戦姫絶唱シンフォギア Ace of Fist 作:HANK1989
一也「ムカつく奴はぶん殴る!」
奏「相手はノイズなんですが、炭素分解されるんですがそれは」
一也「だから? 殴るぞ殴るぞぉ(満面の笑み)」
奏「人の話を聞けぇ! 死んじゃうの、ノイズ生身で殴ったらお前死んじゃうのぉ!!」
一也「知ってますが何か?(拳を振り上げつつ)」
翼「なんだこいつ(戦慄)」
ノイズ「なんだこいつ(戦慄)」
黄金の射手「………………(無言の射撃)」
大体こんな感じの前回
ライブ会場の惨劇から一週間。但野 一也は、とあるビルの一室に軟禁状態にあった。
翼が奏を、一也が響を抱えて玄関ホールに移動すると、待ち構えていたのは冗談のような数の自衛隊員、まばらに立つ黒服、極々少数の救命救急士だった。
自衛隊員の大半は衛生要員であり、戦うことではなく傷病人の保護と救助を目的とし、黒服は被害状況の確認と情報の隠匿、救命救急士は重大な傷を負った人間の救急搬送がそれぞれの役割を果たしているようだった。
奏と響は即座に病院へと搬送され、翼は黒服と共に消えていった。
一也は会場外に急ピッチで設営された野外病院で簡易検査を受け、異常無しの診断を受けると例の黒服に連れられ、現在のビルの一室へと通された。
そこで求められたのは特異災害対策起動部二課による一也が置かれている立場の説明と同意書へサインだった。
シンフォギアは、あくまでも特異災害対策起動部二課が秘密裏に保有する特殊なシステムである。
対ノイズを主としているが、兵器として使用しても絶大な力を誇る故に、現行憲法では非常に危うい立場にあり、諸外国への目や日米安全保障条約を鑑みて、存在そのものを秘匿している。
ライブ会場での一件は国家特別機密事項に該当し、情報漏洩防止のため、言動、言論の一部に制限が設けられる。また外国政府への通謀、情報提供は政治犯と見做される。
一也の受けた説明を掻い摘んで表せば、こんなところだ。
とはいえ、二課といえども一週間もの間、個人を軟禁状態するような必要性も権限もない。ただ、一也がゴネにゴネただけだ。
「いや、言動だ言論だに制限を設けるって、そっちの方が憲法違反? なんじゃないっすかねぇ?」
「政治犯って、具体的にどんな罰を受けるんで?」
「外国政府への通謀って、どこから通謀になるもんなんすか?」
「そもそも国家特別機密事項って何?」
これである。しかも、自分から聞いておいて説明の半分も聞いていない有り様だった。
それでも二課の面々は根気強く、手慣れたものだった。
何も珍しい話ではない。政府機関というだけで無闇矢鱈に噛みついてくるものもいるし、大して理解もせずに違憲だと囀る者は少なくないのだ。
ノイズの被災者に対して根気よく説明を繰り返すのが二課の仕事でもあり、説得はお手の物である。
事実として、一也も若造なりの知識で粘ったものの、一日と持たずに聞くことがなくなってしまったほどだ。
しかし、そこで終わる男ではなかった。
「言ってることは分かった。いや、一個も分からねえ上、難しい話だから殴りたくなるけど我慢はする。で、立花と奏はどうなった?」
「立花 響さんは一命を取りとめたわ。リハビリに時間はかかるけれど、問題なく日常生活に戻れるでしょう」
「そいつぁ良かった。で、奏は?」
「彼女についての容体、状態、治療場所、その他一切の情報は明かすことはできません」
「そうか。なら、オレもサインは出来ないわ。ダチの無事を聞いちゃいないのに、帰れねぇ」
そう言い続け、早一週間。
この恐るべき頑固者を前にして、二課の面々はよくやった。
初めの内は説明と説得を続けていたが、それが不可能だと判断すると方針を変えた。
