第七話。
古狐、思い出づる『九尾』
闇の書の封が解かれ、守護騎士が現れてから、二ヶ月の時が経った。
時節は白秋の神無月、一〇月の中旬に差し掛かったところだ。公園や住宅街、辺りの景観は少しずつ紅葉を迎え、夏の日々と比べると少しだけ肌寒くなり始めた。
そんな中、はやての車椅子を押す山吹乙女。彼女達は夕飯の買い出しの帰路において、このようなことを云った。
「最近、守護騎士の皆さんは、ずっと忙しいみたいですね……?」
ここ数週間の話になる──
守護騎士の四名はそれぞれ八神家を留守にすることが多くなっており、はやてと乙女は、ふたりでそのことについて話していたところだった。
「せやなぁ。でも、ヴィータなんて『近所でお友達ができた』云うとるし、ええことやと思うなぁ」
「ええ、それは本当に、そう思います」
はやてが守護騎士達に尋ねたところ、たとえばヴィータは「市内で同世代(と云っても、ヴィータの年齢感覚で云えば高齢者に当たる)の友人が増えた」と答え、最近は年配者の集まるゲートボールの寄合──レクリエーションと云った方がいいのだろうか? に参加しているのだとか。
シグナム、シャマル、ザフィーラに関してもそのようにそれぞれ趣味を持ち、それを理由にしては八神家を空けることが多くなった。
はやてと乙女のふたりは、彼女達のそうした変化を、戸惑いながらも喜ばしく感じていた。他ならぬ〈闇の書の奴隷〉として酷使され続けて来たであろう彼女達が、かくも早くに一般的で現代的な生活に馴染み始めてくれているということが、はやてとしては何よりも嬉しかったのだ。
「乙女ちゃんも、お外で友達とか作ってきぃひんの?」
「えっ?」
それは、はやてから放たれた唐突な質問だった。意表を突かれる表情になる乙女に対して、はやては続けた。
「乙女ちゃんかて、学校にもいけんと家の中に籠りっぱなしで、うちの話し相手ばっかりやってるんは退屈やろ?」
「そんなこと……!」
「でも、ザフィーラが云うてたで? 乙女ちゃんの居た世界を探し出すのって、何年っていう単位で時間が掛かる! って」
結局のところ、はやてが認知する「山吹乙女」という女性は、あくまで
そのような人物が、学校にも行かずに八神家の中で障がい者の面倒を見続けているという現状に対して、はやてははやてなりに思うところがあったらしい。
「こう云うのもなんやけど、
はやての云う通り、守護騎士が八神家に居候することになってから、山吹乙女は八神家の中心的存在であるはやての『第一の理解者』──さしづめ『母』と云った風な立場に置かれている。
乙女もまた八神家に居候する身分ではあるが、少なくとも後から現れた守護騎士よりは先輩に当たるし、何よりも掃除、洗濯、食事の準備──ありとあらゆる家事をそつなくこなしてしまう山吹乙女は、ほとんどひとりで八神家の中を切り盛りしている状態になっているのだ。
無論、それは乙女が自主的に取り組んでいることであって、誰に押し付けられたわけでもない。しかし、それは家の主であるはやてなりに気を揉んでいることであることに違いはない。
「何年も
「まちかねる……」
乙女がぼそりと口にし、はやては鷹揚と先を続けた。
「乙女ちゃんは何でもできるし、人もええから、すぐにお友達できると思う! ……何よりも美人やんな」
「まあ……! こんなおばさんを誉めても、何も出ませんよ?」
「なに言ってるん? ぴっちぴちの
「え?」
「え?」
「……あっ、そうだった……」
「びっくりした、相変わらず天然やね」
他人によって仕組まれたみずからの「設定」を思い出し、乙女が苦悩した瞬間であった。
「でも、お世辞で言うとるわけやない。乙女ちゃんには、本当にいつも色んなもの貰うとるよ。……こんなこと云うと乙女ちゃんには悪いかもしれへんけど、あと数年は一緒にいられるって聞いたとき、うちは嬉しかった」
「はやてちゃん……」
「もちろん、シグナムもヴィータも、シャマルもザフィーラも、今はうちの大切な家族や! そこに乙女ちゃんもいて、家族みんなで、ずうっと一緒にいられたらって、本当はそう思ってんねんけどね──」
次第に、はやての表情に陰りが落ちてゆく。
それを見た乙女が、言葉を優しく返した。
「大丈夫ですよ。どんなことがあっても、わたし達は繋がってます。──だって、家族じゃないですか」
心はいつも、大切な人と共にありたい。
それは、乙女の胸中に息づく強い願いでもあった。
「ね? はやてちゃんこそ、よいお友達はいないんですか?」
「うち? うちはね、おるよ! この前な、シャマルとふたりで図書館に行ったら、月村すずかって子とお友達になってん」
明るい話に切り替えた甲斐あってか、はやての表情には笑顔が戻った。
「すずかちゃんですか、可愛いお名前ですね。どんな子なんですか?」
「うん、偶然知り合ったんやけど。すーっごいお嬢様なんよ」
住宅地を抜けながら、談笑を交わすふたり。
そんなときだった。
『オラァ、乗れッ!!』
路地の交差点にて、はやてと乙女の眼前に黒いスーツを着た男、いや、男達の姿があり、怒声を上げていた。人数にして、五人程度か。
徒党を組んだ男達が、ひとりの少女を取り囲んでいる。少女の腕を無理やりに引き、黒塗りの乗用車へと乗せようとしている。ドライバーの数も含めれば、どうやら男達は総勢で六人のようだ。
「あっ、ほら。あそこで悪そうな人達に誘拐されそうになってる子や」
「ああ、あの子ですか」
紫色の髪をした女の子はガタガタと震え、男のひとりに無理矢理、二の腕を引っ張られている。
──え?
ひと間おいて、乙女は言葉の意味を咀嚼する。
ゆうかい。
誘拐……。
「────誘拐!?」
乙女とはやて、ふたりの声が重なった。
反応の遅れた自分を胸中で非難すると、乙女は即座に、誘拐の意味を理解した。
「すずかちゃん!? お、乙女ちゃん、あの子を助けてあげて!」
「わ、わかってます!」
乙女はその瞬間、少女を助けるべく男達に向けて走った。
それと同時に、一連の状況を見ていた羽衣狐の声が響く。
(ヤクザ者? ……いやチンピラか。とは云え、そなたの手に負えるのかえ?)
(いま交代している時間はありません! このまま行きます!)
