罪深き萌えもん世界   作:haruko

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第9話 1 二つの道と一人のゴール

 

 

 

フレイドは、信じる、という事を、理解していなかった。

『信頼』というものを、違えていた。

 

 

 

ミズキに嫌悪を抱いたわけではない。

もともと彼らの契約は、

お互いを疑わず、考えず、それでいてもっと上を目指す。

 

そんな矛盾めいたつながりだ。

 

 

 

スーはミズキを愛していた。

 

陸上型ラプラスの子どもという出来損ないの自分を、ぼろぼろだった哀れな自分を、救い、連れて、高みを見せてくれるとふてぶてしく宣言した、自分のはるか上を目指すミズキを心の底から受け入れ、彼の隣という光り輝く席に着くために彼に忠誠を誓っていた。

 

 

シークはミズキを尊敬していた。

 

自分の弱さを受け入れたうえで、何もない自分を拾ってくれて、それでいて自分に強さを与えてくれた、自分にないものを持った圧倒的な男の背中に、シークは憧れ、羨み、そして、崇拝していた。

 

 

マリムはミズキに心酔していた。

 

あって間もないという事はあったが、自分が理解しきれていなかった親友の願いすらもすべて理解し、自分の清も濁も飲み込んだうえで自分の願いを叶えてくれる、自分の道を示してくれると言ったミズキを、マリムは無条件で信用していた。

 

 

 

比較対象が悪い、と言ってしまえばそれで終わるが、三人と比較すると、フレイドのミズキへの想いは、空ろで、浅はかなものであったと言わざるを得ないだろう。

 

 

フレイドの『信頼』は、『盲信』と紙一重だった。

 

 

フレイドは、人間が嫌いだった。

この世のどんな生き物よりも、人間という生物が嫌いで、おつきみやまにこもっていた頃も、日に日にその想いは増していくばかりだった。

 

そうして幾分かの日が経ち、ミズキに会った。

 

フレイドはミズキの言葉、行動、思想、その一つ一つに心を動かされた。

自分を前に萌えもんをしまい、自分と相対し殴り合い、倒した自分に手を差し伸べる。

全く合理性のないその行動に、フレイドはそれまでに感じたことの無い感情を覚えた。それは確かだ。

 

 

 

しかし、フレイドは、ミズキを、『良い人に感じすぎていた』。

 

 

 

コントラスト効果、と呼ばれる心理学現象がある。

 

例えば、引っ越しの作業をしているときに30キロの荷物を持ち運んだあと、10キロの荷物を運ぼうとすると、普段より軽く感じてしまう。

 

より大きな負荷がかかった状態で何かを行うと、その行動が普段より楽だと錯覚し、より素晴らしいものを感じた後だと、多少良いものが嫌なものに感じる。

大幅なマイナスはプラスを呼び、圧倒的なプラスはマイナスを生む。

 

それがコントラスト効果だ。

 

 

フレイドは、『ミズキはR団なんかに似ても似つかないような、自分の理想のトレーナー』であるという幻想にとらわれ過ぎてしまった。

 

 

マイナスが大きかった分、ミズキを絶対的なプラスであると信じた。

 

 

 

 

 

だからこそ、フレイドは折れていた。

 

 

 

 

 

スーは、ミズキに『並ぶこと』を求めた。

 

 

しかし、フレイドは、ミズキに『自分より遥か先にいること』を求めた。

 

 

 

ミズキは、違う、と。

 

ミズキは、R団とも、他の人間たちとも、そして……

 

 

 

 

自分とも違う、と、思い続けた。

 

 

 

 

思い続けることで、忘れようとしていた。

 

 

 

 

 

 

「こいつが惜しけりゃ俺たちを逃がせ」

 

 

 

 

 

 

「お前らが……弱いせいだろうが」

 

 

 

 

 

 

ミズキも、一人の『契約者』であり、

大罪を抱えた、咎人であるという事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……しばらくの間、フレイドは出せないな。マリムも実質戦力外。今動けるのはお前たちだけだから、お前らの意見も交えつつ、これからどうするかの話し合いを始める」

 

