オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~   作:ぶーく・ぶくぶく

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おいおい、気が付いたら連載10年目だよ。
まだ完結しなくてごめんよ。




第66話:あれ?君が主役だっけ?

南部の貴族家の紋章旗をはためかせた5万もの大軍がカリンシャを目指していると報告が入った。

カリンシャの物見よりも長い手と眼を持つウルフ竜騎兵団からは物見の報告より数日前に報告があった軍勢だ。

南部の高位貴族複数人を迎え入れる準備を整えていたカスポンドは「さて……頃合いかな?」と呟きながら執務室を出た。

 

/*/

 

「それにしても良く来られた、ボディポ侯にコーエン伯、ドミンゲス伯、グラネロ伯、ランセル伯、サンツ子爵」

「いや、王兄殿下がご無事で何より!」

「誠に!誠に!本当に心配しておりましたぞ!殿下!」

 

乾杯を終え、ワインで喉を湿らせた南部貴族一同に、カスポンドは改めてお互いの無事を祝い、笑顔で挨拶を繰り返す。

貴族たちは近況を話し、苦労を語る。カスポンドはもっぱら聞き役だ。これは彼らがどれだけ苦労を――聖王国への忠義を尽くしたのかと言うアピールに他ならないのだから。

 

「皆さんの聖王国への忠誠。これは広く知らしめる必要があるでしょう。歴史に残す必要さえあると思います」

 

カスポンドの言葉に一瞬ではあるが、最も嬉しそうな表情をしたのは、この場の面々の中では最年長であり、白髪と金髪が混じり合った髪を持つボディポ侯爵だ。

地位と権力を持つからこそ、次は名誉を欲する。他の面々はそれよりは褒美の方が嬉しいと言うところだろう。勿論、大軍を動かしているのだ。それなりのリターンを欲するのは当たり前だ。

言葉だけの遠慮をする侯爵におべんちゃらを使っていると、会話が途切れた瞬間を狙って顔色の悪いサンツ子爵が言い難そうに問いかけてきた。

 

「王兄殿下。お尋ねしたいことがあるのですが、聖王女陛下は一体どうされたのでしょうか?話では亡くなられたと言う事ですが……」

「それは事実です――が…」

 

さらっと答えたカスポンドにサンツ子爵は目を白黒させた。カスポンドが重ねて答える。

「幸い聖体は回収され、魔導国の協力で蘇生に成功しました。同時に戦死したケラルト・カストディオ最高司祭の遺体も回収にも成功し、こちらも魔導国の協力で蘇生に成功しました。……代償は大きかったですが、ね」

 

沈痛な表情で首を振ったカスポンドに「左様ですか……」彼らは口ごもり、時間的猶予を貰ったカスポンドはワインで口を湿らせる。

 

国を守れなかった聖王と最高司祭の死と蘇生。誰が行ったかにも興味はあるだろうが、彼らは責任を取らせる形で聖王と最高司祭をどう利用できるか考え込んでしまったのであろう。

二口目を含んでも動き出さない彼らに更なる情報を与える。

 

「魔導国より復興支援の申し出がありました。条件として、リ・エスティーゼ王国のザナック王の元へ聖王女カルカが嫁ぐ事、ケラルト最高司祭とレメディオス団長のリ・エスティーゼ王国への引き渡しが出されました」

 

貴族たちが顔を顰めた。聖王国のトップ3を引き渡せとは魔導国に下れと言われているに等しい。

 

「――妹はこれを受け入れようと考えております。国を守れなかった責任を我が身を差し出すことで少しでも取れれば……と」

 

こちらが引き換えに妹が手に入れた魔導国からの支援の目録です。そう言ってカスポンドから貴族たちに支援の目録の写しが回された。

 

今後10年間の莫大な量の食料の提供。復興資材、労働力の支援提供。それは破壊された巨壁を修復し、露頭に迷う民を食わせ、街を修復し、尚も有り余る富の山だった。

 

