戦姫絶唱シンフォギア Ace of Fist 作:HANK1989
一也「お前、ちょっとはやり返せよ」
響「…………」
一也「はっきり言えよ。主体性なんぞなくても、嫌なものは嫌でいいんだよ」
響「……ぐす」
一也「人間は馬鹿でもねーけど賢くもねーぞ。オレは馬鹿だけどな!」
響「……ぅぅ、う」
一也「色々言いて―ことはまだまだあるけど、一番言いたいのは、なんだ…………お前が、生きててよかった」
響「うぇぇぇぇぇぇぇん」
鷹虎「一也、何良い奴な雰囲気醸し出してんだ! ダシに使われたオレは絶対許さねぇぞぉぉぉ!」
響「誰!?」
「男の人に泣かされたの、初めてかも……」
「その言い方やめね? 妙な誤解を生みかねぇ。流石に喧嘩だの補導以外でポリス沙汰なんぞノーサンキューなんですが、果てしなくメンドクセー」
「…………??」
自分が如何に際どい発言をしたのか理解していないのか、響は泣き腫らした目で一也を見上げ、鼻を啜りながら首を傾げた。
公園で溜め込んでいた感情を涙として流し終えた彼女の顔からは、昏い影は消え去っている。
感情とは抑え込んだところで消え去らない。心の奥底に溜まり、沈殿し、淀み、やがては当人ですら元々の感情が何だったのか分からぬほどに歪み果てる。例えどんな形であれ、発散させねば様々な意味で壊れてしまう。
その点に関して言えば、一也の容赦の無さと無遠慮さは、何事も溜め込みがちな響には最適であったようだ。
「おーおー、よくやるなー、他にすることねぇのかなぁ? オレなんぞ、楽しむのとバイトに忙しくて、どうでもいい誰かに構ってる暇ねぇんだけど」
「あ、あはは、勉強とかじゃないんですね」
「ああ、オレは息抜きの合間に人生やってっから。勉強とか丸暗記できる奴以外、くっそ苦手なんですが」
学生の発言として如何なものかと思われたが、元より高校にもスポーツ特待生として入学した男だ。学力に期待できよう筈もない。
二人の見上げているのは響の家だ。
何の変哲もない二階建ての一軒家。異常だったのは塀や玄関には無数の誹謗中傷の張り紙が人の心の弱さを示すが如く散らばっている。
一也には見慣れ過ぎたほど見慣れた光景に、それといった感慨を見せずに頬を掻いている。
「おい、取り敢えず剥がそうぜ。こんなん、またお前の気が滅入っちまう」
「でも、また張られますよ。お母さんも、おばあちゃんも同じことの繰り返しで疲れちゃって……」
「だったらお前がやれ。かーちゃんだぁ、ばーちゃんだぁの気はオレはどうにもできんが、お前の気を晴らすくらいはオレでもできるからよ」
「そうですね。抵抗しなきゃ、何時までも終わりませんもんね」
「そーゆうこと」
それから響と一也は二人で張り紙を剥がしていった。一枚一枚丁寧に、こんな現実に負けるものかと奮い立つように。
とは言ったものの、一也の方は5分で飽きて煙草を吸い出すわ、剥がした張り紙で紙飛行機を作って近所の家に飛ばして遊び出すわ、やりたい放題である。
響は呆れて苦笑しながらも、文句は言わない。寧ろ、安心してすらいる。
この現状を前にしても、彼に一切変化はない。境遇は同じ筈にも拘わらず、だ。
自分の負けそうになった現実に抗い打ち勝った、あるいは現実を前にしても揺るがない人間がいたことが、一層響を奮い立たせていた。
「――――響っ!」
「あれ、未来? どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ。私に声もかけないで一人で帰っちゃうんだもの、心配したんだから」
「あはは、ゴメンゴメン」
響に声をかけたのは、如何にも優しげな少女だ。
