戦姫絶唱シンフォギア Ace of Fist 作:HANK1989
一也「お、奏、おっひさー」
奏「……え? お、おう(困惑)」
一也「じゃあお前の顔見たから帰るわ」
奏「あ、ああ。………………え? え?(愕然)」
翼「なんだ、こいつ」
大体こんな感じの前回
一也と奏が再開を果たしてから暫らく経ってライブは始まった。
ライブ開始以前から期待と歓喜を騒めきとして撒き散らしていた観客達は、待ち侘びた開演を前に更なる熱狂を見せた。
購入したサイリウムを振り回し、ツヴァイウイングの歌に合いの手を入れ、力強いダンスに魅入り、思うがままにライブを楽しんでいる。
一曲目が終盤へ差し掛かるとライブ会場となったドームの天井に幾筋もの線が走り、鳥が双翼を広げるが如く開いていく。
ステージ上に奏と翼が重なり、祈りを捧げる巡礼者のように重ねた両手を天へと向ける。差し込む夕日が二人を染め上げ、幻想的な光景を作り上げていた。
演出への力の入れ具合も半端ではない。流石に、トップアーティストの名は伊達ではなかった。
(ドキドキして、目が離せない。凄い、凄いよっ。これがライブなんだっ………………けど、)
そんな熱狂する観客の一人として、立花 響もそこに居た。
目を輝かせ、憧れの存在であるツヴァイウイングのライブを全力で謳歌していた。
……していたのだが、隣に座った一人の人物に水を差された気分で目を向ける。周囲の観客も同様の気分だったろう。
「…………ぐぅ」
事もあろうに、この雑然とした熱狂を前にして、席で眠りこけている人物が一人。
そう、但野 一也である。人に褒められるかは兎も角として、彼は奏に語った言葉通り、この喧噪の中で眠りこけていた。
客が皆立ち上がっているのをいいことに、足を前の席の背もたれに乗せ、両腕を組んで静かに寝息を漏らしている。
水を差すどころの話ではない。一也にそのつもりがなくともツヴァイウイングにも、そのファンにも全力で喧嘩を売っているようなものだ。
さりとて周囲の観客も折角のライブで喧嘩などゴメンだと目を逸らし、得意の見て見ぬ振りをしてライブに意識を向けていた。
文明社会が発達するにつれ、人と人の繋がりは薄くなった。それも当然のこと、ただ生きていく分には他者の助けが必要なほど過酷な日々ではなくなったからだ。
日本も第二次世界大戦を乗り越え、世界各国の外交や経済に翻弄されながらも、一つの国として一歩、また一歩と前進を続けている。
人の繋がりが薄くなり、本心をひた隠し、必要以上の仮面を被ることで得たのが、日本人の得意な見て見ぬ振りというわけだ。最も今回に関しては見て見ぬ振りが正解である。皆が楽しむはずのライブ会場で喧嘩など誰も望んではいない。
(あ、あいつ、本当に寝てやがる。やるとは思ってたけど実際寝るか!? 人間はこの状況で寝れるのか!?)
ステージの上、一曲目を歌い終わった奏は、既に一也の姿を見つけていた。
恐るべき視力――などではなく、一也の周囲にいた観客の反応の悪さと困惑ぶりを発見しただけである。視力ではなく、アーティストとしてのプロ根性、あるいは経験の賜物だ。
「まだまだ行くぞぉぉーーー!!」
しかし、動揺も怒りもおくびにも出さず、観客を盛り上げることに徹する。
MCと呼ぶには余りにも短い台詞であったが、生のままの感情を剥き出しにしたかのような力強さは観客のテンションを上げるには充分だった。
「こらそこぉ! 白けるのは後にしな! 眠ってる奴なんて放っとけ! ついてこられる奴だけついてこい!」
訂正。友人の無慈悲な所業に青筋を立てながらも、MCのネタにしてみせた。
(これ、絶対に一也さんのことだ)
(コイツだ、あとオレ達のことだ)
(羨ましい、ほぼ名指しじゃん。いや、羨ましいか?)
(奏様、素敵!!)
羨望と困惑と無関心が渦巻き、それでもなお更なる期待が高まっていく。
響は響で、嬉しいやら恥ずかしいやら楽しいやら白けるやら、何とも言えない感情を煮詰めた複雑な表情を浮かべる。
MCのネタとなった張本人は無関心以前に眠りこけて――
「…………ん、んん?」
「あ、やっと起きた。ダメですよ、折角ライブに来たんだから楽しまなきゃ」
「しょうがないね、オレは興味ないからね。つーか、こ、の、か、ん、じ、はぁぁぁぁ……?」
「…………?」
――いるはずだった。
奏なら、その珍妙さに気付いただろうが、今日出会ったばかりの響には、ただ一也が目を覚ましただけとしか思えなかっただろう。
ハチャメチャでドタバタのメチャクチャ。やりたい放題好き放題の男が、自分の宣言を曲げて目を覚ます。
起床という単なる生理現象に過ぎないと見るのが普通であるが、一也に限っていえばそれは当てはまらない。
「立花、ここ出た方がいいかも」
「はいぃぃ? いや、ライブはまだ始まった……」
「そんなもん…………や、いいわ。もう遅ぇ」
一也が溜め息交じりの言葉を漏らし、響が言葉の真意を理解できない内に、ドームの中心――今し方までツヴァイウイングが歌っていた場所で爆炎が上がった。
ライブの熱気は霧散し、轟音と人々の悲鳴が木霊する。
爆発の中心地点では、数十の“人だったもの”が散らばり、重なり、身体の中身をぶちまけていた。
いや、この後の悲劇を鑑みれば、今の爆発で死んだ者はまだ幸せだったかもしれない。
爆発の衝撃によって現状を把握することすら叶わなかった人々を現実に引き戻したのは、怪鳥の如き甲高い鳴き声だった。
空には数百の“何か”が飛び回り、爆発の中心地からは地面を砕き、巨大な“何か”が這い出てくる。
どれもこれも生物的な形はしていない。無機物の見た目でありながら、動きは生物的だ。ただひたすら本能に嫌悪と不快を与える怪物たち。
観客がそれを直接見たことは一度もなかったが、ニュースに流れ、新聞に掲載され、ネットに流出した動画や画像では見たことがある。
「ノ、イ……ズ、ノイズだぁぁあああ!!」
そう。奴らこそがノイズ。
人類の天敵にして不可避の災害。人を、人だけを炭素へと転換する怪物である。
