多勢に無勢、という言葉を知っているだろうか。相手の頭数が多すぎて到底敵わないという意味だ。"例外"はあれど、単純に計算すると相手がこちらの5倍の数なら、こちらは一人当たり5人分の働きをしなければならないのだ。それでようやく対等に戦えることになる。
逆に言えば、勝っている点は"数が多い"ということだけなのだ。だとしたら、多勢側が一転して無勢側になるとどうなるかは火を見るより明らかだろう。
「全方位を囲め!徐々に間合いを詰めていくのだ。ただ、悪霊には触れてくれるな!」
熊の大将が低くはっきりとした声で周りの動物に指示を飛ばす。その声は耳を通過し、鼓膜を揺らし、心に染み込んでいくみたいだ。動物たちも短い指示だけであっという間にウツボたちを囲いこむ。動物たちの集団の中にちらほらと違う姿が見える。妖怪たちだ。妖怪たちが中間に入り、細かい指示を出しているのだ。そもそも動物と妖怪はそれ程、仲が良い訳ではない。言ってしまえば、本当に"ただ"の御近所でしかない。同じ森に住んでいるというだけで、それ以外に接点が殆ど無い。それが今、こうして目の前で協力し合っている。とても可笑しな光景で、とても心強い光景だった。
「旦那は突っ込まないんです?」
ふと横を見るとムジナがにやにやしながら立っていた。……いや、のっぺらぼうだから表情など読み取れないが、そんな気がした。
「俺はさっきまで頑張ってたから休憩だ。そっちこそ森の為に尽力したらどうだ?」
「やだなぁ、私はそこいらの動物より非力なんですよ?出来る事なんて何も無いですから――どうしたんですか、そんなじっと見つめてきて?」
ふと眺めていたつもりが、思ったより長く見ていたようだ。
「……坊主はいっつもそうだよな」
「何がですか?」
「おちゃらけてるようで、どこか自分に自信が無い。達観し過ぎじゃないか?」
「……おやおやー、旦那にしては珍しくお説教ですかー?ヒトと話して心変わりでもしましたか?」
「……どうだろうな。坊主こそどうなんだ?」
「自分に自信が無い、と言われればそうかもしれませんね。そりゃあ周りは特別な力を持ってたり、これ!といったものがありますからねー。その分私は顔が無いだけで無力なヒトと変わりありませんから」
ムジナが自分の顔を指さしながら告げる。
「……ヒトは無力か。無力だろうな」
その言葉を何度も口から発して、納得するまで噛み締める。不思議そうに覗いてくるムジナを無視して異物たちの中心を見据える。苛立ちながら周りへ牽制しているウツボ、悪霊の山から上半身だけ突き出たスズ。スズの表情は文字通り"無"だった。……なのに、俺にはどこか悲しそうに見える。
「坊主。スズを見てみろ」
「完全に悪霊に飲まれてしまってますねぇ。もう駄目なんじゃないですか?」
「……本当にか?」
「え?」
「本当にもう駄目に見えるか?完全に飲み込まれている様に見えるか?」
「どうしたんですか、急に?」
「確かにヒトは無力かもしれない。けどな、あいつは無力なりに頑張ってるんだ。諦めてたらもう姿なんて無くなってるぞ。それがこうやってまだ半分見えてる。……俺たちは異物だ。異物の俺たちが頑張ってやらないと人間のあいつの努力が無駄になっちまうだろう」
「……旦那は相変わらず馬鹿ですねぇ。昨日今日会ったばかりのヒトによくそこまで感情移入できますね」
そう言いながらムジナは身体の調子を確認するかのように関節をコキコキと鳴らしている。
「……手伝ってくれるのか?」
「どうだと思います?」
「ありがとうな」
「……生憎と旦那の頼み事を聞く義理なんてありませんが、スズさんのような純粋な心をお持ちのヒトは貴重ですからね。顔が無いだけの異物もがんばりますよー!」
ムジナはしゃべりながら他の異物たちの塊の中へ消えていった。
「ウツボ!一体どのような料簡だ!」
硬直状態の最中に大将が呼び掛けた。これだけ大勢が集まっているのによく響く声だ。
「あなたの考えは古すぎます。そのくせ、意味の無い所で簡単に秩序を捻じ曲げるのです。自分ならばもっとこの森に相応しい行動が出来るのです!」
「貴様の今の言動がこの森に相応しいとでも思っておるのか!!」
「多少の犠牲は仕方ありません。そもそも適応出来なければ死んで当然でしょう?それは昔から自然の摂理ではありませんか」
「……口では何を言っても無意味のようだな」
「やはり自分を頼ってはくれないのですね……」
「何の話だ?」
「何でもありません、よ!!」
その言葉を発した瞬間、ウツボの周りに漂っていた悪霊が四方八方へ弾けた。その様子はさながらウニのようで、針が近くに居た異物たちを襲う。咄嗟のことで動けなかったのだろう、狙われた異物たちは殆ど餌食になってしまった。針といっても固くはないようで、当たるというよりも悪霊に飲み込まれてしまっていた。しかし、悪霊は異物を包み込むや否や直ぐに離れて次の獲物へ標的を移す。スズみたいに取り込まないのか?