黒いショートボブヘアに、怒っているものの吊り上がっていない瞳は生来の柔和さを物語っている。台詞からも分かるように響と同じ中学校に通い、同じ制服を身に纏っていた。
彼女の名は小日向 未来。響の元を離れていかなかった唯一の親友。
ここ最近、響と未来は一緒に帰宅していたのだが、今日に限って一言もなく一人で帰ってしまった響を心配して、自宅まで見に来たようだ。
「って、あの人……」
「ん? あんだあんだ、どうした?」
「……っ!!」
煙草を吸いながら近づいてくる大男に、明らかな怯えを見せながらも未来は響を守るように割って入る。
一也は身長体格ともに緒川以上弦十郎以下。つまり、日本人の平均は大きく超えている。まして人相も目付きの悪さもあって凶相といって差し支えない。ただ其処に居るだけであらぬ誤解を生みかねない存在だ。
未来としては、不良が響の噂を聞き付けて、自宅に押し掛けてきたとでも思っているのだろう。しかし、一也の顔を見ると怯えが消え、驚愕へと変化していく。
「但野、一也……さん?」
「あれ? 未来、一也さんの知り合いなの?」
「いやいや、知らねーよ。誰よ、この娘?」
「へ? じゃあ、何で……?」
「響、知らないの? もう大分前だけどニュースで何度も放映されてたよ、それに陸上じゃ凄い有名な人なんだから」
「あー、そういう。悪い意味で有名人だろ、陸上競技を裏切った馬鹿野郎ってな。カハハ」
「…………???」
未来は陸上部に所属し、短距離走の選手として日夜、練習に励んでいる。そうすれば自然と過去や現在の天才と呼ばれる選手の噂や伝説、記録も耳に入ってくるものだ。
形を持った自由気侭。他を寄せ付けないただひたすらに圧倒的な才能の塊。唯一無二の素養を持ちながら自らドブに捨てる愚か者。
類稀な才能を持ちながら陸上競技をあっさりと止め、野球に転向しながら変わらず圧倒的な才能を見せつけ、その野球すらすっぱりと止めてしまった。
ことスポーツ競技において、一也は多くの人間にとって憎悪の対象である。
才能を生まれ持ちながら、誰もが望んでも手に入れられない素養を持ちながら、全く生かそうとしないその姿勢は全ての競技者を嘲笑っていると受け取られても仕方がない。
そんな噂を聞きながら、未来はそれほど悪い印象を抱いてはいない。
彼女は陸上で記録を残そうとしているのではなく、もっと単純に走ることが好きだから練習をしている有武 鷹虎と似た人種だからである。
「それで、えっと但野さんが、どうして響と……」
「いやー、別に深い理由はねぇよ。ちょっと知り合いになって気になったから来ただけ」
「ほら、未来。ライブ会場で助けてくれた人だよ」
「大したこたぁしてないがな」
実際、ライブ会場で一也が響にやったことと言えば、恐怖で固まった背中を押したこと、傷ついた彼女を運んだ程度のことでしかない。
尤も、あの状況下においてその程度をやってのけるのは、誰にでも出来るわけではないが。
「そう、だったんだ。…………あ、あの、ありがとうございます。響を助けてくれて」
「礼なんぞ言われる筋合いも、言う必要もねぇぞ。余裕があって、オレがやろうと思っただけだ」
誰にも期待していない彼らしい発言だが、受け取り方によっては冷たく突き放しているようにも聞こえる。
未来にとってもそうだったのだろう。余り良い表情はしていない。
「で、どうよ、終わった?」
「はい、この通りです」
「うへぇ、凄ぇ量。オレん家の方が多かったけど、日頃の行いの差って奴だな。いやぁ、こっちはもう終わらせたけどな、はははは」
ここまで好き放題の男だ。必然と人から買う恨み辛みも、妬み嫉みも人一倍多いと想像に難くない。
