オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~   作:ぶーく・ぶくぶく

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第221話:死を撒く剣団1

 

 

/*/

 

 

ジョンが酒杯を軽く鳴らすようにテーブルに肘をついた。酒場の薄暗がりが二人の顔を半ば隠し、外の冷たい風が扉の隙間から吹き込んで蝋燭の炎を揺らした。

 

「なあ、ブレイン。死を撒く剣団って、お前以外みんな死んでるよな」

 

ブレインは黙ってジョンを見返し、短く答えた。「シャルティア様に皆殺しにされたから、そうだが?」

 

ジョンは肩越しに薄く笑いながら続けた。「最近、それを名乗る一団が活動していてな」

 

「活動?」ブレインの声に細い興味が混じる。

 

「正しく野盗……と言うよりは殺戮団だな。逃げ出した奴らによると皆殺しらしいんだが……殺された奴が死を撒く剣団に加わってるって言うんだよな」

 

ブレインの表情は瞬間だけ硬直した。彼は何かを呑み込み、静かに煙草の灰をテーブルの縁に落とした。酒場のざわめきが、いつのまにか遠くに引けていくように感じられる。

 

「……死人が加わる、とな。噂なら幾らでもあるが、証言の品位はどうだ?」

 

ジョンは眉間に寄せた皺を伸ばして、低く説明を始める。逃げ延びた村人の言葉、交易隊の護衛が残した断片、夜に残されていた血の跡。だがそれらを繋ぎ合わせると、ただの野盗の所業とは思えない奇妙な線が浮かび上がる。

 

「血は途中で途切れている。遺体はその場に無い。代わりに『死を撒く剣団』を名乗る連中が現れて、残された生者を切り刻んで行く。しかも――その剣筋が、まるで訓練された一隊のものなんだ」

 

ブレインは静かに鼻の下を伸ばした。昔日の嗜好が顔に一瞬現れる。彼の目は、かつて仲間と交わした剣の刃筋を思い出すかのように冷たく光った。

 

「蘇生か操りか、あるいは面白くもない詐術だ。だが、俺の知る限りシャルティア様が灰にした奴らは再利用できる状態じゃなかった。骨も残らぬほどだ。だとしたら、誰かが死人の顔や名前まで真似ているということか」

 

ジョンはゆっくり頷き、息を吐いた。「逃げた商人の報告では、叫び声の中で名前を呼ばれたという。『ブレインは裏切った』――奴らはお前の仲間の名を挙げて、恐怖を煽っていたそうだ。ライオネル、グラート、オルティア……全部、あの夜に斃れた連中だ」

 

ブレインの拳が小さく震えた。しかしすぐにそれを抑え、薄笑いを浮かべる。「名前を騙るなら手が早すぎる。顔まで模する程度の技量があるやつらだとしたら、単なる野盗ではない。だが、ナザリックの名を穢す輩なら……刃で黙らせてやるまでだ」

 

ジョンはそれに応え、計画を組み立てる声を低くした。「二手で行こう。俺が表で囮をやる。噂を追う者たちは、面白がって近づいてくる。お前は影を遣って情報を刈り取れ。夜の内に動くなら、夜の内に反撃する。だが術者を見つけなきゃ意味がない。背後にいる奴を叩けば、幻も割れるはずだ」

 

ブレインは腰に手をやり、刃の冷たさを確かめるように指先で鞘を叩いた。「了解だ。俺は足で稼ぐ。証言の矛盾、道具の痕跡、呪文の残滓――そこを洗えば、偽物か本物か判る。もし本物の死霊使いが絡んでいるなら、俺はそれを許さない」

 

酒場の外では夜が深まり、遠くの林からは不協和な夜鳥の声が聴こえる。二人は無言で向かい合い、互いの決意を確かめるように短く頷いた。

 

「行くぞ、ブレイン」ジョンの声はいつもより冷たく、しかし確かな温度を含んでいた。

 

「行こう。だが覚えておけ、ジョン。もしあの名が本当に取り戻されているなら――俺の剣は、かつての仲間をも斬り捨てられる覚悟であると」

 