誰のものであったのか、狂乱に満ちた叫びは光の速さで周囲に伝播し、有象無象は思い思い――どころではなく、ただ本能の赴くままに行動を開始した。
まるで広がる波紋のように、人々の波はノイズから少しでも逃れようと出入り口に向かって殺到する。
だが、悲しいかな、人間の生み出せる速度などオリンピック選手ですら50km/hにすら満たない。ましてや他人という障害物で満ちたこの場では全力疾走など出来るはずもない。
そして、ノイズに慈悲などあろう筈もなく。
10万人規模を収容していた会場は、最早地獄の様相を呈している。
人々は身の内から湧き出る狂気故に我先にと逃げ惑い、ノイズは逃げる背中に追い縋り、情け容赦なく粉末状の炭素へと人を崩していく。
「飛ぶぞ、翼! この場で槍と剣を携えているのは、あたしたちだけだ!」
「で、でも、司令は……」
そんな中、躊躇を見せる翼を尻目に、奏は迷わずステージから飛び降りた。
観客は逃げ惑うばかりで気づいていない。ノイズ共はたった一人で向かってくる奏よりも、数の多い方を優先している。つまり、隙など腐るほどあるということだ。
「――Croitzal sonzell gungnir zizzl」
その言葉を口にするや否や奏は光に包まれ、華やかなステージ衣装から壮烈な戦装束を身に纏う。
身に纏った鎧の名はシンフォギア。
既存の科学技術とは一線を画する“
ノイズに対する通常兵器による攻撃は本来の威力を発揮できない。位相差障壁と呼ばれる特性のせいだ。
自らの存在を複数の世界に跨がせるその特性は、言わば
存在を彼方の世界に寄せれば希釈し、ノイズは通常の物理法則を受け付けなくなる。存在を此方の世界に寄せれば濃縮し、人にも建物にも影響を及ぼすに至る。
これが世界中に存在する殺戮の芸術品を悉く無意味と知らしめた。何せ、こちらの攻撃は碌に通らないにも関わらず、ノイズからの攻撃は通るのだから。
シンフォギアは、そんな位相差障壁を無効化する。
ノイズの存在を
「―――ふっ!」
奏が鋭い呼気と共に両手の手甲を重ね合わせると、手甲は一人でに動き出すどころか質量を無視して槍へと形状を変化させる。
更に奇妙であったのは、この地獄、この戦場には似つかわしくない歌を奏が絶えず歌っていることか。
シンフォギアの技術の根本は、既にこの世から大半が消失しつつある聖遺物と呼ばれる異端技術の結晶にこそある。
聖遺物とは世界各地の神話、伝承に登場する超常の性能を秘めた道具、武具を差す。
大半は経年による劣化、損傷によってかつての機能どころか原型を留めていることすら稀であり、大抵が欠片として残っている程度。
しかし、その程度で異端技術の結晶たる聖遺物が、完全停止に至りはしない。基底状態に入っているだけ。特定の条件において、本来の機能に極めて近いレベルの活性化を果たす。
――特定の条件こそ歌であり、起動した聖遺物の欠片をエネルギーレベルに分解し、再構築したのがシンフォギアだ。
「――ハァァっ!!」
歌を紡ぎ、武器を手に滅槍の戦姫が戦場を駆ける。
彼女の持つ槍の名、そしてシンフォギアに用いられた聖遺物の名はガングニール。
北欧神話の主神オーディンが手にした槍。神話において標的を射損なうことなく、勝利と共に使い手の元に戻るとされる無双の一振り。
如何にノイズでもあろうとも、天敵シンフォギアとガングニール、そして戦姫たる奏の前には分が悪い。
振るい、斬り裂き、砕き、打ち貫く。並々ならぬ技量と力の前に、哀れな犠牲者同様、ノイズは黒い炭素の粉末となって散り消える。
だが、ノイズもまたノイズであった。
そもノイズは生物であるかも怪しい存在。死の恐怖など存在しないかのよう、天敵たる奏に向かって数に任せて猛然と襲い掛かる。
無数のノイズを前に、奏は明らかにノイズとは異なる意思――勇猛さと共に前へと進み、地を蹴った。
高く、高く、どこまでも高く飛び上がり、名前同様、天を舞う羽の如き重さを感じさせない跳躍を見せ、奏は滅槍を投擲した。
愚行と言わざる負えない。攻撃のためとは言え、唯一の武器を放棄する蛮行であったが、彼女に限っていえば最適解であった。
――――STARDUST∞FOTON――――
投擲した槍は手を離れた瞬間から無数に増幅し、流星群と化して降り注ぐ。
一瞬にして数百のノイズは黒粉となって消え、投擲した滅槍はいつの間にか奏の手へと舞い戻っていた。ガングニールの名に恥じぬ性能だ。
前へ、前へ、前へ。
最速で、最短で、真っ直ぐに――一直線に、眼前の敵を屠るため、多くの人々を守るために奏は突き進む。
……それは戦士としてはともかく、人として正しいのか。
誰もが迷わぬわけではない。誰もが戸惑わぬわけではない。ただ一人で突き進んでいては、いずれ彼女は血濡れの道で砕けた心と傷ついた身体で立ち尽くすだろう。
「――奏っ!」
しかし、そんな奏に追い縋る者もいる。
決して一人にさせないように、決して一人で戦わせないように、相棒は何時だって隣にいるものだ。
翼の手には一振りの剣が握られている。
剣の名は絶刀・
かつて高天原を追い出された
名を呼ぶ翼に視線すら向けず、けれど口元に笑みを浮かべ、奏は前に出た。
翼、片翼にて翼に非ず。ツヴァイウイング――両翼を意味する
「………………」
「何だありゃあ……奏の奴、いきなり全裸んなったと思ったら全身タイツ着てやがる。戦隊ヒーローですかぁ?」
酸鼻極まる地獄と輝く希望を背に羽ばたく双翼を前に、響はただ茫然と立ち尽くしていた。
余りにも彼女の知る現実とはかけ離れた光景に、脳は現実の受け入れを拒否。逃げ出すことも、助けを求めることすら出来ず、捕食者を前にした草食動物のように硬直している。
対して、一也は余りにも落ち着いていた。
甲子園という大舞台。かかる期待と重圧を跳ね除け、頂点を掴み取ったメンタルは伊達ではない――伊達ではないが、これは流石に異常と言わざる負えない。
