月影テールライト   作:碓氷 修夜

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衝突

「お、おいスズ……」

 

ロイが何か言っているが、構わず私はキュウちゃんの前に歩み出た。キュウちゃんは黙って私のことを見つめるだけで何も言わない。

 

「ヒトよ、どうしたのだ」

 

「熊の王さまに、いえ、この森に住んでいる皆に言いたいことがあります」

 

「……申してみよ」

 

私は大きく息を吸った。肺が緊張して縮み上がっているのか、思うように酸素を受け入れてくれない。それでもゆっくりと慣らすように体内へ空気を送り込む。脈拍がとても速く打っている。心臓のポンプで全身に冷たい酸素を循環させるのだ。肺に暖かい二酸化炭素が戻ってくるのを感じ、今度はゆっくりと息を吐く。絞り出すように限界まで肺を空っぽにしてからまた大きく息を吸う。そしてそのまま、眼前の熊の王さまをキッと目つめる。

 

「私は昔、この森で起きたことは全く分かりません。ですが、ヒトの代表として謝らせて下さい!」

 

「えっ……?」

 

ロイがすっとんきょうな声をあげた。ロイだけではない。耳まで届かなかっただけで他の異物たちも驚きの声を発しただろう。

 

「申し訳ありませんでした!」

 

森全体がざわめいているのが聞こえる。予想だにしなかった言葉で困惑しているのかもしれない。

 

「頭を上げよ」

 

熊の王さまが一層低い声で告げる。私はおもむろに前を向く。熊の王さまは先程と変わらない表情で私を見下ろしている。

 

「ヒトの子よ、確か名をスズと申したか」

 

「はい」

 

「スズよ、何の事態も分からず何故そんな簡単に頭を下げることが出来る?」

 

「はい、確かに私はヒトと異物の間で何が起きたのかは理解出来ません。しかし、信頼していた者に裏切られる苦しみはヒトも異物も同じではないでしょうか?」

 

「数年足らずしか生きていない小娘に何が分かるというのだ」

 

「私はまだ年を十一しか数えていません。それでも裏切られる悲しみ、苦しみ、憎しみ……味わったことがございます。それが私より遥かに年を重ねた熊の王さまがそれほど恨んでいるのならば、もっと辛く、耐え難いものだったのでしょう」

 

「……」

 

熊の王さまは木々で覆われた天井をじっと見つめ、僅かに目を細めた。暫く森には沈黙が訪れた。あれほどの数の動物が居るというのに、誰も動くことなく王さまの指示を待っている。

 

何分経っただろうか。

熊の王さまはようやく上から視線を戻すと、私たちに向き直った。正確には私の隣に居るキュウちゃんを見ている。会話を交わすことなく、キュウちゃんは王さまに頷いてみせた。キュウちゃんの頷きに対して熊の王さまも頷き返すと、重い口を開いた。

 

「よかろう、好きに探すとよい」

 

後ろの動物たちが主の言葉にざわついたが、王さまは二言目を喋り始めて制止した。

 

「但し、お前の探し求めるものは本当に必要な者の傍にしか現れぬ。私の判断ではなく、森に判断を任せることにする」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「……勘違いをするな。私はヒトを信用した訳ではないぞ」

 

「存じています。一度失った信頼を取り戻すには時間が掛かります。……二度と得られないかもしれません。しかし、人間全てが悪い人間ではないはずです。善いものが居れば悪いものも居る。この森だってそうではないでしょうか?……少なくとも私はそう思っています」

 

「若いのにしっかりとした子であるな。……おい、不浄の者よ」

 

「何だ、俺に用か?」

 

ロイに向き返ると、今までの話を聞いていなかったのか、近くに生えていた木に寄り掛かって上を見ていた。応答してからも体勢を整えるどころか、幹に肘をつき、頭を支えている。

 

「やはりヒトは信用するにはまだ至らん。よって貴様に命ずる。この森においてそのヒトの子、スズの監視をせよ」

 

また動物たちがざわめく。しかし、先程は驚きが強かったが、今は怒りの念が強いように感じる。

 

「王さま、御言葉ですがあやつに任せられるのはどうかと。我らにとってはヒトよりも信用に足りません!」

 

熊の王さまのすぐ後ろに居た小さな猿が発言する。 普段見掛けるような猿より少し毛が金色に光って見える。

 