夜風が二人の頬を撫で、星の薄い光が遠く海の上に散らばる。死の噂はただの風か、嵐の前触れか。答えは、明け方の血の跡が示すだろう。

 

 

/*/ エ・ランテル旧市街 夜更け /*/

 

 

濃霧が路地裏の石畳を飲み込み、灯の消えた街は静寂に沈んでいた。

夜風が吹くたび、遠くの廃屋で板が軋む。

ブレインはフードを深くかぶり、酒臭い裏通りを歩いていた。かつて冒険者が巣食った歓楽街も、今では情報屋と死人の噂しか残っていない。

 

古びた看板に灯る明かりの下で、ブレインは立ち止まった。

「夜鴉亭」。表向きは酒場だが、裏では死者の名簿と禁呪の噂が飛び交う場所だ。

 

扉を開けると、酒と鉄の臭いが鼻を突いた。

カウンターの奥、薄汚れたローブをまとった老人がにやりと笑う。

 

「珍しいな、あんたが来るとは。……剣士さん、今夜は死人の話か?」

 

ブレインは金貨を一枚、無造作に放った。

「最近、“死を撒く剣団”を名乗る連中がいる。詳細を話せ。流れている情報、全部だ」

 

老人は金貨を掌で転がしながら、目だけがぎょろりと動いた。

「おかしなもんでね。誰も見たはずのない連中の“剣筋”を語る奴がいる。皆、同じことを言うんだ。『揃っていた』『統制があった』……まるで、一つの体で動いているようだったと」

 

「……統制、か」

 

「しかもな、死体が残らねぇ。血の跡だけが途中で消える。まるで吸い上げられたみたいに。刺された奴は、次に見たときには“仲間”の列に加わってたって話だ」

 

ブレインの眉がわずかに動く。

「誰が率いてる?」

 

「わからん。ただ、ある共通点がある。刺された者の体に“棘”の痕が残るんだ。黒ずんだ跡が皮膚の下に広がって、まるで……葉の筋みたいに見えるって」

 

酒場の奥のランプが、風もないのにゆらりと揺れた。

ブレインは視線をそちらに向ける。

誰もいない──はずの場所から、微かに金属が擦れる音がした。

 

「……続けろ」

 

老人は声を潜めた。「その棘を持つ者たちは、夜だけ動く。朝には影も形もねぇ。おそらく“何か”が夜を媒介にしてるんだ。呪術か、それとも……別の存在か」

 

「存在?」

 

「言葉にするな。名を呼ぶと、耳を持つらしい」

 

老人の声が震えた。

ブレインはそれ以上問わず、金貨をもう一枚置いて立ち上がった。

外に出ると霧はさらに濃く、通りの灯りがほとんど見えなかった。

 

足元に、何かが落ちていた。

拾い上げると、それは細く黒ずんだ棘。触れた瞬間、皮膚の下を何かが這うような感覚が走った。

 

ブレインは一瞬だけ眉をひそめ、棘を指で折った。

「……気のせい、か」

 

だが、折った棘の破片から滲み出た黒い液が、石畳に落ちて消えた。

その瞬間、遠くの霧の奥で――誰かが、同じ剣筋で構える音がした。

 

ブレインは刀の柄に手をかけ、息を潜めた。

影の中に、もう一人の“自分”が立っている気配。

そして、夜の向こうで囁く声が、まるで血の中を這うように届いた。

 

「……ブレイン。待っていたぞ」

 

 

/*/ エ・ランテル郊外・旧街道跡 深夜 /*/

 

 

冷たい夜霧が地面を這っていた。

月は雲に隠れ、星のひとつも見えない。

ブレインは、風の向きと土の匂いを確かめるように立ち止まった。

人の気配は無い。だが、剣士の勘が――誰かの“呼吸”を確かに感じ取っていた。

 

「……隠れる気もねぇのか」

 

闇の中、霧を裂くようにひとつの影が現れた。

輪郭は人間。だが、肌は土気色にくすみ、血管の代わりに淡く光る線が葉脈のように走っている。

その目は濁ったはずの死者の瞳とは違い、月光を呑むように鈍く輝いていた。

 

