戦姫絶唱シンフォギア Ace of Fist 作:HANK1989
一也(うひゃははははは――――!)←崖から重機で落ちながら
一也(虫がなんぼのもんじゃい! あ、ちょ、数おお! うぎぁぁぁぁぁ!!)←スズメバチに全身刺されながら
一也(おーい、奏ー! ひゃっ、うぉぉぉぉぉ!?!?)←滝に流されながら
一也(バーベキューだ! 夜にオレが焼き肉になるぅぅぅ!! うひょあ!!)←周りを炎で囲まれながら
一也(うぉぉぉ! オレのダチに何すんだゴラァ!)←高校生にリンチにされながら
奏「起きなきゃ(顔面蒼白)」←過去の記憶の衝撃で植物状態から目覚めた
???「未だかつて、このような酷い理由で目覚める事例があっただろうか」
こんな感じの前回
「行くぞ、そーれ、とつげーきぃっ!!」
「おい! 奏コノヤロウ! まだ背中乗ってるんですけど、オレェ!?」
奏が植物状態から復帰して2週間が経った。その間、多くの人々が彼女の回復を喜び、多くの祝いの言葉を送っていた。
そうして奏の無事に安堵し、一抹の不安を覚えながらも、自らの職務や生活に戻っていく。
大きな喜びと僅かな寂しさを抱えながらも、奏はベッドの上で上半身を自力で起こし、腕を自由に動かせる程度には回復している。
自由に歩くどころか立ち上がるのは当分先の話だが、半年寝たきり状態だったにしては驚異的な回復力だ。
一也もまた奏の病室へと足繁く通っている。
目覚めた直後、医師の診察故に一時面会謝絶となった時を除いて、放課後は常に病室に顔を出していた。
奏の知り合いがいる時は邪魔をせぬように壁の一部となり、奏と二人になれば昔話や他愛ない会話に興じ、病院生活で足りぬものを買ってくる日々。
とは言え、元々根が活発な奏がただの療養生活に満足など得られる筈もない。
その為、少しでも暇を潰せればと買ってきたのが、某人気モンスター狩猟ゲームであった。二人が今遊んでいるのもそれである。
奏はランス一択。スキルも回避系で揃えた、ガングニールを携えて戦う彼女に近いプレイスタイル。
逆に一也は特定の武器に拘りはないようで、スキルもネタから効率まで様々な広く浅くのスタイル。
「おまっ、いやちょっと待て、起き上がりの時に突っ込んで、ぁぁぁぁぁっ!!」
「あーあ、まーた一也のハットトリックかぁ。へったくそだなぁ」
「その原因が全部お前なんですがそれは。つーか、初めて1週間でフレーム単位の回避できるってお前どうなってんだよ。あー、アホくさ、やめだやめだ。ゲームなんざ性に合わねぇ」
「結構、時間も経ったしなぁ。休憩休憩と」
一也はゲーム機の電源を落とし、パイプ椅子の背もたれに身を投げ出し、大きく身体を伸ばす。
学生服に包まれているものの、スポーツマン特有の引き締まり大きな肉体を伸ばす姿は、猫科の肉食獣を連想させるほどに柔軟で力強かった。
ふてくされた一也に苦笑しながら奏もまた電源を落とす。
「そういや、ずっと聞きたかったんだけどさ。これ、お前がくれたの……?」
「あぁ? ゲーム以外なんにも――……」
奏が取り出したのは黄金の
一也は一時は否定しようとしたものの、耳輪を目にすると無表情を崩してみせた。
――一族郎党が皆殺しにされたかのよう仏頂面である。
これには流石の奏もギョッとしたのか、目を丸く見開く。
大抵は無表情、時折怒っているか、笑っているかの一也であるが、嫌そうな顔は見たことがなかった。
一也は、あの……やら、余計な……やら、奏には正確に聞き取れない声量で、ぶちぶちと文句を垂れている。
やがて困ったような表情で頭を掻きながら、口を開いた。
「あー……なんだ、それはアレだ。オレのダチのだ」
「ダチのって、人の勝手に持ってきたのか……」
「ちげーよ。頼んでもいねぇのに勝手にやられたというか何というか」
「……ワケ分かんねーんだけど」
「オレもよく分かんねーんだよ。ただ、それはアイツの生き別れたとーちゃんがくれたらしくて、幸運のお守りみたいなもんらしい」
「それって、すげー大事なもんなんじゃ……」
