「うわ、大きいな」
──これが、次元漂流者と云えるのだろうか?
漂流者、というより、漂流物……?
クロノは鯉伴に云われ、その鯉伴は狂骨に云われ、海鳴市にある森奥に連れて来られていた。クロノ、鯉伴、狂骨の三名は、目の前にある白亜の巨体を──
白骨妖怪──〈がしゃどくろ〉を仰ぎ見ている。
鯉伴はその妖を見て、心外そうに目を開いた。
「随分な質量の妖だな……。
どだい、京妖怪と対立関係にあった鯉伴は、記憶を掘り返してみるが、目の前のそいつは、やはり見覚えのない妖怪であった。
それには狂骨が答える。
「がしゃどくろはちょっと特別で、長いこと地底に封印されていたの。お姉様が復活するまで、京に施された〝螺旋の封印〟は解けなかったし」
「…………」
「おまけに、どっかの誰かさんが何百年間も、末長く結界を守っていやがったしね!」
「ああ、そういうことか」
偽悪的な笑みを浮かべる鯉伴を、狂骨は恨めしそうに睥睨した。
話に上がった〝螺旋の封印〟というのは、人間の身体が無ければ解除できない。そういう仕組みで作られた、妖怪の撃退術のひとつだった。
羽衣狐のような憑依妖怪でない限り、京妖怪では結界に手が出せなかった。桃山時代以後、鯉伴は少なからず、その結界が妖に破られるのを防いで来たこともあるのだ。
つまり、今のは狂骨の皮肉である。鯉伴に対する。
「狂骨様ぁ! ひどいですじょぉぉ~! ぼっち気分は、もうたくさんです~!?」
泣き声を轟かせているのは、ガシャどくろである。狂骨にその存在を忘れられ、丸々の二日間、この森の中に身動きも取れず、放置されていたようだ。
クロノが恨めしそうに、鯉伴を睥睨した。
「まったく、何体の妖怪を連れてくれば気が済むんですか、あなたは」
「人聞きが悪ぃな、それじゃまるで、オレがコイツらを連れて来たみてぇじゃねーか」
「あなたが最初に地球に漂流して来てからですよ? ここ最近、あなたの世界からの漂流がブームになってるじゃないですか」
「だからって、オレのせいにすんない。……ま、こんだけ同じ世界から漂流モンが出てきてんだ。オレたちのいた世界の座標の特定、早くなるんじゃねぇか?」
「それが……どうにも、難航しているそうです」
奴良鯉伴がこうして、管理局に「民間協力者」として従業している理由は、管理局に「元いた世界まで送り出す代わりに、局のために働いてくれ」という交換条件を突き付けられたからである。本来であれば、故郷である世界の座様が特定されるまで、正規の局員として本局に身を置いてくれないか、という提案が差し出されたのだが、登録等の様々な手続きが厄介だと踏んだ鯉伴は、民間協力者という立場で妥協してもらった。
つまり、故郷の世界の座標が明らかになれば、鯉伴はこうして働く意味がなくなるのである。当然、その結果、ハクトウラも局に返上することになるのだろうが……。
そもそも、たかが民間協力者に
おそらく、故郷の世界の座標が特定できても、その連絡が来ないのではないか、と疑っている鯉伴であった。
「しかし、こうも質量が大きいと、保護のしようってもんが──」
ガシャどくろをどう保護すればいいのか、クロノは頭を抱えた。
──こんな大きさじゃあ、どの艦船にも乗らないじゃないか。本局に連れて行くことだって難しいぞ。
そこへ、流し目の狂骨が口を開く。
「ちょっと、早くどうにかして。とろいんだけど、この子」
「……なんだって?」
狂骨は、魚の濁ったような目でクロノを見、不満を述べた。その視線に気付いたクロノが、おずおずと狂骨を見返す。そして一瞬、呼吸することを忘れた。
──あっ、この娘、よく見たらすごい可愛いんじゃ……。
着物を左前に着こなす奇人ではあるが、改めて秀麗な狂骨の容姿を見たクロノである。しかし、そんな淡い夢は一瞬にして崩れ去った。
見た目はともかく、彼女は中身も人ではないのだから。
「なんだって、じゃない。あんた、時空なんたらの局員なんでしょ? ガシャどくろのこと、なんとかして」
クロノは、犬の拗ねたような顔をして、鯉伴の方を見た。
「すいません。どうして僕、こんな女の子にまで、上から目線で物申されなきゃいけないんですか? 見た感じ、僕よりも年下ですよね、この子」
「ああ、騙されんな。実は見た目だけの、ロリババアだ」
「嘘! ぬらりひょん殺してやるぅー!」
狂骨が鯉伴に飛びついた。
が、手の長さで勝る鯉伴は、なんなく狂骨の額を押さえつけて進撃を阻んだ。
「とにかく、がしゃどくろとやらがこうもデケェんじゃ、保護のしようがねーだろ? なんとかしてくれ」
「なんとかって、なんです」
「いや、そりゃあよ……魔法の力で小さくするとか、なんとかあるんだろ?」
云われ、クロノはふと思いついた。
すぐに、ユーノ・スクライアへと連絡を取る。彼がフェレットになる
これは、それから数十分後のことである。
「オッホッホ。狂骨様、大きくなられましたねぇ~」
「……やだ、きもい」
妖であるはずの狂骨が、ゾッとしている。
ユーノ・スクライアが現場へと駆けつけ、トランスフォームによって、ガシャどくろの体躯を小さくしたのだ。
今は、狂骨の中の蛇や、フェレットほどのサイズ。──つまり、掌サイズに縮小したガシャどくろになっている。
かしゃかしゃ動くそれは、まるで骨剥き出しのゴキブリのようで、視覚に凄まじい悪寒を訴えかける。
それなのに、鯉伴は平然とした面持ちで云った。
「こいつの住処だが……そこだな、おめーの持ってる、その頭蓋骨」
鯉伴が、狂骨の持つ頭蓋骨を指さす。
骸骨同士でちょうど良いし、隠れているには、もって来いという理由からだ。
「ええ、此処!? 絶対いやよ!」
「るせぇ、そこっきゃねえだろ、バレねーしよ」
「だ、だからって、なんでアンタが決めんのよ!」
「反抗期かい? 文句ばっか言ってっと、ウチから追い出すぞ」
