オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ スレイン法国東境・山脈前線 野営地 /*/
夜。
赤黒い雲が山の端を覆い、空は焦げた鉄のような色に沈んでいた。
戦場の喧噪は一時遠のき、風の中に硫黄と血の匂いだけが残る。
焚き火がぱち、と音を立てる。
その橙の光の向こう、白銀の鎧を纏った男が膝をついていた。
――漆黒聖典第5席次、“一人師団”クアイエッセ・ハゼイア・クインティア。
彼の隣では、陽光聖典隊長――ニグン・グリッド・ルーインが、
手袋を外して金属の食器を掲げ、湯気の立つスープを口に運んでいた。
「……信じられませんね。
かつての遠征じゃ、冷えた乾パンと水だけで何日も耐えたというのに」
クアイエッセは頷き、銀の匙を回す。
食器から立ち上るのは、肉と香草の香り。
湯気の底には、小さな“魔導国印”が刻まれていた。
「魔導国製のレーションと保温器具――あれのおかげで野営も随分と楽になった。
熱を魔力で維持できる携帯鍋……人の知恵というのは侮れないものだな」
「ええ。暖かい食事が取れるだけで、兵の士気は違います。
……ありがたい話しです。魔導王陛下の品に、我らが救われているとは。」
ニグンが小さく笑ったが、すぐに表情を曇らせた。
遠く、黒い山々の方角から、また低く響く咆哮が聞こえてくる。
地がわずかに震え、焚き火の炎が揺れた。
「悪魔の群れ、勢いが止まりませんね。」
「……ああ。」
クアイエッセは立ち上がり、暗闇の彼方を見つめた。
夜霧の向こうでは、黒い門が脈打つように明滅している。
吐息に混じる硫黄の匂いが、戦線の近さを告げていた。
「第十席次“人間最強”と、第十一席次“無限魔力”。
あの二人と交代で防衛を回しているが――正直、いつまで持つか分からん。」
「そんなに……ですか。」
「悪魔どもは、尽きぬ。
まるで“あの都市”が呼吸しているかのようだ。
倒しても、倒しても……次の波が押し寄せる。」
焚き火の火が、ぱち、と小さくはぜた。
二人の間に、一瞬だけ沈黙が流れる。
やがてニグンが口を開いた。
「我ら陽光聖典も、天使の召喚数を抑えてはいますが……
高位の天使は、長時間この地に留まれません。
瘴気が濃すぎるのです。」
「分かっている。だが退けぬ。
ここを抜かれれば、竜王国の防衛線が崩れる。
次は法国の西域だ。」
クアイエッセは腰の符札を握り、淡く光らせる。
彼の背後で、七つの召喚獣が眠る魔法陣が微かに脈打った。
――いつでも呼び出せる。
だが、もう何度目の召喚か分からぬほど疲弊している。
「……神敵の門が完全に開く前に、決着をつけねばならん。」
「決着、ですか。」
「ああ。」
クアイエッセは焚き火に背を向け、
暗闇の奥にある“黒い都市”を見据えた。
「明日には、私が前線に出る。
第十、第十一は休ませろ。
悪魔の潮を切り裂くには……一軍で足りる。」
その言葉に、ニグンは一瞬だけ息を呑み、
そして深く頭を下げた。
「了解しました、第5席次殿。」
風が吹き、灰が舞う。
夜の帳の中、焚き火がひときわ高く燃え上がった。
その炎に照らされたクアイエッセの横顔は、
まるで古代の英雄像のように静かで、強く、そしてどこか哀しかった。
「――神敵がこの地に在るならば、
その門を閉じるのもまた、神に選ばれし者の務めだ。」
遠くで雷鳴が轟き、山が唸る。
悪魔たちの咆哮が夜気を裂き、風の中に混ざる。
二人は同時に立ち上がった。
明日の戦を迎える覚悟とともに。
そしてその上空――《アインズ・アイズ》が無音で旋回し、
焚き火の灯を、戦場の夜を、
すべて記録していた。
/*/ スレイン法国東境・山脈前線 “黒門の丘” /*/
夜が明けきらぬ灰色の空の下、戦場はもはや地獄だった。
大地は焼け爛れ、黒い血が川のように流れ、
かつての山肌は悪魔の肉塊と死骸で埋め尽くされていた。
