オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~   作:ぶーく・ぶくぶく

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第63話:生肉は止めておけ

 

/*/  ナザリック地下大墳墓 第九層 食堂

 

ナザリック時間では既に夜も遅いが、食堂はシフト制で働く一般メイドたちで賑わっていた。

そのざわめきも今日はいつもと少し違う。

 

なぜなら、食堂中央付近の席に至高の御方々がいらっしゃるのだから。

 

「……皆、萎縮してません?」

「それもあるけど、俺たちの会話を聞こうとしてるんだよ」

 

社員食堂で社長が飲むとかパワハラじゃないかとモモンガは心配する。対してジョンは自分たちの会話を聞くのが一般メイドたち、シモベの娯楽になると言う。

この辺りの見解の違いは異形種となった身体の違いからくるのかもしれない。

個で完結する〈死の支配者(オーバーロード)〉と群れを率いる(事もある)〈人狼(ワーウルフ)〉の違いだろう。

 

これが人間の組織なら(空気読めよ。社長、他所に行って)となるだろうが、シモベたちが興味津々と至高の御方々の会話に耳をそばだててるのが、周囲を見回したモモンガにも分かった。

 

聞かれて困るような話も多分しないだろうし、まあ良いかとモモンガは諦める。

 

指に嵌めた〈自己変身の指輪(リング・オブ・ポリモルフセルフ)〉で〈死の支配者(オーバーロード)〉から人間に変身する。ついてきたアルベドの鼻息が荒くなった気がした。

 

「ところで何食べてるんです?」

「ハンバーグ定食クリームマスタードソース」

 

料理長に頼んだ料理が来るまでのつなぎに食べていたと言うジョン。

自分も何か頼んだ方が良いのだろうか、とモモンガが考えているうちに厨房から料理長がカートを押して出てくる。

 

「モモンガ様!ようこそこちらにおいでくださいました!」

「久しぶりだな、シホウツ・トキツよ。変わりが無いようで嬉しいぞ」

「ははぁ!」

 

週一で彼の料理を食べているが、実際に顔を合わせるのは転移してNPC全員と面会した時以来かもしれない。

 

「こちらが先日カルバイン様が仕留めましたラッパスレア山の三大支配者の一体。ポイニクス・ロードの刺身でございます」

「刺身?ポイニクス・ロードとは魚だったか?」

「いえ、鳥でございます」

 

鳥の刺身?とモモンガが疑問符を浮かべているとジョンが鳥刺しの説明をしてくれる。

 

「……なるほど、リアルでは食べられなかった料理か。ところで私は今50Lv相当なのだが、大丈夫か?」

「大丈夫だろ。ポイニクス・ロード自体そんなレベルじゃなかったし。あ、辛目の日本酒頼んでたけど、モモンガさんは焼酎の方が良かった?」

「ジョンさんと同じもので良いですよ」

 

料理長に綺麗に盛りつけられたポイニクス・ロードの刺身は赤身の魚にも見えた。

もも肉は皮付きで、赤身が多いのがすね肉、他に比べると色が薄いのがむね肉との説明だった。

 

甘めの醤油にショウガをつけて食べる。

 

ねっとりとした食感。余り食べた事もないが魚より粘りと旨味がある。

むね肉は柔らかく他の部位と比べるとあっさりめ、すね肉は肉々しい感じ、もも肉は皮の部分の旨味がとても濃くて堪らない。

 

そして、それを辛口の日本酒で流し込む。

 

口の中がすっきりとし、喉を流れていく感触も堪らない。

それだけではなく、獲物を摂って喰うと言う本能に訴えるものがあるのか、生肉を食べるのは味だけではない喜びがあるようにも感じた。

 

「ん、これは美味しいですね」

「食べる用に一寸養殖してみようかなぁ」

「フェニックス系の霊鳥ですからね。食用以外にも利用できるかもしれませんね」

 

二人は日本酒をちびちびやりながら、ポイニクス・ロードの刺身をつつく。

 

「アルベドもせっかく付いて来たんだから、お食べよ」

「はい……では、失礼して」

 

ジョンに勧められると箸を使い、綺麗な姿勢で食べるアルベド。それをじっと見つめるモモンガ。

 

「モモンガ様?」

「ああ、いや、アルベドも気に入るか気になって、な」

「はい。これは美味しいですね。生肉と言うのは食べた事がありませんが、火を通したものとはまた違った味わいですね」

 

二人の空気が出来上がりつつあるので、ジョンは身を引き、料理長が次の料理を持ってくるのを待つ。

料理長が次に作ってくれたのは、鳥ユッケだった。

 