(いや妾は、交代してやるとはひと言も……)
羽衣狐は若干の悪態をつくのだが、乙女はひょっとしなくとも「大抵の荒事は羽衣狐が何とかしてくれる」とでも考えているのではないだろうか? 実際、乙女の危機は羽衣狐にとっても依代の危機であるために見過ごすわけにもいかないのだが、それを質に取られているようで不満がないわけではない。
だが、確かに強い感覚的衝撃を憶える乙女と羽衣狐の『入れ替わり』は、走っている最中に行おうものなら体重を扱いきれずに、間違いなく転倒してしまうだろう。女の子は今にも連れ去られそうであったから、少しでも早く駆けつける必要があった。交代している暇はなかったのだ。
「月村家の令嬢だ! 誘拐すりゃ、たんまり身代金が絞れるぜ!」
「オラッ、このっ!」
「いやあっ!」
慇懃な笑みを浮かべた男のひとりが、すずかの手を掴み、引っ張り上げる。
そこへ、
「──ええいっ!」
背後から繰り出された乙女の体当たりが、男のひとりに直撃する。
──が、その男は不覚にも背中から突進を受けてなお転びはせず、衝撃で数歩よろめいただけだ。男の体躯はスーツに隠れて見掛けより数倍は筋骨隆々としていて、この頑強な肉塊に激突したことでダメージを負ったのは突進した乙女の方であった。
圧倒的筋肉に弾き返されて尻餅をついてしまった乙女を、男達が一斉に取り囲み始める。
「なんだてめェは!?」
総勢にして、四名の男達。彼女はすぐに立ち上がり、たった今ぶつかった男から距離を取ろうとしたが、その行く手を、別の男に阻まれてしまった。
「あ、あわわ……っ!?」
咄嗟に、男のひとりが乙女の目前へとにじり寄る。
右手を高く振りかざし、乙女の頬を張って叩かんとした。
「この女、邪魔しやがって!」
「乙女ちゃん!?」
──もう、駄目だ。
乙女がそう諦めたとき、脳裏に羽衣狐の舌打ちが響いた。
(──代わってやる。その
次の瞬間──
山吹乙女の眼光が、一変した。
耀きを失い、虚に消えてゆく。深遠なる暗黒が、彼女の瞳を覆い包む。
刹那、あたりの空気が一変する────
「ウ────……ッ!?」
その瞬間、乙女に右腕を振りかざしていた男の動きが止まった。
いや、止まったのではない。正確に云えば、男はその場に凍り付いたのだ。戦慄し、身体の筋が凍り付き、ガタガタと震え始めている。背筋が凍てつき、行動の一切が取れずにいた。
「……おい、どうした?」
「ヒッ……ヒィィィ~~~ッ!?」
後方で待機するはやてもまた、目を丸くしつつ大きな違和感を肌で感じ取っている。呆然と、ただ目をむいて、その光景を目の当たりにしている。
豹変した────
温厚から冷酷へ。
柔和から険悪へ。
恐怖と戦慄を触発する圧倒的なまでの空気感が、男の反撃を許さなかった。
「────
優しい、それでいて、凄みのある微笑みが浮かぶ。
身を包む、圧倒的な威圧感。
黒い威光に苛まれ、身体のすべてが凍り付き、男は
「お……、おおっ、乙女、ちゃん……?」
呆然として、はやては豹変した背後から、乙女の背姿に魅入っていた。得体の知れぬ、黒いオーラのような噴煙が、彼女の身体を取り巻いているのだ。
あんなにも温厚だった乙女の言葉が放たれると同時に、空気がヒヤリと変わったように感じた。まるで、彼女の吐く呼吸のひとつひとつが、この場の気温を下げているかのようだ。
「ヒエエッ!」
吹き飛ばされ、周囲に立ち並ぶ残り仲間の四人が「やっちまえ!」と号を発し、一斉に乙女に襲い掛かる。が──
「フンッ……」
繰り出された直線的な拳を躱し、後頭部への裏手を叩き込む。脳天が揺れ、その場に崩れた。背後から華奢な身体を抑えに掛かった男の二の腕を、艶やかに体躯を逸らせて回避した後、
積み重なるように場に野垂れた男の背に悠然と脚を乗せ、容赦なく圧をかける。──艶然と頂に立つ女王様のようであったと、後にはやてが評している。
「──しまいか?」
一瞬。ほとんど一瞬にして、襲い掛かっていたはずの四人もの男が、コンクリート上に野垂れ落ちた。
おおよその余人には解説することさえ能わぬ、瞬刻の乱闘だった。──いや、乱闘と云うには形勢が一方的すぎて、むしろ乱舞と形容すべきではなかったであろうか。とは云っても、羽衣狐が用いたのは、純粋な体術のみであった。
そんな時、乗用車に乗って待機していた最後の男が降りて来た。胸ポケットに忍ばせていたであろう、拳銃を手にしている。
それを確認したはやての貌が、絶望に彩られる。
「ヘヘッ、動くなよ?」
「…………」
「これがなんだかわかるよなあ? その綺麗な顔にでけェ風穴空けられたくなかったら、大人しくしてろ」
「ひとつ、忠告しておく」
「あ?」
「妾の生きた世界では……銃は撃つ気がなければ出さぬものじゃ」
妾にそんな物騒な『物』を向ければ、どうなるか……。
「────ブッシュ!!?」
ドライバーの男は、次の瞬間、幻のようなものを見た。
一瞬、いや刹那というべきひと間より、女の臀部から一陣の筋のようなものが現れ、これがみずからの下顎を天高く殴り上げたのだ。花火のように高空へ打ち上げられた男の姿は、やがて夕暮れの空の星のひとつとなって見えなくなった。
繰り出したのは古狐の〝尾〟──
悪意や敵意を前にして、彼女の九尾は、反応せずにはいられない特性を持っている。その速度は超越的であり、はやてやすずか、ふたりの目に捉えられることはなかった。
「す、すごぉ……っ!」
円らな瞳を更に丸くしながら、はやてが畏る畏る羽衣狐に……いや、「山吹乙女」に近寄って行く。
彼女に助け出された当人である月村すずかは、今、男達よりもおぞましい恐怖さえ感じていた。感謝を述べに近寄るどころか、腰が抜け、立つことさえままならない状態にあった。
それでもはやてが彼女に近寄っていけたのは、あくまで彼女を、乙女だと認識しているからであろう。
「……手を出せ」
「ヒッ!?」
「立てぬのであろう?」
羽衣狐が、ガタガタと震撼した様子のすずかに手を差し伸べる。
すずかは恐る恐る、わなわなと震える小さな手を差し出すように伸ばし、羽衣狐の腕に引っ張り上げられた。