「黙れ、"ウツボ"。私が決めた事だ、文句はあるまいな」

 

「ですが……!」

 

「大将、勝手に決められちゃ困る。後ろの青猿ならまだしも、俺を従わせる権限は無いだろう?"動物"の王さまさん」

 

「お前っ……!」

 

「落ち着け、ウツボ」

 

ロイの言葉でさらに動物たちはヒートアップする。特にウツボと呼ばれた金色の猿は今にも飛び掛かって来そうだ。それを熊の王さまが前に立ち塞がって行動を起こさせないようにする。

 

「ただな、大将」

 

ロイが木から離れて横目で動物たちを見る。口角がキッと上を向いている。

 

「誰に命令されたかなんてのは関係無い。誰の命令も受けるつもりはないからな。それに俺には先客が居るんだ。今さっきなスズに相談役を頼まれてしまっていて、こいつについていかなきゃならないんだ。だから悪いけど、"監視"は出来なさそうだ」

 

ロイがそう告げると熊の王さまもニヤリと口を三日月の形ように吊り上げて笑った。

 

「そうか、ならば仕方がない。貴様は相変わらず私の話を聞いてくれはしないのだな」

 

「当たり前だ、必要が無いからな」

 

「キュウビ様、よろしくお願い致します」

 

「えぇ」

 

「……皆、戻るぞ」

 

熊の王さまはこちらに背を向けてそのまま歩き出した。後ろに居た動物たちは慌てて道を空ける。

 

「このまま見逃すつもりですか!?」

 

ウツボは熊の王さまに言葉を投げ掛ける。それでも王さまは歩みを止めることなく応答した。

 

「見逃すのではない。全てを森に任せるのだ」

 

「しかし…!」

 

ウツボが反論しようとした瞬間、王さまが顔だけ振り返る。私から50メートル以上離れていたが、その眼力は全てを貫くが如く、鋭く尖ったものだった。ウツボは勿論、周りに居た動物たち、私までもが背筋が凍ったみたいに動くことが出来なかった。振り返ったのは一瞬で、直ぐに進行方向に首を戻したが、息をするのさえ許されないような空気だった。遅れて王さまの後を動物たちがついていく。ウツボだけは動き始める前に私たちを睨み付けてから走って行った。

 

ぼーっとその様子を眺めていたが、急に後ろから抱きつかれた。

 

「よかったわね、スズちゃん。これでチカの花を探しやすくなったわ」

 

「変に戯れるのは止めろ。それにしてもやっぱりお前は大人び過ぎているな」

 

「ま、まぁ。それより早くチカの花を探しに行こう!」

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「ねえ、ロイ?」

 

先程と同じくキュウビを先頭に、スズ、俺と順に歩いてる時だった。スズは大将たちとの会話の時に抱いた疑問を質問してきた。

 

「ロイが不浄の者って……?」

 

「……さぁな。大将は随分と俺のことが嫌いみたいだからな。嫌味っぽく言っているんだろう」

 

「そっか……」

 

スズは表情こそは笑っているが、どこか悲しそうだった。仲良く出来ないことが好ましくないのだろうか。生憎、そんな難しい表情を読み取ることは俺には出来なかった。

 

「あ、あと"祠"って?」

 

「あー……そうね。説明しなくちゃね」

 

キュウビがばつの悪そうに応答する。"祠"については他言無用だから、あまり話したくはないのだろう。

 

「それはこの森の一番大きな木の根元にあってね、神様が住んでいると言われているわ。祠と言っても、何かが建っているわけでもないのよー。その木の根と幹の間に大きな空洞があるの。穴はとても深く、一度落ちたら二度と上がって来られないって話もあるんだけど、それは神様の世界の入り口だからって言われてるわ。神聖な場所だからなるべく、あたしたちでも近付かないようにしているの」

 

「へぇー、間違って落ちたら大変ですね」

 

「ただあたしがチカの花を見掛けたのが、祠の近くなのよねぇ」

 

「えぇっ!行っちゃ駄目なんじゃないんですか!?」

 

「そうなんだけど……まぁ、仕方ないわよ。熊の王さまにも許可は得たし」

 

「何時ですか!?」

 

「さっき会った時にずっと念を送って話していたもんな」

 

スズが熊の大将を説得している間ずっと、こいつも何か話し掛けていたようだった。念の内容までは分からなかったが、キュウビも説得をしている気がしていた。

 