「おい!どうした!!」
あちこちから叫び声が上がる。声をした方へ目をやると、一瞬悪霊に飲み込まれた異物たちがぐったりと横になっている。どうやら息はしているみたいだが、起き上がる気配はない。
「生気を喰われたわね」
気が付くとお岩が隣に居た。真剣な表情をして辺りを睨んでいる。
「生気?」
「生きる為の気力よ。喰われてしまった手前殆ど死んでしまっている状態と同じね」
「……!?じゃあスズは!!」
「落ち着きなさいな。あの子はまだ大丈夫よ。……いつ喰い尽くされるかは時間の問題でしょうけど」
「……急いで助けてやらないと」
俺は重心を前に掛けてそのまま走り出そうとした。それを見越してかお岩が口で制止する。
「待ちなさい。今、黒すけが行ったところで生気を喰われておしまいよ」
数で圧倒していた異物たちが一転して大混乱に陥っている。悪霊に捕まると実質死んでしまうことが分かったのだろう。我先にと逃げ出す奴や、怖じ気づいてその場から動けなくなってしまった奴も居る。大将は何とか皆を落ち着かせようと必死になっている。皆の恐怖、怒り――そんな負の感情で悪霊の力はどんどん増していく。悪霊からの被害は拡大する一方だ。
「くそっ!!どうすれば……」
「……森に住む異物が揃ったところで一匹の猿と悪霊なんかに勝てないなんて阿呆らしいわね」
「お前っ!!皆、森の為に頑張ってるんだぞ!その言い方はないだろう!」
「何、熱くなってるのよ。黒すけらしくないわね」
「お前だって護魂の森に住んでいるのだろう!だったら森を守ろうとは思わないのか!」
「私は森の為に動くつもりは毛頭ないわ。私が動くのは"あの方"の事だけよ」
ゴオォォォ
阿鼻叫喚だった異物たちが立ち止まり、ある一点を見つめる。攻撃を仕掛けていたウツボでさえもだ。轟音の正体は遥か後方で立ち上った火柱だった。
先ほど、多勢に無勢の話をしただろう。例外を除いて相手の数が多いと少ない方はどうしようもないという話だ。その"例外"がこいつだ。
焔の渦に乗って一匹の異物がこちらに飛んできた。焔は木々に触れているだろうに、焦げ跡一つ付いていない。その異物は焔から飛び降りると、俺とお岩の直ぐ前に着地した。
「随分と奥の方まで転がされたみたいだな。なあ、"キュウビ"?」
「そうねぇ……あたしとしたことがちょっぴり手間取っちゃったわ」
「キュウビ様!!お怪我はございませんか!!ブラシ!ブラシをお掛けしますか!?」
「……い、今は遠慮しておくわ。でもさっきはありがとう。悪霊に飲み込まれてた時にお岩があたしを助けてくれたのよー」
「そうよ。なのにキュウビ様ったら自分が助かっても『このまま悪霊を放っておけないわ。お岩は先に祠の方へ行ってなさい』って、振り払った悪霊を退治してたのよ!もうどこまで優しいのよ!」
「……」
「何見てんのよ?」
「いや……」
「キュウビ様……。流石ですね。悪霊に飲まれて生きているとは」
かなり離れた所からウツボが声を飛ばしてくる。だがその感情は尊敬ではなく、煩わしさを前面に露わにしていた。
「ええ。おかげさまでかなり出遅れちゃったみたいだけどね。代わりに貴方と悪霊を倒す方法が分かったわ」
「世迷言を……。ならば見せてもらいましょうか!!」
ウツボはキュウビを指さす。同時に近くの悪霊が高速で飛んでくる。その間に居た異物たちを無視し、真っ直ぐキュウビを目掛けて。闇よりも深い黒の世界がキュウビを包み込む――はずだった。悪霊はキュウビの目と鼻の先で停止したままぴくりとも動かない。
「どうした!?早く飲み込んでしまえ!!」
「それは出来ないわ」
よく見るとキュウビの九本の尻尾の先に焔が点いている。こんなに間近なのに気付くのが遅れたのは熱、熱さを感じなかったからだ。さっきの焔の渦もこれだったのだろう。
「恨み、憎しみ――。悪霊はそういった負の感情に惹かれるわ。なら、逆の力をぶつけてあげればいい話でしょう?」
ボウッと尻尾の焔が一層強くなる。
「愛しさ――、楽しさ――。そう、"正"の力をね」
伸びてきた悪霊はチリチリと削れながらウツボの後ろへ引き返す。
「お岩!お願い!」
「分っかりましたー!!」
ヒュンと飛び上がるとお岩はウツボの頭上をさらに越え、俺たちと対称になる位置で止まる。
「いくわよ!」
「はい!!」
二人の掛け声で辺りに焔が浮かび上がる。キュウビがあちこちに焔を飛ばし、お岩はちょうちんの身体を激しく光らせる。そう、ウツボとスズを中心にして円形に明るくしているのだ。森は夜とは思えないほど明るく照らし出される。そもそも日光の入らないこの森ではこんなに明るくなること自体が初めてではないだろうか。
「どうした!?何をしている!早く奴らを取り込め!!」
ウツボが大声で呼び掛けても、悪霊は陽炎の様にゆらゆらと揺れているだけである。揺れているというより、震えているのかもしれない。ウツボも拳を握りしめて震えている。
「もう立ち止まれないんだよ!!!」
その瞬間、小さな身体からありえないくらいの負の感情が溢れ出す。これだけ明るく照らされているのにあいつの周りだけ、どす黒い悪霊が蠢いている。さっきまでの気体とは異なり、ちゃんと形があるみたいだ。
「なによ……この力。異物一人が抱えている感情とは思えないわ」
近くで焔を操っているキュウビが苦痛の表情を浮かべる。今は抵抗するだけで精一杯なのだろう。反対側に居るお岩も同様だ。
ウツボが絶叫すると背中から湧いている悪霊がお岩に向かって突き進む。まずい、何とかしてこの正の力から逃れようとしている。お岩も光を放つことに全力を注いでいる為、動くことが出来ない。そのまま、伸びてきた悪霊にお岩が襲われ――。
「貴様の考えはよく分かった」
突然現れたものによって悪霊が受け止められる。がっちりと両手で握り、しっかりと両足で踏みしめている。毛むくじゃらの身体で巨大な背丈――文字通り、この森の王だ。
「これは森の意思など関係無いな。貴様が愚行に至ったのは私の責任だ。私が解決せねば」
「…………」
ウツボは黙ったまま歯を噛み締めている。あの感情は怒りなのだろうか?