「大事なもんだろうけど、アイツが渡したならお前が持ってていい。気にしねぇよ、アイツはそういう奴だ。効果があるかは知らんけどな」
一也の友人が一体誰なのかは奏には知りえないが、一也がそう言っている以上、返しておいてくれと言っても決して自分からは受け取るまい。
ならば、その友人とやらに奏が直接返すしかない。どう言葉を重ねたところで、一也が一度決めたことは曲げない頑固者なのは、奏もよく理解している。
「じゃあ、失くさないようにして、直接返すよ」
「そうしてくれ。そっちの方がアイツも喜ぶ」
「それからアタシが眠ってる時に、これつけたんだって? 看護婦さん、怒ってたぞ」
「…………悪戯にしちゃ、度が過ぎたかね」
歯切れの悪い一也に首を傾げながらも、奏はそれ以上何も言わない。
取りあえずの疑問は解けた。それ以上、奏が聞くことはなく、一也もまた答えることはなかった。
それからまた他愛のない話を交わす。
時間はゆっくりと確実に過ぎていく。それが幸福であればあるほど速く、それが不幸であればあるほど遅く。
一也にとっても、奏にとっても、この時間は幸福だったのだろう。あっという間に時間は過ぎ去り、いつも通り、一也が帰る時間となっていた。
「あっと、そろそろ時間だな。じゃあ、帰ぇるわ」
「…………あ」
「どうした……?」
「……いや、何でもねぇ。またな」
今度は一也が首を傾げる番だった。
普段の奏とは違う。たったそれだけの些細な変化であったが、一也の直感が感じ取るには十分すぎる変化だった。
もしこの変化に気付ける者が居たとすれば翼くらいのものだったろうが、今はアーティストとしての仕事中。この場にはいない。
仕方ねぇな、とばかりに溜め息をつき、一也はポケットから携帯を取り出すと何処かへ発信する。
「あー、吉時? 急で悪いんだけどよ、今日のバイト変わってくんね? …………無理言ってんのは分かってんよ。埋め合わせは必ずすっから、頼むよ。おう、おう、はいよ、飯一回な。分かった、ありがとよ。じゃあな」
「…………え?」
「いや、何だ。勘だが、お前が不安そうな面してっからよ。今日はとことん付き合ってやる」
やりたい放題、好き放題の一也であるが、存外人のことをよく見ている。
彼の言うところの勘は言語化できない微細な変化変異、無意識レベルの情報の集まりを感じ取ってのもの。
言語化できない故に勘の一言で済ませてしまっているものの、実際には入念な観察と相手に対する気遣いによるものだ。
「いやぁ、はは、何て言うか、そのー……」
「…………外、風にでも当たりに行くかぁ」
「あ、お、おい、ちょちょちょ……!」
奏の返事すら聞かない強引さとは裏腹に、彼女を抱き上げる動作は繊細さと慈しみしか感じられない。
背中と膝裏に腕を回して、ひょいと全く重さを感じていないかのように持ち上げる。
そのまま車椅子に座らせると、翼が持ってきたであろうカーディガンを羽織らせ、一切の反論も聞かずに病室を後にした。
◇ ◇ ◇
「全く、ほんっと強引だな、お前」
「毎度の事だろ、いい加減文句垂れるばっかじゃなくて慣れろよ。昔もそうだったろ?」
「慣れるのと文句垂れるのは別問題だ。自覚があるなら直せよ、ったく」
病院の中庭に半ば無理矢理連れ出された奏は不機嫌を隠しもせずに悪態を漏らすが、一也に気にした様子はない。
どころか車椅子から備え付けのベンチに奏を移動させると隣にどっかと腰を下ろし、煙草を取り出して火をつける始末。
「おい、未成年。喫煙なんてしてんじゃねーよ補導されんぞ。あと病院内は何処でも禁煙だ」
「あー、何の問題もねぇな。喧嘩でもう何遍補導されてっか分かんねーし、受動喫煙で死ぬくらいならもうとっくの昔に死んでんだろ」
「問題がねぇじゃなくて、問題しかねぇよ……!」
一応、奏に気遣っているのか風下に陣取ってはいる。気遣いは感じられるが、行為自体が自分本位過ぎて何の意味もない。
未成年の喫煙、禁煙区域での喫煙。喫煙者の印象を根こそぎ悪くし、立場まで地に落とす行為だ。不良でももう少し回りの目を気にするだろう。
