月影テールライト   作:碓氷 修夜

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出逢い

ここは護魂の森。昔からこの森には数多くの"異物"が居ると謂われている。神様から妖怪、しまいには悪霊など様々なものが住んでいるのだ。しかし、人々は滅多にこの森へ足を踏み入れない。というのも、"異物"に捕まると、神隠しだとかとって食われるだとかどちらに転んでも良い話ではないからだ。そのため、森の中で人を見かけることは殆どなかった。殆どと言うのは、遊び半分で入り込んで来る愚かな若者や、慰霊の為に訪れる親族などが居るからだ。尤も後者は自分たちまで慰霊される側になりたくないので、入り口で手を合わせる程度であるが。誰しもミイラ取りがミイラにはなりたくはないだろう。

 

鈍色の重い雲が空一面を覆い尽くして、己の影さえ見えない夜。只でさえ薄気味悪いのに、森全体が異様な雰囲気を醸し出している。木々たちが騒ぎ立て、小動物たちが逃げ惑う。その理由としてヒトの娘が森の中へ忍び込んでいた為だった。

娘は年が十ばかりで、遠目からでも分かる程度に震えていた。肩は細かく上下に揺れ、膝もこっちまでおかしくなるくらいに笑っていた。幸いなことに、まだ誰にも見つかっていないみたいだが、おそらく時間の問題だろう。先にも述べた通り、神に黄泉の国へ連れていかれたり、化けモン共になぶり殺される様子は影を見るより明らかだ。

俺は怯える娘に話し掛けた。一体どうして声を掛けたのか自分でもよく分からない。単なる好奇心か、憐れに思ったからか。腹が空いていなかったのだけは確かだ。

 

「おい、娘。何故この森に入っている?」

 

娘は突然目の前に現れた俺に心底驚いた様だったが、どうにかして冷静さを保とうとしていた。

 

「この森に入ってはいけないことぐらいお前だって知っているだろう?」

 

「……私は、"チカの花"を取りに来ました。森へ入ってはいけないことは知っていました。ですが、病に倒れている父の為にどうしてもチカの花が必要なんです!」

 

娘は震えた声ではあるが、しっかりと俺を見つめて力強く答えた。

"チカの花"というのはこの森にだけ生えている花で、磨り潰して散剤にするとどんな病気でも治る――そんなふうにヒトの間では謂われているらしかった。実際どんな効能があろうが、俺たちには関係の無い話だった。

 

「娘、名前は?」

 

「……"スズ"です」

 

「スズか……良い名前だな。スズ、悪いことは言わない、直ぐにこの森から出ろ」

 

「そうはいきません!父を見捨てることなどできません!」

 

娘――スズはさっきまで震えていたのが嘘のように堅い意志を見せる。俺の見た目は一目見ただけで異物であると分かるだろうが、それでも臆することなく言葉を投げ返してくる。

 

「その父の病とはそんなに酷いものなのか?」

 

スズは下を向き、暗い表情をして語り始めた。

 

「……お医者様に不治の病だと言われました。今日の月が沈んでから1週間足らずして息を引き取るだろう、と……」

 

「ふーん、けどその前にスズが死んだら元も子もないだろう?」

 

「勿論です!この森で死ぬつもりはありませんし、父を死なせるつもりもありません!」

 

「ほぉ、俺を"異物"であると知りつつ話しているんだろうな?今ここでお前を殺すことも出来るんだぞ?」

 

「……勿論です」

 

どれだけ俺が脅してもスズは意志を曲げるつもりはないようだった。

 

「面白い奴だ、気に入った。スズがこの森でどうなるか見届けることにしよう。例え何があっても俺は何も助けないが、相談くらいは乗ってやろう」

 

「本当ですか!?ありがとうございます!……えっと、貴方は?」

 

「ん、俺か?」

 

「あ、いえ、すみません。"黒い大きな身体"をしているだけでは何なのか分からなくて……」

 

「……"ロイ"だ」

 

「え?」

 

