オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ 魔導国大使館・応接室 /*/
重厚な扉の向こう、煌々と灯された部屋。
ジルクニフはソファに腰を下ろし、目の前の人狼――大使ジョンを睨むように見据えていた。
「……やはり、お前たちの目的が分からん。
鉄の騎士に続き、今度は“へびーましんがん”。
与えられるものは、いつも我が帝国の限界を越えている」
ジョンは、少しも気負った様子なく笑って肩を竦める。
「んじゃ、逆に聞くけどさ。ジルクニフ――俺たちがそんな大それた計算してるように見えるか?」
「……見えるとも。あまりにも、出来すぎている」
皇帝の声は低く、しかしわずかに震えていた。
ジョンは少し間を置き、真顔で言った。
「友達だろ、お前」
ジルクニフの心臓が、強く跳ねた。
一瞬、言葉が喉に詰まる。
――友達?
この自分に?
帝国を背負い、孤独に策を巡らせ、猜疑に塗れた毎日を送るこの自分に――。
「……冗談にしては、質が悪い」
かろうじて絞り出した声は、冷たいはずだった。
だが、拳が膝の上で震えているのを彼自身が感じていた。
ジョンはにやりと笑う。
「じゃあ本気だ。俺も、モモンガさんも――お前のことは友達だと思ってる」
その言葉に、ジルクニフは目を伏せた。
心の奥で、硬い殻を叩く音がする。
それは、皇帝である自分が決して開けてはならぬ“隙間”――。
だが同時に、どうしようもなく甘美な響きでもあった。
「……」
ジルクニフは長く沈黙し、やがて僅かに笑った。
ジルクニフは身を乗り出し、低く唸るように言った。
「……では言わせてもらうが。
お前(ジョン)が私に化けて帝国闘技場で“天剣のエルヤー”を倒したせいでな……勘違いした剣士どもが次々と私に挑戦してくるようになった。
……どういうつもりだ? 私の“偽物”を、いつでも送り込めるとでも言うのか」
鋭い視線。
皇帝の双眸は、刃のように細く光っていた。
しかしジョンは涼しい顔のまま、背もたれに深くもたれ、指をひらひらさせる。
「いやいや、あれは俺の気まぐれだって。お前を貶めるつもりもなければ、帝国を混乱させるつもりもなかった」
「結果として混乱した!」
ジルクニフは声を荒げ、拳で肘掛を叩いた。
「……剣士どもに挑まれる皇帝など、威信の失墜だ」
ジョンは口角を上げ、少しだけ真剣な声音に変える。
「だから言ったろ。友達だって。……友達が困ってるなら、俺がまた“代役”してやろうか?」
ジルクニフの表情が一瞬止まった。
冗談か、本気か。
この男は掴みどころがない――。
「……ふざけるな」
低く呟きながらも、その声色には怒りだけでなく、どこかしらの“頼もしさ”が混じっていた。
ジョンは満足げに笑った。
「ま、困ったら言えよ。俺が化ければ、挑戦してくる連中は片っ端から片づけてやる」
「……だから、その“いつでも私に成り代われる”と言わんばかりの態度が恐ろしいのだ」
ジルクニフは溜息を吐き、赤い瞳の奥を見据えた。
「……本当に、お前は友か、それとも――」
ジョンは即答した。
「友達だろ」
また心臓が強く跳ねる。
皇帝の胸の奥に、理性と感情のぶつかり合う火花が散っていた。
/*/ ナザリック地下大墳墓・執務室 /*/
ジルクニフが帰ったあと。
ジョンはナザリックに戻り、モモンガ、ジョン、アルベド、デミウルゴスの待つ執務室へ足を運んだ。
沈黙を破ったのは、執務机の横に立つデミウルゴスだった。
「……モモンガ様。先ほどの皇帝ジルクニフとの会談、やはり危険です」
モモンガは骨の指で顎を押さえる。
「……何がだ、デミウルゴス?」
「“友”という言葉でジルクニフを揺さぶったのはジョン様の狙い通りでしょう。だが――あの皇帝の胸中には猜疑が芽生えました。