「ぬ、ぬらりひょんの卑怯者ぉっ!!」
その後、狂骨は鎮められ、がしゃどくろは大人しく頭蓋骨に住むことになった。
「あ、それと後もうひとり、黒の礼服に白い長髪のヤツがいるんだけど。……漂流した時にはぐれちゃって」
「もうひとりいるのか? 次元漂流者はそれぞれ何かと個性が強いが……今のメンツより強烈な人は、もう勘弁ですよ」
人の話も碌に聞かない、自由奔放すぎる魁。
黙っていれば相当可愛いだろうに、性格がキツい女の子。
巨大な骸骨。
残るは、理不尽なまでの強さを誇る漆黒の女狐。──妖とは、色々と個性が強すぎる。
──凡人の僕には、手に負えない。
「いや、たぶん……一番強烈なヤツだと思うんだけど」
しょうけらの行方については、クロノが一任されることになった。
第十四話。
深夜の八神家。
玄関が開き、蒐集から帰還した三名の騎士達を、はやてが迎え入れた。──どうやら、ここ数日の間に、はやては蒐集という行為を、肯定的に捉えるようになったようである。
「おかえり。あっ、ザフィーラ、だいじょうぶ?」
ハクトウラによる斬り傷の残る、右肩を見ながら訊ねた。
「大事ありません。心配は無用です、主」
ザフィーラが答えると、はやての後方から、山吹乙女が現れた。
今夜の乙女は、以前、繁華街で購入し、少年達に選んでもらった洋服を着用していた。玄関へとゆっくりと歩んで来た乙女であったが、ザフィーラの怪我を目の当たりにした途端、彼女は、慌てたように告げる。
「まぁ、お怪我を……? すぐに手当てをしなきゃいけませんね」
「せやね。乙女ちゃん、ザフィーラの手当て、頼んでもええ?」
「ええ、任せてね。じゃあ、ザフィーラさん、動かないで、すこしだけ待っててくれるかしら?」
乙女はリビングの向こうへ駆け足で、救急用具の入った医療箱を取りに行った。
「……………」
ザフィーラは帰宅してから、憮然とした表情を崩さなかった。むろん、彼はおおよそ笑顔を振りまくような浮ついた性格の持ち主ではないが、それでも、彼なりに、八神家にいる時は表情が緩んでいる時が多い。
しかし、今日は違った。
緊張の糸をほぐさず、不用意に言葉を発しようとはしない。なにかを警戒しているのか、いつも以上に口数が少なかった。そんな機微は八神家の誰ひとりとして気付かず、ザフィーラもまた、誰かにそれを悟られまいとしているようだ。
傍らのヴィータが嬉々として声を上げる。
「はやて、今日の蒐集は一〇ページも進んだぞ! 完成の六六六ページまで、あともう少しだから、もうちょっと頑張ってくれよな!」
六六六。──それは、はやての寿命を延長する為に必要な、闇の書のページの総数である。すべてのページが蒐集によって埋まれば、闇の書は完成し、はやては本の主となり、呪いを克服できる。
──そうなれば、我々と共に、ずっと平和に生活できる。
ヴォルケンリッターは、そう心から信じている。
嬉々とするヴィータに対して、はやてが弱々しい笑顔を作る。
「うん、ありがとう」
はやてとて、蒐集によって己の命が助かることが、嬉しくないわけではない。
しかし、その表情からは、どこか曇りが晴れない。
「どっかの〝
「主はやて、我々は魔力生命体なる
八神はやては、不遇の境遇も相まって、他人の痛みの分かる、心の優しい女の子である。
少なくとも、自分の延命がために他者が傷付く、今、この現実に心を痛めていることくらいは、シグナムたちも理解している。
だからこそ、守護騎士は、魔導師への襲撃をやめたのだ。
魔導師は許されず、生命体は構わない、と云うような軽率な問題ではなく、どちらも等しく犯罪行為であることに変わりはない。しかし、はやての己の都合のため、何の関係もない他人を傷付けるようなことを望まない。心持の問題で、魔導師を襲うことに強い否定感を抱いているのである。
管理外世界に生息する魔力生命体なら、リンカーコアを蒐集しても、それで弱っている状態を、他の生命体に襲われる心配がない。大人しくしていれば、減らされた分の魔力は、元通りに修復されていく。そのため、遠回りにはなるが、魔力生命体のリンカーコアを蒐集することにしているのだ。
「申し訳ありません。本当に長い間、家を空けてしまっていますので」
強力なリンカーコアを持つ魔力生命体を狩るためには、遠い管理外世界に出向くことが、効率化を図れるチャンスである。しかしその代わり、遠路を経由することが必須条件だ。
蒐集をする度に八神家に戻っているのでは、時間的な効率が悪く、はやての体調を考えると、悠長にもしていられない。そのため、数日単位で家に帰らない、という状態になっているのだ。
「でも、みんなが、わたしのためを思って頑張ってくれてると思うと、やっぱり嬉しいよ。シャマルや乙女ちゃんは、いつだって家に居てくれてるしな」
「そうですね。乙女ちゃんも、帰ってきてくれましたしね」
シャマルが言葉を掛ける。
羽衣狐と激突してから、数日。山吹乙女は……いや、山吹乙女
帰宅した当初は紆余曲折を経たが、乙女は、事情を詳しく打ち明けることによって、八神家へと戻ることが出来た。その事情とは……
「狐ちゃんがおらへんのは、残念やけどな……」
時を同じくして、救急用具箱を抱えた乙女が、みなが会談するリビングへと戻って来る。彼女も会話を聴いていたのだろう、救急箱を開くと同時に、口を開く。
「責任感じて、出て行ってしまったんですよね。──
「責任、か。本当に悪いのは、あたし達の方だってのにな」
「…………」
乙女の話では、あの女狐は、憑依妖怪である特性を生かして、乙女の身体から抜け出して行ってしまったのだと云う。
──そもそもの議題、女狐の本名とやらを、この乙女から聞いたことがないのは、単なる偶然であろうか。
