オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ 黒い都市 中心層 “炎王の祭壇” /*/
灼熱の空間。
天井から垂れる黒炎の雫は、大地に落ちるたびに溶岩の波紋を広げていた。
熱で空気が歪み、遠近の感覚すら狂っていく。
その中心に、二つの“炎を纏う存在”が対峙していた。
ひとりは、赤黒い王冠を戴き、業火を背に立つヤルダバオト。
その全身を覆うのは、凝縮された悪魔の炎、まるで恒星の表面のような熱。
ひとたび手を振れば、世界そのものを燃やし尽くすことができる。
そしてもうひとり――
白銀の鎧を焦がしながらも一歩も退かぬ男。
漆黒聖典第一席次、ケネウス・レクス・ヴァロール。
その手に握るのは、神造の槍《ブリューナク》。
刃先は絶えず白光を放ち、周囲の炎を押し返していた。
「……熱の波形、無効化完了。やはり通じんか。」
ケネウスの呟きは、ほとんど音にならなかった。
この空間では、空気そのものが燃えている。
呼吸するたび、喉に火が走った。
対するヤルダバオトは、愉悦の笑みを浮かべる。
「貴様も“炎熱完全耐性”を持つか。愚かな人の身で神の属性を得たとはな。」
「貴様こそ、その力に縋る亡者だ。……私には、まだ矛がある。」
ケネウスは槍を構えた。
一歩、踏み出すたびに、足元の岩が溶け落ちる。
次の瞬間、白光が閃いた。
《光槍展開――突撃形態(フォトン・ランス)》
槍の穂先から迸る光が、一直線にヤルダバオトを貫く――
だが、命中した瞬間、光が反転した。
炎熱無効。
ヤルダバオトの体表で光が散り、破片のように霧散する。
「同じ理を持つ者同士。光も炎も、我らには無意味だ。」
悪魔王の声は雷鳴のように響いた。
反撃。
ヤルダバオトの腕がゆっくりと上がる。
その掌の上に、炎球がいくつも生まれる。
ただの火ではない。
“概念燃焼”――存在の定義そのものを焼く魔炎。
ケネウスは一瞬の迷いもなく跳び、槍を薙ぎ払った。
炎球が砕け、破片が空間ごと歪ませる。
しかし、爆発の余波は避けられず、彼の左肩の鎧が音を立てて弾けた。
「ぐっ……!」
衝撃で吹き飛び、膝をつく。
体の奥で、魔力の流れが乱れる。
対照的に、ヤルダバオトは一歩も動かず、静かに空間を支配していた。
「貴様は確かに強い。だが、人の器に宿る神性は、長くは持たぬ。」
「言ってくれる……ッ!」
ケネウスは符札を投げ、光の結界を展開する。
直後、背後の溶岩が噴き上がり、炎流が奔った。
炎を押し返す光壁――しかし圧が違う。
ヤルダバオトが片手を伸ばすたびに、結界が軋み、
崩壊音が空間を満たしていく。
(防御結界、三重目が崩壊……もう維持限界だ)
ケネウスは汗ではなく血を吐いた。
魔力の行使速度――それが決定的に違う。
ヤルダバオトは“炎熱”の権能だけでなく、
複数の高位魔法を同時展開できる完全多重詠唱の支配者。
人間の身では、詠唱の一瞬すら致命的な隙となる。
「見えるぞ。貴様の魔力はもう残りわずかだ。」
「ならば――それで十分だ。」
ケネウスは立ち上がる。
槍を正面に構え、全身の魔力を一点に集中させた。
ブリューナクの光が膨張し、空間を染める。
ヤルダバオトの目が、わずかに細まった。
「その光……神槍の再現か。」
ケネウスは一歩踏み込み――
だが、その刹那、詠唱の遅れ。
炎王の腕が振り下ろされ、灼熱の拳が直撃した。
「ぐああああああああッ!!」
衝撃波が空間を割り、地を裂いた。
ケネウスの体が宙を舞い、溶岩に叩きつけられる。
鎧が弾け、皮膚が焼け、魔力回路が悲鳴を上げた。
立ち上がろうとする――だが、膝が言うことを聞かない。
空気が重い。酸素が燃え尽き、肺が悲鳴を上げている。
槍の光も、弱々しく揺らいでいた。
ヤルダバオトがゆっくりと歩み寄る。
「終わりだ、人の王。貴様の光もここで尽きる。」
ケネウスはそれでも、槍を離さなかった。