タマムシ萌えもんセンターについたミズキはロビーに座り話を始める。淡々と状況を語る口調から何かを感じ取ったのか、スーとシークは必要以上に反応もせずに小さく頷く。

 

「まずはこいつに参加するかどうかの話からだ。はっきり言って俺は、参加したくないと思っている」

 

右手で強く握りしめるチラシの頭を左手で軽くデコピンではじきながら忌々しそうに言い捨てる。おどけているがふざけてはいないというのが伝わった。

だからこそ、スーは少し顔をゆがめる。

 

「……マスター。我が儘は駄目ですよ」

 

「……わかってる。俺の個人的な感情で決定しているつもりはない」

 

握り締めていたチラシをそのまま目の前のテーブルにたたきつける。その音に驚くシークに軽く謝りながら頭をなでながら、チラシの右下を指でトントンとたたく。

 

「はっきり言って、100%罠だ。エリカが去ってからずっと考えていたが、このルールの中にエリカが有利になる要素は一つもない。完全に俺たちのために作られたかのようなルールだ。よって、エリカがこれを俺たちに薦める理由も一つもない」

 

言いながらミズキは、苦々しい顔をさらに歪める。

そう、罠だ。

 

でも、それ以外に、マリムを強くする道はない。

 

エリカの考えを理解できずに作戦を授けてやれない歯がゆさと、それでも今残されている道はこれしかないという思いのジレンマが余計にミズキを苦しめていた。

それはスーたちも、十分に感じている。

 

 

「……でも、やるしかないんですよね」

 

 

スーは顔を上げ、まっすぐな瞳でミズキを見る。

ミズキのように、知恵も能力もない自分には、全力を尽くすことしかできない。だからこそ、目の前に道が一本しかないのなら、そこを進む以外できはしない。

 

スーは、一度言った。

自分はミズキの矛であり、盾であると。

 

ミズキの目の前の道が、どれだけ険しく荒れた道であろうと、自分が通してみせると、そう心の中で誓っていた。

 

 

「だから、わたしは」

 

 

 

 

だがそれも、ミズキに険しい道を行く、強い意思があっての話。

 

 

 

 

「仮にこのルールでエリカに挑んだとしても、勝率はほぼ、0%だ」

 

 

 

 

「……えっ?」

 

その声が自分から漏れた声であるという事にも気づかないほど、スーは狼狽えていた。

 

スーは、エリカが、とんでもない人物であると、先ほど理解したと思っていた。

だが、まだまだ理解は足りていなかった、と、今気づいた。

 

 

 

「お前は、道が一つしかないと思っているみたいだが、それも違う」

 

 

大きくため息をついたミズキは座っているイスに大きくのけぞり、天を仰ぐ。

まさか、泣いているのだろうか、とは、言えなかった。

 

 

 

「俺たちには、道なんてない」

 

 

あるのは、道でも何でもない。

 

上が見えない崖か、底が見えない谷かの、クソみたいな二択。

 

 

あるかもわからないマリムを強くする他の方法を探す旅に出るか。

 

 

罠だとわかっている戦いに挑み、万が一、億が一の薄い可能性を拾いに行くか。

 

 

「そのどちらかだ」

 

 

その後の無言は、どれほどの長さだっただろうか。

 

反論も、同意も、意見も、何を発することもできなかったその空間は、今のミズキたちの心情を完全に表していた。

 

 

 

 

 

その静寂を壊したのは、すこし遠くから届いたガシャンというきんぞくおんだった。

 

 

一斉に音の方向を見ると、車椅子で思い切りスピードを出す二十代半ばの足に包帯を巻いた男のそばで、点滴を床に倒した老人が腕を抑えていた。

 

「おい、じいさん! 大丈夫か!?」

 

ミズキはすぐに老人に駆け寄り、腕の針を少し緩め、点滴を起こした。一緒に駆けつけてきたスーに老人を任せ、出入口に逃げる車椅子の男へ視線を移す。あの男の危ない動きが老人を倒したことは明白だった。

 

「こらあ! ノブヒコくん!」

 