「ね、念!?そんなこと出来るんですか?」

 

「そ、そうよー……。あたしくらいになったら念の一つや二つ……」

 

「凄い凄い!!キュウちゃんって何でも出来そう」

 

「何でもは出来ないわよー……」

 

キュウビがしどろもどろになりつつ答える。横目で俺のことを睨んできたが、そもそもボロを出していたのはあいつだ。

何故だかは分からないが、キュウビの奴は自分の力を必要以上に隠そうとする。その癖、直ぐに墓穴を掘るから、からかうネタが尽きない。

 

……初めて会った時からそうだったな。

 

 

パキッ

 

枝を折るような音で反射的に振り向いた。

しかし、後ろには暗い森がどこまでも続いているだけだった。

 

「どうしたの、ロイ?」

 

「あ、いや、何でもない」

 

「きっと怖くなってきたのよ、結構深い所まで歩いてきたから」

 

「自宅の庭のようなものだぞ?」

 

気のせいだったのだろうか?

もし誰かが居たなら、キュウビが真っ先に気付くはずだ。こいつが警戒していないということは俺の聞き間違えなのだろう。しかし、何故こんなに嫌な予感がするのだろうか。首の後ろがチリチリと痛む。一回、気になってしまうと誰かがつけてきているように感じてしまう。生暖かい空気が背中を叩いているみたいだ。

 

「そろそろ休憩しないか?」

 

「なぁに、もう疲れたのー?」

 

「俺らをお前みたいなバケモンと一緒にするな。な、スズ?」

 

「バケモンは酷いんじゃなぁい?」

 

「……ちょっとだけ疲れた」

 

「ほらな?」

 

「でもちょっとだけ、ちょっとだけですからそんな気を遣ってもらわなくても……」

 

「……いいわよ、あたしに気を遣わなくて。休憩しましょ」

 

「よーし、休憩!」

 

俺は土からはみ出た木の根っこにドカッと腰掛ける。当たり前だがあまり座り心地はよろしくない。

 

「男のくせに体力無いわねー」

 

「お前は流石男なだけあって体力あるな」

 

「もう!失礼ね」

 

どの辺が失礼にあたったのかよく分からない。スズも俺に倣って木の根っこに腰掛ける。大分歩いたからスズもかなり疲れているはずだ。着物も最初見たときより土埃で茶色くなってしまっているし、草履の鼻緒にも土が混じっている。硬い地面を叩けばカランコロンと心地の良い音を鳴らしてくれるのだろうが、森の中ではその涼しげな音を聞くことは出来ない。

 

歩いている間はそうでもなかったが、座ると疲れが一気に押し寄せる。普段ならば歩くだけでここまで疲れることは無いだろう。最もな理由としては前を歩くスズに他ならない。先頭を歩くキュウビは慣れている為、すいすいと獣道を進んで行くが、スズはそうもいかない。根っこに躓いたり――坂道で減速したり――と触れないように精神をかなり磨り減らしていたのだ。

 

「キュウちゃん、祠まであとどれくらいですか?」

 

「もうちょっとよ。このままのペースであと一時間掛からないくらい」

 

「一時間……」

 

スズは険しい表情を浮かべる。強がってはいるものの、ヒトの子供には違いない。体力も限界に近付いているのかもしれない。

 

――一体何故俺はこんなにこいつを気に掛けているのだろう。

ふとそんな疑問が沸いてきた。初めに声を掛けた時もそうだ。特に何も考えていなかった気がするが……。

 

 

もしかしたら無意識にヒトが恋しく思っているのかもしれないな――。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

ロイの提案で休憩を摂ることにした。それはとてもありがたい申し出だった。足はパンパンに張り、右の足首も痛み始めていたからだ。根っこに座ると、ふくらはぎや足首を揉んで痛みを和らげる。相変わらずロイは私と距離を空けて座っている。触れないように気を配っているのか、歩く時も私より少し離れてついてきていた。

 

空を見ようと首を上にあげる。

しかしやはり天井は無数に重なる枝や葉に隠され、森の外を眺めることは叶わなかった。一体どれくらいの時間が経ったのだろう。森へ入ってからもう何日も経った感覚がする。でもまだ陽が昇るどころか、何時間も経っていないだろう。尤も、陽が昇っていたとしてもこの森へは明かりが射し込まなそうだが。

