オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ 城下・野営地近く /*/
黒々とした幕舎が立ち並ぶその一角から、香ばしい匂いが漂ってきた。
空腹に慣れきった市民たちは、思わず鼻をひくつかせ、足を止める。
「……肉の匂いだ」
誰かが呟いた。
そこには大きな鉄の車のようなものが並び、甲冑姿の兵たちが規律正しく列を成して器を受け取っていた。
器の中には、湯気を立てる肉の煮込みと、焼きたての黒パン。
受け取った兵士たちは笑みすら浮かべ、仲間と軽口を交わしている。
「兵が……笑っている?」
「いや、それより……飯を、全員分……?」
市民たちは呆然とした。
竜王国では、前線に送られる兵士でさえ一日干し肉一切れ。
市場では子供の口に入れる麦粥ですら高値がついていた。
さらに視線を移した者たちの目に、木製の囲いと湯気が映る。
桶を抱えた兵士が次々と中へ入り、出てくるときには頬が赤らみ、清潔な下着を身につけていた。
「まさか……風呂……?」
市民の声は震えていた。
「兵を……飯と湯で支える軍など……」
「こんな軍が……本当にあるのか……」
誰もが夢を見ているような顔で、魔導国の軍勢を見つめていた。
/*/ 竜王国・城下野営地 /*/
ウルフ竜騎兵団の野営地から、今日も肉と香辛料の匂いが漂っていた。
列をなす魔導国兵たちの横に、市民と竜王国兵が戸惑いながら立っている。
「市民と……我らが兵士まで、同じ列に並べと……?」
竜王国の下士官が思わず尋ねると、受付に立つゴブリン兵は当然のように答えた。
「命令だ。兵も市民も腹を満たさねば戦えん」
恐る恐る器を差し出した若い兵士の手に、煮込み肉とパンがよそわれる。
見上げれば、隣の列で市井の老女が同じ料理を受け取り、涙を流していた。
「……私たちまで……こんなものを……」
さらに湯気の立ち込める浴場では、鎧を脱いだ竜王国兵が肩まで湯に浸かり、隣では痩せ細った子供が笑顔で桶を叩いていた。
最初は居心地悪そうにしていた兵たちも、やがて力なく笑みを浮かべる。
「夢じゃないよな……俺たちも……湯に浸かっていいんだよな……?」
その光景を遠目に見ていた竜王国の将校たちは、驚愕と同時に深い敗北感を覚えていた。
自分たちがどれほど無力で、民に何も与えられなかったかを突きつけられたからだ。
だが市民たちにとっては違った。
「魔導国の兵は……怪物じゃない」
「守ってくれる……いや、生かしてくれる……」
その実感が、言葉にならない安堵と涙となってあふれ出していた。
/*/ 竜王国・王城 /*/
夜、城壁の上から野営地を見下ろしていた女王ドラウディロンは、目を丸くしていた。
焚き火の灯りの中に、市民や兵士たちの笑い声が響いている。
そこには敵襲の恐怖に怯える顔はなく、湯上がりで頬を赤らめ、腹を満たして安堵した人々の姿があった。
「……まるで、祭りのようだな」
女王の傍らで、宰相が苦々しげに呟く。
「我らがどれほど税を絞り、どれほど無理を重ねても与えられなかったものを……奴らは軍の一部として当然のように用意している」
「だーるい、って顔で命を投げ出す兵を見てきた。
でも、あの兵たち……笑ってる」
少女の姿の女王は小声で続ける。
「……あれが、魔導国の力……?」
宰相は腕を組み、低く答える。
「違いますな。あれは“支配”です。武力で震え上がらせ、食と安堵で縛る。民が自ら心を差し出すよう仕組まれている。……だからこそ恐ろしい」
ジョン・カルバインは玉座の間で見せた冷徹な将軍の顔を崩さず、ただ規律正しく兵たちに命を下していた。
しかし、その命令ひとつで民の表情が変わり、兵の士気が一変する。
「……宰相。もしこの国が魔導国に救われれば、民は誰を“真の王”と思うだろうな?」