「名前。……それに堅苦しい口調は止めろ。俺はお前が思う偉大なものではない」

 

「は……分かった。ロイ、宜しく」

 

この順応の良さは後々大物になるな、なんてことを思ったが口には出さなかった。

このスズという娘、着物を見る限りではそんなに裕福な家ではないようだった。紫の生地に青紫の朝顔の模様、しかしあちこち擦り切れては縫って直した跡が残っている。履き物も一般的な草履で山道を歩くにはとても不便そうだった。髪は後ろで纏められ、地味な簪で留められていた。肌は若い子供特有のハリとツヤがあるが、ここまでに何度も転んだのだろう、膝や頬に土がくっついていた。

スズは俺に向かって握手をしようと手を伸ばしてきた。俺はさっと身を翻して、伸ばしてきた手を避ける。

 

「握手は、駄目だ」

 

「どうして?」

 

「俺との握手だけじゃなくて、異物の身体には触れない方がいい」

 

「……分かった」

 

残念そうに手を引っ込める。そもそも異物と人間は関わるようには出来ていない。誤って神へ触れると、黄泉の国へ飛ばされてしまったり、妖力の高いあやかしには触れただけで生命を吸い取られてしまう。まぁ、どっちにしろ最悪死ぬということだ。ならば俺に触れたら?どうなるかは触れなければ分からないが、観察対象がいきなり居なくなってしまってはつまらない。

 

「ねぇ、ロイ?」

 

「どうした?」

 

「チカの花ってどこら辺にあるの?」

 

「さぁな」

 

「ちょっと……!相談に乗ってくれるって言ったじゃない」

 

「俺にもよく分からないんだ。チカの花ってのは本当に必要としている者の近くに咲くと謂われている。実際見たことは一度も無い」

 

「そんな……」

 

「生きていればその内見つかるんじゃないか?」

 

そう言うとスズは悲しそうな表情をした。ヒトってのは面白い。楽しいことがあれば笑うし、悲しいことがあれば泣く。見ているとコロコロと表情が変わって面白いのだ。その点、異物はつまらない。顔を見ても何を考えているのか分からないからだ。表情が豊かであっても裏では何を考えているのか分からないし、逆に全く顔に出さない奴も居る。

 

 

その時、ぼおっと俺らを囲うようにニ、三十の小さな焔が辺りを照らす。スズは驚いて俺を掴もうとするが、思い止まって軽く悲鳴を上げるだけだった。俺はうんざりして頭を抱えた。俺はこいつを知っているからだ。焔が一点に固まり、纏まって大きな一つの焔になった。その焔の中からぬうっと大きな"狐のようなもの"が現れた。

 

「何か楽しそうなことやってるじゃない」

 

「……ロイ、知り合い?」

 

「いや、腐れ縁のような奴だ」

 

「なによー、照れちゃって!」

 

「オカマに用は無い」

 

「全く酷いわー。あら、お嬢ちゃん今晩は」

 

「え、ああ、今晩は」

 

「ヒトが入ってくるなんて珍しいわねー。どうしたの?」

 

「父が病に掛かってしまい、チカの花を持っていかなければ治らないんです」

 

「あらー、チカの花ねー。最近さっぱり見てないわね」

 

「あるにはあるんですね!?」

 

スズはぱあっと笑顔になった。チカの花の存在が明らかになっただけでそこまで嬉しいものなのだろうか。

 

「貴方はこの子を手伝ってあげてるの?」

 

「俺はスズを観察するだけだ」

 

「あらー、貴女スズちゃんって言うの!可愛い名前ねー!」

 

そう言ってオカマがスズに抱きつく。スズは恥ずかしそうに「止めてください」と言っているが、止める気配は無い。

 

「おら、キュウビ、嫌がってんだろ」

 

俺は蹴り飛ばしてスズから離れさせる。

キュウビは先程言った異物の表情では前者に当たる。コロコロと表情が変わるのはヒトと同じだが、こいつの腹の底は見えたもんじゃない。

 