空が無いこの森はまるで刻が止まった世界のようにさえ思えてくる。ここの住民たちは時間という概念はそもそも持ち合わせていないのだろうか。それとも勘が限界まで研ぎ澄まされていて、その身を以て朝夕を判断しているのかもしれない。空の様子で刻を決めていた私たちがこの森で暮らそうとしたら、数日で頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだ。けれども人間というのは、案外直ぐに"慣れ"てしまうのかもしれない。今、私の置かれている状況もそうだ。これまで異物というのは物語の上だけの存在で、世界が違っていた。それが現在、こうして歩いて休憩を共にしている。改めて私の住んでいた世界というのは井戸のように狭く、底があるものなのだと実感した。

 

 

「ありがとうございました。行きましょう」

 

「もう大丈夫なのか?」

 

「うん、ありがとね」

 

「もっと休んでもいいんだぞ?」

 

「大丈夫。早く行こう!」

 

「スズちゃんがそう言うなら行きましょー」

 

キュウちゃんがぴょんと跳ねて立ち上がる。ロイは気だるそうに「どっこいしょ」なんて言いながら腰を上げる。

 

「ただ貴方が休みたかっただけじゃないのー?」

 

「はいはい。行くよ」

 

ロイも木に手を掛けて立ち上がる。

そう思った瞬間、掛けてい幹の皮を剥ぎ取り、後方に向かって投げた。木の皮は一瞬にして見えなくなったが、闇の中からカコンと転がる音だけが聞こえた。

 

「ちょっと……どうしたのロイ!?」

 

「いや……何でもない」

 

「さっきから変だよ?ちょくちょく後ろ向いたりして」

 

「……。キュウビ、周りに誰か居ないか?」

 

「……いえ、誰も居ないみたいだけれど」

 

「そうか……忘れてくれ。ほら進め進め」

 

ロイがキュウちゃんを急かす。その表情は曇ったままだった。どうしたのだろうか。気になったけれど、キュウちゃんが歩き出したので私も後に続くことにする。

 

 

最初こそはついていくことで精一杯だったが、ようやく少し慣れてきて二人と会話する余裕も出てきていた。しかし今はキュウちゃんの歩く速度が上がったということと、先程の休憩からロイが難しい顔をしたままなので、何となく話しづらい空気が漂っていた。キュウちゃんも黙々と進んでいる。

 

それなので、一人で考え事をして歩いていた。このまま歩けば祠に辿り着く。そこにチカの花が咲いている……かもしれない。そう、可能性があるというだけなのだ。キュウちゃんは最近はさっぱり見ていないと言っていた。ロイに至っては、チカの花を見たことが無いらしい。ずっとこの森に居るのに、だ。もしかしたら祠の近くにしか咲かなくて、ロイは見たことが無いだけかもしれない――そう考えようと思っても、何も無い風景しか頭に浮かばない。考えれば考える程、卑屈になってしまう。

 

チカの花は本当に必要な者の傍にしか咲かない、と皆が言う。本当に私は必要としているのか。父を救いたい、その気持ちは本物だ。けれども、もし咲かなかったら。父を救うことが出来なくなるのと同時に、私が父を想う気持ちは偽物になってしまう。そして私自身が偽りの存在であるかのように思えてしまう。そう考えるだけで寒気がした。

 

 

木の根が飛び出ていないから油断していたが、土から半分程顔を出していた石に思いっきり草履の台を引っ掻けた。そのまま足を取られ、体勢を崩してしまう。咄嗟のことで手をつくことも出来ずに転んでしまった。

 

「大丈夫!?」

 

キュウちゃんが音に振り向いて慌てたような声を上げる。ロイも考え事をしていたのか私よりずっと後ろに居た。

 

「はい、大丈夫です」

 

キュウちゃんが手を貸そうと伸ばしてきた。

……そうだ、私が弱気でどうするんだ。父は今も病気と闘い続けているんだ。チカの花が"咲いているか"じゃない、"咲かせる"んだ。

 

「……一人で起きられます」

 

キュウちゃんの手を借りずに自力で立ち上がる。ロイもようやく追い付いてきた。

 

「おい、大丈夫か?」

 

「うん。ちょっと上の空になってただけ」

 

「あら、鼻緒が……」

 

足元を見ると右の草履の鼻緒が切れてしまっていた。躓いた衝撃で切れてしまったのだろうか。

 

