オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ 辺境の村・灰の丘の夜明け /*/
夜が明けた。
焼け焦げた草原に、白い霧が漂っていた。
昨夜、オーガの群れが押し寄せた。
誰もが死を覚悟した。
だが、いま村には静寂が戻っていた。
霧の向こう――丘の上に、ひとつの巨影が立っている。
黒鉄の装甲、赤いセンサーの光。
《鉄の騎士》。
その足元には、砕け散った岩と、焼け焦げたオーガの残骸。
まるで“悪夢の残響”が、そこに封じ込められているようだった。
村人たちは、誰も近づけなかった。
畏怖と敬意が、言葉よりも早く胸に満ちる。
「……また、守ってくださった」
老人が、震える手で帽子を取る。
「鉄の方が……来てくださったんだ」
女が子を抱きしめ、涙を流す。
子どもたちは、泥に膝をついて、
無言のまま巨体を見上げていた。
――あの夜、確かに見たのだ。
暗闇の中を走る、金と黒の光。
地鳴りと共に現れた巨人が、炎の中を駆け抜ける姿を。
オーガの咆哮をかき消すように、
鉄の拳と閃光が夜空を裂いた。
「……神様なんかじゃない」
若い猟師が、静かに呟いた。
「でも、あの人は――きっと、“戦場に立つ祈り”なんだ」
誰もが知っている。
あの中に“人”がいることを。
名も知らぬ操縦士。
貴族でも、聖職者でもない。
ただ、辺境を守るために鉄の体を動かす、ひとりの男。
村の中央――倒壊した祠の跡に、
子どもたちが集まっていた。
その手には、小石や木の枝。
彼らはそれを積み上げ、小さな山を作る。
「これ、鉄の人のお墓?」
「違うよ。帰ってくるから」
子どもたちは口々に言った。
「帰ってくる時に、道に迷わないように」
「この石の上に光が落ちたら、きっとまた来てくれる」
それが――“鉄の祈り”と呼ばれるようになった始まりだった。
/*/ 帝都アーウィンタール・皇軍技術局庁舎 /*/
豪奢な天井、鏡のように磨かれた床。
その中央に立つ黒髪の男――ベベネ・バイセンは、
場違いなほど無骨な姿だった。
焦げ跡の残る操縦服。
破れを縫った袖。
胸に勲章はない。
だが、その背筋はまっすぐだった。
正面の玉座めいた椅子には、
皇軍技術局の最高評議官が座していた。
銀の装飾に囲まれたその机の上には、一枚の勲記。
「帝国特別従軍士官 ベベネ・バイセン殿
貴殿の献身と戦功を称え、帝国黄金鷹勲章を授与する」
読み上げる声が響く。
部屋の隅に立つ将校たちは拍手をした。
だが、ベベネは動かなかった。
「……ありがたい話です」
静かな声だった。
評議官が笑みを浮かべる。
「謙虚でよろしい。
貴殿のような者が、平民の出でありながらここまで登りつめるとは。
まさに帝国の誇りだ」
ベベネはゆっくりと頭を下げた。
「ですが――その誇りを、俺は貴族の間じゃなく、
あの“村の泥の上”で持ちたいと思っています」
室内の空気が凍る。
評議官が眉をひそめた。
「……どういう意味だ?」
ベベネは目を上げた。
瞳には、曇りも迷いもなかった。
「俺が守ったのは、帝国じゃねぇ。
あの村だ。あの子どもたちだ。
勲章なんざ、あいつらの笑顔より軽い」
将校のひとりが声を荒げた。
「無礼だぞ、バイセン! 陛下の恩賞だ!」
「恩賞……?」
ベベネは小さく笑った。
「なら、あの辺境の連中にも恩をやってくれ。
寒さと飢えと獣に囲まれながら、
俺の代わりに畑を守ってる“帝国民”にもな」
沈黙。
評議官が椅子を鳴らして立ち上がる。
「……貴殿の忠誠心は理解した。
だが、帝国の顔として――」
「俺は顔になんかならねぇよ」
ベベネが遮った。
その声には、怒りではなく確信があった。
「俺は“鉄の騎士”の操縦士だ。
誰かに見せるために戦ってるわけじゃねぇ。
守るために戦うんだ」
室内の視線が一斉に彼に集まる。
誰も言い返せなかった。
その静けさの中、ベベネは勲章の入った箱を手に取り、
そっと机の上に置いた。
「……これは、預けときます」
「なぜだ?」
「まだ、村の方が呼んでるんでね」
ベベネは踵を返し、
音も立てずに部屋を後にした。
扉が閉じた瞬間、
評議官が小さく息を吐く。
「……野蛮だが、まっすぐな男だ」
将校が肩をすくめる。
