オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ スレイン法国・大神殿裏庭 月下の回廊 /*/
白い月光が大理石の床を照らし、風に揺れる修道服の裾が微かに音を立てた。
ジョンとぐりもあは、神官会議を抜けたあともそのまま夜の庭に出ていた。
戦いの余波が去り、空は静かだった――けれど、話題は妙に理系だ。
「まーでもな、ナザリックでも調べてみたんだよ。」
ジョンが手元の魔導端末を軽く叩く。
表示されたのは、魔導国各地の血液・組織サンプルから得た遺伝情報データだった。
「この世界の“人間”――遺伝的多様性がリアルよりずっと乏しい。」
ぐりもあが顔を上げる。
「そんなに?」
「ああ。まるで“ボトルネック”を通った種みたいに均一だ。
データ見た限り、一時期千人を割り込むレベルまで減った痕跡がある。
しかもここ千年以内。」
ぐりもあは目を丸くした。
「……つまり、“人類の絶滅寸前”が最近あったってこと?」
ジョンは頷き、空を見上げた。
「おそらくな。
魔法災害か、生存競争か、何か知らんが――
その時、もし“六大神”がいなかったら、
本当に人類は途絶えてたろう。」
風が吹き、樹木の影が揺れた。
ジョンの横顔に淡い月光が落ちる。
「だから、“人狼”とかの血を混ぜるのも、
あながち悪くないかもしれねぇ。
多様性が無いと、種は脆い。
適応も進化も起こらん。
神の奇跡より、遺伝子の方が現実的に世界を救うかもな。」
ぐりもあが半分呆れたように笑う。
「……あの、ジョンさん。
その理屈でいくと、“人類再鍛造計画”の連中が喜びますよ?」
「いや、あいつらは“神の血”を求めてる。
俺が言ってるのは“生存のための多様性”だ。
宗教と生物学の区別がついてねぇ。」
ジョンは懐から古びたメモを取り出し、軽く放った。
ぐりもあが受け取り、目を通す。
「“デケム個体群、交雑適応試験中”……って、
これ、“実験体”ってあのデケムの森妖精ですよね?」
「ああ。生存圏外で遺伝的に崩壊しかけてる奴らだ。
純血が多すぎる。
今度、データ持って行ってやろうと思ってる。
混ぜ方次第じゃ、まだ立て直せる。」
ぐりもあは、じっとジョンの横顔を見る。
「……なんか、“神の再創造”に見えてきましたよ。」
「違う。“神の補修”だ。」
ジョンが笑う。
「神様がミスった生物設計を、人間が繋ぎ止めてるだけ。」
「うわ、めちゃくちゃ傲慢な言い方ですねぇ。」
「そういう立場なんだよ、“神獣”ってのは。」
ジョンが肩を竦め、夜空の星を見上げた。
そこには紅と白の双星が、かすかに寄り添うように輝いていた。
「……ま、あいつら(六大神)がいたおかげで世界は続いた。
でもな――“次”を残せるのは、やっぱ人間の仕事だ。」
ぐりもあはゆっくりと頷く。
「……そうですね。
神が守った千年を、人が繋ぐ次の千年に。」
ジョンはにやりと笑う。
「うん。だから今度は、“混ぜて強くする”方を教えるさ。
ただし、犬耳と尻尾までだ。」
「それ以上は?」
「それ以上は、もう“人間じゃなくなる”。」
二人の声は夜風に溶け、
星の瞬きが静かにそれを聞いていた。
/*/ スレイン法国・大神殿「学識院」講堂 /*/
白亜の壁に魔導灯の光が反射し、静寂の中に羊皮紙の擦れる音が響く。
壇上にはジョン・カルバインと“無限魔力”セリエル・ノアール。
列席するのは数十名の高位神官と学者――いずれも「人類再鍛造計画」に携わる者たちだ。
セリエルは退屈そうに片手でチョークを回し、黒板に走り書きをする。
《異種交配の安定化》《F1の雑種強勢》《F2の形質分離》
「……つまりね、“異なる種の血を混ぜれば強くなる”のは一代目だけ。
その次――F2以降になると形質がバラバラになって、安定しない。
だから、“神の血を混ぜて完全な人間を作る”って理屈は破綻してる。」
神官の一人が立ち上がり、声を上げた。
「しかし! 神獣様の御血を受けた亜人を基礎とすれば、より高い存在が――」
ジョンが椅子の背にもたれながら口を挟む。
「……“人間”を捨てる覚悟があるなら、それもアリだな。」
ざわ、と講堂が揺れる。
ジョンは立ち上がり、前へ歩み出る。
「いいか。人間を“亜人”にしていいなら、安定して今より底が高い種族は作れる。
狼耳でも尻尾でも、感覚器が増えりゃ環境適応力は上がる。
雑種強勢を固定できれば、筋力も寿命も上がるだろう。
……だが、それは“人間”じゃねぇ。別の種だ。」
セリエルが頷きながら補足する。
「生物的にはそれで“安定”。ただし“文化的・宗教的同一性”は失われる。
あんたたちは“人間の救済”を望んでるんでしょ? “人間の代替”じゃなく。」
土神官長が反論するように身を乗り出す。
「ですが、現人類の遺伝的多様性は乏しく、神獣様によれば千年前に激減したと。