「縁起が悪いな……」

 

「どうしましょう。何か履き物の代わりになるもの無いかしら……」

 

「いえ、問題ありません」

 

私は草履を脱いで素足で地面に立つ。土のひんやりとした感触が足の裏に伝わってくる。随分長い間履き続けていたんだ、鼻緒の一つや二つ千切れたって不思議ではない。

 

「あーあ、足汚れるだろう?」

 

「元から汚れてるよ。……うん、行こう」

 

「……何言っても聞かなそうね。じゃあ行くわよ、ついてきて。祠まであと少しよぉ」

 

祠まであと少し――そう、あと少しなのだ。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「……やはり、おかしかっただろう?」

 

「えぇ……貴方をもう少し信用すべきだったわね」

 

俺らはそのまま歩き続けて祠の前まで辿り着いた。"一定の速度"で、だ。これまではキュウビが出来る限り異物を避けて進んでいた。そのために足を速めたり遅めたりしていたのだ。それが、休憩を挟む前から一定でしかなくなっていたのだ。この森で異物の誰とも会わないなんてことは限り無く不可能に近い。けれども、今こうやって来られたことは余程運が良いのか、はたまた"誰かに気配を消されていた"のか。

 

答えは目の前に広がっている。

 

「一体どういうつもりだ?大将には手を出すなと釘を刺されただろう」

 

「森に任せる、と仰ったのだ。聞き間違えるな、不浄」

 

「それはすまないな。それで、お前の後ろに居るのが森の意思って言う奴か?なぁ、ウツボ」

 

木の影からぬうっと金色の毛を生え揃えた猿が現れた。その後ろには黒いガスみたいなものが渦巻いている。

 

「森の意思?笑わせるな、こんなものに意思などあるはずが無いだろうが」

 

「何故貴方が"悪霊"と手を組んでいるの!?」

 

「手など組んでいませんよ。こいつらはただの道具。森の秩序を壊すものを排除する為だけの道具ですよ」

 

ウツボはそう言うと悪霊が集まって黒くなっている部分を後ろ蹴りする。触れた部分に穴が空いたが、気体のように漂っているので空洞部分は直ぐに修復された。

 

「悪霊……って?」

 

「そうね……」

 

スズが小声で尋ねてきた。キュウビはウツボから視線を逸らさずに聞いているが、中々答えようとしない。

 

「……悪霊っていうのは異物の中でも最下級な生き物だ。自我は殆ど無く、ただ生前の恨みや憎しみだけで存在しているような奴らだ。その上に動物が居て、妖怪、神様ってこの森では位付けられている。動物と妖怪はほぼ対等だがな。だから悪霊は細々と森に住み着いているはずなんだが……あいつ、"負"の力を利用したな」

 

「負の力?」

 

「誰かを恨んだり――憎しんだり――。そういったものに悪霊は集まりやすい。ウツボから溢れる負の力に悪霊たちが寄って来たんだろう」

 

スズはただ生唾を飲み込んだのか頷いたのかはよく分からないが、首を立てに揺らした。その時キュウビがこそこそと話し掛けてきた。

 

「……よかったの?」

 

「何が?」

 

「……」

 

「……別に困ることは無いだろう」

 

「……そう」

 

前に目を戻すとウツボの背中から黒い気体が吹き出ているように見えた。

 

「……ヒトをこの森には入れてはいけない。それがこの森の為であり、秩序の為である」

 

ギロッとスズを睨み付ける。小さな身体に似合わず、とても迫力がある。スズも思わず後退りした。

 

「貴方、自分が何をやっているのか分かっているの!?」

 

「キュウビ様……あなた様というものがありながら、何故森でヒトを案内していらっしゃるのですか?」

 

「それはこの子が……」

 

「そのヒトがどうしたのです?ヒトに加担する意味が分かりません」

 

「貴方こそ熊の王さまに悪霊と一緒に居ることが知れたら只じゃすまないでしょ」

 

「気付かれてしまったらそれはもう、"殺す"しかないですね」

 

「なっ……」

 

「そんな!」

 

二人が驚きのあまり悲鳴を上げる。

 

「お前にとって大将は育ての親のようなものじゃないか」

 

「王さまの行動には無駄が多すぎる。森の判断に任せる?それで何か起きてからじゃ遅いんだよ。自分ならもっと利口な判断が出来る。それには育ての親だろうが何だろうが関係ない。そんなこと、不浄の貴様が一番分かっているはずだ」