普段の奏であれば、煙草を奪い取って揉み消すくらいはしてのけるだろうが、ぼうと夕暮れ間近の空を眺めている。
一也の好き放題ぶりにやる気を奪われたか、まだまだ体調が本調子ではないのか、それとも――――
「……で、なんかあったか?」
「お前なら言わなくても分かるんじゃないか? ほら、お前は人のことよく見てるからさ」
「まー、何となくは。でもアレだ。オレの勘が外れてたことなんてないが、上手く言えねーし、外れてたら色々困る。だから聞くんだよ」
「そっか、それもそうだな。…………実は、さ。今日、主治医の先生に診察結果を教えてもらう日なんだ」
無論、それは植物状態から復帰した状態だけの話ではない。
半年前は、奏者としての戦いやアーティストとしての活動の二重生活によって、まともに診断などする時間すらなかった。
だが、無理を重ね、戦い続けた末の植物状態は、皮肉にも奏の健康状態を診るにはまたとない機会であった。
LiNKERの定期的な投与による肉体への影響度。度重なる戦闘によって肉体に刻まれたダメージの多寡。
そこから導き出される無理のないリハビリ計画、摂取できる食事の種類と量。
――今日は、それを包み隠さず奏に伝える日であった。
弦十郎も主治医も渋い顔をしていた。
当然だろう。診断など行わなくとも、事情が事情だけに、ある程度以上に奏の状態など分かり切っているからだ。
それでも患者に対して嘘を交えずに真実のみを伝えるのは、他ならぬ奏の意志だからに他ならない。
「で、教えて貰うのはいいんだけど、今日は何だか間が悪かったみたいでさ、一人で結果を聞く羽目になっちまって……」
「ふーん」
興味があるのかないのか、一也の返事は空返事だ。
弦十郎を始めとした二課の大人組は仕事に追われている。
ノイズによる被害は年々増加傾向にある。一生涯にノイズに出会う確率は、精々が通り魔に会うのと同じ程度の確率という定説が覆りつつあるのだ。
となれば、奏者のサポートと情報操作を行う二課の仕事も増加するのは当然で、持ち場を離れられなくなるのは明白。
殊更、彼らの仕事が増加するのは専ら事が起きた最中と後。情報操作は諸外国と大衆に対して行われ、ノイズの発生増加の原因調査も行わねばならない。時間などいくらあっても足りないだろう。
翼に関しても同様だ。
ノイズの出現が増えるということは奏者としての出動回数が増すということ。ましてや本来であれば奏との二枚看板であるところを今は一人で何とかせねばならない。
マネージャー兼諜報担当である緒川も、奏者としての翼とアーティストとしての翼、二つの顔と時間を巧く調整せねばならない。二課は何処も彼処も人手不足だ。
少数精鋭の弊害である。
組織として迅速に動きノイズへの対処に当たれる利点があるものの、欠点として大組織ではない分、事態に対する処理能力の限界が速い。
しかも組織の人員を増そうにも、その任務の特殊性故に人員の確保は非常に難しく、情報漏洩の危険性も増す悪循環。
今まで二課が職務と任務を全うできたのは、ひとえに招集された人員の優秀さに他ならない。だが、天才が敗北するのは何時だって数量による暴力である。
「覚悟は、してたんだ。あたしの身体のことは、あたしが一番よく分かってる。分かってるんだけど……」
「一人で結果を聞くのが怖くなった、と。まー、想像するのと事実を聞くのはまた違うわな」
奏の言を信じるのであれば、診断結果――ひいては彼女自身の未来が決して明るくないことは知っていたようだ。
当然だろう。肉体の変調は当人にしか分からない部分が多々ある。それを当人の申告により検査や診断によって明確にし対処するのが医学である。
故に一人一人の性格や資質によっては病巣の発見が早期となるか手遅れとなるか結果が分かれる。
奏の想像と予感は、覚悟を必要とするほどに明確だった。
LiNKERの服用を止めれば、血反吐を吐いてしまうほどの変調だ。どんなに鈍くとも嫌でも気づくだろう。
ライブ会場における惨劇の中、絶唱という破滅と引き換えの切り札を切ろうとした背景にはそういった理由もあったのだ。