ライブ会場は掛け値なしの地獄。完全な異常事態の中で正常を保ち続けるなど、それこそ異常だ。
「まあ、いいや。立花、そろそろ逃げるぞ。頃合いだ」
「……え? あ……、……はい?」
「ボケんな、逃げんだよ」
そういうと有無を言わさず響の手を引き、出入り口に向かって歩き出す。
その冷静さが如何なる理由であるかはともかく、一也の選択は正解であった。
ノイズは闇雲に人を襲うわけではない。特定の条件を持った人間から襲い始める。優先順位があるのだ。
第一は自身の最も近くにいる人間。第二は纏まった数の人間がいる場所。第三は武器を手にした人間である。例外として自身を害する可能性のある人間がいる場合は全ての順位を破却して繰り上げられる。より効率よく人間を殺すために。
最終的にノイズは全ての人間を炭素転換するのだが、優先順位があるのならば、自分の番を後回しにすることは可能だ。
一也と響は幸運を味方につけ、正解を選択していた。
幸運はノイズの発生地点から離れた観客席にいた点。正解は理由がなんであれ、周囲の狂乱に流され我先にと逃げ出さなかった点。
二つの理由から、一也と響はノイズの優先順位から外れたのである。時間が経過すればするほど優先順位は繰り上がっていくが、奏と翼が戦っている以上、当分先の話。
ただ茫然としていた響であったが、一也に手を引かれて前へ進む度、冷静ではいられなかったが正常な思考を取り戻しつつあった。
観客席の間には、形を保ったままの倒れ伏してピクリとも動かない元人間が、数は少ないものの転がっている。
何のことはない。逃走の際、下手を打って転び、そのまま逃げ惑う人々に踏み殺された不運な者たちだ。
一切の感情の見られない悲しいまでの無表情に、ボンヤリとしていた死の恐怖は明確となっていく。こみ上がる胃液を必死に飲み下しながらも、一也に引かれ後に続く。
「…………て」
「チっ、しゃーねーなぁ。……やらなきゃならねぇこともあるか」
「え? え? どうしたんですか、一也さん? は、速く逃げないと」
何を思ったのか、突然立ち止まった一也に、響は動揺を隠せないでいた。
当然だ、今この場に響が頼りできる人間は一也しか居らず、響はたった一人の無力な子供でしかないのだから。
「いいか、よく聞け立花。オレはやんなきゃならねぇことが出来た。こっからは一人で行け」
「そ、そんな……こんな時に、やらなきゃならないことって」
「オレに着いてくるよりゃ、一人で行った方が生き残れるだろうよ。こんなんなった時、頼りになんのは他人より自分だ。自分で自分を守るしかねぇ。それに帰り待ってる奴がいんだろ? だったら、歯を喰いしばってでも帰らねぇとな」
「…………はい」
「声は小せぇが、いい返事だ。根性が籠ってる。根性のある奴は大好きだ。……今だけは他人のことなんぞ忘れちまえ。悩むのも、苦しむのも生きてる奴の特権だ」
「……はい!」
「まあ人間、死ぬ時は死ぬんですけどね?」
「色々と台無しだぁ!」
最後の最後で現代の日本人からかけ離れた死生観を披露し、響を唖然とさせながらもその背中を押し、一也は自らも走り出す。
響は出入り口に向かって、一也は観客席の階上へと駆け上がった。二人の歩みに迷いはなく、淀みもない。
階上へと駆け上がった先、一也を待っていたのは不運と幸運が同時にやってきた女性であった。
「た、たすけて、……だれか…………」
「よりにもよってオレに助けを求めるなんざ、アンタもついてないね」
逃げ遅れた女性の幸運は、まず逃げ出そうとした直後に突き飛ばされ、気を失ったこと。結果的に一也や響同様の選択をしたも同然。
逃げ遅れた女性の不運は、気を失った直後の狂乱で足を踏まれ、右下腿部の脛骨腓骨をへし折られたこと。これでは生き残ったところで逃げきれない。
「ちょいと失礼、飛ばすぜ」
碌に会話も交わさず、ひょいと肩に女性を抱えて走り出す。人相の悪さも相まって、どう見ても人攫いか盗賊にしか見えない。
流石に元高校球児というだけあって身体能力も高いのか、人を一人抱えておきながら重さを全く感じさせない。あっという間に響が向かった出入り口とは別の出入り口へと辿り着いてしまう。
その時、再び轟音がライブ会場に響き渡る。爆発音とは全く異なる何か巨大なものが崩れるような崩落音。
反射的に一也が視線を向けた先には、崩れた観客席の一部と崩落に巻き込まれた響の姿が見て取れた。
「ほんっと、どいつもこいつもついてない奴ばっかか、おい!」
ホールまでの通路はまばらであるが人の死体が転がっている。将棋倒しと逃走経路の確保による傷害致死。しかし、総観客数を考えればまだマシな方だ。
「ほれ、ノイズはもう追うに追えねぇ状況だ。殺されることはねぇだろう。一人で行け」
「そ、そんな……」
「言いたいことは分かるぜ。半端な真似すんなってんだろ? だけどな、こっちだって好きでこんなことしてんじゃねぇ。アンタが必死こいて助けてくれっつったから助けただけだ。あとは自分で何とかしろ、甘えるな」
余りにも冷たい突き放した言葉に女性は壁にもたれ掛り、恨みがましい視線を一也に向けたが、向られた相手は気にする素振りすら見せずに
一也の言うことも尤もである。彼は警察官でも消防士でも自衛官でもない。その職務に就いた者は自ら定めた職種と使命に乗っ取り、時に自らの命を投げ出さねばならない場面も多々ある。
だが、一也は所詮ただの高校生だ。この異常な状況下でどれほど冷静さを保とうとも、出来ることも、していいことも限られている。
どれだけ強大な力を持とうとも、どれだけ鋭利な智慧を持とうとも、助けられる者はどうしても限られてくる。人は、決して全知全能の神にはなれない。
――それでも二人はここまで地獄を生き延びた幸運な者たち。まだ幸運は残されていた。
一也はあらゆる意味でどこまでも強く、女性もまた人としての尊厳と正しい強さと優しさを捨てていないかったことだ。
「あ、あの……っ!」
「…………」
地獄へ向かう背中に、女性は声をかける。
