「みんな、朝ご飯が出来ましたよ」
台所に立ち、山吹乙女は、朝食を乗せた皿を差し出していた。
──その皿の数が、あまりに多い。
乙女とはやて……この家に暮らすふたりには、持て余るほどの量だ。
それも、そのはずだった。
一ヶ月前。はやての誕生日に突如として現れた四人の謎の騎士達が、この家に住み着くようになったのだ。
一ヶ月前、八神家。
突如として現れた──「守護騎士」と名乗る者達に、乙女とはやては、詳しい説明を受けていた。
「──つまり、わたしがこの『闇の書』の持ち主に選ばれた、ってことやんな」
早朝のリビングにて、はやてと乙女は互いに隣に坐しながら、テーブルの向こう側に一列に並んで座る、守護騎士達の話を聞いている。
右から、桃色髪の「烈火の将」──シグナム。
金髪の「風の癒し手」──シャマル。
赤髪の「紅の鉄騎」──ヴィータ。
白髪の「蒼き狼」──ザフィーラ。
獣人のザフィーラ以外は、すべて女性で構成されている夜天の守護騎士は、はやての誕生日、九歳になったと同時に召喚された。
魔法という非常識に対して、はやてはそう驚いた様子は見せず、どういうわけか、守護騎士達の説明に、すぐに順応して見せた。──先月、山吹乙女が別世界から来たと供述したこともあり、その手の非常識にある程度の耐性が養われていたのかもしれないが、それにしても、見上げた順応力である。肝が据わっていると捉えるべきか……〝未知〟に対して畏れる素振りを見せない。──なかなか
騎士達のリーダーを務める、シグナムが説明を続けた。
「我々、
そもそも闇の書とは──もともと八神家、ひいてははやての部屋に備えられてあったものである。
彼女が何歳の時から「そこ」にあったのか……それは、はやて自身も記憶にはないらしい。だが、どうしてか、きっと両親が遺した大切な遺品であろうとして空白の頁しか載っていないその本を、はやてはこれまでに手放せなかったのだと云う。
其れが、九歳の誕生日を境に「偉大なる魔導書」へと変容を遂げた。妖である羽衣狐も気づかぬほどに、以前の書は、ただの書でしかなかったようだ。
すべての頁が空白であるのは、これから其処に、魔法を書き加えて行くためだ。──「蒐集」と呼ばれる行為を行うことで、膨大な魔力をデータとして書の頁に蓄積させ、書の完成と同時に、はやては闇の書の主として、そこに蓄えられた膨大な魔力を有す、大魔導師として降臨することができる。「偉大なる魔法使い」の代名詞──そのひとつが、闇の書の主なのだ。
比類なき力を得、大魔導師になる機会を得たとの説明をなされたはやては、
「なはは。まあ難しいことはようわからへんな」
柔らかに困った笑顔を浮かべるだけだった。
傍らに座る山吹乙女は、はやてが持つ書の名前に、闇、という単語が含まれている時点で、妙に落ち着かない気分であった。──それは
力を手にした者の力が、幸福な方向に働けば、きっと其処には何も問題はない。だが、その逆を考えなければならないことが、人間にとって恐ろしいことでもある。
──闇の主に、はやてちゃんが……?
乙女は心配な面持ちになったが、そんな心遣いは、どうにも杞憂だったようだ。はやては貌を上げた。
「ただ、いっこだけ分かったことがある」
はやての目の前に座るのは、漆黒の肌着を来た四人衆──。
そして、にこり、と微笑んだ。
「わたしは
言い切った少女の言葉を疑うように、場に沈黙が流れる。
──蒐集……は?
口を開け、間の抜けた表情を浮かべるヴィータに、はやては早速メジャーを取り出した。
「うちに来る人はなぁんで黒尽くめが多いんかなぁ。まずはお洋服をそれぞれに買ってこんとなあ。買って来たら、すぐに着替えるんやで?」
はやてがぶつぶつと云いながら、ヴィータの採寸を始めた。乙女も唖然とし、その中にいる羽衣狐もまた、唖然とした。
──〝力〟に、興味がないのだろうか?
