365日の魔法 作:アンパン食べたい
「ーーーー」
講堂のステージで、生徒会長が何かをしゃべっている。しかし、何も頭に入ってこない。ただ、ボーッと今朝のことを考えていた。
俺は、高坂先輩を泣かせてしまったのか?いや、今日から5月、汗くらいかくのでは?それに彼女は練習をしていたのだろう、ライブ前最後の。汗くらいかくだろ。
本日最後の時限、講堂での新入生歓迎会。これが終了した後しばらくして、μ'sのファーストライブがここで行われる。ただ、俺はそれを見に行くつもりはなかった。そのための口実も用意しておいた。今日は木曜日だからな。
でも。俺は迷っていた。行った方が良いんじゃないのか?今朝、俺は高坂先輩を泣かせてしまったのかもしれないのだ。昔はよく、親父に女を泣かすのは男児の恥だと言われた。親父は母さんを泣かせたくせに。いや、だからこそ、俺はこの信念に従おうとしているのかもしれないが。
どちらにしろ、決断しなければならない刻は近づいてきている。早く結論を出さないと。
「ねえ」
誰かに袖を引っ張られた。
「誰、って真姫か」
新入生歓迎会において俺の隣に座っていた真姫。この広い講堂に一年生は一クラス分で、自由に座っていいと言われたのにわざわざ俺の隣に座るなんて変な奴。
「アス、歓迎会はもう終わったわよ?早く教室に戻りましょ。ホームルームが始まるわよ」
「あ、うん」
だが今は感謝しておこう。おかげで担任に叩かれずに済みそうだ。真姫にはまた借りが一つできてしまった。作曲の件、一万円の件、そして今回の件。今度オレンジジュースでも、って真姫はオレンジダメなんだっけ?
教室で行われたホームルームでは、この後の部活動体験について説明が行われた。しかし、俺はまったく聞いていなかった。ライブのことを考えていたのもあるし、どうせ男の俺が部活に入っても除け者扱いされるだけだ。あの頃みたいに。
「起立!」
目の前の名も知らぬ女子生徒が立ち上がってから慌てて立ち上がる。今日は5月になったということで席替えをして、真姫、凛、花陽とは離れ離れになったのだ。おかげで今周りには話したことのない女子しかいない。
「気をつけ、礼!」
ボケっとしていたら、頭を下げすぎて机にぶつけた。しかし、今日は左隣で吹き出すオレンジの髪の子はいなかった。あるのはもうすっかり花が散り、葉が伸びてきている桜の木が見える窓だけ。栄華を終えた桜は緑が鮮やかにも関わらず、どこか寂しかった。
「アスにゃん!一緒に陸上部見に行くにゃ!」
と、そのオレンジの髪の子、凛がやってくる。けど、残念ながら俺は部活動体験に参加する気はないんだ。
「悪い、凛。少し用事があるから他の人でも誘ってくれ」
「そっかぁ。じゃあかよちんを誘おう!」
あれ、でも花陽ってμ'sのライブを見に行きたいんじゃなかったっけ?以前、ライブ告知のチラシを持っていたし、昨日も行きますみたいなことを言ってたような気がする。
「おい、凛。あまり無理に誘うな、ってもういないか」
さすが凛。その行動力は高坂先輩に負けず劣らず、
「って、俺は誰と比較してるんだか」
頭を振る。もう決めたんだ。俺はライブには行かない。そして、これでもうμ'sとは縁を切るって。
机に座り、レポート用紙をおいてボールペンを持つ。今日は木曜日、レポートを書いて提出しないとな。この口実があるから俺はライブに行けなかったことになる。
「……」ジーッ
「……何かな、真姫」
視線を感じたので横目だけで誰かを確認し、用件を聞く。
「それ、すぐに終わったりする?」
「わからないけど、何で?」
「よかったらラ……ううん、何でもないわ」
彼女は教室から出ていった。何がしたかったんだろう?
再びレポート用紙と向き合う俺の耳に、どこからか「誰か助けてー」と聞こえた。ごめん、今忙しいからちょっと待っててー。
生徒会室へと向かう道中、俺は自動販売機でオレンジジュースを購入する。なんか最近ハマった。美味しくないけど。
μ'sのライブのチラシを配っている人とすれ違う。知らない先輩だった。ほら、俺がいなくたって他に代わりの人がいるじゃん。
生徒会室の前にたどり着く。結局数分考えて、四行しか書いていないレポートを持って生徒会室のドアを叩く。なぜか落ち着かなかったから、このような低レベルなレポートで終わりにしてしまった。しかし、何の返答もない。誰もいないのか?
ゆっくりとドアを開ける。すると、風が吹き抜けた。
ペシッ!
「何だこれ?」
俺の顔に張り付いた紙を取る。逆さまだったそれは"THE DEVIL"。悪魔?もしかしてタロットカードっていうやつ?