警察の犯罪者に対する取り調べの如く、互いに飲まず食わずで丸一日机を挟んで睨めっこ。
時に恫喝染みた言葉、暴力を伴った説得を交えたものの、一也には一切の効果を発揮しなかった。
先に折れたのは二課の面々。
彼らとて難解な試験と過酷な訓練、厳選な審査を乗り越えてきた護国の防人である。
非常時には非合法の手段を取らざるを得ないのは理解していたが、結局のところ根底にあるのは国を護る、人を護るという使命感と責任感だ。
ただひたすら友の今について知りたい。
その一心を貫き続ける青年に対して、あらゆる手段を用いて情報漏洩の可能性を潰えさせることが正しい行いなのか、真に人を護る行為に繋がっているのか。彼らの良心を刺激する充分だったろう。
人として正しかったのは一也であり、国とより多くの人々を護るために正しかったのは二課の面々だったが、そも二つを天秤にかけること自体が間違いだ。
しかし、不思議な点がある。
但野 一也。自らの感情と魂に誰よりも正直に生き、ムカつく奴は迷わず殴るような男が、今の今まで怒鳴り声すら上げず、暴れもしなかったのは何故なのか。
理由は単純だ。一也にとって、これは喧嘩だったからだ。
彼にとって喧嘩とは殴り合いではない。殴り合いとは手段や方法であり、喧嘩という行為の本質は意地を張ること。言葉ではどうにもできない貫き通したい意志があるからこそ意地を張り続ける。そして、自分への負い目の無さが勝ちを呼ぶ。
だからこそ、決して殴らなかった。ここで拳を振り上げれば、自分の負けという認識だった。
何せ、二課の面々は自らの職務を全うしているだけだ。人として正しいとは言え、我が儘を言っている自覚は彼にもあった。つまり、負い目が自分に生まれる。負い目が生まれれば負ける。負ければ、奏には二度と会えないような気がした。
そして、今日も今日とて、一也は両手に手錠をかけられたまま、尋問部屋に通された。
表情に疲労の色はなく、その瞳に一切の迷いはない。大したものだ。そこいらにいる大人なら、とうに心が折れているだろうに。
さあ、今日は何されるのかねぇ、などと食堂でメニューを選ぶような気楽さで一也が待っていると扉が開いた。
「…………?」
入ってきた人物に、一也は首を傾げた。
ここ数日の一也の説得に当たったのは黒服サングラスの屈強な男たちであったが、入ってきたのは二課のスーツで身を包んだ女性と二人の男だった。
彼女の名前は友里 あおい。本来は奏や翼といった前線に立つ者を支えるオペレーターであるのだが、人員不足から初日に一也への説明と説得を行った女性である。
別れ際、ゲンナリとした表情で扉の向こうへ消えていった彼女の姿に、もう二度と会うことはないと一也は確信していたのだが、どうやら見立ては外れたらしい。
「アンタらは……」
「これで二度目になるな、オレの名は風鳴 弦十郎。一応、特異災害対策起動部二課の司令官を務めている」
「同じく二課所属の緒川 慎次です。以後、お見知り置きを」
「但野 一也。お偉いさんが、何の用で?」
「話にならない、責任者を呼んでくれ。そう言ったのは君でしょう? 司令官、真に受けちゃったみたいよ」
確かに、そんなことを言った記憶が一也にはあった。あったはあったが、本気などではなかった。
奏について話す権限がない。二課の職員は口を揃えてそう言った。
ならば権限がある人間を出せ、というつもりだったのだが、まさかトップが出てくるとは思っていなかったようだ。
しかし、一也に動揺はない。寧ろ、嬉しい誤算ですらある。
この時、このタイミングで出てきたならば、そこにある意図は馬鹿でも分かる。
何よりも、一目見れば目の前の男がどれほど実直であるかなど考えるまでもないことだった。