泣き言も恨み言も聞いてやるつもりは一切ない。吐きたければ好きなだけ吐いて時間を無駄にして死ね。言葉にすることなく背中は語る。
けれど、女性の言いたいことは決してそんな言葉ではなかった。
「助けてくれて、ありがとう! わ、私も頑張るから、君も、頑張って……!」
「…………」
言葉を発した本人も、何故そんな言葉を投げかけたのかは分からない。痛みを堪え、去る背中に投げかけるほどのものでもなかったはずだ。
彼女は何処までも善良だった。助けられれば礼を、奮起には声援を。
当たり前ではあるが、誰にも出来ることではない。多くの人々が命の危機を前に真っ先に捨て去ってしまう尊厳と強さと優しさを決して捨てなかった。
その言葉に、一也は初めて足を止めた。
彼は恨まれることにも、憎まれることにも慣れていた。
甲子園、野球部。凄まじい才能を持つとは言え、ポッと出の一年生に向けられる妬み嫉みは生半可なものではない。
数年に及ぶ努力が、生まれ持った才能に敗北する現実。正当ではないが、感情は決して善悪と正否から生み出されるものではない以上、妬み嫉み恨み辛みは常について回る。
尤も一也は一度足りとて気にしたことなどなかったが。むしろ、気にしていたのは捕手にして女房役の三年生の方だったほどだ。
今回も同じだと思っていた。どれだけ恨み言を吐かれようが、平気の平左で気にするつもりは
「ふ――――応援、ありがっとう!」
天は自ら助くる者を助く。自助努力を怠らず、最後まで諦めず、人としての尊厳を捨てずにいる者にこそ天は微笑む。
全てが全てではなく、世界は――いや、人は甘くはない。それでもより良い世界を作るためには全ての人々がそう考え、行動することが一番の近道のはずだ。
だからこそ、純粋な応援と人の尊厳には全力をもって応えるのが、彼なりの礼儀だった。
普段の淡々とした無表情を崩し、無邪気な子供のような満面の笑みを浮かべ、サムズアップを見せる。
そして、女性がどんな表情をしているのか確認することなく走り出した。
「オラァァアアアアアア、ァァァァァァ、ウワッ、ウワワワァァァァァァっ!?!」
通路から観客席へ。掛け値なしの全力疾走であった。
だが、余りにも全力疾走で階段を駆け下りすぎて、走っているというか転げ落ちているかのようだ。
ギリギリのところで転倒だけは避け、一息で階下まで駆け下りるも、止まることなど考えていなかった一也には終着点たる手摺りに激突する運命しか待ち受けていない。
ならば、いっそと一也と階段を蹴って跳躍した。
ムチャクチャな疾走からのムチャクチャな跳躍。体系立てられた身体操作ではなく、純粋な身体能力のみで生み出された運動エネルギーは操れるはずもない。あえなく空中で体勢を崩す。
顔面から手摺りへの直撃コース。速度を鑑みれば、顔に一生ものの傷が残るレベル。最悪、頭蓋骨に罅でも入りかねない激突を生むだろう。
「ぅん、がぁぁぁッッ!!」
それを裂帛の気合と腕力と身軽さで道理を蹴り飛ばす。
激突の瞬間、手摺りを掴むや全ての運動エネルギーを腕力と肘と肩で殺し、捻じ伏せ、方向を変える。
手摺りを中心にグルリと回った一也は、見事に両足から着地するだけでなく、ぐるりと地面を一回転することで落下の衝撃まで分散してみせた。
大したものだ。まるであらゆる運動競技を制覇するために生まれてきたかのような身体能力と身体操術。
目的の場所まで辿り着いた周囲を見回した。同時に自らの目的も発見する。
(ひでぇ。ひでぇが、死んじゃいねぇ。呼吸は浅いが途切れてねぇ。血も初めに派手にブチまけただけだな。死ぬまでは相当時間があるはずだ。それよか……)
瓦礫に寄りかかり、今にも消えそうな命の灯を必死に繋ごうとしている響の姿を見つけた。
胸部から夥しい量の血を流しながら、意思の感じられない虚ろな瞳で、小さな命はまだ生きることを諦めていない。
まだ響に猶予が残っている。ほぼ直感に等しい判断であったものの間違ってはいない。
一也は響を一時頭の中から消し去った。今、彼女よりも差し迫った事態にあるのは寧ろ――
「――――Gatrandis babel ziggurat edenal」
――奏の方であった。
シンフォギアには絶唱と呼ばれる決戦機能が存在する。
端的に説明すれば、歌唱により最大限まで増幅したエネルギーを一気に放出し、凄まじい破壊を生み出す機能だ。
無論、代償も当然存在する。バックファイア。本来ならば、熱機関において混合気が燃焼室の外で燃える現象を指す言葉である。
絶唱によって増幅されたエネルギーは装者の意志によって対象を選択するのだが、余りにも膨大なエネルギーは過剰としてシンフォギアを纏った装者の身をも破滅させる。
人は様々な技術によって文明を発展させ、繁栄を謳歌する。しかし、自らが生み出した技術によって破滅を呼び込むのもまた常である。この絶唱もまた、余りにも人間らしい機能と言えるだろう。
当然、一也には奏が何をしようとしているかなど知ろう筈もない。絶唱どころかシンフォギアとて今日見るのが初めてだ。
「奏っ、テメェッ……何しようとしてんだ、ゴラ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!!!」
「……っ、一也!?」
だが、
だから、力の限り叫んだ。あらん限り吠えた。
ただひたすらに感情の赴くまま。自らの魂の衝動をそのままに。何一つ偽ることなく、何一つ隠すことのない魂の咆哮。
覚悟を決め、絶唱の発動に至らんとしていた奏を静止させるほどの声量であった。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッッッ!!!」
「バっ!? 来るな!! お前、何し…………来るな、来るなよ、本気で来んなよ!? ちょっ!? 待て、なんで拳を振り上げる!?」
「 死 ね ぇ い ッ !!」
「い、っだぁぁぁぁぁ!?」
「奏ーーーーーーーっ!?!?」
魂の咆哮に奏が絶唱を中断させたまでは良かった。