「この世は美しい女ほど、損をするよう出来ておる。気を付けるといい」
感じた機微から、世の中へ愚痴を漏らす羽衣狐。
すずかは怯えながら、その女性の奥底に言い知れぬ力を感じた。
「あ、ありがと────」
すずかがそう言おうとした、その時――
羽衣狐の後ろに、最初に乙女が張っ倒した、短刀を構えた男が立ち上がっていた。
「乙女ちゃん、危な──ッ!!」
「死に曝せェェェェェ!!」
突進する男。
それを待ち構えていたのは、ぎろり、とそれを睥睨する、羽衣狐の振り向きざまの視線だった。
男の意識が、飛んだ。
一瞥、たった一瞥されただけで、恐怖に呑まれ、男は意識を失ったのだ。まるで、羽衣狐の視線に
「えっ……」
はやては目を疑ってしまった。
叫んでいた男は、まるで何もなかったかのように、死んだように気絶してしまったのだ。その一部始終を遠目で見ていたはやては既に、何が、何だかわからなくなってしまっていた。
状況が落ち着いたところで、意識裏に移った乙女が謝礼を述べる。
(す、すいません、羽衣狐……)
(良い。そなたが怪我をすれば、妾がこの肉体を使えのうなるでな──)
あくまで羽衣狐は「自分のために交代した」のだと主張した。
山吹乙女がうっかり怪我をしてしまえば、肉体に残ったその損傷は、羽衣狐が表に降りた際にも反映される。身に覚えのない痛覚を被るのは、羽衣狐的には真平御免なのである。
(そなたの体は、もはやそなたひとりのものではないのだ)
現状を確認すると、乙女の正面に怯えたすずかがおり、後方にははやてが寄って来ている。
乙女より遥かにに体躯の大きな男達六名を、ものの数秒で蹴散らしたのだ。とても乙女単独で出来た所業ではない。
羽衣狐の出現は、やむを得なかった。
おそらく、はやても怪訝に思っていることであろう。なんにせよ、来るべき時が来た、ということだ。はやては激しく動揺しており、こうなった以上、隠してきた事実を明かすしかない。
(この後は)
(なるようになるだけ、ですね)
はやてが、羽衣狐の存在を受け入れられるかどうか──。
月村すずかははやてに見送られ、迎えに来た自家用車で帰宅して行った。
どうこうしている内に、辺りはすっかり暗くなり、電灯が住宅地を照らしている。帰路の途中、はやては妙にそわそわとしながら、山吹乙女と思われる人物に車椅子を押されている。
すずかを見送った後、事の次第を話すと、その「黒い女性」に約束して貰った。
「──さて。何から明かせば良いか。みずから説くのは難しい。そなたの方から問うてくれると、こちらとしては答え易いのじゃがのう?」
──やっぱり、口調もそうだが、雰囲気が全然違う……。
はやては不思議とそう感じていた。対話をしているのは慣れ親しんだ山吹乙女その人であるはずなのに、不思議なことに初対面の人物と話しているかのような感覚。
畏れ多い──とでも云うのか、自然と畏まった状態で、はやては口を開いていた。
「せっ、せやね……まず、あなたは、うちの知ってる……乙女ちゃんなんか?」
「薄々と勘付いてはいるであろうが、違う」
「二重人格、とか?」
それこそ現実味のない話だが、同じ人物でありながら、それらの纏う雰囲気は温厚と怜悧──対極にあるような物腰の差は、人格がふたつでもない限りは、きっと難しい。
鮮やかにチャンネルが切り替わるように、彼女の中の性格は豹変を遂げた。それだけでなく、強面の男性達を前に乙女が恐々としていたのに対し、直後にはこれを蹴散らした所業。とても同一人物のものとは思えない。
「妾は〝羽衣狐〟──山吹乙女の身体を依代として借り生きる、古の妖じゃ」
「あやかし……?」
「二心同体とでも云うておこうか。──つまりは〝ふたりでひとつの身体を共有している〟のじゃ」
「よーするに、融合合体していると?」
なんでそんなロボットみたいな言い方に換えるのかは分からなかったが、最終的にはやてが最終的に納得しやすいなら、それでいいだろうとして口に出しては言及しなかった。
「へえ! てことは、羽衣狐さんの方は、乙女ちゃんと色々と違うんやね?」
「それぞれに……人格というものがあるからのう」
「じゃあ、今まで家事とかなんとかしてくれてたんは乙女ちゃんで、さっき悪い人をぶっ飛ばしてくれたんは、羽衣狐さんなんやな?」
このとき、羽衣狐はこの人間の少女と滞りなく会話ができていることに一抹の驚き、また、感動に近いような感情を不覚にも憶えていた。まっとうに人間と会話をすることなど、何百年ぶりのことであったからだ。
人間の少女とは、京都でも会話自体はしたこともあるのだが、それはあくまで余興として、個人的な戯れの一貫でしかなかった。
(対等の関係として──人間と話すのは、やはり懐かしい……?)
しかし、それにしたってこの
──この少女は、未知に対して恐怖を抱くのではなく、まずは関心を憶えようとする。
それを好奇心が旺盛だ、と形容すれば陳腐な表現にはなるが、なかなかどうして、容易く出来たものではないと羽衣狐は考えてしまう。
「あやかし、って……妖怪のこと? バケモノとか、鬼とか」
「なんじゃ。この世界にも、その単語くらいは存在しておるのか」
「おとぎ話の中で、ね。実物を見るんは、初めてや」
それもそのはずである。この世界には一切として妖気がなく、妖怪はおそらく、次元を漂流して来た羽衣狐しか存在していないのだから。
「うち、妖怪ってもっと、グチャグチャしたモノだと思ってた」
「妾達のいた世界では、妖は、さほど珍しい存在でもないのだ」
「妖怪ってやっぱ、人とか襲うん?」
肩を縮めながら、はやてはそんなことを訊ねていた。
羽衣狐も、この少女には、面と向き合うだけの〝価値〟があると思い始めていたのだろう。虚言を交えず、はやてに純然な言葉を返す。
「そのような種族もおる、ということは否定せぬ。山吹乙女も、昔は妖であったようだしな──」
「え、乙女ちゃん、もしかしてヒト食べんの?」
「うむ」
だがそこで平然として、羽衣狐が虚言を吐いた。
脳裏の乙女が慌て出す。
(ちょっと! そんなワケないじゃないですか!)
(フハ! この娘信じきっておるぞ。一瞬で貌が蒼くなりおった)
(羽衣狐!)
