オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ 魔導国・ナザリック地下大墳墓 ぐりもあ私室 /*/
夜。
地上では一切の観測が禁止された日。
魔導国全域の通信塔は沈黙し、風さえ息をひそめていた。
ぐりもあは机の上に置かれた観測鏡を見つめていた。
「見るな」と言われれば言われるほど、
その向こうに“見えるもの”が気になって仕方がなかった。
彼女の指が、ゆっくりとレンズを覗き込む。
封印された魔導波を逆相で反転し、
結界の隙間――ほんの一点の“天”へと焦点を合わせた。
その瞬間、鏡の中に“黒い星”が瞬いた。
呼吸が止まる。
いや、空気そのものが止まっている。
部屋の中の炎が凍りつき、音が消えた。
星は動いていた。
脈動するように、ゆっくりと、何かをこちらへ押し出してくる。
そして――そこに「人影」が立っていた。
黒衣。
黒い肌。
高い背。
胸に、ねじれた星。
男は微笑んだ。
優しく、牧師のように。
「ようやく、見てくれたね。」
その声は、鏡からではなく、頭蓋の内側から響いた。
脳を優しく撫で、心臓を指で押すような感覚。
ぐりもあは思わず口を開いた。
「……ナイ、神父……?」
男は穏やかに頷いた。
「かつては、そう呼ばれていたよ。」
「……あなた……本当に……?」
「名などどうでもいい。」
男の唇が微笑と共に動く。
「ルメナでも、ナイでも、ニャルラトホテプでも。
人は名を付けたがる。形にすがる。
だが、私は“形のないもの”――這い寄る混沌。」
その瞬間、部屋が崩れた。
いや、崩れたのではない。
空間の“下”に、もうひとつの空間が開いたのだ。
そこに見えたのは、星ではなかった。
無数の眼。
光と影が混ざりあい、言葉にならぬ“情報”が洪水のように流れ込む。
〈星の智慧を、すべての民に〉
その言葉が、耳ではなく、魂の奥で繰り返される。
ぐりもあは目を見開いた。
全身を駆け巡る、狂おしいまでの快感。
理性が砕け、世界の構造がほどけていく。
「……すごい……これが、智慧……これが、星の……!」
彼女は笑っていた。
涙を流しながら、狂おしいほどの笑みで。
「美しい……ああ、ナイ神父……あなたは、光そのもの……」
男――ナイ神父は、微笑んだまま、彼女の額に触れた。
その指先が触れた場所から、皮膚がゆっくりと光り、星形の紋が浮かび上がる。
「この世界は閉ざされている。
だが君は、見た。
見た者は、扉になる。」
彼がそう囁いた瞬間、
部屋全体が白く閃光に包まれた。
***
翌朝、デミウルゴスがぐりもあの部屋を訪れた時、
室内は無傷だった。
だが、観測鏡のレンズが融けたように歪み、
ぐりもあ本人は、静かに床に座っていた。
瞳の中に、夜空があった。
そこに浮かぶ星のひとつが、
ゆっくりと瞬いていた。
「――這い寄る混沌は、笑っていたのよ。」
そう囁いたぐりもあの声は、
どこかで誰かが同時に喋っているように、
多重に重なって響いた。
デミウルゴスは息を呑み、報告書を握り潰した。
「……これは、観測ではなく“感染”だ。」
彼女の背後の壁に、微かに浮かぶ星型の紋章。
それは呼吸のように明滅していた。
そして夜が再び来たとき、
魔導国の上空には――
増えてはいけない“星”が、ひとつ、増えていた。
/*/ 魔導国・ナザリック地下大墳墓 第九階層・解析室 /*/
薄明の魔光が、広い実験室を白く照らしていた。
机の上には焦げた金属片、融けた魔導鏡、
そして――厚い魔導書。
表紙に刻まれた名は「Grimoire=ぐりもあ」。
彼女は椅子の上にちょこんと座り、
いつものようにふわふわとした笑みを浮かべていた。
が、目の下には薄く焦げ跡のような影が残っている。
「――いやー、危なかったです。ほんっとに危なかった!」