 

「……ああ、そうだな」

 

「王さまだけじゃない、他の森の皆も貴方は間違っていると言うわ」

 

「そしたら反抗してきた奴らを殺すだけです。そして反抗するものが誰も居なくなったら、それはそれは良い森になるでしょう!」

 

「馬鹿げてるわ、貴方」

 

「上に立つものの考えは理解されなくても仕方ありません。話が過ぎましたね、さあご退場願いましょう!!」

 

ウツボは右手を大きく掲げると後ろに漂っていた黒い気体たちがふるふると震え出した。そのまま前へ出てくると同時に動物の形に固まり始めた。

 

「まずはキュウビ様からです!!」

 

「……!!」

 

悪霊たちは迷うこと無くキュウビに向かって突進してきた。それも1つや2つではない。その数にして千を越えるだろう。しかしキュウビは冷静だった。焦るどころか、俺やスズから少し距離を空けて正面から迎え撃つつもりのようだ。キュウビの両手から焔がチラッと見えるや否や、ウツボがぽつりと呟いた。

 

「ここは空気が澄んでいてとても神聖な気配がします。ここで焔なんて出したら罰当たりなだけではなく、周りの草木にも引火するかもしれませんね。――"ヒト"とか」

 

その言葉を聞いた瞬間、僅かにキュウビの動きが止まった気がした。その一瞬の迷いが命運を分けることになった。キュウビが躊躇したほんの微かな隙に悪霊が下半身に体当たりを喰らわせた。バランスを崩したと思った時には、悪霊の波がキュウビを飲み込む。それでも勢いが止まらない黒い塊はキュウビもろとも脇の坂道を転がり落ちていった。

 

「キュウちゃん!!?」

 

スズの叫びも虚しく、黒い塊は森の闇と同化して見えなくなった。

 

「あはははははは!!キュウビ様ともあろうお方でさえ意図も容易く。もう誰も逆らうことなど出来ない!」

 

ウツボは反り返って天を仰いで笑っている。そんな奴目掛けて俺は走り出した。キュウビを包み込んだまま悪霊も消えていった為、あいつの周りにはもう殆ど居ない。がら空きだったのだ。

 

「お前自身は無力だろうが!!」

 

飛び掛かりながら右手の拳を堅く締める。そのまま勢いを殺すことなく、ウツボの顔面に鉄槌を叩き込む――。

 

 

――しかし俺の拳はウツボには届かなかった。

奴の鼻先に拳が当たる、そう感じた瞬間に目の前に黒い壁が現れた。悪霊の塊だ。

 

「恨みや憎しみの感情はどこにでもある。貴様は勿論、後ろのヒトにだって。持ち合わせてないのは感情の無い物質くらいだ。生き物の傍には悪霊の欠片がある。詰まる所、生き物が居る限り誰も逆らうことなど出来ないのだ!!」

 

「お前……!!」

 

「貴様にしては珍しく他に興味を持っているらしいな。ならば面白いものを見せてやろう。そのご執心のヒトが負に溺れていく様をな!!」

 

悪霊がウツボの後ろから現れ、凄い速度で進んでくる。俺とウツボを避けるように二つに分かれるとまた俺の後ろで一つに纏まる。そのままスズの元へ……。

 

俺は腕を引いてスズを助けに行こうとするが、腕が抜けない。殴り付けようとした右腕は防がれるどころか、手首から先をガッチリと黒色が包み込んでいる。どれだけ力強く引っ張ってもびくともしない。

 

「黙って見てろよ、不浄」

 

ウツボはにやにやと笑いながら、腕を組んでいる。悪霊の大群にスズは逃げることも出来ずに立ち尽くしている。そんな無抵抗のスズに容赦無く黒い影が襲い掛かる。

 

「きゃあああああ!!」

 

あっという間にスズの姿が見えなくなる。黒い海の中からスズの叫び声だけが外に届き、辺りに反響する。

 

「くっそぉ……!!」

 

どれだけ踏ん張ったって得体の知れない手錠はほどける気配が無い。今刃物を持っていたら迷い無く手首を切り離していただろう。

 

「不浄。何故そこまで貴様はヒトに固執するんだ?」

 

何故?……何故だ?

どうして俺はヒトを助けようとしている?