「これは――本当ですか?これだけあれば聖王国の復興は容易い。確かに聖王女陛下たちの身柄を引き換えにするだけの価値がありますが……」

 

「魔導国には確かにそれだけの国力があるようだ。それは魔導国へ赴いたレメディオス団長の言葉でもある」

「……しかし、これは屈辱ではありませんかな?」

 

最初に口を開いたのはコーエン伯だった。ワインの杯を卓に置く音が重く響く。

「聖王国の柱とも言うべき方々を他国に差し出すなど、まるで属国に成り下がるようなものだ!」

 

「しかし、伯の言うことは尤もであるが……」

渋い声で続いたのはドミンゲス伯だ。顎鬚を撫でながら、ちらと目録に視線を落とす。

「この食料と資材を前にしては、現実から目を逸らすことはできまい。領内の民は皆飢えておるのだぞ。誇りを食わせるわけにはいかん」

 

「民が死に絶えれば、誇りもまた消え去る」

白髪混じりのボディポ侯爵が静かに言葉を継ぐ。重々しい声に場が押し黙った。

「我らは王国を保たねばならぬ。誇り高き亡国など、墓碑銘にしかならん」

 

その一方で、若いランセル伯は顔を紅潮させて反論した。

「しかし! 魔導国に借りを作れば、我らは永遠に首輪をかけられることになるのではありませんか? いずれは領地を奪われ、名も財も失い……!」

 

「伯。既に我らは多くを失ったのだ」

苦い笑みとともにサンツ子爵が呟く。蒼白な顔のまま、盃を両手で握りしめながら。

「領地の三分の一は荒廃し、兵は疲弊し、民は飢えた。ここで背を向ければ、残るものすら失うだろう」

 

議論は次第に白熱し、誰もが声を強める。だが、それは同時に「どうすべきか分からない」焦燥の裏返しでもあった。

その渦の中心で、ただ一人、カスポンドだけが静かに杯を傾け、彼らの応酬を見守っていた。

 

「それで――王兄殿下は如何にお考えですかな」

 

最年長のボディポ侯爵が重々しく尋ね、貴族たちの視線がカスポンドに集中した。

 

「私は――魔導国の支援を受け入れ、早い内に王都を奪還したいと考えている」

 

頭を悩ませていた貴族たちはその言葉に感情を爆発させた。

 

「そのおつもりがあるのであれば、我々はご協力しますぞ!」

「殿下は国を救った英雄になられるのです!」

「攻め込んできた亜人の軍勢は10万。今は3万くらいにまで減っているでしょう。ならばここにいる民兵や我々が連れてきた兵を合わせれば容易く倒せるに違いありません!」

 

「殿下!陛下、と呼ばれる時がきたようですな!」

 

口々にカスポンドが欲していた言葉を発する貴族たちに、カスポンドは我が意を得たりという表情を作って見せる。

 

「うむ。君たちの協力あっての事。私は君たちへの感謝は絶対に忘れないだろう」

「何を仰いますか!我等は聖王国への、聖王家への忠義を果たそうとしているだけですぞ!」

 

カスポンドは心の中でそれとは違う種類の笑みを浮かべた。

 

「よし。それでは諸君。王都奪還に向けて行動を開始しようじゃないか!」

 

/*/

 

翌朝、臨時の軍議がカリンシャ城内の大広間にて開かれた。

長机の上には王都近郊の地図が広げられ、赤と黒の駒で亜人軍の配置と予想戦力が示されている。

 

「……確認する。敵の主力は王都に籠もる亜人三万。周辺に散開する小規模の遊撃を合わせても四万には届かぬ」

カスポンドが指し棒を動かし、貴族たちの視線を誘導する。

「対して我らは、諸侯の軍勢五万、加えてカリンシャの守備兵と義勇兵を含めればおよそ六万強。数では圧倒している」

 

「ふん、容易い戦だな」

ランセル伯が鼻を鳴らす。

「わが軍の騎士たちが突撃すれば、亜人どもは一日と持つまい」

 

