~千年狐と江戸の花~   作:樹霜師走

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巡り合う、半妖と『夜天の王』

 

 

 奴良鯉伴は、海鳴の街をひとり放浪していた。

 これは、いわば彼の趣味のひとつである。

 鯉伴は、こうして街に出ることが好きだ。より正確に云えば、人がいる場所、人が集まる場所、人の活気で賑わう場所が好きなのだ。たとえ街であっても、無人の箱庭を出歩きたいとは思わない。

 人間が平穏に暮らしている景色を眺めていると、鯉伴の心は落ち着くのだ。

 妖の血を受け継ぎながら、人間を守るために戦って来た彼にとって、その光景は、己が守り抜いて来た人間(もの)が如何に素晴らしい存在であるのかを、彼に再確認させてくれるから。

 

「明日を照らすサンシャイン~、窓から差し込む扉を開けば~、っと」

 

 徐々に、ここ海鳴市も彼にとっての〝庭〟へと変化しつつあった。

 『遊び人(流浪人)(こい)さん』──と云えば、繁華街に出没する古風な色男として、女性店員や女性客らの黄色い噂の渦中の人物だ。

 『食い逃げ(ただ飯喰らい)鯉畜生(こいちくしょう)』──と云えば、繁華街に出没する売上の天敵として、男性店員らのドス黒い噂の中心にいる人物だ。

 それだけ名が売れるほど、鯉伴は常より、この街に顔を出している。

 たとえ雨の日であっても、たとえ昨日剣客に殺されそうになっても、そこに人がいるのなら、鯉伴はこうして街へと出かけるのだ。

 

「やれやれ。雨降ってんのに、歌うような歌じゃねーか」

 

 じめじめとしたと空気が、コンクリートから雨粒の香りを漂わせる。

 真夏日よりも体感温度を暑く化かし、倦怠感を募らせる高温多湿の日だ。

 曇天の空は、雨を降りしきらせている。

 鯉伴は質素な和風柄の傘を片手に、繁華街の方にやって来ていた。

 目的もなくぶらぶらと歩きまわっていると、二人組の制服を着た女子高生が嬌声を上げた。

 

「やだ、絵になる人~!」

「和傘に着流し! かっこいい~っ!」

 

 どうやら、鯉伴のことを噂しているらしい。

 ──決して、悪い気はしない。

 童心に火が灯り、悪戯っぽく、少女たちに向けてウインクを返す。

 これを受け取った女子高生たちは頬を赤らめ、鯉伴から目をそらしてしまった。

 つかつかと歩み寄り、剽軽な笑顔で話しかけた。

 

「嬢ちゃん達は、学校帰りかい?」

「はっ、はい!」

「そうかい。……どうだ、この後時間があったら、オレと〝てぃーたいむ〟でも──?」

 

 鯉伴が声を続けようとした、その瞬間──

 脇から、かしましい声が響いた。

 

「あああっ! 見つけだぞ──『食い逃げの鯉畜生』だ!」

 

 それは、捻りハチマキを頭に巻いた、いかにも職人気質な豆腐屋の亭主であった。

 者共、出合え、出合え、という消魂しい声が商店街中に響き渡る。その掛け声に反応して、多数の店から、亭主らしき男性職人達がドッと姿を現した。

 時代劇かよ、とツッコミを入れる鯉伴であったが、彼を取り囲んだ男性店員は数にして、おおよそ二〇……いや、三〇を軽く凌いでいた。さすがにこれには、青褪めざるを得ない。

 

「今日こそはとっ捕まえて、今までの勘定払ってもらうぜ!」

 

 魁に犠牲になる形で、強面の職人達に包囲された女子高生達は、何が何だか分かっていない様子だ。

 鯉伴は悪びれた様子もなく、ハハッ、と朗らかに笑う。

 

