オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ 次章『神槍の血婚(ブラッド・オース)』 /*/
黒い都市の空が裂けた。
大地は溶け、炎の雨が降り注ぐ。
その中心で、ケネウスは片膝をつき、血に濡れた槍を支えとしていた。
「……まだ……終われん……」
声は掠れ、肺に焼ける空気が突き刺さる。
ヤルダバオトの巨体がゆっくりと近づくたび、地面が崩れ、溶岩が脈打つ。
「立つな、人の王。貴様はもう“形”を保てぬ。」
悪魔王の声は、まるで神の審判のように響いた。
その時だった。
焦げた空気を裂き、冷たい風が流れ込む。
紅のマントが舞い、イビルアイがケネウスの前に降り立つ。
「……もう、喋らなくていい。」
彼女は震える手でケネウスの顔を支える。
その瞳は、炎の光を映しながらも、どこか泣きそうに滲んでいた。
「イビルアイ様……私の血を……吸ってください……」
「馬鹿を言うな! そんなことをしたら――!」
「貴女となら、闇でも構わない。
夜でも……きっと暖かい。私は、貴女の夜を暖めたい。」
その言葉に、イビルアイの瞳が大きく見開かれた。
彼女の喉が震え、唇が、かすかに歪む。
「……馬鹿……あなた、本当に……馬鹿よ……」
次の瞬間、彼女はケネウスの首筋に口づけた。
牙が肉を貫き、血が溢れ出す。
それは紅ではなく、白金の光を帯びた血――神の血脈。
イビルアイの喉を通って、その光が彼女の体を満たす。
灼熱の世界に、聖と邪の魔力が同時に迸る。
ケネウスの胸が、鼓動を取り戻した。
槍――ルクス・ブリューナクが振動する。
その赤金の刃が、ゆっくりと黒と白の二色に分かれて脈動し始める。
「これは……」
「二つの魂が一つになった……
《ブリューナク・ノクティス》。――夜を照らす神槍。」
イビルアイのマントが翻る。
ケネウスが立ち上がり、二人の掌が重なった。
その手を中心に、白金と紅の魔法陣が複層的に展開される。
「行こう、ケネウス。」
「ええ……貴女と共に。」
二人の詠唱が重なり、槍の刃が咆哮を上げた。
《光と闇の契約(コントラクト・ルーメン)》
《神槍照射:ブリューナク・ノクティス・レイ》
放たれた閃光は、もはや炎でも光でもなかった。
それは“誓い”そのもの。
愛と憎しみ、聖と邪、光と闇――すべてを溶かし、世界を貫く光条。
ヤルダバオトが腕を交差し、咆哮を上げる。
だがその身体を包む炎殻が、ひとつ、またひとつと剥がれ落ちていく。
「貴様ら……この力は――!」
「これは、二人の“誓い”の光だ!」
光が爆ぜ、黒い都市全体を包み込む。
炎王の形が崩れ、闇の中に吸い込まれていく。
静寂。
赤黒い空の裂け目から、夜風が吹き抜けた。
イビルアイはその場に膝をつき、息を整える。
ケネウスは彼女の肩に手を置き、穏やかに微笑んだ。
「……貴女の夜は、思ったよりも……綺麗だ。」
「ふふ……あなたの光があるからよ。」
二人の背後で、崩壊した都市がゆっくりと沈んでいく。
そして、空に残るのは一本の白銀の光跡――
“神槍の誓い”の残響だった。
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遠く離れたスレイン法国・天穹の間では、占星千里ミリアが星図を見上げていた。
紅と白の光が交差し、星座が書き換えられる。
「神槍が……新たな契約を結んだ……」
彼女は静かに筆を取る。
記録書簡の末尾に、こう記した。
“光と闇、神と吸血鬼――その血を以て世界を照らす者たち、
彼らの名を、神槍の誓血(ブラッド・オース)と呼ぶ。”
/*/ 『白夜の残響(レゾナンス・オブ・ドーン)』 /*/
黒い都市が崩壊したのち、世界は数分間、音を失っていた。
炎王ヤルダバオトの消滅により、空を覆っていた黒煙が霧散し、
焦げついた山脈の上に、静寂だけが漂っていた。
