月影テールライト   作:碓氷 修夜

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悪夢

動けなかった。

真横で悪霊に飲み込まれて、そのまま流されていくキュウちゃんを見たら恐怖で身体が動かなかった。そしてロイまでも悪霊に腕を掴まれてしまっている。助けを呼ぼうにも声が出ない。動けない癖に膝だけが笑ってカタカタと震えている。

 

悪霊の波が押し寄せてくる。

逃げなければ、キュウちゃんのように押し流されてしまう。頭では分かっていてもやはり身体は動いてくれない。

 

目の前に悪霊が迫る。

何の考え無しに護魂の森に入ったのは愚かだったのだろうか。幸いなことにロイやキュウちゃんが手助けをしてくれたが、ここまで来られたのは二人のおかげ。二人が居なければ直ぐに命を落としていたに違いない。だからここで死ぬのは運命なのかもしれない。

 

悪霊たちが私を包み込む。

これだけ沢山集まっているのに、全然熱を感じない。むしろ冷たささえ感じる。私の熱は悪霊たちに奪われていき、私も冷たくなってくる。ズキンと心臓が痛む。熱を奪われる代わりに、感情が流れ込んでくる。恨み――憎しみ――。これは私の感情じゃないのに、怒りや悲しみが生まれ、その度に心臓が締め付けられる。左手に持っていた一対の草履は、通り過ぎる悪霊に引ったくられるように手から離れていってしまった。しかし取り返しに行く気力はもう残っていない。

 

これは罰なのだろうか。

自分勝手にチカの花を摘みに来たから森が怒っているのだろうか。

 

――自分勝手?

父を助けることが自分勝手に当たるのか。むしろ褒められるべきことではないか。父親想いの良い娘じゃないか。それを邪魔するあの猿は障害以外に他ならない。あの猿が恨めしい――憎らしい――。

 

私は身動きが取れない状態だったが、頭を振って考えを払拭する。違う、これは私の意思じゃない。こんなこと考えたって余計に悪霊を生んでしまうだけだ。何とかして気分を一新したいが、次々と迫る悪霊の負の感情が私に流れ込んできて胸が苦しくなるばかりだ。

 

何度も叫んだ。外に声が聞こえるか分からない。届かせるつもりでもない。負の感情が大き過ぎて私という小さな器には入りきらない。そのため叫ぶという形で負の感情を吐き出している。思わず声を上げているのだ。声が嗄れてさえもまだ叫び続ける。この地獄は耐えられない、誰か助けてくれ――と。

 

その時真っ黒の世界に違うものが現れた。見覚えのある手。そして決して触れたことの無かった手。真っ黒の世界に光でも射し込めば絵になるが、その腕は真っ黒よりも深い"漆黒"だった。同じ黒でもより深い黒は同化することなく、私へ道を示してくれた。自由の利かない身体を何とかして動かし、伸べられた手を目指す。あと少し。あともうちょっと。

 

そしてようやく伸べられた手を掴んだ――。

 

 

 

その瞬間、先程から流し込まれていた負の感情より、もっと強い感情が私の内側へ入り込んでくる。言葉では言い表せないが、とても悲しい感情。触れたことを一瞬後悔させるほどの悲しみ。伸べられた手は希望ではなかったのか。私の胸は剃刀で袈裟に切られたように痛む。嗄れた喉でさらに叫ぶ。もう声になっていないかもしれない。口の中に鉄の味が広がる。それでも尚、叫び続ける。

 

涙がほろほろと零れ落ちてきた。何故泣いているのだろう。拭っても拭っても涙は止まることを知らない。一層胸が苦しくなるが、切り裂かれたような痛みではない。全身が震えるような苦しみ。繋いでいない方の手を胸に持ってくる。そうか――これは流れ込んできた記憶――――。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「こら、大上段の隙が大き過ぎる。ここぞと言う時以外は控えろ!」

 

「ぐぁっ……はい!」

 

「足捌きが遅い!それじゃ押し込まれるぞ!」

 

「がっ……!」

 