そうこう考えていると、緒川が懐から取り出したリモコンらしきもののボタンを押し、一也の両手を封じていた手枷が外れた。
「さて、何から話したものか。…………そうだな、まずは奏と我々の出会いからでも話そうか」
「……おいおい」
ようやく自由に動かせるようになった両手首を擦りながら、弦十郎と奏の出会いを聞かされる。弦十郎としては、奏の友人である一也には聞く権利があると考えているのだろう。
長野県皆神山。3年前、そこで教科書に書かれた歴史とは明らかに異なる真実と共に遺跡が発見された。
そういった遺跡には共通点がある。大抵の場合、遺跡と共に聖遺物ないし聖遺物の欠片が発見されるのである。尤も、片手で事足りる例に過ぎないが。
ともあれ、聖遺物の発掘チームが編成され、遺跡へと送り込まれる運びとなった。その中にいたのが奏の両親であり、両親の計らいで連れられた奏と妹でもあった。
――そして、悲劇は起きた。
遺跡に突如出現したノイズによって発掘チームは壊滅。唯一の生存者が奏であった。
彼女を保護した二課は当時の様子を聞き出そうとするも、手負いの獣の如く暴れ回り、ノイズへの復讐に燃える奏から価値のある情報を聞き出せるはずもなかった。
情報こそ手に入らなかったものの、僥倖は何処に転がっているか分からない。少なくとも二課にとっての得るモノはあった。
それは天羽 奏に他ならない。
後天的、LiNKERありき、時間制限があるとは言え適合者は適合者。
まして、その凄まじい努力と意志の強さは“最強の装者”と呼ぶに相応しく、ノイズに対しては正しく槍であった。
果てのない、終わりの見えない、死ぬまで続くノイズとの戦いにあってすら決して折れない無窮の一振り。
但し、それだけで終わるほど、人も世も甘くはない。
何かを得るためには、何らかの代償が必要だ。生まれ持った素養もなく、ただ意志の力でもぎ取った奇跡の代償は、彼女自身の命そのも――――
「なあ、おっさん。クソみてぇにどうでもいい話、何時まで続くんだ?」
「…………それは、どういう意味だ?」
「言葉通りだよ、くっだらねぇ身の上話に付き合わせんなっつってんだ」
「くだらない、ですって? アナタ、よくもそんな……!」
今の今まで、一也の如何なる言葉にも、ふざけた態度にも辛抱強く耐え忍んでいたあおいであったが、一也の発言には流石に怒り心頭のようであった。
無論、彼女だけではない。表にこそ出していないが、弦十郎も、緒川も静かに、だが確実に怒りの炎をその身に宿している。
彼らにとって奏は大切な人間だ。
数々の危難を払い、多くの人々を救い、長く共に在った仲間。悲劇と血に塗れた過去をくだらないと一蹴する権利が、友人とは言え一也にあるというのか。
「くだらねぇよ。なんでアンタらの後悔だ、懺悔だ、歯痒さだに関係のないオレが付き合わなけりゃならねぇ、くっだらねぇぜ」
「…………っ!」
「違ったの? それなら謝るっスよ」
紡いだ言葉に情け容赦などなかった。
奏が別れの後にどんな人生を送ってきたのかなど興味がない。再開した奏は確かに心から笑っていた。一也にはそれだけで十分すぎた。
そもそも奏の容体を知りたいだけで、過去の話などまるで関係ない話ではないか。何故、わざわざそんな話をするのか。
決まっている。目の前の三人は誰かに罵られることで、心を軽くしたいだけ。
人の心は複雑なもの、決してそれだけが全てではないだろうが、大部分を占めていたのは事実だろう。
何故、自分がそんな赤の他人の尻拭いのような真似をしなければならないのか。自分の尻くらい自分で拭けよ。彼は、暗にそう言っていた。
とても倫理や理性にそった正論などではない。単なる感情に任せた極論だ。
