オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ 帝都・ジルクニフ皇帝執務室 /*/
金色の朝光が差し込む執務室で、
ジルクニフは報告書を黙読していた。
その背後にロウネと法務官、軍務卿が控えている。
「……“干渉するな”か。」
皇帝はゆっくりと紙を置いた。
「つまり、魔導国は手を出す気がない。
我々に“沈黙”を強要することで、責任を回避したわけだ。」
ロウネが眉を寄せる。
「ですが、陛下。実際に星の智慧派の儀式によって
辺境では亜人の暴動が起きております。
あれは放置すべきでは――」
「放置せよ。」
ジルクニフの声が静かに響いた。
「我々が動けば、魔導国は“予言通り感染が拡がった”と笑うだろう。
――見ない者こそ勝者。あの骸骨はそう言いたいのだ。」
ロウネは一瞬、息を呑んだ。
だが皇帝は窓辺に立ち、遠くの空を見上げていた。
夜明けの星が一つ、まだ消えずに残っている。
「……放置とは、無為ではない。
“見ぬふり”をすることも、帝国の知恵のうちだ。」
ジルクニフは微笑み、命じた。
「星の智慧派は監視下に置け。だが、報告は上げるな。
――記録し、忘れろ。」
/*/ 竜王宮・翠玉の間 /*/
女王ドラウディロンは報告書を読みながら、長く息を吐いた。
「……まったく、神々の気まぐれも困ったものじゃのう。」
傍らの子が不安げに尋ねる。
「お母さま、本当に放っておいて大丈夫なの?」
「放っておくのが“礼”というものじゃ。
外なる神にしろ、天に住まうものにしろ、
人の理に引きずり下ろせば、災いは増えるだけじゃ。」
「でも、村が……」
「村はまた建て直せる。
だが、星の理は壊せん。
わらわらが剣を向けるほど、あやつらは興味を持つ。
――だから、眠っておるふりをしてやるのじゃ。」
女王はゆっくりと瞼を閉じ、
空を背に、静かに言葉を結ぶ。
「わらわは“見ない”。
見ぬままに、守る。それが竜の理よ。」
/*/ スレイン法国・法都シクルサンテクス 大神殿地下・聖封監獄 /*/
聖堂の鐘が、夜半に三度鳴った。
それは祝福ではなく、警鐘――“神の沈黙”を告げる音だった。
厚い石の廊下を、複数の神官兵が駆けてゆく。
松明の炎が壁に揺れ、祈りの彫像の影を歪ませる。
走るたび、重い鎧の音が反響し、地下深くへと沈んでいく。
目的地は、地下最奥――“聖封監獄”。
そこには、漆黒聖典第七席次「占星千里(せんり)」、
星の神託を読み解く巫女が幽閉されていた。
だが、今の彼女はもう聖典の一人ではなかった。
部屋の扉を開けた瞬間、神官兵たちは立ちすくんだ。
光が――“逆に”流れていた。
室内の壁、天井、床。
どこもかしこも、光が内側から吸い込まれ、夜空のように輝いている。
中央の祭壇に、白衣の女が立っていた。
長い金髪は宙に浮き、瞳は星光のように淡く青く光る。
彼女の口から、微かな声が漏れた。
「……星が……見ているの……」
その声を聞くだけで、神官たちの意識が遠のく。
頭の中に夜空が広がり、星の間から誰かの笑いが響く。
「第七席次! 今すぐ、観測を止めよ!」
神官長が叫んだ。
「その星は神ではない! 悪しきものだ!」
だが彼女は振り向かない。
腕を広げ、まるで誰かを抱くように空を仰ぐ。
「違う……あれは神ではなく、“運命”……
ただ見ているだけ……私たちが見返したから、来たの……」
「封印呪文を詠唱!」
神官長が命じ、結界師たちが詠唱を始める。
聖光の鎖が床に走り、彼女の足元を囲む。
しかし鎖が近づくたび、逆光の星々が瞬き、
まるで拒むように弾き返した。
「だめだ、聖光が歪む!」
「星の干渉です、信仰の構造が反転してる!」
神官長は歯を食いしばり、
神聖印を逆向きに掲げた。
「構うな! 反転呪式で封じろ! 今すぐだ!」
祈りが呪文へと変わる。
聖歌が悲鳴のように響き、
室内の空気が震えた。
やがて、白い光が天井から降り注ぎ、
星を喰らうように巫女の身体を包み込む。
――星々が、名残惜しげに瞬いて消えた。
静寂。
そこに残ったのは、透明な結晶の中で眠る“星の巫女”。