あの少女は、みずからが強大な魔法使いになれるという真実を知らされてなお、蒐集以前に、騎士達の面倒を見始めた。
人は、放っておくと領分を侵すもの。
──力を欲し、力につけあがった人間は、放っておくとどこまでもつけあがる。
羽衣狐は、今までそう考えていた。そう思い込んでいた。だが、どうにもこの少女はその例ではないらしい。そもそも、人間すべてを「こうである」と断言すること自体、誰にも不可能なことなのかもしれない。羽衣狐は思わず、改めてこの少女を見直してしまった。
守護騎士達も心外な様子で、黙って採寸を受け入れることが出来ずにいた。
「お洋服って……あたし達は騎士だぞ!? なんで、そんな命令するんだよ」
「主には言葉を慎め、ヴィータ。口の利き方に気を付けろ」
相当、困惑しているのだろう。──動揺するヴィータに、ザフィーラが言葉を投げかけた。
人間らしさがない。──彼らのやり取りを覗いて、羽衣狐はふと、そう思った。おおよそ、今までの闇の書の主には、散々と酷使されて来たのだろう。
主に対しての〝信頼〟など一切として感じられず──どこか怯えているような、恐怖さえ見て取れる。これでは彼女達は、書の「騎士」というよりか、まるで「奴隷」だ。そしてその通り、これまで彼女達は、蒐集を行うための「奴隷」として扱われて来たのだろう。力を欲した人間が、欲望のままにつけあがる。多くの
だからこそ彼女達は今、はやてに想像のつかぬ対応を取られ、動揺しているのだ。
「そんな身構えんでもええんやで。だって、これから」
ザフィーラ、ヴィータ、シャマル、シグナム。───はやては、横一列に並んで座る守護騎士をゆっくりと見回した後、
「あなた達は────わたしの家族になるんやからな?」
にっこりと、微笑んだ。
第六話。
守護騎士、
守護騎士達が、八神家に「家族」として迎えられてから数日。
当初、戸惑っていた騎士達に、はやては「これまでの生活がどうのとかはもう関係ない。此処では、そして今は、あなた達はただ、うちの家族として平和に暮らせばええんよ」と言葉を掛けた。それは決して命令ではなく、願いから放たれたような言葉であった。
人間らしさがない、と乙女の意識裏から覗き見た羽衣狐に表現された通り、守護騎士達は、
一方で、山吹乙女もまた、はやてと同様に、守護騎士らを迎え入れる心建てが出来たようである。闇の書という単語に、当初こそ不安を憶えたようだが、それも、はやての前では関係のないことになってしまった。乙女もまた、魔法と云う言葉に順応して見せ、それでいて魔法とは程遠い、平和な生活を、守護騎士と共に過ごそうとしていた。
そんなある日、はやてがふと、リビングで
「せや。ヴォルケンリッターは、乙女ちゃんについて、何か知らへんのかな?」
「何かと、云いますと?」
購入された私服に身を包んだシグナムが訊ね返し、当の話題の本人である乙女が、台所からやって来る。
「ああ。えっと……それが、私の境遇のことなんです」
乙女もまた、先日、少年たちに選んでもらった私服に身を包んでいた。乙女いわく「若い子向けの洋服はスースーしていて落ち着かない」そうだ。
「
非常識から来た存在に、非常識な話を打ち明ければ、何か答えが見えて来るかもしれないと、そう考えたのだ。
「私は一か月前に、この世界とは違う場所からやって来たんです。あえておかしな表現を使うなら……別の世界から飛んで来た、という風な説明でいいでしょうか」
「別の世界から……? では、山吹様は、主とは血の繋がりはないのですか?」
様付けされることに違和感を隠せない乙女は、ええ、と頷いた。
「あなた達が現れるよりも前にこの世界にやって来て、はやてちゃんに拾われて、身を救われた次第です」
立場は
はやてが脇から茶々を入れる。
「でもまあ、乙女ちゃんの方が家族としては〝先輩〟てことやんな」
「はやてちゃん」
「なはは。冗談冗談。みんな大切な家族やよ」
朗らかに笑い、シグナムは説明を聞き届けた後、乙女に視線を合わせた。
「──『世界が違う』と云うのは、あなたが思っている以上に、