響は乾いた笑みを浮かべて、未来は愕然と一也を見た。
響の方は無理もない。以前のライブ会場で、そして今日の一件で彼の
他人から恨みを買う理由も、彼が受けたであろう仕打ちも想像に難くなく、その仕打ちすら何処吹く風であると想像するのは更に容易い。
但し、未来が驚いたのは別のフレーズだった。
「終わ、らせた……? ……終わらせたって、どういう……?」
「言葉通り以上の意味はねぇけど?」
「ど、どうやって……、お願いします! どうやって、どうやって終わらせたんですか!?」
「ちょ、ちょっと未来」
「あー、そういうことね」
賢い少女だ。ほんの僅かな言葉尻を捉えて、未来は一也に詰め寄る。
それだけの行為で一也は全てを察した。
この取り乱しようは只事ではない。確かに親友に対する無価値な攻撃を止められるのならば、と方法を求めるのも無理はない。
しかし、余りにも冷静さを欠いている。まるで彼女自身が追い詰められているかのようだ。そこで一也の脳裏に浮かんだのは、会場での響との会話。
――それで急にドタキャンされちゃって、こうやって一人で来ることになっちゃったんですよ。
この様は、間違いなく響と共にライブ会場へと行けなかった友人だ、と確信できる。
そう、未来は響に負い目があった。あの日、知らなかったとはいえ地獄へと響を一人で送り込んでしまった負い目が。
深い悔恨は優しさと責任感という美徳の裏返しであるが、まるで意味がない。
例え、あの場に未来が居たとしても、何ができたというのか。下手をすれば、犠牲者が一人増えただけの結果しか残らない。それでは寧ろ、響の心により深い爪痕を残すだけだ。
されど、人は意味のないものに意味を見出そうとするもの。その考えも、その思いも決して否定されるべきではないだろう。
「まあいいけど。教えてやるよ、お前らに出来るとは思わねぇけどな」
一也は求められた通り、訥々と自分が何をしたか、誰の手を借りたか、そして何が起こったのかを語った。虚飾もなければ嘘もない淡々とした事実語り。
彼の言葉が紡がれる度に、未来の表情は驚愕に彩られ、呆れに染まり――最終的には絶望で満たされた。
響は、一也と友人の所業にポカンとした表情を見せるばかりだ。
一也以外には出来ないだろう。
技術的には未来にも不可能ではない。多少の勉強と試行錯誤を繰り返せば実行できる。
だが、実行しようとする度胸などないだろう。ましてや結果的に大惨事になりかけたと知ってなお、実行できるはずがない。
「少しでも迷ったなら止めろよ。迷ったままやったら後で絶対にやるんじゃなかったって思うぞ」
「………………」
「……参ったね。オレとお前、今ここで会うべきじゃなかったかもしれねぇな」
この思い詰めよう、何をしでかすか分からない。
いや、ここで一也と出会っていなければ、未来は響にただ寄り添うことこそを良しとしただろう。けれど、何とかこの惨状を終わらせられる事実を知ってしまった。
響の負った傷も、響を苛む現実も、大部分が自身よるものだと思い込んでいる未来は、思い悩んだ末に最悪の選択をしかねない。
どんな結末が待っているのか、一也には判断しようがない。
全ては彼の推測に過ぎなかったが、人に対する観察眼には自信があった。
何よりも、偶然であったものの、ほぼ初対面とはいえ未来に影響を与えてしまった事実もある。一也の言葉通り、この二人はここで出会うべきではなかったのだろう。
ふぅ、と大きく溜め息をつきながら、一也はポケットから携帯を取り出し、何処かへと電話をかける。
「仕方ねぇ、何とかするか」
「ちょ、ちょっと待ってください! 何とかって、もしかしてそんな悪戯をするつもりですか!?」