《いつでも自分に成り代わられるのではないか》という恐怖です。これは、彼の忠臣や臣民にとっても重大な不安要因となるでしょう」
アルベドも眉をひそめ、重々しく続けた。
「それに、皇帝を“友”と呼ぶこと自体、周囲には危うい印象を与えます。
ナザリックの支配者は絶対でなければならない。外の権力者と対等のように扱えば、隙を与えかねません」
モモンガは腕を組み、赤い光を瞬かせた。
「……そうか。しかし、ジルクニフの反応は……興味深かった。動揺しながらも、完全には拒絶していなかった」
そこでジョンが肩をすくめ、飄々と口を挟む。
「だから面白いんだろ? 未知の反応だよ、モモンガさん。あいつは俺たちの想定を外れることがある。……そういう存在こそ、見てみたいじゃないか」
「……ジョンさん」
モモンガは小さく呟いた。
彼の言葉は確かに危うい。しかし同時に、どこか心を掴む。
アルベドがすかさず進言する。
「陛下、監視網をより厳重にすべきです。帝国の動向は一挙手一投足まで把握し、ジルクニフの心の揺れすらも逃してはなりません」
デミウルゴスは恭しく頭を垂れる。
「いっそ――彼の影武者をこちらで用意してしまうのも一策かと」
「おいおい、やりすぎだろ」
ジョンは笑った。
「俺が友達って言っただけでここまで物騒に考えるのか?」
モモンガはしばらく考え込み、やがて低く告げた。
「……警戒は強める。だが――ジョンさんの“友”という言葉も、全てを否定する気にはなれん」
その決断に、アルベドとデミウルゴスは深く頭を下げた。
だがその瞳の奥では、それぞれ異なる思惑がきらめいていた――。
/*/ バハルス帝国 皇帝執務室 /*/
宵。
執務机に散らばる書簡を片付けさせ、近習や護衛も退けたあと――ジルクニフ・ルーン・ファーロードは椅子に身を沈めていた。
机上には蝋燭が一本。
炎が揺れるたび、影が広がり、部屋はより一層の静けさに沈む。
「……友達、か」
思わず呟いて、ジルクニフは自嘲の笑みを漏らした。
「ふざけるな……」
玉座に座って以来、数多の奸臣と駆け引きし、裏切りと陰謀を乗り越えてきた。
“友”など、子供の頃にとうに捨てた言葉だ。
権力者にとって必要なのは従者か、敵か、そのどちらかでしかない。
だが――あの男は、平然と言ったのだ。
『友達だろ?』と。
「……あれは挑発か、それとも……」
赤い瞳の骸骨の隣に立つあの男。飄々としながら、何もかも見通しているかのような目。
思い出すたび、胸の奥に棘のようなものが残る。
「私を試しているのか……それとも……」
ジルクニフは無意識に手を伸ばし、机の上の羽ペンを握りしめた。
そしてペン先で机を叩く。
トン……トン……トン……。
「……くだらん」
自ら呟く。
だが、脳裏から離れない。
“もし、本当に――ただの言葉だったとしたら?”
その思考が浮かんだ瞬間、ジルクニフは椅子から立ち上がった。
心臓が早鐘のように打ち、額に汗がにじむ。
「馬鹿げている。馬鹿げているぞ、私は……!」
それでも――夜が更け、執務室に一人取り残された彼の耳には、確かにあの声が残響していた。
『友達だろ?』
消えない、奇妙な余韻として。
/*/ 帝国宮廷・謁見の間 /*/
ジルクニフ・ルーン・ファーロードは玉座に腰掛け、目の前の席に並ぶ魔導国大使館の使節――ジョンと、アルベドを見据えていた。
帝国と魔導国との交渉。
議題は兵器技術の限定的な供与と、その見返りに帝国領内での交易優遇措置。
本来ならば、慎重に言葉を選び、できるだけ相手に付け入る隙を与えないように立ち回るべき場面だ。
だが――
「……帝国としては、条件の一部を受け入れても良い」
気づけば、ジルクニフの口から柔らかい言葉が漏れていた。
アルベドが小さく目を細める。
ジョンは、飄々とした笑みを浮かべたまま腕を組んでいる。
(……妙だな。私はなぜ、ここで“譲歩”の姿勢を見せている?)