彼女の瞼の裏で、微かに星が回っているのが見えた。
「……間に合わなかったか。」
神官長は膝をつき、額の汗を拭った。
神官長が震える声で問う。
「感染……どの程度まで進行を?」
「完全だ。
――このままでは、星導師の“声”がこの国を貫通する。」
周囲の神官たちが息を呑む。
神官長は立ち上がり、
結晶の中の“第七席次”を見下ろした。
「……今すぐだ。魔導国に伝えろ。」
「ま、魔導国に? 新たな神に頼るのですか……!」
「他に誰がいる!」
神官長が怒鳴る。
「外なる神と接触し、なお理性を保った者は――
至高の御方ただ一人だ!」
彼の声が石壁に響く。
祈りの国、信仰の都――その地下に、初めて恐怖が満ちた。
報告官が走り出す。
緊急信号を魔導通信へと流すために。
魔導国との“禁じられた回線”が開かれる。
封印室では、結晶の中の巫女が微かに笑った。
その唇が、形だけを作る。
声にはならない。
――「見ているぞ」
その囁きを聞いた者の心に、星がひとつ灯った。
そして、それを誰も“見なかった”ことにした。
/*/ リ・エスティーゼ王国・王都エ・ランテル 王城謁見の間 /*/
冬の陽が差し込む王城の窓辺に、
王冠を外したザナックが座っていた。
机の上には、魔導国から送られてきた密封文書。
封蝋を解くと、黒い印章の中にぐりもあの筆跡が見えた。
後ろには王妃カルカ・ベサーレス。
薄い絹の衣をまとい、長い黒髪をまとめたその瞳は、
報告書を覗き込むと、わずかに眉を寄せた。
「……“干渉するな”。」
カルカが低く呟いた。
「放置を命じる通達とは、さすが魔導国ね。」
ザナックは紙を置き、静かに息を吐いた。
「放置……だが、それが正解なのかもしれん。」
カルカはすぐに反論した。
「村がいくつも消えているのですよ、陛下。
星の智慧派の儀式で亜人が暴れ、
民は“夜に星を見たら死ぬ”と怯えている。
それを見過ごせと?」
ザナックは机に肘を置き、
報告書の一節を指で叩いた。
「“外なる神は目的を持たぬ。干渉は感染を招く。”
――ぐりもあ嬢の言葉だ。
あの女は、あの骸骨陛下の傍にいて狂わずに帰ってきた唯一の者。
信用に値する。」
「魔導国の理屈を信じるの?」
カルカの声には皮肉が混じっていた。
「信じはせん。ただ――選択肢がない。」
ザナックは椅子の背にもたれ、
窓の外の灰色の空を見上げた。
「星を見上げるほど、あれに“気づかれる”のだろう。
ならば、見ないふりをするしかない。」
「ふり、ですか。」
カルカはゆっくりと歩き、夫の隣に立つ。
その声は静かだが、芯に冷たい怒りがあった。
「見ぬふりをしている間に、民が死ぬのを見過ごせと?」
ザナックは彼女の横顔を見た。
目の奥に、燃えるような意志がある。
王妃というより、戦場に立つ女の眼。
「……お前は、強いな。」
「私が強くなったのは、あなたが弱音を吐けないからです。」
カルカは微笑んだ。
「けれど、私は民を守りたい。
魔導国が“沈黙せよ”と言っても、
私は祈ります――神でも、星でもない“人のために”。」
その言葉に、ザナックは短く笑った。
「祈ることは感染にならんだろう。」
「なら、祈ります。星にではなく、あなたに。」
彼は少しだけ目を細めた。
「……王妃が王を励ますとは、面白い国だな。」
「リ・エスティーゼはあなたの国です。
なら、滅ぶ時もあなたと共に滅びます。」
風が吹き抜け、窓の外で旗がはためいた。
遠くの空に、白く光る星がひとつ、昼間でも消えずに残っている。
ザナックはその光を一瞥し、
静かに報告書を蝋封した。
「――“放置”だ。
魔導国の忠告に従う。
ただし、星がこちらを見てきたら……
そのときは、俺が見返してやる。」
カルカは黙って頷いた。
彼の横顔は、王というよりも、
荒野に立つ戦士のように静かだった。
/*/
その夜、王妃カルカはひとり、
寝所の窓を開け、天を見上げた。
星は静かに瞬き、まるで笑うように光っていた。
――見られた瞬間、運命は動き出す。
それでも、彼女は目を閉じなかった。
「……どうか、この国を守って。」
その祈りが風に乗り、
遠く魔導国の空へと消えていった。
/*/