静森舞は、下校時刻に風吹と別れたその足でスーパーに向かい、食材を買い込んで家に帰った。
わざわざ普段通らない回り道をし、なんでこんなことしてんだろうと思いながら寮に帰ったのだ。
風吹と二人で住むこの部屋には、どこもかしくも風吹との大切な思い出が詰まっていて、それを見るだけで舞は心が締め付けられる思いだった。
「……ごはん、作らなきゃだね」
台所にどんと置いた食材は、いつもの倍はある。
重い思いをして買い込んできたのは、夕食と明日の分の朝昼夕食を作りおいて置くためだった。
明日は休日である。最近とみに食事量の多い吹雪の為に冷めても美味しく、ボリュームのあるご飯を作る必要があるのだ。
それだけ置いてあれば、自分が1日居なくなってもひもじい思いだけはしないですむから。
「……はぁ」
手際よく野菜を洗いながら、しかし思うには先程の自分の態度への後悔だった。
風吹が危険を知りながらも覚悟を決め、『何か』をしていることは知っていた。
多分それは三年ぶりに風吹が見つけた『やりたいこと』であり、ならばそれは彼女にとって不可分な事なのだ。
それを自分の我が儘で止めさせることは、三年前に昔の風吹を取り戻すと誓いに反するものだった。
「風吹……」
風吹と一緒にいたい。風吹とこのままずっと一緒に暮らしていたい。
それはいつしか静森舞の内に芽生えていた思いだったが、それは果たして『昔の』風吹、明るい風吹を取り戻したと言えるんだろうか、とつらつら過ぎ去る悩み。
そんな悶々とした思いに耐えながら食事の準備を終えた舞は、制服のままバックだけ提げて家を出た。
今のまま、風吹と顔を合わせると何を言ってしまうか分からなかったからだ。
二人の住処である学校の寮は、実は寮とは名ばかりの分譲マンションの一室であり、管理は特に問題のない範囲で生徒に任されている。
だからこうして食事の準備や諸々の生活の苦労があるのだが、門限をとやかく言う者がいないことにだけは舞は感謝した。
バタンと扉を閉め、ぱたぱたと階段を降りると夕暮れの陽が大きくなっていた。
もうそろそろ帰ってくるだろう風吹の事を考えながら、舞はいつもの灯台へと向かったのだった。
☆ ☆ ☆
港はかねてよりの深海棲艦の攻撃を警戒し、民間の出入りを完全にシャットアウトしていた。
お昼のニュースで聞いた通り、普通ならここに侵入することはできないだろう。
「まぁ、関係ないよね」
だが、ジモティーな上色んな思い出の場所であるここに侵入することは舞にとっては朝飯前であった。
正面の検問脇を抜け、畦道を通り、レーダー施設のある裏山を抜けると丁度灯台の真裏に出る。
そこから防波堤のテトラポットをとんとんと跳んでいくと、灯台に到着した。
「お邪魔しまーす……」
ぎぎ……と錆び付いた音をたて、扉が開く。ここの扉は鎖付きの錠前が掛かっているのだが、大分緩く掛けられている為に、扉が少しだけ開く隙間ができる。
小柄な舞はそこにするりと身体を滑り込ませ、後ろ手に扉を閉める。
誰もいないとわかっいても、それはなぜかドキドキした。
舞はかつかつと螺旋状の階段を登り、大型ライトの真下にある作業室へ身を寄せた。
ここは作業員が休憩に使うのか、机や椅子、またガスコンロにコップ等もおいてある。
舞と風吹にとっては秘密基地のようなものであった。
「風吹……」
ここで風吹と過ごした思い出に浸りながらぼおっとしていると、夜の帳が降りてきたこともあって舞はうとうとし始めた。
――ここで、寝てしまおうか。
