オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
「それでは始めよう。裁きの時間だ」
その言葉と共に空高く跳躍した人狼を見上げた人々は、驚き、後悔。そして恐怖に彩られた。
完全な狼と変わった人狼のその姿。
それは、肩までの体高が100mを超える巨大さとなって神都を踏み躙り、夜空に浮かぶ月のような金色の眼が自分達を見下ろしていた。
「……お、おお」
それは誰の声だったろうか。見上げる者達は震える声で恐れを零し、竜すら超えるのではないかと思われる重圧に膝をつく。
月光を浴びて白銀に輝く巨大な狼は、その貌を高く上げ、中央神殿を見据えると大きく口を開き、吠えた。
「オオオァァァアアアアアアーーー!!」
雷鳴のように鳴り響くその咆哮。それはしばらく前にスレイン法国、王国、帝国に響き渡った謎の咆哮だった。
前回と違い十分に加減されたそれは神都の人々を気絶させず、夜の眠りより叩き起す。
ぽつぽつと神都に魔法の灯りが灯っていく様子を眺め、己の咆哮が十分に神都を叩き起した事を確認すると巨大な狼は口を再び口を開き、今度は神都全域へ、神都の誰かへ向けて語りかけ始めた。
「ニグン・グリッド・ルーイン、兵が哀れだ。――お前の成すべき事は我が
我が
……だが…。
我が
ニグン・グリッド・ルーイン。心せよ。これが我が盟主を拒絶したお前達人類への最後のチャンスだ。
心せよ。汝が成すべき事を成せ」
いつの間にか巨大な狼の頭の上に、豪奢なローブを纏った死の神が立っていた。
それに神都の住人のどれほどの数が気づいただろうか?
静かに優しげに語りかけていた巨大な狼、神獣の声は、そこで一転し、冬の嵐のように厳しく猛る声で怒りを解き放つ。
「そして、自らの
怒れる神獣の声に続き、静かな抑揚の無い声無き声。囁くように静かな神の声が神都全域に響き渡った。
「――最早、私には誰であろうと関係がない。私には人間であろうとなかろうと関係がない。飢えたゴブリンの子も、お前達も、皆同じだ――」
「――我等と共に往くか。彼等と共に死ぬか。静観は無いのだ、人の子よ――」
神獣と呼ぶしかない巨大狼。その頭部に立つ死の神が純白の小手に包まれた腕を一振りする。
それに合わせるように突如としてその死の神を中心に、10メートルにもなろうかという巨大なドーム状の魔法陣が展開された。
神獣の頭部がその範囲に囚われていることからすると、害をなすものではないようだが、そのあまりにも幻想的な光景は驚きの種だった。
魔法陣は蒼白い光を放つ、半透明の文字とも記号ともいえるようなものを浮かべている。それがめまぐるしく姿を変え、一瞬たりとも同じ文字を浮かべていない。
《……いないですね》
《そうですね。プレイヤーがいるかと思ったけど。課金アイテムはどうします?》
《勿体無いので普通に発動させます》
《あいあい》
そして、しばしの時を置き、死の神は超位魔法《イア・シュブニグラス/黒き豊穣への貢》を解き放った。
黒い何かが水の神殿から、中央神殿へ向けて吹き抜けた。吹き抜けたように神都の住人達は感じていた。
その何かが吹き抜けた神都の住人、その万を超える生命。
その命は全て――即座に奪われた。
老いも若きも、赤子も病人も、唯日々を生きる住民も、日々人類を思い活動する神官長達も、有象無象の区別無く。等しく生命を刈り取られた。
万を超える生命を刈り取られた神都へ、死の神の黒い小手に包まれた左手が伸ばされる。
「――起きろ、強欲。そしてその身に喰らうがいい――」
死の神の行動に答えるように、無数の青い透けるような光の塊が神都から尾を引きながら飛んで来る。
その小さな――握りこぶしより小さな光の塊は、死の神の黒い小手に吸い込まれるように消えて逝く。
月が照らす神都の上、万を超える光の玉が吸い込まれていく様は、まるで幻想の光景にも見えた。
ただ、その光景を見ているものからすれば、それはどのような光景に映るのか。
経験値を集めているなど分かりはしない。ならば、死の神が集めるものはただ1つ。
それは何か。
それは――魂。
今、目の前で慈悲も無く死んでいった法国の民達の魂を、死の神が刈り集めている。そうとしか見えない光景だった。