彼女は怒りと憎悪と共に、自ら地獄に飛び込んだ。
やがて戦いを続ける内に、絶望の淵に立つ者たちの希望となり、助けた者たちの感謝を聞き、徐々に戦いに対する思いも変わっていった。
そこには一つの疑問が残る。
彼女は確かに戦いに対する覚悟は決めていただろう。決めていなくとも戦いの中に入れば覚悟も決まろう。けれど、それは死に対する覚悟とはまた違うものだ。
奏は最強の奏者である。能力的にも、精神的にも最強と呼べる。呼べるが、結局のところ二人しかいない奏者の中でどちらが上かというだけの話。
ましてや奏はどれだけ強くとも、戦士であったとしても、17歳の少女に過ぎない。如何に戦いの中に居るとはいえ、そんな少女が死に対する覚悟を決めるなど、それこそ酷な話である。
そんな心中を察してだろうか、全くの躊躇なしに一也は口を開く。
「おっさんに聞いた話じゃよ、お前もうすぐ死ぬってよ」
「………………」
あっけらかんと、何の感慨も見せず、ただ聞いた事実を端的に伝える。
何の虚飾も装飾もない言葉故に、情け容赦のない言葉は奏に刃となって突き刺さった。
奏の完全な、何の感情の色も見せない無表情は、予見こそしていたものの、受け入れがたい現実を受け入れられていない証左だった。
それでも人間はいつまでも現実から目を背け続けるわけにもいかない。徐々にではあったが、奏も一也の言葉を咀嚼し、受け入れ始める。
「そ……っか、そっかぁ。は、はは、旦那も皆も、人が悪いや。そんな大事なこと、あたしに黙っとくなんてさ」
「…………ふぅー」
「きっついなぁ、コレ。死刑宣告とか、余命宣告とかされた人って、こんな気分、なのかな……」
「さあなぁ、オレは言われたことないから分からねぇ」
震えた声でありながら気丈に振る舞おうとする奏に対してすら、一也は普段の態度を崩さない。慰めの言葉など何の意味も為さないことを知っているからか。
今すぐにでも叫び出したいだろう。今すぐにでも泣き出してしまいたいだろう。今すぐにでも全てを投げ出してしまいたいだろう。
その全てを堪えられるほどに、その全てを堪えてしまえるほどに、奏は強かった。
そう、彼女は強かった。弦十郎も、緒川も、翼も、二課の面々も認むるところであり、強かったが故にこの現状に辿り着いてしまった。
もっとも弱ければ弱かったで、絶望のまま自殺していたか、LiNKERの副作用で死んでいたか。どの道、天羽 奏の未来は皆神山の一件で閉ざされている。
最早、運命と呼ばざるを得ない。そうでも呼ばなければ受け入られぬほど余りにも過酷で悲惨な彼女の人生。
一也に変化はない。自らの親友が死を前にしても僅かな動揺みせない。ただ、遠い空を眺め、何を考えているのかすら分からない。
「おっさん達も言うタイミングを逃しちまったんだろうなぁ。お前が必死になって戦って、お前がいい顔で笑ってたみたいだからよ。水を差すみたいな真似、したくなかったんだろ」
「だよなぁ……いや、恨んだり、怒ってたりはしてないんだけど、さ。はは、これじゃあ八つ当たりだな」
「だなぁ。でも、いいんじゃねぇかなぁ。そういうのおっさん達も望んでるだろ。保護者だしな、何もかも飲み込んじまうよりかは、どんな形でもいいから吐き出した方がお互い気楽だろ」
「いや、しないよ。色々世話になってるし、気を使ってくれてるのも、分かるからさ」
「ほーん。なんだぁ、誰かに嫌われんのイヤかぁ? 大変だなぁ」
「お前と一緒にすんな。大体、好きな相手に嫌われてもいいって迷いなく言えるのはお前くらいだ」
「好きな相手に嫌われるのも、いいと思うんだがなぁ。何時までも、嫌われたまんまとも限らねーしよ」
それきり会話は途切れ、一也はぼうとした表情で夕暮れの空を眺め、奏は俯いて表情を窺い知れない。
沈黙の帳が二人の間に降り、暫らくの間、何もしないまま時間が過ぎる。
やがて一也は掌に煙草を押し付けて揉み消すと、吸殻をそのままポケットの中に押し込んだ。大した手と面の皮の厚さである。