「傘も持たねぇで飛び出して来るたぁ、風邪拗らせても知らねーぜ!?」

「街一帯で食い逃げ繰り返して、それでノコノコ此処に顔出しに来るたぁいい度胸だ! 商店街の売り上げ返せやぁぁぁ!」

「出世払いで」

「これだけ顔が売れてるんだから十分だろうが!」

 

 鉢巻を頭に巻いた熱血、いや、普段は気っ風の良さそうな団子屋亭主を筆頭に、千差万別の店長に追われていく鯉伴は、軽快な身のこなしで、必死に走る様子は見せず、全力疾走している男たちを振り切っていく。

 

「いやいや、愉しいねぇ」

 

 心の中から、鯉伴はそう思っていた。

 ところで、奴良鯉伴は今、海鳴大学病院にて、入院患者としての生活を送っている。先日に受けた、桃色の騎士との戦闘で負傷したためだ。

 そう──これが、そんな魁の入院生活における日常である。

 大学病院の病室? いや、魁に云わせれば、あの空間は〝監獄〟に等しい。勿論、病人を相手にした最大限の考慮が為されている空間であることに疑いようはないのだ。──けど、朝から晩まで自由は奪われるし、外を出歩き回ることさえ許されやしない。料理に関しては徹底的に塩分が抜かれ、何を食しているのか分かったもんじゃない、ひどいもんだ。

 傍から見て、鯉伴の負った傷は、ひどく深手に見えた(、、、)

 炎獄の斬撃を二閃──守護騎士の長たる女が、極限まで練り込んだ魔力による太刀を直撃させたのだ。

 これを受けた魁が、生きていること自体が奇跡なのである。

 しかし鯉伴の生命力は、まるで「異常」といって差し支えないもので、このように走り回っても、なんの支障も出ないほど元気な状態になっている。──異様な治癒速度の理由については、魁の母親の力が作用しているそうだが……。

 

(──さて、と……そろそろ帰るかなぁ)

 

 病室を抜け出しているのにも、限度というものがある。長時間部屋を抜け出していれば、さすがに不審がられるし、これが主治医にでも見つかろうものなら叱責ものだ。

 明鏡止水を発動し、店長らから姿を晦ます。

 鯉伴はそのまま、病院へと向かった。

 

「あーあー、お気に(、、、)の着物がびしょびしょだ、風邪引いちまうよ」

 

 傘を差していても、全身に雫が滴るような状態だ。傘を差さずして猛追してきた店長たちの商売屋根性には、敬服すべきものがある。──いや、そもそもの要因を作っているのは鯉伴なのだが……。

 水分を含んで重くなった着物の袖を絞りながら、鯉伴は裏庭の方へと歩を進める。建物を見上げ、たった一か所だけ、開放されている窓を見つめた。

 それが、鯉伴の病室だ。

 自室の外窓は、街に出掛けるときは、常に開放された状態にしてある。

 そうすることで、街から戻ったとき、病室へと帰りやすくなるのだ。出かけている最中、たまに部屋を回った看護師に窓が閉ざされていることもある。そんなときは大人しく、入口から明鏡止水で(隠れながら)病室へと向かうのだが、それも一々、面倒な感覚は否めなかった。──要するに、玄関から病室へ向かうのが億劫なのである。

 今日の天候は大雨だ。

 こんな天気では、さすがにどこの病室の窓も閉ざされており、開放された窓はひとつしかない。

 ──あそこ、か。

 鯉伴はそこが自室と、すっかり信じ込み、ろくに窓の位置の確認もせず、開放された窓へとひょいと大きく跳躍を決めた。

 

「うひゃあっ」

 

 窓へと飛び移ったとき、鯉伴の目の前に、車椅子の少女の姿があった。

 

「!?」

 

 鯉伴は珍しく、ぎょっと目をむいた。

 ──あれ?

 ──ここ、俺の部屋じゃなかった!?