つばぜり合いの状態になったと思った瞬間には、一歩大きく踏み込まれそのまま床に押し倒された。

 

「勝負あり、だな」

 

「お、お手合わせ、ありがとうございました」

 

慌てて立ち上がり、頭を下げながらお礼をする。そんな俺の頭をわしゃわしゃと撫でながら相手は笑う。

 

「粗削りだが、初めに比べればかなり上達したよ――」

 

「いえ、まだまだです、師匠」

 

「わはは、その向上心だ。いつまでも初心を忘れるなー」

 

再び師匠に頭を下げて皆の元へ戻る。視線を落としながら歩いていると、今度はガシッと肩を組まれた。

 

「今日も随分と仕込まれていたようだな兄弟!」

 

「兄者……止めてくれ、汗まみれだ」

 

「何、そんなこと俺は気にしない」

 

こっちが気にするんだ、という言葉は飲み込んでおく。言ったところで、「兄弟の杯を交わしたというのにその扱い!兄弟の絆というものはいとも容易く切れてしまうものなのだな!」なんて芝居めいた言葉で大騒ぎすることが目に見えているからである。

兄者は肩を組む反対の腕で竹刀を担いでいる。見るからに"がさつ"そうなこの男は、これでもここ一番の腕っぷしだ。その力量は師匠にも劣らない。

 

その時、戸口が音を立てて開いた。遠慮も無しに入ってくると、初老の男は師匠に声を掛けた。

 

「精が出るのぅ」

 

「これはこれは、殿。一体いかがされましたか?」

 

「いや、これと言った用は無い。純朴にお前たちの稽古風景が見たくなってのぅ」

 

「それはそれは。有難う御座います。今、」

 

「いや、余に気を遣わずとも良い。それより、稽古を続けてくれ」

 

はっ!と短く返事をして順番待ちしていた者と稽古を再開する。両者共、殿がお見えになって何処と無く気合いが入っているようだ。その間殿は門下生一人一人に声を掛けている。掛けられた方は緊張してかちかちになっているが、当人の殿は柔らかい態度で笑っている。上に立つ者であるに拘わらず、人との関わりを欠かさない。自分の為に動いてくれる者の名前を知らねば仕えられる資格は無い、と。何とも細かい方だ。そういった方だからこそ、皆からこれ程の信頼を得ているのだろう。

順々に話していたが、次は俺の番らしい。

 

「――――よ、居心地はどうだ?」

 

「はい、皆に良くしてもらっています」

 

「それは良かった。そちを拾ってからもう何年かな?」

 

「今年の秋で一六になります」

 

そう、俺は"捨て子"だった。産みの親の顔は、知らない。物心付く前に村の門に捨てられていたらしい。それを拾ってくれたのがここの領土を治める殿だった。今しがたしてきたように義理人情に厚い方であるから、見逃すことなど出来なかったのだろう。加えてどこの出身かも分からない俺を武家の若者と同じように鍛え上げてくれているのだ。それなので勿論、隣に居るこいつも"兄者"と呼んでいるが血縁関係は無い。しかし俺たちは同じ師の元、剣技を磨きあってきたのだ。同胞よりも強い"絆"で結ばれていると自負している――絆、だなんて俺も長年兄者と共に過ごしているから口調が感染ってしまったのだろうかと、口をすぼめる。

 

「ふむ、そんなに経ったか……時間の流れとは早いものだな。……して、主将」

 

「はい!」

 

殿は何故か兄者だけ主将とあだ名で呼ぶ。あだ名というか事実そのものではあるが。

 

「こやつはもう戦に出しても大丈夫か?」

 

「……兄弟を、ですか?」

 

「無論だ。他に誰が居る?」

 

俺が戦に?驚きのあまり口をあんぐりと開ける。対照に兄者はうーんと閉口したままだ。目を瞑って暫く考えた後、小さく頷くと殿を見上げる。

 

「はい、ここでの稽古を見ている限りでは戦に出てもきっと武勲を挙げることでしょう」

 