自問が脳裏をかすめる。
いつもの自分なら――帝国の利を最大化するため、強硬に交渉を突っぱねるはずだ。
だが今は、ほんの少しだけ、言葉の端が緩む。
「……ジルクニフ陛下、帝国としての御決断に敬意を」
ジョンが恭しく頭を下げる。その声に――再び、あの言葉が胸をよぎる。
『友達だろ?』
ジルクニフはわずかに息を呑んだ。
その単語一つで、心の奥にひび割れが走る。
魔導国の脅威を知りつつ、なお心のどこかで「敵」と決めつけられない。
(……これが、揺さぶりか……いや、それとも――)
玉座の上で、彼は目を伏せ、苦笑を浮かべた。
「……良かろう。細部は文官に詰めさせる。だが――魔導国との友誼、軽んずるものではない」
言葉を口にした瞬間、自分でも驚いた。
“友誼”。
そんな言葉を使う日が来るとは。
ジョンの金の瞳が一瞬だけ柔らかく輝き、アルベドの背後でその唇が小さく綻んだ。
ジルクニフは視線を逸らし、玉座の肘掛を強く握りしめる。
(……やはり、私は揺らいでいるのか)
/*/ ナザリック地下大墳墓 第九階層 作戦会議室 /*/
帝国との交渉を終えた翌日。
アルベド、デミウルゴス、シャルティア、コキュートスが集められ、モモンガとジョンを前に評議が行われていた。
「……ふむ」
アルベドが白い指を顎に添える。
「皇帝ジルクニフは――我らが観察してきた通り、知略に優れ、猜疑心も深い人物です。
しかし……昨日の交渉における揺らぎ、あれは実に人間的でした」
デミウルゴスが赤い眼鏡を押し上げ、静かに続く。
「ええ。皇帝は鉄のような心を持つと評されておりますが……至高の御方が設置された“駒”に過ぎません。
にもかかわらず、わずかな言葉でその鎧を外したのですから」
「わずかな言葉、とは……」
コキュートスが問いかける。
「ジョン様の“友達だろ?”という一言――そして、皇帝の手を取ったあの仕草です」
デミウルゴスは声を震わせるように熱を帯びていく。
「通常ならありえぬ。魔導国を最大の脅威と見なしているはずの皇帝が、感情に揺らいだ……。
あれこそ、ジョン様の御魅力! 御心の光に当てられた結果なのです!」
アルベドが目を細め、恍惚とした笑みを浮かべる。
「……まさしく至高の御方の御采配。ジョン様に宿るその魅力も、我らに与えられし神々の試練と祝福。
人の心を揺るがす力、それは剣や魔法以上の武器。あの皇帝が折れる様を、我は決して忘れぬでしょう」
「ジョン様……至高の御方……!」
シャルティアが身を震わせ、頬を紅潮させる。
「御言葉ひとつで皇帝を惑わせるなんざ、かーっ、たまんねぇっす! 最高! ばんざぁぁぁい!!」
デミウルゴスも胸に手を当て、深く頭を垂れる。
「至高の御方の御業を見せてくださるジョン様……その存在自体が我らの導きでございます……!」
やがて四人の守護者が一斉に声を揃える。
「――至高の御方、万歳ッ!!」
/*/ バハルス帝国・闘技場 /*/
陽光を受け、万を超える観衆がざわめく。
「皇帝陛下みずからが剣を執るなど――!」
「相手はあのブレイン・アングラウスだぞ!」
誰もが驚愕と興奮を隠せなかった。
中央に立つのは、帝国皇帝ジルクニフの姿。だがその正体は――ジョン。
皇帝の仮面を被り、口元には不敵な笑みが浮かぶ。
「よくぞここまで上り詰めたな、ブレイン・アングラウス」
「……」
対するブレインは剣を正眼に構え、全神経を研ぎ澄ませていた。
ジョンはゆっくりと剣を掲げる。
「魔導国の剣士よ。ハバルス帝国皇帝に向き合うとは見事。この技を受けてみよ。生き残れば――“天位”をくれてやろう」
その瞬間、空気が変わる。
ジョンが地を蹴り、閃光のごとき速さでブレインへと突撃。
「――飛燕剣ッ!」
右手の剣が閃き――そして一瞬にして左手に移り変わる。
まるで幻惑のような切り返し、剣士を惑わせる伝説の技巧。
観衆が息を呑む。
だが――
「……見えているッ!」
ブレインの瞳が赤く光った。
竜の血を制御し、全身の力を武技に昇華させる。