「落ち着け、立花。そいつじゃ、お前は嫌なんだろ。だから他の奴に頼る。優しすぎるのもどうかと思うが、お前が笑えねぇ。なっ、そうだろ? えっと、お友達?」
「…………小日向 未来です。だったら、誰に頼るんですか?」
釘を刺すように、敢えて未来に声をかけながら一也はおどけてみせる。
そして、短く一言だけで事実を告げた
「――国家権力」
◇ ◇ ◇
「おーっす、リハビリやってかー?」
「…………」
奏の病室に何時ものように入ってきた一也は、何時もの調子で声をかける。
しかし、声をかけられた当人はそっぽを向いて窓の外を眺めているばかり。
あからさまな無視に、一也は苛立ちすら見せず、呆れた様子で口を開いた。
「まーだ、へそ曲げてやがんの」
「曲げてねぇよ! …………あっ」
してやったりとばかりに無表情で肩を竦める一也。
対照的に苦虫を噛み潰したような表情で
その複雑な人生や境遇、胸中に反して、奏の性格そのものは竹を割ったようにさっぱりとして、かなりの直情傾向。
つまり、いくら無視しようとも、煽ればすぐにでも乗ってくるということだ。よく友人を理解した男である。
「で、どうだよ、リハビリは?」
「うるせー、お前には関係ねぇだろ」
未だ先日の一件を引き摺っているらしく、奏は普段の様子とはかけ離れた冷たい態度を見せる。
しかし、腹を立てているのは容赦のなかった一也に対してではなく、非情な現実を前にして何も出来ない自分自身に対してだ。
奏がこうして感情を剥き出しにするのは珍しくはないが、こうして他人に八つ当たりをするのは珍しい。彼女にとって一也は対等かつ掛け替えのない友人である証だ。
彼もそれを理解しているのか、くつくつ笑うだけで不機嫌な様子は一切ない。
「ああ、そう言えばな。お前が人生放り投げて助けようとしたガキな、オレと同じような目にあってたよ」
「…………っ」
「オレよりヒデェかな? なんせ、一緒にいてくれるダチも一人くらいしかいないみたいでよ」
「このっ…………いや、ちょっと待て。お前、何でそんな詳しいんだ?」
「いや、気に入った奴だったんでな? ちょいと首を突っ込んできた」
別段、隠し立てするつもりはなかったのだろう。
けたけた笑いながら事実を明かすも、奏の血の気がサーっと引いていく。この男が起こした騒動が脳裏を駆け巡っていることは間違いない。
幼い頃の度を越えた悪戯の数々。歳を重ね、多少は落ち着いたと言えど、顔のない加害者達に仕掛けたあの悪戯。
奏の頭には笑いながら誰かを殴り倒す一也の姿か、あるいは悪戯に怯え惑い、逃げ回る誰かを笑い転げながら見ている一也の姿しか浮かんでこない。
「言っとくが、オレは何もしてないぞ」
「嘘つけ! 絶対何かしただろ! したに決まってる!」
「してねぇって。……しかし、この信頼感よ。胸が熱くなるな」
「ダメな意味での信頼だけどなぁ!!」
あんまりと言えばあんまりな態度であるが、残念ながら当然である。
一也に近しい人物になればなる程に、人柄を知れば知る程にこういった態度を取るだろう。それ程までに自由気侭で破天荒な性格だ。
「まあ、オレがしたのは――」
「やっぱり何かしてんじゃねぇか!」
「話を聞けっての。悪戯もしてねぇし、殴ってもいねぇよ。ただ、電話しただけだ」
「……誰にだよ? まさか、二課の誰かじゃないだろうな」
「それこそまさかだ。おっさん達はノイズだ何だの、ワケ分かんねー連中の相手すんのが仕事だろうが。ああいう手合いの相手すんのは警察の仕事だ」
「…………そりゃあ、そうかもしれないけど、警察が動いてくれるのか?」