「え……?」
裏の世界。──それはシグナム達で云ったところの「魔法」に精通した世界のことを指しているのだろう。常識から外れた非常識が横行する社会。ならばそれは、乙女達で云ったところの「妖怪」の社会と似通った性質を持つ表現である。
乙女は訊き返し、そこで、シャマルが代わって回答した。
「結論から先に説明させてもらいますね。山吹さんはきっと、何らかの裏世界の力が関与して、起こった現象に巻き込まれたんでしょう。──魔法なら魔法の力で、何かの拍子に強大なそれが空間へ掛けられると、その負荷に耐えかね、空間自体が裂けてしまうことがあるんです。その結果──『空間断層』という、時空の〝裂け目〟が生まれます」
地層がずれることで地震が起こり、程度が大きくなれば、地割れが生まれますよね、と付け足す。
「あなたの元いた世界では、どんな技術や力のことを『裏世界』と示唆するのかは、私達にはわかりませんけれども……山吹さんは見たところ、一般人のようですね?」
「あ、そうですね。
その事実が幸運な方向に働いていると、この時の乙女は、知る由もなかった。
「強大な力で生まれた
「地震で生まれた地割れの中に落ち……マグマの中に落ちてしまった?」
「まあ……マグマの中に、別の世界が広がっていたと考えていただければ、さして違いはないのかと」
シャマルの補足の解釈をまぜっかえて捉えたか、乙女は唸っていた。
「強大な力に飛ばされて、世界を移動してしまったんですよ」
シグナムとシャマルの説明を受け、ようやく乙女は手を叩き、言葉の意味、現状を理解した。
「竜巻に飛ばされて、気が付けば天国にいた、みたいなものですね?」
辺り一帯が、凍りついた。
沈黙が流れる。
いやそれ、死んでんじゃん! ──ヴィータは激しく突っ込みたい衝動に駆られたが、主の前でこんな軽々しい言葉を吐いていいのかいまだに煮え切れず、ひとり噴悶とした。
「ありがとう。何もわからず、困っていたんです、助かりました」
(阿呆か)
呆れながらに、羽衣狐はぼやいていた。
(しかし、裏世界の力が関与して起きた次元断層とは……他ならぬ妾達〝あやかし〟の力で間違いはないな)
裏世界の力が、次元断層を生み出し、この世界へ羽衣狐たちを誘った原因──。
羽衣狐の元居た世界では──「裏と表」の入れ替わりは「昼と夜」の時間の違いで測られる。光の下に生きる人間が表世界の住人であれば、夜の下に蠢く妖怪こそが裏世界の住人であると仮定しても良いだろう。
つまり何らかの妖怪の力が因果して、羽衣狐と乙女は、それぞれにここへ送られた?
──いったい、誰の差し金じゃ……。
いや、想像するだけ無駄だ。
(空間に穴を空けるほどの強大な力……地獄に現れた
そもそも、それだけの力のこと「強大」という言葉で一括りにして良いものなのか、羽衣狐は複雑な思いに駆られた。
強大と云う表現を使うのなら、羽衣狐とて、元居た世界──いや、正確な表現を用いれば、元いた妖の国の中では、最上位に強大な力を持つ大妖怪だった。それは決して驕りなどではなく、羽衣狐は確実に、最強の類の妖であったのだ。しかし、だからといって、その時「空間に穴をあける自信があるか?」と訊かれれば……正直なところ、かぶりを振っているだろう。
その力は間違いなく、個人で発動できるような力ではないことが伺える。だからこそ気になるのが、個人でそれをやり遂げた〝謎の女〟の正体であるが──「人を愛せ」と説教を垂れた後、一切の接触がないため、考えても仕方のないことだ。
──世界とは、まだまだ無常なるほどに広きもの。
勢力の先に国があり、国の先に世界があり、その世界の先には、次元という単位・領域があった。
羽衣狐たるかつての大妖怪も、このように広がる次元の中では、所詮井の中の蛙でしかなく……この次元には、さらに強大な力を持った存在が、確実に存在するということだ。元来、戦に興味はないが、それだけを訊くと、世界には、まだまだ長生きするだけの価値があるのだと思えてしまう。
はやてが訊ねた。
「それでなんやけど……『元の世界に戻る方法』ってないん?」