「武技――六重発動ッ!」
空間が歪み、斬撃が幾重にも重なる。
限界を越えた剣技が、一点に収束する。
「真・爪切りィィィッ!!」
金鉄を裂く轟音。
ブレインの渾身の一撃が、ジョンの剣を弾き飛ばす。
赤金の閃光が空に舞い――観衆が爆発するように叫んだ。
「勝った――!? 皇帝陛下の剣を……!」
「ブレインが、勝ったァァァッ!!」
静寂の中、ブレインは血の気を失った顔でなお立っていた。
彼の刃先は確かに“皇帝”を捉えていたのだ。
ジョンは笑みを浮かべ、仮面の奥でつぶやく。
「見事……。これより、汝を“天位”に認めよう」
その宣告とともに、帝国の歴史に初めて――“天位”の剣士が誕生したのだった。
/*/ 闘技場・舞台裏 /*/
大観衆の喝采がいまだ轟く中、ブレインは控え室へと運び込まれた。
血の気は引き、呼吸は荒く、膝は震え、汗が止まらない。
「はぁ……はっ……」
竜血の熱が全身を焼き尽くすようだ。
さきほどの六重武技――己の限界を踏み破って発動した代償は、肉体の奥深くにまで刻まれていた。
「無理をしすぎです」
傍らでアウレリアが布で汗を拭い、魔法で微細な治癒を重ねる。
今は
「血が暴れるのを無理やり抑え込んだだろう。今のあんたは内側から自分を裂いてる」
「……わかってる……」
ブレインは虚ろな目で天井を見つめながら、それでも笑った。
「でも……勝てたんだ。俺が、“皇帝陛下”に勝てた……」
「……その陛下、なんか様子おかしかったけどね」
ヘジンマールは小さく呟いたが、ブレインの耳には届かない。
彼はただ、胸の奥に響く歓声を反芻していた。
帝国の万人が見届けた。自分の剣が“天位”を切り拓いた瞬間を。
「……俺は、まだ……強くなれる」
竜血が暴れる。だが、その疼きはもはや恐怖ではない。
苦しみの中に、確かな成長の予感があった。
アウレリアは静かに手を握り、囁いた。
「その力を殺さないで。貴方の命と魂を燃やしてでも、制御の術を覚えて下さい」
ブレインは目を閉じ、痛みに震えながらも笑みを浮かべた。
「……ああ。俺は……この身を剣に変える。天位の名に恥じぬようにな」
控え室の外から、再び轟く歓声。
それはまるで、新しい英雄の誕生を祝福するかのように響いていた。
/*/ 帝国宮廷・執務室 /*/
「……なんだと?」
ジルクニフの手から羊皮紙が滑り落ちた。
報告にははっきりと記されている。
――ブレイン・アングラウス、“天位”を拝命。皇帝ジルクニフ自らが公衆の前で授与。
「天位? ……天に届くほどの位、だと……? は、はは……ふざけるな」
額に青筋が浮かぶ。
「なぜだッ! 私が与えたとされる位を、なぜ私自身が知らぬのだ!!」
控えていたバジウッドが、苦々しげに肩を竦めた。
「……陛下が闘技場にいらっしゃると聞いて、さすがにそんな馬鹿なとは思ったんですけどね」
「馬鹿なで済むかッ!」
ジルクニフは机を叩き、立ち上がる。
「群衆の前で“私”が姿を現し、“私”が位を授け、“私”が敗れた……!? 何をどう言い繕えというのだ!」
「すでに帝都中が沸いております。『皇帝陛下の認めた天位持ち剣士の誕生』として」
バジウッドは苦い笑みを浮かべた。
「……たとえ否定しようとも、今さら覆すことは難しいでしょう」
ジルクニフは額を押さえ、深く息を吐く。
「やはり……あの男か。ジョン……。私を“友”と呼び、笑みを浮かべながら、またしても……!」
その時、慌ただしく侍従が駆け込んだ。
「陛下! 帝都の歓声が収まりません! 広場は人で埋め尽くされ……『皇帝陛下は剣士を愛し、剣士を見守る御方だ!』『我らが皇帝こそ、真の勇者を認める御仁だ!』と!」
「……」
ジルクニフは目を閉じ、椅子に沈み込む。
民衆の熱狂は、皮肉にも彼の威光を押し上げていた。
剣士に寄り添い、栄誉を授ける皇帝――そういう「像」が、勝手に作り上げられ、帝都を駆け巡っている。
「人気が……うなぎ登り、というわけですな」