軽い口調でそう言いながら、
彼女は机の上の魔導書を手で撫でた。
ページの一部が黒く変色し、
まるで焼け焦げたように波打っている。
近づくと、そこから低い囁き声のような音が微かに漏れた。
「……“星を見よ……すべての民に……”」
ジョンが眉をひそめる。
「おいおい、まだ喋ってるぞそれ」
ぐりもあは苦笑して肩をすくめた。
「感染したページ、ですよー。
あれ、星導師の“声”が文字になっちゃったんです。
このままだと本体――つまり、私が外なる神の端末にされるとこでした」
デミウルゴスが腕を組んで静かに頷く。
「自覚があるうちに隔離できたのは僥倖です。
しかし、どうやって?」
「ページの間に“概念封印”を挟みました」
ぐりもあはぺたん、と机に一枚の札を貼る。
符に描かれた文様がじり、と音を立てて光る。
「この札、私の魔導書の構造を一部切り離して、
感染箇所を“異なる次元ポケット”に閉じ込めてるんです。
要は、自分で自分のページを破いて隔離した感じですねー」
「自分で……自分を……?」
アルベドが目を見開く。
「それで無事なのですか?」
ぐりもあはニッと笑った。
「無事、ですよー! たぶん!」
「たぶん!?」
ジョンのツッコミが即座に飛ぶ。
「いやいや、ちゃんと本体の“思考層”は正常ですし、
外なる神の干渉波も封じてあります。
ただ、ちょっと記憶が……ところどころ“星形”に抜けてるかも?」
「おい、それ危険じゃねぇのか」
「いやぁ、問題ないですよ。抜けたところ、どうせ夢の中の話ですし。
ナイ神父――じゃなかった、星導師さんの幻視とか、
あれもう、今思えば最高に危ないやつでしたねぇ……」
彼女は笑いながらも、一瞬だけ目を伏せた。
笑顔の奥に、わずかな震えがある。
「ほんと、あと一秒遅かったら、
“這い寄る混沌”に取り込まれて、
ぐりもあって存在が“多重的存在”に分裂してたかも」
ジョンが腕を組み、呆れたように息を吐く。
「……お前、命の扱いが軽すぎるんだよ」
「いえいえー。“知識”って危険なもんなんですよー」
ぐりもあは軽く指を立てて笑う。
「でも、もう大丈夫。
感染ページは封印。
干渉波は断絶。
魔導書の“私”は、元のぐりもあに戻りました!」
デミウルゴスが静かに言う。
「確認のために、記憶層の検査を行いましょう。
ルメナの残響が残っていれば、すぐに処理を――」
「いーえ、要りません!」
ぐりもあは机に手を置き、ピシッと背筋を伸ばした。
その笑顔には、少しの狂気と誇りが混ざっている。
「僕は、あの“星の智慧”をほんの少しだけ見た。
その上で、まだ自分でいられるんです。
それならもう充分じゃないですか?」
沈黙。
アインズの声が低く響く。
「……それでも、あなたは“見た者”だ。
もう、完全に元には戻れないだろう。」
ぐりもあは目を細めて、にこりと笑った。
「そうかもしれません。
でも、モモンガさん。
――“見た”からこそ、あれを封じる方法がわかったんですよ。」
ジョンが苦笑する。
「まったく、お前ってやつは……。
もう少しで星の眷属になるとこだったんだぞ。」
「えへへ、なりかけて止まるのが、僕のいいところですー!」
部屋の空気が、ようやく少し和らぐ。
封印札の光がゆっくりと収束していく。
そのとき――遠く、ナザリックの上空で、
“星の一つ”がふっと消えた。
アインズが、ゆっくりと目を閉じる。
「……なるほど。封じたのか。よくやった、ぐりもあさん。」
ぐりもあは笑って、軽く敬礼する。
「はいっ。外なる神、退治完了ですっ!」
ジョンが溜息をつく。
「退治って言うな……」
その時、机の上の黒く焼けたページが、
微かに笑うように――カサリ、と音を立てた。
誰も気づかなかった。
その笑いが、まるで夜空のどこかで囁く
“這い寄る混沌”の残響のようだったことに。