──
乙女が指摘する傍ら、はやては蒼然として、手を口に当てながら「うそぉぉー……」とぼやいていた。
おおよそ、山吹乙女が人間を頬張っている絵面でも想像しているのだろう。
「まあ、冗談じゃ」
「あっ、良かった」
ほっ、と息を吐くはやて。
「妖にも様々な種族が存在する。そなたの言う通り、人を喰ろう妖もいれば、現世に未練を残し、
「幽霊? てことは、ヒトを驚かしてたんかな?」
「いや。江戸時代、鄙に弾き出された貧困者達を己が身ひとつで養っていた。その多くは、そなたのような幼子であったようでな」
乙女と意識を共有している羽衣狐は、乙女の記憶さえ共有していた。
そんな過去の話に、じんとはやては胸を打たれる思いだった。だから、あんなにも優しいのだろうか。だから──時たまに〝ケチ〟なのだろうか、と。
「それでー。今は、羽衣狐さんなんやろ? 乙女ちゃんには、ふたりはいつでも入れ変われるん?」
「しようと思えば、な──」
「──お互いに必要がある時は、こうして入れ替ろうって、ふたりで決めてあるんですよ?」
はやては目を丸くして、いつものように、朗らかな笑顔を浮かべるその女性の変化に気付いた。
先ほどまでの、冷ややかで幽艶な笑顔と違って、こちらのそれは、暖かで優艶な笑顔だ。
「……すっごい」
「はやてちゃん、言っておきますが、私はヒトは食べませんからねっ」
念には念を押す山吹乙女。
よほど、誤解されるのが嫌だったのだろう。
そして、そうこうしている内に、ふたりは自宅へとたどり着いていた。
ヤクザの徒党とのゴタゴタを経て、ふたりが八神家に帰り着いた時、時刻は既に午後七時を回っていた。
すっかりと日は沈み、辺りの闇を街灯の光が照らしている。
その闇の中で、乙女が八神家の玄関を開けた。
「ただいま~」
はやてが先に帰宅し、リビングに顔を覗かせた。
だが、部屋の電気はすべて消えていた。より正確に云えば、点灯された形跡がないのである。
「シグナム? ヴィータ?」
はやては早速、居間へと向かい、守護騎士達の名前を呼んだ。
「シャマル~? ザフィーラ~?」
だが、誰ひとり返事はしなかった。
辺りは闇に包まれているというのに、リビングのカーテンは閉められていない。つまりこの家には、日が暮れる前から既に誰もいなかったということになる。
「みんな、お留守ですかね? せっかくお買い物して来たのに」
「うん、残念やなあ」
羽衣狐は、この事態に異変を感じていた。
(……妙じゃ)
(はい?)
(
(ですね~。でもまあ、みなさん、最近は用事が出来て忙しいと仰ってましたし……)
(それにしても、じゃ。赤毛のヴィータは、辻褄が合わん)
ヴィータは今、老人たちとゲートボールの練習に向かっているはずである。寄合で集まったそれは、とてもナイターに対応した正式なグラウンドを借りて練習しているわけでもなく、外が暗闇に包まれた今、ゲートボールなど出来るはずもない。暗くなればボールの行方が分からなくなり、早々に解散するはずである。
(あの獣人とて、あの耳がある以上、無用な外出なぞせぬであろう)
人型で獣型をとっても、何かしらの違和感が残る容姿を持ったザフィーラが、不用意に街をうろちょろする訳もないだろうと羽衣狐は踏んだ。
──何かがおかしい。
そもそも、守護騎士達が虚言を吐いている可能性があることを、羽衣狐は前々から予期していた。彼女達の云う「用事」などそもそも存在せず、何か、自分たちに隠し事をしているかもしれないと。
(……探しに行くぞ。なにやら、きな臭い)
(は、はい。わかりました)
指示を受け取った乙女が、はやてちゃん、と呼び、彼女を呼び止める。
「私達、みなさんを探して来ますね。辺りは暗いし、特にヴィータちゃんが心配です」
「あ、うん……」
乙女は踵を返し、さっき脱いだばかりのローファーをを履き始める。
立ち上がり、乙女が振り返る。はやてをひとりにしてしまうことを申し訳なさそうに、
「寂しい思いさせて、ごめんね」
そう言い残して、玄関を飛び出した。
それは不気味な光景であった。
夜の灯火に、街の夜景は華々しいのに対し、それはどこか濁ったようにさあと静まりかえっている。
結界内の────海鳴市街地だ。
赤色の騎士甲冑に身を包んだヴィータが、白いバリアジャケットを着た少女──高町なのはに、猛攻を仕掛けていた。黒鉄の伯爵の異名を持つ鉄槌〝グラーフアイゼン〟を使った怒濤の連撃は、高層ビルの狭い間を、一陣の風の如く疾駆していく桜色の輝きを追いつめていく。
「いきなり襲いかかるなんて……! どこの子? どうしてこんなことをっ」
説得の言葉は続かない。
ヴィータは少女の反論を聞かず、相手の動揺や気の迷いも考えず、通り魔のように一方的な襲撃を行っていた。──〝蒐集〟行為である。
桜色の粒子を、夜空に散らせながら飛行するなのはは、可憐な容姿には見合わぬほど巧妙な空中戦術を駆使し、ヴィータの攻撃を回避していく。
「話を──」
そこで初めて、なのはが反撃に打って出た。
赤く輝く真珠が特徴的な砲杖型デバイス〝レイジングハート〟のマズルを構え、照準をヴィータに固定すると、桜色の魔力を収束させていく。
構えられた砲撃魔法に、反射的な危険を察知する。
夜空の星辰の集うが如く、レイジングハートには、莫大にして強大な魔力が凝縮されていた。
「聞いてってばぁ!」
収束された魔法砲撃が、ヴィータへと飛んでゆく。
高町なのはの多用する砲撃魔法「ディバインバスター」である。
熱光線は、さほどの質量はないように見えるが、その分、掠めただけで十分に吹き飛ばされるほど高度に圧縮されている。
圧倒的な砲撃魔力。
──これを、あんなにも小さな女の子が、平然と放てるというのか?
間違いなく、高町なのは、という魔法少女は、魔導師としては有望である。だからこそヴィータは、彼女のリンカーコアに目を付けたのだ。
「クソッ、この!」
砲撃の余波に、ヴィータの深紅の帽子が吹き飛ばされた。
それが、ヴィータの戦意を沸騰させた。
瞳孔は全開され、瞳の色を蒼色に豹変させる。
鉄槌の騎士の、猛撃が始まった。
「──!」
応戦するなのはが、恐怖と焦燥に飲み込まれ、気圧されていく。
精神状態において、既になのははヴィータに負けていた。
囮の遠距離攻撃に少女が牽制されている隙に、鉄槌による攻撃を仕掛ける。
激情状態とは思えない正確無比の攻撃。
それこそ────〝歴戦の戦士〟を思わせる戦い方だ。
感情と戦闘技量。ふたつのチャンネルは全く別々に構成されているようで、片方に飲み込まれたり、干渉されていることはない。
「コイツ、早く墜ちろ!」
「くぅ……っ!」
様々な攻撃を次々と繰り返し、ヴィータはなのはを追い詰めていく。
猛攻に焦り、なのははヴィータからの距離を取ることに精一杯だった。
才能があるとはいえ、まだ魔導師としては年季もなく、未熟な彼女には、砲撃魔導師としての、弱点らしい弱点も残っている。接近戦が明らかに苦手なのだ。
「そこだっ!」
空中に散らされた魔力弾が、正確に、なのはの退路を防ぐ。
なのはが逃げようとすれば、その脇や四方八方から虚仮威しの魔力弾が接近し、回避しようとなのはが身を翻した先に、ヴィータが回り込んでいた。
鉄槌を構えたヴィータを正面に捉え、なのはは無意識にバリアを展開した。
その行為が、如何に無謀なことなのか、悟れなかった。
鉄槌の騎士ヴィータに、今まで撃ち抜けなかった障壁はない。最強の矛を相手に、なのはの展開した障壁は、あまりに役不足だった。
バリアが、まるでスチロールのように、あまりにも簡単に破壊された。
ガラスの粉砕したような鮮烈な音を立て、なのはの身体は衝撃の余波に吹き飛ばされた。悲鳴を上げ、壁に激突する。
「トドメだ!」
高層ビルに突っ込み、噴煙の中、満身創痍の対象の姿を捉えるヴィータ。
被弾した相手に向け、ヴィータはグラーフアイゼンを振りかざし、突撃を試みた。
鉄槌が、怒りの矛先が、激しい勢いで振り下ろされる。
「すべては、はやてのためだ!」
だが──
「──そこまでです!」
鉄槌を振り下ろすよりも前に、ヴィータの身体が、一陣の雷光に阻まれた。
キッ、と視線をあげ、妨害相手を誰何すると、金髪の髪をなびかせた黒衣の少女がそこに立っていた。
黒き雷光をまとわせた大斧を構えているその少女は、すぐさまヴィータはをなのはから引き離すため、急降下とともに攻撃を仕掛けた。攻撃を回避し、いったん後退するヴィータ。
(こいつらも、時空管理局の魔導師か……?)