「へっ! ベッドなんかでじっとしてられるかよ!」

 

倒れる老人と自分のそばでジョーイさんが悲鳴に近い叫び声をあげるが、男は反省する気配もなしに意気揚々と駆けていく。

 

 

少し気持ちが苛立っていたこともあり、やや“やつあたり”気味に走り去る男を敵認定したミズキは怒気を孕んだ声で指示を出す。

 

 

「シーク! “ねんりき”だ! 奴を止めろ!」

 

 

左手を前に突出し、シークの代名詞である遠距離エスパーわざを宣言する。

 

距離は約10m。目標の速度は時速5キロほど。

外す道理などない。

 

 

……にもかかわらず、男は気持ちいいほどのタイヤの音を鳴らしながら病院の外へ抜けて行った。

 

驚いた表情で目線を落とすと、自分の指示に対して構えも取らずにただただ呆然としているシークの姿があった。

 

「……シーク?」

 

その言葉を聞くか聞かずか、シークは見たこともないような表情で駆け出し、車いすを追って病院を抜けていく。あまりに必死に腕を振り、全力で走るその姿に思わず固まってしまったミズキは、さして早いわけでもないシークを追う事が出来なかった。

 

 

スーとジョーイさんとラッキーが苦しむ老人の周りで騒ぎ立てているのを後ろに、ミズキはシークの瞳をもう一度思い出し、深くため息をついていた。

 

 

 

 

 

場所は変わり、タマムシシティ中央区、ゲームセンター。

 

車椅子の男はいらだっていた。

 

本来座るために用意されている丸椅子を避け、機械の前に陣取っているその男はタンタンタン、と連続でボタンを押し、レバーを引き、それを繰り返す。ただただそれだけのことがうまく行かず、いら立ちのあまり軽く拳で画面をたたき、他の客と店員からの視線を集めているがそのほとんどはいつものことかと無視を決め込む。

 

いちいちその行動を注意されるのも腹が立つのだが、自分がスロットに負けていらだっているのが「いつものこと」とされているのにもまた腹が立ち、貧乏ゆすりの量が増える。

 

そうしているうちに次第にやかましいほどにがなり立てる機械音がどんどん耳から遠のいていき、何を考えるわけでも、何を感じるわけでもなく、いらだちすらも薄れていき、まるで自分自身も機械の一部になったかのような状態で数十分、数時間が経過する。

それが彼の日常だった。

 

最初のうちは必死に勝利を求めていたような気もする。

目押しは可能なのかどうか。当り台はどこの確率が多いか。どのくらいやればスリーセブンが起こるのか。

だがその感情も一週間もすれば薄れていき、そこから先はただひたすらに「時間を消費してくれる」ことを求め続けた。

無感になり、無心になって、いつの間にか一日が終わってしまうようになれと、そう願い続けていた。

 

 

そうして今日も用意したコインが半分を切り、脳が半覚醒状態ぐらいまでまどろみ始めたころ。

 

 

足元に謎の感触を覚えた。

 

 

 

「……なんだよ、お前は?」

 

 

 

目線を下に降ろすと、自分の足の服の裾を小さな手で弱弱しく引っ張る小さな萌えもんの姿があった。

覗き込むと吸い込まれそうなほどにまっすぐなその目はこちらをしっかりと捉えている。

尊敬の様な、感動の様な、はたまた落胆の様な、そんな目だった。

 

「この……離れろぉ!」

 

掴まれた足を大きく動かし、自分を掴んでいる萌えもんを振りほどく。引きはがされたその黄色い萌えもんはそのままの勢いで後ろに転がり、床に体を打ち付けた。

 

「ったく。どこのどいつだよ……こんなガキの萌えもんをほったらかしてるやつはよお」

 

言いながらその萌えもんを見ると、今度は泣きそうな眼差しでこちらを見つめている。それに一層いらだった男は、そのまま無視して帰ろうとしたその時、その萌えもんが握りしめていた小さな棒状の金属の“どうぐ”に視線を落とす。

 

 

「っ! お前、それは、“まがったスプーン”……」

 

 