当晩は、羽衣狐が暴走したことによって、守護騎士との折り合いが悪くなってしまった。大元を辿れば、完全に騎士達に非があったが、その延長戦で激高してしまった羽衣狐は、ひとり責任を感じ、乙女だけには八神家に戻るよう促したそうである。
──いじらしい話だ……。
ヴィータは、その話を聴く度、胸がしめつけられるような思いに駆られる。
あの狐だって、被害者なのに。原因を作り出したヴィータが八神家にいるのに、どうして彼女が、家に戻って来てはいけないというのだろう。
「本当に、申し訳ないことをした。すべてを水に流せれば、それ以上のことはないというのに」
「そうですよね……。ねぇ、ザフィーラもそう思うでしょう?」
「……ああ、そうだな」
しごく興味なさげなザフィーラが頷くと、乙女が救急箱を開きながら、
「まあ。そのうち帰って来ると思いますよ?」
と、半ば強引にその話を打ち切った。
まるで他人事だ。とは思ったが、ザフィーラさん、腕を見せて下さい、と発言され、大人しくザフィーラは、負傷した右肩を差し出した。
「……申し訳ない」
「いいえ、このくらいは」
乙女は、多種多様な救急用具が入った現代の救急キットの中から、切り傷用の治療道具を適切に選び分け、ザフィーラの負傷箇所を治療し始めた。
治療はものの数秒で終わり、はやては、シグナムたちに伝えた。
「さ、今日も本当にお疲れ様やったね! 乙女ちゃんがグラタンを作ってくれてから、レンジで温めて、後でみんなで、ちゃんと食べるんやで?」
その言葉に疑念を持ち、ヴィータが時計の方を向くと、既に、時計の針は一一時を回っていた。
はやては、もう就寝する時間である。
「みんなともっとお話したいけど、時間も時間やし、わたしは歯ぁ磨いて寝るね。乙女ちゃん、先に上がってるで~」
「はい、おやすみなさい」
云うと、はやては寝室へと向かった。
その後ろ姿を見送り、ヴィータは、はやてがいなくなったことを確認すると、重いため息を吐いた。
「……はやてといる時間、本当に、少なくなっちまったな」
と、遺憾そうに声を漏らした。
答えたのは、乙女だった。
「でも、蒐集さえ終わってしまえば、その時間は取り戻せますよ。そのために蒐集は続けなきゃいけません。闇の書の完成を……急ぐ必要がありますよね」
「そうですね……。急がねばと、理解してはいるのですが」
シグナムが言葉を濁したので、乙女は首を傾げた。
「……なにか?」
「〝私達の行いが本当に正しいのかどうか〟──私は最近、よく悩むです。今だかつて、こんなことに頭を抱えたことはありません」
シグナムは、今まで打ち明けなかった本音を、この場になって語り始めた。
「主はやてはひょっとして…………蒐集を、
騎士である彼女が弱音を吐くなど、それは、山吹乙女にも、充分に打ち解けた証でもあるだろう。
乙女が人格者であるから、無意識に打ち明けても良いと、シグナムもそう思えていたのかも知れない。乙女達が共同生活をするようにして、日も長い。彼女をきっと、シグナムは信用しているのだ。
放たれた言葉に、乙女が返す。
「はやてちゃんが、蒐集を望んでない、と……?」
「ええ……。それが、『延命を望んでいない』と同義だと云っているわけではありません。誰だって、生きられる命なら、長く繋いでいたいはず。主もまた」
「シグナム……」
「でも、私達は蒐集の結果、羽衣狐という存在を、主から取り上げてしまったのです」
はやての命を救うこと。──その想いが、結果的に招き起こす現実は、いつだって付きまとう。
ひとりの、か弱い人間の少女を救おうというのだ。──シグナム達が抱くこの意志は、まごうことなく道徳的で。そういう観点では、シグナム達が行わんとする蒐集行為は、仁義に叶っている、と云えるだろう。
だが、その機微を知らぬ者達にとって、蒐集はただの悪行でしかない。犯罪に過ぎない。道理に腐った無法者の、横暴でしかないのである。そして、そう認識している者の方が、世界では遥かに多いのもまた事実だ。
──悪ならば、悪でいいじゃないか。
シグナム達は、今までそうして割り切って来た。
今までの主は、力を手に入れるための欲望に溺れた悪人だったからだ。それでこそシグナム達は、自分が悪に堕ちていくことに吹っ切ることができた。
だが────はやては、その例ではなかった。
彼女もまた、ひとりの人間として、長く生きていたいと望んでいる。けれど、そのために他者が傷付くことを厭い、そうなってしまうくらいなら、みずからの延命から手を引く覚悟を持っている。
──はやてを死なせたくない。
そう思っていたのは、いつしか守護騎士の方だった。
主の命令に背く、約束を破るという罪を犯し、独断で蒐集を行った。だがその結果、騎士達ははやての家族を、羽衣狐を失った。
「私達は、主のために〝善かれ〟と思い、勝手に蒐集を行っていた。その結果、主の家族を失った。──因果応報です。私達がしていることは、多くの者から見た『犯罪』に過ぎず、云ってしまえば、独りよがりでしかないのではないか」
自分達の行いを誇れる自信など、今更、固持できているはずもなかった。
「乙女が帰って来て、主に『生きて欲しい』と云って下さった。──だから主は、こうして蒐集することを許してくれましたが、ああして、蒐集による被害が出ることに心を痛めておられます」
「……そうよね。私達がしてることって……結局、独り善がりでしかないのかも、しれないわよね……」
シャマルが続いた。
「
シグナムが言葉を続けようとした。
その瞬間──……。
「────それは違う!!」
山吹乙女が、声を上げた。
一同が、驚きに目を見開く。彼女が、まさか声を荒げるとは。
「おと、め?」
ヴィータもシグナムも、滅多に声をあげない彼女の様子に驚く。
「ひとりの女の子を救おうとしている私達が、悪人のはずがないんです! 私達は正義です!