 目の前の少女は、愕然としている。明るめの翠色の糸を紡いだように、細やかでまっすぐな髪。ショートボブのヘアに、前髪を金色のピンで留めている女の子は、少女らしい柔らかな顔立ちをしている。

 ──こう云っちゃなんだが、将来が楽しみなお嬢さん。

 とりあえず窓の開いている部屋に入り込んだ結果、鯉伴は他人の病室──それも年端もいかぬ幼女の個室へと、盛大に不法侵入(、、、、)を決め込んだのだ。

 

「まっ、窓から……!? もしかして、妖しい人ですか!」

 

 翠色の髪をした少女が、震えた声で訊ねた。

 ──そういうこと本人に訊くのはどうかと思うんだが……。

 しかし事実、半妖である鯉伴は返答に詰まった。

 ──あながち、妖しい人、てえのは……なんだか間違ってないような。

 返答するのに時間がかかり、不信感を募らせた少女が、お腹いっぱいに空気を溜めた。

 

「待ってくれ、叫ぶな! 誤解だ!」

 

 両手をあげて抗議する。

 

「とっ、隣の病室に帰るつもりだったんだ。おじさん、隣の部屋に入院してんだよっ」

 

 叫ばれたら終わりだ。

 今まで色男なキャラで顔を売っていたのに、不本意とは云え幼女の個室に不法侵入したことが明るみに出れば「異常性癖者」のレッテルが張られてしまう。──『ロリコンの鯉さん』と呼ばようものなら、五百年間(これまでの人生)で味わったこともない屈辱を受ける羽目になる。

 弁明を受けた少女は、それでも不審な顔をしている。

 

「え……でも今、窓から」

 

 不毛な弁明だった。

 ここまでやっておいて変質者に見えないとしたら、いったい、何に見えるというのだろう……。

 鯉伴は苦し紛れに、言葉を漏らした。

 

「ほら……、おじさん……空飛べるから」

 

 言ってから、本当に叫ばれるかと思った。

 正直に「ごめんなさい」と謝っておけば良かったと思った。

 

「──ふふっ」

 

 おたおたとする魁の姿が面白かったのか、なんだかそこで少女は、小さく笑った。

 

「そうなんですか。なら、部屋を間違えることもありますよね?」

「え……おいおい、信じてくれんのかい?」

「はい、信じます。……それに、わたしにも空を飛べる家族がいますから」

 

 信じてくれるに、越したことはなかった。

 ──誠意が通じたのだろうか、心の優しい、広い少女だ。

 少女は鯉伴に、笑顔を見せた。

 鯉伴はその笑顔に、引きつった微笑みを返した。

 

 少女の名は、八神はやて。

 それが半妖の男と、夜天の王の出逢いだった。

 

 

 

 

 第十七話。

 巡り逢う、半妖と『夜天の王』

 

 

 

 

「──いいですか? 絶対、安静ですからね」

 

 それは、三日前の話である。

 鯉伴は病室のベットに寝つかされ、少年と少女に取り囲まれ、がんじがらめな状態にあった。

 腕を組みながら、鯉伴の寝ているベットを取り囲んでいるのは、高町なのはにフェイト・テスタロッサ、そして、クロノ・ハラオウンだ。

 大のおとなが、子ども達に包囲されている。

 

「病院の医師から、退院の指示が出るまで! あなたには一切の外出を許可できせん。これは本局の決定です」

 

 何度も何度も言い聞かせるように、笊耳(ざるみみ)な鯉伴に向けて、クロノは怒鳴っている。

 重傷を負ったままの局員を実地に導入していると、本局も色々と引っかかるモノがあるのだろう。

 

「もちろん、それまではハクトウラもこちらで預からせてもらいます」

「え、そいつまで没収すんのかいっ」

「当たり前じゃないですか、絶対安静ですし、ハクトウラ(こっち)も損傷してるんですからね」

 

 じろり、と鯉伴を一警するクロノ。

 

「勘弁してくれよ、この病室にひとり放置かよ」

 

 鯉伴が不平を漏らすと、そのとき、フェイトが何かに気付いた。

 

「そういえば? 他の次元漂流者(妖怪)さんの姿が見当たりませんけど……」

 