黒い都市の門はなおも開かれたまま、
その奥から――尽きぬ炎と咆哮が噴き出している。
クアイエッセは膝をつき、血に濡れた掌を握りしめた。
白銀の鎧は割れ、肩口から流れる血が符札を赤く染めている。
「……っ……まだだ……! まだ立てる!」
雷の獅子が崩れ、炎の竜が沈み、七つの神獣はすでに三体を残すのみ。
瘴気の嵐が視界を奪い、陽光聖典の天使たちは
翅を焦がされ、次々と光の粒となって消えていった。
ニグンが血走った目で空を睨む。
「天使の維持が限界です! 後退を――!」
「駄目だ!」クアイエッセが叫ぶ。
「ここを抜かれれば、法国の門が開く!」
彼の声は裂け、背後の部下たちももはや立つのがやっとだった。
悪魔の群れは押し寄せ、地を這い、空を埋める。
百、千、万――その数に終わりはない。
黒い都市の門の奥で、再び炎が渦を巻いた。
巨影がゆっくりと姿を現す。
炎冠を戴き、双角を持つ影――ヤルダバオトの化身。
「終わりだ……人の子らよ」
その声が、地鳴りとなって響く。
熱風が吹き荒れ、聖典兵の列がまとめて吹き飛ばされた。
クアイエッセは両膝を地に着けながら、折れかけた槍を握り締める。
(――ここまで、か)
その瞬間――。
空が裂けた。
霧を裂いて、青い閃光が弧を描く。
それは雷でも天使の光でもなかった。
飛翔石の閃き、風の翼を持つ飛竜艇が雲間を抜けて舞い降りた。
「――スレイン法国防衛戦線へ告ぐ! エ・ランテル冒険者ギルド、支援部隊、到着ッ!!」
轟音とともに、冒険者の旗が風を裂く。
青い薔薇の紋章が夜明けの風に翻り――
蒼の薔薇が、炎の戦場に降り立った。
「ラキュース様! 地上、悪魔密度高し!」
「構うな、行くぞ! “ダーク・ブレイド・メガインパクト――”!」
ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラが
神聖魔法《ブレイド・オブ・ホーリー》を展開。
黒の剣が光を放ち、悪魔の群れを貫いた。
その背後から、イビルアイが赤いマントを翻し、
指先から真紅の閃光を放つ。
「――《クリムゾン・ドラゴン・ライトニング》!」
光と雷が衝突し、悪魔の群れが一帯ごと蒸発する。
続けてガガーランが雄叫びを上げた。
「どけぇえええッ! こっからはアタシらの番だ!」
重戦槌が地を割り、悪魔の骨を粉砕する。
ティナとティアが無音で影に消え、
悪魔の指揮個体を一瞬で首刈るように斬り捨てた。
蒼の薔薇が戦線に突入したその数秒後、
もう一つの影が地平線から駆けてきた。
「漆黒の剣、援軍に加わる!」
黒い外套をなびかせ、ペテルが叫ぶ。
ルクルットが矢を番え、
ニニャが魔法陣を展開、
ダインが盾を掲げて悪魔の吐息を防いだ。
そして――。
その中央に、黒き鎧の英雄が歩いてきた。
モモン。
その背後には、白髪の狼のような影――ジョジョン。
そして、金色の瞳をした笑顔の戦乙女――レギナ。
「ふむ……ずいぶん荒れているな。」モモンが呟く。
ジョジョンはニヤリと笑い、杖を肩に担ぐ。
「こりゃ燃えるじゃねぇか。
クアイエッセ殿――ここからは我々が“前線”だ。」
レギナが軽く指を鳴らす。
彼女の足元から、紅の光が波紋のように広がり、
負傷兵の身体を包み込む。
「ふふっ、死なせませんよ~。アインズ様の教えですからね」
聖典兵たちが息を吹き返し、立ち上がる。
そして、モモンが黒剣を抜いた。
その刃が朝日のように輝き、悪魔の潮を裂く。
「――エ・ランテル、参陣す。」
クアイエッセは呆然とその光景を見つめていた。
黒い絶望の海の中に、確かに“希望”が差した。
彼はゆっくりと立ち上がり、槍を構える。
「援軍、確認。全軍、再編成――反撃に移る!」
鐘のような声が戦場に響いた。
天使の残光と魔導の光が交錯し、
獣と人、聖典と冒険者、神と魔が一斉に動き出す。
黒い都市の門の前、光と闇の奔流が衝突した。