「…………」
ザフィーラが黙って、その言葉に耳を傾けている。
その視線は、凄まじく鋭い。
「どんなに腐っても、私達は迷ったりしちゃいけないわ。いつかきっと、この信じる道を、貫き通して良かったと思える日が絶対に訪れるし……だから、蒐集はやめちゃダメなの! ……闇の書は、絶対に完成させなきゃいけないんです!」
「乙女……!」
シグナムとヴィータが、乙女の言葉に啓蒙される。
──まるで、我らが進むべき道を、照らし出してくれるかのような言葉だ……。
迷える時に、道を照らす光。ありがたい言葉、それが乙女から放たれた。
「す、すみません。騎士ともあろう者が、こんなにも弱気に」
「疲れてるんだろ。しかし、さすが乙女だぜ……な? ザフィーラ」
ヴィータが乙女に感心しながら、ザフィーラに問いかける。
ザフィーラは憮然として答える。
「……ああ。シグナムもヴィータも、長期の戦で、魔力も、気力も消耗しているからな。この状況で迷いが出るのは、致し方ないことだ」
「そうか、そうだな……」
「乙女の言う通り。────蒐集は絶対に必要……ですね」
時を同じくして、三人分のグラタンを温めていた電子レンジが鳴った。
後に食したそれは、冷蔵保存していたせいか。守護騎士達が想像していたよりも、微妙な味がした。
時が過ぎ、深夜二時の刻限になり、天候が一気に悪化していた。秋だからか、最近、雷鳴が轟くような豪雨になることが多い。
今宵も、外では大雨が降り、雷までもがゴロゴロと鳴り続けている。いくら窓の外がうるさいとはいえ、時刻は既に深夜の二時を越え、シグナムもヴィータも、全員が眠りに就いていた。
消灯した八神家で、乙女はリビングにいた。
「……え? 今から? わ、わかった……すぐに来て」
家事の全般を家内で仰せつかっている山吹乙女は、真っ暗なリビングで、小声で誰かと通話をしていた。
通信が切れ、乙女は携帯を折りたたむと、はやての眠る二階へと上がろうと、階段に脚をかけた。
その時だ。
「──乙女」
ビクッ──
肩を振るわせて、乙女は咄嗟に背後から聞こえた、自分の名を呼ぶ声に反応した。咄嗟に振り向き、そこに腕を組ながら立っているのが白い髪の男であると確認すると、ほっと胸を撫で下ろした。
「ザ、ザフィーラさん!? ああもう、びっくりさせないでくださいよぉ……」
──随分、驚いていたな。
ザフィーラはそう心の中で思いながら、先程から、なにかと挙動の不審な乙女を見据えている。
乙女は、震えた声で訊ねる。
「もうお人が悪い、起きていらしたんですか。……てっきり、もう二階に上がったとばかり」
「あなたこそ、電気も点けずにリビングで電話など、何か、御用事が?」
「……いえ、特には」
乙女は咄嗟に、ザフィーラから目を逸らせた。
「お話があります。この家から出て行った────あの狐のことで」
「……!」
〝疑われたか〟──?
乙女はふと、そう思った。
同時刻、バニングス邸。
山吹乙女は、贅沢なことに、アリサから専用の部屋を与えられていた。部屋、と云ってもいいのかどうか、迷うほどに広大なスペースが確保されている。
さすがは、アリサお嬢様である。
部屋も広ければ、気も広い。
「鼻がムズムズとしおる。誰じゃ、妾のことを噂しておる」
(秋風邪ですか? 秋も終盤ですし、季節の変わり目は、特に体調には気をつけないと。……あっ、やはり裸で睡眠を摂るのが祟ったのでは?)
「妾は健康や美容には気を遣う。人間の寿命は短い。より長く持たせるため、色々と学んだりもしたからのう」
裸で寝る。
あれは、何も艶っぽさと高貴さを演出するだけではなく、歴とした健康的睡眠方の一種である。
要するに、肌呼吸が云々という話である。
「野狐は、そろそろ冬眠の準備に入るな」
(妖怪に冬眠はありませんよ)
「妾とて、大昔はいち野狐じゃ。暖房の前でごろごろするのは、久しく一興……」
アリサに与えられた、乙女専用の部屋。
羽衣狐は尾を広げ、広々とした与えられた部屋を使っている。
この世界に来てから、まともに九尾を広げられる機会など早々なかった。そのため、それだけのスペースが確保されているこの大きな部屋は、存外にも役立っており、羽衣狐にとっては文字通り、有り難いものとなっていた。
(怠惰な毎日を送る人のことを、現代では〝にぃと〟と呼ぶのだとか?)
