戦姫絶唱シンフォギア  Ace of Fist   作:HANK1989

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第1話 『再会』

 

 ツヴァイウイング。天羽 奏と風鳴 翼からなる当代きっての人気を誇るアーティストデュオ。

 ライブを行えば満員御礼。CDを出せば即日完売と、正に飛ぶ鳥を落とす勢いの二人組。

 今日も今日とて、とある街の一角に建造された巨大なアリーナで、表向きには二人のライブが開催されようとしていた。

 

 

「すっげーなぁ、おい。そんな人気なんだ」

 

 

 アリーナに続く長蛇の列の中頃に居た少年の呟きは、その他大勢の大合唱の前に掻き消えた。

 呟きから察するにツヴァイウイングのファンというわけではないようだ。ファンでもないアーティストのライブに来るなど、物好きもあったものである。

 

 

「きゃっ!?」

 

 

 その時、少年の隣に並んでいた少女が逸る客に押され、転び掛けた。

 

 

「っとと、大丈夫か?」

 

「は、はい! 大丈夫です、ありがとうございます」

 

「気ィつけな。ここで転んだら踏まれて怪我じゃ済まねぇぞ、多分な」

 

「す、すす、すみません! ありがとうございます!」

 

 

 腕を掴み、転倒を防いだ少年であったが声の響きには少女に対する興味や関心は全く感じられない。

 反して少女の方は自分の間抜けさと鈍さを披露してしまった気恥ずかしさからか、謝罪と感謝の言葉を繰り返していた。

 

 少女の方は明るい茶髪が外に跳ね、生来の明るさが滲み出たような笑顔が似合う顔立ちだ。

 今日のために気合を入れたであろう下ろしたての服は、彼女のライブへの期待を表したかのよう。

 

 少年の方は烏羽のような黒髪と顔を構成するパーツの一つ一つは美しさすら感じるにも関わらず、槍のように鋭い三白眼が全ての印象を吹き飛ばしている。

 海外ロックバンドのロゴが入ったTシャツと、ツヴァイウィングとファンに全力で喧嘩を売るような服装は、そのままライブに関する興味関心の無さを示していた。

 

 何から何まで対象的な二人であった。しかし、縁というものは不思議なものだ。これから二人の関係は長く続くこととなるのだが、当の本人たちですらまだ知らない未来の話である。

 

 それから暫らく、ゆるゆると進む列を無言のまま歩いていた二人であったが、少女の方が沈黙に耐えかねて口を開く。

 

 

「あ、あの、えと、お兄さん、お名前は……?」

 

「あぁ? 人の名前を聞くなら自分の名前を先に名乗れ。礼儀だろうが」

 

「ひぃっ、すみません!」

 

 

 ジロリと睨み、咎めるような視線と言葉に悲鳴を漏らして少女は反射的に謝った。礼儀を口にする割に、少年の言動に関してはまるっきりチンピラのそれである。

 

 びくびくと震えながらも少女は恐る恐るといった様子で少年を見るが、目付きは相変わらずであったが表情自体は穏やかで、彼女の予想に反していた。

 少年は少年でちらちらと少女の様子を窺っている。自身の容姿が他人を威圧することを十分に理解しているからだろう。

 

 

「ええっと、立花 響、です」

 

「おう。俺は但野(ただの) 一也(ひとなり)。よろしくな」

 

「タダノヒトナリ? え? あの、見れば分かりますけど、え?」

 

「いや、苗字が但野、名前が一也」

 

「う、ぇ!? あ、あああ、あの、すみませんでしたっ!」

 

「気にすんな。誰が聞いたって冗談みたいな名前だしな。最近流行りのキラキラネームって奴だ」

 

 

 かはは、と笑う一也。響のような反応など慣れっこなのだろう。

 その姿にほっと安堵の吐息を漏らす響は、見た目にばかり気を取られて怯えていた自分が馬鹿馬鹿しくなり笑いだした。

 

 二人は笑いを切っ掛けにライブ会場へ入場するまでの間、他愛のない会話を交わす。

 

 

「それで急にドタキャンされちゃって、こうやって一人で来ることになっちゃったんですよ。もう、あたし呪われてるのかなぁ」

 

「まあ、そういう日もあらぁな。気にしてたらキリねぇぞ」

 

「そういう一也さんは、どうして一人で?」

 