 小首を傾げながら、フェイトは抱いた疑念を口にした。

 狂骨にがしゃどくろ──以前まで鯉伴と共にいた者達の姿が、どこにもないのだ。

 鯉伴は気に留めた様子もなく、あっさりと云いのけた。

 

「ああ、あいつらなら、ばっくれた(、、、、、)ぜ? ──行き先は知らねえが」

「ばっくれた? えっ、あなた仲間に見捨てられたんですか?」

「莫迦野郎、あいつ等は端から仲間でもなんでもねーっての」

 

 鯉伴は、間違ったことは云っていなかった。

 

「気が付いた時にはオレの許を離れてたぜ。それきり邸宅(いえ)にも戻ってねぇみてーだし、なんか気になるもんでも見つけたんじゃねーの」

「随分と楽観的に話してますけど、鯉伴さん、友情が軽いんですね……」

「妖怪てのあ、気まぐれなもんさ」

 

 大将なんて、ころころ変わる。

 鯉伴はまるで、狂骨たちが立ち去ったことに対しても、平気で受け入れているように見えた。

 

 

 

 

 

 

 そんなことがあってから、四日が経つ。シグナム達との激突からは、一週間だ。

 クロノの報告では──『ナデシコ』と呼ばれる最後の次元漂流者が、再び守護騎士と合流し、蒐集に協力し始めたらしい。

 今日もつい先刻、管理外世界で『ナデシコ』が目撃されたらしく、なのは達はそちらに向かっている。

 

「──お兄さんは、どうして、入院なんてしてるんですか?」

 

 鯉伴の入院する病室の、その隣の病室。

 八神はやてが入院する病室に、鯉伴の姿はあった。

 雨の日に部屋を間違えたことがきっかけとなって、それ以来、ふたりは「隣だから」という簡潔な理由で、仲良く過ごすようになっていた。

 

「お兄さんより、おじさんの方がしっくり来るんだが、そう呼んでくれないかい?」

 

 年齢を考えれば、もう「お兄さん」は恥ずかしいのだ。

 

「え? でも……」

 

 とてもそんな年齢には見えない──戸惑ったはやてだが、頼まれたことなので、その通りに従った。

 訪ねられた質問に、鯉伴は正直に答えるかどうか迷った。

 なぜなら、正直に「怪我」と言うにも、元気が有り余って窓から入って来た魁に、そんな言葉の信憑性は皆無と云っていい。だからと云って、他にとって付けそうな病状も思いつかない。

 

「いろいろ、だな。もっとも、大したことじゃねーし、医者はひと月の入院は必要なんて言ってるが、実際は一週間で治る」

 

 自らの血に流れる母親の血は、鯉伴の回復力を遥かに高めてくれている。

 

「──嬢ちゃんは?」

 

 鯉伴が何気なく訪ねると、はやては視線を落とした。

 

「うちは、元々体が弱いんです。それで」

 

 そのとき、はやての表情に陰りが落ちた。

 鯉伴は、それ以上の質問に及ぶのをやめた。

 

「おじさんは、独り身なんですか? 誰か、見舞いとかは」

「今はいないな……ああ、今ってのは、前は色々と賑やかなトコにいたんだが、今は独り身って意味だ」

 

 鯉伴の言葉に、はやてはしゅんとして訪ねる。

 

「寂しい……ですよね、ひとりって」

 

 自らの経験と照らし合わせ、はやては悲しそうな声で呟いた。

 

「まあ、大勢いた時と比べるとな」

 

 あまりに、大勢になれすぎていたのかも知れない、自分は。

 物心付いた時から誰彼処か側にいて、どんな悪戯を誰にやっても許されるような、本当にお坊ちゃんな生活を送り、それでも今、自分は一人だ。

 複雑そうな表情を浮かべる鯉伴。するとはやては、何かを決めたように鯉伴の顔を見つめ、言い放った。

 

「じゃあ、『寂しい』って思ったときは、ここにいつでもいらして下さい」

「え?」

 