「……兵站はどうするつもりかね?」

口を挟んだのはドミンゲス伯。地図よりも帳簿を好む男だ。

「王都までの街道は荒れ果てておる。荷駄の護衛だけで兵を割く必要があるだろう」

 

「その点はご安心を」

カスポンドがすかさず応じ、文書の束を取り出した。

「魔導国より第一陣の支援物資が既にカリンシャに到着している。食料、薬品、矢羽、槍の穂先に至るまでだ」

 

「おお……!」

感嘆の声が広間に漏れた。

彼らは目録に記された“桁外れの量”を見て、初めて魔導国の底知れぬ国力を実感する。

 

「兵站が整うなら、我が領兵三千を先鋒にお出ししましょう」

ボディポ侯が胸を張る。年長者らしい堂々たる宣言だ。

「その代わり――勝利の暁には、我が領へ最初に復興資材を回していただきたいが」

 

「ふむ、それなら我が兵五千を後詰として!」

「いやいや、我が軍は六千で主力を務めよう!」

 

貴族たちは次々と声を上げ、我先にと兵数を誇示する。

だがそれは必ずしも“国のため”ではなく、“手柄の分配”を狙っての競り合いであることをカスポンドはよく理解していた。

 

彼は内心で嘲りながらも、表情には誇らしげな笑みを浮かべる。

「諸侯の忠義、しかと受け取った。皆の働きは必ず歴史に刻まれるだろう」

 

軍議はやがて、王都攻略の段取りへと移った。

 

/*/

 

出立の日、カリンシャの大通りは軍旗と埃で覆われた。

南部の名立たる貴族家の紋章旗が風にはためき、太鼓と角笛の音が山々にこだまする。

 

「総勢六万!」

伝令の声が響き渡り、沿道に詰めかけた民がどよめいた。

疲弊した彼らの目に映るのは、飢えと絶望を吹き飛ばすかのような“力”の象徴だった。

 

「殿下万歳!」

「聖王国に栄光あれ!」

歓声と祈りの声が雨のように降り注ぐ。

だが、民の顔には不安の影も消えない。勝利すれば未来が開ける。敗れれば全てが終わる。その狭間での叫びだった。

 

先頭を行くのはボディポ侯の騎兵三千。

鎧を金具で輝かせ、槍を林立させる姿はまさに貴族の威容そのもの。侯爵は馬上で威厳を保ち、兵たちに「王都を取り戻すぞ!」と声を張り上げた。

 

その後を続くのは、諸侯の主力歩兵。

コーエン伯の旗の下には槍兵五千、ドミンゲス伯の指揮する弓兵三千、グラネロ伯の重装兵七千が続々と列を成す。

いずれも余裕のある南部領地からかき集められた兵だけあって、血色も良く、誇りを掲げるかのように胸を張っていた。

 

さらに側面を守るのはランセル伯の軽騎兵五千。若き伯爵は得意げに前に出ては号令を飛ばし、兵たちの鬨の声を高めている。

最後尾には補給隊と義勇兵。サンツ子爵の率いる二千の小隊がそれを護衛する。

 

そして――

中央、白銀の装飾を施した黒馬に跨り、黄金のマントを翻す男。

聖王国王兄、カスポンド・ベサーレス。

 

彼が軍の中心に立つその姿は、もはや王に等しい威厳を放っていた。

兵たちが「殿下!殿下!」と声を揃え、波のように歓声が広がる。

 

カスポンドは口元に笑みを浮かべながらも、心の奥底では冷ややかな計算を巡らせていた。

――この軍は勝つだろう。だが勝利の果実を味わうのは誰か?