「いや、正直ツヴァイウイングなんざ興味ねぇんだがな」

 

「それは分かります。そのTシャツ着てくるとか正直どうかと思いますよ」

 

「やっぱぁ? ……まあ、なんだ。興味はねぇが野暮用がな」

 

「野暮用? それって、どういう――」

 

「次の方、チケットをご用意して入場お願いしまーす!」

 

「おっと、俺の番だ。じゃあな、もうコケんなよ」

 

 

 言葉の意味を問おうとした響であったが、一也は振り返りもせず手だけを振って会場へと入っていく。

 遠ざかっていく背中に彼女は疑問を覚えるばかりだった。ツヴァイウイングのファンでもなく、誰かの付き添いや付き合いという訳でもない。ならば、野暮用とは一体何なのか。

 そもそも何を野暮用と呼ぶのかは当人が決めること。ならば余人に過ぎない響がいくら考えたところで答えを導き出せる筈もない。

 だが、生来の生真面目さと真っ直ぐさ故に、入場からライブ開始直前まで頭を捻らせ続けるのであった。

 

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 舞台裏というものは舞台の華やかさに反して、実に地味で混沌としており、正に光に対する影のようなものだ。如何にツヴァイウイングのライブであっても、それは変わらない。

 会場の設営、ライブ開始までの舞台準備、ライブ開始後の演出打ち合わせ。より良いものを生み出すことに本気になれば自然空気も引き締まり、ピリピリとした緊張感に満ちていく。

 

 そんな空気に怯えるように、両手を組んで膝を抱えている少女が居た。体勢同様に、どこか沈んだ表情はそのまま彼女の心境を表している。

 彼女の名前は風鳴 翼。ツヴァイウイングの一翼を担う時代の寵児。

 まだ幼さの残る顔立ちであるものの、深藍色の髪をサイドで纏めた容姿は可愛らしいというよりも美しいと表現すべきだろう。

 

 

「間が持たないっていうか何ていうかさ、開演するまでのこの時間が、苦手なんだよね」

 

「……うん」

 

 

 膝を抱える翼に話しかけたのは、相棒にしてもう一翼――天羽 奏である。

 羽毛のような長い赤毛に、奔放さと優しさを形にしたような笑みの似合う少女だ。ファン曰く、元気づけられるような笑みが人気の秘訣、であるらしい。

 

 奏は翼の目に前にあった運搬用の小さなコンテナボックスに腰を下ろすと、足を組んで頭を欠いた。

 

 

「こちとらさっさと大暴れしたいのに、そいつもままならねぇ」

 

「そうだね……」

 

「ん? もしかして翼、緊張とかしちゃったり……?」

 

「あ、当たり前でしょ! 桜井女史だって、今日は大事だって……あぅ?」

 

 

 意地悪げな笑みを浮かべた奏の言葉に翼は精一杯の強がりであったのか、語気を荒げて返したが、ピンと指で額を弾かれ目を丸くする。

 

 

「かぁー! 真面目が過ぎるねぇー」

 

 

 翼の緊張と不安を吹き飛ばすように、奏は明朗快活な笑みと声を上げた。

 決してバカにしている訳ではない。励ましているつもりもない。ただ、そんなことよりももっと大事で楽しいことがあたし達にはあるだろうと言うように。

 

 

「おっ、いたいた。その癖っ毛は見間違いようがねぇわ」

 

「「…………?」」

 

 

 二人、というよりも、奏を見つけた少年は皮肉気な口調で声をかけた。

 少年の姿を見た二人が最初に抱いたのは不審だった。当然だ、ライブのスタッフでもなく、ある目的のために集った仲間でもない。どこからどう見てもただの一般人が、この場にいるのか。

 

 考えられる可能性は二つ。熱狂的を通り過ぎて狂信的なファンか、もう一つは決して表沙汰になることのない――――

 

 

「何だ、お前。迷ったってんなら、出口は回れ右して左だよ」

 

「ひっでぇ女。オレのこと忘れるなんざ、馬鹿通り越して痴呆かよ」

 

 

 敵意を剥き出しに奏は翼を庇うように前に出た。とてもアーティストの行いではない。ここはどう考えても悲鳴を上げるか、助けを求める場面だ。

 少年も少年だ。少女が放つには苛烈すぎる敵意を受けてなお、気にした様子など一切なく、無表情のまま仕草は呆れたように頭を掻いているだけ。

 