 鯉伴が意表を衝かれたように目を見開く。しばらく何も言えず、呆然と立ちつくしてしまった。不思議そうにその言葉を聞きとがめる彼だが、はやては先を続ける。

 

「うちがいつでも、話し相手になりますよ。寂しい時とか」

 

 笑顔で応え、しかし、はやては自分の過去を語り始め、その表情には影が落ちた。

 

「実はうちも、前までは、独り身やったんです」

 

 鯉伴は押し黙り、左目を瞑ったまま、少女の告白に耳を傾ける。

 

「寂しかった──ずっとひとりで。誰かに話を聞いて貰いたかった。そう思って、ずっと苦しんでたんです」

 

 心が凍えてしまいそうで、震えた日々。

 でも、今は辛くない。みんながいるから。みんなが帰って来てくれるから。

 羽衣狐だけが出て行って、山吹乙女だけが帰って来たあの日。

 山吹乙女にかけられた、優しい言葉──

 家族がいなくなったという現実。

 声をあげて泣いた夜に、彼女に抱かれ、わかったこと。

 ──みんなが一緒なら、生きてゆける。

 誰かが傍にいてくれる、それがどんなに幸せなことか、わかったんだ。

 たとえ家族でなくても、きっとそういうことなのだと。

 

「だから、いつでも来て下さい!」

 

 はやては笑顔で問いかける。

 満面の、まるで太陽のような笑顔に、鯉伴は感化されたように微笑みを返した。

 

「ああ、ありがとな」

 

 そんな時、病室のドアが開いた。

 

「──いたいた。奴良さん、検査の時間ですよ」

 

 いたことが奇跡だ、とでも云わんばかりの、純粋な不審顔を看護婦は浮かべている。

 鯉伴は心外な顔をする、──そんなにオレ、無断外出ばっかりしてるかな……。

 

「だとよ、じゃあ、またな」

「はい、お大事にして下さい」

 

 はやてとの言葉を交わし、鯉伴は検査に向かう為、退室してドアを閉める。

 

「……………」

 

 沈黙を保つ鯉伴。

 その視線の先には、この部屋の表札がある。

 《八神》と書かれた表札は──確か三週間ほど前、酒に酔って住宅地を放蕩していた時に目に入った表札と同じ名だ。思う所があるのか、立ち止まって思慮していると、

 

「奴良さん、行きますよ」

 

 看護師の声が聞こえた。

 ──八神っていうのか、あの娘は……。

 鯉伴はそのまま、検査に向かった。

 

 

 

 

 

 魁と入れ違いになるようにして、シグナムとヴィータがはやてのお見舞いにやって来た。

 

「あ、ふたりとも」

 

 今日は、羽衣狐とシャマルが蒐集に向かっている。

 シグナムの手に持つビニール袋は、はやての好きな和菓子が入っている。

 

「どうしました? 何か、嬉しいことでもあったのですか?」

「えへへ、まあなぁ……」

 

 幸せそうな笑顔を浮かべるはやて。

 支えられてばかりだったのに、今度は、誰かの役に立てるのだ。

 はやては、それが嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 時空管理局 無限書庫。

 資料調査を一通り読み終えたユーノの元へ、リーゼアリアがやって来ていた。

 

「──やあ、アリア」

 

 ひとまず形式的な挨拶を交わすユーノに対し、アリアが目を丸くしながら、感心したような表情を浮かべている。

 

「ここ連日来ているようだが、今日もこの書庫で調査とは……随分と精が出るようだな?」

「うん。闇の書の共鳴現象について、どうしても何か情報が掴みたくてさ」

 

