悲鳴を上げながら飛び起きる。悪夢を見ていた。
夢の中で齧られていた腕を思わず視線を向ける。
巻かれている包帯と、寝かされていた布団が視界に入った。
着替えた覚えはないのに何故か和服を着ていた。なんでこんなの着てるんだろう。
ついでに部屋の様子が見て取れる。畳敷きの和室である。
昨日いったい何があったんだと頭をめぐらせる前に、障子張りの戸が開かれた。
現れたのは青色が混じった銀髪の女性。
夢見が悪かったので赤い目で見つめられてちょっとびくりとしてしまう。
誰だろうこの人。本気で見覚えがない。
大丈夫かと聞かれたのでとりあえず大丈夫ですと返す。
とても日本人には見えない容姿だけど、流暢な日本語である。
視線を合わせるためか、綺麗な正座も見せてくれている。
とりあえず着ていた服や財布はどこなのだろう。
いつの間にか朝だし、家に連絡入れないと。
尋ねてみると私の服は洗濯して干してくれているらしい。
電話を借りようとしたところで、何故か言葉を濁された。
とりあえず朝食を取りながらということなので大人しくついていくことに。
ああ、忘れるところだった、と女性は背を向けて歩き始めようとして、すぐにこちらに振り返り。
おはよう、と朝の挨拶をかけてくれたのだった。
料亭にでも出てきそうな和の朝食に舌鼓を打ちながら、女性の話を聞くことに。
曰く、ここは幻想郷と呼ばれる隠れ里である。
幻想郷は現代では薄れてしまった神や妖怪、魔法なんかの神秘が残されている場所であり、私は神隠しにあって隠れ里に入り込んでしまったのだ。
途方に暮れていたところを先生をしている彼女の教え子が発見して、ここまで連れてきてくれたのだという。
……正直に言っていい? 何言ってるんだろうこの人。頭は大丈夫なのか。
いや、泊めてもらったらしいのは間違いないからさすがに口に出したりはしないけども。
自称先生も私が胡散臭げに話を聞いているのに気付いた様子だ。
信じられていないのが信じられないと言えばいいのだろうか、そんな空気である。
しかしなんだろう。先生という単語を考えると頭の隅がちりちりするような。
昨夜のことは憶えていないのかと、訝しげな表情を浮かべている自称先生。
昨夜、昨日の夜のこと。……コンビニにおやつ買いに出かけたのは憶えてるけど、そこから寝るまでの記憶がない。
そういえば私はどうしてこんな日本家屋で寝てたんだろう。こんな場所は近所でも見たことない。
なんだか不安になってきたので改めてここはどこなのか聞いてみる。
幻想郷だとかどうとかではなく、住所とか、都道府県のどこなのかとか。
外の世界での区割りか何かか、との返答だけどそういうのはもういい。
さっきから全然話がかみ合わない。言葉は通じるけど意志は通じていない。
なんだか昔見た映画を思い出してしまった。
飛行機事故で重症になった作家さんが熱狂的なファンに拾われる話。
熱狂的を通り越して狂気に満ちていて、歩けない作家さん監禁して自分の思い通りの続編を書かせようとするというストーリー。
あれってどんな最後を迎えるのだったのだろう。
怖くなって途中で見るのをやめてしまった気がする。
彼女の言うことはあんまり否定しないで納得したフリをしたほうがいいのかもしれない。
荷物だって返してもらっていないのだ。
私、無事に家まで帰れるんだろうか。
結論を言うのなら、慧音さんの言っていたことは全て本当だと信じざるを得なかった。
目の前で空を飛び、光の弾を射出する魔法のようなモノまで使われたらさすがに否定などできはしない。
目が点になるってあのときの私にこそふさわしい言葉だと思うのだ。
疑ってすみませんとは思うけれど、疑わない人は脳ミソが少しばかり残念と言われても仕方がないはずである。
ともあれ、場が落ち着いたところで家に帰りたいことを伝える。
聞くところによると私が巻き込まれた神隠しというのはたまにある不運な事故だとのことだ。
私のように外から紛れ込んだ人は希望に応じてきちんと帰してくれるようなので一安心である。
しかし今は時期が悪いらしく、半月ほど幻想郷に滞在していなければならないのだという。
元の場所に戻るためにはハクレイの巫女という人物の協力が必要であるらしい。
そのハクレイの巫女が十数年に一回という大事な神事の為にしばらく手が離せないのだという。
というよりも里の人がハクレイの神社に近づくことすら許されていないとのこと。
私は取り立てて特別なところのない平々凡々とした人間だと自認している。
学校をサボったこともなければ無断外泊なんて考えたこともない。
……両親は今頃私を探してくれているのだろうか。
家族が行方不明になるだなんて、物語でしか聞いたことがない。
だけど、今や私はその当事者になってしまっている。
半月。二週間。決して短い期間などとは言えないだろう。
絶対に見つかることのない娘をそんなにも長く探し続ける両親は、どれほど苦しんでしまうのだろうか。
申し訳なさそうに、すまんなと言ってくれる慧音さんに憤りをぶつけられれば楽なのだろう。
だけど、真っ当な両親に育てられた私はそんな人間になることはなかった。
ハクレイの神事が終われば本当に間違いなく帰れることを、もう一度確認を取る。
それだけはしっかりと返答をもらい、宛がわれた部屋で、敷かれたままの布団の上で蹲る。
しばらく一人になりたかった。
一人になって、独りになって。
布団を抱えて顔を押し付けて。
家族の名前を呼びながら、私は静かに涙を零した。