「英雄なんてのは、そういうもんでしょう」
/*/ 帝国中央工廠・格納庫第4ドック /*/
油と魔力の匂いが混ざる、夜の工廠。
整備員の足音が途絶えた後も、
格納庫の奥では、ひとつの機体が低く唸っていた。
《鉄の騎士・改》。
まるで、眠りながら呼吸をしているかのように、
胸部の魔導炉が、一定のリズムで脈動している。
電源は落とされている。
それでも――微かな熱が絶えない。
「……やっぱり、勝手に動いてやがる」
ベベネ・バイセンが苦笑した。
整備員が困惑顔で報告する。
「魔導炉は停止状態のままです。
けれど内部の魔力線が、まるで“脳波”みたいに反応してるんですよ」
そのとき、背後のドックの扉が開いた。
「――へぇ、面白い玩具を動かしてるじゃないか」
低く落ち着いた声。
金属音のような足取り。
振り返ると、青と白の毛並みをなびかせ、漆黒の外套を羽織った人狼が立っていた。
ジョン。
帝国でも名の知られた“魔導技術の亡霊”。
魔導国から派遣された特任顧問。
その眼差しは、まるで精密機器のように冷静だった。
「アンタが……あのジョンか」
ベベネが眉を上げた。
「こんな夜更けにわざわざ何の用だ」
ジョンは軽く顎を上げ、
《鉄の騎士》を見上げる。
「こいつが勝手に再起動したって報告が上がってな。
興味があって来てみたんだ」
そう言って、彼は手をかざす。
魔力が微かに流れ、
機体の胸部がかすかに震えた。
「……これは」
ジョンの瞳が、わずかに光を帯びる。
「自律系が……育ってる?
この反応、単なる制御補助じゃない。
……“学習”してるな」
ベベネが半信半疑で肩をすくめた。
「学習? まさか。こいつはただの鉄だ」
「いや、違う。
おそらく、お前の操縦データが……無意識に転写されたんだ。
人間の意識の残滓が、魔導炉の中で模倣を始めてる。
まるで“魂のコピー”だ」
ジョンは手を引き、軽く笑った。
「面白い操縦士だな、お前。
普通はこんな現象、起こりゃしない」
ベベネは少し黙り、そして小さく笑う。
「……つまり、俺の相棒が“俺の真似”してるってわけか。
そりゃ嬉しい話だな」
「まあ、そう思っておけ」
ジョンが小さく肩をすくめる。
「ただし、気を抜くな。こういう自律進化は、
時に“持ち主を守る”方向にも、“支配する”方向にも転ぶ」
「支配……? はっ。俺の方が先にくたばるだろうよ」
ベベネは笑い飛ばした。
ジョンも口元だけで笑う。
「気に入った。お前みたいなやつには、こいつをやる」
彼が背負っていた黒いケースを開くと、
内部に収まっていたのは、
巨大な多連装ランチャー――
六連発〈火球〉発射砲だった。
「……なんだ、これ」
「試作品だ。
〈火球〉を六発同時、もしくは単発で撃てる。
威力は一発でトロールを焼けるレベルだ。
ただし――」
ジョンが指を一本立てる。
「再装填に二時間。
全弾撃ち尽くしたら十二時間のリチャージ。
だから、撃つときは“決める”覚悟でいけ」
ベベネの口元がにやりと歪む。
「……おいおい、それじゃ一発の重みが桁違いだな。
いいねぇ、気に入った」
「そいつはバックパックマウント式だ。
お前の機体に合わせてある」
ジョンが指先を鳴らすと、
整備ドローンが動き出し、
《鉄の騎士》の背部に黒金の砲座を取り付け始めた。
魔導符が展開し、金属が嵌合する。
機体の背に、まるで竜の翼のような砲筒群が現れる。
「……これが、俺の新しい相棒の牙か」
ベベネが呟く。
ジョンは背を向けながら答えた。
「お前の“魂”が宿ってる限り、
こいつは何度でも立ち上がる。
だから、壊すなら――その意志で壊せ」
ベベネが静かに頷く。
「言われなくても、そうしてきたさ」
「ならいい」
ジョンは歩き出し、格納庫の出口で振り返る。
「辺境の鉄の騎士。
次は、“お前たち二人”がどこまで進化するか、見せてもらう」
そのまま去っていく黒衣の背中を見送りながら、
ベベネは操縦席に乗り込んだ。
背後で新しい魔導砲がわずかに震える。
それはまるで、呼吸を始めたかのようだった。
「……聞こえるか、相棒。
また一緒に、地獄を見に行こうぜ」
赤いセンサーが一度、強く光った。
それは――確かに、応答のように見えた。
/*/ 辺境北西戦線・黒沼地帯 /*/