「何の本を読んで知った、それ」
(カナ文字で書いてある本を読んだんですが、私、題名の意味がわからなくって)
「英語か」
他愛もない会話を交わす、羽衣狐と山吹乙女。
しかしそんな時、尾を広げているのにもかかわらず、その部屋の扉が開き、誰かが枕を抱えたまま、部屋へと入り込んできた。
「──!?」
羽衣狐はもう、屋敷の誰もが眠っていると思っていた。既に時刻は、深夜の二時を廻っているのだから。
──慢心していた。
咄嗟に、部屋の入口を誰何すると、そこには、涙目になり、貌を真っ赤にしている少女。
小さな肩を震わせている、アリサ・バニングスの姿があった。
「ばにん、ぐす……!?」
──こどもが、こんな時間まで、普段から起きているのか?
いや、そんなことは、今はどうでも良かった。
九尾が、仕舞いきれていないのだ。
部屋一面に広げられた、巨大な尾を目撃してしまったアリサの目が、みるみると大きくなっていく。涙で真っ赤な貌が、忙しなく転がり、今度は驚きに真っ青になってゆく。
──見られた。
羽衣狐の持っている九尾を、アリサに見られてしまったのだ。
ふわふわと浮かぶ、骨董品のように艶めかしく美しい九尾を見、アリサは開いた口を塞ぐことができない。
「ちょっ……なに? え……?」
現実味のない、狐らしき九尾を見つめながら、アリサそれは、当然の反応ではあった。
その驚愕が、悲鳴にならないだけ、僥倖だと思った。
「見られた、か」
だが、仕方ない。
なってしまったものは、どうしようがない。羽衣狐はアリサに、すべてを打ち明けることにした。
羽衣狐も、昔と比べると、人間というものに対する抵抗感が、確実に削がれて来ているようである。
「──以上だ。長くなってしまったな」
「妖怪って……本当に、あるなんて」
「この尾は、妾が九尾妖怪である……何よりの証。恐れるなら、恐れるがよい。あるいは気味が悪いと、妾をここで追い払おうと、妾は構わぬ」
八神はやては、すべての事情を打ち明けた後、羽衣狐に関心を憶え、存在を受け入れてくれた。
しかし、全員が全員、その例とは考えにくい。アリサ程度の年齢の女の子であれば、一般的には「妖怪」という単語を聞くだけで嫌悪感を示し、その実物を見よう暁には、激しい拒絶反応を示しても不思議ではないからだ。
はやてという人物が、見上げた度量を持ち合わせていた、それだけのことかもしれない。
──ここでアリサに嫌われても、それは致し方ないことだ。
真実を隠していた自分達が悪いと、アリサの認識に、これからをゆだねることにしたのだ。
「妖怪って、もっとグチャグチャなモノかと思ってた……! でも、そんなこと。ぜんぜん、綺麗じゃない」
「……
羽衣狐はその言葉を、激しく訝しんだ。
アリサは俯き、照れたように言った。
「ね……ねぇ」
「なんじゃ」
アリサは、その柔らかそうな頬を真っ赤に染め、
「しっぽ、触っても……いい?」
そう、照れくさそうに尋ねた。
羽衣狐がその要求に一驚したのは、言うまでもない。
アリサは、はやてと同じように、羽衣狐の九尾を恐れるどころか、興味津々な目で、そう云って来たのだ。
ふわふわと浮かぶその尾に魅せられたか、気になって、触りたくて仕方がなかったようだ。
「酔狂な小娘……」
単純に愚鈍なのか、無知蒙昧なのか。──あるいは、肝っ玉が据わっているのか。
後者だとすれば、この子の将来が楽しみだと思える。
羽衣狐を恐れないなら、凡百の妖怪なぞ恐ろしくはないだろう。
「構わぬ。好きに、するがよい」
気恥ずかしさに、偽悪気味に、そっけなく答える羽衣狐であったが、アリサはそう言われると、紅潮した頬を綻ばせた。
これ以上ないほどの満点の笑顔を浮かべる。少女の身体が、九尾に飛びついた。
ばふっ。
バニングス邸が誇る、超一級の高級ベッドの、どれよりも心地良い柔らかな感触が、アリサの全身を包み込む。もふもふ、とした音さえ響いて来そうなそれを、抱き枕にでもしようとばかりに尻尾に縋り、美術品のごとく、毛並みの整った柔らかな尾を触り、堪能し始める。
羽衣狐は、嬉々としているアリサの姿に、戸惑いという戸惑いを隠せていない様子だった。そこへ、乙女が柔らかに口を挟んだ。
(アリサちゃんはきっと……あなたの尾を、畏れているのですね)
「
交わされる言葉のの中で、「おそれ」の解釈が違っていた。
乙女が、それを解き明かす。
(確かに〝おそれ〟には────多くの種類がありましょう)
羽衣狐が掲げる、いや、掲げていたのは──
人間を支配し、竦み上がらせるもの。
他にも、
しかし、乙女が示唆する〝おそれ〟は、どれも違う。
(私達の掲げる〝
羽衣狐は啓発され、言説に感銘を受けた。
恐怖により得た〝おそれ〟は、言葉に置き換えて──「畏怖」。
つまり「畏敬」の意味を持たぬ以上、それは〝畏〟の一部にしか過ぎない、ということ。
(畏は花火。惴は業火。同じ炎だとしても、人々は、煌びやかな花火に心動かされ、何もかも焼き尽くす業火に震え上がる。──美しさや格好よさ、可愛らしさを総称して──〝憧れ〟なんですよ。アリサちゃんにとって、あなたの九尾は)
憧れを受ける、信仰を受けるということは、誰かに認められたということ。必要とされているということ。
羽衣狐は、今はこうして認められている。
アリサに。そして、はやてにも。そう、人間に──。
「あははっ、柔らかぁい」
アリサは頬を真っ赤にしながら、もはや尾に抱きついている。まるで天上の極楽浄土でも散歩しているのかという風に、幸せに満ちた表情をしている。
それを見ると、畏れられることも悪くない、と、心の底から思えた。
しかし、この時の羽衣狐には、ひとつだけ、疑念があった。
「アリサ………とやら。そなた、なにゆえ、かような時間に起きておるのじゃ? 人の子であらば、とくに眠りに就いておる刻限であろう」
それを言われ、アリサは天上界から現世へと帰って来た。
(……かみなりがうるさくて……)
「ん?」
小声だった。
羽衣狐も聞き取れない程、口パクかどうかわからない小声で、アリサは言った。
そして、急に怒り出した。
「べ、別に、雷が怖いとか! そんなんじゃないんだから!」
「ほう。強い子じゃ。では、なにゆえだ」
にこり、と微笑むその笑顔が、アリサの貌を真っ赤に染め、頬を膨らませた。
──だめだ……ぜんぜん、通じてない……。
アリサは言いたいことが通じず、素直になれず、それでも、外では雷は止まず、今にも泣き出しそうなほど、瞳が涙で膨張している。
「……妾の尻尾が気に入ったのかえ?」
「うん! うん!」
共にいる口実が見つからなかったアリサは、天から降りたとしかいいようがない羽衣狐の質問に、かなり必死に顔を縦に降った。
「……されば、今宵は大さぁびすじゃ、妾の尾で、眠るが良い」
「ほんと!?」
羽衣狐は尾を広げ、三本の尾でアリサを包み込む。
再びアリサの頬が紅潮し、とても嬉しそうに笑顔になった。
「……まっこと、愛い小娘」
アリサの笑顔に、羽衣狐も笑顔で答えた。
寝息を立てて彼女が眠りについた後、羽衣狐は──思慮していた。
──憧れを、抱かれた。
妾は、その「想い」に──この者の意に、応えるべきなのか。
今まで、散々と人間を殺戮してきた妾が?
