠唱を始めた。
「第七天より降り注ぐ光よ……我らに道を――」
クアイエッセは掌を開く。
七つの召喚陣が空中に浮かび上がり、
その中心に聖句のような言葉が淡く響く。
「我、神の御獣を統べる者なり――召喚、《神獣陣列》。来たれ、七つの命。」
地が割れ、光が奔る。
雷鳴とともに、七体の巨獣がその姿を現した。
白雷の獅子が吼え、炎鱗の竜が翼を広げ、
黒曜の蛇が大地を這い、銀角の鹿が光を散らす。
それぞれが神聖文字の鎖でクアイエッセと繋がり、
彼の意志一つで戦場を駆ける。
「行け――悪魔どもを、神の門より遠ざけよ!」
雷が落ち、獣たちが一斉に突撃した。
黒い翼を持つ悪魔の群れが空を覆うが、
白光がそれを貫き、焼き、消し去っていく。
同時に、後方から陽光聖典の詠唱が完成した。
「聖なる審判を、天より下せ――《アーク・セラフィム降下》!」
雲を割り、金の羽が舞い落ちた。
天使たちが列を成し、光の槍を構えて地上へ降り立つ。
天と地、獣と天使が同時に咆哮する。
炎と光の境界が弾け、黒い都市を中心に嵐が巻き起こる。
空が白く裂け、山脈の稜線が震える。
「――まだだ。」
クアイエッセは風の中で呟く。
彼の視線の先、黒い門の奥で“何か”が動いた。
悪魔の群れが退き、霧の中に道が開く。
その奥に、炎の冠を戴く巨影――
かつて世界を焼いた“あの名”が、
再び呼吸を始めていた。
『久しいな、人の子よ。』
ヤルダバオトの声が響いた瞬間、
空が真紅に染まり、天使たちの羽が焦げた。
神獣たちが吼える。クアイエッセの瞳が黄金に輝く。
「――神敵再臨、確認。
第5席次クアイエッセ、作戦を継続する。
天使隊は支援射を、獣隊は右翼を制圧!」
彼の号令に呼応して、獣たちが咆哮する。
雷光が山を裂き、聖光が空を灼く。
神と悪魔、信仰と狂気の境界で、
地上最大の戦闘が始まった。
そしてその光景は、遠く上空を漂う《アインズ・アイズ》が、
淡く光る眼で静かに記録していた。
その観測報告の末尾には、こう記されている。
「神敵、再び現出。
漆黒聖典第5席次、獣の群れと共に健在。
山脈戦線、未だ制圧ならず――」
空の彼方で、赤黒い稲妻が閃いた。
それは、神と悪魔の戦いの幕開けを告げる、最初の号砲だった。