殿は、「そうか」と溢すとにんまりと笑った。俺はそれよりも兄者が前線へ出してくれることを許可してくれたことが意外でならない。兄者は本当の弟の様に俺を大切にしてくれたし、危険はなるべく避けるようにと常日頃から言われ続けていたからである。兄者なりの優しさなのだろうが、殿やこの村の人々の為にも恩返しがしたいと思っていた。それには磨き上げてきたこの剣術しかないのだ。しかし、これまでは頑なに兄者からの許可は下りなかったのだ。それがあっさりと下りるとは思わなかったのだ。

 

「明日の太陽が沈み始める頃にそちと主将は余の屋敷に来なさい。宴を開こうぞ。何、昇進祝いというものだ」

 

「あ、あの!本当に俺なんかが殿の屋敷の敷居を跨ぐことが赦されるのでしょうか?だって……どこの出身なのかも分からないというのに、」

 

「たわけ」

 

殿が俺の頭をこずく。あまり痛くは無かったが、突然のことで殴られた部分を手で覆いながら疑問符を浮かべる。

 

「今更何を遠慮しておる。そちには既に十二分に迷惑は掛けられているわ。それに、そちを拾った時より、余もその覚悟をしとるからのぅ」

 

俺は殿という人物を完全には理解していなかったのかもしれない。俺が思っていたよりも遥かに、お人好しだった。そしてこんな小さな領土だけを治めるには勿体無い程の善人だった。

 

「有難う御座います!!明日より更に心持ちを入れ換えて殿の為に尽くします!」

 

殿はほっほっほと笑い、師匠に、「では、任せたぞ」と一声掛けてから稽古場を後にする。殿の姿が完全に見えなくなるや否や、他の若者たちから祝福の声が上がる。勿論、俺と兄者が殿に認められたからである。あちこちから祝いの言葉が飛び交う。どうしたものかと狼狽していると師匠が、「ここは神聖な道場だぞ!」などと皆を黙らせる。

それからはいつもの稽古場の風景だった。しかし稽古終わり、師匠がすれ違い様に、「良かったな」と俺だけに聞こえるように呟いた。俺は別れの挨拶も出来ずに立ち去る師匠を眺めることしか出来なかった。

 

殿だけではない。この村には善人しか居ない。

余所者の俺を受け入れ、皆家族の様に迎え入れてくれる。変な軋轢が生まれることもない、苦楽を共有するのだ。この村が小さいままでいるのも何となく分かった気がした。

 

 

「よぅ、兄弟!この後暇か?」

 

兄者がまた肩を組んでくる。

 

「明日は殿の家でご馳走がもらえるが、今日は俺たちだけで旨いもんでも食いに行こう」

 

「そうだな、"いつも"の所がいい」

 

「かかかっ、お前の楽しみは別だろ」

 

「……純粋に飯が食いたいだけだ」

 

などと他愛ない会話に花を咲かせながら、村の大通りにある食事処ののれんを潜る。

 

「おっちゃーん、今日は祝い事だ。旨いもんどんどん持ってきてくれ」

 

「らっしゃい!おぉ、あんたらか!どした今日は」

 

「明日から俺たち殿直属の隊に入るんだ」

 

「そりゃあめでたい!じゃあ今日は俺の奢りだ!たんと食え!」

 

「おっ、恩に着るよおっちゃん!」

 

「有難う御座います」

 

空いていた近くの席に着く。すると直ぐに奥から女がお盆に湯呑みを二つ乗せて持ってくる。

 

「どうぞ」

 

「おう、ありがとな」

 

兄者に慣れた手つきで湯呑みを出す。そして次は俺の前へ。

 

「おめでとう御座います。その年で隊に入るなんてやはり凄いお方ですね」

 

「い、いや、お菊さんこそ若いのにしっかりしている。すっかりこの村の看板娘じゃないか」

 

「おうおう、お熱いねえ」

 

お菊は顔を赤くして、「そんなんじゃありません」とそそくさと調理場へ戻ってしまった。

 