それは諸侯でも、妹カルカでもない。

聖王国を導く新たな支配者は、自分である。

 

「進軍!」

 

その号令とともに、大地を揺るがす鉄と革の音が広がった。

南部軍六万、王都奪還を掲げた行軍が、ついに始まった。

 

/*/

 

軍が進むたびに響く鬨の声と軍靴の地鳴り。その中心にいるカスポンドの耳には、不思議とそれが遠い音にしか聞こえなかった。

 

――民の期待。諸侯の忠義。

それらは所詮、風に舞う砂に過ぎぬ。

 

彼は兜の庇を指先で撫でながら、内心で冷笑した。

 

「王都奪還」――この言葉に諸侯が飛びつくのは予測済みだ。

手柄を欲しがる彼らは競い合い、我先にと兵を供出した。だがその裏では、誰もが「他の家より損をしたくない」と考えている。

だからこそ、戦が始まれば必ず綻びが生じる。

 

敵が強大であればあるほど、最前線に立つ者は大きく削られる。

それがボディポ侯であろうと、若きランセル伯であろうと構わない。

血を流すのは彼らであり、栄光を掠め取るのは自分だ。

 

さらに――

「魔導国の支援」。

これはただの復興策ではない。

彼らの莫大な物資を用いれば、王都を奪還したその日から“王兄の手による再建”という物語を民に植え付けられる。

 

カルカがザナック王の許へ嫁げば、彼女の名は王国の外へと消える。

ケラルトもレメディオスもリ・エスティーゼに送られれば、国内に権威を争う者はいなくなる。

 

――残るのは自分。

聖王国を導く唯一の存在。

 

カスポンドは無意識に唇の端を吊り上げた。

彼の眼差しは前方の王都には向いていない。

そのさらに先、魔導国との交渉の場を見据えていた。

 

「王都を奪還する。その大義名分があれば十分だ。諸侯も民も、私を王として迎えざるを得まい」

 

囁くように呟いた言葉は、軍の鬨の声にかき消される。

だが彼の胸中には確かな確信があった。

 

――この戦いは、聖王国再興の戦いにして、王位を掴むための戦いだ。

 

そして、カスポンドは心の中でそっと口にする。

「妹よ、安心するがいい。お前が差し出す身は、私の玉座を完成させる礎となるのだから」

 

馬上で翻る黄金のマントは、朝日に照らされ、まるで王冠のように輝いていた。

 

南の貴族たちが率いてきた軍と合流し、一週間後には準備が整い、更なる進軍が開始された。

次なる目標は先ず、カリンシャの西にある大都市プラ―トだ。

 

付近の平原に亜人たちは展開し、聖王国軍を待ち構えている。

 

恐らく野戦に紛れて逃亡するつもりの部族を指揮官の鱗の悪魔(スケイル・デーモン)が押さえきれなかったのだろうとジョンは思う。

ネイアは「カルバイン様を讃える集い」に所属する弓兵隊2千を率いて本隊後方の工兵部隊の護衛に当たっている。集いの信徒が3万を超えカリンシャに広がっていると聞いた時、ジョンは眩暈を覚えたものだ。

 

ジョンたちウルフ竜騎兵団(ウルブス・ドラグーン)も後方で待機。兵站路の確保と護衛と言う完全な裏方だ。

 

王都奪還の目途がついた今、魔導国の戦力にはなるべくじっとしていて貰いたい貴族たちの本音の表れだ。

バハルス帝国からの観戦武官であるバジウッドはウルフ竜騎兵団が組み上げた組み立て櫓に登り、後方から戦いを観戦している。

 

「バジウッド殿、不便を強いて済まない。以前のようにドラゴンに乗って上空から観戦するのはカスポンド殿下に止めてくれと懇願されてしまってね」

「いやいや、カルバイン閣下。高いところは苦手でして、このくらいの高さの方が助かります」

 

組み立て櫓の上でジョンはバジウッドと穏やかに会話していた。

視界の先に遠く陣地の先が見える。

 

やがて、雄叫びが上がり、大勢の者が走り出す地響きが聞こえてきた。「始まったな」と呟く。

先陣を切ったのはボディポ侯爵の騎兵だろうか。

 

「魔皇がいないらしくセオリー通りの戦端ですな」

 

櫓から身を乗り出すように戦線を眺めるバジウッドに仕事熱心だなとジョンは呑気な感想を抱く。

やがて30分以上の時間が経過し、右翼から歓声が聞こえてきた。それも全員の耳に届くほど大きいものだ。これだけ離れていても聞こえるのだ。よほど凄い戦果があったに違いない。