そんな思いが、舞の心を占めた。どうせ今は風吹と顔を合わせられない。
夜中に急に押し掛けて泊めて貰えるような親しい友達もいなかったし、ここなら誰も来ない。
舞はそう思い立つと、束ねてあった新聞紙を広げて机の上に広げると、靴を脱いでそれにくるまった。
新聞紙は思いの外温かく、大量の料理を用意した疲れも手伝って、あっという間に眠りに落ちていったのだった。
☆ ☆ ☆
夢、夢のなかにいる。
夢のなかで舞は帽子を被っていた。
それは昔父親から借りたぶかぶかの帽子だった。
対面には風吹。
昔の明るい笑顔似合う、陽気な風吹だ。
二人はよくわからないままごとをしていた。
いや、当人は真面目にやっている。しかし、周りから見れば奇妙なやりとりだったろう。
「だいじゅういちくちくたいしゅつげき、もくひょうしぶやんかい」
「ばつびょう、ぜんしんびそく」
風吹は舞を背負い、ぱたぱたと駆けていた。
そして舞が行き先を告げると、幼い風吹は舞を担ぎ上げて連れて行ってくれるのだ。
風吹は、気まぐれで始めたこの遊びがことのほかお気に入りのようで、舞が代わると言っても聞かなかった。
「てきくうぼをほそくっ!」
「ひだりほうせんよーい」
「ちょ、止めなさい……っ!?」
二人はスレンダーな先輩を見つけて周りをぐるぐる回りながらちょっかいをかけ、怒られる前ににげていくのが常であった。
そんな、幼い思い出のなかで、やけに自分の被った帽子が気にかかった。
あれは、どこにいったんだったか。
確か父親に返したあと、泥だらけにしたことで拳骨で殴られて、それから優しく撫でられて――
☆ ☆ ☆
ばすん、がんがん、どすん。
遠くから山彦のように響く音によって、むずがるように目を覚ました舞は、一瞬ここがどこか忘れてぼけっと辺りを見渡した。
やがて着替えてない自分と新聞紙を敷いた机に思い至り、こが灯台だと思い出して風吹とのケンカに突き当たり気を落とした。
そんな百面相を知ってか知らずか近くにズズンと振動が走り、コンクリート作りの灯台が揺れた。
机から落ちそうになった舞は慌てて靴を履くと、作業室の小窓から外を見やる。
「……え?」
外に見えるのは戦闘であった。
深海棲艦――黒い人型と海に浮かぶ無数の影たち。
彼らは執拗に軍事関連施設を砲撃し、瓦礫の山を量産しているようだった。
一気に血の気が引いた舞は、慌てて頭を引っ込めると何故か散らばった新聞紙をしゃかしゃか集めて気を紛らわせた。
そして意を決してもう一度外を見回し、幸か不幸か深海棲艦が灯台に気にかけているものは居ないと気付いたのだ。
しかし彼らはある程度破壊活動を続けた彼らは、やがて人型の者から陸に上がり、何かを探し求めるようにふらふらと徘徊し始めた。
「出れない……よね」
灯台の先まで来ることは無かったが、灯台に続く道には深海棲艦が沢山たむろし、海側には当然警戒しているのか2~3隻程の深海棲艦が十重二十重。
来るときに渡った防波堤に登ったら、一瞬で砲撃が飛んできそうな勢いだった。
状況を認識するに従い、ぞわぞわとした恐れが背筋をかけ上がってくる感覚を舞は覚えた。
現状、深海棲艦に見つかっていないだけで状況は詰んでいる。
自衛隊も必死に反撃を行ったのだろうが、銃やミサイルが効かない相手には為す術なかったのだろう。
そんな状況のなかで、舞は不安だった。
自分の生死ではない。この町や港のことでもない。
――風吹が、絶対に何か無茶をする、と言う確信めいた思いからだった。
「風吹……」