「……“死を撒く剣団”か」

 

ブレインが呟くと、影の剣士はわずかに首を傾げ――そして、構えた。

それはブレインがかつて仲間と磨き上げた剣の型だった。

足の運び、重心、呼吸。すべてが“彼自身”のもの。

まるで鏡の前に立つような錯覚を覚えた。

 

刃が交わる。

 

金属が火花を散らす音が、霧の夜に異様なほど鮮明に響いた。

一撃、二撃、三撃――。

どちらも一歩も引かない。剣筋が完全に重なり合う。

攻撃も防御も、呼吸の乱れまでが一致していた。

 

「……なるほど。『模倣』じゃねぇ。――“共有”か」

 

ブレインは刃を跳ね上げ、距離を取る。

影の剣士は無言のまま、切り口から滲む黒い液体を垂らしていた。

それは血ではない。闇よりも濃い何かが、土に落ちた瞬間に煙を上げて消えた。

 

「お前、誰に繋がってる……?」

 

影は答えない。代わりにその喉奥から、低いざらついた声が漏れた。

それは、ひとつの声ではなかった。

数え切れない囁きが幾層にも重なって、耳の奥に直接響いてくる。

 

「……ブレイン……裏切り者……皆……待っている……」

 

背筋を走る冷気。

言葉ではなく、思念が脳髄を撫でていく。

ブレインは歯を食いしばり、呼吸を整える。

 

「――違う。仲間は死んだ。名を騙るなら、せめて覚悟を見せろ」

 

次の瞬間、踏み込み。

剣閃が闇を裂く。影の剣士も同じ瞬間に動き――ふたりの刃が空間で交錯した。

衝撃が走り、ブレインの頬に細い傷が走る。だが、影の首も斜めに裂けた。

 

黒い液が飛び散る。

それは霧に溶けるように散り、風に触れると消えていった。

倒れた影の体がひと呼吸の間、苦悶のように震え――やがて静かに崩れた。

 

残ったのは、細い黒い棘。

それが心臓の位置に突き刺さっていた。

 

ブレインは無言でそれを抜き取る。

指先に走る微かな熱と脈動――まるで生き物のように、棘が“動いた”。

 

「……本当に死者じゃないな。これは……何の仕業だ」

 

その瞬間、周囲の霧がざわめいた。

倒れたはずの影の口が、音もなく開く。

そこから、あのざらついた声がもう一度漏れた。

 

「――見つけた……次は……お前だ……」

 

ブレインの背後、霧の奥。

十、二十――否、それ以上の気配が立ち上がる。

全員が、同じ構えで剣を抜いた。

 

彼は微かに笑い、刀を握り直した。

 

「……なるほど。相手に不足はねぇ。だが、答えを聞くまで斬り続けるだけだ」

 

霧が裂け、夜が吠えた。

ブレインの刃が閃光のように走り、死者とも人ともつかぬ影たちの群れが一斉に躍りかかった。

 

――その夜、旧街道一帯を包む霧は夜明けまで晴れることはなかった。

翌朝、風が吹き抜けた時、残されていたのは一本の棘と、深く斬り裂かれた大地だけだった。

 

 

/*/ エ・ランテル郊外・旧街道跡 夜半より夜明けまで /*/

 

 

霧の中に、刃の音が絶え間なく響いていた。

鋼と鋼が噛み合い、飛び散る火花が一瞬だけ闇を照らすたび、影が幾つも弾ける。

 

ブレインの動きは研ぎ澄まされ、呼吸は無音。

敵の刃が、彼の剣筋をなぞるように迫る。

同じ型、同じ速さ、同じ角度――まるで“自分”が増殖しているようだった。

 

「お前ら……どこまで俺を真似る気だ」

 

一歩踏み込み、逆袈裟。

一体の腕が飛び、もう一体の胴が輪切りに裂かれる。

首が跳ね、足が転がり、肉が裂ける。

だが――倒れたはずの影たちは、崩れ落ちない。

 

黒い液体が、切断面から吹き出した。

それは血ではなく、墨のような粘液。

地に落ちたそれが泡立ち、やがて細い筋を伸ばす。

まるで生き物が新たな体を編むように、切り離された肉同士が“葉脈”のような黒い線で繋がっていく。

 