アリサを抱いているこの尾も、人間の血が染み渡った尾。
振り返れば、惨殺しかない。
こんなにも穢れた妾が…こんな純真な娘の「想い」に―――
──応えても、良いものなのか……。
──それで、許されるのか……?
羽衣狐の中では、罪の意識は、まだ、消えない。
(………………。)
八神家。豪雨がぬかるんだ地を穿ち、雷霆の声が響く夜。
リビングにて、ザフィーラと山吹乙女が対峙している。
糾弾にも似た質し方で、ザフィーラが口を開いた。
「あなたが八神家へ戻られた時、あなたは、あの女狐が『責任を感じて出て行った』──と仰いました」
「……ええ、事実です」
ソファを挟み、ザフィーラの対に立つ山吹乙女は、淡々と、尋ねられたことだけに答えていく。
「しかし、そうであるならば何故、女狐は我々と対峙したあの日、あの晩、あの場所で……あなたから出て行かなかったのでしょう?」
責任を感じて、出て行くような女なのならば。
いや、もしも、出て行くことが
あの場所で、山吹乙女を置いて出て行っても、おかしくはないはずだ。
あの時、山吹乙女には非はなかった。
羽衣狐に非があったわけでもないが、眼前の「女性」に差し当てて、それを問いてみる価値はあった。
「あの晩、私は、しばらく気を失っていました。だからきっと、私を心配して、起きるまでは付き添ってくれていたのでしょう」
「では……あの狐は、なぜ突然『飽きた』『興冷めだ』などという言葉を吐き、戦闘を放棄したのか。──それは分からないと。覚えていないと仰いますか?」
「ええ。気を失っていましたので」
「そうですか」
──おかしい。
ザフィーラの表情は、晴れない。
あの晩、暴走した羽衣狐は、誰ひとりとして抑え込めない状態にあった。それは、実力的に彼女に叶う者がいなかった、という点も及ぶが、精神的にも激高し、荒ぶる彼女を諫め、鎮めることが誰にも出来なかったからだ。
それだけ狂乱していた、あの女狐を止められるだけの道があったとすれば。それは羽衣狐みずからが──「己の過ちに気づくこと」でしか、あり得ない。
そうでなく、別に要因があったとしても、何かが妙である。
山吹乙女は死んだ。──だから羽衣狐は激昂した。それなのに、というと言葉の綾になるが、山吹乙女は、今はこうして生きている。ザフィーラの目の前に立っている。
結論から云って、山吹乙女は、確実に生存しているのだろう。
当時の羽衣狐が、有り余る憤怒と怨嗟を鎮められる要因があったとすれば、山吹乙女が、戦闘中に意識を取り戻し、怒り猛る理由を見失うことしか、考えられない。あるいは、それによって、興が冷めたということ。
なのに、気を失っていたというは、妙な話でしかない──。
それに……。
「急場で間に合わせたつもりだろうな……。山吹乙女を〝演じる〟には、幾分、調査不足だったか」
「な、なに言ってるんですか、ザフィーラさん……?」
「試してみるか」
その瞬間、鋼鉄の鞭が、乙女を襲った。反射的に、それにより空中に描かれた光の弧を、受け止めにかかる乙女。左方向から乙女の顔面に迫る鞭を、乙女は咄嗟に左腕の肘を曲げ、二の腕を使って防御に出た。
武道の心得のある者の防御態勢だ。
乙女は本来、戦闘には出ない一般の女性だ。今の攻撃をまさか受け止められるはずもなく、受け止められるとしたら、それは確実に──偽物だ。
(しまった──っ)
腕を出したことを後悔する乙女だったが、次の瞬間、ザフィーラに押し倒された。
ソファを軽々しく飛び越えたザフィーラの身体が迫り、力を込められた左腕が、乙女の胸ぐらを掴みあげ、凄みを帯びた表情で彼女を睨みつけている。無抵抗に背中を強打した乙女は、短く悲鳴をあげた。
「──キサマはいったい、誰だ!」
怒りに満ちた目で、山吹乙女を見つめる。
込み上げる衝動を抑えきれず、ザフィーラは叫んだ。
見つめる女の表情は既に生気がなく、山吹乙女の温和な面影など、どこにも見受けられない。
「感情が高ぶると口振りが粗末になるな。シグナム達は騙せても、我には通じぬよ!」
「くッ……!」
「誰の差し金だ! 闇の書の完成を望む者か!」
──この女は、はやてを騙していた!