風吹の無茶を恐れ、むしろ先に自分が――等と考え始めた折りに、かさりと何かが動く音がして舞は慌てて振り返った。
そこには、なにもいなかった。
否、足元に『それ』はあった。
それは経年の劣化にも関わらず、糊がきいたかのようにぱりっとしているように舞には見えた。
いつか――昔に無くしてしまったそれは、ぴょこりと立ち上がりとたとたと近くまで走ってきた。
それを持ってきた『小さい人型』から目を逸らし、『それ』を受け取る舞。
それと同時に、もうひとつ懐かしい記憶が甦ってきた。
それは、やはり風吹との記憶だった。
――風吹がたたかうなら、私が守ってあげる。
幼い舞は、確かにそう言ってた。
そして、聞き齧りの言葉でそう宣言していたのだ。
――私はしれいかんになるから。
そして、舞はそれを――今は父親の形見となる帽子を被る。
その瞬間、とてつもない悪寒が舞を襲った。
まるで、ここにいる全ての深海棲艦が自分を見ているような――
☆ ☆ ☆
「舞ーっ!」
舞の名前を叫びながら走る風吹は、しかし冷静に灯台へ至る道筋を考えていた。
海側から強襲するには数が多すぎたし、陸からは検問がある。
恐らく舞が通ったであろう裏山ルートだと行けるだろうが、防波堤からの先は無防備になる。
せめてシクヴァルの補給が済んでいれば……と弱気になるが、無いものは無いのだ。
何故か、昨日はたっぷり寝たにも関わらず、補給がされなかった。
たっぷり食べたにも関わらず、身体を動かす燃料が足りない。
――たぶん、舞がいないからだ。
理屈ではなく、直感で風吹はそう考えていた。
物理的にはともかく、少なくとも精神的には真実だった。
どうするか決めあぐねる風吹が防波堤の直前までたどり着くと、そこにいた深海棲艦の雰囲気が変わったことを感じた。
全ての深海棲艦が立ち止まり、呆けたように灯台を見ている。
その先には――
「舞っ!」
何故か懐かしい帽子を被っている親友の姿に、風吹はあれこれ考えていた作戦を全て放棄してその身を踊らせた。
ぽん、ぽん、ぽんと危ないからと禁止されているテトラポット渡りをし、幅跳び選手のように駆ける。
幸いにも、深海棲艦に動きはなかった。
危なげなく渡りきった風吹は、身体ごと灯台の扉をぶち破ると二段飛ばしで螺旋状の階段をかけ上がった。
程なく着いた先――作業室に静森舞は立っていた。
「風吹……来ちゃったんだね」
「当たり前だよ。だって私は――」
漸く会えたにも関わらず、目を伏せる舞。
風吹が庇うように背に隠すと、眼下の深海棲艦が呪いから解けたかのように武装を二人へ向けた。
風吹が、胸元の傷痕をぐっと握る。
「大日本帝国の……特型駆逐艦だからね」
瞬間、風吹を中心に光が立ち上った。
暖かな光と共に、何処からか飛んできた機関が、排煙装置が、砲塔が、魚雷が、船体を模した靴が、風吹を包む。深海棲艦から発射された砲弾すら弾き、風吹は『吹雪』へと変身した。
「これが私の言えなかったこと……ごめん、舞。心配させて」
「ううん、吹雪。私は分かってた。多分、風吹はそうなんだろうって。わかってて、でも認めたくなかった」
「舞……」
吹雪の言葉に、舞は頭を上げた。
しかしそこには以前のような弱々しさはなく、帽子の下には吹雪をしっかりと見据える力強い瞳があった。
「吹雪……もう、危ないことしないでとは言わない。傷付いてもいい。でも、死んだりだけはしないで。そうしたら私が――」
言うなり、舞が吹雪の手を握る。
その暖かさは吹雪の身体に染み渡り、何故か、力が出た。
がしゃりという音と共に、脚部の魚雷が補充される。