「そうですね……原理で云えば、同じことなのですが。空間に穴をあけ、次元断層を生み出すだけの〝力〟が必要になります。そしてそれは、とても個人で発動できるようなエネルギー量ではありません。蒐集しようとすれば、何年も経過してしまうでしょう」
「それに加えて、無数の枝葉のように広がる多次元世界の中から、あなたの故郷である世界の〝座標〟を、正確に割り出す必要もあります。座標が分からぬまま次元断層に飛び込めば、まだ別の世界に迷い込むか──最悪、どこにも辿りつけずに消えてしまう危険性も考えられます」
そもそも生身で次元を超えて来るなんて、おまえ怪物かよ、とヴィータが口を挟んだ。──彼女の話では、次元を渡る際は、大抵の組織が艦船を利用するそうなのだ。
──そんなに、途方もない話なのですね……。
果てしない不安が頭をよぎり、乙女の身体はその瞬間、ふらり、と後方に倒れ掛けた。
「乙女ちゃん!?」
はやてが声をあげるも、倒れ掛けた乙女の身体を、ザフィーラが即座に回り込んで受け止めた。
その腕に抱きとめられた乙女が、ザフィーラを上目で見上げる。
「あ。ご、ごめんなさい」
「……無理もないですな。気の遠くなる話に、違いはありませんから」
「ん?」
ザフィーラの貌を見上げた乙女が、その時、彼に存在している
彼は両目を瞑り、腕を組み、憮然としつつ言葉を続けた。
「あなた様が主の親しき御方だと云うのであれば、主の騎士として、我らはあなた様に協力いたすしましょう。我らもまた、裏世界の住人なれば。我らの協力があれば、おそらく二、三年であなたの世界はっ」
ザフィーラが説明を続けようとした次の瞬間。
ふにっ。
という柔らかい感触が走った。
可愛らしい音声が、その場に小さく響いた。
ハッとして目を開くと、目の前には、己の頭上に腕を伸ばした乙女の姿が──。
「ふに…………ッ!?」
妙な音が頭部から聞こえ、ザフィーラは、話の輿を見事に叩き折られた。
眼前の山吹乙女が、ザフィーラの頭に生えた「犬耳」を、背伸びしながら「ふにふに」と触っているのだ。
──人の話を聞けえッ!!
ぷるぷると震え、詰まった声でザフィーラは怒鳴りを上げた。
「あ・な・た・は! 何をしていらっしゃる!? 今、私が真面目に話をしている!?」
「あ、ごめんなさい。耳があったから、つい」
山があったから登った風に言わないでくれ。
彼女も無意識の行動だったのか「しまった」と言わんばかりに、ザフィーラの耳から距離を置いた。
乙女はザフィーラから間を置くと、屈託のない笑みを浮かべて横手を打った。
「驚いてしまって! まさか、この世界にも妖怪がいるなんて、夢にも思っていませんでしたので、つい……」
ぴしり──。
その言葉にて、八神家の空気が凍り付いた。
凍てついた空気を溶かすように、最初に口火を噴き出したのは、他ならぬザフィーラだった。
「守護獣だァァァァッ!!」
人物像が崩壊していくように、寡黙なザフィーラが顔を真っ赤にして叫んだ。
──誇り高き「守護獣」と「妖怪」とまで表現された!?
罵倒だ、揶揄だ。激昂するのにも無理もなかった。
前代未聞の表現を前に、シャマルは口を抑え、シグナムは笑いの感情を拒否しようと頭では理解しつつも肩を大きく震わせている。
「ブハハハッ!!」
中でも、自制が効かずに抱腹絶倒しているのはヴィータであった。仰向けに床に倒れ、一帯を転がり回っている。
「よ、妖怪だってさ! ぶはははは! 召還されて早速だけど、腹痛ぇ!」
「ぬゥ……!」
──いったい、何だというのだ。
今までの闇の書の主は、「自分に力が手に入る」と聞いた瞬間、態度と血相を変えていた。高潔に、或いは高飛車に、或いは高慢痴気に成り変わり、誰もが「支配」を求め、我こそが頂点だと仏頂面を下げるようになった。
──守護騎士とは、奴隷も同じ扱いだった。
蒐集のために主に尽力する奴隷。──召還された当初、着用されていた無地の黒い布こそが、その象徴だ。
しかし此度、召還され、今再び、凄惨な扱いを受けると予期していたのに、このザマはなんだ?