「お礼は言わないわよ」
「構わん。私はあの阿呆を止めたいだけだ」
お岩と大将がお互いを見ずに会話する。これ以上お岩を攻撃するのは無理だと判断したのか、目標をキュウビへと移行する。背中の悪霊をキュウビへ這わせてきた。勿論、光を止めさせる訳にはいかない。俺はざっと駆け出し、キュウビの目の前に立ち塞がり、悪霊の進行を止める。むんずと悪霊を握り締める。掴んだ両手から負の感情が流れ込んでくるが、なんてことはない。こんな苦しみ、スズに比べたらどうということはないからだ。
「あら、どうも」
「お前の為じゃない。ましてや森の為なんかじゃないさ」
俺はきっと反対側に居る大将を睨み付ける。大将も額に汗を浮かばせながらこちらをちらと見る。
「なぁ、大将?お前は何の為に今動いている?森の為か?一人で出来るのか?」
「私は……」
大将は一瞬顔を伏せてから、しっかりと前を見据えた。そしていつも通りの大声でこう告げる。
「聞いているか、森の民たちよ!どうかウツボの愚行を止めることに力を貸してはくれないか!先に述べておく、これは森の意思ではない。森の意思ではない。これは"私自身のお願い"だ!どうかお願いしたい」
交戦中だというのに静まり返る森中。その沈黙はどこまでも森の奥へと吸い込まれる様であった。
初めに誰が応答したのかは分からない。一人が声を発すると、それに呼応するように大勢が口を開いた。皆、承諾の意を唱えて。馬鹿だな、自ら死にに行くようなものだぞ。それだけ皆、大将のことを慕っているのか。
「おい、不浄の者よ」
「何だ、こんな時に?」
「今までの非礼を詫びよう。不浄という呼び方も失礼だった。今はロイ、だったか?」
「…………」
俺は一瞬呆気にとられたが、何故だか笑いが込み上げてきた。
「いや、気にしてなんかいないさ。それよりお前は小猿をどうにかしてくれ。俺はスズの方に集中したい」
――――――――――――――――――――――――――――――――
薄れ行く意識の中、辺りがとても輝いて見えた。焔なんかによる光ではない。これは生物の希望、勇気の光。それも一つ二つではない。悪霊に飲まれて漆黒に包まれていた私の視界にはとても眩しすぎる程の光。森に住む異物たちの光が一斉にウツボへと飛び掛かる。ウツボも悪霊を使役して防戦する。異物たちは悪霊に飲まれる。それでも異物たちは生気を吸い尽くされることなく、また飛び掛かる。追い詰められるのは時間の問題だった。伸ばした悪霊を掻き分けながら熊の王さまが突き進んでくる。その進行はちっぽけな負の力では抑えられることはなく、そのままウツボ目掛けてげんこつを突き出した。とても強力だったみたいで、身体ごと後ろに吹き飛ばされる。辺りを襲っていた悪霊も一時的にウツボからの信号が途絶えたのか、ぴたりと動きを止める。
その隙を見計らっていたかのように私へ向かって黒い光が駆けてくる。それは悪霊なんかと比べるまでもなく黒く、他の光と比べるまでもなく明るかった。そして私にとって吐き気をもよおす程、煩わしかった。悪霊の山を飛び越えて直接私の腕を握る。前に触れた時に流れ込んできた悲しみはもう微塵も感じられなかった。悪霊に飲まれた私が負に染まりきってしまったのか、それとも黒い光がもう悲しみを感じていないのか。どちらなのかは私には分からない。
黒い光は私の腕を掴み、両足を悪霊の山に突き立てた。そのまま私を引き抜こうと力を込められる。その鬱陶しい光に目を細めて、思わず抵抗をする。悪霊たちがロイへ向けて尖った腕を伸ばす。包み込むなんてことはせずに、そのままロイの身体に突き刺さる。それでも私を握る掌の力は弱まることはない。何故そこまでしてこの人は必死になってくれるのだろう……。
「スズ、聞こえるか?」
聞こえている。しかし、口が動かない。顔が動かない。それでもロイは構わずに話し始める。
「お前に触れた時、スズの記憶も俺に流れ込んできたんだ」
私がロイの記憶を盗み見たように、ロイも私の記憶を見ていたらしい。一体何の記憶なのだろうか。ロイは大きく息を吸い込むと、目の前に居るのにもかかわらず、大声で喋り出した。
「お前は頑張りすぎなんだよ!何もかも一人で抱え込もうとして!ちょっとは楽に生きるってことを考えたらどうだ。触れたもの全てを輝かせるなんて大変だろう!」
「…………」
「少なくともこの森では力を抜いたらどうだ。お前はもっと"わがまま"でいいんだ。だが、それでもお前は楽して生きるってのが出来る性格じゃないよな。……生憎とこの森の中じゃ空は見えない。だから今夜はお前が『月』になるんだ。知ってるか、月ってのはそれ自身が光ってる訳じゃあない。太陽の光を借りて光ってるんだ。金色に、夜道を照らすくらいに輝いている。スズ、お前の名前と一緒の鈴の色だ。でも、他があまりにも明るいと月が目立たない。だったら俺は『影』だ。真っ黒だけど、光が当たると消えちまう。だがな、その光を強調させるにはもってこいだ。最初にも言っただろう、俺は相談役だ。お前が行き詰まったらなんとかしてやるのが役目だからな」
喋っている最中にも次々と悪霊がロイの身体に突き刺さる。時折苦しそうな表情を見せるが、私に語り掛ける声は途切れない。それは説教するように怒っているのではなく、悲しそうに嘆いているのではなく、ただ私に優しく馴染ませるように――。
(なら、あたしは『太陽』役かしら?)