 共鳴現象──

 それはなのは達が初めてナデシコと対峙した夜半の刻、闇の書が不気味な輝きを放ち、ナデシコの覚醒に呼応するかのように反応した現象のことだ。

 ユーノはあの光景の真実が気になって、頭から離れない。

 彼は今日まで、数週間にわたってこの無限書庫に脚を踏み入れていた。無限書庫の莫大と言える量数の本を読み続け、独自の知識と見解で、その現象の調査を進めている。

 そうして手に入れた情報と情報とが、ふとある時、芽吹くように新たな真実? いや、有力な考察を編み出す。独自の推察や調査結果は、逐一、クロノか鯉伴のどちらかには必ず伝達するようにしている。

 

「殊勝なことだ、次の司書長は決まりだな。我々も肩荷が降ろせるというもの」

「やめてよアリア、僕には務まらないって」

「謙遜するなよ」

 

 ユーノの情報検索能力は、その分野のエキスパートであるスクライア一族に育てられたからか、非常に高い。

 一度に平行して十冊以上の本を同時に目を通し、それを数週間、ぶっ通しで続けている。それまで溜めた知識や情報──それらは一体、彼の脳のどこに収納されているのだろうか。

 

「──それで、何か掴めたのか?」

「ううん。実は、まだ何にも。……〝共鳴現象〟なんてモノは多分、本当に前例がないんだよ。──本局から薦められた参考文献、全部に目を通してみたけど、その中にも、それっぽい(、、、)記述は囓られてすらいなかったんだ」

「そうか……まあ、前例ないようでは、調べようがなかろう?」

 

 腕を組みながら、如何せんとした表情を浮かべるアリア。ユーノがピックアップして来た、厚さ親指一本分もある重たい資料本を手に取って眺めてみる。

 眺めると言っても形式的なもので、記載されている内容を熱心に読んでいる訳ではない。アリアには毛頭、資料などを読みあさる気力はないので、ただひたすらにページをめくり、目を通している風な姿勢を作っているだけだ。

 

「うん。だから先日から、文献や前例にこだわるのをやめたんだ」

 

 ページをめくる、アリアの手がとまる。

 

「……なに?」

 

 アリアは言葉の意味を問いかける。

 ユーノはデスクの上にあるルーズリーフを取り出し始めた。

 

「なにしろ、前例のない事例だ。僕達は、その現象の初の目撃者になっている可能性が高い。だったら、いくら昔の文献を参考にしたって無駄なんじゃないかって」

「吹っ切ったのか?」

「うん」

 

 取り出した一枚のルーズリーフ。

 そこでは、鉛筆がその白い紙を塗りつぶすほど鉛を撒き散らしている様子が伺える。ぐしゃぐしゃと書き直された箇所もあれば、楕円で囲まれた箇所もある。何かの試行錯誤、考察に使ったのだろう。

 

「この地球で起きている、今までの闇の書事件に携わる背景や戦闘経過。──それら全てを目に通し、考えて、僕はひとつの考察を立てたんだ」

 

 ここからは、あくまで僕個人の推測に過ぎないけどね。

 ルーズリーフに綴った内容を確認しながら、ユーノはアリアに考察の構造についての説明を始めた。

 

「まず前提として──アリアも知っている通り、闇の書は完成するとすぐに転生してしまう。覚醒した主の魔力をもって、改変によって暴走してしまったプログラムがそうさせるように差し向けるからね」

 

 押し黙り、説明を受けるアリア。

 

「主の魔力が尽き、いずれ消滅するという話だな?」

 

 それがまず、この考察の前提。

 

「そう、破壊のために主の魔力を際限なく使わせる──そして主が力尽きれば、全てのページは白紙に戻り、無限再生機能によって再び復活すると、また新たな転生先を見つけ、蒐集をやり直す」

 

 無限の転生だ。

 

「その輪廻を、とめどなく、幾千回と続けてきた闇の書だけれど……もしかしたら闇の書は、それを繰り返す内に〝知識〟を得たのかもしれない──というのが僕の持論だ」

 

 そこで、アリアが問いかける。

 

「知識だと……? 書が、か?」

「うん。ここから先は、鯉伴さんが研究してくれた情報を応用させるんだけど」

 