女王の問いに、宰相はすぐ答えなかった。
ただ、眼下の光景を見据え、やがて重く口を開く。
「……恐らくは、あの青銀の毛皮を持つ将軍を」
少女女王はしばし沈黙し、そしてわずかに口元を歪める。
「じゃあ、私も……頼るしかないか。だーるいけど」
「それでは前線を固めるのはウルフ竜騎兵団に任せて、我が国の選抜された一団を送り込んで敵の頭を潰すとしましょう」
「それはアイツを使うと言う事か」
「ええ、彼です」
ドラウディロンと宰相の間で彼と言えば一人しかいない。この国唯一のアダマンタイト級冒険者チーム“クリスタル・ティア”の“閃烈”セラブレイトだ。光輝剣と言う剣技を使う為、そんな二つ名を持ち、ホーリーロードと言う職に就く人物だ。
ただ――
「アイツは絶対にロリコンだぞ?話してる時のアイツは、ねっちょりと私の体を眺めるからな。こんな平坦なものを見て嬉しいのか?そうだったら壁でも見ていれば良いだろうが」
「性癖ですから。ああ、そうですよ、陛下。彼はロリコンです」
ドラウディロンは顔を引き攣らせる。
「断言しないでほしかった。うちの国のアダマンタイトは……もう少しまともな奴が良かった。エ・ランテルのモモンとか」
「何を言ってるんですか。ちょっと可愛い純粋無垢な子供の演技をすれば必死になって戦ってくれるんですよ。我々にとっては非常に都合の良い男ではないですか」
「敵陣に突撃させるとか私が奴の欲望を満たしてやらねばならなくなるじゃないか。……おい!明日の朝食になる豚を見るような目で私を見るな!」
はぁ、とわざとらしくため息を吐く部下に彼女は青筋を立てる。
「それぐらい良いじゃないですか。陛下、我慢して下さい。物理的に喰われてる民よりはまだマシですよ」
ぐぅの音も出ない。
「……覚悟を決めるしかないのか」
宰相は淡々と眼鏡を押し上げる。
「セラブレイトをどう扱うか……それが魔導国に対して、我らがどれだけ対等であるかを示す材料になります」
「だーるい。あんな変態を切り札にする羽目になるとは」
少女女王は城壁に頬を押しつけ、苦虫を噛み潰したように呻く。
「……まあいい。明日の会談に奴を同席させろ。ただし――」
「ただし?」
「私が“お人形”を演じている間に、勝手に変な目で見させるな。……あれ以上視線がねっとりしてきたら、マジでぶっ飛ばすぞ」
宰相は小さく肩をすくめ、しかし口元にだけ冷笑を浮かべた。
「承知しました、陛下。……もっとも、彼がいなければ、この国は明日の朝すら迎えられないかもしれませんがね」
/*/ 竜王国北部・前線 /*/
ビーストマンの群れが、怒涛の如く押し寄せていた。
肉食獣の頭部を持つ獣人であるビーストマンは狩りを楽しむように兵士たちを蹂躙していた。
兵士たちは必死に防衛線を維持していたが、数と質で圧倒されていた。
「もう駄目だ……!」
「退け!食い破られるぞ!」
絶望の声が広がりかけた、その時――。
「ふふ……愛しき女王よ。見ていてくだされ……!」
光が奔った。
セラブレイトが跳躍する。
銀鎧が陽光を反射し、剣を抜いた瞬間、周囲のビーストマンの首が一斉に飛んだ。
「光輝剣――《クルセイド・フラッシュ》!」
白銀の軌跡が十字を描き、十を超えるビーストマンが一瞬で斬り伏せられる。
獅子の牙が迫るが、次の瞬間には粉砕され、強靭な皮も紙のように裂けた。
「う、嘘だろ……一人で……!」
「軍勢を薙ぎ払っている……!」
兵士たちの目に映るのは、まさに英雄。
その剣技は神速、戦場に舞い降りた救世主そのものだった。
しかし――彼の口から放たれた言葉が、全てを台無しにする。
「陛下ァァァ! この命、幼き御身に捧げまするぅぅぅ!」
「嗚呼!玉座で無邪気に笑われる姿……尊すぎて、鼻血が止まらんッ!」
ズシャァァァン!
