オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ 竜王国・王城 女王の私室(前夜) /*/
深夜。
静寂に包まれた寝室で、女王ドラウディロンは重く艶やかな髪をほどき、椅子に腰かけていた。
傍らには妹アウレリア。まだあどけなさを残す横顔が、燭台の炎に照らされる。
「姉上……本当に、セラブレイトに純潔を捧げるつもりなのですか……?」
震える声。
アウレリアは必死に問いかける。
ドラウディロンは静かに目を閉じ、やがてゆるやかに頷いた。
「……ああ。約した以上、果たさねばならぬ。私は竜王国の女王だからな」
「ですが――! あの男は……! 強さは疑いようもありませんが、常軌を逸しています。
そんな者に……そのような大切なものを……」
アウレリアの目に涙が滲む。
だがドラウディロンは、妹の肩に手を置き、強くも優しい声音で言った。
「アウレリア。王族とは、己の全てを国に捧げる宿命にある。
民の命を守るためならば、剣を取り、血を流し、誇りをも差し出す。
ならば、たとえこの身が辱められようとも……それが民の救いとなるのならば、女としての一線すら捨てよう」
その瞳には揺るぎない覚悟が宿っていた。
「私はただの女ではない。竜王国の盾であり、王であり、母である。
たとえ屈辱であろうと、それを背負うことこそが――王族の役目だ」
アウレリアは唇を噛み、姉の手を強く握り返した。
「……姉上……。わたくしは……決して忘れません。その覚悟を」
ドラウディロンは微かに微笑み、妹を抱き寄せた。
「良いか、アウレリア。いつの日かお前もまた、国を守るために選ばねばならぬ時が来る。
その時は、私のこの覚悟を思い出せ」
炎が揺れ、二人の影が壁に重なった。
王としての決意と、姉妹の絆が、静かに夜を照らしていた。
/*/ 竜王国・王城・謁見の間 後日 /*/
戦場から戻った竜王国兵とウルフ竜騎兵団の凱旋。
整列する兵士たちの視線の先、玉座に女王が座す。
セラブレイトは一歩前に進み出て、誇らしげに胸を張った。
「陛下ッ! 我ら、敵首魁ガルゾックを討ち取り、竜王国に勝利をもたらしました!」
玉座から見下ろす女王は、その報告に深く頷いた。
「……よくぞ果たした。竜王国はその働きを決して忘れぬ。
そなたには――相応の褒美を与えよう」
その瞬間、セラブレイトの脳裏に電撃が走った。
「ふ、褒美ッ……! 相応の……! ああ、あの夜の誓い……っ!」
銀鎧がガタリと鳴り、彼は鼻血を噴き上げながら恍惚と叫んだ。
「女王よ! ついにッ! ついに我が身はその小さき御身を――この剛腕に抱きしめる栄光を得るのだッ!」
兵士たちが「うわぁ……」と一歩引く中、仲間のレンジャーが小声で頭を抱える。
「……いや、褒美って金貨とか称号とかの話だろ……」
「毎回なんでこう、性的方向に解釈するんだ……」と魔法使いが呆れ。
神官は額を押さえて「陛下の御心が誤解されませんように……」と祈る。
女王はさすがに顔を紅潮させ、毅然とした声で言い放った。
「……勇者セラブレイト。その忠勇は確かに報いねばならぬ。
――後ほど、私自らの手で、そなたに褒美を授けよう」
「ぬぅぅぅあああああッ! 聞いたぞ皆の者! 女王の御言葉をッ!
報酬は……わたくしの魂を燃やす至高の愛! あああ陛下ァァァ!」
セラブレイトが勝利の雄叫びと共に天へ剣を突き上げると、鼻血の飛沫が天井に散った。
竜王国兵は拍手しつつも「……いや何を貰うつもりなんだアイツ」と囁き合い。
ジョンは横目で「……まあ、結果的に士気は上がる。放っておけ」とだけ呟いた。
/*/ 竜王国・王城 女王の私室 /*/
夜。
厚いカーテンに閉ざされた寝室は、燭台の炎が揺れ、甘い香の煙が漂っていた。
女王は寝台の前に立ち、静かに息を吐いた。
「……褒賞を与えると約した以上、私は女王として約束を果たさねばならない」
鏡に映る己の姿を見つめ、かすかに目を閉じる。
その表情に浮かぶのは羞恥でも恐怖でもなく――国を守る為に選んだ、凛とした決意。
「これは国のため。竜王国の未来のため……」
扉が荒々しく開かれ、銀鎧の騎士が姿を現す。
セラブレイト。
すでに顔中を鼻血で濡らし、獣のような荒い呼吸を漏らしている。
「おおお……陛下……ッ!