山吹乙女を象り、いかにも、乙女だけが八神家へと帰ってきたように思わせていた!
だが、ザフィーラに言わせれば、この変装はボロボロだった。
見た目は完璧だろう。問題は、中身であった。
いかにも
偽物と見抜いた確証は、他にもまだまだ、存在する。
「本物の彼女は……あまりに突飛していて、キサマなどには計れぬよ! 筋金入りの機械音痴だ! 携帯電話の使い方が分からなければ、テレビだって、ひとりでは点けられぬ!」
──バカにしているのだろうか?
ふと、ロッテはそう思った。
本物の乙女が遠方でくしゃみをしたのは、言うまでもない。
「なにより本物の彼女に、
──また、英語も話せない!
それは、ザフィーラがまだ見ぬ羽衣狐の正体を警戒して、乙女を監視していた時の話まで遡行する。
かつてのザフィーラは、まだ本物の乙女を警戒していた頃、彼女を問い詰めたことがあった。
ロッテは当然のように手料理を振舞っていたが、正直、本物が作る味には、到底及ばなかった。挙句、どちらかと云えば偽物は、和食より洋食を作ってきたことの方が多かった。
──まさか現代に、和食しか作れない女がいるなど、考えるはずもないだろう。
山吹乙女の変身魔法が解け、女性の姿が露わになる。
双子の使い魔の一方・リーゼロッテである。
「貴様らの目的は蒐集だな……!? 我々が蒐集に負い目を感じた時に、山吹乙女の姿で現れ、主はやてを説得し、我々の蒐集を再開させた!」
だから急場凌ぎのために、監視不足の状態であっても、山吹乙女になりすました。
『──私達は蒐集の結果、羽衣狐という存在を、主から取り上げてしまったのです』
シグナムの吐露したあの弱音は、現時点では、吐き出されても仕方のないものであった。
羽衣狐が失踪した翌日、八神家には、重苦しい空気が漂った。騎士の中の誰ひとり、その負い目から、はやてに話しかけることができない。はやてもまた、悪気はなくとも、守護騎士に口を開こうとしない。
そんな状況を打破したのが──山吹乙女の、単独での生還である。
彼女が戻って来たことで、重苦しい空気はいささか払拭された。羽衣狐が帰還していない事実に変わりはなかったが、家庭内の空気は、すこしでも明るくなった。
「だが
蒐集の結果、はやての家族を失った騎士達に、蒐集を続けるだけの
だから、この女は行動を起こした。──いや、裏にはもっと大きな影があるだろう。
『──生きて欲しい』
家族を気取り、山吹乙女を象り、その言葉を、この女は、はやてへと訴えた。
軽々しく放たれたその言葉は、はやての中で、重大な言葉へと置き換えられた。
優しい母のような乙女に「生きて欲しい」と云われ、はやては、まだ生きていたいとその考えを改めた。か弱い少女の感性を巧みに利用して、はやてに延命を強く希望させた。
はやてが延命を切望することで、守護騎士は見失いかけていた蒐集という行為への意義を見出す。そうして蒐集が繰り返されれば、闇の書は完成へと近づいていく。
このような循環の関係を生み出した。
要するに、この女は最初から──「闇の書を完成させること」しか考えていないのだ。
「傀儡師になれると思ったか。キサマのような外道の掌で踊るほど、我ら守護騎士は荒んではいない!」
乙女の姿に囚われ、シグナムとヴィータ、シャマルの女性三人は、完全に警戒心を解いている。それを制するのが、一歩引いた場所から状況を俯瞰する、ザフィーラの役目でもある。
この女は、乙女の姿を借りて、乙女本人が八神家に戻った振りをした。
──だが、変身魔法にも、
擬態の再現しようのない〝尾〟を持つ羽衣狐については、「責任を感じ出て行った」などと
「主はやての涙。……その内にある心を知らず、生きて欲しいなどと戯れ言を抜かした! キサマだけは許さん……我ら八神家を愚弄し、すべてを踏みにじった、キサマだけはァ──ッ!!」
倫理を躙る、背徳的な
ザフィーラは左腕をあげた。それは利き腕でない方の腕だった。魔力、そして、全身から湧き上がる
この女は傀儡師。
はやては傀儡。
守護騎士は、その傀儡に飼い慣らされた犬。
その構図に、誇りなどどこにもない。
──すべてが、侮辱だ。
「この想いのすべて、貴様にぶつけてやる!」
怒りと憎しみ、滾る魔力を累加させた拳が、ロッテを襲いかかる。
しかしロッテは、ザフィーラのある弱点をついて、彼が表情を苦くした一瞬の隙を突いて、一気にザフィーラから距離を取った。
弱点とは何か。──それは、ザフィーラが負傷している右腕である。
負担を掛け、女は距離をとり、庭へと飛び退き、ザフィーラからの距離を置いた。
「ガウウウッ……!」
ザフィーラもまた、ロッテに続いて豪雨の降りしきる庭へと出た。
豪雨と雷鳴、轟音にかき消されないほどの声量で、目の前にいる女を威嚇するザフィーラ。怒りで人を殺められるのならば、この女はとっくに死んでいるだろう。
「鋭いんだなぁ。もうすこしだけ、権力を握ってられると思ったんだけど、まさか、もうバレちゃったなんて」
「黙れェ!」
怒号と共に、ザフィーラはロッテへ飛びかかる。
しかしその声も、雷雨にかき消され、家の中にいる者たちには聞こえない。
「二度と無駄口叩けぬよう、その喉、噛み砕いてやる!」
構えを取ったロッテと、怒りに支配されたザフィーラが激突する。
両者とも、バトルスタイルは格闘戦が主体であった。拳で、あるいは脚、肘で。
豪雨の中、激しい乱闘が絶え間なく続き、稲妻が閃く。
古代ベルカの守護獣・ザフィーラは、碌に実戦経験もなく、戦技試験だけ通過してきたような
しかし次の瞬間、ザフィーラの身体が、ロッテの拳圧に飛ばされた。
「クッ、卑怯な……!」
ザフィーラは、奴良鯉伴との戦闘を経て、利き腕を負傷していた。
それだけのハンデであれば、敵に劣ることも無かったであろうが、その利き腕の負傷部位を治療したのが、まぎれもなくロッテであることが、ザフィーラにとって、決定的に不利に働いた。
つまり、どこを攻撃すれば致命的なダメージを与えられるのか、それがピンポイントで、ロッテには筒抜けているのだ。
それが、彼女にとっては好運だった。彼女自身も、守護騎士の一角には勝てるはずがないと判断していたのだが、戦闘の中では、確実にその弱点だけを狙うと見せかけ、それを庇おうとザフィーラが怯んだ所を一気に攻勢に転じる。こうすれば、防戦一報からの逆突撃も、功を奏するのだ。
(サシだと、ベルカの守護獣には勝てないかと思ったけど……正直、かなり助かった!)
