オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ バハルス帝国・辺境防衛線 第3軍5121小隊 戦闘後 /*/
焦げた草の匂いと、油の焦げる音がまだ残る戦場。
地面に大きく膝をついた鉄の騎士《アダマント035号》は、機体の胸部をゆっくりと開いた。
蒸気がふわりと漏れ、淡い夕陽がコックピットの中を黄金色に照らす。
内部から現れたのは、操縦士ジョン・ドゥ。
額に張りついた汗を袖でぬぐい、深く息を吐く。
「……ふぅ、やれやれ。昼飯の時間が夜になっちまったな」
腰のポーチから銀色のパックを取り出す。
戦闘糧食だ。帝国軍では簡易加熱式の魔導パックが支給されるが、彼の手つきは慣れたものだ。
封を切ると、温かい香りがゆるやかに広がる。
テリヤキビーフスティックをひと噛み。
しっとりとした柔らかさが歯に心地よく、甘辛いタレの香ばしさが口いっぱいに広がる。
「うん、悪くない。相変わらず“ビーフジャーキーの親戚”みたいな味だが、こういうので十分だ」
次に、トルティーヤを開き、ビーフ&ブラックビーンズのソースを流し込む。
豆の香り、トマトの酸味、そして肉の旨味。
それらをひとまとめにして巻き上げると、帝国の最前線とは思えぬほどの食事が出来上がった。
「……ああ、これだよな。飯が温かいと、それだけで生き返る」
口に運ぶと、トルティーヤの柔らかい生地と、スパイスの効いたソースが絶妙に混ざり合う。
大ぶりの肉がほろりと崩れ、黒豆の粒が香ばしく弾けた。
「帝国の補給部も、最近は頑張ってるな。昔は“粘土パン”なんて呼ばれてたのに」
小さく笑いながら、魔導保温ポットからモカカプチーノを注ぐ。
湯気とともに漂うのは、甘く濃い香り。
一口含むと、舌の上をまるで砂糖の奔流が流れたかのように甘い。
「……甘っ。うん、でも眠気は吹っ飛ぶな。砂糖で脳を殴られる感じだ」
彼は機体の脚部装甲に腰を預け、空を見上げた。
遠くでは、補給隊が機材を回収している。
エンジンの熱気がゆっくりと冷えていく中、ただ、夕風がやさしく吹き抜ける。
ジョンは残りのトルティーヤを口に運びながら、淡々とメモパッドに戦闘記録を残す。
「オーガ七、トロール一。損傷軽微。燃料残量六割。――まあ、悪くない一日だ」
最後にもう一口、モカカプチーノを飲み干すと、彼は満足そうに目を細めた。
「さて、飯も済んだし……もう少し冷めたら、整備に入るか」
コックピットの外では、夕暮れがゆっくりと夜へと変わっていく。
風に揺れる草の音と、鉄の巨体が冷却を終える小さな音だけが、静かに辺境の空に響いていた。
/*/ バハルス帝国・辺境防衛線 第3軍5121小隊 補給地点B /*/
戦闘が終わり、夕闇が深まりはじめる頃。
戦場跡の丘に、帝国軍の整備班が集まっていた。鉄の騎士が三機、うずくまるように停止している。
その一つ――《アダマント035号》の装甲板がゆっくりと開き、冷却蒸気が白く立ちのぼった。
整備班長のドワーフ、ハルドが油まみれの手で額を拭いながら声を上げる。
「よう、ジョン・ドゥ少尉! 派手にやったみたいじゃねぇか!」
ジョンはコックピットから身を乗り出し、片手を軽く挙げた。
「オーガの群れ相手にちょっと手間取っただけさ。被弾はしてないけど、右脚サーボが妙に熱を持ってる」
「熱、ねぇ……また冷却管のバルブか? あれ、前回の戦闘でも交換したろ」
ジョンは機体を降りながら、膝装甲の継ぎ目を軽く叩いた。
「多分、排熱ルートに細かい砂が噛んでる。気流の逆流で冷却効率が落ちたんだと思う。今日は南西風が強かったからな」
「まったく、風まで敵かよ」
ハルドがぼやきながら、部下たちに指示を飛ばす。
「おい、035号の冷却系統チェックだ! オイル循環、バルブ圧、すべて再測定!」
整備兵たちが一斉に動き出す。魔導ランプが灯され、夜の現場が青白く照らされる。
ジョンはその光の中で、先ほどの戦闘ログを確認しながら口を開いた。
「燃料残量、六割。出力安定、魔力リアクター温度八十五。左腕の駆動音が少し重いな。――こっちは後で調整頼む」
「了解。お前さんの機体はほんと、数字だけ見りゃ優等生なんだがな。実際に分解すると、毎回どっかが微妙に歪んでやがる」
「俺の乗り方のせいじゃないと信じたいね」
ジョンが苦笑する。
整備班の一人が、左脚のジョイントを覗き込みながら叫んだ。