その無慈悲な光景に水の神殿に集う者達は膝をつき、神へ慈悲を乞う祈りを捧げている。
だが、神都の住人たちの生命を奪った黒い風は何処吹く風と天へ昇り、黒い球体となる。
黒い風は集い蠢き、世界を汚すようなおぞましい黒。深遠の球を生み出した。
それを目にした誰もが動きを止め、おぞましさ、恐ろしさに身を震わせながら、漆黒の球から目を離せない。
徐々に大きくなっていく球体は、まるで果実が実っていくような、生命あるもののような存在感、静止している躍動感があった。
やがて、聖なる中央神殿の上空に浮かぶ世界に拒絶されるような黒い球体は熟れた果実のように地に落ち、中央神殿の聖堂を崩壊させ、そこから光を反射しない真っ黒い樹が……いや、それは樹なんて可愛いらしいものでない。
1本の枝だったものは、数を増やしていく。2本、3本、5本、10本……それは、そこに生えたのは枝でも、樹でもない――無数の触手だ。
『メェェェェェエエエエエエエ!!』
突然、可愛らしい山羊の声が聞こえた。それも1つではない。何処にもいないはずの山羊が群れで姿を見せたようだった。
その声に引っ張られるような動きで、ぼこりと無数の触手が蠢き、巨大な中央神殿を押し崩しながら何かが姿を現す。
それはあまりにも異様過ぎて、異質過ぎたものだった。
小さくは無い。高さにして5メートルはあるだろうか。触手を入れると何メートルになるかはよくはわからない。
外見は蕪という野菜に似ている。葉の代わりにのたうつ黒い触手、太った根の部分は泡立つ肉塊、そしてその下には黒い蹄を生やした山羊のような足が5本ほど生えていた、が。
根の部分――太った泡立つ肉塊の部分に亀裂が入り、べろんと剥ける。それも複数箇所。そして――
『メェェェェェエエエエエエエ!!』
可愛らしい山羊の鳴き声が、その亀裂から漏れ出る。それは粘液をだらだらと垂らす口だった。
聖なる中央神殿に比べれば小さいそれは、けれど、中央神殿を汚しつくすような異質さを持って姿を現した。
「ま、魔樹の…竜…王?」
複雑に絡み合うおぞましき樹のような触手。植物のようにも見える黒く穢れた存在を彼ら、高位神官や聖典隊員達は自分達の知識に照らし合わせ、それが、それこそが未確認の強大な存在。アゼルリシア山脈に潜むのではと実しやかに囁かれていた魔樹の竜王なのではないかと思ってしまった。
これ以上も無く思ってしまったのだ。
600年の歴史を持つ神殿が、僅かに5mほどの黒い仔山羊1頭に歴史の全てを汚され、変質させられたようだった。
神都の誰もがガチガチと歯を鳴らしながら、その光景に震えている。
死の神、死の神、どうか我等を赦したもう。
そう赦しを乞い。願い。震えながら、神への祈りを捧げていた。
だが、神はこたえない。
絶対な死が人間の声に応える事がないように、神都の民の祈りにこたえる事はなく。
――帰ろう、友よ――
死の神は自らの騎獣となっている巨大な狼へ労わるように声をかけると、空へ巨大な黒い門を開くとその中へと跳び去っていった。
超位魔法《イア・シュブニグラス/黒き豊穣への貢》によって生じるモンスター、黒い仔山羊。
90Lvを超える耐久力特化のモンスターだが、果たして神都の戦力と何所まで戦えるのか、モモンガは興味があった。
しかし、これまでのパフォーマンスで心をへし折られた神都の住人達は――漆黒聖典ですら――中央神殿に立つ仔山羊に、モモンガ達が去ってからも挑む事は出来なかった。
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600年の歴史を持つスレイン法国神都。
20万近くの人口を誇る人類領域最大の都市は、死の神の腕の一振りで1万数千人の死者を出し、神官長会議のメンバーを含む法国上層部の生命も数多く失われた。
法国は最大戦力である六色聖典を中心にまとまり、建て直しを計っていく事になるが、その中心には新たに神官長となったニグン・グリッド・ルーインの姿があったと言う。
ここまでやっても、ジルクニフなら屈服せずに内心であれこれ考えくれてる気がする。
次回本編「第31話:雨、逃げ出した後」