それでも、三人を沈黙させるには十分すぎる威力を秘めていたのは確かだった。
「ったく、仕方ねぇな。そこで黙るんなら仕方ねぇ、嫌々だけど付き合うよ。ほれ、何でも言ってくれ。罵声のオンパレード浴びせるから」
「……そうまで言われて実行するほど子供でもなければ、恥知らずでもないさ」
「そいつぁ良かった。こっちもこれ以上時間を無駄にしなくて済むんでね」
沈黙からいち早く立ち直ったのは弦十郎だった。
目を逸らしたくなるような事実を突き付けられてなお、揺るがない大人だったからだ。
その姿、在り方に引きずられるように緒川もあおいも自らを取り戻す。彼らも、また人類守護を使命とした二課に属する者である。
一也は一也で二課の面々の様に、面白いとばかりに口元を歪め、そんな言葉を口にする。
散々、人の時間を無駄にさせておいての棚上げ発言である。殴られても文句は言えない。
「奏は我々の保有する医療施設に運び込まれ、治療を受けた」
「で、結果は?」
「容体は安定している。あくまでも生体機能に問題がない、という意味でだが……」
「あー…………悪いんだけど、もうちょっと賢くない奴でも分かるように言ってくれない?」
「遷延性意識障害に近い状態にある」
「………………???」
「分かりやすく言えば、植物状態という奴よ。聞いたことくらいはあるでしょう?」
遷延性意識障害。持続的意識障害とも。
重度の昏睡状態を差す症状であり、一般には植物状態と言った方が馴染み深いだろう。
本来であれば、治療にも関わらず三ヶ月以上もの間、意識の回復が見られない場合にのみ用いられる定義である。
奏の場合、原因は不明であるが、脳――特に大脳への損傷が要因の一つであると考えられる。
LiNKERは認可のある薬物であるはずがなく、人体に対する影響は未だ未知数であるところが多い。
ある意味で、奏の現状は予測されうる未来の一つであったのだろう。もっとも、それは本来であれば暫らくは先の話であったはずだが。
「ふーん、取りあえずは生きてるのか」
「……人として生きているとは、とても言えませんが、命を繋いでいるのは事実です」
「それならいいだろ。アイツも死にたくなかったみたいだし、可能性があるだけ上等上等」
あっけらかんとした、楽天的過ぎる態度に、さしもの三人も唖然とする他なかった。
奏の現状が上等である筈がない。
年はまだ17。まだまだ多くの未来と可能性と人生がある。それが今、閉ざされようとしているのだ。
ましてや余命幾許もない状態での意識障害。意識が回復しないままに亡くなってしまう恐れがある。
意識が回復したとしても、治療にリハビリにと多くの時間を取られてしまう。日常に戻れたとしても、一体どれだけの時間が残されているのか。
最早、絶望と終幕しか残されていない奏の人生。一人の少女が歩むには、余りにも悲惨すぎるだろう。
「そんなツラしてたって無駄だろ。大体、人は死ぬもんじゃねーか。奏だけが特別なわけじゃねー」
「…………それは、そう、だが」
「オレも死ぬ。おっさん、アンタも死ぬ。イケメンのにーさんだって死ぬ。そこのねーさんも死ぬ。皆、死ぬ。一秒先に死んだら不思議かもしれねーが、可笑しかねー。いつかは死ぬ」
「…………」
「死ぬのは悲しいが、絶望するほどのもんでもねぇよ。死ぬのが怖くて、生きていけるか」
余りにも現代人とはかけ離れた精神性。
まるで文明も人の認識も幼く、自然と人とがもっと近かった時、ただ過ごす日々の中ですら絶えず死の危険性が付きまとった原初の時代の人のような在り様。
一体、何処でどんな生活を送り、どんなものを見て、どんな風に育てば、このような人間が現代社会の中に生まれてくるというのか。