ヴィータなんて、全く別の意味で悶死しかけているではないか。
「え、違うんですか?」
「断じて違うわ! 我は主の盾! 守護獣のザフィーラ! ……我にもプライドくらいありますゆえ、次からは間違いませんよう」
「ああ、ごめんなさい」
話が戻り、ヴィータが落ち着いたころ、シャマルが話を再開させた。
「……さっき、ザフィーラの云った通りです。私達が協力すれば、二、三年はかかりますが……それで、あなたの故郷を探し出すことができると思います」
「さいわい、我らは職業柄、世界を移動する術には長けている。だから、世界の座標を割り出すのには慣れている節があるのだ」
シャマルの言葉に、それこそが僥倖だ、と乙女は思った。
職業柄というのは、よく判らなかったが。
「あなたの元居た世界の特徴を、私達に詳しく教えて頂ければ──そのキーワードを基に文明を探知して、世界の範囲を、ある程度までは絞り込むこともできます」
「
ヴィータが付け足す。
「
乙女が云い、ザフィーラの眉間が寄った。
乙女はそこで、元居た世界について考えた。特徴と訊ねられれば、それはおそらく、ひとつしかないのだろう。
(羽衣狐。妖についての情報、彼らに与えても構わないでしょうか?)
乙女は賢明だった。
確かに、あの世界の最大の特徴とは、他ならぬ羽衣狐のような妖怪が生息している事で間違いはないだろう。何よりも裏世界の発祥がそれであるのだから、強力な手がかりになる。
しかし、羽衣狐からの返答は渋っていた。
(そなた今、私達、と云ったか……?)
羽衣狐は、乙女が思わず「私達」と複数系の一人称を用いた時、ザフィーラだけが、眉を顰めた瞬間を見逃していなかった。
そして、眉を顰めた直後に──おもわず〝尾〟が反応するほどの敵意を抱かれたことも。
──間違いなどではない。
──あの獣人は一瞬、確実に、乙女に対して敵意を抱いた。
乙女がひとりしか存在しないのに対して、彼女が複数形で己を扱ったからだろう。──乙女は羽衣狐のことを無意識にカウントしてしまったようだが、そもそも、羽衣狐の正体は、守護騎士はおろか、はやてにすら説明していない。
これでは、「私達」なんて発言を怪しまれて当然だ。
(己を〝盾〟と自負するだけはある……)
先程の何気ない説明の中で、シャマルの質疑に答え、乙女はみずからを一般人であると言明している。しかし仮にそうだとしても、乙女ははやての家族ではない上に、はやてとの付き合いも数ヶ月のもので、決して長いわけではない。心は互いに開き合ってはいるが、そのような複数の事実から、ザフィーラにとってそもそも「山吹乙女」とは要注意人物でもあるのだ。
──おおかた、主に近づく不確定要素、と云ったところか。
いまだにその素性を完全に理解したわけではなく、ザフィーラの獣人の形態を当然のように「妖怪」と比喩した。それに加え、一人称を複数形で答えたのは「まずい」としか云えない。
シグナム、シャマル、ヴィータの三人はおそらく、心配は無用だ。山吹乙女のド天然爆弾発言がきっかけで、心を許し始めているように見える。
(この狼……警戒する必要があるか)
問題は、常に一線だけ身を引いた位置に立つようにしている、このザフィーラという男である。
冷静に、状況を見渡す能力に長けている。侮れない。乙女のことを、今にも不振がっているようだ。
一方のザフィーラもまた、乙女のことを、じいと観察していた。
(この女は……何かを、まだ我らに隠しているな)
ザフィーラがこの女性を疑い始めたのは、ことの発端からだ。
はやての誕生日に、乙女ははやてと共にベッドにいて、就寝を共にしていった。それだけはやてが気を許している人物であることは、否めないのだが……
──我らが現れた時のこの女性は、もっと雰囲気が
言葉使いに粗があり、口調も古風であった気がする。なにより、こんなにも柔らかで温厚ではなく、むしろ、鋼鉄のような冷たさを放つ女性であったような憶えがある。
──物腰や雰囲気たるものは、どうこう隠そうとしたところで、そう簡単に隠しきれるものではないだろう。
妖怪という謎の表現。そして、奇妙な一人称──。
はやてが気を許している人物であるだけに、余計に質が悪い。
(妖怪の存在の話……今は噤め)
(え……?)