「……馬鹿な」

 

腕を失った影が、別の影の足を引きずり寄せ――音もなく融合する。

肩から腹にかけて縫い合わされたような継ぎ目が走り、裂けた口から低い声が漏れる。

 

「ブレイン……まだ……足りない……」

 

ブレインは歯を食いしばり、構えを低くした。

「人間でも、ゾンビでもねぇ……何だお前らは」

 

次の瞬間、群れが一斉に動いた。

不揃いな肢体のはずなのに、その剣筋だけは寸分違わず揃っている。

彼の記憶にある――死を撒く剣団の、かつての統率そのもの。

 

霧が血と鉄の匂いに染まり、時間の感覚が失われていく。

夜が深まり、空が白み始めても、彼の足元には無数の残骸が散らばっていた。

 

腕だけの者が這い、胴を失った者が立ち上がる。

頭を斬られても動き続け、裂けた口から黒い液が吹き出す。

それが地面に落ち、他の傷口へと伸び、瞬く間に“再結合”する。

 

ブレインはその異様な光景の中で、ただひたすらに斬り続けた。

無我ではない。

恐怖でもない。

――“理解”しようとする執念だけが、剣を動かしていた。

 

「斬っても、戻る……つまりお前らの核は、肉じゃない。どこか別のところに“繋がってる”」

 

彼の声が霧に溶ける。

その瞬間、影たちの動きがぴたりと止まった。

 

次いで――全員が一斉に仰け反るように叫び、黒い液体を噴き出した。

その液は地面に広がり、やがてゆっくりと吸い込まれるように消えていく。

残された肉体は、形を保てず崩れ、黒い葉脈を残して溶けた。

 

夜明け。

霧が晴れ、薄い朝日が街道に差し込む頃、ブレインは剣を地に突き立てて息を整えた。

倒れた者たちの姿はもうない。

血も、肉も、消えている。

 

ただ――地面に、一本の黒い棘だけが残されていた。

それは小指ほどの長さで、まるで金属と骨を掛け合わせたような質感をしていた。

先端から、まだかすかに黒い液が滴っている。

 

ブレインは慎重にそれを拾い上げた。

その瞬間、空気が歪む。

遠くで、誰かが囁く声が確かに聞こえた。

 

「……夜明けは終わりじゃない……また夜が来る……」

 

ブレインは棘を握りしめ、静かに呟いた。

 

「夜が来るなら、また斬るだけだ」

 

朝霧の向こう、陽光の届かぬ森の奥で、かすかに影が揺れた。

それは、まるで“観察者”のように彼を見つめていた。

 

――その存在が、まだ終わりを告げていないことを知らせるように。

 

 

/*/ ナザリック地下大墳墓 第9階層・モモンガの執務室 /*/

 

 

静寂を切り裂くように、報告書を置く音が響いた。

重厚な机の上に並ぶ資料は、黒と赤のインクで染まっている。

その中央には、崩壊したデスナイトの記録――そして、拾い上げられた一本の黒い棘。

 

ジョンが腕を組み、資料を睨んだ。

「……死を撒く剣団にデスナイトが破壊された。普通なら有り得ねぇ。押さえつけられた上で、頭部を粉砕されたらしい」

 

モモンガは椅子に深く腰を沈めたまま、指骨を組み合わせて静かに答える。

「デスナイトの筋力は、熟練のオリハルコン級冒険者数人分に匹敵します。それを“押さえ込む”とは……同時に行動していた五体、という点が引っかかりますね」

 

ぐりもあが報告書を覗き込みながら、首を傾げた。

「しかも、デスナイトに殺された者たちがゾンビ化していないのですよね? 正確には“支配下に入っているのに、別の指令で動いている”。……通常なら支配権の衝突で崩壊するはずなのに」

 

「それが異常なんだよ」ジョンが低く言う。

「デスナイトの支配波は生前の意思を完全に消す。なのに、あいつらは命令を無視して別の行動をしていた。……つまり、“上書き”されてたってことだ」

 