戦場から馬に乗ってやってきた伝令が大きな声で何があったかを伝えてくれたのは、それから10分後だった。

 

「レメディオス・カストディオ聖騎士団団長殿。敵軍指揮官にして、ヤルダバオト側近の悪魔鱗の悪魔(スケイル・デーモン)討滅!」

 

それだけを告げ、伝令は走り去っていく。

バジウッドは気になった事をジョンに尋ねる。

 

鱗の悪魔(スケイル・デーモン)とはどのくらい強いのですか?」

「そうだな……装備の相性的にガゼフ・ストロノーフはやや不利か。聖騎士であるレメディオス団長なら十分勝てる」

「……なるほど」

 

そうすると帝国3騎士である自分では荷が重い相手か。時間稼ぎくらいなら出来るのか、と一人ごちる。

 

「……敵の司令官が討たれたとなると、亜人の軍勢はこのまま瓦解するでしょうな。王兄殿下の計算では、これで終わりの筈ですが」

 

バジウッドの視線にジョンはひらひらと手を振って答える。

 

「そうだろうな。俺の出番はもう無しだ」

 

その時、振り返ってジョンを見たバジウッドの背後――貴族軍のど真ん中と思われる場所に炎の柱が爆音と共に立った。離れていてもはっきりと見える高さまで立ち上る業火は、まるで天を焼き尽くそうとしているようだった。

あんな事が出来る存在の心当たりはたったの一つ。

 

「――閣下の出番はまだ終わらないようですな」

 

/*/

 

爆音の余韻がなおも空気を震わせる中、炎の柱はなお燃え盛っていた。赤橙の火焔は天へと伸び、陽光さえかき消すかのように戦場全体を照らし出す。

後方の櫓からでも分かる。――ただの魔法ではない。

 

「……っ、これは……上位の、いや……」

バジウッドの声が震えた。帝国の三騎士として幾度も戦場を見てきた男ですら、その光景に戦慄している。

 

ジョンは無意識に拳を握りしめる。

(あれを放てる存在など限られている。悪魔か、竜種か、あるいは――)

 

やがて炎は収束し、地獄のような焦げ跡を残した。見れば、そこは貴族たちの幕舎や輜重隊のど真ん中。指揮の中枢を狙い澄ましたような直撃だった。

 

「伝令!伝令はまだか!?」

下の陣地から怒号が響く。だが、応える声はない。代わりに聞こえてきたのは、兵の悲鳴と、何か巨大なものが地を踏みしめる重低音だった。

 

「……来るぞ」

ジョンは低く呟く。

 

バジウッドが恐る恐る問いかけた。

「……閣下、これは……魔皇、ですか?」

 

ジョンは即答できなかった。ただ、喉の奥から絞り出すように答える。

「少なくとも、“鱗の悪魔”以上だ」

 

櫓の上からでも、黒煙の中に影が見えた。二本の角、広げた翼、そして炎をまとった巨体。

その存在は、まるで炎そのものが形を取ったかのようだった。

 

「……まさか」

バジウッドは息を呑む。

 

ジョンは竜騎兵団の仲間に合図を送った。

「――全員、戦闘準備。あれが敵の本命だ」

 

 

/*/

 

 

戦場に広がる動揺と炎熱の中、誰もが悟り始めていた。

鱗の悪魔の討滅など、ただの序章に過ぎなかったのだと――。

 

鱗の悪魔が斃れ、聖騎士団は歓声に包まれていた。

血に濡れた聖剣を掲げるレメディオスの姿は、まさに勝利の象徴。部下たちの眼差しは輝き、誰もが勝利を確信していた――その瞬間だった。

 

轟音。

続いて、空を裂く炎の柱が大地を貫いた。

 

あまりの光と熱に、兵たちは反射的に目を覆い、武器を取り落とす者さえいた。

炎は天を焦がし、やがて収束した時には、敵陣ではなく自軍の後方――貴族たちの陣営を呑み込んでいた。

 