熱はまだ残り、溶けた岩が赤々と流れている。
だが――風が、戻ってきた。
風が吹き抜けるとともに、灰の中に立つふたりの影が現れた。
ひとりは、白銀の槍を杖に立つ男。
漆黒聖典第1席次、ケネウス・レクス・ヴァロール。
そしてその隣には、紅のマントを揺らす吸血姫、イビルアイ。
互いの手を取り、息を合わせたまま、
まだ熱を帯びた地表を見下ろしていた。
「……終わったのか?」
ケネウスの声は、かすれた風のように低い。
イビルアイは一度だけ頷く。
「ええ。悪魔の主はもう、どこにもいない。」
風が二人の頬を撫でた。
その瞬間、周囲の残滓が微かに光る。
ルクス・ブリューナク――否、ブリューナク・ノクティスが、
まるで心臓の鼓動のように淡く脈動していた。
イビルアイは槍の刃に手を触れる。
そこには、血と光の境界が脈を打っている。
「これは……あなたと私の、魂の共鳴。
私の中の“夜”と、あなたの中の“光”が混ざって……新しい槍を生んだの。」
「そうか。なら――この槍は、二人の子だな。」
「……そういう言い方は、ちょっと照れるわね。」
イビルアイは口元を覆って笑う。
その笑顔には、かつての冷徹な魔導士の面影はなかった。
ケネウスは少しだけ顔を背け、空を仰ぐ。
そこには――朝があった。
燃え尽きた雲の隙間から、
夜明けの光が射し込んでいた。
光が、灰に覆われた山を照らし、
砕けた黒い都市の残骸を黄金色に染めていく。
「……夜明けか。」
「あなたの光ね。」
「いや――貴女の夜が、私の光を導いた。」
イビルアイは何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。
代わりに、そっとケネウスの手を握る。
その掌は、冷たいのに不思議と温かかった。
風が吹き、瓦礫の上に星のような白い光が舞い落ちる。
それは天穹の間の占星術士、ミリアの魔法通信による星光。
空に浮かぶ投影の中で、彼女が息を呑むように囁いた。
「神敵、消滅を確認……第1席次、生命反応安定。
――これが……“白夜の誓血”……」
神の光と吸血鬼の夜が交わり、
その共鳴が世界を包み込むように、
空に一本の光の帯が伸びていく。
それは新しい夜明けの印。
神と魔の血が交わった“白夜の残響”が、
この世界に刻まれた瞬間だった。
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ケネウスは静かに息を吐き、
槍を肩に担いで歩き出した。
「行こう、イビルアイ様。
まだ――悪魔の残滓が山中に散っている。」
「ええ、だけど……“様”はやめて。今は――戦友よ。」
「……そうか。」
一歩ずつ、焦げた大地を踏みしめる二人の足音が響く。
どこまでも続く灰の地平の向こう、
まだ立ち上る黒煙の先で、
彼らの物語は、新しい夜へと続いていく。
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そして、その遥か上空。
人工衛星ゴーレム《アインズ・アイズ》の観測記録に、
次の一文が残されていた。
「神敵、完全消滅。
白銀の槍、紅の魔女と共鳴。
この戦いを以て、光と闇の均衡、再び世界に還る。」
/*/ スレイン法国 神都・大聖堂地下礼拝堂 /*/
「――第1席次ケネウス、帰還せり」
白い法衣の神官が報告を終えると、
重苦しい沈黙が礼拝堂を包んだ。
戦いの報告は、神々への祈りと同時に悲嘆の告白でもある。
壇上に立つ大神官は、聖印を掲げた。
その掌は微かに震えていた。
「神敵、ヤルダバオトの本体消滅を確認……だが、代償は大きい」
壁に刻まれた聖像が、蝋燭の光に揺らめく。
ミリア・デ=カストル――星読みの巫女が膝をつき、
目を閉じたまま報告を続けた。
「悪魔王の波動は断たれました。
しかし……星図は完全な静寂ではありません。
“残響”がまだ世界の深層を震わせています」