 少年の悪態に奏は苛立ちと同時に奇妙な感覚を覚えた。

 しかし、それは引っ掛かり程度。余りにも些細すぎて言葉にすることすら出来ず、剥き出した敵意は引っ込みがつかずにいた。

 

 

「……ここは関係者以外立ち入り禁止だぜ? てことはだ、何を――――」

 

「うるせー! そんなことオレが知るかぁ!」

 

「む、無茶苦茶な、……や……つ、ぅぅぅぅぅ……?」

 

 

 理屈にもなっていない感情、というよりも、魂の咆哮をそのまま言葉にしたような言動に、奏は語尾を持ち上げていく。

 余りにも無茶苦茶な、それでいて忘れていたフレーズは、奏自身の忌まわしい過去の更に奥底に眠っていた記憶の扉を開くどころか一撃でぶち破った。

 

 忘れていた――のではなく、思い出せなかったというべきだろう。

 その思い出は喧噪と歓喜に満ちていた。だが、その後に奏を襲った現実は余りにも悍ましく、余りにも悲しく、そして憎悪に満ちていた。

 人は喜びよりも悲しみを、愛よりも憎しみを、正よりも負に目を引かれる生き物だ。忘れてしまうのも無理はない。

 

 

「タダノヒトナリ…………一也?」

 

「おっ、ようやく思い出しやがったか、この薄情女」

 

 

 能面のような無表情を崩し、にっと笑う顔は、歳こそ重ねていたものの、奏の記憶に揺蕩うそれと寸分違わぬものだった。

 笑みを浮かべたものか、驚きを浮かべたものか、どうしていいか分からないといった風に、奏はふらふらと覚束ない足取りで一也に近づいていく。

 

 二人の関係を知らぬ翼は、普段では決して見られない、そしてこれ以後見られないであろう表情に茫然と眺めているしかなかった

 

 長野県皆神山。その麓にある村で二人は出会った。奏は両親に連れられて訪れた借宿であり、一也にとっては故郷に当たる場所だ。

 都会に比べて自然は多いが遊ぶ場所も道具も少なかった村での滞在は快活な奏には退屈ものでだった。その退屈していた奏に、自然の中での遊び方を教えたのが一也であった。

 元々、波長の合う性格同士だったのだろう。瞬く間に仲良くなった二人と奏の妹は日が暮れ、奏の両親が迎えに来るまで遊ぶ日々を続けた。

 

 

「は、はは、どうしたんだよ。私は忘れてたけど、3年も経って突然顔を見せに来るなんてさ」

 

「いやな、お前が有名になってんのは知ってたけどよ、どうやって会っていいか分からねぇ。で、今住んでるとこの近場でライブやるの聞いてよ。ツラ見に来た」

 

「そ、それだけかよ」

 

「まー、何だ。確認だよ確認。別れ際、遠目で見たお前のツラぁ酷かったからなぁ。声もかけらんなかったし、ずっと気がかりだったんだ」

 

「そっか。居たんだ、あの時……」

 

 

 楽しい日々が借宿を発つ日まで当たり前のように続くものだと奏は思っていた。

 しかし、当時の奏は知らなかった。どれだけ楽しかろうが、どれほど望んでいようが、日常など突然終わるものだと。

 

 端的に事実だけを言えば、村で起こったある事件で奏は全てを失った。尊敬し、敬愛していた両親も、守るべき幼い妹も。

 

 

「だが、安心したよ。いいツラしてるぜ、奏」

 

「お、おい、頭、撫でんな! あたしの方が年上だぞ!」

 

「だから何なんですかぁー。オレより弱いお前を、オレが気遣って何がいけないんですかぁー」

 

「ぐ、ぐぬぬ、思い出してきた。コイツ、こういう奴だった。しかも背まで大きくなりやがって、昔はあたしの方が大きかったのに……って、うわー、やーめーろーよー」

 

 

 一也はライブのためにセットされた髪を、くしゃくしゃと遠慮なく頭を撫でる。

 

 何とか抵抗を試みる奏であったが、純粋な腕力の勝負で男に叶う筈もなく、最終的には諦めてされるがままに任せた。

 普段はどちらかと言えば撫でる側の人間である彼女にとって、年下から撫でられるという行為は屈辱的でありながらも不快感だけはない。かつて皆神山の麓で味わったそれと何ら変わりない。