「あなたは、ここしばらく起きている通り魔事件の犯人ですね?」
黄金の閃光のごとく、黒い少女は凄まじい速度で、後退するヴィータの背後に回り込んでいた。
「──!?」
「時空管理局局員、フェイト・テスタロッサ。──嘱託魔導師としての権限を行使し、あなたを逮捕します」
この少女もまた、先程の少女に負けじとも劣らぬ才能を感じさせる。
いや、実戦経験だけであれば、フェイトはなのはを完全に上回っているのだろう。彼女の誇るスピードには、ヴィータも肝を抜かれる。
背後から繰り出された大斧の一閃を、ヴィータは体勢を反転させ、巧妙な転回によって切り抜けた。
「へへ……次から次へと、いい素材が集まって来てくれちゃってよ」
「……素材?」
ヴィータは巧みに身体を反転させ、姿勢を制御した。
フェイト・テスタロッサの最大の武器は、スピードである。
一方で、高町なのはの強みは、その底知れぬタンク並みの魔力内蔵量と、放出魔力魔力のコントロールである。
この金髪の少女も近接戦を得意としたの魔導師である。接近戦を好むヴィータとの相性を考えると、なのはとの一戦よりは、拮抗した戦になることが予想された。
「なのははわたしの友達だ。彼女を襲ったあなたを、わたしは許さない!」
「ハッ! オマエも返り討ちにしてやるよ。この鉄槌の騎士、ヴィータがな!」
「いいや、そうはいかないよ!」
その言葉をヴィータが訝しんだ時、彼女の背後から、圧縮された魔力が急迫して来た。
ヴィータは咄嗟に振り向き応戦しようとするが、突出した速度に制され、反撃はできず、飛来した他の魔導師の〝拳〟を防ぎぬこうと考えた。
「バリアブレイク!」
その闇討ちを仕掛けたのは、フェイトの仲間である、使い魔のアルフだ。
バリアブレイクという文字通りの破壊魔法を使い、バリアを展開したヴィータを大きく吹き飛ばす。
「ぬわああっ!? お、おまえ、大勢で仕掛けてくるなんて卑怯だぞ!」
「通り魔の云うことですか!」
返されたのは、にべもない声。
フェイトは多くの雷槍を出現させ、姿勢制御を失っているヴィータに向けて撃ち放つ。
頑是ないその容姿に見合わない、無情な追撃だった。
バリアを破壊されたヴィータには、それに抗う術はなく、雷の槍に貫かれた。
そのまま、ビルの壁面に貼り付けられる形になった。
「う、ぐ……!?」
「観念して。あなたの負けです」
バチバチと、雷電を帯びながら、ヴィータの胸を貫いている雷の槍。
槍という形状が胸に突き刺さっているが、物理的な痛みはなく、出血もない。その代わり、外部からの魔力を遮断する騎士甲冑はほとんど役目を為さず、内部から雷に焼かれる様な痛痒が、全身を迸る。
(は、はや、て……!)
脱出の術は、既になかった。
現在、ヴィータが仕留め損ねた高町なのはは、フェイトと同様に、この場に駆け付けたユーノ・スクライアという少年の回復魔法による治療を受けており、再起してくるまで、そう時間は掛からないだろう。
(ご、ごめん、はやて……。あたし、もう……)
──ここまでなのか。
諦めかけたその瞬間、絶望の淵からヴィータの手を握ったのは、上空から放たれた紫色の轟炎であった。
熱波は凄まじい勢いで上空から降り注ぎ、不意を突かれたフェイトとアルフに襲いかかる。危険を感じ、ヴィータから距離を開いた二人を余所に、甲冑に身を包んだ、シグナムとザフィーラが現れた。
シグナムは急降下によるスピードに烈火の斬撃を乗せ、フェイトを剣戟で弾き飛ばす。
その傍ら、ザフィーラもまた同様に、拳によってアルフを吹き飛した。
敵との距離を置き、現れたふたりは、冷ややかな声と目線でヴィータを質した。
「どうした、ヴィータ。らしくない失態だな」
「う、うるせぇよぉ……。こっから、本気を出すつもりだったんだ!」
「問題はそれ以前だ。魔導師は襲わないと、我らの中で契りを交わしていただろう」
ことの次第に焦ったヴィータが、問答無用に魔導師を襲った。
今回はシグナムとザフィーラは、その尻拭いにつき合わされているようなものである。
「だが、まあ、説教は後回しにしてやる」
ヴィータは不機嫌そうに、ふいと視線をそらす。
そうして、再び彼らは対峙した。
シグナムが剣型デバイス〝レヴァンティン〟をかざす。
「レヴァンティン、カートリッジロードだ」
圧縮魔力を充填した弾丸を装填した魔剣は、ベルカ式カードリッジシステムによって、魔力がブーストされ、一時的な強大な魔力を帯び始めた。
魔の斬撃、紫色の爆光を纏いし魔剣の刀身が、フェイトへと襲いかかる。
爆光と雷光。レヴァンティンとバルディッシュが激突する。煌めくレヴァンティンの剣戟を、バルディッシュが受け止めた。
それが、どうした。
「────!」
カートリッジをロードしたレヴァンティンの斬撃を受け止めるには、今のフェイトの技量と、バルディッシュの誇る強度では、あまりに役不足だった。
重厚な衝撃を受けたバルディッシュの刀身は、斬撃に半ばから叩き折られた。
同時に、その剣圧に、フェイトが吹き飛ばされる。勢いに抗うことは出来ず、フェイトは巨大なビルディングに重力の方向に叩き付けられ、幾多ものフロアを貫通しながら墜落していく。
「フェイト!」
アルフが助けに向かう──が、
「行かせんよ」
その行く手を、ザフィーラが阻んだ。
「おい、シグナム。ルーキーを相手に、おまえが全力出すなんて」
守護騎士の目的は、あくまで蒐集に過ぎない。
それこそが、守護騎士に課せられた任務であり、すべてだ。
結界は張った状態では、街の建造物をどれだけ破壊しようと大した問題ではないが、殺人まで行こうものなら、話のレベルが違ってくる。
蒐集していい、と云って、人を殺めていい、という問題と同義ではないのだ。
フェイトが突っ込んでいった高層のビルディングは、彼女が思ったよりも損壊がひどく、傾き始めている。
「あんなモンの倒壊に巻き込まれたら、誰だろうと、命の保証はないぜ?」
「心配はない。あの黒い魔導師は、この程度でやられる魔導師ではないと見た」
「そりゃあまあ、随分と買っていらっしゃるようで」
それは歴戦の騎士の直感であり、技量の成せる業だった。
僅かな合間の戦闘で何かを見つけ、見出し、そして、見抜く。