「ああ、オレが補導される度に説教かましてくれるおっさんが居てな。ああいうのを、本当の警察って言うんだろうぜ」
警察は法治国家においてなくてはならない組織であり職種だ。
全国の警察官の総数はおよそ30万人ほど。それだけの数が揃えば、人間性も様々だ。
ただ職務を全うしようとする者、ただ安定性を求めて就いた者、ただ警察というネームバリューに引かれた者。
上げていけばキリがないが、大別すれば警察という仕事に対し、誇りを持っているか否かの違いに分けられるだろう。
一也ほど喧嘩に明け暮れ、補導され続けている問題児であれば、警察の中に顔見知りが居ても可笑しくない。
そして、たった一度の会話、たった一目で相手の本質や本心を見抜く彼が、“本物の警察”と称する人間だ。相当の傑物であるのは疑いようはないだろう。
「オレが悪戯を仕掛けた時にも説教したのが、そのおっさんでな。次やる時はオレに相談しろと言われたからそうした」
「そんな程度で、何とかなるのかよ……?」
「さあ、誰の思い通りにもならないのが世の中だからなぁ。ただ、一つだけ言えることがある」
「何だよ……?」
「あのおっさんの諦めの悪さはスゲェぞ。何せ、何の意味もない、無駄だと分かっていて何度もオレに説教をかますからな。ああいうおっさんの方が、こういう問題には適任だ」
自分の行いが何の意味もないと悟っていても、全てが無駄だと分かっていても、あのおっさんは決して諦めない。
そう言いながら、一也はくつくつと本当に嬉しそうに笑う。
その笑みを見て、奏は成程と得心の言ったように頷いた。
一也が言うように、その諦めの悪さがあれば、事象そのものは難しくはないが根が深い問題を解決できるかもしれない。
何よりも、その警察官は一也の好きそうな人間だ。どうしようもない現実を前にしてもなお、決して諦めない精神は、彼風に言えば根性があるとでも言えばいいのか。
「まあ、そういうことだ。お前がどうこう悩む必要なんてねぇのさ。人間なんぞ、守ってやらなきゃならねぇほど弱くもねぇが、殺し尽くさにゃならんほど強くもねぇ」
「……お前、まさか、あたしの為に……?」
「やりたいこととやらなきゃならねぇことが一致しただけだ。人生、そういうこと続きならいいが、大抵どっちか片方が殆どなんだよなぁ」
響に手を貸したのは、個人的に彼女を気に入り、手を貸してやりたかったから。
余計な重荷を背負おうとしている奏の負担を軽減するのが、友としてやらなければならなかったから。
決して奏の為などではない。少なくとも一也はそう認識しているし、口が裂けても誰かの為などと嘯かない。
この男は己の行為や意志に、決して他者の意志を介在させない。それほどまでに自分の意志に潔癖なのだ。流石は感情、魂に正直な男である。
「なんだ、ちったぁ気が晴れたか……?」
「晴れてねぇよ。リハビリは辛いし、歌は歌えないし、散々だ」
「――――の割りにゃあ、笑ってるけどなぁ」
「良い親友を持ったと思ってるだけさ」
「そいつは結構。何処のどいつだか知らんけどなぁ」
「はは…………なあ、外連れてってくれよ。いつまでも病室じゃ、気が滅入っちまう。風に当たりたい」
「はいはい。全く、手の掛かるダチだ」
互いにとぼけた口調でありながら、二人の顔には確かな笑みが刻まれている。
悲しみも苦しみも友人関係には不要。互いが苦しい時に支え合わねばならないが、共有するのは楽しさや喜びだけで充分だ。
二人の笑みは、そんな切なる願いが込められているようだった。
◇ ◇ ◇
「どうだ。何か情報を掴めたか……?」
「いえ、全く。影も形も掴めません。あれだけの混乱に乗じ、混乱が納まる前に逃走。見事な手並みですね」