 懐かしさ故か、やめろと言う割に表情も態度もまんざらではない。

 

 一也はひとしきり撫で終えると満足したのか、頭から手を放し、そのままポケットに手を突っ込んだ。

 奏は名残惜しそうな声と仕草を見せたが、年上としてのプライドか、はたまた相棒たる翼の前故か、それ以上の行動に出ることはない。

 

 

「じゃあ帰ぇるわ。元気でな」

 

「「えええぇぇぇぇぇ……」」

 

「え? 驚くとこあった?」

 

「驚くよ! ライブに来たってことは金払ったんだろ!? だったら聴いていけばいいじゃないか!」

 

「いや、オレ、別にお前の歌とか興味ないし。お前が元気に笑ってりゃ、それでいい」

 

「本人を前にして言うことじゃないからな、それ!? というか、恥ずかしいこと言うの禁止!!」

 

 

 高い金を払い会場に来たと言うのにライブを楽しむつもりは更々ないばかりか、本人を前にしてお前の歌に興味がないという始末。

 歯に布着せる、本心を偽る行為そのものを知らないように振る舞っている。いや、もしかしたら、本当に知らないのかもしれない。

 もう、それだけで滅茶苦茶な男だ。複雑な人間関係と難解な人間模様の絡む現代社会において、珍しいを通り越して最早恐ろしいレベルである。

 誰もが自分を偽り、本心すら隠し通して、上手く周囲に溶け込み、周囲に馴染み、自分と同じ意見を持つ者を必死に探しているというのに、彼にはそういった行為を全くしていない。

 多くの人間にとって、一也は理解の外にいる怪物にしか見えまい。彼は孤立も孤独も恐れていない。精神的な意味で他人に全く依存していないのだから。

 

 しかし、奏にしてみれば喜ばしくも気恥ずかしいことこの上ない。

 他人に一切精神的依存をしない男が、人間として孤独を恐れる故の欲求ではなく、純粋に友人の顔を見たいという欲望だけに従ってここまで来た。

 即ち、ツヴァイウイングの天羽 奏に会いに来たのではない。何の才能があろうがなかろうと彼には関係がない。ただの天羽 奏に会いに来たのである。

 

 

「いやいやいやいや、聴いてけって! 絶対に! 損はさせないから!」

 

「えー…………寝ててもいい?」

 

「それ聴いてねーじゃねーか!!」

 

「いや、興味ないって言ってるじゃん」

 

 

 どうにかこうにか引き止めてライブを楽しませようとする奏。どうにもこうにも興味が持てず帰ろうとする一也。

 暫らく押し問答を続けた二人であったが、結局、折れたのは一也の方であった。

 

 

「わーったわーった。いりゃいいんだろ、いりゃぁ」

 

「ちっげーよ! 聴けよ、絶対に聴けよ!」

 

「おう…………フリだな?」

 

「ちがーーーーーう!」

 

 

 終始マイペースを貫く一也に、終始乱されっぱなしの奏であった。

 翼は一番槍の如き鋭さと苛烈さを秘めた彼女か、自分をからかう意地悪な彼女しか知らなかったが故に二人の間に何があったのか聞くことすら出来ないでいた。

 

 

「お前なぁ! ……て、あ、悪い、翼。コイツは」

 

「じゃあ、行くわ。せいぜい頑張んな」

 

「おぉぉぉい! 紹介くらいさせろよぉ! このスカターン!」

 

 

 ポカンとした表情でコント染みたやり取りを眺めていた翼に気づき、奏は友人を紹介しようとしたが、時既に遅し。一也は言うだけ言って、スタスタと来た道を戻っていく。

 去っていく背中に暴言が浴びせられるが、浴びた本人は片手をヒラヒラと振るだけで取り合うつもりはないらしく、足を止めすらしない。

 

 奏はいい加減にカチンと来たのか、握り拳を震わせて後を追いかけようとしたものの、一也の反対から向かってくる二人の人物に足を止めた。

 二人は一也に目を止めると怪訝な表情をしたものの、一也の会釈に同じく会釈で応えてみせた。

 

 

「こ、こりゃまた弦十郎の旦那」

 