そのまま奏の肩に腕を回すとぐっと自分に引き寄せた。愛しい恋人の体温を感じるためなどではなく、一人で死の恐怖と懸命に闘っている友を支えるためだ。
「悔しい、悔、しいよ……やっと、やっとだったんだ。……やっと、誰にでも胸を張って、戦える……生きていけるものを見つけたと思った、のに……」
「…………」
「全部分かってたつもり、だったんだ。地獄に落ちてもいい、ってさ、…………でも、はは、嘘っぱちだったかなぁ?」
嘘などではない。
二課に拾われ、戦うと決めた時点で奏は身も心も戦士と為った。極めて優秀な、強靭な戦士へと。
優秀な戦士は敵を怖れども、死を怖れども、決して引き下がらない。幾多の敗北を味わおうとも、その先にある勝利を目指すもの。
とは言え、根本が変わったわけではない。あくまでも人としての側面が増えただけの話。言わば、仮面を被ったようなものだ。但し、本心を偽ったわけではなく、その仮面もまた奏にとっては紛れもない本心である。
けれど、今顔を出しているのは、仮面の下にある少女のもの。3年前、皆神山の悲劇から本来の意味で立ち直ろうとしていた傷だらけの少女のそれだ。
その全てを理解してなお、一也は口を開かない。
励ますだけの優しさがなかったわけではない。泣き止ませるだけの言葉を持ち合わせていなかったわけでもない。
ただ、それが彼女の人生なのだ、と全てを肯定しているからだ。
「まあ、色々と間が悪かったんだろうなぁ。自分の事顧みなかったお前も悪かった」
「…………」
「そんなお前を止めなかった周りの連中も悪かった。傍にいなかったオレも悪かった。お前がそうしなけりゃならない状況やノイズも悪かった。それに何より、運が悪かった」
「……一也」
「本当に間が悪いぜ。何から何まで噛み合ってねぇ。お前の末路は、それだけの話だ」
確かに、彼女の人生は悲劇と苦難、絶望の連続だった。
人として余りにも悲惨な、報われない奏の人生。誰もが目も当てられない、誰もが目を逸らしたくなる奏の人生。
一也の結論は言葉だけ見れば余りにも冷酷だ。それでも、その声には暖かな肯定に満ちている。それだけの話と斬って捨てながらも、それでもよかったんだ、と……。
「全部が全部悪かったんだ。悲観するのも馬鹿馬鹿しいぜ。それにな、安心しろ、奏」
「何を、安心しろってんだよ、この、バカ」
「オレはお前を忘れねぇ。多分、翼とかいう鬱陶しい小娘も、おっさんも、お前の仲間も、お前が命を削って助けた連中もな。まあ、何人かは確実に忘れるだろうが」
「最後の一言で全部台無しだ、このバカ」
「オレは絶対に忘れねぇがな。お前みたいな悲惨な奴、忘れられると思うか? 楽しかったことも、悲しかったことも、絶対に忘れねぇ」
奏の人生は絶望に満ちていた。誰が見ても、当の本人も悲しむが、悲しいだけだ。それとは別のところに確かな喜びと楽しみもあった。
それは一也に振り回されて遊んだこと。それは未熟で泣き虫な翼との苦しいながらも充実した毎日。それは弦十郎を始めとした大人たちに見守れた安堵の日々。
悲しみに勝るとはとても言えないが、悲しみに堪える程度には、悲しみを蹴り飛ばして笑える程度には喜びと楽しみがあった。
だから、いいじゃないか、と一也は笑う。決して無意味でも、無価値でもない。彼女の人生と生き様に意味と価値を見出す人がいるのだから。
彼の言葉に何を思ったのか、何時の間にか奏の頬を伝う涙は乾いていた。
一也は決して涙を見ないまま、泣き止んだことを確認すると、二度三度と肩を叩き、ベンチから立ち上がる。
「それによぉ、オレらは死ぬって分かってても生きていかなきゃならねぇ。明日死のうが10年後に死のうが同じだろ」
「そういうの、先が短い人間の前でいうかぁ、普通? 嫌味にしか聞こえねぇ」
「…………やっぱりぃ?」
鼻を啜りながらも、奏は笑みを浮かべながら皮肉で返した。本来の調子を取り戻し始めている。
一也はその皮肉に我ながら思うところはあったのだろう、苦笑いを隠しもせず、そして悪びれもせずに頭を掻いた。
「まあ、なんだ。そんなもんだからよ。人間、生きていくには夢とか希望とか大層なもんは必要ねぇだろ」