遠くに居るはずのキュウちゃんの声が聞こえてきた。これが、念とやらなのだろうか。この声はロイにも届いていたみたいで口角をきっと上げる。
「自惚れてんじゃねぇぞ……。お前は案内役だろうが。お得意の『尻尾の光』で道案内しとけばいいんだよ」
(あら?つれないわねー。スズちゃん?わがままになってもいいけど、なり過ぎは駄目よー。ロイみたいになっちゃうからね)
こんな状況下であるのにいつもの軽口の言い合いが始まった。そんな光景に私も思わず笑みが零こぼれる。ロイは私を見て笑い返してくれた。
「だからよ、いつまでも絶望なんかしてないでそっから出て来いよ」
腕を引っ張る力がより一層強くなる。私もここから抜け出したい。でも、私を抑え込む力もかなり強い。悪霊たちが私の足を掴んで離さないのだ。
……本当に?私がここから動かないのは悪霊のせいなのだろうか。私の自我でここに留まっているのではないだろうか。ここから抜け出してしまえば、いつも通りの日常が戻ってくる。目覚めない父の看病をしながら、カエデちゃんと目を合わせないように村を歩く。そんな生活が嫌だから全てから目を逸らそうとしているだけなのではないか。私が弱いからこうやって悪霊を後ろ盾に言い訳しているのではないか。
「くっそぉぉ……」
私が葛藤する度にロイが悪霊に貫かれる。それでも尚、私の腕を離そうとはしない。
「弱くたっていいんだよ!!ヒトなんて異物に比べたら赤ん坊の様なものだぞ?強がったってたかが知れている!だったらありのままを相手にぶつければいいじゃねぇか!!」
「――――」
その瞬間、私を繋ぎ止めていたものがするりと解け、悪霊の山から吐き出された。思ったより勢いよく弾き飛ばされ、巨大な木の幹に叩き付けられる。衝撃で息が止まりかける。そして運悪く、そのまま祠と呼ばれる空洞に落ちた。キュウちゃんの話では、一度落ちたら二度と上がって来られないらしい。底の見えない空洞はどこまでも広がっているみたいで、永遠と落ち続けるのではないかという錯覚すら感じる。……それでも私は不思議と不安を感じていなかった。ずっとロイの胸の中に居たからだ。抱きかかえられながら、無限に広がる闇へ私たちは沈んでいった――。
――――――――――――――――――――――――――――――――
いつからだっただろうか?
"目的"と"手段"が入れ替わってしまったのは。
自分が尊敬していたものは"王さま"だったはずなのに。
憧れて役に立ちたかったから"森を守る"ことに全力を尽くした。
いつ入れ替わってしまったのだろうか。
自分はただ……王さまの役に立ちたかっただけなのに――。
「災難であったな。雷が木に落ちて炎上。母親を失うなんてな……。貴様、名は?」
「……ウツボ」
記憶の中で一番古いのがこれだ。後ろでは木々が燃え、目の前には巨大な熊が居る。全身を駆け巡る痛み。自力では這いつくばって動くことすら困難だった。この熊に助けられなかったら自分もあの炎の中で息絶えていたに違いない。
「ウツボ、こんなに綺麗な金色の毛並みをしているのだ。整えずにいてどうする。男なら格好良く決めなくてはな」
――親を失った自分を我が子の様に育ててくれた。
「これ、急かすでない。時期中はずっと咲いておるのだ」
――自分だけでない。王さまは護魂の森の父親のような存在だった。
「キュウビ様、あまりこやつ等を煽ててもらっては困ります」
――誰にでも優しく、誰にでも厳しく。慕わない者は殆ど居なかった。
そんなある日、王さまが大怪我をして帰ってきた。森の民を守る為、お互いの生存の為、ヒトとの交流を深めていた。その会議の帰りだった。そもそも自分はヒトと交流するのには反対だった。あいつらは勝手に森へ侵入し、勝手に荒らしていく。どれだけ決まり事を作ったところで守らない奴は守らない。その結果がこれだ。王さまはなんとか一命を取り留めた。しかし、右の耳は根元から千切れてしまっていた為、もう元には戻らなかった。その姿を見て自分は嘆き、激高した。ヒトと関わらなければ王さまは耳を失わずに済んだ。この森がもっと住み心地が良ければヒトと関わろうなんて思わなかった。自分にもっと王さまを支える力があれば……。
そう思い始めていた自分は悪霊にとって絶好の苗床であっただろう。常に負の感情を抱え、野心の強かった自分は。そんなだったからまず悪霊を使役することに尽力した。初めは言うことなど聞く耳を持たなかったが、今ではこうして自分の手足の様に操れる。悪霊を自らのものにしていくにしたがって、本当の目的を忘れていってしまったのだ。力を手に入れてしまったことで、自分は何でも出来ると勘違いしてしまった。なんとも愚かで救いようがないのだろうか。
「目が覚めたか、ウツボ」
「……はい」
殴られた頬がひりひりと痛む。同時に文字通り脳を揺さぶられた気分がした。今まで何かの催眠に掛かっていたのが、すっかりと解けたような。しかし、これは現実だ。引き起こしたものは全て自分の意志であり、催眠などでは決してなかったからだ。
「こんな愚行を許すことは出来ない。小一時間説教してやりたいところだが、私にも責任がある」
「え!?何故ですか!この事態を引き起こしたのは私個人の問題であり、王さまには一切の――」
「こんなに身近に居る貴様の思惑を感じ取れなかった私にも責任はある。それに森の王などというつまらない椅子は今直ぐにでもくれてやろう。王でなくとも森に尽くすことが出来るはずだからな」
「……やはり貴方には敵いません。器の大きさが違い過ぎる」
その時、彼方此方から悲鳴が聞こえてきた。悪霊だ。悪霊がひとりでに動いて、周りに居る異物へ攻撃をしている。これは自分が出した指示ではない。
「暴走している……?」
「熊の王さま!」
辺りを照らしていたキュウビとお岩が駆け寄ってきた。表情を見る限りかなり焦っている。
「どうされました?光はどうされたのですか?」
「もう必要ないわ。いえ、正確に言うと必要が無くなってしまったのよ」
「それはどういう……」