そして何よりも恐ろしいのは、こんな精神性を抱えているにも拘らず、但野 一也の経歴に不審な点など一切ないということだ。
緒川の調査によっても目を引く事柄は一点あったが、決して珍しいというわけではなく、ましてや他国のスパイである可能性も限りなく0に近い。
何をもって一般人とするかで変わってくるだろうが、こと経歴に関して言えば、紛うことなき一般人である。
「それさえ聞けりゃ満足だ。ほら、サインしたよ。これで帰っていいんだよな?」
「……あ、ああ。くれぐれも口外は」
「分かってる。そもそも誰も信じねぇだろ、アイドル二人がノイズと戦ってるなんざ。……そんじゃ帰るわ。悪いね、仕事の邪魔しちゃって」
「……家まで送りましょう」
「いや、気遣いは感謝っすけどいらねぇッスわ。自分の家くらい自分で帰れる」
可笑しな、本当に可笑しな少年である。
自分の行動が正しいと信じている訳ではなく、二課の所業を間違っていると糾弾もしない。
自らが感情に則した生き方をしていると理解しているからこそ、必要な時に必要な分だけ感情を殺す術も身に着けている。
二課が奏に対して行った所業も、奏が自ら望んで地獄に落ちた事実ですら、必要な行いだったと考えている。
弦十郎たちの後悔に付き合う気など微塵もないが、決して否定はしていない。認めてすらいるだろう。
ノイズに対抗するためには仕方ない。人である以上、対抗手段など無きに等しく、唯一対抗可能なのはシンフォギアのみ。
弦十郎が奏を力尽くでも止めていたのなら、現実はもっと変わっていた。生まれながらの装者である翼は、たった一人で戦い、とうに死んでいただろう。そして、ノイズの犠牲者も飛躍的に増していた。
誰もが納得できるわけではないが、誰もが最終的には納得せねばならない。誰もが自ら進んでやりたがるわけではないが、誰かが自ら進んでやらねばならない。
これはそういう類の話。やらねばならないことに、必ずしも納得が付いて回るとは限らないのだ。
思い通りにならないことに憤らない。
この少年は強い。ただ目の前の現実を、あるがままに受け入れるだけの強さを持って生まれてきていた。
「君は、それで構わないのか……?」
「……あ?」
緒川に促され、部屋を後にしようとした一也に、弦十郎は堪らず声をかけた。
人生とは挫折と後悔の連続だ。成功や達成の可能性は低く、明日は常に暗闇に閉ざされている。
弦十郎もまた、一人の大人として人生の酸いも甘いも味わってきた。その上で認めよう。この少年は強い。大人よりも精神的に遥かに強い。
あるがままを受け入れる。言葉にすれば単純だが、実践出来る者など一握り以下でしかない。大抵の人間は受け入れることが出来ず、足掻き、呻き、泣き、喚き、あるいは他者に当たり、縋り、救いを乞うというのに。
だが、少年は既に奏の死すら受け入れている。僅かな動揺もなく、微塵の後悔もなく、ただ静かに受け入れていた。
「構わないもクソもねぇよ。死ぬほど嫌なことがあろうが、死ぬまで生きてくしかねぇ。誰も彼もそうやって歯ぁ喰いしばって生きてんだ。自分や奏だけ特別扱いする意味が分からねぇよ、オレには」
「……君は」
「1秒先に死のうが、10年先に死のうが、死んでいようが、そんなこと、オレが知るか。ダチはダチだ」
変わらぬ友で在り続ける。それが彼の結論だった。
医者でもなく、神でもない。殴ってどうにかなるような問題ならば喜び勇んで元凶を殴りに行っただろうが、この話はそういった問題ですらない。
ただの人に過ぎない一也に出来ることは、そのくらいのものだ。そして、そのくらいで十分だと信じている。奏が笑って死ねるように、共に在り、時に手を貸すだけのこと。
それだけ言うと、一也は最後に悲しげな笑みを見せ、部屋を去っていく。