叫びと共にビーストマンの大軍がまたも切り裂かれ、戦場が一瞬にして静寂に包まれる。
――兵士たちの反応は、歓喜と困惑の入り混じったものだった。
「た、助かった……けど」
「いや強すぎるだろ……」
「なんであの人、女王陛下の“幼さ”ばっか強調してんだ……?」
後方で見ていたウルフ竜騎兵団の将校ル・ガルー(人狼)が肩をすくめる。
「実力は認める。だが……やっぱりロリコンかぁ」
ジョンも遠くから戦場を見つめていた。
その冷たい銀瞳には感情はない。
ただ一言、無表情で呟いた。
「……戦力としては十分。人間性は……面白枠だな」
/*/ 竜王国・王城 謁見の間 /*/
前線から凱旋したセラブレイトは、血飛沫を浴びた銀鎧をそのままに、誇らしげな顔で玉座へと進み出た。
「女王陛下ァ!ご安心召されよ!敵軍の大半はこの剣が切り伏せましたぞ!」
彼は片膝をつき、床に剣を突き立てる。
その仕草はまさに英雄――しかし、その口調がすべてを台無しにする。
「嗚呼……尊き陛下よ!小さな御足でこの国を支えておられるお姿……尊すぎて、もはや涙が止まらぬ……!」
「……っ」
女王ドラウディロンは玉座で背筋を伸ばす。
確かに命を救ってくれた英雄だ。
だが視線が肌を撫で回すたび、得体の知れない寒気が背を走る。
「セラブレイト殿」
宰相が咳払いをして間に入る。
「……勇戦に感謝いたします。ですが、陛下はお疲れです。御言葉は控えめに」
「控えよと!? いいや!この身は陛下の御為にある!小さき御手に触れることができるのならば、我が魂は天に召されても構わぬ!」
セラブレイトの声が謁見の間に木霊する。
兵士や廷臣たちは「うわぁ……」という顔で目を逸らした。
その場を黙って見守っていたジョンが、ゆっくりと口を開く。
「……功績は確かだ。だが、女王に引かれては意味がない」
「な、何を言うか白銀の獣め! 陛下はお喜びのはず!なぁ、陛下!」
セラブレイドは熱に浮かされたように女王へ視線を向ける。
女王は小さく呟き、深いため息をついた。
その声音は小さいながらも、謁見の間の全員に届いた。
一瞬の静寂――そして兵士たちが顔を見合わせる。
「やっぱり……ロリコンかぁ」
その評価は、決して覆らないものとなった。
「セラブレイト殿」
女王ドラウディロンは、玉座の上で静かに立ち上がった。
まだ幼さを残す小さな体が、謁見の間の全員の視線を吸い寄せる。
「……国のために、あなたの力が必要です」
「もちろんですとも!愛しき女王陛下ァ!」
セラブレイトは恍惚の表情で片膝をつく。
女王は小さく息を整え、震える声を抑えながら続けた。
「敵の首魁……獅子王ガルゾック。あれを討ち果たせるのは、あなたしかいない」
兵士や宰相が息を呑む。
女王の言葉には、ただの依頼を超えた響きがあった。
「……成功の暁には」
少女の瞳に、決死の覚悟が宿る。
「この身を、あなたに捧げましょう」
「――ッ!」
セラブレイトの全身が震えた。
瞳孔が開き、鼻血が噴き出す。
「ぅ、うぉおおおおおおおッ!神よ!いや、これは夢かッ!?
この小さき女神が!尊き幼き御身が!私に、私にぃぃぃ!
おおおおおッ、死んでも討ち取る!討ち取ってみせるぞガルゾックォォォ!」
彼の叫びは狂気と歓喜に満ち、謁見の間の壁を震わせた。
兵士たちは一斉に引き、宰相は青ざめる。
ただ一人、ジョンだけは冷めた目で呟いた。
「……王の覚悟も、英雄の歪みも。利用価値はある」
女王は小さな両手を強く握りしめた。
「国を守るためなら……私の身など、惜しくはない」
その姿は、幼さを帯びながらも確かに王の風格を帯びていた。
/*/ 竜王国・北部戦線へ向かう途上 /*/
「フフフ……フハハハハハァァァ!」
セラブレイトの哄笑が街道を震わせる。
銀鎧に滴るのは返り血ではなく、止まらぬ鼻血。
頭上で剣を振り回しながら、彼は一歩ごとに石畳を砕いて進む。
「愛しき女王よッ!その小さき御身を私に捧げると……その尊き口で……!
あああ!この我が耳が、確かに聞いたァァァァ!