生肉を細切りにし、しょうゆ、ごま油、コチュジャン、おろしにんにく、すりごまなどと和えたものの上に金の卵の卵黄をのせたもの。それに小葱と玉ねぎを足してある。

玉ねぎと小葱が良いアクセントになって、タレが肉と良く絡んでツマミになる。

 

イチャイチャしているモモンガさんとアルベドを眺めながら食べる鳥ユッケは最高だぜ。

 

カルバイン番のシクススとモモンガ番のリュミエールにもお裾分けしたいところだが、1Lvの彼女たちは腹痛を起こすかもしれないので止めておく。

周囲の一般メイドたちも固唾を呑んで、イチャイチャしているモモンガとアルベドを鑑賞しているようだ。

 

アルベドのあーんに慌てていたモモンガだが、意を決してぱくりと食べ「美味しいですか?」「ああ、美味いぞ。アルベド」とかやってる。

 

ほっとくと社畜になっていくモモンガだから、たまには世話を焼かねばとジョンは思っている。

実際はジョンの見ていないところで結構イチャイチャしているのだが……。

 

料理長が次に運んできたのは、ポイニクス・ロードの肝を使った特製のレバーパテだった。

香草とスパイスが効いた濃厚な味わいに、日本酒がまた良く合う。

 

「……これはワインにも合わせたいね」

「確かに。ジョンさん、後で倉庫から一本持ってきましょうか?」

「やめとけ。アルベドの視線が怖い」

 

アルベドはにこやかに笑っていたが、眼の奥が「モモンガ様は私のもの」と雄弁に語っていた。

 

一方、食堂の端で皿を抱えていた若いメイドたちは、固唾を呑んで至高の御方のやり取りを見つめている。

「アルベド様……至高の御方に……あーん……!」

「すごい……本に書き残して、後世に伝えるべきでは……?」

 

囁き合う声に、モモンガは顔を赤くした。

(……これは後で絶対に黒歴史になるやつだ!)

 

/*/

 

 

カスポンドに呼び出されたネイアとシズは王兄殿下の元を訪れていた。

 

「王兄殿下。従者ネイア・バラハ、参りました」

 

室内にいたのは椅子に座ったカスポンドと立っている二人の聖騎士――レメディオス団長とグスターボだ。ネイアは目上の存在に即座に片膝をついた。

 

「よくぞ来た。待っていたぞ。ああ、良い。気にしないで立ってくれ」

 

ネイアは指示に従い立ち上がると問いかける。

 

「お待たせし、大変申し訳ありません。どのような御用向きでしょう?」

 

そこから語られたものはウジ虫の様な姿をした藍蛆(ゼルン)たちのヤルダバオトからの裏切りと新王救出。引き換えに藍蛆(ゼルン)3千の兵力とネイアが喉から手が出るほど欲しているアベリオン丘陵の情報――ルプスレギナたちが進んでいると言っても、ネイアはより詳しい情報を手に入れたら、ルプスレギナに届けたい。役に立ちたいと思っているのだ。

 

カリンシャと言う街の奥深くの尖塔に捕らわれた藍蛆(ゼルン)たちの新王救出作戦。驚くことにレメディオスも同行すると言う。

 

「カリンシャ奪還作戦は個の戦力よりも、兵の士気が重要だ。ならば個の戦力として突出している私が乗り込まないでどうする?」

 

そう胸を張ったレメディオス団長を見直したネイアだったが、作戦参加と引き換えにシズと取引をしているのを見て(綺麗事だけではないのか)と納得もした。

その取引とはヤルダバオトに聖棍棒として粉々にされた聖王女の遺体を〈安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)〉で保存しておき、ルプスレギナが帰還したら蘇生を試みると言うものだった。

 

これは話の流れで「遺体が粉々でも腐敗していても、姉(ルプスレギナ)なら蘇生できる」とシズが発言した事による。

 

情報を交換し、二日後に出発する事が決まった。

 

――会談が終わり、退出を許されたネイアとシズは夜の回廊を歩いていた。

 

「……ネイア、あれで良かった?」

「はい。私は王兄殿下の意図も理解できましたし……何より、アベリオン丘陵の情報が手に入るのは大きいです。奥様に渡せば必ず役立ててくださる」

 

ネイアは握りしめた拳を胸に当てる。

聖騎士団の誰も彼女を信用していない。だが、この機会で成果をあげれば、自分がナザリックの「従者」としてだけでなく、人間の世界にも役立つことを証明できる――そう信じた。