「フェイトちゃん!」
ユーノの回復魔法によって、前線に復帰したなのはは、遠方からフェイトの名を叫んだ。
その時だ。声に呼応するかのように、黄金の閃光が、外壁を突き破って現れたのは。
コンクリートの破片が無数に鏤められ、倒壊しゆくビルの内部より、フェイトが外壁を魔法で突き破って脱出を試みる。ショッピングセンターは、中心の柱でも失ったのか、完全に重心を失い、倒壊を始める。
「あーあー、すごい景色だなぁおい」
「外壁が破れ、倒壊が早まったか」
傾斜していくそれは、既に建築物として認識するのは不可能だ。
崩壊が進み、空中に投げ出された姿から表現、もはやただの瓦礫・コンクリートの塊でしかなかった。
歩行者天国が構えられた地表へと、それらの粉砕片は落下して行った。
海鳴市の界隈、喧騒な街中にて、山吹乙女が彷徨としていた。
この街は、夜になると一層として活気が増していた。仕事を終えた大勢の人の往来が出来、辺りを見渡せば多くの者が酒気を帯び、街から溢れる騒ぎ声や車の音、絢爛な街明かりが、夜を遠くへ遠くへと押しやっているようにも思えた。
乙女にとっては、初めて足を踏み入れるような世界であった。羽衣狐と共存していなければ、街の波に飲み込まれてしまいそうだ。
(……連中の〝匂い〟は確かにする。存外、この付近にいるはずじゃ)
羽衣狐達には知る由もないが、同時刻において守護騎士達は──「結界」の中で戦闘を繰り広げていた。
結界とは──魔導師同士に戦闘において、一般人から姿を暗ますことのできる魔法である。かたぎへの大規模な被害や、無用なパニックを抑えるために用いられ、周囲一帯に展開することによって、たとえ、なのはとヴィータが上空で苛烈な戦闘を繰り広げようとも、結界の範囲内であれば、一般人にその戦闘が目撃されることはないのである。
追説すると、結界内では、高層ビルをどれだけ破壊しようとも、結界を解けば、それはまるで何事もなかったかのように、無事な状態に戻っていることになる。
「でも、見当たりませんね?」
(妙な邪気がある。まるで、姿を暗ましているかのような)
実際の所、乙女と羽衣狐が彷徨っている地点は、シグナムらのいる戦闘空域の直下であった。
しかし、結界が展開されている以上、一般人と同等の力しか持たぬ山吹乙女には、その存在を感知することはできない。
だが羽衣狐は、ここで違和感を感じていた。
──この「
其処にあるはずなのに、こちらからは〝視〟えないという、不思議な力を。
「妖が凡人には見えない存在であるというのに、そんな妖にも、見えない存在などあるのでしょうか?」
霊感のある人間でなければ、妖の類を目視することは難しい。山吹乙女は、かつて長らく幽霊であったことが因果して、霊感の強い人間に生まれ変わっているが、その相方である羽衣狐に至っては、正真正銘の妖だ。
乙女には霊感があり、羽衣狐が妖である以上は、「其処にいるのに見えない」なんてことがあるのかと、乙女は怪訝な表情を浮かべた。
(〝邪気を消す邪気〟が使われているのなら、それは可能となる)
(私達から、見えないようにするために?)
(
羽衣狐の言った「畏をもって畏を破る」とは、その言葉の通り、似た性質の類の力で、同種の業を打ち破る方法のことだ。気合いの類でしかなかったものを、同じ気合いで吹き飛ばすも同義だ。
(妾とあの娘に隠れ──いったい何をしておるのやら)
守護騎士達は、何か、はやてに隠しごとをしている。
──それをここで、突き止めてやるいい機会だ。
弱みを握るといえば語弊にはなるが、失態でも把握すれば、少しは彼女達も身を弁えるだろうと。
(妾が〝畏〟を発す。──騎士達の邪気を、討ち祓ってやろう。それで姿が見えなければ、宛が外れたということじゃ)
(では、交代しましょうか?)
(いや、このままでゆこう。そなたが憑依しておれ)
乙女は首を傾げた。
(妾の正体は、今までヤツらには隠し通して来たのじゃぞ? 色々と面倒だ)
乙女がここに来た当初の目的は、守護騎士達に帰宅を言伝するためである。
いったいなぜ、ヴォルケンリッターが不可視の状態で居るのかは知らない。
だが、可視状態となった時、帰宅を促すのが口調の違う羽衣狐であった場合、彼女たちはそれに対して当惑するだけだろう。羽衣狐はそう読んだ。
──だが、それこそが、浅はかな考えだった。
彼女達ふたりは、どうして守護騎士が結界の中にいるのか、その要因を、考えもしなかったのだ。
羽衣狐が畏を発動し、黒い波動が周囲一帯に広がってゆく。
それは、一種のソナーのような波動であった。
黒い波動が広がれば、同じ類の邪気に反応して、その反響が戻って来る時間から逆算して、騎士達の地点を割り出す。
反響が戻って来たその早さ。
そして、守護騎士の近さに、驚かされた。
「なっ…………」
反響した畏が示した、守護騎士たちの所在。
そこは、羽衣狐の。
いや────
羽衣狐が、咄嗟に顔を上げる。
得体の知れない無数の
それが瓦礫・鉄塊の塊であると判断するのに、羽衣狐は、そう時間を必要としなかった。
この瞬間、山吹乙女が──結界の中に介入した。
それも、墜ちてゆく瓦礫の真下を、位置取りながら。
「えっ…………?」
(まずい…………!?)
乙女は、突如として、自身の頭上で響き始めた奇怪な音を聞き取り、顔を上げた。
無数の巨大質量の塊が、まるで空中を転がるように、落下して来ている。
その正体が、乙女はすぐ判断できず、隕石が落下してきているのような、未曾有の事態に、激しい動揺と混乱に苛まれる。
倒壊していく瓦礫の行き先を、偶然にも見届けていたヴィータは、蒼然として、突如、地表に現れた女性に目をぎょっと開いた。
「おっ、おい……? あれ、まさか……っ」
声は震え、瞳孔がぐわっと広がる。
蒼然とするヴィータの横に佇むシグナムは、その視線をフェイト・テスタロッサに固定しており、震撼した様子の声に気を配っていなかった。
「オイ、嘘だろッ……? なんで、なんでアイツが? やべえって!?」
間違いじゃない。見間違いでは、ない。
あそこにいるのは、山吹乙女だ。
──やばい。
その言葉に限られた。
──あのままじゃ、乙女は……!
