オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~   作:ぶーく・ぶくぶく

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第200話:あのバカは何処だ!

 

 

/*/ バハルス帝国アーウィンタール 皇帝ジルクニフ執務室 朝 /*/

 

 

朝の光が金の装飾を鈍く照らし、重厚なカーテンの隙間から差し込む。

香炉の煙がゆるやかに立ち昇る中、皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、執務机に腰を下ろしていた。

机上には、幾重にも重ねられた軍報告書。

今朝届けられたばかりの封筒には――「第三軍第5121小隊・戦闘報告兼試験運用結果」と記されている。

 

「陛下、朝議に先立ちまして――第三軍より、戦闘糧食の改良と鉄の騎士運用に関する詳細なレポートが上がってきております」

報告するのはロウネ・ヴァミリオネン。皇帝補佐官にして、冷静沈着で知られる文官だ。

 

「ふむ、見せてみろ」

 

ジルクニフは手を伸ばし、封を切る。

紙をめくる音だけが静寂に響く。

 

最初の数枚――視線は淡々としていた。

だが、次第に眉間の皺が深く刻まれていく。

 

「……“帝国式戦闘糧食・試作2号”……“熱量効率・魔力変換適性良好”……“摂取後の精神活性効果を確認”? なんだこれは」

 

ページを繰るたびに、筆記の筆跡が妙に丁寧だ。

どこか軍人らしくない。

理路整然とした文章、そして「食味評価・良好」などという、戦闘報告書にはまず出てこない語句が並んでいる。

 

「……“新型モカカプチーノ、士気向上に顕著な効果あり。今後は戦闘糧食として標準採用を推奨”」

「陛下、それ……戦闘報告ですよね?」

「“鉄の騎士整備班より:本機搭載の小型魔導炉、従来比で二割の燃費改善”――ふむ……ふむ?」

 

ページを閉じた。

顔には困惑と苛立ち、そして微妙な恐れが混じっている。

 

「……ロウネ」

「は、はい陛下」

「この報告書を書いたのは誰だ」

「え、ええと……署名によりますと、“第三軍第五一二一小隊 少尉ジョン・ドゥ”とのことです」

「……ジョン・ドゥ?」

 

ジルクニフは、視線を報告書に落とす。

その署名の下には、まるで悪戯のように小さく、“補記:現場検証のため自腹で試食済”と書かれていた。

 

沈黙。

執務室の空気がひやりと冷たくなった。

 

「――魔導国大使を呼べ」

 

「へ、陛下!?」

「今すぐだ。できる限り早く」

 

ロウネは一瞬、書類を抱えたまま固まったが、すぐに慌てて部屋を飛び出した。

扉が閉まる音が響く。

 

ジルクニフは深く息を吐き、こめかみを押さえた。

 

「……また、あの男か……カルバイン。お前、今度は帝国軍に潜り込んでまで遊んでいるのか……?」

 

彼は机の上に報告書を叩きつけるように置く。

紙の束がばさりと跳ね、間に挟まれた一枚の付箋がひらりと舞い落ちた。

 

“追記:帝国軍の食文化は大きな可能性を秘めています。

 改良の余地は多々ありますが、現場の反応は極めて良好。

 ――ジョン・ドゥ”

 

ジルクニフは天を仰いだ。

「……ぐ、魔導国は……なぜうちの軍で『食堂改革』を始めるんだ……!」

 

頭を抱える皇帝の耳に、遠くから廊下を駆ける靴音が近づいてくる。

魔導国大使が呼ばれたのだ。

新たな“食と鉄の外交問題”が、静かに幕を開けようとしていた。

 

 

/*/ バハルス帝国アーウィンタール 皇帝執務室 /*/

 

 

厚い扉が開き、衛兵の報告が響いた。

「陛下、魔導国大使閣下が参っております!」

 