「兄弟も顔真っ赤でえ」

 

俺もお菊に劣らず赤くなっていたらしい。慌てて湯呑みの茶を一口で飲み干す。調度良い温かさで喉を通って全身にじわっと広がっていくように感じる。

 

「ほれ、出来たぞ!お菊、持ってってやれ」

 

店主が背中を叩いてお菊を調理場から追い出す。出てきたお菊と思わず目が合い、お互いぎこちなさそうに笑う。

 

「おおーっ!こりゃ旨そうだ。冷めないうちに食っちまおう」

 

いただきます、と両手を合わせて出された刺身に箸を付ける。隣で兄者はがつがつとご飯を掻き込んでいる。

 

「――さん、如何ですか?」

 

「ん、何が?」

 

「お食事の具合です」

 

「ああ、旨い。特にこの煮付けが旨い」

 

「あ、あの、それ私が作ったんです」

 

「ほぉ、なら旨いのは当然だな。きっとお菊は良い嫁さんになる」

 

「そんな……」

 

お菊は顔をまた赤くする。目の前で恥ずかしがられると自分まで照れ臭くなってくる。

 

「兄弟よ、早く嫁にもらってやったらどうだ?」

 

「兄者……」

 

「やらんぞ!うちの娘はまだ誰にもやらん!」

 

「おっちゃんはいい加減に子離れしろよ!」

 

食事処はいつもより一際賑やかで、太陽が沈んだことは誰も気付かなかった。店じまいで兄者とは店先で別れる。俺は村の倉庫として使われていた小屋に戻る。ここが俺の家である。最低限の生活をする道具は揃っているが他にはほぼ何も無い。しかし住み心地はとても良い。この埃っぽさが逆に俺に合っているのかもしれない。明日から新たな生活が始まる、そう思ったら布団に入っても中々寝付けなかった。

 

 

 

目が覚めた。まだ辺りは暗いまま――のはずだった。太陽が昇るにはまだ早い時間のはずなのに、窓の外は妙に明るい。そして目が覚めた一番の理由は、非常の鐘が鳴らされていることだった。寝間着のまま慌てて外へ飛び出すと、周りは地獄絵図だった。藁葺きの家は燃え、崩れた家の下敷きになっている人も居る。辺りには怒号と叫び声が響く。向こうでは小さな子供が血まみれの母と思わしき女の隣で泣いている。俺はまだ悪い夢を見ているのだと信じたかった。しかしそんな逃避は炎の熱風が肌を焼く痛みで許されなかった。

 

ドシャン

 

村の外れから轟音が聞こえてきた。俺は近くの角まで走り様子を窺う。今の轟音は門が抉じ開けられた音らしかった。門番をしていた二人は開いたと同時に倒れた所を侵入してきた男どもに斬られる。

 

「兄弟!!」

 

振り返ると兄者が息を切らしながら立っていた。

 

「これは!?」

 

「北の集落からの襲撃らしい!早く殿の元へ!」

 

俺たちは走って屋敷の前まで来ると、うちの男どもが半分程集まっていた。師匠と殿が中心なって指示を飛ばしている。

 

「今現在、隊の者たちが敵を食い止めている。皆も一丸となって対峙してくれ!!」

 

大人たちは持って走っていく。門下生や商人たちには刀が配られている。俺も師匠から刀を受け取る。

 

「おい、――――。死ぬな」

 

「……はい」

 

真剣というのは初めて握る。今までは竹刀を振っていたが、あれはあれで重い。しかし、こちらはまた違った重さに感じる。一振りで簡単に命を奪えるのだ。己の身を護る道具か人の命を奪う道具かは持ち主の心持ち一つで変わる。けれどもどうして、護身の為に存在しているようには到底俺には思えなかった。

 

男たちは侵入者たちに向かって駆けていく。俺も兄者と共に敵に斬りかかる――――。

 

 

 

――記憶が曖昧だ。

俺たちは敵を斬り伏せていった。

 

――頭が痛い。

一人の相手に気を取られていた。

 