全力疾走で駆け寄るのも死に急ぐ友人を止めるためであるならば、まだ良い。
しかし、その全てを裏切って、奏の額に死ねと叫びながら思い切り拳を叩きつけるなど、どういう了見なのか。
「奏、ゴラァァ!! いまテメェ何しようとした! ぶッ殺すぞぉ!!」
「ぅ、ぅぅぅ、ムチャクチャだ、本っ当にムチャクチャだぁ……」
「な、何をするんだ、貴様! 奏に、よくも!!」
「うるせぇぇぇぇ!! 命を大事にしない奴なんて大っ嫌れぇだ! そんなに死にたきゃ殺してやんよぉぉぉぉ!!」
不意打ちの直撃を喰らった奏はシンフォギアを纏っているにも関わらず、地面に倒れていた。
翼は大事な相棒を害され、怒り心頭で食って掛かる。
ノイズはノイズで、突然仲間割れを起こした
凄い男だ。たった一つの行動でその場にいた者全ての思惑を完膚なきまでに叩き潰したのである。行動の是非はともかく。是非はともかく。
「お前、……お前、状況分かってんのか!!」
「だから何だ! そんなもん、オレには関係ねぇ! ダチが死のうとしてんのに黙ってみてろってか!」
「そうだよ! ただ死ぬんじゃない! これ以上……これ以上、何もしないで目の前で誰かが死ぬのは嫌なんだよ」
「ああ、そうかい! だったら勝手に死ねぇ!」
(こ、この男、言ってることがムチャクチャだ! 頭が可笑しいのか!?)
翼の当惑も尤もである。
後先など一切考えず、ただ己が魂と感情にだけ従って地獄の底までやってきたにも関わらず、ひどくあっさりと意見を翻したのだから。
一体全体、この男は何を考えているというか。
「なん、っなんだよ、お前は! 止めろっつったり、やれっつったり、ホント、何なんだよ!」
「……オレはな、今まで好き放題に生きてきた。これからもずっとそうだろうよ。好きなように生きて、好きなように死ぬのが一番だと思ってる」
「だったら……!」
「だから他人を止める権利なんぞオレにはねぇ。だが、それはそれとして気に入らんので殴りに来ただけだぁ!」
「「…………」」
凄まじい理屈の前に、奏と翼はあんぐりと口を開けて一也を見るしかない。
彼の生き方は、好きなように生きて、好きなように死ぬ。無論、社会の中で生きていく上で許される範囲での話であろう。
だからこそ、何処の誰であろうとも、誰のどんな生き方にも口を挟む権利はないと信じている。それが死に急ぐ友であろうとも、ただ見守るだけだ。
彼の判断基準は、気に入るか気に入らないか。そこに理屈や理論は存在しない。ただ感情の赴くまま、ただ魂の赴くままに。
だからこそ、奏を殴りに来た。……彼は一体何が気に入らないというのか。友の死すら、友のやりたいことだと言うのなら涙を飲んで見守るような人間が。
「何が気にいらねぇってなぁ、死んでも守りてぇ、死んでもやりてぇってんなら、お前なんで泣いた!」
「そ、それは……」
そう、それが彼が激情に駆られて走り出した
「やりてぇことなら笑ってやるもんだ! そうするしかねぇにしても、泣きなんぞしねぇんだよ!」
「…………っ」
「それを悟ったみてぇなツラして……っ! 気に入らねぇな!」
「もう、気に入る気に入らないの問題じゃ……」
「気に入らねぇよ!」
それ以上、奏は言い訳すら紡げなかった。
そも感情や魂の咆哮に理屈や言い訳で納得させるなど不可能に近く、奏自身も自分自身を偽っていることに気付いていたから。
――いつか、心も身体も全部空っぽにして歌いたかった。今日はこんなにたくさんの連中に聞いてもらえる。……だから、あたしも出し惜しみなくやっていく。とっておきをくれてやる。
それが奏の理屈だった。
確かに響を救うため、目の前の消えようとしている小さいが、尊い命を救うためだけに、心も身体も空っぽにはなっていた。
だが、本当に歌いたかった歌を、自らの歌声を聞かせたかったのは誰だったか。少なくともノイズなどではあるまい。人を殺すだけのノイズにくれてやるほど彼女の歌は安くない。
本当に聞かせたかったのは、今は亡き家族であり、相棒である翼であり、恩人である弦十郎であり、支えてくれた多くの人々であり、友である一也であったはずだ。
いくら言葉で飾り立てようとも、一也にはあらゆる虚飾も嘘も通用しない。
誰よりも、どこまでも本心を偽らずに生きているからだ。だから、一目見ただけで奏の本心に気付き、言葉で暴き立ててみせた。
「だけど……」
「オレらはどこまでいってもガキだぜ。どんだけ力を持ってようが、どんだけ特別と思ってようが、
「…………」
「どいつもこいつも他人に期待しすぎだ。どうせ期待すんなら他人に向けるんじゃなくて、自分に向けろ」
期待と言えば聞こえはいい。しかし、実際のところ、人が他人に向ける期待など往々にして可能性を狭める結果にしかならない。
鮮烈な才能に目を奪われるばかりに、特異な才能に目を惹かれるばかりに、個人の持つ小さな小さな光に目を向けさえしなくなる。
そもそもしっかりとした大人は、子供にそれほど期待などしない。
そして、人は決して万能にはなれない。神様には手が届かない。なればこそ、何か取り返しのつかない失敗をした者が居たとしても、精一杯やった結果だというのなら誰が責めることが出来よう。
「…………あたしは」
期待されることが嬉しかったのか。奏の心の何処かで、期待を望んでいる自分が居たのは確かだ。
ある日突然、力や能力を手にしてしまった者特有の万能感、全能感。ある日突然、全てを喪った者特有の生き残った自分は何かをしなければならないという強迫観念と孤独に突き動かされてきたのは紛うことなき事実だ。
けれど、今日この日まで戦い続けてきたのは決してそれだけではなかったはずだ。
「…………翼」
思い悩む奏の手を取ったは、他ならぬ翼である。零さずにこそいたものの、目に涙を貯めて奏の手を握りしめていた。
伝えたい言葉は腐るほどある。それでも言葉に出来ず、する必要もない。奏にもそれだけで十分に伝わっていたのだから。
――奏を決して、一人にはさせない。