どうして、と訊ねる前に、羽衣狐は先を続けた。
(今はまだ、妾の正体を明かすな。妾が容認するまで、絶対にな)
羽衣狐がその選択を取った、自分の正体を隠し通すのには、理由があった。
逆説的に、羽衣狐が今ここで正体を明かせば、ザフィーラの不信感も拭うことが出来、彼らと完全に和解することができるだろう。はやてが望んでいるような、平和で、なにしろ円満な生活を送る第一歩にもなる。
──されど隠しごとをしているのは……そちらとて同じこと。
先ほどは「職業柄」と云う表現で誤魔化したようだが、まだまだ守護騎士には、未知な要素が多い。
こちらの手札がすべて晒すには、時期早尚だと考えたのだ。
一見して、円満に見えていた八神家の中でも水面下で、互いの挙動の綻びや粗の探し合い。腹の内の詮索が始まっていた。
事情の分からぬ山吹乙女にとっては、彼女がどうして自分にそんな約束をさせたのかが、全くわからなかった。
現在の八神家。
時は一ヶ月を過ぎ、葉月へとさしかかっていた。
堅物だったヴォルケンリッターたちも、八神家での生活……いわば「ごく一般人としての生活」に慣れ始め、物騒な物腰は、だんだんと柔らかく、いい意味で人間らしくなり始めていた。
はやてにとっては、まるで夢のような毎日が続いた。
考えても見れば、はやては元々、独り暮らしで生涯孤独の身だったのだ。それが、たった数ヶ月の間で急転し、人生は変わった。今や家族は六人にまで増え、存在を知らないとはいえ、二重人格を含めれば、八神家の住人は、既に七人にもなって大所帯だ。
そんな家族は全員が邪見なく、かつ家庭は円満に回っているのだから、これ以上の幸福など、考えられないほどではないだろうか。
家にはいつも誰かがいて、食事の際は、はやてを中心に、ヴィータが今日、新しく発見したものについて明るく語り、シャマルがクスクスと哂い、シグナムが微笑み、ザフィーラがテーブルの下でエサを食べている。──そんな安寧の日々が続いていた。
誰もが、家庭円満と思っていた。
しかし羽衣狐と、ザフィーラの〝探り合い〟は──いまだに根強く続いていた。
ザフィーラはその日から、ひそかに、乙女のことを監視している。むろん、乙女本人はこの動向に気づいていない上、ザフィーラも気づかれないように行っているのだろうが、そのような小細工は、察し者の羽衣狐には通用しなかった。
そんな監視を警戒して、この一ヶ月間、羽衣狐は、家中ではろくに身体に憑依していない毎日が続いた。外の出るときは羽衣狐であることもあるが、家の中では怪しまれぬよう、表に出ずに過ごしているのだ。
肉体に憑依しない理由は、他にもある。
羽衣狐と山吹乙女。──ふたりの間で「思考が筒向けになる現象」の被害を受けるのは、肉体に憑依している方、つまり、表の人格だ。そちらは、声には出さずとも、脳内で念じるだけで意識裏の存在と意思疎通ができてしまうため、ふと頭によぎった内容さえ、意識裏の人格に内容が筒抜けてしまう。つまり、妙に〝切り替え〟の利かない現象の被害を受けるのだ。
羽衣狐が表に降りてザフィーラのことを警戒すれば、裏側に移転した乙女にも、その警戒心が伝わってしまうからだ。
ある日の夕方。
ヴィータが散歩へ出かけ、シグナムとシャマルが、はやての検診に海鳴大学病院へと向かった。
八神家には、家事を仰せ付かった乙女と、留守番を頼まれたザフィーラの二名だけとなった。
庭に出た乙女が、ザフィーラへと言葉をかける。
「はやてちゃん、あなたたちが来てからの毎日……本当に楽しそうです」
乙女は笑顔で話しながら、庭の洗濯物を取り込んでいる。彼女はまさか、ザフィーラが自分を警戒しているとは思っておらず、彼に対しても積極的に、清廉に話しかけているが、ザフィーラの方はそうではなかった。
ザフィーラの表情、眼差しは邪険だ。──素人の目からすると、いつもと変わらない淡白なものに見えるかもしれないが。