――吐き気がする。

背後からも敵が襲い掛かって来ているのに気付くのが遅れた。

 

――左腕は――――無い。

俺を庇って兄者が斬られた。

 

――血が吹き出て止まらない。

見知った仲間たちも、師匠も、兄者も。赤い海に倒れている。

 

――しかし何も感じない。

その中に殿の姿もあった。

 

――もう走れない。

辛かったけど、楽しかった記憶。その記憶の欠片が黒く塗り潰されていく。

黒い記憶がどんどん心を染めていく。

そして完全に見えなくなった瞬間――。

 

 

 

『俺の中で何かが壊れるような音がした』

 

 

 

それからは断片的な記憶しかない。俺は動くもの全てを斬り裂いていった。敵だろうが、味方だろうが、関係無い。辺りの色彩が無くなり、微かに動くものがあることだけしか分からなかったからだ。がむしゃらに走り、がむしゃらに斬る。斬られても痛みも感じない。腕を斬り落とされてもまだ走る。

 

ただ途中でお菊に会ったことだけは覚えている。お菊だけは鮮明に姿を捉えることが出来た。足を怪我しているのか地面に座り込んでいる。店主の姿は見当たらない。

 

「――――――――――――――――!!」

 

お菊が俺に向かって何かを叫んでいるが聞こえない。俺の五感は既に機能していなかったからだ。

 

「……すまん」

 

何故謝ったのか今でも分からない。お菊の横を駆け抜け、村の門を潜って外へ出る。外にも沢山動くものが居たが、それも斬り崩す。斬りながらでも走り続けることは忘れない。

 

 

どれくらい走っただろうか。気が付くと森の中に居た。いつの間に叫んでいたのか、喉と顎が痛い。痛覚が戻っている。慌てて右手で左肩の付け根に触れる。そこには落とされたはずの左腕があった。何故か、という疑問は浮かばない。腕が有るか無いかはただの誤差でしかなかったからだ。周りには動物や変な生き物が遠巻きに俺を木の影から見ている。そんな視線を無視して歩き続ける。今更になって足が痛む。よたよたと脇にある木に寄り掛かりつつ先へ進む。目的は分からない。ただ力の限り前へ進む。

 

やがて、森が拓けた大きな池に辿り着いた。池の手前で足が絡まり倒れる。もう立ち上がる気力は無い。這いつくばるように池の淵まで動き、喉の渇きを潤す。生き返るようだ。

 

ここでようやく視力が回復してくる。まず目の前の水を掬う自分の手が見えてくる――。

 

――おかしい。

俺の手はこんなに黒くなかった。視力がまだ回復していないのか。いや、周りの風景への色彩は取り戻している。一抹の不安を抱えて恐る恐る池を覗き込む。そこに映っていたのは――真っ黒な影――だった。

 

こんな姿、どこからどう見てもヒトではない。いつからこんな姿になっていたのか。走り続けている間か、村で我を失ったように敵を斬り伏せている時か。……いや、元よりヒトではなかったのかもしれない。俺はどこから来たのか分からない。産まれた時から怪物だったとしても不思議ではない。――まぁ、そんなこともうどうでもいい。

 

この姿を見ても驚きはしなかった。どうしてか、皆が死んでいるのを見た時と同じような感覚だった。怒りや悲しみ、そんな感情は一切ない。自分でも薄情だと思う。その時俺は、"こんなもんか"なんて思っていたからだ。そしてただただ疲労感を味わっていた。

 

「疲れた。何もかも疲れた。ヒトであることさえ疲れる」

 

それなのに。それなのに、だ。目から涙が溢れて止まらない。何故泣いているのか分からなかった。初めて大声を出して泣いた。何の為の涙か、それが理解出来ていたら塞き止めることが出来たかもしれない。分からないから泣いた。

 

ヒトでなくなったことに後悔は無い。仲間が死のうが、村が焼かれようが、もう俺には関係無い。全てを投げ捨てて逃げてきたも同然の俺に知る権利など無いからだ。……ただ一つ気掛かりなことはお菊が最後に俺へ何と叫んだのかということだ。俺への罵倒、救いの懇願、異物への拒絶――考えても答えは出ない。分かった所でどうということもないが。