どうして自分を傷付けてさえ助けようとしている?

 

何故、この森へ入ってきたヒトに声を掛けた?

分からない……分からない。

 

 

 

――そうか。

 

 

 

 

それまで笑顔だったウツボが怪訝そうな表情に変わる。

 

 

「何故笑っている?」

 

左手で口を触ってみてそこで初めて気付く――。

 

 

――俺は笑っていることに。

 

 

「こんなでも生き物だからな」

 

ウツボは意味が分からないという風に額にシワを寄せる。そりゃそうだろう。俺だって分からないのだから。

 

「分からないから"生きて"いるんだろうが!!」

 

力任せに腕を引っ張る。力任せに、何も深いことは考えず、力任せに。

 

「馬鹿め、たかが貴様程度の力など知れている。無駄な足掻きよ」

 

もげてもいい――千切れてもいい――引き裂かれてもいい――。

 

 

異国の王は地面に突き刺さった剣を抜いて英雄になったと聞く。

ならば俺は?

 

「『悪霊(じめん)』に突き刺さった『腕(つるぎ)』を引き抜く『悪の王(えいゆう)』だあああ!!」

 

「何を喚いている?気でも可笑しくなったか?」

 

ピシン

 

まるでビードロに亀裂でも入ったような音が微かに耳へ入ってくる。俺は更に踏ん張る足の指先に力を込める。

 

 

「おおおおおおおおおおお!!」

 

 

 

その瞬間、刹那より短い時間、世界がゆっくりと動いているように感じた。音は何も聞こえない。右腕は黒い壁を砕き、手首から先が外気に触れてひんやりする。ウツボは目をこれでもかというくらい広げ、口もだらしなく開いている。抜けた、と思った時には既に意識はスズに向いていた。

駆け出した足は迷うこと無く、漆黒の山へ。異物の俺がヒトのスズに触れてしまったら――なんてことはもう頭に無く、一心に腕を再び黒い壁に突き刺す。こちらの悪霊は硬くなく、すんなりと内部へ手の侵入を許す。俺は限界まで手を伸ばす。中へ居るスズに――。

 

「スズぅうううううう!!」

 

 

伸ばした手に悪霊ではない感触。より深く、肩まで悪霊に突っ込んでスズを掴まえる。

 

指先が触れる――――!

 

 

 

「――――――――――――ッ!!!?」

 

辺りにはスズの言葉とは程遠い叫びが響き渡る――。




初めましての方は初めまして。
お久しぶりの方はお久しぶりです。
碓氷です。
まずはここまでお読みいただきありがとうございます。
大分前回から時間が空いてしまいました。というのも、今作を執筆するにあたってのモチベーションが上がらなかったというのが大きな理由の一つでございます。少しでも気に入らないと書きたくなくなるという我が儘が起きまして、暫く振りになってしまいました。しかし私は執筆において一つの決まりを作っています。一度書き始めた作品は完成させてからでないと、次の作品に手をつけないという決まりです。何度も今作は未完のまま放置しようかと迷ったのですが、難しい事は考えずにやりたいこと、書きたいことだけ書いて形だけでも完成させようという結論に至りました。そうした結果、まさか今回で完結出来ずに続けることになるとは思いませんでした。おそらく次回で完結でしょう。あくまで予定ではありますが。

そして今作を書いている時にふと思ったのですが、私の作品を書こうというきっかけが3パターンあるなと。1つ目はタイトルだけ先に浮かぶパターンです。2作目の『忘れられた輪』がこれに当たります。純粋に格好いいなという考えだけで書くので、結末なんかは書きながら考えます。2つ目はテーマだけ先に考えるパターンです。3作目の『死後の空白』がこれです。やりたいテーマだけ考えて、結末は全く考えずに書きます。3つ目は全て流れを考えて深く伏線なんかも立てていくパターンです。1作目の『アネモネの空』や今作の『月影テールライト』がこれですね。しっかりと筋道を立てて書く代わりに気に入らないと直ぐに手が止まるのです。今作で思い知らされましたが、私の場合は結末を考えずに伸び伸びと書いた方がストレス的にも出来高的にも良いのではないかと思いました。

それでもまだ『月影テールライト』は完結しておりません。モチベーション次第で時間が掛かってしまうかもしれませんが、見掛けたらまた宜しくお願い致します。

改めまして、ここまでお読みいただきありがとうございました。
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