「待て! 待てぇぇぇぇええええっ!」
──瓦礫の山に、潰される!
ヴィータは無意識に、倒壊していく瓦礫の山を追跡した。
その挙動に虚を衝かれたように、シグナムもまた、ヴィータの視線の先に目を遣り、そして、青ざめるように目を見開いた。
「な……! なぜ、山吹乙女が!」
一般人である彼女がどうして、この結界の中にいるのかは分からない。
どうしてこんな時間帯に、彼女があそこにいるのかも分からない。
血相を変えたシグナムに、なのはもフェイトも訝しみ、そして、地表にいるひとりの女性の姿をその目に捉えた。
「う、嘘!」
「民間人!?」
管理局側の魔導師は、考える間もなく、高速魔法での民間人の救出に奔走した。
特に、スピードでは他群を凌ぐフェイトの高速飛行は、先に彼女の救出に向かったヴィータを追い越し、黄金の雷光の如く、地表への急降下を開始した。
墜落する瓦礫の真下で、羽衣狐は血相を変え、乙女へと叫んだ。
(山吹! 今すぐ代わりゃぁああ!!)
「ぁ、ぁぁっ……──ぁああっ…………─────!!」
だが、羽衣狐が懸命に呼びかけても、乙女は唖然として、茫然として、その場所に立ち尽くしていた。突然の時代に頭がついていけず、身体が動かないのだろう。
おそらく混乱して、羽衣狐の呼び声さえ、今の乙女の耳に届いてはいないのだ。
羽衣狐は、ひたすらに「交代」を呼びかけた。
彼女の力があれば、迫りくる瓦礫の山など、一切の脅威ではないからだ。
しかし、羽衣狐がどれだけせがんでも「交代」は成立しなかった。ふたりの間で交わされる「それ」は、両者の合意の上でなければ、成立はしないことになっているためだ。
今の乙女の自我は、目の前の現実への恐怖によって、どこか極地へ吹き飛んでいる。
羽衣狐の懸命な叫び声も、その耳には入っていなかった。
(何をしておる! このままでは、アレに押し潰されて死ぬぞ!?)
「いやっ……いや……!」
──『死』──
その言葉を脳が聞き取ると、彼女の自我は、ようやく事態を虞れた。
──このまま、何もしなければ死んでしまう!
事態への危惧を感じ取り、乙女は無意識に──
瓦礫から逃げること。
それよりも
「山吹ぃぃぃぃいいいい────!!」
(山吹乙女、本性を現すか……?)
ヴィータが声を上げ、懐疑したのはザフィーラ。
シグナムも今になって漸く、降下を開始していた。
その中でも、もっとも速き移動能力を持った空を掛ける一陣の雷光、フェイト・テスタロッサも、しかし、降下の開始位置が悪かったか、行く手を残骸に阻まれ、思うような速度が出せなかった。
その結果、その場にいる誰ひとりとして、
間に合いは、しなかった。
ドゴオオォォォォォォン…………ッ
瓦礫の山が、逃げ惑っていた山吹乙女の姿を、包み隠した。
ガシャン、ガシャンと。コンクリートや鉄塊が絡まり合う轟音と共に、噴煙が大きく巻き上がり、SF映画の実演のような、壮観にしては、あまりに残酷な景色が現実として突き付けられた。
唖然とする魔導師達に、敵も味方も、区別や関係はなかった。
──彼女を、救えなかった。
その事実だけが無常にも突き付けられ、その場には、虚無な静寂が訪れた。
しかし、そんな中でただひとり、ザフィーラだけは、それを違った目で見据えていた。
(……本当に、終わったのか?)
──これが、あの女性の末路か?
この瞬間が、彼女の終着点となってしまうのか?
──我の考えが正しければ、あの女は、まさか、こんなところでは……。
ショックを受けたのは、守護騎士も、管理局の者も隔たりはなかったが、それでもやはり、心理的苦痛を激しく被ったのは前者だった。
山吹乙女は、守護騎士達にとっての先人である。騎士達よりも、はやての「家族」になってからの年月が長い。それだけでなく、家事も碌に出来ない騎士たちと違って、日常生活において、はやてに対し、もっとも家族らしい貢献をしてくれているのが彼女だった。
結果的に〝これ〟は、はやてから、そんな山吹乙女を、永遠に取り上げたのと同義ではないだろうか?
結局、最低にして最悪の結末に帰結してしまったのではないのだろうか。
「くうッ────!!」
誰よりも、ヴィータが一番深い絶望を味わっていた。
『──あんなモンの倒壊に巻き込まれたら、誰だろうと、命の保証はないぜ?』
数分前、ほかならぬ自分自身が放った言葉が、何よりも呪わしい。
自分よりも長く、はやての家族であった乙女が、鉄塊によって潰された。
魔法を使えない彼女が、生きている保証はない。
絶望と同時に、血が沸騰するように激しい怒りが生まれ、誰が悪いのかも、残酷な現実に対する鬱憤のような憤慨を、目の前にいる〝敵〟にぶつけるしか出来ない。
「よくも、よくも山吹をぉぉぉぉーー!!」
──違う。
なのはも、フェイトも。
目の前にいる敵は悪くない。
こんなのは、八つ当たりでしかない。
そんなこと、わかっていた。それでも……
認めたくない、非情なる現実。
いったい、誰が悪いのだ?
建物を倒壊させる大技を繰り出したシグナムか?
建物内部より脱出し、倒壊を速めたフェイトか?
何の前触れもなく、あそこに現れた山吹乙女か?
……。
…………。
………………。
いや、そもそもの要因は。
こんな戦いを起こした──自分自身ではないのか?
受け入れることも、受け止めることもできない現実。
「アイツは優しくて! 料理が上手くて! 機械音痴で天然で……! すげぇいい奴だったんだぞぉ!」
一風変わった女性であったけれど、それでも彼女は、誰に対しても温厚で、八神家の母だった!
ヴィータが膂力を振り絞り、渾身の力でグラーフアイゼンを構えると、目前にいたフェイトへと襲いかかった。
ザフィーラもまた、乙女の行方と生存を吹っ切り、諦めたように、アルフの方を見直して戦闘態勢を取った。
「あんたも、今の女の知り合いなのかい! 悲しくはないのかいッ!」
「…………」
「答えな! こんな無意味な戦い、何になるってのさ! ひとりの人間が、あんたらのせいで死んだんだ!」
この者達が、突如としてなのはを襲った理由もわからない。
戦闘の中で、関係ないはずの民間人は不慮の事故で亡くなった。
挙句の果てに、その民間人は、相手側の知己だという!
こんな無意味な戦いを、本当にに続ける意味があるのか?