バジウッドは肩をすくめた。
ジルクニフは頭を抱え、呻いた。
「……私はそんなもの望んでいない……! なぜ、私が知らぬところで“英雄皇帝”に祭り上げられねばならんのだ……!」
しかし、外から響く大歓声は止む気配を見せなかった。
それはまるで、ジョンという男の掌の上で踊らされているかのように――。
/*/ ナザリック大墳墓・作戦会議室 /*/
闘技場での一件の報告が終わると、室内は一瞬の沈黙に包まれた。
巨大な黒曜石の円卓を囲むのは、モモンガ、アルベド、デミウルゴス、そしてジョン。
アルベドが目を細め、扇子で口元を隠す。
「……皇帝ジルクニフは思った以上に“人間的”ですわね」
「人間的?」モモンガが問い返す。
「はい。彼は本来、強かで計算高い男。ですが――闘技場の件にしても、“民衆の歓声”に巻き込まれるように揺らいでしまった。帝国という巨大な国の皇帝でありながら、意外なほど精神が脆く、外部からの刺激に簡単に傾いてしまう」
デミウルゴスが頷いた。
「その揺らぎを引き出したのが、ジョン様の“友”という言葉でしょう。皇帝が己をどう取り繕おうと、その瞬間に抱いた感情は否応なく心を蝕む。まさに誑かし。これこそ至高の御方の御前に仕えるべき魅力」
「いやいや、俺はただ本心を言っただけだよ?」
ジョンは苦笑して肩を竦める。
アルベドが艶やかに笑みを浮かべ、首を振った。
「それが恐ろしいのです、ジョン様。計算や策略ではなく、自然体で相手の心を揺らす……。だからこそ、相手は気づかぬうちにあなたの掌の上に絡め取られる」
「……」モモンガは沈黙し、赤い光を瞬かせた。
(なるほど……。俺が幾ら言葉を尽くしても築けない“絆”を、ジョンさんはあっさりと生み出してしまう。これは……確かに強力な武器だ)
デミウルゴスは両手を組み、恍惚とした声で告げた。
「至高の御方の御前に、このような奇跡を振るう存在が加わるとは……。最高! 万歳! 至高の御方、そしてジョン様に永遠の栄光を!」
アルベドも深く頭を垂れ、瞳を熱に潤ませた。
「全ては至高の御方のご意思のままに。ジョン様のお力は、その御意思を現世に映す鏡……。ああ、なんと尊き導き……!」
赤光を宿すモモンガの瞳窩が、ほんのわずかに和らいだ。
「……うむ。ならばこの流れは利用すべきだな。皇帝の“揺らぎ”を導き、我らの望む形に収束させる。ジョン、君の役目は大きいぞ」
「任せとけよ、モモンガさん」
ジョンは軽く笑い、拳を突き出す。
骸骨の指がほんの一瞬迷った後、その拳にこつんと触れた。
/*/ バハルス帝国・帝都アーウィンタール /*/
闘技場での“天位授与”から数日。
王都の空気は熱気を帯びていた。
「皇帝陛下こそ、真の戦士だ!」
「我らの陛下が天位を授けるに相応しき御方!」
「帝国はまだまだ強くなるぞ!」
市場でも酒場でも、民衆は口々に皇帝を称え、武勇と威光を重ねて語る。
民草だけではない。地方の豪族や将軍たちでさえ、表立って“皇帝の英雄性”を讃えるようになっていた。
――だが。
/*/ 帝国宮廷・皇帝執務室 /*/
ジルクニフは机に突っ伏し、頭を抱えていた。
「……なぜこうなる……」
「陛下?」側近のバジウッドが怪訝な声を出す。
「私が、私が知らぬ“天位”なる称号を勝手に口にされ、勝手に民衆が沸き立ち……気づけば私は英雄皇帝だ。人気が……うなぎ登りだぞ……」
「……それは、良いことでは?」
「良いわけあるか!」ジルクニフは怒鳴った。
「人気が高まれば求められる。剣を振るえ、闘技場に立て、帝国を導けと! ……私は剣士ではない。策を巡らすことしかできん人間だ!」
彼の声は震えていた。
歓声の波が、逆に彼を押し潰そうとしている。
「……魔導国の……あの“ジョン”め……」
ジルクニフは拳を震わせた。
「友だと、気安く笑いかけ……その裏で、私を追い詰める舞台を勝手に用意して……。だが……だが……」
そこで言葉が途切れる。
胸の奥にある、説明のつかない“温かさ”。