「あ、ありがとう、ロイ」

 

「あいつには触れてぶん殴っていいぞ」

 

「なによー!」

 

加減無く蹴り飛ばしたつもりだったが、何事も無かったかのようにすくっと立ち上がる。そのままスタスタとこっちに戻ってきた。

 

「なぁに、ロイって?」

 

「……名前だよ」

 

「あ、じゃああたしもキュウちゃんって呼んでねー」

 

「あ、はい……」

 

流石のスズも若干引いている。まぁ、こいつとまともに接したら身体がいくつあっても足りないだろう。

 

「で、"ロイ"」

 

「強調すんな。……何だ?」

 

「どうしてこんなことを?一体どういう風の吹き回し?」

 

「別にいいだろ」

 

「ふぅん……。チカの花の目処はついてるの?」

 

「……いや、全く」

 

「あらあら、スズちゃんも困ったのに捕まったわねー。あたしに任せなさい!」

 

あんたも十分過ぎる程困った奴だと思ったが口には出さない。言ったところで面倒が増えるだけだ。

 

「場所、分かるんですか?」

 

「この頃見てないけど、前に見た所ならね。またそこに咲くとは限らないけど」

 

「案内してくれますか?」

 

「いいわよー」

 

「やった!あぁ、ありがとうございます!」

 

「じゃあ、俺はお役御免だな」

 

「ええっ!?」

 

その場から踵を返して去ろうとした俺の腕をキュウビが捕まえる。俺はキュウビを睨み付けたが、キュウビは顎でスズを見ろと合図する。

 

「えっと……」

 

スズが何か言おうとするが、その言葉を飲み込む。

 

「……何だよ」

 

「えっと、ロイはまだ相談役が残ってるから!だから……」

 

「……分かった、ついて行けばいいんだろう?」

 

「……うん!」

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「これは"待死の病"ですね……」

 

父を診察している間ずっと黙っていたが、ようやく口を開いたお医者様はそう告げた。

 

「待死の病……ですか?」

 

「ええ……言うなれば手の施しようが無い、不治の病です」

 

「そんな……!!」

 

「ただ黙って死を待つしかないという言葉通りの病です。私にはどうしようも……」

 

「どうにか、何とかして父は治せないんですか!?」

 

私はお医者様の袖をすがるように引っ張る。お医者様はされるがままで、目を瞑って首を横へ振る。

 

「本当にどうしようも無いんですか!?」

 

「……完全に無いとは言い切れません」

 

「何ですか?」

 

「……村を出て1時間程の所に護魂の森という山があります。その山中に"チカの花"という花が咲くと謂われています。その花はあらゆる病を治す、という噂があるのです」

 

「そのチカの花を持ってくれば父は助かるんですね?」

 

「……確証はありません。実際そんな花があるのかも分かりません。ただ、唯一救う方法があるとしたらこれなのです。……本来、医者である私がこんな曖昧な話をすべきでは無いのですが」

 

「そうですか……」

 

「それに護魂の森には入ったら二度と出られないという噂もあります」

 

「何故ですか?」

 

「"異物"が居ると謂われているからです。神様へ遭うならまだいいですが、悪霊や妖怪に捕まったらたちまちに殺されてしまいます」

 

「そんな危険な……」

 

私はお医者様の着物を離し、がくりと床に両手をつく。その間も父はまるで死んでしまっているように両目を閉じ、唯一胸が上下しているのでなんとか生きているのが分かる。

 

「ですので、悪いことは言いません。最期の時まで貴女が親父さんの傍に居てあげてください」

 

 

 

こんな時に母が居ればなぁ、と思ったことは一度や二度ではない。母は私を産んで直ぐに亡くなってしまった。元から身体が弱かったらしい。出産する体力はそもそも無かったらしいが、どうしても産みたいという母の最期の願いで至ったと父から聞かされた。親戚も居なかった為、父からの愛情は全て私に注いでくれた。二人でどうにか田を耕し、食い繋いでいた。決して裕福とは言えなかった。それでも私は父と二人で暮らすのに不満など無かった。