「な……何が起きた!?」

「後方が……やられてるのか!?」

 

兵たちの動揺を、レメディオスは怒声で抑え込む。

「動揺するなッ!前を向け!敵はまだいるぞ!」

 

だが、次の瞬間。

黒煙を割って“それ”は姿を現した。

 

炎を纏った巨影。

全身が燃え盛り、空気そのものを焦がすほどの熱気を放っている。翼を広げれば十数メートル、角は槍のように鋭く、眼窩の奥で紅蓮の光が燃えていた。

 

「……悪魔、か?」

誰かが震える声で呟いた。

 

しかし、ただの悪魔にしては存在が大きすぎる。

その場にいた誰もが直感した。――これは、鱗の悪魔など比較にならない。

 

「全軍、陣を組め!」

レメディオスは剣を構え、声を張り上げた。

「退くことは許さぬ!我らは聖王国軍、ここで怯むわけにはいかん!」

 

だが兵たちは硬直していた。あまりの威容に、足が地に縫い付けられたように動かない。

 

炎の巨影は一歩を踏み出す。大地が揺れ、亀裂から火が吹き出した。

その動き一つで、勝利の余韻は完全に消し飛んだ。

 

「来るぞ!」

レメディオスが叫ぶ。

 

炎の怪物は、轟然と咆哮を放った。

それはまるで天地を裂く雷鳴のようで、聖騎士団の心胆を揺さぶる。

 

――新たな戦いが始まった。

 

 

ヤルダバオト――新たに召喚された憤怒の魔将――が歩く。それだけで(炎のオーラ)に包まれて、人間たちは簡単に死んでいく。

歩みを止めないヤルダバオトの周囲で死が量産されていく、人間たちの黒い死体を踏みつぶし、無人の野を行くように進む。

 

「人間よ。我は戻ってきたぞ――人狼王より受けた傷を癒す間、好き勝手してくれたな」

 

焼死した人間たちの死体の山を踏みつぶし、ヤルダバオトの役目を与えられた憤怒の魔将は眺める。潰走する人間たちの背を。

少しつまらない。

炎のオーラは大したことが無い能力だ。単に周囲に炎ダメージを与える事しか出来ず、炎ダメージに抵抗を与えてくれる魔法さえあればかなりの部分のダメージを遮断できる。もちろん与えられた知恵として、この国の一兵卒にそれが出来ないのは知っていたが。

 

「魔皇ヤルダバオトとお見受けする。我はウルフ竜騎兵団、重装歩兵隊長ゴ・ギン。推して参る」

 

身長3mはある全身鎧に身を包んだウォー・トロールの出現に悪魔の彼は喜びを感じた。単純な弱い者いじめが好きなわけではない。このように自分を強いと思っている弱者をいたぶるのが好きなのだ。

巨大な棍棒を振りかざし、襲い掛かってくるゴ・ギンを(炎のオーラ)で包み込む。

 

ウォー・トロールの強力な再生能力でも酸と炎のダメージは再生できない。

 

魔将は慣れない痛みにゴ・ギンがどのような悲鳴をあげるかほくそ笑んだ。

しかし、医療部隊のナーガ、グレイシアに耐火の魔法を掛けてもらいジョンの抜け毛を集めて作った「ジョンフェルト強化アダマンタイト合金」製の全身鎧は(炎のオーラ)を完全に遮断していた。

 

ひるまないゴ・ギンに反応が遅れる。

 

巨大な棍棒に殴られ、魔将の巨体が一歩よろける。

炎の壁を当然のごとく打ち破ってきた存在に、ヤルダバオトの紅蓮の瞳が細められた。

 

「ほう……我が炎をものともしないか。雑兵の癖に――面白い」

 

ゴ・ギンは荒い息を吐き、巨棍を再び構えた。

「我らウルフ竜騎兵団は、世界を守るために鍛えられた兵。貴様の炎ごときに屈することは無い!」

 