 

一方シズは、会談で何気なく口にした「ルプスレギナなら蘇生できる」という言葉が頭に残っていた。

(……あれ、ちょっとマズかったかも。期待されても、保証はないのに)

 

だがネイアは、シズの表情を誤解したらしい。

 

「ご不安ですか、シズ先輩?」

「……うん、まあ少し」

「大丈夫です。奥様は奇跡を起こされる御方ですから」

 

自信に満ちたネイアの言葉に、シズは苦笑するしかなかった。

 

 

/*/

 

 

アベリオン丘陵は丘陵地帯だ。

 

丘陵とは標高差100~200m程度のやや急斜な斜面と、山頂に狭い平たん面をもつ小起伏の地形。一般に山地よりも標高が低く(300~600m)起伏が小さい。古い海成、湖成などの堆積物の作る堆積面が浸食され堆積原面を失ったものと、山地への長い間の浸食作用によって作られたものがある。

 

ジョンがこの場に居れば興味深く地形を調査しただろうが、ルプスレギナは特に興味も無い。

 

海成だろうが、湖成の堆積物から形成されたものだろうが、山地が浸食されたものであろうが、ルプスレギナにとってはどうでも良いのだ。

ただシナリオに従って、部隊を率いてゴールの神殿まで向かうだけだ。

 

これを本気の冒険だと信じている部隊の者たちは真剣に偵察しながら道なき道を進んで行く。

 

彼らの先導に従って進むのは、なだらかな起伏と小山の続く地形と言う事もあって進みが遅い。

 

野伏(レンジャー)〉をメンバーに含む冒険者数チームとゴブリンライダーたちの連携の歩みは人跡未踏の地と言う事を考えれば十分に早いものだった。狼形態で走れば早いとか思ってるルプスレギナのお気楽基準がおかしいのだ。

 

人数が多い事もあり、冒険者PT毎に分散し、連絡役にゴブリンライダー達が動く。

 

亜人の道や偵察隊、集落を避けながらの隠密侵攻は手間も時間も掛かるが、ルプスレギナによって進む方向が分かる事が救いだった。

ただ、それは進むべき方向が分かるだけなので地形による障害が発生した場合が少々問題だ。

 

例えば、丘陵の間を流れる川が浸食して出来た谷。

 

ルプスレギナとクレマンティーヌが同行している漆黒の剣はニニャとルプスレギナが〈飛行(フライ)〉を使えるが、飛行中は丸見えになるので発見されるリスクが高まる。水面ギリギリの飛行は水中モンスターが潜んでいた場合、非常に危険だ。

 

この時はニニャが習得している低レベルの幻術で姿を背景に紛れさせた。

 

動いているものに幻術をかけ続けるのは、幻術が専門では無いニニャにとっては少々荷が重かったようで、渡河の後はしばしの休憩を必要とした。

 

谷を越えた後、一行は小さな丘の上で休憩を取った。

 

「……はぁ、はぁ。やっぱりキツいな。移動中に幻術を維持し続けるなんて、そう何度もできるもんじゃない」

汗をぬぐいながら座り込むニニャに、クレマンティーヌがニヤリと笑う。

 

「でも見事だったじゃない。おかげで水中から何かに襲われる心配もなく済んだわ。大したもんよ、坊や」

「おだてても何も出ないぞ」

「本気で言ってるんだけどねぇ」

 

その様子をルプスレギナはぼんやり眺めていた。

彼女にとっては「幻術で誤魔化す」とか「敵に見つからないように移動する」といった工夫は、正直どこか子供の遊びのように思えてしまう。ナザリックの化け物たちなら、そんな小細工など不要で力押しで突破できるからだ。

 

だが、隊の人間たちにとっては死活問題。ルプスレギナが無関心でいれば、冒険者たちの緊張と工夫がより際立って見える。

 

「姐さん、もう少しすれば先に廃村がある。偵察が言うには休憩に使えそうだ」

ゴブリンライダーのひとりが報告に来る。

 

「へぇ? 人が住んでた跡なら、飯が作れる場所もあるわけだ。あたしは歓迎するよ」

クレマンティーヌが肩をすくめる。

 

ルプスレギナは一つ大きく伸びをすると、笑顔で頷いた。

「じゃ、そこに泊まろっか。夜営ってやつ? ふふ、なんか楽しそ」

 

部隊の面々は、そのお気楽な声に拍子抜けする一方で、同時に奇妙な安心感も覚えるのだった。

 

 