 

 

――父が倒れた。

それはいつも通り田んぼの手入れをしている時だった。急に父が倒れたのだ。まるで死んだように意識を失った。私は直ぐにお医者様を呼んで父の様態を看てもらった。そして診断されたのだ。不治の病だと。

私は信じられなかった。だってさっきまで楽しく笑い合いながら昼食のお握りを頬張っていた。それが突然。突然過ぎた。まるで脳の処理が追い付かない。

 

 

お医者様が帰った後、私は暫く放心していた。どれだけ待ったって父の笑顔を見ることは出来ない。起き上がって私の頭を撫でてくれることはない。そう思っていると、足が自然と護魂の森へ向かうのも当たり前の話だった。

 

いざ、森へ足を踏み入れた途端、足の先から徐々に震えていくのを感じ、終いには髪の毛の先まで震えていた。ここに来てようやく、"異物"の世界へやって来たという実感が沸いてきたのだった。それでも立ち止まらずに進めたのは、やはり父への想いであった。このまま逃げ帰ってしまえば、父はただ死を待つだけである。お医者様には最期まで傍に居てあげてくれ、と言われたがどうやらそれは無理な話らしかった。もし私がここで死ねば父も死ぬ。生き延びて帰ってもチカの花を見付けられなければ父は助からない。無謀、そんな言葉が私の胸を貫いた。それでもこの足は止められない。止める訳にはいかない。

そう自分を奮い立たせている時だった。只でさえ暗い山道を、より暗い闇が視界を遮った。2メートル程の高さのある黒い物体。ぬうっとこちらを向くとそれは口を開いた。開いた口からはギザギザの尖った歯が見える。

 

 

「おい、娘。何故この森に入っている?」

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

キュウビが先頭で道案内をし、後ろにスズが続き、最後尾に俺が居た。時折キュウビは足を速めたり遅めたりしていた。どうやら他の異物と接触するのを避けているようだった。俺よりも遥かにキュウビは勘が良い。気配を即座に察知して歩幅を変化させているのだろう。俺は別に構わなかったが、スズがあまりそれについていけてない。スズも必死なのだろうが、時折立ち止まったり、躓いたりと俺も触れないようにするのに肝を冷やした。

 

暫く歩いていると前方に赤白く光るものが見えた。決して強い光ではなく、ほわんとした明るさだった。

 

「……迂回しようかしら」

 

なるべく接触しないようにしているのだろう。違う道を探して左右を確認する。

 

「別にあいつなら問題無くないか?」

 

「でも……」

 

「何ですか?何があるんですか?」

 

スズもようやく光に気づいたようで、前を見ようとするが、キュウビの尻尾が邪魔をしている。意図的に邪魔しているのだろう。しかし過保護過ぎやしないか。スズだってこの森へ入ると決めた以上、異物の一匹や二匹と関わることくらい覚悟しているはずだ。

 

「あいつは面白い奴だが、ちょっとばかし気難しくてな。ただ危害を加えてくることはないから安心しろ」

 

「ロイ!!」

 

「"上"がどういう意向だろうが、俺には関係無い。それにお前は案内役、俺は相談役。スズが何しようがこいつの勝手だろう?」

 

「……」

 

「もし危なくなっても俺たちが居るから大丈夫だろう?」

 

「……そういう問題じゃないのだけれど」

 

「スズ、あいつに会ってみたいか?」

 

「えっと……」

 

スズは悩んでいた。目的はチカの花を持ち帰ること。だが、異物という存在への好奇心も少なからずあるみたいだ。勿論、目的の為だけならなるべく接触を避けた方がいいに決まっている。それが子供ながらに分かっているから迷っているのだろう。スズは変に大人びているから何事にも慎重になってしまうのだろうか。子供は何も考えずに直感で行動すべきだと俺は思う。それを制御するのが大人の役目だろう。

 