思いは言葉にすることで初めて他者に正しく伝わるが、行動にするだけで伝わることもあるだろう。
「で、どうすんだ? 死ぬか? 死ぬのか? いや、一回決めたことだ。男も女も関係ないな。よし、死ね!」
「は、ハッ……こんな空気で死ねるかよ。笑って死ねなきゃ、またお前に殴られるだろう」
「それはそうだが。そうか、そっかー……」
「なんで微妙に残念そうなんだよ、お前は! 殴りたいのか? そんなに私を殴りたいのか!?」
「いや、基本的にムカつく奴なら誰でも殴る」
((……アカン))
まるっきり狂犬である。
唯一、幸いなのは目につく人間全てではなく、彼がムカつく人間だけを殴ることである。尤も社会において暴力など忌避すべきものであることに変わりはないが。
「で、どうする? 一也が絶唱は使わしちゃくれないし、もう使う気もないけど、何か考えある奴いるか……?」
「……時間は相当稼いだ。撤退するのが私たちの最善、かな」
「いや、それは最後のステップだ。喧嘩にゃ、それやる前にワンクッション挟むものがある……!」
「喧嘩って……ここは戦場だぞ! 喧嘩如き、と……!」
「戦争も戦いも喧嘩も根っこは同じだろ。やるこた結局、目の前のヤロウをぶっちめる、それだけだ」
「真理っちゃ真理だけどさ。…………まあ、いいだろ。今はどんな策でも考えでも縋りたい気分だからさ」
「奏……!」
「私も、生きることを諦めない。人に言ったんだ、自分も実践しなくちゃな。……何とかなる。いや、私達で何とかしよう」
何があっても生き延びようとする覚悟。例え死んだとしても何かを為そうとする覚悟。
どちらがより尊く、どちらがより力となるか。それは人によって。場面によって変わるものだが、少なくとも奏にとっては生き延びる覚悟の方が力になるのは確かなようだ。
既に
「で、喧嘩馬鹿の一也君? 何かあるなら喧嘩の鉄則教えて欲しいもんだ」
「決まってんだろ。もう絶対に勝てねぇと思った相手に対して逃げる前にやることなんざ一つだ」
「その心は……?」
「『自棄糞になって暴れる』、だ!」
「そ、そんな無茶な、ふざけるのも大概しろ……!」
「しゃーねーだろ。よく分かんねーけど、お前ら人を守んのも仕事なんだろ? ここでただ逃げたら、被害がどれだけ出るか分からんぜ?」
(コイツ……!)
(ほんと、昔っから自分のことしか考えてないように見えて、人のことだけはよく見てるんだよなぁ)
一也の『自棄になって暴れる』とは、やることを端的に表しただけだ。本来の目的は別のところにある。
確かにノイズの出現から時間は経過している。自壊が始まるのは時間の問題であろうが、ここに一つの陥穽がある。
ノイズは個体によって自壊までの時間が異なる。しかも、自壊までのより正確な時間はまだまだ研究中なのだ。
この場でただ撤退を選択すれば、市街地への被害が出かねないのである。特に危険なのは飛行型のノイズ。奴らの移動速度は馬鹿に出来ず、数も多い。
つまり、一也の言葉を言い換えれば、時間と限界の目一杯まで粘り続けることである。
「引き時は、どうするつもりだ?」
「コイツら、時間が立てば勝手に壊れるんだろ? 一体でも崩れ始めたら速攻逃げる。えっと、……何とか何とか!」
「私の名前は風鳴 翼だ!」
「まあまあ……この連中は殆ど同時に発生してる。引き時としちゃ、ベストだな」
「そういうこと。よっしゃぁ、お前ら、行くぞぉ!!」
「「――――え?」」
覚悟を決めたはずのツヴァイウイングの思考は、明後日の方向でシンクロした。コイツは今、何と言った、と。
「いや、あの、一也さん? 今、お前なんてった?」
「行くぜ、殴るぞ殴るぞ殴るぞぃや!」
「ばっ! 相手はノイズだ! 町のチンピラを相手にするのとは訳が違うんだぞ!?」
「だからぁ……?」
「ノイズに触れればお前、死ぬんだ! 分かってるぅ!?」
「人間だろうがノイズだろうが変わらねぇ。相手によって怒り方変えんのか、テメェらは」
一也にとって相手が大人だろうが、獣だろうが、総理大臣だろうが、大統領だろうが、自分より強かろうが、神様だろうが、ノイズだろうが関係ない。
殴りたくなった奴を殴りたいように殴る。まるで、ムカつく奴はぶん殴る、そんな意志に四肢が生えたかのような男だ。そして、殴ることしか考えていないので己の生死など埒外でしかない。
控えめに言っても正気の沙汰ではないが、一也にとっては当然のことである。
オレのダチを泣かせやがった。それがこんな地獄の底まで足を踏み入れた
「いや、あの、ほら……そうだ、あたしが助けたあの子、アイツを逃がすのにだな!」
「勿論、立花も助ける。だが、その前に一発ぶん殴るぐらいの時間はある!」
「殴ったところで何になる! よしんば倒せたとしても数ある内の一体に過ぎないんだぞ!」
「関係ねぇ! そんなこたぁ関係ねぇぇんだよ!」
「馬鹿! この馬鹿! 助けに来た奴が死に急ぐなぁ!!」
「うるせぇぇ!! そんなこと、オレが知るかぁぁぁぁ!」
「「人の話を聞けぇぇぇぇーーーー!!」」
奏と翼の悲鳴染みた叫び声が響くと、間の悪いことにノイズは侵攻を再開した。
いや、今の今まで動きを止めていたことが奇跡的だった。それほどまでに今まで起こった出来事は、ノイズにとってすら判断を鈍らせるほどの衝撃を持っていたようだ。
形状を変化させ、自らを矢として迫るノイズ。
一也のムチャクチャさ加減に気を取られた二人であったが、数々の修羅場を掻い潜った経験から冷静さを取り戻し、槍と剣を手に前へ出る。
しかし、ノイズと装者の一歩先を行ったのは誰あろう一也であった。
誰よりも速く覚悟を済ませ、精神的な動揺が一切なかった彼が一番早く動き出すのは自明の理。
大きく振りかぶった見え見えのテレフォンパンチ。されど、大振りであるが故、後先を考えていない故、最も威力の乗る殴り方である。
この時点で、奏と翼は一也の右腕を諦めた。
残酷であるが、仕方あるまい。如何な防人と言えど、自ら死にに行く愚者を救えはしない。