「やっぱり来たんやね、佐々木君」
「……東條先輩」
全開の窓の前に立つ、副会長。どうやら、彼女一人らしい。
「生徒会長はいないんですか?」
「えりちはライブの録画でもしてるんやないかなぁ」
なるほど、業務か。大変だな、生徒会長も。
「東條先輩は行かないんですか?」
「君からレポートを受け取らなあかんしね」
そのためにわざわざここに?いや、しかしこのタロットカードは……。
「ところで、君のところに行ったカード、"悪魔"はどんな意味だか知ってる?」
「さあ?タロットなんて知りませんし」
「せやな。じゃあ教えてあげる。暴力、激烈、予め定められ動かせないものを意味する悪魔。その逆位置。回復や束縛からの解放、腐れ縁の断ち切りとかいった意味があるんや」
「もしかしてレポートの提出という束縛から今日で解放されるんですか?」
「本気でそう思ってるん?」
苛立ちを隠さずにそう言う先輩。違うんだろうな。おそらく彼女が言いたいことは、俺の行動理念という束縛から抜け出せ、そう言いたいのだろう。
「先輩、タロット占いなんて当たるかどうかわかりませんよ?」
それでも、それは先輩が俺に対して言いたいことである。決して神の忠告というわけではない。今回このカードが俺の元に飛んできたのも、彼女が予め仕組んでおいた可能性だってあり得るわけだ。
「どうしてそう思うのか、教えてくれへん?」
「簡単な話です。古人はよく占いで国政を決めていました。でも、それは今では続いていない。つまりその政治はよくなかったんですよ」
そんな根拠のないものを判断材料にすること事態、理由が俺には理解できない。いや、今はその話は置いておこう。
「それで?それでも先輩は自分の占いが当たると?」
「もうすでに当たってると思うなあ」
壁の時計を見る東條先輩。つられて俺も見る。時刻は4時数分前。
「行きたいんやろ?」
「俺は……」
俺はどうなんだ?行きたいのか?見たいのか?μ'sのファーストライブを。彼女たちが一ヶ月かけて準備してきたライブを。全力で取り組んできた成果を。そんなの、
「行きたいに決まってるじゃないですか!でも今さらどの面下げて行けと言うんです⁉︎園田先輩に喧嘩ふっかけて、一緒に謝ろうとしてくれた高坂先輩と南先輩を振り切って!行けるわけないじゃないですか! 」
「君は少し他人を見習うべきや」
「は?」
急に話題が変わる。他人を?誰を?
「例えば君のクラスメイトの西木野真姫ちゃん。彼女は最初は作曲なんてしない、ずっとその一点張りだったんよ?」
こちらに向かって歩き出す東條先輩。やがて俺の前で立ち止まると耳元で囁く。
「自分がどこで選択を誤ったのか。何が悪かったのか。それを認識しているんやったら、あとは行動に移すだけや。それも早く。戻れなくなる前に」
彼女の言葉が頭の中で何回も繰り返され、そして刻まれていく。
手に力が入る。レポート用紙がクシャッと音を立てた。あーあ、このレポートは書き直さないとな。でも、今書き直している場合ではない。
「すみません!レポート用紙、明日出します!」
俺は返事を待たずに部屋を飛び出す。講堂へ全速力で走る。
俺はなんて馬鹿だったんだよ。高坂先輩を貶して、それにも関わらず俺に二度も手を差し伸べてくれた彼女を拒んで。それに、俺はμ'sの最初のファンじゃないか。一番最初に投票したじゃないか。そんな人がライブに行かないなんてそんな話があるもんか。
「はーい、体育館はこっちでーす」
どこかの部活の集団が廊下を埋め尽くしている。ああ、邪魔だよ!
「通してください!すみません、通してください!」
声を張り上げて人と人の間を縫うように進む。やがて俺の意図を理解した人たちが道を開けてくれる。まるでモーゼだな。
「ありがとう!」
開かれた廊下をダッシュ。腕時計を覗き込むと、時刻はすでに4時。どうやら俺のスタートは遅すぎたみたいだ。それにしても、さっきの集団は随分と人が多かったな。まさか。いや、でも、彼女たちの"START:DASH!!"は、きっと大丈夫なはず。
講堂の扉の前に着く。喉がカラカラだったので、急いでオレンジジュースを飲み干す。空になったペットボトルの蓋をしっかり閉め、俺は講堂の中へと入った。
扉が開く音。それだけが無音の空間に響いた。そう、それだけが。
「これは……」
座席の部分にいたのは数人の先輩。しかし席に座ってはおらず、中には先ほどチラシを配っていた先輩もいる。おそらく、裏方の仕事をしていた先輩たち。ようは客じゃない。つまり、客がいない。そして、ステージの上では。
「ア、アスちゃん……」
今にも泣き出しそうな三人の先輩がスポットライトを浴びて立っていた。