 クロノが鯉伴から得た情報を、ユーノは知っている。

 その情報までをも組み込んだ仮説なのだ。

 

「ただの〝書〟が意志を持っているなんて仮説は、古代英国のエドワード・B・タイラーの唱えたアニミズムや、旧日本の付喪神信仰を用いない限り立証出来ない」

 

 生物・無機物共に万物に霊魂が宿るとされるアニミズム主義や、古の日本で信じられ、長い間使われなかった道具などを依代に霊魂が住み着くとされる付喪神信仰。

 おそらく後者は、鯉伴の世界では実在しているのだろう。

 

「だけど〝デバイス〟が戦闘以外に対応できるほどの感情、意志を持っていると言う説なら──既に鯉伴さんが〝鬼纏の法則〟を用いて立証してくれているんだ」

 

 鯉伴が鬼纏を発動できた最大の理由、それはハクトウラとの信頼関係が築けたからである。

 つまり、デバイスの持つ完成人格は、なにも戦闘のためだけに意思を持っているわけではなく、間違いなく鯉伴というひとりの人間を信用したことになる。

 そこまで豊かな感情があるのだとすれば──「喜怒哀楽」とて、管制人格は身につけているのではないか。

 

「旧暦の時代まで遡って、管制人格の概念はきっと、最初はただの人間に組み込まれた学習装置だったと思うんだ。だけど、機械は学習を積む内に独自に知恵を身に付け、もっと知りたいという知識欲に目覚めた……その欲こそが最終的に、感情の概念へと辿りついたんじゃないかな」

 

 なのはの役に立ちたいと発言したレイジングハートや、鯉伴と鬼纏を織り成すハクトウラにも、感情は確かに存在していた。

 ならば闇の書と言うデバイスに感情があっても、不思議ではない。

 アリアは論理的に頷き、ユーノはここで、たとえ話を切り出す。

 

「アリアはさ、自分がもしも、千年もの長い間を生きるとしたらどうする?」

 

 突拍子な問い掛けに、アリアは目を丸くする。

 

「千年か……しかし、わたしは使い魔だぞ? お父様の魔力が弱まれば、自然と消滅するのが運命だが」

「たとえば、の話だよ。仮にアリアが使い魔じゃなかったとして、千年を生きるとしたら」

 

 何を考えればよいのだ、とアリアは少し不満そうな表情を浮かべるが、一応、考えてみる。

 

「……ダメだ。見当も付かぬ」

 

 すまぬ、と女とは思えぬほど自分の夢の無さに嫌気が差しながら、申し訳なく謝るアリア。

 

「そっか……ま、大切なのはそこじゃないんだ」

 

 じゃあ一体、今の質問は何だったのだと、アリアは更に不満そうに眉間に皺を寄せた。

 

「この考察をたてる上で最も重要なのは、キミが、グレアム提督や僕なんかよりもずっと長生きをする──そうなった時にキミが抱く……キミ自身の〝気持ち〟の問題なんだ」

 

 言っている事の訳がわからず、アリアは右手を頭に添えて困惑する。

 

「考えてみてよ。みんなは普通、百年で亡くなってしまうんだよ? でも、キミだけは特別、千年もの間を生きることが出来るんだ。──仮にそんな現実(こと)になったら……キミは、嬉しいかな?」

「嬉しい? ……いや、むしろ寂しい(、、、)だろうな、わたしなら」

 

 自分が千年を生きながらえ、周りが百年しか生きられない。

 自分は周りより、十倍も長生きすることが出来る。

 単純計算だが、もしもその百年の間に恋人が出来たなら、その恋人の血統を、十代目まで見ることになる。言い換えればそれは、愛した人が、自分の十倍の速さで老いていくという事を示唆する。

 そんな現実を与えられても、この世界の人間は耐えられるだろうか。

 

「アリアと同じだよ。闇の書もきっと──〝そう感じている〟んじゃないかな」

 