濃い霧の漂う沼地が、夜の静寂に沈んでいた。
月も雲に隠れ、音のない闇が広がる。
その闇の奥から――鈍い、湿った音がした。
“ドム……ドム……ドム……”
大地が揺れる。
泥を掻き分けるように、巨体が群れを成して進む。
――トロール。
十体、二十体、いや、それ以上。
皮膚は石のように硬く、
焼いても斬っても再生する、悪夢の巨人。
辺境の集落は、すでに三つが壊滅していた。
人々が逃げ込む先、最後の防衛線に――
《鉄の騎士・改》が立っていた。
霧を割るように浮かび上がる黒鉄の輪郭。
背中の六連装砲が、赤く点滅している。
コクピットの中で、ベベネ・バイセンは静かに息を吐いた。
「……まるで地獄だな」
通信が入る。
「こちら監視所! 敵集団、三時方向に三十! 六時方向にも新手を確認!」
「了解。火線を開く」
魔導炉が唸りを上げ、
背部の六連砲に魔力が集中する。
ルーンの光が砲身を走り、
高熱と火焔の匂いが機体を包んだ。
「〈六連火球ランチャー〉――起動」
霧の中、赤い光点が並ぶ。
照準が敵群を捕捉した。
「行くぞ……」
操縦桿を押し込み、引き金を引く。
――咆哮のような発射音。
六つの火球が空を切り裂き、
沼地全体が昼のように照らされた。
爆風が霧を吹き飛ばし、
泥と肉片が雨のように降り注ぐ。
「命中、全弾!」
「敵群壊滅! 反応多数消失!」
通信の声が興奮気味に響く。
だが、ベベネは油断しなかった。
「まだ、動いてる」
爆煙の向こう。
炎の中から、焼け爛れたトロールがよろめきながら立ち上がる。
皮膚の下で再生の光が走り、肉が戻る。
「再生速度が早ぇな……なら、焼き切るまでだ」
ベベネはスラスターを吹かし、突撃。
鉄の騎士が泥を踏み砕きながら前進する。
左腕の盾が展開、内蔵されたパイルバンカーが起動。
「パイル、装填――発射!」
ズガンッ!
杭が閃光を纏って突き出され、トロールの胸を貫く。
続けて右手の剣が火を吹いた。
魔導線が光を放ち、炎の刃がトロールの首を断つ。
「一体、二体、三体……!」
爆風と咆哮の中を、黒鉄の巨体が駆け抜ける。
トロールが腕を振るうたびに、
泥と血が飛び、鉄と肉がぶつかる音が夜を裂いた。
背後で自動音声が鳴る。
〈ランチャー再装填まで1時間58分〉
「……おい、まだ十体いるんだぞ」
ベベネが苦笑し、汗を拭った。
「相棒、もう一回だけ頑張ってくれ」
その瞬間、機体のセンサーが微かに点滅した。
――応えるように。
ベベネが操縦桿を押し込み、機体をスピンさせる。
火花と煙の中を駆け抜け、
炎の残光を背に、剣で一体を切り裂く。
「こっちはまだ――!」
右肩の煙幕弾を撃ち出す。
白煙が広がり、視界を遮断。
赤外線センサーで敵影を補足。
「……逃げ場はねぇぞ」
ベベネは声を低く呟き、
機体を沈み込ませる。
次の瞬間、鉄の騎士が跳んだ。
スラスターの炎が地を焦がす。
上空から剣を振り下ろし、
再生しかけたトロールの群れを――まとめて焼き裂いた。
爆風が丘を呑み、泥が吹き飛ぶ。
炎が夜空を染め、
遠くの村からもその光が見えた。
戦闘終了報告:
敵性反応、全滅。
周辺被害:中。
環境被害:焼損域半径300m。
機体損傷率:64%。
乗員:軽度熱傷。
夜が明ける頃、ベベネはコクピットで息を吐いた。
「……ふぅ。こいつ、本気で焼けるな。
ジョンの言う通りだ」
通信が入る。
「司令より伝達。――“よくやった”とのことです」
「司令なんざ知らねぇよ。
あの村が無事なら、それで十分だ」
ベベネは笑い、スラスターを静かに切る。
炎の余熱がまだ漂う中、
機体のセンサーがわずかに点滅した。
まるで、“戦えたことが誇らしい”とでも言うように。
ベベネはその光に微笑んだ。
「お前も誇っていいさ、相棒。
……今日も、誰も死ななかった」
/*/
遠く、灰の丘の村では、
子どもたちが夜明けの空を指さして言った。
「鉄の人、また燃えてた!」
「きっと悪いものをやっつけたんだ!」
村の老婆は、祈りを捧げながら静かに呟いた。
「――ありがとう、“鉄の守護者”よ」
その祈りが風に乗り、
焼け跡の上空を漂って消えていった。
だが、誰も見ていない空の彼方で、
赤い光が一度だけ、確かに瞬いた。
それは応答。
“まだ、生きている”という証だった。
/*/