「そのユンゲラー……シークって愛称なんだが……そいつがケーシィのころからずっと手放さないんだよ。そんなもの持ち続けてどうすんだよ、って言ったんだがなあ」

 

声に反応して後ろを振り向くと、一人の男がだるそうに頭を掻きながらこちらを見ていた。この萌えもんの“おや”であるという事は容易に想像できた。ちなみに『そんなもの』云々の件は完璧な嘘でそんなことは言ったこともないのだが今回それはどうでもいい。

 

その声をかけてきた張本人、ミズキをよく見ると、けだるそうな振る舞いとは裏腹に瞳は鋭くこちらを見据えていた。

 

「……け、ケーシィ……お前、まさかあの……」

 

そして、件の黄色い体の小さな萌えもん、ユンゲラーの方に目線を移すと、涙をいっぱいに溜めた目でスプーンをこちらに掲げ、一発足をぺしりとたたいた。男は知る由もないが、それはYESの合図だった。

 

「お、お前が……あの……ケーシィ……」

 

男はゆっくりと体を曲げ、シークの方へ手を伸ばし……、

 

 

 

 

 

「…………今更何しにきやがったぁ!!!」

 

 

 

 

 

胸ぐらをつかみ、筐体の画面へと投げ飛ばした。

 

身体を液晶にたたきつけられたシークは空気を肺から叩き出され思わず咳き込み、それに呼応するかのように男の体もいきなり動かしてしまったことがたたり、走る激痛に耐えきる事が出来ず、二人は同時に意識を手放した。

 

如何に普段からうるさいゲームセンターと言えども、これだけ暴れれば目立ってしまい、周りの目線が一気に唯一意識を保っているミズキに集まる。そのミズキは見せつけるかのように大きなため息をついて、シークを車椅子の男の膝に乗せ、萌えもんセンターに戻っていく。

 

 

 

 

 

「言われた通り連れてきたんですから、せめて事情の説明くらいしてくれますよね? ジョーイさん」

 

点滴が動き続けていることを証明する音以外は何もないその一室で、ミズキはきぜつしている男を快方しているラッキーを尻目に、ベッドに腰掛け膝の上に据わるシークにやさしく包帯を巻きながら自分に『ゲームセンターに行っただろうから連れ戻してきてくれないか』と嗾けたジョーイさんに向き合う。シークが飛び出してしまった以上追うことは確定していたのだが、重ねて自分の萌えもんにけがさせられた挙句余計な荷物を運ばされたことでミズキの苛立ちは増加の一途をたどっていた。

 

「本当にごめんなさいね……でも助かったわ。私が言っても、いつもなかなか戻ってくれないものだから」

 

そう言って笑うジョーイさんは、ラッキーに対してわざの指示を出す。それを受けたラッキーから透き通るような高音が部屋全体を支配して、空気をまったりと和らげる。ラッキーの“いやしのすず”だった。

 

「……なにか、問題でも抱えているんですか?」

 

心を落ち着かせたミズキは再びジョーイさんを見る。

ジョーイさんはとても悲しそうな表情を作り、自分の後ろの男を見ていた。

 

 

 

「彼はからておうのノブヒコくん。かくとうタイプの萌えもんのエキスパートで、少し前まではヤマブキシティの道場で“ジムリーダー”に就いていた人よ」

 

ジムリーダー、という言葉に一瞬ミズキが眉をひそめるが、それを隠すようにわざとらしく驚いた表情を作る。

 

「ジムリーダーですか……今の彼からは想像もできないですね」

 

すると左腹部に軽く二回衝撃が伝わる。下を見ると、少し涙を浮かべたシークが自分を二回叩いていた。ミズキは優しくシークをなでた後にそっと抱きしめ、目線でジョーイさんに続きを促す。

 

「今のヤマブキジムジムリーダーは、誰か知っているかしら?」

 

「エスパータイプの萌えもんの使い手、ナツメさんですよね」

 

すぐに答えた後、自分で言った言葉を反芻して事実を察する。

 

「……“ジムリーダー”を奪われた、という事ですか」

 