そして、日が沈むのはまだまだ先だが、一行は野営の準備を開始した。

ルクルットが野営地の周囲を木の棒で囲み黒い絹糸を張る。〈警報(アラーム)〉を用意するのはニニャの役目だ。

 

野営地の中心にはいつもの《環境防御結界》と《毒ガス防御結界》の水晶玉が設置され、快適な温度を維持し、内部で調理しても匂いを外部に漏らさない。

 

匂いが漏れないと言う事は美味い料理を作っても良いと言う事だ。

ルプスレギナは『発火の焜炉(コンロ)』『無限の水差し』、料理器具、材料を取り出すと食事の用意を始める。6人分+ゴブリンライダーの分もあるので料理器具も多めに出している。

 

厚みのある大きなダッチオーブンにオリーブオイルを引いて、ひき肉を焼き付けるようにカリッと焼く。みじん切りにした玉ねぎを加えて炒め、料理長のところから持ってきたケチャップとウスターソースを加えて塩とこしょうで味を整えた後、取り出す。

 

「奥様、まだ振るのー?」

「美味しい食事の為っすよ。どうせ暇なんだから頑張るっす」

 

戦闘が無いと暇なクレマンティーヌに牛乳をシェイクさせて作らせたバターをダッチオーブンで溶かし、洗っておいた米とターメリックを炒めて水を入れ、蓋をして弱火で15~20分炊くとターメリックライスの出来上がりだ。

 

米はまだ〈品種改良(ダウングレード)〉が済んでないので、とても美味い。3日で収穫できるが、普通の土地が砂漠になるまで栄養を吸い尽くす危険物だ。

 

ターメリックライスをかき混ぜ、ざっくりと平らにしたらナザリックから持ってきた料理長作のホワイトソース、これもナザリックから持ってきたピザ用チーズの順に乗せていく。

 

蓋をして中火で5分ほど加熱をしてチーズを溶かし、最後に蓋の上に炭をのせて軽く焼いて完成。

 

その他用意したものは塩漬けの燻製肉で味付けしたシチューに乾燥イチジク、胡桃等のナッツ類だ。

 

「おお、美味そう」

「美味そうじゃなくて、美味しいっすよ。ジョン様に召し上がって頂く前の予行練習っすから」

 

ルクルットの軽口に答えながら、各自のお椀に取り分けていく。

ルプスレギナの作ったドリアは、ひき肉の旨味とホワイトソースのクリーミーな味わいが絶妙に調和しており、ターメリックの香りが食欲をそそる。

 

「レギナさんと同じ班になって幸運である。これほど美味い飯が喰えるとは」

 

漆黒の剣で〈森祭司(ドルイド)〉であり、野草の知識などから食事を担当する事もあるダインはルプスレギナの料理に感心しきりだ。

ルプスレギナのコックは1Lvしかないので、材料のグレードの高さと調理法の手順をしっかりと踏んでいる事が大きいが。

 

「これなら、師匠も美味い美味いって言いますよ!」

「うへへ、そうっすか。褒めてもお代わりしかでないっすよ」

 

だらしなく笑いながら、ペテルの器にお代わりを盛るルプスレギナ。

至高の御方絡みで褒められると途端にチョロくなるのであった。

 

「ドリアも美味しいけれど、このいつもの材料で作ったシチュー。美味しいですよね? どうやったんですか?」

 

本来なら塩気が強すぎ、肉も硬くパサパサしがちなシチューだったが、これは塩気もちょうど良いし、肉も美味しく戻してある。その技法が気になってニニャは小首を傾げてルプスレギナへ問う。

 

「料理長に相談して、調理方法を考えてもらったっすよ。気になるなら、後でニニャちゃんにも教えてあげるっすよ」

 

御方様の為以外は指一本動かしたくないと宣うルプスレギナだったが、ジョンの妻となり、コック習得で料理も出来るようになった事から色々と挑戦するようになったのだ。

あくまで、至高の御方の為に……であるが。

 

それに漆黒の剣はジョンの玩具……げふんげふん、弟子であるから、多少は面倒見も良くなる。

 

「しっかし、これだと他の班に悪いなぁ。俺たちばっかり美味い飯喰ってさ」

 

根は善良なルクルットがぼやくが、ルプスレギナは「ん?」とスプーンを咥えながら顔を上げると。

 

「ああ、他の班にはジョン様が作っていらした試作品を持たせてあるから大丈夫っすよ」

 