 

 

ある異物は言う。

 

「あの黒さは全身に被った血が固まったからだ。不浄に他ならない」

 

と――。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

記憶は残酷だ。楽しいもの、美しいものは次第に記憶が薄れてゆき、どんどん曖昧なものになっていく。しかし、負の記憶は忘れようとしても根底に深く残り、ふとしたきっかけで鮮明に顕れる。私の場合は、今の記憶に影響されて出てきたのだろうか。嫌だ、思い出したくない。けれども意識すればするほど、追い掛けてくる。

 

 

 

「スズちゃんはね、お母さんを殺して産まれてきたんだよ。うちのお母さんが言ってた」

 

残酷なのは記憶だけではない。子供の無垢な心が凶器に変わることもある。まだ子供の私が言うのもあれだが、母の居ない分、自立せざるを得なかった節がある。その為、他の子供より大人びているという自覚がある。

時折、心無い言葉が私を貫くことがある。私なんか産まれてこなければ良かった、と考えるのは父と母に申し訳無いので思わないが、母は自分が死んでしまってまで私を産む意味があったのかと考えてしまうことはある。勿論両親に感謝はしているし、自慢することも出来る。

 

生前、母は村一番の美人さんだったらしい。それでいて驕ることなく、誰にでも親身に接していたらしい。その為、身体を壊して床に伏せていると村の皆が代わる代わる看病しに来た、なんて話も耳に挟んだこともある。だから自分の命を賭して私を産むと言った日には村中が大反対したそうだ。それでも私を産んだのは母自身の強い願いだったと聞く。

 

『私は病弱だからどうせ長くは生きられない。だったらせめて、私の分まで娘に生きてもらいたい。私と貴方の子供ですもの、きっと――』

 

私はどんなに頑張ってもそんな母の代わりになることは出来ないだろう。しかし、穴を少しでも埋めることは出来るはずだ。そう思って、私も母に倣って村の人々と仲良く生活をするように心掛けていた。辛い事があっても私は出来うる限りの笑顔で応えた。

 

そんなある日。私が八歳の頃、村に新しく引っ越してきた家族が居た。良い所の出なのか、とてもお金持ちなのだという噂で持ちきりだった。そしてその家族には一人の娘が居た。

 

 

 

「ごきげんよう、貴女がスズちゃんね?私はカエデよ、よろしくお願いするわ」

 

 

この少女は後に、私の記憶に大きな爪痕を残していくことになるのだった。




はじめましての方ははじめまして。
お久しぶりの方お久しぶりです。
碓氷です。お読みいただきありがとうございます。

えー、3話です。まず、初めにお詫びを。完結出来ずに大変申し訳ありません。
そして今回はちょっと短いです。きりがいい所で切らせてもらいました。前回、前々回と次回完結させる、と言った手前、このように長くなってしまうというのはある意味裏切り行為ですので心苦しく思います。終わる終わる詐欺も程々にしてもらいたいところです。ですので、先に言わせていただきますと、次回では終わりません。というか終わらせられないでしょう。そもそもの書きたい結末には全然届いていないのです。

さて今回ですが、殆ど回想です。あまり気持ちの良い回想ではありませんが、私自身この『月影テールライト』を書いていて一番筆が進む回でした。私の心の歪み様が顕れていますね。次回もそんなに気持ちの良い回想では無いでしょう。
比較的古風な時代設定の多い私の作品ですが、学生時代歴史を専攻していなかった為、恐らく設定が滅茶苦茶になっているかと思われます。こんなところで学の欠如が発揮されるとは思いもしませんでした。

今回はそこまで語りたい事が無いのでここまでにしたいと思います。いつもの後書きが長すぎるだけなのかもしれませんが。拙い文章ではありますが、もう少しお付き合いいただければ幸いでございます。

改めて、ここまでお読みいただきありがとうございました。
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