だが、そうして丸めこまれてしまうほど、ザフィーラも往生際は良くはない。
──傷口を塞ぐことは不可能でも、
ザフィーラの身体が鮮烈な光に包まれ、狼形態へと移行していく。それにより、ザフィーラの右肩の負傷箇所が、正確に見当てられなくなった。
「げ、げっ!?」
「貴様だけはァァァッ!!」
圧倒的不利な実力差の戦闘における、優勢への拠り所を失ったロッテは焦燥に駆られ、次なる狡猾な作戦を即興で練ってみた。正攻法で勝ち目がないことを悟っているからだ。
ベルカの守護獣は、並の魔導師が何人で取り掛かろうとそれを一蹴する力を持っている。ならばザフィーラをそれを打ち負かした人間は、どれだけだという話にはなるが、少なくともザフィーラは激情状態にあるはずだった。
しかし、その拳撃は、ただただ怒りに任せたそれではなく、激情しながらも、その太刀筋は冷徹。正確無比な拳撃を咬ましてくる。
「ガアアアアッ!!!!」
──次は逃がさない!
ザフィーラが、ロッテに向けて飛びかかる!
その時、
パシィン!
空中へ飛び上がり、一気に襲いかかろうとしたザフィーラの身体を、飛来した紫色のバインドが拘束した。そのバインドに捕縛され、身動きがとれないまま、ザフィーラは地面へと叩きつけられる。
「ガアハッ!?」
「ハッ!? ……ふふっ」
突然のことに動じているロッテの表情が、完全なる勝利を確信したそれに変わる。
八神家の塀の上に、もう一人の女性の姿がある。
ロッテと瓜二つの姿をした使い魔・アリア──その手には、カードが握られていた。
「アリア……遅いよぉ!」
「いったい全体、何が起きている……もう姿を見破られたのか?」
「仲、間……!? おのれぇ……!」
バインドを引きちぎろうと、全身に力を入れるザフィーラだったが、そのバインドを破壊することは叶わなかった。幾重にも折り重ね上げられた魔力で構成されているそれは、ものの短時間で完成する絶対魔法ではない。
おそらく加勢に来た女、前々からこの戦闘を知っていて、あらかじめチャージをしていたのだろう。
「油断したわね~。さっきの電話だけど、実は、応援を呼んでたのよ」
「グウッ……!」
ロッテと呼ばれた女性は、土足で八神家へと上がり込むと、闇の書を掲げ、戻って来た。
それを確認し、庭に臥したザフィーラの表情が、絶望に彩られる。
「く、何を……!?」
「あなた、悪いんだけど、色んなことを知り過ぎてるの。あなたに出歩き回れたら、こっちとしては厄介なのよねぇ~」
次の瞬間、ザフィーラの中の、リンカーコアが輝き始めた。
「ガァア──ッ!?」
「──闇の書のページを埋めるため、守護騎士が、その身を差し出す」
「──はやてちゃんの延命処置よ。あの子の命のために貢献できるのなら、守護獣としては、申し分ない散り方でしょう?」
それは、皮肉でしかなく──。
「キ、サマ……ラァァァアアア」
声にノイズが混じり、ブログラムであるザフィーラの身体が消えていく。
光の塵となって、下半身から徐々に身体が消滅していく。
既に足は消え入り、立ち上がれないザフィーラには、既に拘束のバインドは必要となくなった。
アリアは最後の慈悲にか、彼を縛るバインドを解除し、その先を見届けた。ザフィーラは咄嗟に上半身に自由を感じると、人型に戻り、立ち上がろうとして、自分の脚が無くなっていることに気付いた。
まさに絶望的な状況。
せめて、と思い、ザフィーラは、八神家の二階へと、その手を伸ばす。はやてやシグナム、ヴィータの眠る平穏な寝室へ向けて、声を張り上げようと尽力する。
だが、雷鳴と豪雨がそれを阻み、ノイズの酷い割声では、ザフィーラ本人ですら、声が聞き取れない状態にあった。
「ア、ルジ……──ハ……ヤ──……!」
──届け、届け。
──届いてくれ。
──はやてが、危ない!
我々は、踊らされている──!
「…………さよなら。オオカミさん」
「グウッ、ウガアァアアアアアアーーーーーーッ!!!?」
消えていく身体は塵となり。
紫色のリンカーコアは輝きを失って、夜の闇へと溶け込むように──
──消滅した。
守護を司る男の願いも虚しく──
激しい豪雨と雷鳴が──
その消滅を────包み隠していた。