元来の彼は、感情の起伏を表情や仕草で表現するタイプではないので、彼をよく観たことのない者は、それこそ平時の応対だと思うだろう。だがしかし、この一ヶ月、ザフィーラの挙動を観察してきた羽衣狐には、そのポーカーフェイスは通じない。彼は明らかに、機を伺っている。
現在、ザフィーラは獣人形態をやめ、狼となってリビングにグダーと伏せていた。
「私も、元の世界の場所が判明した暁には、そちらへ帰らねばならないのでしょうけど……あなた方がいれば、はやてちゃんもきっと大丈夫ですね」
物干し竿に手を伸ばす、乙女は笑顔で振り向いて、ザフィーラに話しかける。
その表情は笑っているが、放つ言葉を考えると、悲しくも見えた。そこへ、ザフィーラが返答する。
「……ですが、
「そう、ですか……」
山吹乙女は、元の世界を割り出す情報に『浮世絵町』なる言葉を使った。それは、乙女がもともと生活の拠点を構えていた街の名前である。
この世界と、あちらの世界での違いが、その街であったのだ。同じ日本でありながら、高層ビルの建ち並ぶ風景を考えると、時代も双方、大して変わらない。決定的な差違である「妖」については、羽衣狐から他言無用と指示が仰がれているため、この世界に存在していないことが明らかになった「浮世絵町」の名を提供した。
──だが、それにしても、あまりに判然としないキーワードである。
広大という言葉では、表せないほどの質量を持つ次元空間の中で、唯一の「浮世絵町」を探すのは、相当難儀することが予想される。
「山吹様は元の世界で、いったい、何をなされていたのですか?」
「えっ?」
「興味が沸きました」
嘘をつけ、と羽衣狐は心の中で嗤った。
乙女はわずかに動揺し、羽衣狐に指示を仰ぐ。
(な、なんて答えれば良いのでしょう。……死んでいました、とか?)
奇妙なことに、それが事実である。
だが、
(頭のおかしい女だと思われたければ、そう云ってみろ)
羽衣狐は変に解答を指図するより、乙女らしく答えさせる選択を取った。
乙女はそうして、できるだけ妖怪について触れられないように、自分のことを嘘で紹介する。
「ふ、普通の高校生でしたよ? 浮世絵町の……浮世絵高校という学校の。……共学で、公立高なんです」
付け足す言葉が多いのは、たった今、即興で「設定」したからだ。
「学生にしては、ハウスワークが卓越されているようですね」
「…………はうすわあく?」
(しまった)
乙女が目を丸くして、羽衣狐が落胆した。
──江戸時代から飛んで来た
羽衣狐は額に指を当て、その箇所を揉みこんだ。
「……英語は苦手ですか? 高校生なのに」
「え、ええ……! す、すいません……」
交わされるのは、皮肉な会話。
そしてザフィーラから、決定的な痛手を突かれることとなった。
「もうひとつだけ。前々から気になっていたのですが」
「は、はいっ?」
「あなたは、洋食が作れないのですか?」
「え…………」
その指摘は────乙女も驚くような、事実であった。
乙女はこれまでの数ヶ月、八神家の食卓に、和食しか馳走していない。
いや……違う。これもまた、英語と同じである。江戸時代から時代を超越して来た彼女は、異国の料理、広い意味での「洋食」が、一切として作ることができないのだ。
では、八神家はここ数ヶ月、朝昼晩と、すべての食事に和食を用いて来たのかというと、それもまた微妙に違っていた。ある一日はシャマルに試験的に料理をやらせ、黒炭を食べる羽目になったが、その他は羽衣狐が定期的に機を見て、洋食店への外食に行くよう乙女を誘導していた。だからザフィーラ以外の守護騎士は「乙女の出す料理は和食だけ」という事実に気付く者はいないし、羽衣狐が謀った通りにことが進んでいた。
一般の女子高校生でありながら「料理が上手」というステータスは、取り上げて不可思議なものではない。しかし、年齢以上に豊富な料理のレパートリーが揃っていたり、和食が美味な割に洋食になると「てんでダメ」であったり、「ハウスワーク」の日本語訳さえ怪しいというのは、いささか現実味に欠けるのではないか?