おおガルゾック!貴様を斬るその時、私の愛は完成するのだッ!」
後方から同行している竜王国兵が、恐怖と尊敬の入り混じった表情で囁く。
「……つ、強すぎる……が、気持ち悪い……」
「いや……でも、あの人がいなきゃ俺たち生き残れないぞ……」
「…リーダー飛ばしてるね…」
「まー憧れの女王陛下を抱けるとなりゃなぁー」
「俺たちはちゃんと報酬貰えればそれで良いけど…」
「え?5P?」
「ちゃんと金貨で貰うよ。貰わないのはリーダーだけ」
そのさらに後ろで、ウルフ竜騎兵団のル・ガルーがため息を吐く。
「戦場に出すと百人力だが……普段は百害あるな」
同じく行軍していたジョンは、面白い玩具を見つけたとセラブレイトを見ていた。
その金瞳が、狂喜乱舞するセラブレイトを横目に一瞥。
「……首魁を討つだろう。問題は、その後だ。無事に脱出できるのか?」
セラブレイトの鼻血が地面に飛沫を描きながら、戦場への道を朱に染めていく。
その背中は確かに英雄の輝きを放ちながらも――どこか常軌を逸した、異様な影をまとっていた。
/*/ ナザリック地下大墳墓・会議室 /*/
静寂を切り裂くのは、紙の擦れる音と、悪魔の低い声だけだった。
デミウルゴスが細長い指で資料を整え、アルベドの前に差し出す。
「ご覧ください、アルベド。この“獣の国”から東方における情報網を通じて判明した事実です」
アルベドの金色の瞳が細められる。
「……人間が“家畜”にされている?」
デミウルゴスは恭しく頷いた。
「ええ。しかし、ここが興味深いところでして……人間という種は畜産動物としては極めて効率が悪い。繁殖力も低く、食肉としての量も不十分。
結果、東方ではほとんど絶滅に近い状態に追い込まれているのです」
アルベドは眉をひそめた。
「ならば、なぜ今になって大規模な侵攻を?」
デミウルゴスは口元を歪ませ、悪魔らしい笑みを浮かべる。
「理由は単純。供給不足です。
彼らの“需要”に対して、供給が絶たれかけている。そこで……竜王国の人間を捕らえ、東に“輸出”しているのです」
「人間を……食料としての“貿易品”に?」
アルベドの声音が低くなる。
「ええ。竜王国への侵攻は単なる戦争ではなく――食肉の供給ルート確保のための交易戦争。
我らが至高の御方に仇なす者どもの行動原理が、いかに卑しく、愚かであるか……」
デミウルゴスはゆっくりと眼鏡を押し上げる。
「ただし、これこそ我らにとっては好機です。
彼らの目的を知ることで、戦場の流れを先読みできる。いずれ、竜王国を救う“守護者”として、至高の御方のお力を示す舞台ともなるでしょう」
アルベドはしばし考え込み――やがて冷たく微笑む。
「つまり、人間という存在はこの大地ではもう希少資源になりつつある……。
ならば――竜王国の“人”を守ることは、至高の御方の影響力を拡大する最大の武器になるわけね」
デミウルゴスは恭しく頭を下げる。
「ええ、アルベド。……この大侵攻は、御方にとって“利用すべき収穫”でしかありません」
暗黒の会議室に、冷徹な笑いが響いた。
その影で、人間という存在は知らぬ間に――ナザリックの盤上に置かれていたのだった。
/*/ 竜王国北部戦線 /*/
ビーストマンの咆哮が、次々と掻き消されていく。
それは雄叫びではなく断末魔。
一刻前まで押し潰されかけていた防衛線が、いまや逆に前進していた。
「……信じられん」
誰かが呟いた。
オーガが盾で獣人を叩き潰し、その隙間にリザードマンが滑り込む。
その背後をドワーフが守り、さらに人狼たちが咆哮と共に敵陣を引き裂く。
その一連の流れは、まるで仕組まれた歯車のようで――一度も乱れない。
「味方、だよな……?」
「わからねぇ……だが確かに、俺たちを守ってる」
頭上で光と炎が交錯する。
魔法隊の詠唱が響くたび、獣人の群れが焼かれ、雷に貫かれて倒れる。
それなのに――自分たちには一滴の被害も届かない。