約束の褒美を、この私に! その尊き御身を……私の剣に、いや私の魂に抱かせてくだされッ!」
女王は一瞬だけ瞼を伏せ、そして毅然と顔を上げた。
「……来るがよい。勇者セラブレイト。
そなたの武勇、竜王国は永遠に忘れぬ」
その言葉はセラブレイトの胸に雷のように響いた。
「うぉぉおおおおおおッ! 愛だッ! これは愛だぁぁぁぁッ!」
彼は歓喜の叫びと共に女王に駆け寄り、そのまま二人は寝台へと消えていく。
閉ざされた扉の向こうから――やがて、絹を裂くような声と、狂気じみた笑いが夜更けの城に響き渡った。
そしてその夜、女王は心の奥底でただ一つ、冷ややかに呟いていた。
「……国のために身を差し出すのならば、せめてこの狂気を力に変えてみせよう」
/*/ 竜王国王城・謁見の間 /*/
玉座の前。
竜王国女王ドラウディロンが蒼ざめた顔で俯いていた。
ジョンの金の瞳が、冷ややかに玉座を見上げている。
「魔導国の要求は単純だ。――“始原の魔法”の引き渡し。
それが叶わぬなら、竜王国は滅ぶ」
女王の唇が震える。
だが、その異能は竜の血と魂に結びついた存在。誰にも譲れない。
「……渡せぬ。始原の魔法は“存在そのもの”……誰かに手渡すことなど……!」
謁見の間に沈黙が落ちる。
重臣たちが顔を歪め、ざわめきが広がった。
「陛下……しかし、要求を拒めば国は……!」
「だが、姫様を差し出すなど前代未聞……!」
切迫と困惑が交錯する中。
儚げな声が響いた。
「……では、私では……駄目でしょうか」
一斉に視線が集まる。
黒髪に金の瞳を宿す姫、アウレリア・オーリウクルスが歩み出ていた。
病弱そうな姿に反して、その瞳は凛とした決意を帯びている。
「私は“始原の魔法”を扱えません。けれど……竜の血は確かにこの身に流れています。
研究対象として、証として……魔導国に差し出すのなら――私を」
「アウレリア!」
女王は愕然と振り返る。
玉座の上で、二つの思いがせめぎ合う。
――女王としてならば、この申し出を受けるべきだ。
――だが姉として、妹を差し出すなど到底耐えられぬ。
指先が肘掛けを白くなるほど握り締め、ドラウディロンの心は引き裂かれていた。
アウレリアはそんな姉に、静かな微笑みを向ける。
「お姉様……私は、竜王国の姫として何かを守りたいのです。
竜の血を継ぐ者は、己が命を惜しんではならぬと――そう教えてくださったのはお姉様でしょう?」
女王の目が大きく揺れる。
ジョンは一瞬、彼女を見据え――冷徹な光の奥に、わずかな興味を閃かせた。
「……ふむ。始原の魔法は渡せぬ。だが、竜の血を引く証……確かに悪くはない。
魔導国にとって、十分な価値はあるだろう」
玉座の間が凍りついた。
アウレリアの提案を、ジョンが認めたのだ。
女王は苦悩に震えつつも、もはや否定の言葉を紡げない。
その沈黙が、決定を下す鐘の音のように重く響いた。
「……アウレリア……」
竜王国の未来を揺るがす姫の自己犠牲が、この瞬間に定められたのだった。
/*/ 竜王国王城・出立の日 /*/
城門前。
鎧をまとった魔導国の兵が整然と並び、黒鉄の馬車が待っていた。
しかしその内装は、囚人を運ぶ檻ではなく、深紅の絹と金糸の刺繍で飾られた小さな応接室のように整えられている。
「……貴賓、か」
玉座から降りた時と変わらぬ、儚げな微笑みでアウレリアは呟いた。
実際には“研究対象”。
