オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ エ・ランテル 冒険者の宿《黄金の輝き亭》 夜 /*/
酒と笑いと煙草の香りが、天井の梁にまで漂っていた。
厚い木の扉が閉ざされると、外の喧噪はすっと消え、
そこには冒険者たちだけの、くだけた安堵の空気があった。
カウンターの一角。
蒼の薔薇の面々が、丸いテーブルを囲んで座っている。
ジョッキの泡が弾け、ガガーランの豪快な笑い声が響いた。
「でぇ――? イビルアイ、あの“神槍”の野郎とどうなったんだよ!」
ガガーランがテーブルをバンッと叩く。
「まさかとは思うが……お前、ヤったのか!?」
ぶぉっと吹き出すティナ。
ティアは一瞬も表情を変えずにジョッキを傾けた。
イビルアイの肩がびくりと揺れる。
「お前なぁ……デリカシーって言葉、知ってるのか。」
低い声で返すイビルアイ。
フードの下の瞳が、わずかに赤く光った。
「だってよぉ、あの戦いのあと肩並べて、血まで分け合って――
ふつう、もうそういう関係に見えるだろ? なあ?」
ティアがさらりと冷静に口を挟む。
「ガガーラン、それは人間の時間感覚。
彼女、260年も純潔を守った乙女。
そんな簡単に身体を預けるわけない。」
「……そっちの方がすげぇな」
「逆に伝説級」
イビルアイは溜め息をつき、ワインを一口。
「私は……そういうものを、軽く扱いたくないだけだ。
長く生きてると、約束の重さが怖くなるんだよ。」
その言葉に、一瞬だけ、空気が静まる。
ラキュースが穏やかに微笑み、グラスを持ち上げた。
「そうよね。そういうのは――“結婚してから”でしょう?」
その一言で、テーブルが再び爆発したように沸いた。
「出たー! ラキュース様の貴族的乙女発言!」
「結婚だってよ! いやぁ、あの硬派なケネウス殿がどう反応するか見ものだな!」
「式はどこでやるんです? スレイン法国大聖堂? それともエ・ランテル広場?」
イビルアイは耳まで赤くなり、ワインをこくこくと飲み干した。
「……お前ら全員、悪魔だな。」
ティナが小悪魔のように笑う。
「“吸血鬼にそう言われる”って、なんかいい響きだね。」
「笑うな。」
イビルアイは頬を押さえ、
けれど――どこか満更でもないように口の端を緩めた。
その夜、黄金の輝き亭には、
久しぶりに戦いのない、穏やかで温かな笑い声が響いていた。
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そしてその隅の席――
フードを深くかぶった二人組が、静かにグラスを傾けながらその様子を眺めていた。
「……ふむ、いい雰囲気だな。」
低く落ち着いた声。フードの下には銀の瞳。
「ええ。完全に“恋する乙女モード”ですねぇ。これは放っておくと結婚しちゃうやつです。」
明るい声で返すのは、隣の小柄な少女。フードの下から尖った耳と銀髪がのぞく。
「……ぐりもあさん、言葉を選べ。あれでも彼女、うちの研究協力者だ。」
「え、でもジョンさん、ニヤけてますよ?」
ジョン・カルバインは苦笑し、カウンター越しの蒼の薔薇を見つめた。
「まぁ……いいじゃないか。英雄譚の続きに、恋があっても。
それに、あの槍の共鳴が完全に安定するには、彼女の“情動”が必要になる。」
ぐりもあが目を輝かせる。
「つまり愛の力で神槍システムが進化するんですね! 新章タイトルは――《神婚交響(ブラッド・ハーモニクス)》!」
ジョンが吹き出しかけ、苦笑する。
「……タイトル考えるのはお前の方が早いな。」
二人の笑い声が、酒場の喧噪に紛れて消えた。
黄金の輝き亭の夜は、戦のない穏やかな時間のまま、静かに更けていった。
/*/ スレイン法国・漆黒聖典宿舎 作戦前夜 /*/
夜の帳が降りた大聖堂の別棟、
漆黒聖典専用の宿舎には、静けさと薄い香木の匂いが満ちていた。
各自が装備の手入れを終え、灯の落ちた廊下には
鎧の擦れる音が遠く響くだけ。
その一室――暖炉の前だけが、まだ明るかった。
ソファに腰を沈め、分厚い星図帳を抱えたまま、
第7席次・占星千里《オラクル》はくすりと笑った。
「……それで、第1席次殿と吸血姫の件、
あなたはどう思うの?」
向かいの椅子では、長い銀髪の女が脚を投げ出し、
だらりと椅子にもたれたまま欠伸を噛み殺している。
――第十一席次、“無限魔力(インフィニット・マナ)”。
「んー……どうって言われてもねぇ。
あの人、真面目が服着て歩いてるようなもんでしょ?」
無限魔力は片手でカップを持ち上げ、
香り高いハーブティをすする。
「吸血姫の血なんか飲んだ時点で、
もう“真面目”の定義から逸脱してると思うけど。」
占星千里が微笑む。
彼女の指先で、星の光を模した占星珠がくるくると回っていた。
「ふふ。貴方にしては珍しい。恋愛話なんて。」
「星の動きが騒がしいの。
あの二人を示す双星が、今夜は少し近づいたのよ。
……気になるじゃない?」
無限魔力は煙管を取り出し、火を点ける。
紫の煙がふわりと立ち上がり、
眠たげな金の瞳が半ば細められた。
「星占いで“恋愛運上昇中”とか出すタイプ?」
「出すわよ。人は戦いより恋で動く生き物だから。」
「……じゃあ、うちらの分は?」
「あなた? ――“眠りながら恋に落ちる兆し”って出てたわ。」
「……寝てる間に告白されても気づかないんだけど。」
無限魔力が苦笑し、足を組み直す。
「でも、ケネウス様……ほんと変わったわよね。」
「ええ。以前は“神の槍”って感じだったのに、
今は“誰かのための槍”に見える。」
「愛の力って、マジで魔法効くんだねぇ。
炎耐性より強いんじゃない?」
「案外、本当にそうかもしれない。」
占星千里は頬杖をつき、星図を見上げた。
「今、彼の星座が――“聖槍”から“灯”に変わりかけてるの。
誰かを照らす側に、移行している。」
無限魔力は目を細める。
「……へぇ、ロマンチックねぇ。
でも私には関係ないかな。
恋って、魔力の無駄遣いでしょ?」
「ふふ。そう言う人ほど、いざ落ちると深いのよ。」
「落ちる? 私が? 誰に?」
「さぁ――それは、まだ星も教えてくれないわ。」
二人の笑い声が、夜の静寂に溶けていった。
外では、遠く教会の鐘がひとつ鳴る。
無限魔力が煙を吐きながらぽつりと呟いた。
「……でも、隊長が幸せそうなのは悪くないわね。
あんな人が泣いたら、世界が曇るもの。」
占星千里は静かに頷いた。
「――ええ。
だから私は祈るの。
星がもう少し、あの二人を照らし続けてくれるように。」
暖炉の火がぱちりと鳴る。
その光が、星図のページに赤と金の影を落とした。
そして二人の間には、
恋と運命の話を肴にした、穏やかな夜が流れていった。