「班長! これ、冷却パイプに細かい黒砂が詰まってます! エアで吹いても抜けません!」
「やっぱりか。ジョン、こりゃ分解コースだ。夜通し作業だな」
「悪いな、助かる。明日の巡回、別機に代わってもらう」
「気にすんな。あんたが生きて帰ってきた時点で上等よ」
ハルドはニッと笑い、手にした工具を振る。
「にしても、あのビーフの匂い、腹減るな。お前、戦闘中にまた食ってたろ」
ジョンは思わず吹き出した。
「……バレたか。まあ、戦闘終わった後な。温かいモカカプチーノ付きでな」
「贅沢なもんだ。俺らは冷めた豆スープだってのに」
「交代の時に差し入れするよ。あの甘さ、眠気吹き飛ぶぞ」
整備班の笑い声があがる。
鉄の巨体の影の下で、兵士たちの短い休息が続く。
ジョンはふと、夜空を見上げた。月が低く浮かび、風が穏やかに吹き抜けている。
「……辺境の夜は静かだな。こういう時間が、いちばん危ないんだけどさ」
「へいへい、心配性の少尉殿。整備は任せとけ。明朝にはピカピカにしてやるよ」
ジョンは小さく笑い、ハルドに敬礼を返した。
「頼んだ。――この鉄の騎士が動く限り、村は守れる」
そう言って、彼は工具箱の音を背に、補給テントの明かりへと歩き出した。
温い風と油の匂いが混ざり合い、遠くで夜虫の声が響いていた。
/*/ 帝国辺境防衛線・第3軍5121小隊 補給テント 夜 /*/
ランタンの明かりが、淡い琥珀色に揺れていた。
テントの中には油と鉄の匂い、そして食事の湯気が立ちこめている。
外では、遠くで機関の冷却音がまだ小さく唸っていた。
「――でさ、少尉。あんた、ほんとに戦闘中にモカ飲んでたんですか?」
整備兵の青年リドが笑いながら言う。彼の皿には、温め直したスープと固い黒パンが乗っている。
ジョンは、スプーンをくるくる回しながら答えた。
「戦闘“後”にな。まあ、飲んでる途中でまた敵が出てきたら、熱々のまま吐き出してたろうけどな」
「ははっ、そりゃいい。敵の目にでもかけてやれば、あっちもびっくりだ」
「おいリド、それ笑いごとじゃねえ。こないだの戦闘、あの巨体で三時間だぞ? 操縦席、サウナみてぇに熱かったらしい」
と、班長のハルドがスープを啜りながら口を挟む。
ジョンは肩をすくめ、カップに残っていた水を飲み干した。
「冷却管が詰まってた。砂が噛んでたんだ。あれがもう少し酷けりゃ、脚部のシリンダーが焼け付いてたな」
「ふむ。じゃあ今夜の整備は正解だったわけだ」
ハルドは顎髭を撫でながら満足げに頷く。
「ま、あの機体はお前さん以外が乗るとすぐ文句を言うからな。鉄の塊なのに、まるで犬みてぇに」
「犬って言うなよ。あれは“相棒”だ」
ジョンが笑って返すと、整備班の誰かが「はいはい、愛機愛機」と囃し立てた。
リドが鉄のカップを持ち上げる。
「まあいいじゃないっすか。今日も全員生きて帰ってきたんだ。乾杯ってことで」
「乾杯!」
ランタンの明かりの下、カップ同士が軽くぶつかる。金属音が、外の冷たい夜気に溶けて消えた。
ジョンは少し遅れて口をつけた。
温いスープ、塩の強い干し肉。粗末だが、戦闘の後には不思議と美味い。
「……にしても、あんた、操縦席の中で飯まで食ってたら太るぜ」
「心配するな。戦闘で全部燃える」
「じゃあ今度、モカカプチーノ持ってきてくれません? 班長のコーヒー、砂みたいに苦いんで」
「おう、あれは“仕事用の味”だ。寝る暇削って整備してんだ、甘いもんなんざ要らねぇ」
「いや、いるだろ普通に」
整備班の笑いが再び広がる。
誰もが疲れていた。だがこの短い時間だけは、戦争も魔物も遠い世界の話に思えた。
ジョンはふと、テントの外に目をやる。
夜風が布を揺らし、冷えた空気が頬を撫でた。
「……こういう時間が、いちばん“帝国軍らしい”な」
「どういう意味で?」とリドが首をかしげる。
ジョンは少し考え、静かに笑った。
「みんなが生きてて、飯を食って、笑ってる。――それ以上の戦果はないさ」
しばらくの沈黙。
そして、ハルドが低く笑いながら言った。
「……そうだな。じゃあ明日の朝までに、あんたの“相棒”も元気にしてやらねぇとな」
ジョンは軽く頭を下げた。
「頼むよ。あいつは、俺よりも頑丈だからな」
テントの外では、星が滲むように光っていた。
戦場の夜に、整備班の笑い声と、湯の沸く音だけが優しく響いていた。