ジルクニフが顔を上げた瞬間、入ってきたのは見慣れた青白い狼毛の男。

軍服を少し乱し、どこか気の抜けた笑みを浮かべている。

 

「よぉ、陛下。朝っぱらから呼び出しとは、珍しいじゃないか」

 

「……ジョン・カルバイン」

ジルクニフの声が低く響いた。

「いや、“ジョン・ドゥ少尉”と呼んだほうがいいのか?」

 

ジョンは肩をすくめ、気まずそうに笑った。

「あ、バレた」

 

「バレた、ではない!」

ジルクニフが机を叩く。重厚な音が部屋を震わせた。

「自国でやれ! なぜわざわざ帝国軍に潜入するのだ!」

 

ジョンはまるで悪びれもせず、軽く手を広げた。

「いや、ほら――魔導国は周囲を人間国家に囲まれてるだろ?

戦闘そのものが滅多に起きないんだよ。実戦データを取るにも、魔物の襲撃くらいしかない。

でも帝国は違う。辺境ではちょくちょく小競り合いが起きる。だからちょっと、“現場の空気”を見てみたくてさ」

 

「だからと言ってやりようがあるだろう!」

「うん、でもさ……俺が前線の雰囲気を味わいたかったんだよ」

 

ジルクニフが絶句する。

ジョンはまるで散歩の理由を説明するような口調で続けた。

 

「魔導国だと、何をするにも護衛がわらわらついてきてさ。

お茶を飲みに行くだけでもアルベドが“危険です”って言うし、

野営訓練やろうとしたらデミウルゴスが“指一本触れさせません”とか言うんだよ。

息が詰まるんだ、ほんと。わかるだろ?」

 

そう言って、ジョンは軽くウィンクした。

 

ジルクニフはこめかみを押さえた。

「……ああ、わかるよ。私も官僚に囲まれてるからな……」

 

「だろ?」とジョンが笑う。

「だから、ちょっと現場の風に当たってた。結果的に、帝国の兵も助けられたし、戦闘糧食も改善されたし、一石三鳥だ」

 

「貴様にとっては“遊び”でも、こっちは国家機密案件なんだ!」

ジルクニフの声が再び響く。

だがジョンは気にも留めず、椅子を引いて座り込んだ。

 

「まぁまぁ、そんなに怒るなよ。ちゃんと全員無事に帰ったし、鉄の騎士も損耗ゼロだぞ?」

「それは……それは事実だが……!」

 

「だったらいいじゃないか」

ジョンはにやりと笑い、懐から小さなパックを取り出す。

「ほら、ついでにおみやげ。“戦闘糧食プロトタイプ2号”。テリヤキチキン味だ」

 

「……まさか試食を強要するつもりか?」

「強要なんてとんでもない。ただ、“味見”だよ」

 

ジルクニフはしばらく睨みつけていたが、最後には深い溜息を吐いた。

「……貴様、本当に自由人だな。

普通、他国の大使が“潜入”したと知れたら、外交問題どころじゃ済まんぞ」

 

「だからバレる前に、自分で出てきたんだよ。誠意ってやつさ」

ジョンは軽く肩をすくめ、悪戯っぽく笑った。

 

「誠意ね……」

ジルクニフは苦笑しながらも、どこか諦めたように書類を閉じる。

「……で、魔導国の反応は?」

 

「モモンガさんは“楽しそうで何より”って言ってた」

「……あの骸骨も人が悪い」

 

執務室に、わずかな沈黙が落ちる。

ジルクニフは最終的に椅子にもたれ、肩を落とした。

 

「……もういい。だが次は正式な訓練協定の形でやってくれ。潜入はやめろ」

「了解、了解」

 

ジョンは立ち上がり、敬礼――かと思いきや、軽く手をひらひらと振っただけだった。

「じゃ、また現場の空気が恋しくなったら報告しておくよ、陛下」

 

「報告“してから”行け!」

「はははっ!」

 

笑いながら退出していくジョンの背を見送りながら、ジルクニフは机に突っ伏した。

 