舞から渡された暖かい力――『妖精さん』が吹雪の補充と整備をこなしていたのだ。
「守ってあげる」
舞の力により気力充実した吹雪は眼下の深海棲艦達を見やった。
数えると駆逐艦中心とはいえ、3個艦隊――18隻は優に存在する。
しかし、今の吹雪には恐れはなかった。普段なら決して敵わない相手でも、今は舞を背にしている。
その心強さは喩え万倍の敵を前にしても崩れることはないだろうと思えた。
「吹雪、敵は18隻。扇状に包囲されてる。突破するには――」
「最初から全力、フルスピードで駆け抜ける」
吹雪は舞と繋いだ手を放すと、背を向けて飛び出せるように姿勢を低くした。
「分かった。ご飯用意して待っている」
「行ってきます」
言いながら空中に身を踊らせた吹雪は、深海棲艦達の目が自分に向くのを見てニヤリと笑い、魚雷を撫でた。
「シクヴァール……」
水面に着水すると同時に、飛来する砲弾。
しかし予想してたように吹雪は切り札を切る。
「イグニッションッ!」
噴き上げ炎が背後にいた深海棲艦を焼きながら、本人は翔ぶ。
亜音速にまで達する速度で翔ぶ吹雪に、前線にいた2隻のハ級駆逐艦が巻き込まれて衝突した。
「まだまだ――っ!」
間髪入れず、強引に手でシクヴァルの向きを変え、軋む身体を無視して急速回頭する。
熱くなった掌を握りしめながら、まだ追いきれない重巡洋艦リ級を中心にした4隻の単縦陣に縦に突っ込む。
「でやぁぁぁぁーーーっ!!」
拳を突き出し。四隻纏めて力任せに突き破る。
普通なら吹雪が力負けして終わりだろうが、艦ではなく艦娘であること、またシクヴァルの力により無理を無茶まで押し通したのだった。
その4隻は莫大な運動エネルギーを受け、ボウリングのピンのように撥ね飛ばされた。
かすった者は抉り取られ、直撃した者は巨大な破孔を作り引き裂かれた。
最後のリ級も腹部を吹雪に貫かれ、そのままちぎれかけた上半身を残して沈んでいった。
吹雪の腕には、半ばから切り裂かれたリ級の黒いコートと、青黒い体液がべたりと残された。
「ぐ……はぁ、はぁ」
一気に4隻片付けた吹雪だが、その代償は大きい。
付き出した手は無事だが、肩の付け根が焼けるように痛む。
握った手に力が入らない。
右手に纏わりついたリ級のコートでぐるぐると右腕を肩から縛ると、左手をぐっと握って残る深海棲艦を見やる。
まだまだ、たかが4隻。相手の体勢が整わない、今しかない。
「シクヴァール……セカンド、イグニッションッ!」
直ぐに左右二本目の魚雷に点火すると、左手を突き出し残る深海棲艦の艦隊へ突撃を掛ける。
しかし今度は深海棲艦も予想していたように、密集した陣形を避け、各個にバラバラに散らばった。
結果、その左手が捉えたのは1隻のハ級のみだった。
「こなくそーーっ!!」
もう一度強引にシクヴァルの向きを変え、次の相手に向こうとする吹雪。
しかし体勢を持ち直した深海棲艦からの砲撃が集中し、立ち上る水柱で変更先を見誤ってしまった。
「……さすがに、もう同じ手は無理か」
無慈悲に燃焼終了したシクヴァルを切り捨て、間に広い間隔で包囲する深海棲艦を見る吹雪。
残るシクヴァルは一回分。倒した深海棲艦は2隻と4隻と1隻。
未だ深海棲艦は11隻が健在だ。
「でも、負けらんないよね」
吹雪は舞の方をちらりと見やり、リ級のコートを巻いた右腕で自分を庇うように覆うと、最後のシクヴァルに手を掛けた。
「シクヴァール……ラスト――」
向ける先は当然、旗艦。
やつらの中心に位置し、指揮する戦艦――ル級である。