「ウツボの意識が途切れた途端に悪霊が暴れ出したのよ。良くも悪くもこのサルが悪霊どもを繋ぎ止めていたみたいね」
お岩が悪意のこもった口調で説明する。
「悪霊にとって自分は居心地が良かったのでしょう。それに加えて使役をしていました。負はどんどん膨らみ、行動は制限される一方だったに違いありません」
悪霊は居場所を無くし、自由になり、その溢れる負の感情が勝手に暴れているのだ。そう話している自分たちの所にも黒い脅威が迫っていた。慌てて回避するが辺りに反響している叫び声はその音量が増している。
その時、ダンという鈍い音も聞こえてきた。祠の方からだ。祠の木に不浄とヒトがぶつかった音らしい。かなりの衝撃だったみたいで、この森で一番大きな木が揺れていた。そしてそのまま、祠の中に落ちていった。
「スズちゃん!ロイ!!」
「キュウビ様、今は事態の収拾が優先です!」
思わず走り出そうとしたキュウビ様を王さまが引き止める。そうは言ったものの、王さま自身も解決法が分からないに違いない。キュウビ様も混乱しているみたいだ。誰もどうすることなど出来ない。……でも、自分ならばなんとかなるかもしれない。
こうなってしまったのは自分のせいだ。これまでどれだけ周りに迷惑を掛けただろうか。王さまはああ言ってくれたが責任は全て自分にある。だったら自分が解決しなければならない。
以前は全く言うことを聞かなかった悪霊を使役出来るようになったのだ。今の暴走している悪霊だって例外ではないはずだ。悪霊が好むのは負の感情。自分を悪霊の負と同化させる。そして自身の手足の様に操る。理論的にはこれだけなのだが、実際に行動するとかなり難しい。これの為に何年という月日を費やしたものか。この時間を他のことに使えていればと思うと、思わず自分の情けなさに笑ってしまう。
(悪霊よ、自分の元に集まれ……)
暴れていた悪霊たちが釣り糸で引っ張られるが如く、自分へ矛先を変えた。そのまま体当たりするみたいに突っ込んでくる。その量は先程まで抱えていたのとは桁外れだった。もう自分に抑えられる量ではない。でも、やらなければならない。こんな事態にしてしまったのは自分だ。この身が潰えてでも、後始末をしなければならない。
集まった悪霊はその場に留まっていても威圧を放ち、風が吹き荒れる。まるで台風を抱えているみたいだ。
「やめろ!!ウツボ!!」
王さまの声が聞こえた気がした。もしかしたら自分が良い様に幻聴を聞かせただけかもしれない。こんなことをした自分を許してくれるはずなどないのだから。だったらせめて――。
周囲を駆け巡っていた風は一瞬にして吹き止んだ。悪霊とウツボの身体を共にして――――。
――――――――――――――――――――――――――――――――
目を覚ますと私は青い芝生の上に居た。身体がまるで鉛の様に重たい。頭もガンガンと痛む。どうして私はここに居るのだろうか。ゆっくりと思い出してみる。私は悪霊に取り込まれて、身が引き裂かれるような痛みを感じた。悲しみや憎しみ――。そんな苦しみから誰かの手によって引き上げられた。それから私たちは祠の中に落ちた。でも、怖くなかった。とても温かい気持ちに包まれていたからだ。そう――あれは――。
「――ロイ!?」
私は慌てて辺りを見回す。さっきの記憶が現実だったなら、近くにロイも居るはずだったからだ。そしてそれを確証付けるかのような現実がそこにあった。
私の少し前に男の人が倒れていた。左腕が根元から千切れていて、腰には刀の鞘だけが挿されている。私はこの男の人を見たことがある。実際に会ったことはないはずだ。それでも知っているのは悪霊に取り込まれていた時に流れ込んできた記憶で見たからだ。
私は身体中の痛みなんか忘れてロイの傍へ駆け寄る。
「ロイ、起きて!ロイ!!」
私は何度も男の人の身体を揺する。しかし、どれだけ呼び掛けても起きる気配はなかった。
「嘘だよ……ロイ……。ねぇ……目を覚まして…………」
ぴくりとも動かない。当たり前だ。呼吸をしていないのだから。心臓も動いていない。それは分かっている。でも頭ではそれを理解出来ない。理解したくなかった。理解したら認めてしまうことになる。ロイは死んでなんかいない。
どれだけ拭っても目から涙が零れ落ちてくる。必死に止めようと思っても堰を切ったかのように溢れ出る。拭い切れなかった滴はロイの着物に落ちてじわりと滲ませる。
「死んでるよー、"それ"」
ロイの声ではない。妙に間延びした幼い声。急に聞こえてきた声に驚いて振り向く。いつの間にか私くらいの歳の男の子が後ろに立っていた。茶色の髪に若草色の着物、真っ白な肌、そして吸い込まれるくらい深い瞳。
「僕の声聞こえてるー?」
「あ、はい!?すみません、聞こえてます」
「良かったー、無視されてるのかと思ったー」
男の子は胸に手を当て、文字通りふーっと胸を撫で下ろす。
「何回呼んだって起きないよー。だって死んでいるもの」
ロイの身体の上に添えている手に思わず力がこもってしまう。手が震えている。一瞬止まっていた涙がまた溢れる。目からぽろぽろと落ちるが、もう押さえることもしない。この子に言われて、ロイの死を認識してしまったからだ。
「泣かないで。ほら!死んじゃったのはどうしようもないけど、まだ生きてるものにはまだ間に合うよー?」
男の子が地面を指さす。そこに視線を落とすと、私の膝の前に一輪の花が咲いていた。細い茎に三枚の黄色い花びらがくっついている。
「それが"チカの花"だよー。綺麗でしょう?それで君のお父さんは助かるよー」
「どうしてそれを……」
男の子は私の問い掛けを無視して飄々と話し続ける。
「良かったねー。君のお父さんを助けたいという気持ちは本当だったみたいだよー」
「これで父が助かる……」
「でも死んじゃったら、いくらその花でも手遅れだからねー。急いだ方がいいんじゃないのー?手遅れになちゃう前にさー。その男みたいになっちゃうよー?」
その言葉を聞いても私の身体は動かなかった。父は助けたい。それでもまだ目の前の現実を理解したくなかった。早くしないと父も死んでしまうことは分かっている。それでも動けなかった。