「あー、奏、今の彼だが、ライブのスタッフにも熱狂的なファンにも、ましてや“我々の身内”にも見えなかったが」

 

「いや、何というか、そのー、あはははは」

 

「誰かは分からないが、不用意な接触は避けるように、と言っている筈だが」

 

「分かってるよ、あったま固いなぁ、もう」

 

「厳しい言動とオレも思うが、君たちを守るためだと理解してくれると助かるな」

 

 

 不貞腐れた様子で、はーいと答える奏に、弦十郎と呼ばれた赤毛に臙脂色のド派手なスーツをきた成人男性は苦笑いを浮かべる。

 彼の名は風鳴 弦十郎。翼の叔父に当たる人物であり、身寄りのない奏の保護者でもある。そして、二人の上司だ。

 弦十郎の後ろに控える眼鏡をかけた男は、弦十郎の懐刀にしてツヴァイウイングのマネージャーでもある緒川 慎次。

 

 

「念の為、後を……」

 

「いやいや、違うって、アイツは!」

 

「その必要はないでしょう。彼、有名人ですよ? 翼さんや奏さんのお二人と違って、いわゆる時の人という奴ですが」

 

「…………そう言えば、どこかで見たことがあるな。違和感は服装だけじゃなかったか」

 

「へ? テレビとか出てたのか? あたしは見たことないけど」

 

「私も……」

 

 

 四人の会話からも分かるように彼らは単なるアーティストでも、保護者でも、マネージャーでもない。

 彼らの正体は特異災害対策機動部二課。風鳴 弦十郎を筆頭に認定特異災害に対抗するための政府機関である。

 

 

「ほら、今年の夏の甲子園優勝校。そこの先発投手にして勝利投手ですよ」

 

 

 緒川が語る事実は、多くの人間にとって記憶に新しい事実だった。

 弦十郎は記憶が蘇ったのか、おおと声を漏らし、奏と翼はへぇとどう反応したか困った様子である。

 弦十郎は兎も角として奏と翼は俗世間の話には疎く、野球にそれほど興味がないからか、どれほどの難行にして偉業であるか、理解できていないようだ。

 

 一也の通う学校は、私立桜ヶ丘高等学校。殊更スポーツに力を入れており、あらゆるスポーツのエキスパートを輩出した名門である。

 しかし、野球に関してはここ十数年間、プロ野球選手を生むどころか甲子園の予選敗退を繰り返す始末。

 

 そんな落ち目の桜ヶ丘高校野球部に流星の如く現れたのが、但野 一也だった。

 

 地区予選第一試合。誰も期待などしていなかった桜ヶ丘高校は例年通り、一回戦敗退が当然という大方の予想を裏切り、勝利を飾るだけでなく驚異的な記録を残した。

 点数自体は目を見張るものはなかった。だが、投手の怪物性はまざまざと浮彫となる試合結果。

 初球から140km/hをマークする豪速球。相手校の四番打者ですら打ち負ける球威。一回裏から九回裏まで完投する強靭な体力と肩。あまつさえ、球種はストレートのみであった。

 如何に早いストレートと言えど、高校野球は甘くない。いくらでも合わせてくる“当て勘”を持つ打者はいる。それだけでは負けるのが常である――――あるのだが、一也と女房役の三年の捕手はその道理を捻じ伏せた。

 

 駒を進める度に上がる球速と球威。捕手と投手は二人がかりで打者と相手チームの読みと思惑を斬り伏せた。

 また一也は両投げだった。しかも左と右で球速も球威も変わらない。右が疲れれば左で、左が疲れれば右でというデタラメ加減。プロ野球選手においてすら“両投げ”で登録されている選手は一人か二人である。

 スーパールーキー。スーパーエース。豪腕。スイッチピッチャー。超高校生級の怪物。彼につけられた渾名は様々であり、数も知れない。

 

 何よりも凄まじくドラマチックであったのは決勝戦。あろうことか、豪速球のストレートのみでノーヒットノーランの完全試合を達成した。

 

 

「俺もニュースでしか見なかったが、あの大地を割り砕かんばかりの力強い投球フォームは見ものだった。しかし……」

 

「旦那がベタ褒めとはね。やるなぁ、アイツ」

 

「彼は伝説を作りました。そして、もう一つ伝説を残したんですよ」

 

「もう一つの伝説……?」

 