「敵を焼き尽くして……俺たちにかすりもしない……」
「狙いが正確すぎる。人間業じゃねぇ」
そして後方では、傷だらけの仲間が医療隊に担ぎ込まれ、次の瞬間には立ち上がって走り戻っていく。
血も、痛みも、ただ戦線維持の数字に過ぎぬかのように。
「怖ぇ……」
「でも……ありがてぇ……」
竜王国兵たちの顔には、恐怖と感謝が入り混じっていた。
助けられているのは確かだ。
だが同時に――救済の形は、あまりにも人外のそれだった。
「……これが魔導国の軍……」
「……勝てるわけねぇな。敵としても、味方としても」
そう呟いた声は、戦場の轟音に掻き消されていった。
/*/ 竜王国北部戦線 押し上げ続行 /*/
戦場は凄惨であった。
血煙と獣の咆哮の中、重装歩兵が壁を築き、人狼隊が切り裂き、魔法隊が焼き尽くす。
医療隊は後方で次々と兵を立ち上がらせる。
――ウルフ竜騎兵団は、ただ“強い”だけの軍ではなかった。
陣が整えられるや否や、彼らは竜王国の兵や逃げ惑う市民に向け、ためらいなく施設を開放した。
戦場の片隅に設けられた炊事場では、ゴブリンの料理班が巨大な鍋をかき混ぜる。
香辛料の匂いが風に乗って広がり、疲弊した人々の胃袋を揺さぶった。
「さぁ、食え!肉でも粥でも選べ!」
「お、おれたち……竜王国の兵だぞ……?」
「戦場に国境は要らん。生き残れ、それでいい」
さらに湯気が立ちのぼる。
竜王国には存在しない規模の野戦浴場――。
巨大な狼の皮を天幕に仕立てた浴舎に、傷だらけの兵や避難民までもが誘導されていく。
「次の方、どうぞ」
「え……俺も?兵でもないのに?」
「当たり前だろう。汚れと血を落とせば、人間はまた立ち上がれる」
怯えた市民たちの顔に、少しずつ笑みが戻っていく。
兵士たちは、湯から上がった仲間の頬に赤みが差しているのを見て、心底驚いた。
「……あれほど恐ろしい軍勢なのに」
「分け隔てなく、俺たちにも……」
「まるで……神話の守護者だ」
竜王国の兵士の胸に、かすかな誇りと安堵が芽生えていた。
その姿を見届け、ウルフ竜騎兵団の指揮官ル・ガルーは小さく笑った。
「戦とは、人を滅ぼすだけじゃない。俺たちは……生かすために戦う」
その言葉は、戦場を包む血と硝煙の中にあって、確かに人々の心に刻まれていった。
/*/ 竜王国北部戦線 反撃の狼煙 /*/
血に塗れ、疲弊し、絶望に沈んでいた竜王国兵。
だが今――彼らの目に映るのは、ウルフ竜騎兵団が築いた「戦いの形」だった。
飯を振る舞い、湯を与え、怪我人を立ち上がらせる異形の軍勢。
その姿は、恐怖の象徴であるはずの魔導国軍とはまるで違っていた。
「……俺たちも、まだやれる」
「戦うんだ、あの人狼たちに恥じないように!」
「祖国を、女王を……守れッ!」
誰からともなく声が上がり、それが連鎖する。
竜王国兵の瞳に再び光が宿った。
重装歩兵の列が揃い、槍が天を突く。
魔法使いたちが声を合わせ、精霊の加護を呼び起こす。
血まみれの剣を握りしめた若き兵が、震える声で叫んだ。
「竜王国、反撃だああああッ!」
鬨の声が戦場を震わせる。
押し寄せるビーストマンの群れに、竜王国兵が突撃した。
彼らの背を守るように、ウルフ竜騎兵団が無言で進撃する。
「おおおおッ!」
「押せ!押し返せ!」
その勢いは、もはや敗残の軍ではなかった。
ウルフ竜騎兵団の規律と力に触発された竜王国兵は、己が誇りを取り戻し、獣の群れを逆に呑み込んでいった。
遠く、竜王国の城壁から戦況を見守っていた女王は、思わず立ち上がる。
震える声で呟いた。
「……奇跡だ。民が……兵が……生き返った」
その瞳に、かすかな涙が光った。
/*/ 竜王国北部戦線 決戦 /*/
竜王国兵の鬨の声が、戦場を覆った。
その熱に呼応するように、ウルフ竜騎兵団が突撃する。
「ウォォォォンッ!」
先陣を切ったのは突撃人狼隊。獰猛な遠吠えが響くと同時に、獣の爪と鋼の槍がビーストマンの群れを切り裂いた。