とある施設の地下に存在する、特異災害対策機動部二課の本部。
無数のオペーレーターがコンソールに向かい、自らの職務に邁進し、巨大な画面には様々な情報が流れては消えていく指令室で司令官である弦十郎と諜報員の慎次が会話を交えている。
「いやいや、無理でしょ、こんなの。いくら緒川さんでも、この映像だけで個人を特定するなんて」
「でも、緒川さんよ……?」
「それは……うーん」
「友里さんと藤尭さんが僕のことをどう思っているかはさておき、合法非合法の組織を問わずに調べ尽しましたが“マークスマン”に該当しそうな人物を有している組織は、この日本には存在しません」
「だろうな。あの鎧と弓は間違いなく聖遺物。それを操れる者を有している組織がいるのなら、
「では、“マークスマン”は、個人で動いている、と……?」
「そうとして思えませんね。この半年間、日本に隠れ潜んでいる他国の組織も援護に動いた様子もありません。ほぼ、確定と考えても差し支えはないかと」
ライブ会場におけるノイズ襲撃事件及びネフシュタインの鎧強奪事件に介入した黄金の鎧を纏った正体不明の射手。機動二課は“マークスマン”と呼称した。
アメリカ軍においては歩兵と狙撃手の中間に当たる兵士をマークスマンと呼び、分隊、小隊規模で行動する彼らは正確な射撃と素早い攻撃を求められる。
数百メートル離れた蠢くノイズを弓で射貫く正確無比の射撃能力。素早い行動と自身の情報を残さない鮮やかな引き際から呼称は決定した。
しかし、射手も射手なら緒川も緒川だ。
たまたま残っていた映像と翼、奏の証言だけで黄金の射手の足取りを追い、挙句の果てに他国の組織まで調べ上げるのだから、諜報員としての腕は世界でもトップクラスと言えよう。
指令室に映し出された映像を全員で見上げるが、余りにも遠くから撮られた映像なのか、拡大しすぎて画素は荒く、朧気な輪郭から鎧と弓の大まかな形と射手の体型程度しか分からない。
「はー、もう疲れたわー。弦十郎ったら、無茶ぶりばかりするんだから。半年近くもカンヅメなんてね」
「了子君か、……済まないが納得してくれ。
「はいはい、分かってますわ司令官殿。まあ、私もマイペースに研究させて貰っているから、不満はないけれど」
肩を揉みながら指令室に入ってきたのは、妙齢の女性だった。
豊満な肉体を白衣で覆い、長い髪を蝶の形をした髪留めで綺麗に纏め、薄いながらも化粧をしている。
陽気な雰囲気はとても科学者の類には見えないが、日本どころか世界――いや、人類史にすら名を残すだけの偉業を為した科学者だ。名を櫻井了子という。
偉業の名は『櫻井理論』。彼女の名を関する理論は既知の論理体系とは一線を画す。その際たるものがFG式回天特機装束――つまり、シンフォギアだ。
現状、人類において彼女ほど異端技術に通じる人間はいない。恐らくはこれからも。もし、彼女を超える者がいるとすれば、それは先史文明時代の人間において他ならない。
「Mr.“マークスマン”のアウフヴァッヘン波形のパターンは二種類。どちらも解析完了よ。二課の目の届く範囲内であれば、聖遺物の起動時にすぐにでも居場所を特定できるわ」
「ようやくか。…………ああ、いや、嫌味ではないからな」
「分かってるわよぉ。それからアレに私の理論も技術とも外れているようね。残っていた記録と映像からだけだと断言できないけれど――二課から情報を持ち出せるとも思わないからね」
「ならば、アレは……」
「そう、ここの最深部に封印されたサクリストDと半年前に奪われたサクリストN――ネフシュタインに続く完全聖遺物よ」
そう言い、了子は近づいたコンソールを操作すると黄金の射手が有しているであろう鎧と弓の3D映像が映し出された。
