オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
更に数日が経過し、巨大な森がその威容を現す。
トブの大森林──多様なモンスターが住む、脆弱な人間を拒む世界だ。この地でしか取れない薬草などの宝を求め、様々な者たちが危険を承知で飛び込み、そして帰ってこないことも多い場所。
木々によって視界は通らず暗い闇が残る地は、こちらを呑み込もうとする巨大な化け物のようにも映る。しかし、ヘジンマールは何も感じない。騎士やランゴバルトが持つ、死地に飛び込む覚悟など必要ない。
その身が
いや、違う。それ以上にヘジンマールはこの場所に自らを超える敵が存在しないのを知っている。ジョンにボコボコにされても(人化)を解けば自身の正体は最強の竜種なのだ。
巨大な森を前にして、一行の足取りが自然と重くなる。
鬱蒼とした木々は昼なお暗く、揺れる梢のざわめきは、まるで侵入者を拒む低い唸り声のようだった。
騎士たちは無言で馬の手綱を締め直す。彼らにとって任務とはいえ、ここは並の戦場よりも帰還率の低い危険地帯だ。覚悟と緊張がその背に滲んでいた。
ランゴバルトは額の汗を拭いながら、息を呑む。
(……これがトブの大森林。噂以上の威圧感だ……)
勇ましく振る舞おうと努めるが、胸の奥の不安はどうしても消えない。だが、もう逃げられない。自分もこの班の一員として、何としても役に立たねばと拳を握り締めた。
一方、エルフ三人娘――セルデーナ、クアイア、アイクの顔には別の色が浮かんでいた。
「……懐かしい匂い」
セルデーナが深く息を吸う。
「森は敵じゃありません。ただ、間違えた者を拒むだけ」
クアイアが慎重な声で告げる。
「でも油断は禁物です。道を一つ誤れば二度と戻れない」
アイクは杖を握り直し、その眼差しを森の闇へ注ぐ。彼女たちの姿には、慣れ親しみながらも相応の緊張があった。
そして――
「ふぁぁ……さて、行こうか」
気の抜けた声で伸びをしたのはヘジンマールだ。
巨大な森を前にしても恐れの色は一切ない。むしろ、散歩に出かける子供のような気楽さである。
だが、それは慢心ではない。
(ジョン様に何度も叩き伏せられた私が、こんな森に負けるわけないじゃないか)
そんな確信が、彼の余裕の根を成していた。
「準備は出来たか? では、行くか」
小隊長の号令がかかる。
それぞれの思いを胸に、一行はついに〈トブの大森林〉へ足を踏み入れた。
一行が進むごとに、森はさらに濃密さを増していく。
光はほとんど遮られ、昼だというのに焚火の明かりが恋しくなるほどの暗がり。そこに、湿った風と共に不吉なざわめきが忍び寄った。
「止まって」
クアイアが鋭く制止する。
彼女は腰を低く落とし、地面に落ちた小枝を指先で拾った。すぐに鼻に近づけて匂いを確かめ、表情を引き締める。
「……獣の臭い。群れで動いてる。たぶん……フォレストウルフ」
「なるほど。じゃあ――燃やしてしまおうか?」
アイクが呟き、杖の先端に青白い光を灯す。彼女の目には、すでに小さな魔力の炎が踊っていた。
「いや、まだ来ていない。迎え撃つ前に、心を備えよ」
セルデーナが両手を胸の前で組み、低く聖句を唱える。
光の粒子が散り、前衛の騎士たちの体に淡い加護が宿った。
「……心強い」
ランゴバルトは無意識に息を吐いた。たった一瞬のやり取りで三人が役割を分担し、即座に戦闘態勢を整える――その姿は、訓練された冒険者そのものだった。
木々の影がざわめき、低い唸り声が闇から響く。
次の瞬間、緑の瞳をぎらつかせた影が飛び出した。
「来るぞ!」
アイクの詠唱、クアイアの弓の弦音、セルデーナの祈り。
それらが重なり、〈トブの大森林〉での最初の戦いが幕を開けるのだった。
フォレストウルフの群れが茂みを割って現れた。
唸り声と共に四方から取り囲むようにじりじりと迫ってくる。数は十を超えていた。
「囲まれる前に数を減らす!」
クアイアの弦音が鋭く響き、一本目の矢が飛ぶ。矢は狙い澄ましたように狼の目を貫き、即座に一頭を沈黙させた。
「流石だな……!」
ランゴバルトが呟く間もなく、アイクの声が被さる。
「燃えろ――〈フレイム・ スピア〉!」
杖の先から炎の槍が解き放たれ、突撃してきた狼の一頭を串刺しにする。火柱に包まれた狼は悲鳴を上げて地に崩れ落ちた。
だが、すぐさま別の個体が横合いから飛びかかってくる。
「危ない!」
セルデーナが素早く詠唱し、ランゴバルトの前に光の障壁を展開する。〈小防壁〉の加護に弾かれた狼は体勢を崩し、その隙に騎士の剣が閃いた。