その隙を突いて重装歩兵隊が進撃する。
ゴブリンもオーガもリザードマンも、統制のとれた動きで盾と槍を前に押し出す。
「押せェェェ!」
竜王国兵も混ざり、まるで一つの軍勢のように列を組み直していった。
「ファイアスピア!」
「ヒーリング、前衛にっ!」
後方から魔法隊と医療隊が的確に支援を飛ばす。
倒れかけた兵士はすぐに治療を受け、炎と雷が敵陣を切り裂く。
――そこに加わる竜王国兵たち。
彼らはウルフ竜騎兵団の規律と戦術に従い、自然と一体となって戦い始めていた。
「敵、後退していきます!」
「追えッ!押し切れ!」
戦場の空気が完全に変わっていた。
さっきまで蹂躙されるだけだった竜王国兵が、今は獣を駆逐する力そのものとなっている。
やがて、ビーストマンの群れは戦意を失い、統率を欠いて潰走を始めた。
ウルフ竜騎兵団の統制された追撃が、その背を容赦なく刈り取る。
「勝った……!」
「勝ったぞォォォ!」
歓喜の叫びが戦場を揺らす。
竜王国の旗が高く掲げられ、敗北寸前だった北部戦線は――完全に逆転していた。
丘の上から戦況を見下ろしていたジョンが、静かに頷いた。
「……士気の炎を灯せば、人間もここまで戦える」
その隣でル・ガルーが牙を見せて笑った。
「これで竜王国もまだ生き延びられますね」
勝利の咆哮が大地を揺らす中――竜王国は、魔導国からの“異形の友軍”と共に、歴史に刻まれる大勝利を得たのだった。
/*/ 竜王国・前線陣地 /*/
捕虜となったビーストマンが鎖に繋がれ、焚火の明かりに照らされていた。
狼の頭をしたその戦士は、なおも牙を剥き出していたが、ジョンの冷たい視線に次第に声を低めていく。
「……なぜ、人間を食らう?」
ジョンの問いは淡々と、だが有無を言わせぬ重さを持って響いた。
「……獣に……理由など……」と最初は吐き捨てたが、ジョンが手を上げると、背後のルー・ガルーが無言で拳を握る。空気が一気に張り詰め、捕虜はたまらず言葉を継いだ。
「……人間は……便利だからだ」
「便利?」
「牛や豚……あんなもの、俺たちが世話できるわけがない。
病気になれば死ぬ、食い物をやらねば痩せる。……あんなもの人間でもなけりゃ世話できねぇ」
「だが人間は勝手に生き延びる。食い物を探し、水を汲み、子を産む。
そのうえ逃げ惑い、恐怖に震える……。狩りを楽しませながら、肉も提供してくれる。
……人間ほど優れた家畜はいない」
ジョンの瞳が細められる。
「つまり……お前たちは、人間を“自律する家畜”と見なしているわけだ」
捕虜は悔しげに牙を噛み鳴らした。
「……そうだ。だが竜王国の人間どもは数を増やしすぎた。
俺たちだけじゃ食いきれねぇ……だから東へ売り払う。商いとしてな」
背後でルー・ガルーが目を細める。
「……なるほど。人間を“輸出”していたというわけだ」
捕虜の狼男は、誇らしげに吠えた。
「俺たちは獣だ! 獲物を狩り、食らい、増やす。……それのどこが悪い!」
しかしジョンは一歩近づき、その巨体を覆う影を捕虜に落とした。
「――悪い?悪いとは自分らの目的、理想、信仰、欲望の為に他人の犠牲を強いる事だ。だが、誇りある悪ならば!いつの日か、自らも同じ悪に滅ぼされる事を覚悟するものだ。
お前たちには覚悟が足りない」
焚火がパチリと弾ける。
捕虜の背に冷たい汗が流れ落ちた。
捕虜の狼男は、なおも虚勢を張ろうとした。
牙を鳴らし、唾を飛ばしながら吠える。
「お、俺たちは……獣だ!獲物を狩り、喰らう!人間など――」
だが、その声は震えていた。
ジョンの無機質な金瞳に映し返されるのは、自分の姿――鎖に繋がれ、逃げ場もなく、ただ震える獲物。
「……っ」
狼男は言葉を失い、喉の奥から漏れるのは獣の低い唸りではなく、怯えた呼吸音だった。
誇り高き獣のはずの彼が、今まさに人間と同じ「狩られる側」に堕ちていた。