「なら、お前は何が必要なんだと思う……?」
「簡単でちっぽけなもんで充分だろ。今日喰った何かが旨かったとか、今日見た何かが綺麗だったとか、今日あった何かが楽しかったとかよ。心が安心して、ちょびっと幸せな気分になりゃ、人間は生きていけるって」
人が日々を生きていく中で、見落としてしまいそうなほど小さな、ほんの少しの幸福。それに気付けさえすれば、人は生きていけると一也は笑う。
成程、と奏は頷いた。一也の言は間違いではないと思ったからだ。
今を生きている人間の大半は夢が叶うわけではなく、思い通りに事が進まず、何かに傷ついて、何かを傷ついてどうにかこうにか生きている。
傍目から見れば、何の希望もない人生だ。来る日も来る日もうんざりするようなルーチンワーク。それでも大半の人々は歯を喰いしばって生きている。
ほんの小さな幸福を原動力に、ほんの小さな幸福を探して、ほんの小さな幸福を分かち合って。
「奏、お前もそういう人間の一人でいいんじゃねぇかなぁ。それとも、それじゃ満足できねぇか?」
「どうかな。何せあたしは、今更死にたくないって泣き出す業突張りだからさ」
「ハ、いいじゃねぇか。誰も死にたくなんかねぇよ。大体、そういう奴のほうが必死になれるだろ?」
かつて、一也は死ぬのが怖くて生きていけるかと弦十郎にのたまった。
それは決して生を軽んじているわけでも、死を望んだ故の言葉ではない。
死はいずれ訪れる。回避のしようなどなく、無慈悲に命は散り果てる。だからこそ、今を力の限り生きていく。死を見据えてなお、生を諦めない魂の言葉だ。
「今こうしてる間にだって、死にかけてる奴なんざ世界中にいる。お前はマシな方さ。特別悲観するほどでもねぇ」
「……そう、かな」
「……なあ、奏。皆、歯を喰いしばって生きてる。死ぬ寸前だろうが、絶望にのたうち回ろうと、今もこうして生きてる。お前は、それを希望がないって笑うのか?」
好き放題に言ってくれるやがる。そう思いながら、奏の口元には笑みが刻まれていた。一也もまた夕日の中に溶けてしまいそうな優しげな笑みを浮かべる。
奏の死に対する恐怖が完全に払拭されたわけではない。そう簡単に拭えるものではないのだから当然だ。
それでも随分と気持ちは軽くなったのは事実だった。
問題は何も解決していない。現実は何一つ変わっていない。
この問題に解決は存在しない。この現実に変化は訪れない。
なら、いっその事、前向きの方がいいだろう。その方が、見逃してしまうちっぽけな幸福も見つけやすい。
「そろそろ、時間みたいだ。先生のところに行くよ」
「おう、そうか。オレも一緒にいっちゃるわ」
「そりゃ、嬉しいというか心強いけど、大丈夫なのかなぁ……?」
「なんとかならぁね。おっさんも何かと気を利かせてくれてるみたいだしな。お前の知り合いか、おっさんの顔見知りで通るだろ。……とことん付き合うよ」
「ん、ありがと」
言うと奏は両腕を一也に向かって伸ばす。車椅子に乗せろと言う意味だ。
彼女にしては珍しい。自分から他人に助けを求めるのも、自分から他人に弱みを見せるのも、自分から他人に甘えるのも。目撃していたのなら、翼ですら目を丸くしただろう。
一也はその様子に声もなく笑うだけ。馬鹿にしたのでもなく、嬉しかったのでもなく、成長したなぁと言わんばかりの生暖かい笑みだ。
奏はその笑みにかっと頬を羞恥と屈辱に染める。
一也は友人だが年下だ。年上として、どうしても見栄を張りたくなるが、他に頼れる人間は周囲にいない以上、これは仕方ない。仕方ないのだが、あっさり割り切れるほど奏は大人ではなかったようだ。
「クソ、もうお前なんかに頼まねぇ。次からは自分で乗る」
「つれねぇ女だ。別にいいんだぜ、頼ってくれても。オレもそうするからな」
ベットの上から拉致した時と同じように、お姫様抱っこの形で車椅子に乗せる。悪態と誓いを吐く奏であったが、一也は何処吹く風だ。
「色々言ったが、どうなんだかなぁ」
「……? 何がだよ?」
「色々、色々だ。……ま、誰の予想通りにも、誰の思い通りに行くほど、世の中巧く出来ちゃいねぇってこと、さ」