「質問の仕方を変えるぞ。俺はあいつに挨拶しに行くが、スズも来るか?」

 

「うん!」

 

うん、やっぱり子供は元気な方がいい。今度は俺が先頭になって進み、間にスズを挟んでキュウビがしんがりを努める。

 

赤白い光に近付くにつれて、中心の異物の姿がぼんやりと見えてくる。誰にも持たれず、ぽつんと提灯が置いてあった。村の中では違和感は無いのだろうが、森の中ではその名の通り"異物感"を醸し出している。

 

「おーい、お岩ー!」

 

提灯は呼び声に反応して100°程回転してこちらに向いた。その提灯には顔が書かれている。いや、書かれているというより浮き上がっていると言うべきか。お岩は俺の顔を見るや否や怪訝そうな表情をした。

 

「……何か用?」

 

「何だ、元気無いな」

 

「黒すけに会うまでは良かったわよ」

 

「まるで俺に会いたくなかったみたいな言い方だな」

 

「まるで会いたくなかったのが分からないみたいな言い方ね」

 

相変わらず可愛くない奴だ。しかし口は悪いが、本当は良い奴なんだと俺は信じている。

 

「……ん?後ろのは」

 

「ああ、ヒトだよ」

 

「えっと、スズです!」

 

「私は化け提灯のお岩よ。黒すけ……また拐ってきたの?」

 

「またって何だよ!またって!……こいつは自分から勝手に入って来たんだよ」

 

「そうです、チカの花を求めて来ました!」

 

「……チカの花ねぇ……。……ん?」

 

ようやく遅れてキュウビがついてきた。いつも比較的へらへらしているキュウビの表情が強ばっている。珍しいこともあるもんだ。

 

「あ、あらー……お岩、久しぶりねー……」

 

キュウビはいつもと変わらないように喋っているが、口元が引きつっている。その瞬間、お岩の目が光ったような気がした。元から提灯の身体は光っているのだが、それとはまた別の寒気のする眼光だった。

 

 

「キュウビ様!!お久しぶりでございます!!お元気でいらっしゃいましたか!?」

 

前に居た俺とスズを蹴散らすようにキュウビへ突進するお岩。二人とも慌てて避けたがスズは尻餅をついている。

 

「え……えぇ、元気よー……」

 

「尻尾!!尻尾に泥が跳ねてるじゃないですか!!今ブラシで落とします!!」

 

どこから出したのかブラシを口にくわえて、キュウビの尻尾をブラッシングし始めた。俺もスズも同じ表情をしていただろう。口をあんぐりと開けた間抜けな顔を。キュウビは左手で頭を抱えている。

 

「……あたしがお岩に会いたくなかった理由はこれなのよ」

 

「……なんか、すまん」

 

 

それから数十分、俺たちが動き始めるまでお岩はキュウビをブラッシングし続けた。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

私はロイを見た瞬間、何を感じたのだろう。見たことのない姿、それはまさしく"異物"という名前に相応しかった。得体の知れないものへの恐怖。さらに空気越しに伝わってくる冷たさ。しかし一瞬、どこか寂しさを感じさせたのだ。どうしてそう思ったのかは分からない。改めて見返してみても、そんな雰囲気は感じ取れない。

そして自分でも不思議なのだけれど、心の何処かで安心した自分も存在していたのだ。真っ黒で2メートル程の巨体の明らかにヒトではない異物。そんなものに対して安堵を得たのは、もしかしたら言葉の通じる相手だったからかもしれない。森に足を踏み入れてからは、いつ背後から丸飲みにされるか分からない、いつ足元が急に崩れて奈落の底に落とされるか分からない、そういった漠然とした恐怖だったからだ。それがまともに会話出来る相手で、さらに相談にも乗ってくれると申し出てくれたのだ。これまで不安と恐怖で埋め尽くされていた私の心は一気にチカの花を持ち帰る自信、そして勇気によって塗り替えられたのだ。

 