――確かに、あの男は笑って「友達だろ」と言ったのだ。
その響きがまだ、耳の奥から離れない。
「……くそ。私は皇帝だぞ……」
ジルクニフは両手で顔を覆い、低く呻いた。
だが、覆った指の隙間から漏れる瞳には、皇帝らしからぬ揺らぎが浮かんでいた。
ジルクニフは重厚な玉座に腰掛け、側近たちの報告を聞いていた。
王都での熱狂は止むことを知らず、地方からも「皇帝陛下に再び剣を振るっていただきたい」と請願が殺到している。
「……ば、馬鹿げている……!」
ジルクニフは思わず声を荒らげた。
「私は剣士ではない! 闘技場に立つことなどできるわけがないだろう!」
沈黙を破ったのは、忠実なる秘書官ロウネ・ヴァミリネンだった。
「陛下……しかし、これは千載一遇の機会かと」
「なに……?」
「民衆は陛下に熱狂しております。これは単なる偶像崇拝ではなく、帝国そのものへの信頼へと繋がる。ここで“皇帝は剣も執れる”という幻想を維持できれば、帝国の求心力は飛躍的に高まるでしょう」
「幻想だと!? 実際に私が剣を握れるわけではないのだぞ!」
ジルクニフの声は苛立ちと焦燥に震えていた。
そこで別の高官が口を開く。
「……陛下、仮に闘技場に立つ必要があるのならば――大使閣下にお願いすればよろしいのです」
「なっ……!」ジルクニフの顔が引き攣った。
「陛下の影武者として、あの方ほど相応しい者は他におりますまい。既に前例もございます。使えるものは使うべき……常日頃、陛下ご自身がそう仰っているではありませんか」
玉座の上で、ジルクニフは言葉を失った。
胸に突き刺さるその一言。
――“使えるものは使え”。自ら放った言葉が、今になって刃となって返ってくる。
「……っ……」
玉座に沈み込む皇帝の姿に、側近たちは口々に声を重ねた。
「陛下こそ帝国の象徴、陛下こそ勇の化身!」
「魔導国を相手取るには、この求心力こそ必要!」
「どうか、今は民衆の熱に乗っていただきたく……!」
ジルクニフは額を押さえ、深く吐息を漏らした。
「……一番苦しい時に……自分の言葉が返ってくるものなのだな……」
声は、誰に向けるでもない独白だった。
玉座の間に重苦しい沈黙が落ちる。
ただ、皇帝の心を蝕むのは、あの男の笑顔と「友達だろ」という囁きであった。
/*/ 帝都・大通り /*/
市場は今日も活気に満ちていた。
だがその熱気の中心は果物や香辛料ではない。人々の口々に登るのは――皇帝ジルクニフの名。
「見たか? あの天剣エルヤーを打ち破った時の陛下の剣さばきを!」
「まるで神話の英雄だ……! いや、神そのものだろう」
男たちは誇らしげに声を張り上げ、女たちは赤ら顔で夢見るように語る。
「陛下が闘技場に立つたびに、私は祈りますの。どうかお怪我をなさらぬようにって……」
「お怪我? いやいや、陛下を傷つけられる相手などおらんさ」
露店の商人がちゃっかりと木彫りの剣を並べる。
刀身には金箔で「皇帝の剣」と彫られていた。
子どもたちが歓声を上げて奪い合い、その場で振り回す。
「そら見ろ! 陛下の真似だ!」
「天位を斬った一刀! えいやっ!」
木剣を振るたびに歓声が沸き、傍らの商人はにやにや笑う。
別の屋台では皇帝の顔を象った護符が売られ、「持てば剣技が冴える」と吹聴されて飛ぶように売れていた。
ある老婆は神殿の前で手を合わせ、涙を浮かべて呟いた。
「皇帝陛下は、神々が遣わされた守護者に違いない……」
かつて苛烈な政策に不満をこぼしていた民たちさえ、今は熱に浮かされたように声を揃える。
「帝国は変わる! 陛下が剣を執る限り、誰も我らを侮れぬ!」
「魔導国だって恐るるに足らず!」
――それは熱狂であった。
理性ではなく、偶像としての皇帝を讃える声の奔流。
そして、その熱狂が皇帝本人の意志と乖離していることなど、市井の誰一人として気づきもしなかった。
わたしは史上最強の弟子ケンイチ好きですよ
次回!
第90話:己の生命を狙う敵をもって一人前!
どっかで聞いた言葉だなー(棒