彼の右腕はノイズにどれほどのダメージを与えられるかは不明であったが、接触の瞬間、炭素分解を開始するのは間違いない。
そして、炭素分解はノイズ自らの体積との等価交換によって行われ、接触した部分から始まる。ならば、一秒でも早く二人が接触したノイズを討ち果たすのが残された最善であった。
(――――なんて、奴だ)
奏と違い、翼にはまだ余裕があった。
何せ、一也とは友人知人ではなく、あくまでも守るべき対象の一人に過ぎなかった。焦るには関係性が薄すぎる。
一歩、前に踏み込みながら、チラリと一也の横顔を眺め、怖気が走る。
――事もあろうに、一也は
獰猛さと歓喜を表現した笑み。今まで翼が見てきた笑みの中で、尤も生と死が融和した笑み。
この男は狂っているのではない。現代人とはかけ離れたメンタリティと価値観を有しているだけ。何よりも、本気で奏とノイズを殴りたかったから殴りに来ただけなのだ。
翼も認めざるを得ない。この男は精神的に強い。ブレや迷いが一切ない。一秒先の彼我の死を直視しても、何の動揺も示すまい。それが人として正しいかはともかくとして。
(何なんだ、コイツは……! これでは、まるで……!)
これではまるで――――自分の目指す“剣”の在り方そのものではないか。
違いは“何の為に”かだけに過ぎない。一也は己の為に我が身を“拳”に、翼は他者の為に我が身を“剣”へと変えている。
巫山戯ている。舐めている。馬鹿にしている。
この男は一体何を犠牲にしたというのか。この男は自分以上の鍛錬と苦痛を耐えてきたというのか。
好きなように生きて、好きなように死ぬ。やりたい放題好き放題。そんな自分のことしか考えていないような男が、どうして自分の望むものを、自分よりも先に持っている……!
強さ、在り方――何よりも、奏からの信頼と笑顔。余りに醜い嫉妬だとは理解している。しかし、抑えられぬ衝動には違いはない。
それでも、自らの感情を理解してもなお、風鳴 翼は人類守護の防人であった。動きに淀みはなく、自らの使命を全うする。
一也の拳と奏の槍と翼の剣、ノイズどもの殺意が交差し―――
「―――――え?」
――接触することなく、過ぎ去った。
漏れた声は誰のものであったか。
見れば、三人へと向かってきたノイズは、その全てが真紅の矢で地面に、壁に磔にされていた。
次の瞬間、真紅の矢は炎と化すやノイズの全てを焼き尽くし、消し炭すら残さず消滅させる。
奏と翼は第三者の介入に周囲への警戒を向けたが、最も早く介入者を見つけたのは一也であった。
「ゴラァ! テメー、コノヤロウ! コイツらはオレらの相手だぞ! 邪魔すんじゃねー!」
怒声は形状を変えたドームの天井――大きく広がった双翼の頂点に向けられている。
頂点に立った人物の表情は余りに距離が離れ、窺い知ることはできない。
しかし、その身に纏ったは黄金の鎧は何よりも目を引いた。夕暮れの光を反射させる鎧は、まるで太陽そのものの神々しさを放っている。
手にしている弓も同じく、とても人の手によって造られたものとは思えない。雷そのものを形にしたかのような凄烈さがあった。
「起動に、成功したの……?」
「いや、アレはネフシュタインじゃない……!」
「あ? 何ソレ?」
一也は与り知らぬところであるが、今回のライブの裏ではある計画が動いていた。
Project:N。ネフシュタインの鎧と呼ばれる完全聖遺物を、ライブによって高まったフォニックゲインを元に起動・解析することでノイズへの対抗手段とする。それが計画の目的であった。
しかし、奏と翼は計画の失敗を知らぬながらも、黄金の鎧そのものが起動したネフシュタインの鎧とは別物であると見抜いていた。
黄金の射手は一也の罵声も奏と翼の困惑、ノイズたちの殺意にすら歯牙にもかけない。弓に炎の矢を番え、第二射に移ろうとしている。
「うわ、うっわ、こりゃやべぇぞ、おい……!」
「お、おい、何すんだ、一也!」
「貴様、下ろせ……!」
「勘だけどやばいぞ、アレ!」
射手が矢を番えた瞬間、身体を翻して肩に奏と翼を担ぎ上げるとノイズに背を向けて走り出した。
既にノイズは三人に眼中になく、最大の脅威は黄金の射手と断じている。背中を向けて逃走したところで何の問題もない。
一也はゾワゾワと背筋を虫が這い上げるような感覚に、退避を選択。
爆発が起きる直前も、ノイズが現れる直前も、何か危機が近づいてくる時は常にあった感覚だった。
これから何があるかは分からないが、自分にとって良くないことが起こるのは間違いがない。理由も根拠もない勘だが、この勘に何度となく救われてきた。
黄金の射手は第二射を放つ。そこに容赦もなければ、慈悲もない。
放たれた炎の矢は、迷うことなく射手の敵に向かって突き進む。
漏れ出る熱の余波だけで飛行型のノイズを蒸発させ、ノイズたちの中心地に突き刺さると同時に凄まじい炎と爆発を生み出した。
「う、お、ぁぁぁぁぁぁっ!!」
爆発の余波に背中を押され、文字通り吹き飛ばされる三人。
一也の絶叫と浮遊感と爆風に、奏と翼は悲鳴も上げられずに巻き込まれた。
数度の衝撃、目を焼く爆発の光、耳を劈く轟音。
一瞬、気が遠退きかけた奏と翼は、痛む身体を無視して顔を上げる。見れば、先程まで蠢いていたノイズの群れは、跡形もなく消し飛んでいた。
「どうなって……いや、そうだ。一也とあの子は……!」
「これは……!」
ノイズを消し飛ばすほどの威力と熱量。
如何に離れていたとしてもただでは済まない。直撃こそせずとも数十メートル手前でナパーム弾が炸裂したようなものだ。
奏は身体を跳ね上げ、真っ先に傷つき逃げ遅れたままの響に視線を向けた。
響は瓦礫に寄り掛かったまま、命をつないだ瞬間のまま、火傷も負わず、怪我も増えていない。
「ぐわ、っちぃぃぃぃぃぃぃ!! なんでオレだけぇぇぇぇ!!」
一也だけは何故か熱の余波でも受けたのか、地面を転げまわっているが火傷らしい火傷は見て取れない。
(あの一撃、……攻撃対象を選別まで出来んのかよ!?)