彼女はさらに黄色いオーラを放つ、エリートと呼ばれる上位種だった。
「イグニッションッ!」
弾かれたように飛び出す吹雪に、予想してたかのような正確な砲撃が吹雪を襲う。
背中、右足、脇腹を深海棲艦の放った砲撃が直撃した。
膝頭がえぐり取られ、背骨にヒビが入り、脇腹を抜けた徹甲弾によって空いた穴から大量の血が吹き出して海上に一筋の線を残した。
「ぁぁぁぁああああっ!!」
ごぼりと噴き出す血を噛みながら、それでも吹雪は往く。
右手の装甲とリ級のコート――重巡洋艦クラスの装甲でもって身体の中心だけは守り通して。
そして目指すル級からの目が逢ったと思った瞬間、砲撃が放たれた。
戦艦クラスの一撃である。如何に装甲を重ねても、リ級の装甲と云えでも、直撃すれば一溜りもない。
だから吹雪は力の入らない右手を気合で拳を握り、大きく振りかぶる。
そして、インパクトの瞬間に合わせて力強く振りぬいた。
「ぐ……あっ!!」
弾いた。
運よく正確な砲撃だったおかげで、身体の中心めがけて飛んできた砲弾を弾くことに成功した。
戦艦クラスの砲弾になると、敵艦の装甲を貫通してから内部で炸裂するために遅延信管の設定は小艦艇より長い。
きっちり2秒後に炸裂した砲弾は、31.6kgの炸薬量を活かした爆風と熱、致命的な破片を吹雪に齎した。
「ぁぁぁぁあああああああああっ!!」
背中を焼かれ、服は炭と化した。しかし吹雪は止まらない。
ズタズタに裂かれ意味を為していないリ級のコートを投げ捨て、吹雪は改めて拳を握る。
自らの砲弾を弾き、至近まで接近した吹雪に流石に警戒したかル級は残る砲を回頭させ吹雪を狙う。
「とどけぇぇぇぇっ!」
しかし、それよりも輝きを増したシクヴァルに押し出された吹雪の方が速かった。
動かない右手を握り、体当たり気味にル級へと真正面からぶつかる吹雪。
させじとル級も踏ん張るが、吹雪のシクヴァルは戦艦さえ動かすほどの運動エネルギーを持ってル級を押し出した。
どおん、と。灯台が揺れる。
戦艦を押し出した吹雪は、ル級を灯台へと磔にしていた。
自らの腹部を貫く吹雪の右手を呆然と見やってから、ル級は空を見上げた。
その目には、帽子を被った舞が映っていた。
「ミツケタ……テイトク……さん」
歓喜の表情で歪んだ砲塔を向けようとするル級に、吹雪は左手で胸へもう一撃。
今度こそ致命傷を負い、ル級は喜びの表情のまま絶命した。
残った深海凄艦達は、自らに指令を与えていたル級がいなくなったことにより、暫くぼけっとその場で動かなかった。
だが暫くして大人しく踵を返すと、沖へと戻っていった。
港は、ようやく解放されたのだった。
「吹雪……ッ!」
灯台から降りてきた舞が、ル級と揉みあったまま動かない吹雪にひしと抱き着いた。
「また無茶して……傷ついてもいいとは言ったけど、いきなり死ぬような傷は負わないでっ!」
「へへ……ごめんね、舞――司令官」
「そう、司令官。司令官のいう事には逆らわないこと。絶対だからねっ!?」
「りょーかい……で、す」
そこまで応えて、吹雪はかくんと意識を落とした。
慌てた舞が手を握り、『妖精さん』にお願いするとぼうっと光り輝き、ゆっくり傷が癒されていく。
思わず安堵の息を吐いた舞は、吹雪の焼け爛れた手のひらと自らの手のひらを合わせ、ぎゅっと握りしめた。
「吹雪、おかえり。ここが――私があなたの鎮守府になるよ。
だから、ゆっくり……おやすみ」
そう言って、静森舞はそっと吹雪の頬を撫でるのだった。
☆ ☆ ☆