「はぁっ!」
鋼の切っ先が獣の喉を断ち切り、血煙が舞う。
「隊列を崩すな! 前衛は盾を固めて、後衛に射線を作れ!」
小隊長の号令と同時に、エルフ三人娘が流れるように動く。
アイクは火球を連続して放ち、森を焦がさぬように最小限の威力で敵を焼く。
クアイアは冷静に矢を番え、仲間の死角へ迫る敵を次々と射抜く。
セルデーナは詠唱を途切れさせることなく、防御と回復を仲間に施す。
「ランゴバルトさん、下がらないで! 剣は盾の隙間から突くだけでいい!」
クアイアの叱咤に、ランゴバルトは震える手で剣を握り直す。彼は必死に仲間の盾の後ろから突きを繰り出し、ようやく一頭の狼を仕留めた。
「……やった、やったぞ!」
自分の剣に血が滴るのを見て、ランゴバルトの胸に熱がこみ上げる。
気づけば、群れは半数以上を失い、残りは怯えて森の奥へ逃げていった。
「ふぅ……」
アイクが息を吐くと同時に、セルデーナの祈りの光が仲間の小さな傷を癒していく。
焚火の穏やかな夜から一転して、血と火薬の匂いが充満する戦場。
その中で、ランゴバルトは改めて悟った――この三人はただの「エルフ娘」ではない。本物の冒険者であり、自分が背中を預けるに足る仲間なのだと。
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血の匂いが森の湿った空気に溶けていく。
死骸の周りにはまだ熱の残る煙が立ち上り、辺りの木々がざわめくように風に揺れていた。
「……ふう、今回は小規模でしたね」
セルデーナが掌を組み、短く祈りを捧げる。光が輪のように広がり、討伐された狼たちを包むと、苦痛に満ちていた表情が静かに安らいだ。
「成仏させてるのか」
ランゴバルトがぽつりと問う。
「はい。敵とはいえ、無意味に苦しませたまま放っておくのは神官の務めに反しますから」
セルデーナはそう言って、微笑んだ。
一方でクアイアは矢を一本一本回収し、破損の具合を確かめながら矢筒に戻していく。
「ランゴバルトさん、最初に比べたら、最後の突きは悪くなかったですよ。ちゃんと力が通ってました」
「……本当か?」
「ええ。怖がって目をつむらなければ、もっと早く倒せてましたね」
くすりと笑うクアイアに、ランゴバルトの頬が少し赤くなる。
「おお、顔が赤いぞ。熱でもあるのか?」
茶化すようにアイクが割って入り、杖の先でランゴバルトの額を軽く突いた。
「大丈夫だ。ただ、戦いの余韻で……」
「ならいい。だが次はもっと落ち着け。魔法で援護するにも、味方が右往左往していたら照準が狂う」
「……すまない」
素直に頭を下げるランゴバルトに、アイクは珍しく小さく頷いた。
騎士たちもそれぞれ傷を確認し、態勢を整えている。小隊長は三人娘の動きを改めて目に焼きつけたのか、感心したように呟いた。
「やはり、君たちはただの学生ではないな。正直、ここの森で生き残るには十分すぎる腕前だ」
「お褒めいただけて光栄です」
セルデーナが丁寧に会釈するが、どこか飄々とした雰囲気を崩さない。
ランゴバルトはそんな彼女たちを見て、胸の奥に奇妙な感情を抱いた。
羨望、劣等感、そして少しの安心。
――だが確かに、今の一戦で「自分も戦える」という手応えを掴んだ。
焚火の赤が再び燃え上がり、戦場の残滓を飲み込むように夜の闇を照らした。
その炎を囲みながら、一行は次なる一歩を踏み出す準備を整えていった。
森の奥へ進むにつれ、空気はさらに濃く湿り、木々は異様なほど密集していった。
鳥の声が消え、耳に届くのは小さな虫の羽音と風のざわめきだけ――それは不気味な静寂だった。
「……妙だな。森が死んでいるようだ」
小隊長が周囲を見渡しながら呟いた。
その言葉が落ちると同時に、茂みの影から影が飛び出した。
ゴブリン――だが数が違う。十、二十ではない。
しかも統率が取れている。
先頭の数匹が盾を掲げ、その後ろから槍兵が突き出し、さらに後方から短弓の矢が一斉に飛ぶ。
「隊列を崩すな!」
小隊長の声に、騎士たちが反射的に応じる。盾が弾く矢の音が鋭く響いた。
「ゴブリンが……こんなに組織立っているなんて」
セルデーナが驚きの声を漏らす。
アイクは即座に詠唱を開始し、炎の矢を放つ。だが矢を避けるように、敵の前列が盾を傾けて防御を固める。
「くそっ……普通の群れじゃない!」
クアイアは木陰に駆け上がり、矢を放つ。
「ほら見て! あの中央のゴブリン、命令してる!」