了子の言葉に、弦十郎を始めとした二課の面々は重苦しい雰囲気を纏った。
完全聖遺物はシンフォギアの元となっただけあって、兵器としての能力も、有するエネルギー量も、構築される理論と能力も桁違いだ。
そんな危険物を二つも使う者が、敵になるかもしれない。
雰囲気も重くなろう。まして、その危険に真っ先に曝されるのは、年端もゆかぬ少女なのだから。
「…………それで、どの神話の、どの武器になるか、想像がつくかね?」
「仮とはいえ、名前も必要ですしね」
「いくつか疑問点は残るけど、どちらも該当しそうなものはあるわ」
「それで、どんな曰く付き――もとい、逸話のあるものなんです?」
「恐らくは、インド神話――マハーバーラタに登場する英雄カルナの鎧と弓よ」
カルナ。マハーバーラタに登場する弱者の中の英雄であり、様々な悲劇に見舞われた非業の敗者でもある。
太陽神スーリヤと王女クンティーの間に設けられた半神半人にして生まれながらの大英雄だ。
クンティーはある縁から神々を呼び出す“
その真言が本物であるかの確かめるための実験として使用し、スーリヤを呼び出してしまったのである。
しかし、クンティーは呼び出したスーリヤを丁重にもてなし、あるべき場所へ帰って貰おうとするものの、驚くべき一言を耳にする。
そう、その真言は神々が人に子を授けるまで帰るべき場所に帰れない、極めて強力な真言だった。
未婚のままの出産、神々が自分の子と認知するかという不安から、スーリヤに己が子である証を与えて欲しいと願った。
その際、カルナに与えられたスーリヤの威光こそが黄金の鎧と耳輪である。
しかし、それだけの誠実さと恩寵を受けながら、クンティーはカルナを川へと流してしまう。王の妃となることの決まっていた彼女にとって、神の子と言えど無用の長物に他ならない。
こうして、カルナの悲劇に満ちた人生が始まった。
奇縁からクンティーの生んだパーンダヴァ五兄弟――即ち、異父の弟達と相争い、何も知らぬままに戦いが始まり、更なる力を求めパラシュラーマに師事した。
あらゆる武芸の奥義を授かったカルナは、パラシュラーマの元を去ろうとした日中。別れを惜しんだ師に、彼の膝を枕に眠ることを望んだ。
快く受け入れたカルナは、強く厳しかったものの優しくもあった師の寝顔を眺めながら、苛烈な修行の日々を思い返した。
その時、カルナの足に毒蛇が噛みついた。パーンダヴァ五兄弟に味方する神々の妨害であったとも言われる。
耐え難い苦痛に襲われながらも、パラシュラーマの眠りを妨げぬよう、凄まじい精神力にこの苦痛に耐えきったカルナを待っていたのは、余りにも無情な一言であった。
『……カルナ、私にバラモンなどと偽りを! この毒蛇の毒はバラモンには耐えられん、クシャトリヤの者か!』
インドには古くから続く因習がある。カーストと呼ばれる階級制度だ。クシャトリヤは王族や戦士、バラモンは司祭を差す。
かつてクシャトリヤに父を殺されたパラシュラーマは、クシャトリヤを深く憎んでいたのである。
驚いたのはカルナだ。父が太陽神たるスーリヤであることは知っていたが、彼は階級としては下級のヴァイシャ、あるいはシュードラとして育った。母がクシャトリヤにあるなど知る筈もない。
逆鱗に触れられたパラシュラーマはカルナに呪いをかける。彼に匹敵する敵が現れた時、授けた奥義を忘れ去ってしまうの呪いだった。
だが、カルナは戦士として致命的な呪いをかけられてなお言い訳の一つもせずに、ただ今日まで師として、多くの弟子たちと同様に武芸を授けてくれた礼だけを述べ、去ろうとした。