周囲で見ていた竜王国兵たちは、そのやり取りを聞き、怒りと悔しさに拳を握る。
「……俺たちは、そんなふうに見られていたのか……!」
「ふざけるな……家畜だと!?俺たちは人間だ!」
「仲間を……家族を……売られてたのか……!」
焚火の炎に照らされたその顔には、恐怖ではなく決意が宿り始めていた。
ジョンは兵士たちの反応を一瞥し、再び捕虜を見下ろした。
「――選ぶのは、お前たちではない。竜王国の人間だ。
お前たちが“家畜”と呼んだ者たちが、お前の生死を決める」
狼男の喉が、ごくりと鳴った。
竜王国兵たちは焚火の前で息を呑む。
彼らにとって、これはただの捕虜の裁きではなかった。
「自分たちは家畜ではない」という誇りを取り戻す瞬間だった。
/*/ 竜王国・前線陣地 /*/
「裁きは……女王陛下の御手でなされるべきだ」
誰ともなく呟かれたその声が、周囲に広がっていった。
「そうだ……俺たちにとって陛下は唯一の誇りだ……!」
「人間を家畜と見下した獣を、我らが女王の御前に引きずり出すんだ!」
「この血の屈辱を、陛下の裁きによって晴らしていただく!」
兵士たちの目には、怒りと共に強い光が宿っていた。
それは復讐の炎だけでなく、自らを「人間」として取り戻す誇りの輝きだった。
捕虜の狼男はなおも牙を剥こうとしたが、鎖を握る兵士の手はもはや震えていない。
むしろ獲物を狩る獣のように、確固たる力で引きずり立たせる。
ジョンはその様子を黙って見つめ、低く呟いた。
「……よい判断だ。己の怒りに溺れず、正しく権威へと託す。
竜王国はまだ戦える」
ル・ガルーが肩をすくめ、口端を吊り上げた。
「ならば、この捕虜は丁重に護送しなきゃならんな。……途中で八つ裂きにされんように」
焚火の炎が大きく揺れ、兵士たちは一致した声で応えた。
「――女王陛下の御前へ!」
鎖に繋がれた捕虜は引き立てられ、夜の闇の中へと連れ去られていった。
その背を見送りながら、兵士たちの胸には一つの思いが強く刻まれていた。
「我らは家畜ではない。陛下の臣民であり、誇り高き人間だ」と。
/*/ 竜王国・王城・謁見の間 /*/
玉座の間に、鎖で繋がれた狼頭の捕虜が引き立てられてくる。
鎧の擦れる音、兵士たちの靴音、そしてざわめきを呑み込むような重い沈黙。
玉座に座すは竜王国の女王。
黒髪を垂らし、金色の瞳に冷徹な光を宿したその姿は、弱々しい娘ではなく「国の象徴」としての威容を放っていた。
「……名を名乗れ」
澄んだ声が玉座から響く。
捕虜の狼男は一瞬、誇りを取り戻したかのように牙を剥いた。
「俺はガル=トゥルク! 血と狩りの氏族の戦士にして、人間狩りの群れを率いた者だ!」
女王は瞼を閉じ、兵士たちの視線を一身に集めながら静かに告げる。
「ガル=トゥルクよ。貴様らは竜王国の民を狩り、嬲り、食らった。
人間を家畜と嘲り、命を弄んだ。……その罪、弁明はあるか?」
「弁明? 我らは獣だ! 狩り、生き、食らう!
弱き者が強き者に食われる、それが世界の理だ!」
玉座の間にざわめきが走る。しかし女王は眉一つ動かさず、冷たく言い放つ。
「――ならば知るがいい。竜王国の民は、決して弱き者ではないと」
その声は、兵士たちの胸を打ち、場の空気を一変させた。
女王は剣を侍従から受け取り、立ち上がる。
その細き腕に宿るのは「覚悟」の重みだった。
「竜王国の名の下に、我は汝を裁く。
その命、ここに絶つ」
女王の剣が振り下ろされ、狼頭の捕虜の首が落ちる。
血が赤絨毯に散り、兵士たちが一斉に声を上げた。
「――万歳! 女王陛下、万歳!」
轟く歓声と共に、兵士たちの心は一つになった。
もはや誰も「家畜」としての自分を疑わない。
この日、竜王国は「誇りを取り戻した民」として立ち上がったのだった。
人間はそんなに旨いのか!?
ビーストマン!なぜお前たちは俺たちを襲うのだ!?
謎が謎を呼ぶ風雲急を告げる第75話「変態さんGoGo!」!
君は刻の涙を見る。