「どうしたのー?間に合わなくなっちゃうよー?」
「これじゃあ意味がありません……」
「何がー?」
「父の命を救う為に……他の誰かの命を犠牲にすることなんて……出来ません……」
「本末転倒だよねー。でも、そいつは元から死んでるようなものだったんだよー。腕切られて無事で済む訳ないしねー」
「それでも……それでも――」
「もういいよ。合格」
「……へ?」
男の子はくるっと背を向けると手を頭の後ろで組む。そしてわざとらしい歩き方で一歩ずつ進んでいく。
「心優しいねー君。でも、ちょっとは肩の力を抜けって言われなかった?でもいいや」
「えっと……?」
「もうじき、迎えが来るよ。一緒にその男も連れて行ってあげな」
「それはどういう――」
「スズさーん!!」
突然聞き覚えのある声が上から降ってくる。顔を上げると、見知った姿が降りてきた。顔が無いのに、顔見知り。
「ムジナさん!!」
ムジナさんはお腹の所に紐を巻き、吊るされるように降りてきていた。
「助けに来ましたよ。さあ、早くこっちに来てください」
「ちょっと待ってください!」
私は顔を元に戻し、男の子の方をもう一度見た。しかし、誰も居ない。男の子の姿がどこにも見られなかった。見渡す限り、隠れられそうな場所はない。
「どうしたんですか?」
「い、いえ、何でもありません。あ、ちょっと手を貸してもらえませんか?」
私はチカの花を摘んで懐にしまって、ムジナさんを呼んだ。
「ロイも一緒に上げてほしいんですけど……」
「え、これ旦那なんですか?」
何を言っているのか理解出来なかった。なるほど、ヒトの姿をしているロイを見たことがなかったのだろう。だからムジナさんには分からなかったのか。
「……死んじゃってません?」
「…………」
「あー、すいませんすいません!!だから泣かないでくださいよっ!ちゃんと結び付けますから」
「ムジナさん、嫌いです」
「勘弁してくださいよー!」
そう言うと、慣れた手つきで自分のお腹に巻いてあった紐を解き、ロイに結び付ける。
「旦那に言われてしまいましてね。もうちょっと頑張れって。私なんて顔が無いってことが取り柄なので頑張るも何も、って思ってたんですがね。スズさんを見ていたら恥ずかしくなってしまいまして。私もがんばらなきゃなーと思ったんですよ。で、森の中で役に立つとしたらこの顔以外ヒトな部分だったんですよ。動物や他の異物たちにはこんな器用な腕、付いていませんからね」
ムジナさんは手のひらを閉じたり開いたりを繰り返す。最後にムジナさん自身のお腹に巻き直す。
「よし、完了です。スズさんは私にしがみついていてください」
「え?私も巻いてもらった方がいいんじゃないですか?」
「……止めといた方がいいですよ、身の安全の為」
安全のはむしろ巻いた方じゃないかと首をかしげたが、結局ムジナさんに掴まることにした。
「しっかり掴まっていてくださいよ」
「はい!」
「引き上げてください!!」
ムジナさんが上に大声を飛ばしながら紐を大きく二回引く。するとゆっくりと紐が引き上げられ始めた。予め合図を決めてあったのだろう。暫くすると、私たちの身体も宙に浮かんだ。
「痛い痛い痛い痛い!!食い込んでる食い込んでる!もっとゆっくり早く上げてください!!」
「だ、大丈夫ですか……?」
「だ、だいじょ――ばないです!!痛いって!!」
どうやら紐が体重で締め付けられている様でムジナさんは上げられている最中ずっと叫んでいた。身の安全とはこのことだったのか。
どのくらい経っただろうか。時間にして十分程。一度落ちたら二度と上がって来られないと言われていた話にしては、そんなに深くなかったということだろうか?そして、漸く穴の入り口が見えてきた。
「あと少しですよー!!だから早く助けてください!!」
ムジナさんの叫びが聞こえたのか、外の異物たちも声を上げる。
「あと少しだ!最後まで油断するな!」
この重圧感のある声は熊の王さまだ。他にも沢山の声が聞こえる。
あと少しで外が見える、そう思った瞬間、異物たちも気が抜けてしまったのだろう。手から紐が離れたのか、私たちががくんと揺れたと感じた時には下に落ち始めていた。私たちは紐ごとまた穴に落下する――。
「……こりゃ、おちおち寝てもいられないらしい」
落下するあの奇妙な浮遊感が消え、誰かに着物の後ろの襟元を掴まれた。そのまま跳ね上がるように祠の外へ飛び出した。
地面に足が着くのとほぼ同時に振り返りそのまま抱き付いた。ロイが生きていた。その事実だけで、何故だとかそんなことはどうでもよかった。姿はまた黒い見た目に戻ってしまっていた。でも、左腕もある。
私は今日だけでどれくらいの涙を流したのだろう。でも、今日やっと負の感情でない涙を流した。
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「じゃあな、スズ。元気でな」
「うん、ありがとう!ロイもね」
「ここまでしてやったんだ、親父死んだらお前も殺すぞ」
「大丈夫、絶対助けるから!」
「……ちっ。早く行け」
そう言うとロイはこちらに背を向けてしまった。照れ隠しかなにかなのだろう。
「素直じゃないわねぇ」
「……うるさいぞ」
「じゃあね、スズちゃん」
「はい、キュウちゃんもありがとうございました!」
「うん。なんだか名残惜しいわねー。ううん、年上のあたしがしっかりしなくちゃね。元の道へはこの焔に沿って歩いて行けばいいわ」
「何から何までありがとうございます。それでは」
「ばいばい!」
私が手を振るとキュウちゃんも返してくれた。ロイはいまだにそっぽを向いてしまっているけど。あ、そうだ、と帰路につこうとしていた足を止める。言い忘れていたことがあったからだ。
「ロイー!!」
振り向いてはくれないが、聞いてはくれているみたい。私は気にせずにロイに向かって声を掛ける。
「護魂の森で最初に会えたのがロイで本当に良かったと思ってるよ!優しかったし、強かったし!本当にありがとう!!」