パラシュラーマも決して愚かな男ではなかった。
感謝だけを胸に去っていく背中にか、或いは高潔な姿勢に対してかは定かではないものの、カルナ本人すら知り得ぬ事情があるのだと悟った。
『……待つがいい、カルナ。貴様が嘘を吐いたのは事実、されど私が貴様を弟子と認めたこともまた事実に変わりはない。貴様にかけた呪いは私自身でも解けぬが、愚直な弟子にせめてもの餞別を送ろう』
パラシュラーマが送ったものは、かつて雷霆神インドラから賜った不朽の神弓ヴィジャヤ。この弓に並ぶのはインド神話においても、二張のみ。
カルナの宿敵、アルジュナのみが使いこなせるガーンデーヴァ。
原典は異なるがインドの大英雄ラーマが魔王ラーヴァナを射殺したサルンガ。
弓を受け取ったカルナは
パラシュラーマは深い悔恨と共に弟子を送り出した――――恐らく、最後の戦いの折り、自らのかけた呪いこそが、何処までも誇り高く、何処までも高潔な男の命を奪うだろうと悟りながら。
「あれ? でも、可笑しくないですか? 鎧の方はともかく、弓は雷霆神――要は雷様の弓でしょう? だったら、炎じゃなくて雷を放つとか発するとか、そういう類の性能じゃないと辻褄が合わないんじゃ」
「其処なのよねぇ。疑問点は。ただ、黄金の鎧に該当しそうな聖遺物はこれだけ。だから、同じ神話から探して一緒にあっても違和感のないものを見繕ったわけ」
どちらも同じ神話に登場する聖遺物であれば、同時に入手したところで不思議はない。出土した遺跡の中に、一緒に残されてと考えるのは自然だろう。
マークスマンが誰であれ、個人の単位で動いているというのなら別系統の神話の聖遺物を有している方が問題だ。偶然にしては確率が低すぎる。
偶然でないとするのなら、マークスマンは聖遺物を容易に発見できる何らかの特殊な技能を持っていると考えるべきだろう。
「成程、では此度の完全聖遺物、了子君、君なら何と名付ける?」
「あら、名付け親にさせてくれるの? けど、ネーミングセンスの方はちょっとねぇ。まあ、敢えてつけるなら“
「まんまですね」
「まんまよ、それ以外につけようがないじゃない。そもそも、大抵の聖遺物だって神話のまんまなんだから」
「それもそうですね。鎧の方も、黄金の鎧と呼ばれるだけで明確な名があるわけではないようですし」
「では今後、マークスマンの鎧を“
『了解――!』
弦十郎の命令が下されると総員は、力強い言葉を発するや自らの仕事に戻っていった。
櫻井 了子も指令室を後にし、自らの仕事場――与えられた個人研究室への通路を歩く。
鋼鉄で覆われた通路は正に秘密基地といった趣きで、男心をくすぐる構造だ。もしかしたら弦十郎の趣味かもしれない。
白いミュールで通路を叩き、音を響かせながら歩く了子の姿に変化は見られないが――――その表情は、明らかな嚇怒と憎悪で
(遂に来たか。亡霊ですらない、忌々しい贋作が……ッ!)
マークスマン。黄金の鎧と勝利者の名を関する弓を持つ正体不明の射手に、了子は憎悪を向けていた。
理由は定かではない。彼女は何も語っていない。その胸中とどんな因縁があるのかを知るのは、彼女とマークスマン以外には存在しないだろう。
櫻井 了子は誰にも悟られることなく、誰に知られることもなく、“本来の目的”の成就と“忌むべき怨敵”の打倒に向けて動き出す。
それは機動二課の科学者・櫻井 了子のものなのか、果たして……。
主人公が奏と響の心を軽くしたところで、そろそろ本編に入ります。
そして、英雄カルナの物語は実際のものとは違ってかなりアレンジが入っています。本作の世界におけるマハーバーラタと思ってください。
つーか、読んだのがかなり前でうろ覚えだからね!