その言葉に、ヤルダバオトはくつくつと喉を鳴らす。

「守る? この焼け焦げた死体どもをか? 守るなど、最も滑稽な幻想だ」

 

両腕を広げると、再び地面から炎が噴き出し、数十の兵が炭へと変わった。

しかしゴ・ギンは怯まない。鎧の内側で心臓が焼けるように熱しているのを感じながらも、一歩一歩前へ。

 

「――はぁあああッ!」

巨棍が横薙ぎに振るわれ、炎を裂くように唸りを上げた。

 

ヤルダバオトは爪で受け止める。

衝撃で地面が砕け、周囲に砂塵が爆ぜた。

 

(……力も悪くはない。だが、まだ届かん)

 

押し返した瞬間、魔将の尾が閃いた。

太い蛇のような尾が鞭のごとく振り抜かれ、ゴ・ギンの巨体を吹き飛ばす。

 

「ぐ……ッ!」

土煙を巻き上げながら転がったが、彼はすぐに立ち上がった。鎧の表面は煤で黒く染まっていたが、未だ健在。

 

「まだ……倒れんぞ!」

 

その姿に、退き腰になっていた兵たちの目がわずかに希望を取り戻す。

たとえ炎に包まれても、立ち向かえる者がいる――そう見せつけたのだ。

 

ヤルダバオトは楽しげに口角を吊り上げた。

「良い。実に良い……! では、少し本気を見せてやろうか」

 

彼の周囲に、炎の魔法陣が幾重にも展開する。

炎の柱が再び大地を焼き裂こうと蠢き始めた――。

 

ヤルダバオトの足元に広がる魔法陣が燃え上がり、次の瞬間には炎の柱が立ち昇る――その刹那。

 

「ゴ・ギンを援護しろッ!」

櫓の上からジョンの声が飛んだ。

 

直後、数百の矢が空を覆い、炎の幕へ突き刺さった。

炎を割る矢は、ただの矢ではない。ネイアの率いる「カルバイン様を讃える集い」の信徒たちが放つ祝福の矢だ。

矢羽一つひとつに祈りと信仰を込めたその射は、炎を裂き、魔法陣の構築をわずかに遅らせる。

 

「チッ……小癪な真似を」

 

ヤルダバオトが舌打ちした瞬間、土の壁が盛り上がるようにせり上がった。

工兵部隊を守っていたドワーフの術者が、土魔法で防壁を築いたのだ。

 

「隊長! 今だ!」

 

仲間たちの声に応じて、ゴ・ギンが大地を蹴る。

巨体が弾丸のように炎を突き抜け、魔将の目前へ躍り出た。

 

「おおおおッ!」

振り下ろされた巨棍。

ヤルダバオトは爪で受け止めるが、今度は重さが違う。

 

仲間たちの支援を背にした一撃は、魔将の脚をわずかに沈ませた。

 

「ぬう……ッ!」

 

炎が弾け、轟音が戦場を揺らす。

矢が飛び交い、祈りの声が響き、土の壁が次々と築かれる。

人間たちが一斉にゴ・ギンへと力を注ぐ光景に、ヤルダバオトの瞳が細く歪んだ。

 

「なるほど……弱き者どもが群れて牙を剥くか。――だからこそ、踏み潰す価値がある!」

 

再び炎が燃え盛る。

しかしその中心で、ゴ・ギンは叫んだ。

 

「我らは退かぬ! この命に代えても、貴様を討つ!」

 

彼の咆哮は兵たちの胸を震わせ、恐怖を上回る昂ぶりを与える。

戦場に、確かに“抗う意思”が広がり始めていた――。

 

轟音と共に炎が爆ぜ、戦場は灼熱の地獄と化した。

それでも兵たちは退かない。

 

「撃てぇぇぇッ!」

ネイアの声が木霊する。

 

数千の矢が夜空の星雨のごとく飛び交い、ヤルダバオトを中心とした火炎の渦へと突き刺さる。

その一本一本には「カルバイン様を讃える集い」の祈りが宿っていた。

矢が燃え尽きる瞬間、炎の膜を破り、悪魔の身体を掠める。

 