 転生できる……いや、転生してしまう闇の書は、いくばくもの年月を重ね、逆に寂しい想いを募らせた。

 人間でいえば、老いることも、死ぬことすら許されず、永久に人生という迷宮をさまよい続けるようなものだ。

 

「ただ、今の言い方だと〝長生きすることは不幸〟みたいに聞こえるけど」

「そうか。闇の書は完成しても、いずれは白紙に戻る。今度こそ失敗は繰り返すまじと──愛すべき主を転生先に見つけ、みずらの意志管制人格(マスタープログラム)を主を融合させても、結果的には魔力を吸い取り、消滅させてしまう……しかし、蒐集を実行せねば、かえって己の魔素が主の健康体を侵食し始めてしまう──どちらに転んでも、不幸な未来しか待っていない」

 

 だから闇の書は特別、〝生き続けること自体が不幸〟とは言えないか。

 何千万年もそんな不幸を続けて来たら、生きることが不幸なら──いっそのこと死にたいと願うものだろう。しかし闇の書には、その死すら許されない。

 

「闇の書はいい加減、犠牲しか生み出さない流転の日々が悲しくなったのかもしれない──だから、欲して(、、、)いるんだ」

 

 ユーノはアリアを見据え、考察の最終的な結果を述べる。

 

輪廻の輪に還る(、、、、、、、)ことのない(、、、、、)永遠のパートナーを(、、、、、、、、、)

 

 それは、永久に共にいられる伴侶。

 パートナー、即ち、主のこと……。

 

「仮にも、それが出来るのなら……今までだってそうしてきたはずではないのか?」

 

 融合型デバイス・闇の書が、マスタープログラムを展開し、主を飲み込む。

 飲み込まれた者は全ての魔力を書に吸い取られ、使わされ、滅びの末路を辿る。闇の書は意志とは関係なく、破損し、転生機能と無限再生機能となってしまった二つが今まで、多くの選ばれた主を破滅させて来た。

 

「僕は考えたんだ。この共鳴反応は『信号』なのではないか。闇の書がナデシコに〝救済〟を求めているんだって、仮定するとしたら」

「しかし、なぜ彼女なのだ?」

 

 考察を力強く説明したユーノだったが、そこで、視線を落とした。

 

「うん。問題はそこだ………それさえ分かれば、解決の糸口が見えてくるのに。……でも、今まで調べた結果から僕が想定するに値していると自負するのはこの説だ」

 

 ユーノが知識を集めて立てあげた仮説だ。アリアは手に持っていた本を置き、溜め息混じりに言う。

 

「なるほど、まあ、良い案だと思うぞ。論理的であり、日本らしい考察だ」

 

 表情を緩ませるユーノ。

 アリアは、言葉を続けた。

 

「問題なのは、ナデシコが闇の書に共鳴されるだけの〝何か〟を持っている……その〝何か〟を突き止める事だ」

 

 ナデシコは闇の書が共鳴してまで、同調する事を求めている相手だ。おそらく、何か『特別な力』があるに違いない。

 なぜ、ナデシコだと断言出来るのかと言われれば、共鳴現象が初めて確認されたのが、彼女が覚醒した時の事だからだ。

 

「特別な力、もしくはお前の仮説をとるのなら、一緒にいても、寂しくないパートナーと言う事だな」

 

 ナデシコは確かに次元漂流者だ。ミッドチルダやベルカにはない、異次元の特別な力を持っていてもおかしくはない。

 だが、後者については………?

 

「ナデシコもまた、闇の書と同じように転生する力を持っている、とか?」

「さあ……どうだろう」

 

 異様な強さを持っていたとしても、ただの人間に転生能力があるとは思えない。ゆえに、アリアの意見はないだろう。

 ただ、ユーノの中で、これだけは間違っていない、という確信はあった。

 

 ──闇の書は、疲れ切っている。

 

 破滅、消滅、転生、蒐集……。

 幾ばくもそれを繰り返し、闇の書はいい加減、悲しみの流転から抜け出そうとしているのだと。

 

 

 

 

 

 

 

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