水で溶かして飲む粉ジュースとか、お湯で温めて食べる携行食とか。

簡単に用意できて、結構、美味しかったっすよ、とルクルットに告げる。

ちゃっかり試食もしていたルプスレギナである。

 

「……それじゃ食べたら、明るいうちに片づけるっすかね」

「そうですね。暗くなったら、2人1組3交代で見張りを立てて休みましょう」

 

敵地なので夜間、火を焚く事は出来ない。

人狼(ワーウルフ)〉であるルプスレギナ、ゴブリンライダーたちは暗くても困らないが、漆黒の剣とクレマンティーヌはそうもいかない。

 

一応、〈魔法の品物(マジック・アイテム)〉で暗視能力を得られるが、昼間の視界と比べると落ちるし、〈魔法の品物(マジック・アイテム)〉で得られる視界よりも亜人の視界の方が良い場合が多い。

 

それと意外と馬鹿にできないのが匂いだ。

 

亜人の中には獣のように鼻が利く者たちも存在する。生活魔法にある身を清める魔法はこんな時に役に立つ。単独での潜伏任務などもあった元漆黒聖典のクレマンティーヌはこういった魔法も習得しており、順番にメンバーたちに魔法を掛けていく。

 

/*/

 

夜は静寂に包まれた。

月明かりに照らされる丘陵の稜線が、黒々と連なっている。

 

当番のゴブリンライダーが耳を澄ませていると、草むらを抜ける小さな音が聞こえた。

「……ん? 風……じゃないな」

 

武器を構えようとした時、隣にいたルプスレギナがひょいと顔を出し、笑って指を口に当てた。

 

「しーっ。あれはねぇ……ただの夜行性の獣っすよ。ほら」

彼女が指差した先には、うっすらと光を反射する二つの瞳。丘の斜面を小型の四足獣が駆け抜けていく。

 

「……さすが姐さん。鼻が利くな」

ゴブリンが感心している間も、ルプスレギナは肩をすくめるだけだった。

「こんなの、夜目と鼻があれば誰でも分かるっすよ」

 

ただし――

本当に「ただの獣」だったのかどうか、確証は無い。

実際、その夜のうちに別の斥候班が「丘の向こうで人のような影を見た」と報告を持ち帰るのだった。

 

翌朝、撤収を始めると、クレマンティーヌがぼそりと呟く。

「……夜襲に来なかっただけマシってやつだねー。けど、こっちの動き、確実に監視されてるよー」

 

ルプスレギナは相変わらずのお気楽な笑顔で頷いた。

「そっすねー。でも敵が来ないなら気にしないっす。どっちにしろ、神殿までは行くんだし」

 

軽い口調だったが、漆黒の剣の面々は背筋に冷たいものを感じた。

敵が「来ない」のではなく、「待っている」可能性に気づいたからだ――。

 

 

/*/

 

 

数日の行軍の末、アベリオン丘陵の起伏を抜けると、鬱蒼とした林の向こうに視界が開けた。

朝霧に包まれた谷間――その中央に、それは姿を現した。

 

「……あれが、神殿……」

ルクルットが思わず息を呑む。

 

丘陵の岩肌を削り取ったかのように、巨大な白い石造建築が谷底に鎮座していた。

風雨に晒され苔むしてはいるが、なお荘厳さを失っていない。柱は太く、屋根は半ば崩れ落ちているものの、古代の権威を感じさせた。

 

神殿の周囲は自然に覆い隠されているはずだった。

しかし奇妙なことに、そこだけ木々がまるで避けるように生えておらず、石畳の道が谷の中心にまっすぐ延びている。

 

「……妙だな。人が手を入れていないのに、これだけ視界が開けているなんて」

ダインが〈森祭司(ドルイド)〉としての知識から呟く。

 

「つまり、罠っすかね」

ルプスレギナは尻尾をぱたぱた揺らしながら笑う。

 

クレマンティーヌは鋭い目つきで神殿を睨みつける。

「見せつけてるわね。入って来いって言ってる。……気に食わないわ」

 

神殿の外壁には、朽ちかけたレリーフが残っていた。

翼を広げた存在――人か、あるいは天使のような像。

その姿は摩耗し、半ば消えかけていたが、どこか「見覚えのある」印象を皆に与えた。

 

「……師匠がこれを見たら何て言うかな?」

ルクルットが冗談めかして言ったが、ルプスレギナは珍しく笑わなかった。

「……んー……“面白い”って言うと思うっす」

 

静まり返った谷に、一行の足音だけが響く。

冒険の終着点――あるいは試練の始まりとなる神殿へと、彼らは歩を進めていった。

 

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