「……そう、彼はナツメさんと、ヤマブキジムジムリーダーの座を賭けて、“絶対戦闘”を行い、負けてしまったの」

 

 

正解したことでミズキは自分の中である程度のストーリーを作り上げていた。

 

 

ここで少し前に触れた、萌えもんジムの話を取り上げる。

 

萌えもんジムとは萌えもん協会によって決められた実力者たちが“ジムリーダー”としてバッチを任され、数多来る挑戦者たちの萌えもんリーグ挑戦を阻むための門番のような役割をするための場所となっている。

まあその他の財政的、もしくは立地的、というような別の理由で設営されているジムも他地方にはないこともないそうだが、今回のヤマブキジムはそれに該当しないためひとまず除外させてもらおう。

そして今回重要となるのは、ジム設営の際のルールだ。

 

基本的には、ジムリーダーとして協会に認められる実力を持ってさえいれば、どこにジムを構えたとしても問題はないという事にはなっている。

 

が、ジムリーダー同士の実力差が問題視されないように、とか、各町の経済作用も加味して、とかなんやらかんやらの理由があり、『一定の地域に公式ジムは一つしか設営できない』というルールが協会によって設定されている。

 

まあ、ほとんどのジムリーダーの場合、設営の場所は自由と言っても、自身の故郷、もしくは住居の町にジムを構えるのがふつうであるためこのルールが問題になることは数少ない。

しかし、その数少ないケースに今回は当たったわけだ。

 

先ほどのジョーイさんの発言から、このノブヒコ青年はかくとうタイプのジムを経営していたのだろう。

それならば、エスパー萌えもんの使い手であるナツメに勝てる道理はない。

 

タイプ相性という問題もそうだが、根本的に、接近戦で相手に思い一撃を与えんと戦うかくとうタイプに対して、遠距離から相手の行動を制限するわざに特化したエスパータイプというのは萌えもんバトル界においても屈指の噛み合わせの悪さだ。

よって、カントー地方においては、エスパータイプは最強で、かくとうタイプは最弱であるという考え方を強く持つ人も少なくない。

 

それくらいに勝ち目のない組み合わせと言えるのだ。

 

「そして、ノブヒコ君には更なる不幸が重なったの。再挑戦の特訓をしている最中に、体を壊してしまったのよ」

 

「……病気か何かですか?」

 

「いいえ」

 

病気ではなくて突然体を壊した。それだけで一つの推測を立てるミズキだったが、ジョーイさんの表情がその推測が正しいという事を雄弁に語っていた。

 

「暴行事件の被害に遭ったのよ。犯人は結局捕まらずじまいで、彼は心と体に深い傷を負ってしまったの」

 

その言葉を受けて後ろを向くと、よく見ればベッドや脇の机には、彼の私物と思われるような雑誌や手帳などが散乱していて、そこにいるのがかなり長いという事を証明するような状態だった。

 

 

ミズキはふーんと言いながら机の上に載せてあった大量の紙をかき分け、その中の一つを持ち上げてそこに書かれていることを読む。そこには彼の個人情報の後に、術後の経過、治療方針などがびっしりと書き連ねてあった。

 

 

 

「……でも、怪我、そこまで重いものでもなさそうですね」

 

 

 

「! わかるの?」

 

「いえ、知識だけで、実際こういうものを見たのは初めてですけど」

 

言った後、二本の指で投げるように飛ばしてラッキーに渡した後、寝ているノブヒコの方に目線だけ動かす。

 

「重いものではないって言い方は少し間違いかもしれないですけどね。実際体にボルトをいれたりだとか、初めの数週間は金具がはめてあってしゃべれなかったりだとかもあったみたいですけど、少なくとも、何か月も車いす生活を余儀なくされるような後遺症が残るような怪我とは思えません。程度の違いは有れど、ほとんどの怪我は骨折と打撲で済んでいるみたいですしね」

 

ミズキの言葉が正しいことを証明するかのように、ジョーイさんは片手で顔を抑え、言う。

 

「そうなの。本来ならノブヒコ君の怪我は、もう何か月も前に治っていて、とっくに退院できているはずのものだったの。でも……」

 