だからなのかもしれない。

キュウちゃんも協力してくれることになった際にロイが抜けるのを拒んだのは。いまだにロイは何者なのか分からない。それでも居てくれるだけで心強かったからだ。

 

「ごめんなさいね、焔を出せば明るくなるんだけど、"また"厄介な子たちに見付かると面倒だからね」

 

"また"という文節にアクセントが付くくらいうんざりしているのだろう。私自身もお岩さんの豹変っぷりには唖然としてしまっていたから、当事者のキュウちゃんは余程疲弊しているとみえる。

 

「あ、いえ、大丈夫です。何とか足元くらいなら見えますから」

 

そう強がってはみたものの、殆ど何も見えない。時間はいつぐらいだろうか?日が落ちて結構経った様に感じるが、ここには月明かりさえ射し込まない。そもそも今日は雲に包まれて月自体出ていないだろうが。

 

「最初に出てきた時に焔使ってただろう?」

 

「あれは演出よ。初めは威厳をアピールしなきゃね」

 

先頭を歩くキュウちゃんと後ろのロイが私を挟んで会話する。暗さで元々前が見えないから大して変わらないのだが、キュウちゃんの立派な尻尾によって視界がいっぱいだった。一体何本生えているのだろうか。一本、二本、三本……。数えようにしてもゆらゆらと揺れてうまく数えられない。尻尾を注視していた為か、足元の注意が散漫になっていた。土からはみ出していた樹の根っこに足を取られて躓いてしまった。

 

「おい、大丈夫か!」

 

ロイが倒れそうな私を助けようと手を伸ばしかけた所で手を止めてしまう。そのまま私は真っ暗な地面にどさあっと倒れた。キュウちゃんが起こしてくれて着物に付いた土をはらってくれる。

 

「ちょっとロイ!今助けてあげられたでしょ?」

 

「……馬鹿か。俺が触れたらどうなるか分からないだろう」

 

「触ってみなければ分からないじゃない」

 

「触って何か起きてからじゃ遅いだろう」

 

「あ、私大丈夫ですから!!どこも怪我してませんから!!」

 

ヒートアップしそうな二人を慌てて制止する。その場でぴょんぴょんと跳ねて怪我が無いことを主張する。二人は黙ったまま睨み合っていたが、キュウちゃんがくるりと反転して進み始めたので私もついていく。

 

 

暫く歩くと横道に若い男の人が居るのが見えた。後ろを向いている為、顔は見えない。

 

「あれ?男の人……」

 

「ん?ああ、あいつか」

 

ロイはさも興味の無さそうな返事をした。まだ機嫌が悪いのだろうか。キュウちゃんがくすりと笑いながら私に告げる。

 

「あれはヒトじゃないわよー」

 

えっ、と疑問を浮かべる私にロイはあいつなら大丈夫か、なんて呟くと男の人に向かって叫んだ。

 

「おーい、坊主ー!」

 

男の人は呼び声に気付きくるっと振り返った。私はひっ、と悲鳴を上げる。

 

男の人には顔が無かった。

目も鼻も口も耳も。顔が有るべき場所には何も無く、肌が一面を占めていた。

 

「げぇっ!旦那」

 

「げって何だよ、げって」

 

「やだなぁ、驚いただけですよー。おや、キュウビ様も御一緒とはお珍しい」

 

「うん、ちょっとね」

 

私は驚きのあまり口が閉じられなかった。顔の無い男の人は近付いてきてようやく私にも気づいた。

 

「ややっ、ヒトじゃないですかー!これこそお珍しい!」

 

「坊主、状況が掴めてないみたいだから自己紹介してやれ」

 

「おや、こいつは失敬。私はムジナと申します。のっぺらぼうと名乗った方が有名ですかね」

 

のっぺらぼう、そう妖怪だ。護魂の森には妖怪も住んでいる。だから居ても当たり前なのだが、実際目の前に相対しても信じられない。

 

「こ、今晩は……スズです」

 