「……まったく、魔導国の“青狼”は災害よりタチが悪い……」

 

執務室の外では、ジョンが鼻歌まじりに「テリヤキチキンは平和の味~♪」と歌いながら廊下を歩いていた。

その音が遠ざかると、皇帝の長いため息が静かに響いた。

 

――バハルス帝国の朝は、いつもより疲れる一日の始まりだった。

 

 

/*/ バハルス帝国アーウィンタール 皇帝執務室 同朝 /*/

 

 

扉が静かに閉まり、ジョンの軽薄な鼻歌――「テリヤキチキンは平和の味~♪」――が遠ざかる。

残された皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、書類の山を前に深く頭を抱えた。

 

「……ふざけた狼だ……自国でやれと言っただろうが……」

 

机の上には、第三軍から上がってきた“戦闘糧食改良報告”。

そこには戦闘データと並んで、兵士たちの感想が丁寧に書き込まれていた。

《温かいモカカプチーノのおかげで徹夜も苦になりません》《テリヤキチキン味最高でした》。

もはや軍報告ではなく、食堂のアンケートである。

 

ジルクニフは顔を押さえた。

「……帝国軍を味覚革命の実験場にするとは……どこまで本気で遊んでいるんだ、あの男は……」

 

ふと、机の端で小さな音がした。

「トン……」

金のインク壺が揺れ、そのそばに、一匹の猫が座っていた。

 

紫がかかった黒毛が、朝の光を受けて鈍く艶めく。

瞳は琥珀色、静かで、どこか人の心を映すような光を宿している。

ミリヤ――帝都にいつの間にか住み着いた黒猫。

誰もがただの気まぐれな宮廷猫と思っているが、皇帝だけは、彼女の瞳の奥に何かを感じ取っていた。

 

「……お前も笑いに来たのか?」

 

ジルクニフがそう言うと、ミリヤは小さく尻尾を動かした。

やがて机の上を軽やかに歩き、書類の上に座り込む。

報告書の「ジョン・ドゥ少尉」の署名の上で丸くなり、目を閉じた。

 

「……皮肉なもんだ。帝国最強の兵より先に、お前に慰められるとは」

 

ミリヤは何も言わない。

ただ静かに喉を鳴らし、小さく「ふる……」と尻尾を揺らした。

その音が妙に心に沁みる。

 

ジルクニフは眉間を揉みながら、ぼそりと呟く。

「……お前はいいな。何も言わずに済む。

 私も、あの狼のように自由に動けたら、どれほど楽だろう」

 

猫の耳が、ぴくりと動いた。

琥珀の瞳が細く開き、皇帝をまっすぐに見つめる。

その視線はまるで――“あなたはあなたでいい”――そう言っているようだった。

 

ジルクニフは苦笑した。

「……慰めまで心得ているのか。まったく、猫にまで諭されるとはな」

 

彼は書類を束ね、机の端に寄せる。

ミリヤは静かに立ち上がり、机から飛び降りて皇帝の足元を一周すると、そのまま窓辺のクッションへ戻っていった。

朝の光を受けたその黒毛は、どこか紫がかった薄明を纏って見えた。

 

ジルクニフは、軽く目を細めた。

「……ありがとうよ、ミリヤ」

 

彼女は振り返らず、ただゆっくりと尻尾を揺らした。

まるで、“気にするな”とでも言うように。

 

窓の外では、帝都の尖塔に朝陽が昇る。

ジルクニフは深く息を吸い込み、椅子にもたれた。

「……帝国には静かな猫がいて、魔導国には騒がしい狼がいる……世の中、うまくできている」

 

その言葉に答えるように、窓辺の猫が一度だけ小さく鳴いた。

柔らかく、短い音。

 

静寂が戻る。

皇帝は新しい紅茶を注ぎながら、少しだけ穏やかな顔で、仕事を再開した。

 

 

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