「明らかに環境と精神が病状を悪化させているんですね」

 

全てを悟ったミズキが先読みして言葉を紡ぐ。

 

「ええ……特に重たいのは精神の方みたいでね。はっきりとした事情はまだ話してくれたことはないんだけど……何か思う事があるみたいで……それを振り切ろうとして今日みたいに勝手に病室を抜け出しちゃうみたいなんだけど……」

 

悪循環、ってわけだ。

 

 

 

「絶対戦闘で負けたことか、暴行の時の恐怖の後遺症か、はたまた……」

 

 

 

そこまで言った後、ミズキは膝の上で小刻みに震えるシークを右腕で抱えるように抱きしめながら、ゲームセンターのノブヒコの様子を思い出す。

 

 

 

 

 

 

『…………今更何しにきやがったぁ!!!』

 

 

 

 

 

 

 

「……別の理由からか」

 

 

 

 

 

 

 

 

「まあ、奴に今まで何があったのか。これから奴に何が起こるのか。そんなことは俺たちの旅には関係のない話だ」

 

ジョーイさんが職務に戻った後、ミズキとシークも部屋を出て、待合室まで足を運び、誰もいないそこでベンチに腰掛け、シークと会話を始める。さっきまでの様子から一転し、ミズキはあっけらかんとしたいつもの軽い様子に戻っていた。

本当に先ほどまでの会話が何も無かったことになってしまったのかと錯覚するような、尊敬する主人のその表情に、シークは思わず寒気を覚えてしまっていた。

 

「一応関わったことの状況理解として最後まで話は聞いては見たが、結局のところ愚図がいじけて凡骨になったっていうだけの話だ。俺たちが奴に関わるメリットなんざ何も……」

 

 

 

そこまで言ったところで、ミズキは口を動かすのをやめた。

 

 

 

……いや、それは正確ではなかった。

なぜならミズキは、話すのをやめたのではなく、話す事が出来なくなったのだ。

間抜けに口を開けたまま、外に出た舌先をしまう事すらできなくなっているのがその証拠だった。

 

 

 

ミズキは、瞬間に、体を動かせなくなっていた。

 

 

 

「……」

 

 

 

 

シークは睨みつけながら、力を抜かず、全力の“かなしばり”をミズキへ向けていた。

 

 

 

 

それが、この主にとって、さして抵抗にも、反逆にもならないことはわかっている。

 

 

 

しかし、それでも、シークは、初めてミズキに反抗した。

 

 

 

「……があ!!!!」

 

 

 

そして、当然のことのように、ミズキはそれを自分で振り払った。

 

 

 

 

殴られる。怒られる。

 

そう思ったシークは、思わず目をつむる。

 

 

 

 

 

しかし、帰ってきたのは、今日何度も感じた、優しい感触。

 

 

 

抱擁だった。

 

 

 

「……?」

 

 

 

 

頭に疑問符を浮かべるシークの耳元で、少しだけ息を切らしたミズキが囁く。

 

 

 

 

 

「シーク……お前にとってあの男は、それぐらい大事な……大切な男なんだな……」

 

 

 

「!!!」

 

 

 

ぺしん。

 

一回背中からスプーンの音が鳴る。

 

 

 

 

 

 

「……あいつがお前の、この旅の目標だったのか?」

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

ぺしん。

 

 

再び、一回鳴る。

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に、今の(・・)あいつが、お前の追い求めた野望の果て(もくひょう)なのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

 

 

ぺしぺしっ、と、二回音が鳴る。

 

 

 

 

 

 

「……わかった」

 

 

 

 

 

俺に、任せろ。

 

 

 

 

 

 

そうつぶやいた後、ミズキは腰のボールに手を掛ける。スーのボールだ。

 

目の前に出てきたスーが、自分を目にとらえたところで、宣言した。

 

 

 

 

 

「……山か、谷か。絶壁か、峡谷か」

 

 

 

道は決まった。

 

 

 

 

 

 

「俺たちは、タマムシで、エリカに勝つ!」

 

 

 

 

 

 

 





第9話はこの作品の一つの山になる予定です。
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