「おや、驚いてくれてます?嬉しいなぁ、最近さっぱり驚いてくれるヒトが減ってしまってですねー」

 

「坊主はちょくちょく人里に降りてるもんな」

 

「ええ、驚かせる事こそが私の生き甲斐ですからねぇ。仲間内では全く驚かれませんから」

 

「そりゃそうだ。妖怪の連中は個性の塊だからな。お前なんてただ顔が無いってだけだからな」

 

「そうなんですよねぇ……。人里で飽きられてしまったのか驚かれることも減りましたよ。顔が無いのに顔見知りになってしまいましたかねー。その分、スズさんは純粋な心をお持ちらしい」

 

「純粋……ですか?」

 

「感じますよー。世俗に染まっていない純粋な心。若い内はどんどん活発的に探求心のままに、ですよー」

 

「じゃあ、一つ質問していいですか?」

 

「どうぞどうぞー、何なりと」

 

「口が無いのにどこから声が出てるんですか?」

 

「……」

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「……待って」

 

先頭を進んでいたキュウビが立ち止まる。足元を注意していたスズはそのままキュウビにぶつかる。尻尾で受け止められもふっという効果音でも聞こえてきそうだ。俺も危うくスズにぶつかりそうになったが、寸前で回避する。

 

「どうしたんですか、キュウちゃん?」

 

 

 

「何故ここにヒトがおる」

 

一際重たい声が前方から聞こえ、やれやれと顔を上げる。重圧のある声でまるで空気が振動したかのように、辺りを静寂に包む。いや、実際振動しているのかもしれない。声の主にも聞き覚えがある。というかこの森に長く住んでいる為、知らない奴の方が少ないくらいだ。

一方、スズはその一声だけで竦み上がっている。まぁ、仕方ないだろう。俺もこいつとは馬が合わないと割り切ってしまっているのだから。

 

「あら熊の王さま、どうされました?」

 

キュウビが飄々と答える。熊の王と呼ばれているが、実質的にこの森の動物の王そのものだ。熊の王は他の熊の一回りも二回りも大きく、右の耳が欠けていた。そんなどでかい図体が仁王立ちしているもんだから威圧感どころの話じゃない。

 

「キュウビ様、これはどういった経緯でこやつらと一緒に居られるのですか?忌まわしきヒトと"不浄の者"などと」

 

「別に大将には関係無いだろ」

 

「貴様に問うておるのではない!」

 

普段の声でさえ辺りに響くというのに、大声なんて出されたら堪らない。今の声で木に止まっていた鳥たちがバサバサと慌てて逃げていく。

 

「あらやぁね、道に迷っていたから案内してあげてるだけよー」

 

「キュウビ様、掟をお忘れですか」

 

「そんな大袈裟なことじゃないでしょー?それにこの子は"祠"をどうこうするつもりじゃないのよ」

 

「……ヒトは信じられませぬ。確かに以前はヒトとの交流を深めようと動いたことも御座いました。しかし、あやつらは簡単に裏切るのです!この耳の傷が付けられた際、キュウビ様も傍に居られたではありませんか!」

 

「えぇ……。あたしは貴方がヒトを嫌っている理由はよく知っているわ。そして本当はヒトが好きなことも知っているわ」

 

「……昔の話で御座います。それにこれは私個人の考えではなく、森全体の意志なのです」

 

熊の王がそう告げると背後から森の動物たちが大量に姿を現した。猪に狼、猿や兎といった小動物まで顔を覗かせている。

 

 

「タチサレ」

 

最初に誰が言ったのかは分からない。そのコールは一匹また一匹と声を揃えてゆき、最終的には地響きすら感じさせる程の大合唱になった。

 

「「「タチサレ!タチサレ!」」」

 

そんな轟音の中、キュウビは俺たちだけに聞こえるように話し始めた。

 