何のことはない。彼もまた奏の死を想い、悲しんではいる。だが、決して言葉にしないだけだ。
そも感情とは複雑で、必ずしも言葉で表現できるわけではない。無理に言葉にしても、本来の感情との差異が生まれてしまう。
まるで一也は、その差異ですら我慢がならないと言わんばかりだ。感情に対して何処までも正直な彼は、感情に対して何処までも潔癖なのだろう。
こうして、二課と一也との邂逅は一先ず幕を閉じた。
二課の面々に強烈なまでの印象を残した一也であったが、何事もなかったかのように日常の中へと戻っていく。
それまで一也を中心とした歯車は一時動きを止める。物語が動き出すのは半年後の話であった。
◇ ◇ ◇
「………………」
二課が保有する医療施設にて、奏は昏々と眠り続けていた。
ベッドの上に横たえられ、いくつものチューブと器材に繋がれ、命そのものを繋いだ様は痛々しい事この上ない。
しかし、過酷な過去も運命も今は忘れ、表情は穏やかそのものだ。歌姫から眠り姫へと名を変えた彼女は、優しい夢の中で微睡んでいる。
「………………」
そんな眠り姫を見下ろす人影が一つ。
正体は分からない。時は夜半、部屋の電気は落とされ、表情どころか性別ですら窺うことはできない。
まず医療施設の関係者ではない。
既に夜間巡回は済んでおり、次の巡回まではまだまだ時間がある。
必要な時間以外にまで巡回する医療関係者はいない。何も患者は奏一人だけではないし、24時間体制で奏の状態を監視している。異常が起これば、即座に駆けつける手筈だ。わざわざ見守るほど暇な職種でもあるまい。
では、二課の誰かか。
それも違うだろう。彼らは彼らで仕事があり、必要最低限の護衛を除いて出払っている。何処も彼処も人手不足が現状だ。
奏の情報に関してはほぼ完璧な形で保全され、漏洩の恐れは無きに等しく、容体が安定しているとはいえ無駄な刺激を与える必要もない。
ましてや病室は7階だ。しかも窓のない無菌室。侵入の可能性があるのはたった一つの扉のみ。最後の護衛は扉の前で充分。そもそも、そこまで踏み入られた時点で
ならば、この人影は何者だというのか。
誰にも気づかれることなく。誰にも悟られることなく。誰にも認識されることなく、どうやってこの場に潜り込んだのか。
一体、何の目的で。一体、何の理由があって。一体、何の必要があり、どうしてこの場に佇んでいるというのか。
暫らく、奏の寝顔を眺めていた人影は、何事かを呟くとゆっくり手を伸ばす。
伸ばされた手は首――――ではなく、耳に向かった。人影が手を放すと、彼女の耳には見事な装飾が施された
それが何の意味を成すのかを知る者は人影しかいないが、人影は目的を済ませたとばかりに背を向ける。
「ひと……なり……?」
眠り続けている奏が言葉を漏らす。
植物状態であっても言葉を解し、受け答えが可能とする場合もある。もっとも、はい・いいえの簡単なものに限られるが。
それでもなお一也の名を呼んだのは、装者故か、はたまた彼女の記憶に嫌と言うほど焼き付く強烈な印象を与える男だった故かは定かではない。
その名と声は人影の足を止めるには充分な威力を秘めていた。
人影は振り返ると確かに眠り続ける奏を眺め、声もなく笑みを浮かべる。まるでその言葉が、その勘違いが、己にとっては喜ばしいものだと示すように。
――人違いだ、
人影から漏れた声は、誰の耳にも届くことはなく独り言同然に消え失せた。同時に人影もまた闇に融けるが如く消え失せる。
あとに残ったのは静謐な空間に漏れる機械の駆動音と奏の寝息だけだった。
前回と今回の最後に出てきたのは、分かる人には分かるあのキャラが元ネタ。
まあ、設定は全然違うので、性格や口調だけ似てる……つもりです。