指差された先には、粗末ながらも金属の兜をかぶった大柄なゴブリンが立っていた。周囲のゴブリンがそれに従い、まるで訓練された兵士のように動く。
「指揮官持ちの群れ……いや、これはもう“軍”だな」
小隊長の声は低く重い。
戦闘は激しく続いたが、やがてヘジンマールの火球が敵陣の一角を吹き飛ばし、指揮官のゴブリンをクアイアの矢が射抜いたことで、残党は散り散りに逃げていった。
しかしその場に残されたのは、粗末ながら明らかに“製造された”武具。
槍の穂先には、鉄を打った痕跡がある。
「こんなもの、野良のゴブリンに作れるはずがない……」
ランゴバルトがそれを拾い、眉をひそめる。
セルデーナは周囲を見渡しながら囁いた。
「まるで……彼らが国を作ろうとしているみたい」
沈黙が一行を包む。
ゴブリンがただの小競り合いではなく、背後に“組織”を持ち始めている。
――それは、このトブの大森林に新たな脅威が芽吹きつつある証だった。
戦いの余韻がまだ森に漂っていた。血の匂いと焚き火の煙が入り混じり、緊張の余韻を強めている。
倒れ伏すゴブリンの中で、一体だけがかすかに呻き声を上げた。肩に矢を受けていたが、命までは奪われていない。
「捕らえろ」
小隊長の命令により、騎士たちが縄でその手足を縛り上げる。
セルデーナが治癒を施すと、ゴブリンは痛みから解放され、荒い呼吸の中で目を開けた。
「……き、殺さねぇのか?」
「質問に答えればな」
ランゴバルトが冷たい視線を落とす。
アイクが口を開いた。
「誰が貴様らをまとめている? こんな組織立った動き、ただの群れにできるはずがない」
しばしの沈黙の後、ゴブリンはうつろな目で笑った。
「……俺たちの王……“ロード”様の御意志だ。俺たちは、王の軍勢となるのだ……」
「ロード?」
小隊長の目が細められる。
「そうだ……強き者……我らを導き、人間どもを狩る王……。
食い物も武器も、全部“ロード”様の力で集められた。俺たちはその軍の先駆けに過ぎん……」
その言葉に、一同の背筋に冷たいものが走った。
クアイアが低く呟く。
「……つまり、ゴブリンどもは群れじゃない。王を頂点にした、ひとつの国を作ろうとしている」
セルデーナは顔を曇らせた。
「放置すれば、周辺の村々があっという間に飲み込まれます。小さな王国が生まれるかもしれません」
捕虜のゴブリンは、もはや抵抗する力もなく笑い続けていた。
「俺たちは王の兵だ……お前らも……いずれ踏み潰される……」
小隊長は険しい表情で剣を抜いた。
「これ以上は不要だ」
乾いた音と共にゴブリンの声は途絶えた。
炎の明かりに揺れる仲間たちの顔は、緊張と不安に包まれている。
ランゴバルトが小さく拳を握りしめ、呟いた。
「……ゴブリンの王国、か。そんなものが現れれば、辺境は確実に血に沈む……」
夕闇の森は、まるでその言葉を肯定するかのように、不気味な静けさを取り戻していった。
翌朝。
森はまだ夜の冷気を残し、靄が薄く漂っていた。隊は慎重に歩を進め、昨夜の捕虜の言葉を確かめるべく探索を続けていた。
先頭を歩くクアイアが、ぴたりと足を止めた。
「……ここ、見てください」
彼女が指さしたのは、木の幹に刻まれた小さな紋様だった。粗い線で描かれていたが、幾何学的な形は偶然の傷ではない。
「狩人の通し印……いや、それ以上に、組織的な合図です」
セルデーナが跪き、地面を確認する。
「この足跡……十や二十ではありません。隊列を組んで移動している。しかも、子どもや老いた者の足跡まで混じっているようです」
「……軍勢だけじゃない。女や子供まで、群れ全体が移動しているのか」
ランゴバルトが声を低くした。
アイクは眉をひそめ、近くの岩肌を調べていた。そこには人間の言葉で書かれた、殴り書きのような文が残されていた。
《王に従え。食と力を与えられん》
「……やはり、ただの群れじゃない」
アイクの言葉に、一同は息を呑んだ。
さらに進むと、森の奥に粗末ながらも木材を組み合わせた「柵」が現れた。
高さは人の背丈を越え、周囲には見張り用の櫓まで設けられている。
「砦……いや、集落か?」
セルデーナが祈りのように呟く。
「ここまで築かれているなんて……もはやゴブリンの国の始まりです」
クアイアは矢筒に指を滑らせながら、険しい表情を浮かべた。
「ただの巣穴じゃない。これは定住の拠点……ゴブリンロードが本気で“王国”を築こうとしている」
森の奥、まだ姿を見せぬ「王」の影が、確実に近づいていることを感じさせる光景だった。
次回!
第70話:ジェットスクランダー!
みんな!読んでくれよな!