「……熊の王さまは以前積極的にヒトとの交流を深めていたわ。当時は物流も盛んに行っていたのよ。あたしたちは良い関係を築けていたと思っていたわ。……でもそれは違ったの。異物とヒトの代表たちで会議を開いている時に、急に大勢の武器を持ったヒトたちが現れてあたしたちを討とうとしたの。友好関係だと思っていたのはこっちの一方通行で、ヒトたちはあたしたちを恐れていたの。自分たちの理解出来ない力が恐ろしかったのでしょうね。その混乱の中、熊の王さまは耳を銃で撃たれてしまってね。他の仲間たちも何人も死んでしまったわ。逆上した異物たちはヒトに牙を向けたの。勿論だけど、ヒトと異物では力も数も違う。多くのヒトが亡くなり、異物たちも多くの血を流したわ。……それ以来ヒトは護魂の森へは近づかなくなり、異物たちもヒトを寄せ付けなくなってしまったの」

 

キュウビは何時にもなく真剣な眼差しで俺たちを見た。この話は俺も知らない。俺がこの森に住み始めるずっと前の話だろう。森の様子には殆ど無関心だが、そんな大きな騒動が起きれば流石の俺でも分かるだろう。キュウビや熊の大将は初期から森に住んでいると聞く。多分もう何百年、何千年も前だ。そんな話を事情が全く分からないスズにぶつけられてもいい迷惑だろう。そう思ってスズに視線を向けた――。

 

 

――俺は目を丸くした。

彼女はまだ幼い。俺ら異物と比べるとまだ赤ん坊なようなものだ。しかし何度かこの幼子の肝っ玉の大きさを垣間見て、感心することもあった。それでもやはりまだ"子供"なのだ。この森へ足踏み入れた理由だって親父を助ける為――親から離れられない。別に親離れしろと言っている訳ではない。親離れする程の年にも達していないヒトの娘であるからだ。ヒトは弱い。大人だって簡単に壊れてしまう。それが成人にも満たない子供。そんな子供が怯え縮こまるどころか、ただ一点、熊の王をしっかりと見据えているのだ。俺でさえ、前を向くことは躊躇われ、一人だったらそのまま180°向きを変えて尻尾を巻いて逃げたくなるくらいの居心地の悪さだ。

そして小さな人間の娘は罵声にも近い叫び声に臆することなく、一歩前へ踏み出した――。




お久しぶりです。碓氷修夜です。
ここまでお読みいただきありがとうございます。

今回はファンタジー物が書いてみたく、挑戦した次第でございます。コンセプトとしては1人と2匹が森の中を散策、魑魅魍魎な異物たちと出逢う、というファンタジー冒険物でした。時間をかけて実際書いてみると、ファンタジーとしても中途半端、会話でギャグを入れても中途半端というふわふわな状態で仕上がってしまいました。言葉遊びは得意なのですが、ギャグとなると中々難しいものですね。やはり自分はシリアスな方向が合っているかもしれません。

さて今作についてですが、主人公(?)の目線としてスズとロイの2つの視点から描いています。視点切り替えという初めての試みですので、もしかしたら分かりづらくなってしまっているかもしれません。そしてもっと沢山の妖怪なんかを登場させたかったのですが、よくよく考えたら妖怪なんて殆ど知らなかったんですよね。もっと学校の怪談や鬼太郎、ぬ~べ~なんかを見とけばよかったですね。しかし、妖怪を題材にした作品は多く、調べれば調べるほど沢山の作品が出てきます。ちょっと詳しい方は名前を見たらピンときているかもしれません。

これからの流れですが、おそらく最終的にはシリアスになるでしょうから、何匹かの妖怪と接触させてちょっとギャグも交えつつ進められればと思います。……あまりダラダラと書き続けるのもアレなので、どうなるかは分かりませんが。そもそも今作も短編でいくつもりだったのですが、ダラダラ続けた結果、連載という形を取らざるを得なかったのです。

どれくらいのボリュームになるかはまだ分かりませんが、どうかスズとロイの物語の結末をどうか見守って下さいませ。
それではここらで締めさせていただきます。

改めてここまでお読みいただきありがとうございました。
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