モモンガの目の光が細く強まった。

「支配の上書き……理論上は可能ですが、私と同格か、それ以上のアンデッド操作能力を持つ者でなければ成立しない。しかもデスナイトの支配は〈統制の核〉に直結している。単純な命令干渉では崩せません」

 

ぐりもあが淡々と補足した。

「一つ、考えられるとすれば――支配の対象そのものが“二重構造”になっている場合です。

 デスナイトの支配で肉体はアンデッドとして活動しつつ、肉体の“内部”に別の信号経路が通っている。たとえば……外部の意思に共鳴する“導管”のような」

 

ジョンは机の棘に視線を落とした。

黒く細いその棘は、微かに脈動しているように見えた。

 

「つまり、あの棘か」

 

ぐりもあが頷く。

「はい。観察したところ、生体構造とは異質な魔力の流れがあります。普通の呪詛物ではなく、魔力そのものを“生命信号”として転写している……生きている器官の一部のような反応です」

 

「寄生……いや、支配の“媒介体”か」

モモンガが思考の海に沈むように呟く。

「だとすれば、デスナイトが破壊されたのも説明がつきます。彼らは力で押さえつけたのではなく、“支配経路”を奪ったのです。五体がかりで接触し、同時に命令信号を上書きすれば……一時的にでもデスナイトの制御を奪える」

 

ジョンが目を細める。

「まるで、デスナイトのコードをハッキングされたみてぇな話だな。

 ……となると問題は、誰がそんな芸当をやってのけたか、だ」

 

ぐりもあは小さく笑い、震える声で言った。

「解析した魔力残滓からは、既知の神官系・死霊術系統とは異なる反応が出ています。

 “根”のように広がる……まるで、魔力が地中を這ってるみたいな感触でした」

 

モモンガが顎に手を当てた。

「根、ですか。……つまり、連鎖的支配。肉体という個を捨て、全体で一つの意識体を構成している可能性がある」

 

「ならば、あの団体はすでに“個”ではなく、“群体”だな」ジョンの声が低く沈む。

「一体倒しても、他が情報を共有している。だからデスナイトの剣筋にも対応できた。五体同時の協調攻撃なんて、人間の域じゃねぇ」

 

ぐりもあが棘の脈動を記録していた水晶を持ち上げた。

「まだ活動しています。――これは呼吸ではなく、“通信”です。どこかに、本体か、発信源がある」

 

静寂が満ちた。

モモンガの瞳光が、赤く強く瞬いた。

 

「……ジョン。次に接触があった場合、捕獲を優先しなさい。殺すのではなく、生かしたまま回収を」

 

「了解だ。だが相手は、俺が斬っても動いてやがる。拘束が難しいぞ」

 

モモンガは微かに笑った。

「問題ありません。――“動く死体”なら、こちらの得意分野ですから」

 

ぐりもあが、緊張と好奇心を隠せぬ声で囁いた。

「これは、もしかすると“死”そのものの構造を掘り崩している存在かもしれませんね。人の肉体と魂の間に、もう一つの“層”を差し込むような……」

 

ジョンは無言で棘を見つめ、ぽつりと呟いた。

「……死んだ奴らを道具みたいに使う連中には慣れてるつもりだったが、

 こうも“生きてるような死”を見せられると……気持ち悪ぃな」

 

モモンガは静かに頷いた。

「同感です。……だが同時に、極めて興味深い」

 

外の空気がわずかに震えた。

第九階層の静寂に、黒い棘が脈打つ音だけが、心臓の鼓動のように残っていた。

 

 

/*/ ナザリック地下大墳墓 第9階層・モモンガの執務室 /*/

 

 

机の上に置かれた黒い棘は、まるでまだ“呼吸”しているかのようにわずかに脈動していた。

その異様な光景に、ぐりもあの赤い瞳が釘付けになる。

 

モモンガが静かに問いかけた。

「どうだ、ぐりもあ。何か分かるか?」

 

「……少々、お待ちください」

ぐりもあは棘に手をかざし、魔力分析用の水晶を浮かべる。

紫の光が部屋に広がり、空気が一瞬、凍り付いたように張り詰めた。

 