ロイは何も喋らない。代わりに後ろ手に手を振ってから森の奥に消えていった。キュウちゃんも笑いながら手を振って、ロイの後を追って行ってしまった。
二人の姿が見えなくなると、私はさっきまでの出来事が本当に現実だったのかと疑ってしまいたくなる。けれども、この点々と続いているキュウちゃんの焔、そして私の手のひらの中にあるチカの花、これが物語っている。
暫く歩くと、点々と続いていたはずの焔が動いていることに気付いてぎょっとした。しかし、どうやらあれはキュウちゃんの焔ではなかったらしい。松明だ。村の人たちが私が居なくなったことを知り、捜しに来てくれていたみたいだ。私を見つけると、続々と人が集まってきた。迷惑を掛けてしまったことは、大変申し訳なく感じたが、こんなにも皆に心配されているのだと知って少し嬉しくなった。捜しに来たのは、私なのか母の代わりの私なのかは分からない。それでもいい。今はそれでいいのだ。でもいつか、私自身を皆に認めてもらうんだ。
捜しに来てくれていた人の中にお医者様も居た。お医者様は私の村の人ではないが、帰る途中に私が居なくなったことを知り、捜しに来てくれたのだという。私は手に持っていたチカの花をお医者様に渡した。お医者様は驚いて腰を抜かしそうになっていたが、一刻も早く薬を作らねばと一足先に村へ戻って行った。私もお医者様と一緒に村へ帰ろうと思ったが、視界の片隅にちらと映ったのが気になって捜していた。私の捜索を終えて帰る人々の中にカエデちゃんを見つけたのだ。カエデちゃんは私と目が合うと、気まずそうに視線を逸らしてしまった。私的にはこうやって家を出てきてくれただけでも嬉しかった。完全に嫌われている訳ではないと分かったからだ。溝はゆっくりと埋めていけばいい、そう思っていた。
『お前はもっと"わがまま"でいいんだ』
『ありのままを相手にぶつければいいじゃねぇか!!』
突然、ロイの言葉が脳裏をよぎった。何故かは分からない。もしかしたら背中を押されているのかもしれない。言ったら余計に溝が深くなってしまうかもしれない。でも、もう自分にも他人にも嘘はつきたくなかった。
「カエデちゃん、待って!」
立ち去ろうとするカエデちゃんの肩を掴んで呼び止めた。驚いて目を丸くしていたが、ふいっと視線を逸らす。
「別に貴女を捜しに来た訳じゃ……」
「カエデちゃん!」
すうっと息を大きく吸い込んで、そして小声でカエデちゃんだけに聞こえるように喋る。
「私もカエデちゃんとおんなじで、ケンノスケが好きなの」
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あの夜から半月。今まで通り……とは言わないが皆元気にやっている。ウツボの残してくれた爪痕はとても大きく、それからの復興が大変だ。悪霊に生気を喰われた連中はそれからも意識が戻ることなく餓死していった。……あっさりと言っているが、森の五分の二が死んだのだ。あの夜の一件で、だ。大将は相変わらず、積極的に森の為に尽力している。
『ウツボはヒトが来たことで爆発したに過ぎない。ヒトが訪れていなくても、いずれ入れ物がいっぱいになって暴発していただろう』
そう言って、遠回しにスズを擁護もしてくれている。結果的にスズのせいでウツボの事件が起きてしまったのだ。中にはヒトに対する怒りや恨みの感情を露わにする奴も居たが、悪霊はそんな負の感情を糧とする。連鎖は止めねばならない、なんて大将が言って抑止力となっている。そんなことよりもまずは森の平穏を取り戻そう、と話をすり替えて事を抑えているみたいだ。まあ、森の様子はそんな感じだ。
俺は――何も変わっていない。前と同じように森にはあまり干渉せず、自由気ままに過ごしている。スズと出会って変わったことなんて、何もない。
「あら、ここに居たのね。結構捜したわよー。でもまさか祠のふちに居るなんて思いもしなかったわ」
「何か用か?」
「何か用か、じゃないわよ!どうして今朝来なかったの?スズちゃん、森の前まで来てたのよ」
「へぇ……」
「反応薄いわね」
「もう俺には関係の無いことだろう?……一人で来ていたのか?」
「ふふっ。違うわよ、三人で」
「三人?」
「ええ。スズちゃんと大人の男の人、お父さんかしらね。あとは……スズちゃんと同じくらいの可愛い女の子だったわ。お友達かしらね――何笑ってるの?」
「いや、何でもない」
「ねぇ、"ロイ"?」
「……もうスズは居ないんだ。その呼び方はよせ」
「えー、いいじゃない。熊の王さまにもいまだにそうやって呼ばれているくせに」
「あれはあの時だけ認めてくれた証みたいなものだそうだ。復興の手伝い全部断ってたらまた見限られたけどな」
「当たり前でしょ」
「もう前の"ノロイ"に戻してくれ」
「……あたしはその名前好きじゃないのよねぇ」
「何でだ?不浄で悪の王、ノロイだぞ。俺にぴったりだろう」
「不浄、ねぇ……」
キュウビがじろじろと見てくる。気分が悪いったらありゃしない。
「何だよ?」
「貴方、本当に自分が不浄だと思ってるの?」
「……当たり前だ。お前はどういう経緯でこの森に俺が行き着いたのか知っているだろう。今更何故そんな事を聞く?」
「さあね。本当に不浄なのか真実を確かめる気持ちがあるのか知りたかっただけよ」
「…………」
「貴方の住んでいた村がどうなったのか確かめに行ったりしないのかなって思っただけ」
「……その必要があればいずれそうするさ」
「あ、ちょっと。どこに行くの?」
「気分が悪くなった。坊主捕まえて嫌がらせしてくる」
「まったくもー。仕方がないわね。……貴方も聞いているのでしょう?」
「あららー?ばれちゃったー」
「盗み聞きなんて良くないですよ?」
「聞こえちゃったものは仕方ないでしょー。それより、祠の秘密ばらしちゃったでしょー?」
「緊急事態でしたから。底が浅いのくらい問題ないでしょう?」
「変なのが寄り付かないといいけどー」
「貴方だって、スズちゃんに意地悪したみたいじゃないですか?」
「意地悪じゃないよ。ちょっとした試験だよー。本当にチカの花を持って行っていいのかさ」