「ザ、ザフィーラさんは洋食がお好きでしたか! 今度、お作りしますね!」
積み重ね続けてきた嘘で固めた塔が傾き、崩れ始めた。嘘を見抜かれ始めたことで、乙女自身も激しく狼狽し始める。
駆け引きには負けた……羽衣狐がそう思うと、そこへ──
「──ただいまぁ~」
丁度、はやてが検査から帰って来た。
ザフィーラが興味を失ったように乙女の下を離れ、彼女の迎えに上がりに行く。
(……………)
八神に助けられた。
羽衣狐はそう思った。
(嘘をつく。……いえ、嘘を護っていくのって、大変なんですね……)
(ヤツの質問には、悪意があるからな)
(え?)
(ふん……)
それから口を紡ぎ、羽衣狐はザフィーラに乗ってリビングへと来たはやて達を見つめる。
「お帰りなさい。はやてちゃん、シグナムさん、シャマルさん」
「うん。ただいまー」
「えぇ……」
「はい……」
心なしか、シグナムとシャマルの表情は絶望的に暗い。
──検査で、何かあったのだろうか?
その日、子の刻。
ビル屋上にて、ヴォルケンリッターが集まっていた。
「蒐集は、主はやてに止められている。これを破る、と云うことは」
「わーってるよ。〝主の命令を無視する〟って事だろ……? でも、やるしかないんだ。 蒐集をしなきゃ、はやてが」
言葉を発していたのは、シグナムとヴィータである。
今日の検査の結果──わかったことがある。
はやての身体の麻痺は──闇の書の〝浸食〟によるものである。
はやて自身、記憶がない頃から近くにあった書である。生まれたその時から、身体の傍らにあり続けたその書が、この九年間で、彼女の健全な成長をすこしずつ阻害して来た。
だからはやては今、車椅子に乗り、足の麻痺がいっこうに回復の兆しを見せないのだと。
真実を知ったシグナムは憤り、シャマルは涙し、ヴィータは嘆いた。はやては「蒐集なんてしなくてええ」と騎士達に言い聞かせていた。
──しかし、あなたを救うには、これしか、他に方法がない……。
闇の書を完成させ、はやてを闇の書の主として覚醒させれば、その麻痺は解ける。
その「書」は今現在、故あって、正常に機能していない節がある。浸食は、それによる誤作動のようなものである。闇の書のが完成しさえすれば、その闇を討ち払うことができる。
「書の完成のため、主の覚醒のため──〝蒐集〟を開始する」
蒐集とは──闇の書の頁を産めるために、魔導師、あるいは、魔力生命体のリンカーコアを採取する行いのこと。
任意においてリンカーコアを提供してくれるならば合法だが、シグナム達の蒐集は、襲撃によってそれを強制的に採取する方法である。──ゆえに、大局的にみれば、犯罪に他ならないのだ。
闇の書の完成に必要なのは、六六六ページ──。
一度蒐集を行った対象からは、二度と蒐集を記録することは出来ない規定がある。そのため、彼らはこれより、数多の魔力主と対峙する必要がある。
「蒐集をしなくて良いと仰られた、主の想いを無下にはしたくはない。主はおそらく、他人に迷惑がかかることを厭っておられる」
「であれば、人間……魔導師は、蒐集の対象外としよう。魔導師を襲った方が、圧倒的に効率は良いが……これは徹底するべきか」
「…………しょうがねえなあ」
「やりましょう、みんな。すべては────はやてちゃんの為に」
騎士甲冑に纏われたヴォルケンリッターは、四方へと飛び去った。