「理由がある。我々は厭わない……目的のために、我らは戦うのだ」
ザフィーラは何も変えず、何も変わらず、ただ、戦闘態勢に構えた。
血塗られた世界。真紅に彩られた紅蓮の蔓延った世界に、羽衣狐は居た。
この空間は、山吹乙女と羽衣狐の「ふたりだけの空間」だった。
肉体に憑依していない側の魂が、休息と安息を司る場所。守護騎士が現れてからは、羽衣狐がこちらの空間にいることが多くなったが、彼女たちは交代交代に、この世界と現実世界を往行しているのが真実だった。
決して不自由な空間ではなかった。
これといって特別な力が作用している空間でもないので、別に半日を過ごすだけの暇潰し道具の置いてある空間ではないのだが、狭くもなく、広過ぎもせず、ひとりが暮らして行くには充分な空間だった。
だが、今のこの空間は、羽衣狐にとっては妙に広く感じ取れた。
物理的に拡張されたのかどうかは、測りようがない。
だが、そこら中が血なまぐさく、瓦礫の山が転がり、足の置き所もないほどに荒廃してしまっていた。
鼻がもげるような異臭に耐えながら、羽衣狐はその空間を彷徨し、山吹乙女を捜し続けていた。
(山吹、山吹乙女……!)
おう、おうと、意識体である羽衣狐が、必死になって乙女の名を呼ぶ。
ここで過ごしている彼女は、乙女の肉体から離れた、彼女本来の姿だった。
平安の着物に身を包み、同じく黒く麗しい長髪をもった、美しくも艶やかな女性。
(どこじゃ、どこにおる? 返事をしいや、山吹乙女……っ!)
散らばった瓦礫の陰を探しながら、羽衣狐はおろおろと、辺りを探し回る。
散らばった瓦礫が、見通しを悪くしている。
それらを九尾で一掃できれば楽なのだが、乙女を巻き込みかねないゆえ、それも出来ない。
それからしばらくして、羽衣狐は、瓦礫が最も多く飛散し、どこよりも荒廃が悲惨な地点にて、横たわる着物姿の女性を発見した。
江戸時代の着物に身を包んだ、乙女だった。
「ああ」
彼女は積み上げられた瓦礫の合間に、偶然にも生まれた隙間の中で横たわっていた。
瓦礫が、彼女の身を庇うかのように積み重なっている。
「山吹乙女や……目を、目を開けよ……ッ」
羽衣狐は即座に九尾を使い、彼女を守るように覆い被さる瓦礫の塊を、跡形もなく消し飛ばした。
もしもあの時、彼女たちが交代していたなら、降り注ぐ瓦礫もこのような末路を辿っただろう。
「返事をしろ……! そなた、こんな所で……!!」
……
…………
………………
……………………
(あい、すまぬ……! 妾が、畏さえ…………ッ!!)
それが、羽衣狐の中で〝何か〟が壊れた瞬間だった。
<b>ドゴオオォォォォォォオオン…………ッ!!!!</b>
その瞬間、倒壊した建造物の中心から、鮮烈にして燦然とした輝きが巻き起こり、大きく瓦礫が爆ぜた。
「「「「「「 ─────!? 」」」」」」
一同はぎょっとして、その現象に目をむいた。
「何だ!?」
「山吹……? 生きてんのか、山吹!」
「爆発した……?」
ヴィータは無邪気に表情を綻ばせたが、シグナムはその爆発に、明らかな違和感を感じ取っていた。
乙女が結界に介入できた要因を差し置いたとして、彼女が一般人であることは明白だ。何かしらの力を隠し持っていたとしても、瓦礫に押し潰されてしまう前に、それは露見しているはずだ。
すぐさま、爆発の発生源へと向かおうとするヴィータを、浅慮だとシグナムは非難した。だが、ヴィータは止まらなかった。
それを制したのは、遠方で待機していた、シャマルによる念話通信だった。
『ヴィータちゃん、ダメ!』
「シャマル! 見てたのか?」
『ヴィータちゃん、そこから離れて!』
問答無用で、一方的に要求を突き付けるように、シャマルは叫んでいた。
「な、なんでだよ! あそこには、山吹がっ」
「もう違う! ヴィータ、下がれ!!」
ザフィーラが血相を変えて、ヴィータへと呼びかけた。
ヴィータには、ザフィーラの言葉の意味が理解できなかった。
──もう違う?
それは、どういう……。
『闇の書が、爆発の発生源に〝共鳴〟してる……? 凄まじい邪気が、あそこにあるってことなのよ! 何が起こるか分からない!』
「管理局の魔導師! おまえ達も、そこから下がれ!」
「え……?」
ザフィーラは、敵であるはずのなのはとフェイトにもそう呼びかけた。
その理由は、ただひとつ。
戦意や敵意。
悪意や殺意。
怒気や魔力や妖気を越えた「瞋恚」が──そこには、溢れている。
憎悪が空気を支配する。
背筋が凍るように、世界が冷え切った。
ザフィーラは叫び、たじろぐヴィータの回収し、即座に上空へと逃げ込んだ。ひとまず、距離を取った。
次の瞬間、強靱なる八本の筋のようなモノが、瓦礫の中心で旋回し、扇風機のように瓦礫を巻き込んだ。
無数のそれを木っ端微塵に引き裂いて、跡形もなく消し飛ばす。
突風、否、邪気の大波が、ザフィーラ達を一瞬で飲み込んだ。
風圧に押され、呼吸さえ出来なかった。
爆発地点から最も近い空域にいたフェイトが、暴風に怯んだ。
その瞬間、一本の筋が、噴き上がる噴煙の中から高速で飛来し、彼女の身体を無慈悲にも叩き飛ばした。
「がッ!?」
吹き飛ばされたフェイトは、信じられぬ速度で高層の建造物を、次々と貫通していく。
「フェ、フェイトちゃんッ!?」
「不用意に動くな、おまえ!」
「何だ…………この殺気は……ッ!?」
ザフィーラが、柄にもなく戦慄する。
脳天が冷え切っている。
背筋まで凍りつく威圧感。桁違いの憎悪と殺意に脅されているように。
気を強く持たねば、意識を丸ごと持って行かれそうな、鋼鉄のように冷たい眼光。
「あ、あれが……〝山吹乙女〟だって、云うのか……?」
「我ら夜天の守護騎士を、畏れさせているのか……山吹乙女!」
夜天の地上に、黄金が羽ばたいた。──煌めき、光翼の如き耀きを放つのは、狐の九尾。
ドロドロとした漆黒の邪気を身に纏う。
純然たる漆黒の乙女は、無慈悲なる暗黒の使者を連想させた。
街の灯里に照らされて、眩いばかりに輝く九尾は、それ自体が金色の太陽のようで、夜空に浮かんだ月輪と、対照的な輝きを放つ。
ヴィータの中の血の気は失せ、ザフィーラは、自慢の腕をわなわなと震わせている。
本能的に感じ取る、反射的な──
────〝おそれ〟
一同が瞠目する。
その瞬間、憎悪に駆られ、漆黒に包まれた「山吹乙女」が──立ち上がった。
「許…………さんぞ………………人間ッ!!!!!」
九尾を拡げた────
羽衣狐が、目を覚ました。