そして、久しく絶えた歓声が、
この血の大地に響き渡った。
「――神敵に抗う者、ここに在り!」
夜明けが、来た。
/*/ スレイン法国東境・山脈前線 “黒門の丘” /*/
空が赤に染まっていた。
黒い都市の門の奥――そこから滲み出る炎と影が、世界の輪郭を歪ませていく。
音ではない。咆哮そのものが空気を震わせ、大地を軋ませた。
「来るぞ――ッ!」
クアイエッセの叫びと同時に、都市の中心部から黒炎の柱が噴き上がった。
それは炎ではなく、光と熱を喰らう闇。
触れたものは形を失い、金属は灰へ、肉体は蒸散へと変わる。
ヤルダバオトの本体。
もはや“悪魔”ではなかった。
それは、存在そのものが世界の熱源であり、
空間を焼く――神に等しい“災厄”だった。
蒼の薔薇が魔法を連射し、漆黒の剣が援護に入る。
だが、全てが無意味に消し飛ぶ。
イビルアイの雷撃が触れた瞬間に蒸発し、
ガガーランの戦槌は、振るう前に柄ごと溶けた。
「――熱が、強すぎるッ!」
ペテルが叫び、ニニャが詠唱を始めるが、
周囲の空気は既に摂氏数千度の地獄と化していた。
陽光聖典の天使たちは翅を焼かれ、天より墜ちる。
黒門の丘は、まるで“太陽の裏側”に変わっていた。
その時――
/*/ スレイン法国・法都 占星院「天穹の間」 /*/
白き塔の最上階で、占星千里は震えていた。
星図の盤面が狂い、夜空の輝点が一つ、また一つと消えていく。
その消失の軌跡が、まるで地上の血脈をなぞるかのようだった。
「……もう、ここまで来たのね。」
ミリアは祈りの声を絞り出しながら、筆を取る。
『神敵の顕現、確認。
第五席次陣滅、第十・第十一席次損耗。
光の座に空白あり。――ゆえに、矛を掲げよ。』
背後の扉が開き、白衣の大神官が姿を現した。
その眼差しは、深い悲しみと決意を湛えていた。
「……呼ぶのですね。あの方を。」
大神官は頷き、静かに告げた。
「星々が沈黙するならば、神の槍を掲げるしかあるまい。
第1席次、“漆黒聖典”――ケネウス・レクス・ヴァロール。
出動を許可する。」
鐘が鳴った。
天穹の塔の頂で、白金の封印が解かれる。
光が地平を貫き、神殿の壁を裂いて飛び出した。
/*/ 再び――黒門の丘 /*/
空が崩壊していた。
ヤルダバオトの両腕が天を仰ぎ、
そこに集束した魔力が、天球を裂く。
『堕ちよ――隕星の雨(メテオフォール)』
瞬間、赤い星が無数に生まれた。
それらは燃えながら落ちてくる。
避けようがない。地平そのものが燃える。
冒険者たちは、ただ見上げることしかできなかった。
ラキュースが剣を掲げたが、炎に包まれ、
クアイエッセが神獣を呼ぼうとしたが、符札は光の前に砕け散った。
絶望の音が、戦場を覆う。
風も声も、すべてが“落下音”にかき消される。
そして――
空が“鳴いた”。
白い閃光。
空間が逆巻き、紅蓮の隕石が、一瞬で砕かれる。
まるで、天上から神の槍が突き刺さったように。
灼熱の空を貫いたのは――
金に近い白光を放つ一条の光線。
「――《神槍照射:ルクス・ブリューナク》。」
轟音とともに空が裂け、炎の雨が消え失せる。
残光の中に立つ一人の影。
黒い外套に、赤金の槍を携えた男。
漆黒聖典第1席次、“漆黒聖典”の異名を持つ男――
ケネウス・レクス・ヴァロール。
「悪魔の王か。随分と手間をかけさせる。」
その声は冷たく、だが確かな希望だった。
灰の中でラキュースが、イビルアイが、クアイエッセが顔を上げる。
誰もが息を呑み、その姿を見上げた。
ヤルダバオトが咆哮する。
だが、ケネウスは一歩も退かず、槍を構えた。
「――神敵の名において、我は討滅を誓う。」
夜明けの光が、黒い都市を照らした。
戦場に残った者たちは皆、
その一条の光に、祈りにも似た言葉を零す。
「……救い、だ……」
そして世界が息を飲む中、
ケネウスの槍がもう一度、輝きを増した。
――次章 『神槍と炎王』へ続く。