ジョンが眉をひそめる。「なんだ、急に温度が下がったな」

 

「……っ!?」

ぐりもあの瞳孔が開く。

水晶の中で、黒い触手のような紋様が蠢いた。

そして、彼女は息を呑み――次の瞬間、興奮で震える声を上げた。

 

「こ、これは……! まさか、グラ―キの棘! 旧支配者の遺物です!!」

 

部屋の空気が一気に変わる。

モモンガの背後で、燭台の炎がゆらりと揺れた。

ジョンがすぐに腰の武器に手をかける。

 

「おい、待て。グラ―キって……あの、外なる神格の?」

 

ぐりもあはほとんど狂喜に近い笑みで頷いた。

「そうです! 水面下の星の囁き、眠りながら世界を“観察する”存在!

 伝承では、“棘”を通じて生者を観測し、魂を根のように吸い上げて群体を作る――」

 

モモンガの赤い瞳光が冷たく細まった。

「……つまり、これは旧支配者級の存在が直接干渉している可能性があるということですね」

 

「はい! 見てください、この魔力の脈動――死霊でも魔導でもありません。

 これは、星の向こうから届く“夢の信号”! 今もどこかで、この棘を通して何者かがこちらを“見ている”!」

 

ジョンは無言で机を叩いた。

「それで、そんな化け物の棘を触って平気なのか?」

 

ぐりもあは嬉々として棘を掴み上げる。

「ふふ、平気ですよ。いえ……むしろ素晴らしい。こんな純粋な外来魔力、見たことがない!

 グラ―キは接触によって“観測者”を増やす存在――棘で刺された者は、意識を共有して群れとなる。

 死を撒く剣団が統制された動きを見せた理由、これで説明がつきます!」

 

モモンガの声が低く響いた。

「……ぐりもあさん、離しなさい。その棘は危険です」

 

「けど、モモンガさん!」

彼女は恍惚の表情で棘を掲げた。

「これほど美しい――これほど完全な構造体が他にありますか? 魔力も物質も、どちらにも属していない! これは“存在”そのものの枝……旧支配者が地上に残した触媒です!」

 

ジョンが溜息をつく。

「おいおい、ぐりもあ。理屈はいいが、お前の目がやばいぞ。完全に宗教家の顔だ」

 

「宗教? 違いますよ、これは科学です! 進化の過程です!

 グラ―キは死を超えた存在。魂を個体から切り離し、世界そのものを“根”で繋ぐ。

 死を撒く剣団は、その延長――つまり、“観測された個体”なんです!」

 

「……つまり、あの連中は、奴の視界の一部、というわけか」ジョンの声が低く落ちる。

 

モモンガはしばし黙し、やがて低い声で命じた。

「ぐりもあさん、棘を隔離します。即刻、〈解析室〉の封印箱に。

 ジョンさんは現場に戻り、棘の痕跡をすべて回収してください。誰にも触れさせてはならない」

 

「了解。だが、もしこの棘がまだ“見てる”なら、もう俺たちは――」

 

「ええ、すでに観測されていますね」モモンガがゆっくり立ち上がる。

背後で、燭台の火が一斉に細く伸び、影が歪んだ。

まるで、この空間そのものを“覗いている目”があるかのように。

 

ぐりもあはなおも狂気じみた笑みを浮かべながら呟いた。

 

「――ああ……感じます。見られている。

 でも、怖くない。だって、彼らは死の向こうから見ている“観察者”なんです……」

 

ジョンは一歩引き、低く呟いた。

「……お前、本当に平気なのか? それ、もう“観測されてる”んじゃねぇのか」

 

モモンガの瞳光が微かに揺れた。

棘の表面が、脈打つように光った気がした。

 

そして――部屋の壁のどこかで、誰かが囁いたような音がした。

 

「――見ているぞ」

 

その瞬間、ぐりもあの笑みがぴたりと止まった。

部屋の空気が凍りつく。

モモンガの指先に、紅い光が集まる。

 

「……隔離を急げ」

 

そう言った声は、今や氷のように冷たかった。

 

 

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