(凄まじい。一撃でこれほどの…………しかし、何故奴だけ)
((……………………絶対、罵られたからだ))
奏と翼は一也に罵られた黄金の射手の心中を察して、微妙な顔をする。
見れば、既に黄金の射手の姿はなく、役目を終えたとばかりに消え去っていた。
疑問は尽ず、無力を痛感してはいるが、何はともあれ驚異は去った。あらゆる思惑から外れてしまったが、今は生き延びられたことを喜ぶべきだ。
一足先に立ち上がった奏は地面を転げ回る一也は一先ず放置し、両手両足を地面について荒い呼吸を繰り返す翼に手を差し伸べた。
翼は何も言わず、差し出された手を取り立ち上がる。言葉はないが、笑みはある。互いの無事を喜び、互いに支えあう無言の信頼が確かにあった。
「おーい、一也、いつまでやってんだ。怪我はないんだろ?」
「うるせー、くっそ熱かったんだよぉ! ふざけんな、ふっざけんな! なんでお前ら平気なんだよ、ふっざけんなぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「はは、そりゃ普段の行いの…………?」
そこまで言うと、ガクリと奏の膝が折れた。
痛みはなく、誰かに何かをされた訳ではない。突然、彼女の意識を無視して、大量の喀血と共に身体は糸の切れた人形の様相を呈した。
「おい、おいおいおい……!」
「バックファイヤ……! 奏……っ!」
ノイズに対抗するためのシンフォギアであるが、一つの欠点がある。量産と戦線投入が極めて困難であることだ。
素材たる聖遺物の欠片は古い遺跡から発見されるものの、加工は困難を極め、現状ただ一人の科学者にしか不可能。
仮に加工が完了したとしても、次は使用者の問題にぶち当たる。
歌によって起動するシンフォギアであるが、誰の歌でも、どんな歌でも構わない、という訳ではない。条件や理由は不明であるが、特定の人間でなければ起動できず、起動出来た者を適合者と呼ぶ。
仮にも国家の組織である特異災害対策起動部二課が、たった二人しか矢面に立たせないのは、そういった背景がある。
また同じ適合者といえど奏と翼には大きな隔たりがある。
風鳴 翼は高い適合係数を誇り、シンフォギアが開発させる以前の欠片に過ぎなかった天羽々斬を起動させている。
対し、天羽 奏は生まれ持った適合係数が低く、シンフォギアを纏うには至らなかったが、LiNKERと呼ばれる制御薬の過剰投与により後天的な適合者へと相成った。
つまり奏はシンフィギアを纏うには常にLiNKERの助けが必要であり、効果が切れれば甚大なダメージを負う。
ネフシュタインの鎧の起動実験に伴い、不確定要素を排除するためLiNKERを断っていた代償がここになって現れた。
「……あー、ちょっと頑張り過ぎた、かな?」
「奏、身体は……っ!」
「ひでぇな、おい。お前、身体中ボロ雑巾かよ」
「色々、考えなしに突っ走ってきたから、しょうがない、さ……」
猛烈な睡魔に襲われながらも友と相棒の手前故か、奏は辛うじて意識を紡ぐ。
「大丈夫だよ、翼。馬鹿が邪魔しに来たんだ、今はまだ、死にゃしないよ」
「…………」
「でも、少しだけ、疲れたから、ちょっと、ちょっとだけ、お休みを貰うよ。……一也」
「あ? 何だよ?」
「翼は、これから、色々忙しくなる、だろう、からさ。目覚まし、かけといて、くれない……?」
「目覚ましって、お前なぁ。…………まあ、いいぜ。ゆっくり休め」
「うん。お休み、翼、一也」
それきり、奏はピクリとも動かなくなる。
翼はその様に、一瞬死を連想するも、規則的に繰り返される呼吸に安堵の息を漏らした。
安らかな寝顔だった。やるべきことをやり遂げた者が、遊びつかれた子供が見せる寝顔。
翼は奏の寝顔に幾粒もの涙の雨を降らせながら、相棒の存命に喜び、自身の無力を噛み締めていた。
「行くぞ、こんなところで寝かせといたら風邪引いちまう」
「う、うるさい! 貴様に言われずとも分かっている……!」
「そうかよ。だったらお前は奏を運べ、お前の相棒だ。オレは立花を運ぶ、奏に任されちまったからな」
多くの悲しみ、多くの犠牲、多くの謎を残し、小さな偶然、小さな奇跡、小さな命を紡いだ惨劇は、こうして幕を閉じた。
主人公はムカつく奴を絶対殴るマン、妖怪ちょっくら殴らせろ、もしくは殺魔隼人型覚悟完了系男子です。
先にネタバラシしてしまうけど、コイツはシンフォギア、完全聖遺物を使ったりしません。
ガチの生身でノイズを殴りに行きました。なんやねん、こいつ(戦慄)
でもしょうがないね、殺魔隼人だからね。