翌日、あの傷は何だったのかと言わんばかりの健康体でけろっと治ってしまった吹雪が、元気に舞と朝食を食べていた。
「艦娘ってすごいよね」
「すごいっていうか……おかしいよ」
「かもね」
あの後、舞と風吹は今後のことを話し合った。
舞は風吹を守りたい、風吹は皆を守りたい。
そんな思いから結実したのは、一つの結論だった。
「まあ、司令官。これからよろしく」
「無理な作戦だけは行かせないからね?」
二人の、二人だけの『鎮守府』がここに出来上がった。
吹雪と司令官、たった二人の鎮守府が、この暗澹たる世界に希望を齎すのはまだ少し先のお話である。
「学校、遅れるよ」
「走っていけばいいよ。私、最近けっこう速く走れるから」
「魚雷は使わないでね?あれ凄い資源使うから」
「えー……はい」
いつも通りの美味しい朝食を食べ、制服に着替えた二人は学校へ向かう。
そんな日常が、ようやく戻ってきたのだった。
★ ★ ★
「深海凄艦の……狙いが、わかった?」
自衛隊――特殊作戦群にある情報二課。
国内の情報、保全を預かる部隊では、現在総力を挙げて深海凄艦に関する生態、動向などの情報を集めている最中だった。
その中で引っかかったのが、関東のある港への襲撃事件。自衛隊にもかなりの被害を出していた。
なにせ、深海凄艦には銃撃、砲撃、また刃物や投石などの攻撃すら意味がないのだ。
そのくせ奴らの攻撃は容赦なく自軍を襲う。
それなら最初から部隊を配備しない方がまだましだが、国民感情がそれを許さない。
港に置いていた戦力は『国民』を安心させるための戦力である、と言い換えることもできるだろう。
それで死ぬ人間には溜まったものではないが。
そんな状態で現場は混乱しており、少女が深海凄艦と戦って追い返したなどの妄言に近い情報もあったが、様々な角度から検証した結果、面白い結論が得られたのだ。
「ええ、これを見てください。先日、〇〇港を襲った深海凄艦ですが、妙だとは思いませんでした?」
「短い期間に同じ港を襲っていること?」
「いえ、明らかに『何か』を捜索しています。これまで奴らは占領という手段を用いませんでしたが、今回は例外です。
彼らの目的としているものが、ここにはあるのです」
情報二課を束ねる課長――内海は部下のチームリーダである黒岩から渡された資料を広げ、面白そうに笑った。
「へぇ……まさか、まさか」
「その、まさかです」
眼鏡のブリッジを持ち上げ、自信ありげに微笑む黒岩に内海ははらはらと手を振って応えた。
「彼らの目的がこの少女――にあるとして、彼女たちは一体なに?何を持ってるの?」
「現在、調査中です」
「わかった。もっと人員を回すよ。徹底的に――調査しちゃってちょうだい。場合によっては強硬手段も辞さないよ」
そう言って笑う内海に、黒岩は怪訝な表情を向けた。
自衛隊が国民に対して強硬手段を発揮するのは、お国柄大変よろしくない事態に発展する可能性がある。
「よろしいのですか?」
「よろしいのですよ。だって深海凄艦登場以来、ようやく掴めた彼らへの足掛かり――我々が健康的な国民生活を営むための唯一かもしれない手段なんだもの。
あ、でも極力人道的にね?」
「……了解しました」
一見矛盾ともとれる命令に、黒岩は唇の端を上げながら頭を下げた。
この程度の無理無茶無謀は、今に始まったことではないのだ。
「さてさて、行くとしましょうか」
黒岩は帽子を被ると、手に書類を持ちながら部屋を立ち去った。
その書類には、『〇〇学院臨時講師転入届』と書かれていた。