「すぐに引退したんですよ。優勝した後に、それはもうあっさりと」

 

 

 目を見張るだけの閃光を放ちながら、誰にも長く輝くことを望まれながら、前人未到の記録を残しながら、一也は周囲全ての期待を置き去りにして勝手気ままに引退してしまったのである。

 

 現在でも学校、野球部員、プロ野球チームからの再三に渡る復帰要請にも耳を貸さず、引退の理由すら分かっていない。

 だからこその時の人。誰もが目を惹かれ、輝きを残したまま消えていく、正しく流星であった。

 

 

「…………昔っからムチャクチャでハチャメチャな奴だったけど、今も変わらずやりたい放題の好き放題なんだアイツ」

 

 

 呆れたような、嬉しそうな、複雑な表情を浮かべながらも、奏の口元には確かな笑みが刻まれていた。

 

 

「知り合い、だったのか。……すまない、配慮が足りなかったな」

 

「いや、旦那が謝ることじゃないさ。あたしだって考えてすらいなかったんだから……、でも」

 

「……でも?」

 

「“ノイズ”に全部奪われて、それまで作ってきたもんも全部捨てて、がむしゃらに走って、やっと新しい道と生き方を見つけたと思ってた……けど」

 

 

 ノイズ。

 13年前、国連総会に正式認定された特異災害。

 形状や大きさ、攻撃手段に差異が見受けられるものの、共通の特徴が存在する。

 

 一つ、ノイズは人間だけを襲う。

 一つ、物理エネルギーによる効果を減衰、または無効化する。

 一つ、出現は蜃気楼が突如実体を得たかのように“発生”する。

 一つ、コミュニケーションによるアプローチは悉く失敗に終わり、意思の疎通、制御、支配は不可能である。

 一つ、同体積の人体を炭素転換し、自身もまた炭素の塊となって崩れ落ちる。

 一つ、一定時間が経過すると自壊する。

 

 以上が過去から現在までに確認されたノイズの特徴である。

 そして、ノイズに対抗する人類の手段は一つ。それを秘密裏に保有しているのが特異災害対策機動部二課だ。

 

 奏が全てを喪った原因こそがノイズであり、奏こそが特異災害対策起動二課が保有するノイズへの対抗手段でもある。

 

 

「そっか、まだ残ってたものもあったんだ」

 

 

 喪ったものと新たに得たものは決して等価ではない。どちらにより価値があるかなど、奏自身に決められるものではなかった。

 全てを喪う以前も、全てを喪い復讐の道を歩みかけたことも、闇の中に見えた新たな光明も、皆等しく価値があった。疑う余地などありはしない。

 

 ただ、但野 一也だけは何があっても何一つ変わらぬ友だった。

 失った訳ではなく、ただ自分が忘れていただけ。一也は離れていてはも、常に奏を気にかけていた。ただの友人・天羽 奏を。

 

 

「旦那、今日が大切な日だってのは分かってる。でも、今日は……」

 

「……好きにするといい。元より君の歌は君だけのもの。我々はそれを利用させてもらっているのだからな」

 

「利用なんて、そんな。あたしは旦那のこと頼りにしてるし、感謝してるんだからさ」

 

「……そうか」

 

「まあ、アイツが聴いてるか分からないけど。ライブ会場にはいるって言ってたけど、終わりまで寝るつもりらしいし」

 

「冗談だろう?」

 

「いや、マジもマジ。アイツ、言ったことは絶対やるから」

 

「…………成程、確かに無茶苦茶だ」

 

「やりたい放題の好き放題、というのも頷けますね、は、ははは」

 

「………………」

 

 

 引き結んだ口元を歪ませながら弦十郎は呟きを漏らし、緒川は引き攣った笑みを浮かべていた。

 正しい反応である。何の躊躇なく我が道を行く人間を知った人間の反応など、まともであればあるほどにこんなものだ。

 

 

(ずるい。今まで何もしてあげなかった癖に、顔を見せただけで、奏にあんな顔をさせるなんて…………私の方が)

 

 

 そんな中、長い付き合いである弦十郎も緒川も、相棒である奏ですら翼の小さな表情の変化に気付くことはなかった。

 




タイトルのAce of Fistは英語的にも日本語訳的にも正しいかは一切不明。
色んな意味を込めてあるので、そこらへんを考えて読むと楽しいかもしれません。

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