だがその扱いは、竜王国との外交を意識したもの――決して囚人ではなく、あくまで“姫”としての体裁を整えていた。
竜王国の重臣や兵たちは、最後まで不安げに彼女を見送る。
中には涙をこらえ、拳を握りしめる者もいた。
「アウレリア殿下……どうか、ご無事で……!」
「必ず、我らが迎えに参ります!」
彼女は首を横に振り、静かに微笑んだ。
「いいえ……私は、もう竜王国の人々を縛る鎖にはなりません。
どうか、皆はお姉様を……国を、支えてあげてください」
その言葉は、兵たちの胸を打ち、涙を誘った。
城門の上から、女王ドラウディロンが必死に感情を押し殺し、妹を見送っている。
姉である心は引き裂かれていたが――女王である顔は崩さなかった。
馬車の扉が閉まり、車輪がきしみをあげて動き出す。
黒衣の護衛に囲まれながら、アウレリアを乗せた馬車は城を後にした。
窓辺に座る姫は、遠ざかる王城を見つめながら小さく囁く。
「……私の身が、国を繋ぐ楔となるのなら――喜んで」
その金の瞳には、か細い体に似合わぬ強靭さが宿っていた。
そして――彼女の運命は、魔導国の深淵へと踏み込んでゆく。
/*/ 魔導国・ナザリック大墳墓 /*/
重厚な黒曜石の門を抜け、深奥の研究区画へ。
竜王国から送られた馬車が止まり、アウレリアが静かに降り立つ。
病弱そうな容貌、しかし金の瞳は一点の曇りもなく輝いていた。
その姿を、待ち受けていた魔導国の頭脳たちが凝視する。
「ほう……これは、なかなか」
骨の手を鳴らし、骸骨姿のエルダーリッチ研究者が低く唸る。
「竜の血が八分の一……だが、この魔力反応、只者ではない」
古書を抱えるエルダーリッチとなったカジットも目を細めた。
「儚げな容姿は擬態だな。内に潜む力は……人のそれを遥かに凌ぐ」
アウレリアは二人の視線を正面から受け止め、わずかに首を傾げる。
「……私は、研究のために参りました。痛みを伴うのなら……国のため、耐えます」
その毅然とした姿勢に、エルダーリッチもカジットも一瞬言葉を失う。
そこに、玉座の間から直々に下った“命令”を伝える者が現れた。
漆黒のかっこいいドイツ軍っぽい軍服を纏ったジョンである。
「言っておく。デミウルゴス、貴様のやり方はこの対象には許されない」
低い声が研究区画に響く。
「……仰せのままに」
赤い尾を揺らし、デミウルゴスが深々と頭を下げる。
「かつての亜人に施した解体や肉体実験は行わぬ、と」
ジョンは銀の瞳で研究者たちを一人ずつ射抜く。
「この姫は“実験体”ではなく“研究対象”。扱いを誤れば、交渉そのものが崩れる。
――理解したな」
研究者たちは一斉に頷いた。
だがその眼差しには、禁じられた衝動を抑えつつも、好奇と渇望が滲んでいる。
アルベドが一歩進み出る。
「ジョン様のお言葉の通り、ここでは“貴賓”としてお迎えします。
……ですが同時に、“至高の御方の恩寵”を証する素材でもある」
彼女は優雅に微笑み、アウレリアの顎に白い指先を伸ばしかけ――直前で止めた。
「……あなたは、ここで新しい意味を得ることになるでしょう」
アウレリアは小さく息を吸い、ゆるやかに微笑んだ。
「……それが、私にできる役目ならば」
その瞬間、研究者たちの眼差しが一層熱を帯びた。
囚われの姫としてではなく――竜の血を宿す、唯一無二の“観測対象”として。
そして、ナザリックの深淵は、静かに彼女を飲み込んでいった。