オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
時刻は0:00:00……1、2、3とカウントが続いていた。
あれ……?
「ログアウト、しない?」
「サーバー停止が中止になったとか?」
玉座の上と下で顔を見合わせるジョンとモモンガ。
これまで見たことがない、きょとんとしたジョンの狼顔に、モモンガは思わず小さく笑った。
二人はそれぞれコンソールを呼び出し、サーバー停止延期の通知やシステムログ、GMコールの反応を確認し始める。しかし、コンソールも呼び出せず、GMコールにも一切の反応はなかった。
「どうかなさいましたか、モモンガ様? カルバイン様?」
横からかけられた女性の声に、二人は驚愕して視線を向ける。
モモンガは肩を強張らせつつ首だけを向け、ジョンは肩の力を抜き、腰を少し落として右足を引きながら体ごと向く。動き方の違いはあったが、二人の目に映る驚きは同じだった。
その視線の先には、アルベドが気遣わしげな表情でモモンガを見つめていた。
──表情?
本来ならマクロで一時的にしか動かせないNPCの表情が、生きているかのように自然で、会話の応答も完璧だった。
ジョンはさらに異変に気づく。アルベドの匂い、モモンガの匂い──。
だが、ユグドラシルでは匂いは再現されないはずだ。いや、そもそも人間の嗅覚では、そこまでの判別は不可能だ。
さらに、アルベドの生命反応、モモンガの負の生命反応を視界に入れずとも、自分を中心にどこにいるか、その大きさまでも含めて感知できる。
まるで索敵スキル、殺気感知、生命感知、気配感知など、複数の能力が同時に発動しているかのようだった。
──まるで本当に、『ジョン・カルバインになった』ようだ。
確かに、さきほどアルベドに向き直った瞬間、その動きには何の違和感もなかった。
リアルの身体で感じるはずの違和感も、触覚や嗅覚の不足も、システム補助による違和感も一切なく、自然に、むしろリアルの身体よりも滑らかで力強く動く。
──もしこれが本当の身体でできるなら、全国優勝どころか世界大会でも……。
掌をぐっぱっと閉じたり開いたりして、ジョンは自分の身体の動きを確かめる。
狼の身体でありながら、爪も自分の意志で伸ばしたり縮めたりできる。物を握ることも、拳を握ることも問題なさそうだ。安心する。
「なんでもない……なんでもないのだ、アルベド。ただ……GMコールが効かないようなのだ」
玉座から聞こえたモモンガの声に視線を上げると、アルベドが自ら歩み寄り、モモンガの前に立って気遣わしげに顔を覗き込んでいた。
ジョンにはアルベドの表情は見えなかったが、気配や匂い──リアルの自分よりも鋭敏になった感覚で、アルベドが本当にモモンガを心配していることが痛いほど伝わってきた。
「なんでもない」と手を上げて応えるモモンガに、アルベドは慎ましくも答える。
「……お許しを。無知な私では、モモンガ様に問われましたGMコールに関してお答えすることができません。ご期待に沿えぬ私の失態を、どうかお許しいただけますよう……」
消え入りそうに意気消沈しているアルベドを横目に、ジョンはメッセージを起動させ、モモンガとやり取りを始める。
《メッセージは使えますね。モモンガさん、匂いがするんですけど? モモンガさんとアルベドが匂いで区別できるんです。おかしくないですか?》
《ジョンさん、そんなに鼻が効きましたっけ?》
《そんなわけないです。人間は体臭で個人判別なんて無理ですよ。まるでネット小説の異世界転移みたいです》
《何が起こっているのか把握が必要です。手分けして──いや、NPCを使ってナザリック内外の情報を収集させたいと思いますが、どうでしょう……って、何してるんですか!?》
モモンガが目を向けると、玉座の間では狼男が型──いや、演舞のような動きをしていた。
右を払って左を突くたび、拳が空を突く瞬間に炸裂音と共に円錐型の雲(ベイパーコーン)が立ち上り、脚が床を踏み込むたびに「ずしん、ずしん」と、見た目以上に重厚な音が響く。
──これは、人間業なのだろうか。
《いや、この身体、どうなってるんですか……》
《……で、どうですか?》
《軽く突いてるだけなのに、絶対音速超えてますよ、これ!!!》
音速拳だ! ひゃっふぅぅぅー!!!と興奮するジョンの声を聞きながら、モモンガはキャラクターが持っていた高い基礎ステータスを、自分たちも問題なく扱えていることを確認する。
型を終えたジョンは、玉座のモモンガに向けて終わりの礼を行った。
その一礼を受けて、アルベドは改まった態度で告げる。
「カルバイン様、直答の無礼をお許しください」
ジョンは首を傾げ、何かを恐れるようなアルベドの様子を見つめる。
直答──つまり自分の言葉にそのまま応答したことを謝っているのか、と数瞬考えた後、静かに許すと答えた。
その瞬間、ジョンはふと思う。
──この子たち、昨日、最後に皆が来たことを覚えているのか。
数年ぶりのギルメンIN、ゲーム時間で数十年、数百年──そして玉座の前で一礼したあと、誰もいなくなる。
その記憶をアルベドは、まるで捨てられた幼子のように、今この瞬間に思い出しているのかもしれない。
はらはらと金の瞳から零れ落ちる涙。
その一滴一滴が、置き去りにされた不安と、忠誠心と、寂しさと愛情を物語っていた。
は? いやいやいや。
ジョンとしては、「何を言ってるんだこいつは?」という思いでいっぱいだった。
だが、零れ落ちる涙を必死に堪えるアルベドの金の瞳を見て、言葉を飲み込み、心の奥で考え込む。
──どうして、こうなったのか?
いや、待て。ひょっとして……こいつら、昨日、皆が最後に来たことを覚えているのか?
(数年ぶりのギルメンIN=ゲーム時間で数十年、数百年)+(玉座の前でギルド長に一礼する俺)=(そして誰もいなくなる)──まさに、このことか!?
そう思ってアルベドを見ると、彼女ははらはらと涙をこぼしながらも、捨てられた幼子のように震えているように見えた。
捨てないで、忘れないでください。
私たちはどうなろうとも、あなたたちの役に立つことこそが喜びです。
どうか行かないでください。連れて行かないでください。
最後に残ってくださったこの方を、どうか私たちから奪わないでください──。
一人、また一人と去っていき、リアルの事情で誰もがログインしなくなった。
彼らはアインズ・ウール・ゴウンを捨てたわけではない。だが、優先順位の違いから、最後まで残ったのは自分とモモンガだけだった。
自分も残った側だからこそ、残された側の気持ちは痛いほど理解できる。その不安は、まさに自分のものでもあった。
だから、笑う。
そして、アルベドに心配させまいと、ジョンは何の不安もないかのように笑ってみせることにした。
「泣くな、アルベド。どこにも行かないし、どこにも連れて行かない。
俺はこれまで通り、モモンガさんとアインズ・ウール・ゴウンを守る」
その言葉とともに、ジョンの狼頭は微かに歪むように笑った。
──上手く笑えているかどうかはわからない。だが、それで十分だった。
アルベドの涙は止まらないが、少なくとも、少しだけ安心したように見えた。