焦げた唇から、かすれた声が漏れる。
「……終わりではない。まだ……私には……」
その言葉の続きを、ヤルダバオトは聞こうとしなかった。
炎が渦を巻き、次の一撃が放たれようとした――
その瞬間、背後から紅の閃光が走る。
「――遅れてすまないわね、第一席次。」
イビルアイの声。
紅蓮の軌跡が空を裂き、黒炎とぶつかり合う。
ケネウスは、揺らめく彼女の姿を見て、かすかに笑った。
――そして、この後、二人が肩を並べて立つ“あの瞬間”へと続く。
/*/ 黒い都市 中心層 “炎王の祭壇” /*/
天が焦げ、地が煮え立つ。
ヤルダバオトの本体は、黒曜の炎殻を纏い、眼窩から白熱の光を流していた。
周囲数百メートルの大地は溶岩と化し、空気すらも焼かれて音を立てている。
ケネウス・レクス・ヴァロールは、槍《ブリューナク》を突き立てて立っていた。
鎧は半ば融け、魔法障壁も七度焼き破られている。
だが、なおもその双眸は冷たく輝いていた。
「……炎を以て、炎を殺すこと能わず……か。」
彼の言葉どおり、両者の戦いは極限の拮抗を続けていた。
ヤルダバオトは灼熱の腕を振り上げ、ケネウスは聖光の槍を放つ。
しかし互いの身を包む“炎熱完全耐性”が、攻撃を無へと還す。
「貴様……我に似ている。己が炎に呑まれた愚かな存在よ。」
ヤルダバオトの声が、天地を震わせる。
「だが貴様は神ではない。終わりは見えている。」
ケネウスの呼吸が荒くなり、膝がわずかに沈む。
魔法式の発動速度が落ち、光槍の輝きも細る。
(……やはり、魔力量の差が……)
その時――
焼ける空間を裂いて、紅の閃光が降りた。
「――《ブラッディ・ストーム・ノヴァ》!」
イビルアイが風のように舞い降り、ヤルダバオトの側面を撃った。
黒炎が一瞬だけ散り、ケネウスの顔に赤い反射光が走る。
「遅れてすまない。あなた、まだ立っているのね。」
「……吸血鬼が太陽の中に来るとは、愚かだな。」
「ふふ、あなたが倒れるよりはマシ。」
イビルアイは黒布を翻し、ケネウスの横に立った。
「私がお前の魔法になろう! お前は槍を、私は炎を。」
「……なるほど。共に撃つか。」
ケネウスが頷き、ルクス・ブリューナクを構える。
イビルアイがその背に魔力を流し込むと、白金の槍が紅蓮に染まった。
「――照準合わせる。私の魔力を感じて。」
「感じている。貴女の息まで、すべて。」
二人の詠唱が重なり、双つの魔力が共鳴する。
その瞬間、白と赤の螺旋が空を突き抜け、
ヤルダバオトの胸を貫いた。
黒い炎が爆ぜる。
だが、災禍の王はまだ崩れない。
代わりにその口端が、不気味に歪んだ。
「なるほど……血の穢れを借りた聖光か。面白い。」
ヤルダバオトの目が、イビルアイを捉えた。
炎熱耐性を持たぬ吸血鬼に狙いが移る。
「しまっ――!」
次の瞬間、灼熱の腕が閃き、炎塊がイビルアイへと殺到する。
ケネウスは反射的に彼女を突き飛ばした。
爆発。
白金の閃光が、血煙に変わる。
「ケネウスッ!!」
イビルアイが叫んだ。
ケネウスは半身を焼かれ、鎧が崩れ落ちていた。
片膝をつきながらも、彼は微笑んでいた。
「馬鹿な……どうして!? どうして庇ったの!」
「貴女を失えば……この戦場の光が消える。」
イビルアイは震える手で彼の顔を支える。
その白い指に、彼の血が滲んでいく。
「イビルアイ様……私の血を、吸ってください。」
「な、何を――!」
「そうすれば……私は、また立ち上がれる。」
「馬鹿を言うな!」
「永劫の夜でも、二人で歩けばきっと暖かい。」
ケネウスの声は穏やかで、微笑を帯びていた。
「私は、貴方の夜を……暖めたい。」
イビルアイの目に、血のような涙が浮かぶ。
彼女は震えながら、唇を重ねた。
夜空に再び、ブリューナクが光る。
その白金の輝きが、炎王ヤルダバオトの影を照らし出す。
そして――
神と吸血鬼の絆が、再び世界を燃やす。