ならば――今のままでは絶滅は時間の問題では?」
ジョンは腕を組んで静かに頷いた。
「そうだ。実際、この世界の人間の遺伝的痕跡を見りゃ、
一度、千人を割り込むまで人口が減った時期がある。
……6大神がいなきゃ、とっくに絶滅してた。」
ざわめき。
セリエルがチョークを掲げ、黒板の端に新しい単語を書き加える。
《金の黄昏錬金術団(ゴールデン・トワイライト)》
「近年、同じ発想を試した連中がいたわ。
“人間以上”を作るってね。」
神官たちの息が止まる。
「肉体を改良し、魔力器官を人工的に増やし、
精神を制御可能な“理性体”を生み出した。
――結果、どうなったと思う?」
ジョンが代わりに答える。
「そいつらは“神よりも優れた”って思い込みで、
自分たちの創造主を皆殺しにした。
金の黄昏錬金術団は、自分が作った“人間以上”に滅ぼされた。」
重い沈黙。
セリエルは黒板を軽く叩く。
「生物の“完全”は、存在としての“死”に近い。
淘汰も変化もない。
だから神は“完全”を人に与えなかったんでしょうね。」
ジョンが壇上を見渡し、淡々と告げた。
「――人間をやめるなら、強くなれる。
だが、“強さのために人間を捨てた時点で、それは敗北だ。”
お前らが作りたいのは、“新しい命”じゃなく、“人の延長”なんだろ?」
誰も答えない。
やがて、セリエルが欠伸を噛み殺しながら言った。
「……ま、まとめるとこうよ。
“人間の限界”を乗り越えることと、“人間をやめる”ことは似てるけど違う。
そこを履き違えた連中が、いつも滅びるの。」
講堂の空気が静まる中、
ジョンはゆっくりと手を掲げ、
冷ややかな声で締めくくった。
「――選べ。神を造るか、人を続けるか。
その分かれ目に、俺たちはもう立ってる。」
チョークの粉が舞い落ちる。
セリエルは窓の外を見ながら、ぽつりと呟いた。
「愚かであることを恐れるなら、きっと次も同じ過ちを繰り返す。
……でも、それが“人間”なのよね。」
誰も反論しなかった。
ただ、冷たい光の中で、黒板の文字――
《人間の限界線》がゆっくりと消えかけていた。
/*/ スレイン法国・大神殿「学識院」講堂 議論後 /*/
ジョン・カルバインが最後列の机に腰を下ろし、手元の図面を閉じた。
白い講堂には、さっきまでの熱を帯びた議論の余韻がまだ漂っている。
セリエルは机に肘をつき、退屈そうに頬杖をついたまま、
ジョンの口元に浮かんだわずかな笑みを見逃さなかった。
「で? 結論は出た?」
ジョンは肩を竦めた。
「出たとも。……結局のところ、“完全種”なんて要らねぇ。
人間に俺――つまり人狼の血や、デケムみたいな森妖精の血を
ちょっと混ぜてやって、一代限りの強者を作るくらいでいい。」
「一代限り、ね。」セリエルが片眉を上げる。
「ああ。
それで十分だ。
そいつらが血を残せば、その血が人類全体に薄く広く流れ込む。
強者の血筋は世代を重ねるごとに希釈されるが、
代わりに“どこからでも強者が生えてくる”ようになる。」
ジョンは指先で空中に螺旋を描く。
「多様性と乱数性――それが生命の武器だ。
均質で安定した強さより、“偶然の跳ね上がり”がある方が、
人類ってやつはしぶとく生き残る。
文明も魔法も、それを支える形で運用してやればいい。
その仕組みごと維持する――
それが本当の“再鍛造計画”なんじゃないかと思う。」
セリエルは少し目を細め、脚を組み替えた。
「……なるほど。
“最強を作る”んじゃなくて、“強くなれる余地を作る”。
それなら、生物としても文明としても破綻しないわね。」
「そういうこと。」
ジョンは笑う。
「神を造るより、神が生まれ得る環境を保つ方が理に適ってる。
再鍛造ってのは、種族を作り直すことじゃない。
“進化の再起動”だ。」
セリエルが立ち上がり、窓の外――雪解けの街並みを見下ろす。
「……面白いわね。
あんたの言う“再鍛造”は、鍛え直すというより、
“錆びないように磨き続ける”って感じか。」
「そうだな。
生命ってのは、磨かれてる間だけ生きてるんだ。」
講堂に残っていた神官たちは、その言葉を静かに聞いていた。
誰も反論しなかった。
理解している――この計画の行き先は、“神の創造”ではなく、“人の継続”。
セリエルは軽く笑い、黒板にひとつだけ言葉を書いた。
《再鍛造計画=人類進化環境維持計画》
そして、くるりと振り返る。
「……やっぱり、講義名は“進化論”に変えておくわ。
こっちの方が、まだ夢がある。」
ジョンは笑いながら肩を叩いた。
「いいじゃねぇか。“夢”がなきゃ文明は錆びる。
あとは――この星を磨く奴らを増やしてやるだけだ。」
光が射し込み、黒板の文字を照らす。
白と金が交わるその輝きの中で、
「再鍛造計画」は、ゆっくりと次なる人類の夜明けへと姿を変えつつあった。