「うん百点満点。十分過ぎたねー」
「ならいいです。……ロイはどうすると思いますか?」
「あの子も言ってたけど、必要なら出掛けていくだろうよー。任せておけばいいって」
「そうですか……。そろそろ戻りますか?」
「うん。もう用は当分なさそうだしねー」
「ありがとうございました、"神様"」
――――――――――――――――――――――――――――――――
「キュウビ様、これは?」
「見ての通りヒトの赤子ね、熊の王さま」
森の入り口には籠に入れられた赤ん坊がすやすやと寝息を立てている。籠には一緒に『申し訳ありません。宜しくお願いします』と書かれた紙が置かれている。
「……捨てられちゃったのかしらね。可哀想に」
「だからヒトは嫌いなのです。いつの時代も身勝手で――」
「この子はどうします?」
「どうもこうも、このまま放っておくわけにもいかないでしょう。……私が面倒を見ます」
「あら、大変じゃない?」
「元からこの森の動物たちは私の子供の様な存在でございます。それが一匹、一人増えたところで変わりませぬ」
「ふふっ。貴方も変わっていないようで安心したわ」
「からかわないでください。……それに、もうあいつの二の前にはさせませんから」
「……ええ、そうね。期待しているわ」
ここは護魂の森。昔からこの森には数多くの"異物"が居ると謂われている。神様から妖怪、しまいには悪霊など様々なものが住んでいるのだ。しかし、人々は滅多にこの森へ足を踏み入れない。というのも、"異物"に捕まると、神隠しだとかとって食われるだとかどちらに転んでも良い話ではないからだ。
今でももこの森は現存している。知る者は少ないだろうが、今日も森では数多くの"異物"たちが暮らしているのだ。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
初めましての方は初めまして。
お久しぶりの方はお久しぶりでございます。
碓氷 修夜です。
大変長らくお待たせしました。『月影テールライト』これにて完結でございます!いやー、本当に申し訳ありません。気が付いたら前話投稿11月です。かなりの期間が空いてしまいました。これまでの話も、おそらく忘れてしまっているでしょう。私自身がそうでしたからね……。これを機にもう一度読み直していただければ……いや、本当に申し訳ございません。
さて、今作について語りたいと思います。半分は遅れてしまった言い訳になってしまいますが。この『月影テールライト』はそもそも私が、短編で絵本みたいな話が書きたいといった軽い気持ちで書き始めたものでした。それが1話で収まりきらず、連載という形をとった訳でございます。すべては私の構成力の欠如が問題でした。そして、どんどんと欲深くなっていき、伏線なんかも立ててしまって、ボリュームを増やした結果がこの作品の全貌なのでございます。言ってしまえば、この作品の八割は後付け設定で出来上がっています。そもそも、私が最初に考えていたのは、一人と二匹で森で和気藹藹しながらチカの花を手に入れる、というだけのほんわか短編だったのですから。それが完成品を見たら、ドロドロ血なまぐさい作品になっていました。私が一番驚いています。それでも、こうやって完結にまで辿り着けたのは、閲覧していただいた皆様と登場人物たちのキャラクターのおかげでございます。
ここから最終回が遅れた言い訳を。まず、結末など流れは決まっていたので苦労しないと踏んでいました。しかし、ムジナとウツボ、この2匹のせいでどん詰まりしてしまったのです。まず、ムジナから。登場させたのはいいものの、使い捨てキャラにするのはあまりに惜しかったのです。再登場させるにしても、それなりのパワーが必要です。パワーと言っても、キャラの力ではなく、登場させる意味ということです。何故ここでこいつが出てきたのか、という意味を考えるのに時間が掛かってしまいました。だから後付けで設定考えるのは駄目なんですね、身に染みて思いました。
次にウツボです。遅れた原因はほとんどこいつです。あ、いやキャラのせいにしてはいけませんね。悪いのは私です。ウツボはそもそも構想段階ではこんなキャラいませんでした。短編で書けないと思って、連載にしてから生まれたキャラクターです。そして、物語の動きとして一番大切なのは「対立と和解」なのです。座って会話をしているだけでも、その会話の中で対立が起こり、和解し、また別で対立するということが場面が動くのだと、数年の演劇を経験して学びました。このウツボは対立させるにはうってつけのキャラクターだったのです。私は容易にそれに飛びつき、ウツボを敵という位置づけにしてしまいました。しかし、完結するにあたって、この作品のそもそものテーマを思い出したのです。絵本のような作品です。絵本にも敵が存在します。悲惨な最期を迎える悪、主人公にとっちめられて改心する敵。私はこの作品において、本当の意味での悪役は作りたくなかったのです。しかし、ウツボは改心させるには事が大きすぎたのです。これが遅れた一番の理由です。せめてばかりは悪役としてではなく、改心させて最期を迎えさせてやりたかったのです。名前の由来でもあります狂言の『靱猿(うつぼざる)』の猿は一生懸命猿引に従い、大名に助けてもらいます。『月影テールライト』のウツボも一生懸命の方向を間違えてしまっただけなのです。
余談ではありますが、名前の由来は有名な作品などから持ってきていまして、お岩は歌舞伎の『東海道四谷怪談』から、ムジナは小泉八雲の『怪談』からです。どちらも有名ですので、知っている方からすれば安直だなあと思われていたかもしれません。残念なことに、私にはネーミングセンスというものが無いようなので、このような形をとらさせていただきました。
本当は昨日のうちに投稿したかったのですが、後書きを書いている途中に日付が変わってしまいました。それでは、ここいらで締めさせていただこうと思います。
改めまして、今作品『月影テールライト』をご覧いただき、誠にありがとうございました!!