◇ ◇ ◇
「………………」
「先生、その、…………どう、なんですか……?」
「…………ふむ」
病院に数ある診察室の一つで奏と一也、そして主治医――あらゆる薬物の人体に対する影響に造詣の深い医師である。
備え付けられたパソコンと手元の紙資料と自分の知識、経験と照らし合わせている最中なのだろう、奏の言葉にも反応は鈍く、表情は険しい。
表情だけ見れば、奏の容体は決して芳しくないようだ。しかし――
「信じられませんが、ほぼ健康体に近い状態です」
「………………」
「命の危険も、もう在り得ないでしょう」
「あー、先生。呆けてる奴の代わりに聞きたいんだけど、つまりアレだな。寿命とかも問題ないってことで?」
「ええ、これから大病を患い、大怪我でも追わない限り、健康な人々と同じように日常生活を送れます。勿論、何十年と」
どうやら、杞憂のようだ。
主治医の表情が険しかったのは奏の診察結果が、自身の知識と経験に反していたから。
奏の身体はLiNKERの副作用によって完膚なきまでに破壊し尽くされていた。現代の医学では手の施しようがない不可逆の破壊だった。
どう足掻いたところでできることなど、安らかな最期を迎えるためだけの終末医療。
対症療法も原因療法も不可能だったにも拘わらず、この健康状態である。医者として表情も険しくなろう。まさに奇跡と称するしかない。
奏は自身の予想していた、一也に聞いていた事実と異なる現実に声すら上げられず、ポカンとした表情で一也と主治医の顔を交互に見やる。
「…………」
「むふぅん」
「お前、嘘ついてたのか……!?」
「なわけねーだろ。んで、オレがクソみたいな嘘つかねぇとなんねぇんだよ」
変顔で笑みを作る一也を見た奏は思わず激昂するが、彼は全く取り合う様子はない。
事実、一也は嘘など吐いていない。弦十郎から伝え聞いた話をそのまま伝えただけだ。ならば嘘をついたのは弦十郎になるのだが、彼の人柄上あり得ない。
他の可能性があるのなら、二課の研究者、医師団の誤診なのだろうが技術も機材も一級品の彼らだ。誤診とも考え難い。
本当に奇跡的な回復を遂げたのだ。理由は定かではないものの、そうとしか考えられない。
人体が人間の理解を超えた回復や機能を見せることは多々ある。
余命宣告をされた末期癌患者の癌細胞の消失する事例。
脳の大部分を失いながらも問題なく日常生活を送る症例。
人体の不可思議。生命の意地。世界中に点在するそれらしい説明が添えられながらも核心には至っていない奇跡たち。奏の回復もそういった奇跡に分類されるのだろう。
「…………しかし」
「何か、あるんですか……?」
「特に奏さんには、申し上げにくいのですが…………声帯に麻痺が見られます。恐らくは機能性発声障害かと……」
「じゃあ、歌は……」
「長時間、会話をすると咳や声の掠れがあるでしょう。とてもではありませんが、歌えません。最悪の場合、呼吸困難を引き起こす可能性もあります」
機能性発声障害。
声帯そのものには病変は見られないものの、発声機能に異常をきたす病気の総称である。
本来であれば声そのものが出なくなったり、声は出るのに掠れたり、徐々に弱くなっていったりする。
大抵は心因性のものであり、精神療法や投薬、リハビリによって回復が見込めるものだ。
「これから脚を動かし、日常生活へ戻るためのリハビリが待っています。そこに投薬による治療と発声法のリハビリを加えては、随分と辛い生活が続くと……」
「――――やれます。どっちもやらせて下さい……!」
「……発声障害の多くは心因性。つまり、心に問題があるんです。正直、私の専門外ですが、余り気負われても根治に繋がるとは到底……」
「それでも歌があったから、あたしは生きてこれた。少しでも早く、少しでも可能性があるなら――――あたしは、光に向かっていきたいんです」
「………………」
「……? ああ、オレに何言っても無駄だよ、先生。オレはコイツがやりたいってんならやらせるまでだ。死ぬわけじゃあるまいし――倒れそうになった身体を支えてやることしかできねーよ」