大神官は低く唸るように答えた。
「光と闇が交わり、新しき均衡を生んだ――
それは神の奇跡か、あるいは冒涜か……」
「判断は神々に委ねます。ですが……」
ミリアの声がわずかに震える。
「……彼らは、確かに人を救いました」
礼拝堂に集う神官たちは、言葉を失い、
ただ祈りの姿勢を取るしかなかった。
やがて鐘が鳴り、報告は終わった。
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その頃――。
スレイン法国東境、灰の山脈を越えた先。
崩壊した“黒い都市”の跡地に、風が吹いていた。
ケネウスとイビルアイは、岩陰の小高い丘に立っていた。
空には雲が流れ、黒い煙の名残が細く漂っている。
「……不思議ね。あれほどの地獄だったのに、
今は風の音しか聞こえない」
イビルアイはマントを押さえながら、
夜風を胸いっぱいに吸い込んだ。
ケネウスは槍を地に突き、静かに目を閉じた。
「戦場の後は、いつもそうだ。
神も悪魔も消えた後に残るのは、
生き残った者の心臓の音だけだ」
彼の声は低く、しかし温かかった。
イビルアイは一歩近づき、
彼の隣に立って空を見上げた。
「ねえ、ケネウス……あなたの“光”は、もう消えないの?」
「どうだろうな。
神の加護は戦いのために与えられたものだ。
終われば、静かに去っていく。
……だが、貴女の夜が私を包むなら――」
「なら?」
「闇の中でも、道を見失うことはない。」
イビルアイの唇が、微かに笑みを描く。
「そう。だったら……しばらくはこの夜を歩きましょう。
あなたの光が消えるまで、私が隣で見ていてあげる」
ケネウスは頷いた。
その瞳には、もはや戦士の焦燥も誇りもなく、
ただ静かな決意だけがあった。
「……ありがとう、キーノ・ファスリス・インベルン。」
「……やめて。その名を呼ぶとき、あなたの声が優しすぎて……」
彼女は顔を背け、微かに笑った。
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その光景を、上空の《アインズ・アイズ》が無音で観測していた。
機械仕掛けの瞳は、二人の姿を静かに記録し、
魔導国中枢へと報告を送信する。
【報告】スレイン法国西境・黒都市跡地において
神敵ヤルダバオトの消滅を確認。
第一席次ケネウスおよび吸血鬼個体イビルアイの生存を確認。
両者間に強力な魔力共鳴反応。
コードネーム:《ブラッド・オース》。
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その報告を受けたナザリック地下大墳墓・第9階層。
モモンガは書類をめくりながら、思わず目を細めた。
「……ふむ。やはり人間たちは、面白い。」
背後から、ジョン・カルバインが椅子の背に腕をかけ、
にやりと笑う。
「愛と光と血の誓い……うーん、これもう次の劇場脚本できたな。」
「またですか……あなたという人は……」
「だって、いいじゃないか。“吸血姫と神槍の騎士”。
これを広報に出したら観客動員、確実に十万超えだぞ。」
「まさか本当に舞台化するつもりか?」
「もちろん。“ブラッド・オース――永劫の誓槍”。
演出はぐりもあ、主演は……どうするかなぁ?」
モモンガはため息をつき、書類を閉じた。
だが、その仮面の下の声には、
どこか楽しげな響きがあった。
「……まあ、悪くない題材だな。」
ジョンは口角を上げる。
「だろ? 英雄譚も恋物語も、みんな夜明けの後に始まるんだよ。」
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遠く、スレイン法国の空に再び星が瞬いた。
それはまだ傷だらけの世界に、
新しい時代の始まりを告げる光だった。
――次章『漆黒聖典、帰還せよ(オペレーション・カーディナル)』へ続く。