「ぬうっ……!」

ヤルダバオトが苛立ちに顔を歪めた。

 

その隙を狙い、ゴ・ギンが再び突撃する。

巨棍が大地を砕き、爆風のような衝撃が悪魔の胸板を叩いた。

炎に包まれながらも、ゴ・ギンは叫ぶ。

 

「人狼突撃隊、前へ!」

 

「応ッ!」

雄叫びをあげたのは、櫓の上で様子を見ていたジョン率いるウルフ竜騎兵団の精鋭たち。

 

銀灰色の人狼たちが鬨の声と共に突撃する。

その彼らは炎の壁をものともせずに駆け抜けた。

人狼の牙と爪が次々と亜人の兵を蹴散らし、一直線にヤルダバオトへ迫る。

 

「人間ごときが……群れても無駄よ!」

ヤルダバオトが片腕を振るうと、火炎の大鎌が生み出され、人狼たちへ振り下ろされた。

 

「散開!」

 

ジョンの指示が飛び、人狼たちは炎刃を掠めながら左右に分かれる。

それと同時に、信徒の弓兵が矢の雨を重ね、ドワーフ術者の土壁が炎を遮る。

 

「これは……本気で潰しにきたな」

櫓から飛び降りるジョンの瞳に、戦意の光が宿っていた。

 

聖王国軍、竜騎兵団、そして信徒たち。

それぞれが互いを補い合い、次々と攻撃を繰り出す。

 

総力を挙げて挑む軍勢と、圧倒的な力を誇る悪魔。

戦場は、もはや一個の人間や一騎士では測れぬ、壮絶な総力戦の様相を呈し始めていた――。

 

戦場は炎と咆哮に満ち、仲間たちが必死に抗い続けていた。

だがジョンの目には、ただひとつの存在しか映っていなかった。

 

――ヤルダバオト。

 

「ゴ・ギン、下がれ!」

「だがッ!」

「ここは俺がやる!」

 

ジョンの声に、竜騎兵団も信徒たちも息を呑んだ。

誰もが理解していた。いかに多勢をもってしても、この怪物を討てるのは限られた者だけだと。

 

ジョンは櫓から飛び降りると同時に、一直線に炎の中へ突撃した。

狼の疾駆に合わせ、彼の剣――狼の爪と牙が炎を照り返し輝く。

 

「来たか、人狼王よ!」

ヤルダバオトが炎の大鎌を構え、迎え撃つ。

 

轟音。

火と風が交差する中、二人の武器が激突した。

 

一撃、二撃――

火花と爆炎が迸り、周囲の兵士たちは近づくことすらできない。

ジョンの爪と牙は人智を超えた速さで閃き、ヤルダバオトの鎌と爪を次々と弾き返した。

 

「ぬぅ……馬鹿な、貴様ごときが我に互すると……!」

「俺一人じゃないさ。ここにいる全員の祈りと命が、俺に宿ってる!」

 

ジョンは叫びと共に咆哮した。

それに呼応するように、信徒たちの矢が最後の祈りを込めて放たれる。

矢が炎を裂き、ジョンの進む道を切り開いた。

 

「――これで終わりだ、ヤルダバオトッ!」

 

白刃が光を放ち、渾身の手刀突きが悪魔の胸を貫いた。

炎が揺らぎ、爆ぜ、ヤルダバオトの身体が裂ける。

 

「ぐぬぅ……! 馬鹿な……この我が……!」

 

燃え上がるような断末魔を上げ、悪魔の巨体は崩れ落ちた。

炎の嵐も次第に収まり、残されたのは焦土と、なお生き残った者たちの荒い息だけだった。

 

ジョンはゆっくりと立ち上がり、深く息を吐く。

その背を見て、兵たちは歓声を上げた。

 

「閣下が……魔皇を討ったぞッ!」

 

歓喜の声が戦場を覆い、絶望の影を押し返していく。

 

 






次回!
俺たちの戦いはこれからだ!

みんな!読んでくれよな!
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