主治医は奏への説得の援護射撃を期待して一也を見たが、彼は肩を竦めて協力を拒否した。
好きなように生きて、好きなように死ぬ。だからこそ、他人の決定を決して否定せず、尊重する。それが一也の在り方である。奏を止める筈がない。尤も気に入らなければ殴るわけだが。
主治医は眉間に皺を寄せ、思い悩む素振りを見せる。
患者がどう言おうが、決して無理をさせないのが医者としての彼の信条である。無理や無茶は必ず何処かに歪みを残す。その歪みが根治を更に遠ざける可能性を十二分に理解しているからだ。
とは言え、患者の熱意や決意――意志を否定することもまた根治から遠のく要因となりかねない。
悩みに悩み抜き、主治医の口から発せられたのは根負けと釘差しの言葉だった。
「分かりました。知人に発声障害に詳しい精神科医がいます。彼と協力して今後のリハビリ計画を立てましょう」
「……よし! 先生、ありがとう!」
「但し! こちらが無謀だと判断すれば君の意思に拘わらず、計画を立て直します。…………君がこんなことになってしまったのは、仕方がなかったとは言え、無茶や無理を押し通し続けてきたからだと自覚しなさい」
主治医として譲歩可能な妥協点を提示し、奏の身を案じるからこそ厳しい言葉を投げかけたところでお開きとなった。
病室へと戻る途中、奏は主治医の言葉を重く受け止め、黙りこくっていた。
一也も思うところはあったのだろうが、何も言わない。主治医の言葉は決して嘘でも間違いでもなく、確かに真理をついていた。
寧ろ、彼が気になったのは奏の反応だ。友人の性格上、主治医の言葉など無視して、隠れて無茶をしかねない。
何しろ、奏にとって歌は正しく生きるための道標であった。
奏と別れていた3年間を知らぬ一也とは言え、歌がどれほど彼女の支えとなっていたかは想像するまでもない。
歌は彼女を奮い立たせ、彼女を救い、彼女が力とし――そして、多くの人々にとっての救いとなった。そこに疑う余地などない。
「なあ、奏。お前、もう二度と歌えないとしたら、どうする?」
「お前、ほんっと
「うるせーな。遠回しに聞いたら、聞きたいとことは別のとこに着地しちまうだろうが」
「まあ、それもそうか」
甲子園を
流石の奏もこのストレートさ加減には呆れる他ない。彼女もかなり直球勝負を挑む方だが、聞けない質問というものはあるものだ。
その上、深刻さなど欠片もない。日常会話の一言そのものの声色である。これでは心配しているなど相手に伝わる筈もない。
無論、奏に限ってそんなことはない。
一也が質問をするのは、それだけで人並み以上に心配していることを示している。心配などしていなければ、知らぬ存ぜぬを通す男なのだ。
「んー、正直、もしそうなったら、どうするこうするって考えはないかなぁ」
「ほーん」
「お前、その気のない返事止めた方がいいぞ、ムカつくから。…………ま、その時はその時だ。その時になってから考える。でも、無茶や無理だけは無意味にしない。それだけは絶対だ」
「2度も3度も余命宣告なんざゴメンだもんなぁ」
「そういうこと。つーか、普通は1回しかされないしなぁ」
二人の会話は軽い。それでも、互いの言葉に込められた重さは充分に感じ取っていた。奏は一也の気遣いを、一也は奏の変化を。
歌は奏にとって道標であった。暗闇に閉ざされた明日を進むための光。
簡単に諦めるつもりは到底ない。それでも諦めざるを得ないかもしれない。命を賭けなければならない時はある、あるにはあるが軽々しく己だけで決めていいことではない。
奏の人生にはそれだけの価値があり、奏を寄る辺とする者達がいるのだ。
もし、光を取り戻せぬのならば、地べたを這いずり手探りで進めばいい。それに疲れてしまったのなら、彼女を寄る辺とする者達に頼ればいい。もし、拒む者が居れば大した恥知らずである。
「――――一也」
「あ? 何だよ?」
「頼りにしてる。とことん付き合ってくれよ、親友」
「ハ。任せろ。とことん付き合ってやるぜ、ダチ公」