365日の魔法 作:アンパン食べたい
「たあああ!」
「甘いっ!」
バシッ!!
「痛っ⁉︎」
屈強な男に竹刀で叩きつけられ、俺は初めて身に付けた重い剣道防具とともに畳の上を転がる。これでもう何回目だろうか。ゆうに50回は超えているし、もしかしたら100回を超えてるかもしれない。全身が痛むものの、俺は未だにどうしてこうなったか理解できない。
「その程度か、飛鳥!」
「そんなこと言われたって……」
俺は竹刀を杖代わりにして立ち上がる。そんな俺の前に仁王立ちする男。園田先輩の父親である。防具の奥から覗く瞳が俺を睨みつけている。……たぶん。
「言ったはずだ!私に一太刀でも入れられぬのなら娘はやらんと!」
「俺も言ったはずです!そんなつもりはありませんと!」
μ'sの練習の後、園田先輩に連れてこられた園田家。そこで待っていたのはこの人である。何でも、園田先輩の父親に俺が竹刀を一回でも当てない限り娘は絶対に渡さないとか。いや、そんなつもりはないんですけど。付き合ってすらいないし、むしろ俺は園田先輩に嫌われてるような気もしなくはない。本当、どうしてこうなった。
「頑張るのよ、飛鳥さん!」
後ろから俺を応援するのは園田先輩の母親。おっかしいなぁ。園田先輩から聞いた話だと、今日は味噌汁の作り方を教えてもらえるはずだったんだけど。もしかして最初から味噌汁の作り方を教えるつもりはなく、俺を痛めつけるために呼んだのか⁉︎
ちなみに園田先輩は現在この道場にはいない。今は自室で次の曲の作詞のアイディアを出している。つまり、この状況を打破してくれる人はいない。自力でなんとかするしかないわけだ。何その無理ゲー。
「早くかかってこい」
園田先輩の父親が俺を挑発するが、俺は動けない。相手の挑発にも乗れないくらい、現在の俺は疲労困憊。全身が痛みを訴えているし、意識もあまりはっきりとしていない。目の前の園田先輩の父親が二人に見えるくらい。あれ、結構ヤバくね?
「飛鳥さん、諦めないで!貴方ならきっとやれます!」
「何を根拠に……」
フラつきながらも竹刀を振る。しかし、それはいとも簡単に受け止められると竹刀を弾き飛ばされる。
「めんっ!」
そしてそのまま顔面を叩かれる。防具をつけているにもかかわらず、顔にものすごい衝動が伝わってきて脳みそがグラグラ揺れる。軽い吐き気とともにバランスを崩した俺は2、3回後転して畳の上に寝転がる。
腕が重く、上がらない。足はあちこちが悲鳴をあげ、息は苦しい。頭はクラクラするし、鼻筋には生温かい感触。いつのまにか額から出血したみたいだ。なんで俺はこんなにボロボロなんだろう。どうして俺はこんな勝負に必死になっているんだろう。わからない。
それでも、体をゆっくりと回転させ、俺は這って竹刀の元まで進む。竹刀を掴むと、ゆっくりと立ち上がる。これが俺の意思に反して始まった試合だとしても、この程度で諦めるわけにはいかない。それは俺のポリシーに反する。
が、眩暈がして俺は再び畳に倒れる。
「情けない」
どこか、どこかずっと遠くにその人は立っているようだった。剣道を極めた人。彼の機敏な動き、力強い攻め、堅固な守り。これらは一朝一夕で身につくものではなく、長年の努力が窺える。それは、もう二度と途中で投げ出さないと決めた俺にとっては憧れに当たる人で。だからこそ、そこまでの道のりがこんなにも遠いと思うと、悔しかった。奥歯を噛み締める。
「飛鳥さん、大丈夫?今日はもうやめます?」
心配そうな声が聞こえる。甘い誘惑。その提案に応じれば、もう苦しむことはないだろう。もう痛みを感じることはないのだろう。でも、決めたのだ。もう途中で諦めるようなことはしないと。たとえそれが望んでやっていることではなくても。
「いえ、大丈夫、です」
畳に寝そべったまま息も絶え絶えに答える。その様子に呆れたのか、園田先輩の父親はため息をつく。
「愚か者。引き際を見極めろ」
「嫌です」
上半身を起こし、園田先輩の父親を見上げる。彼は思ったより俺と離れた位置には立っていなかった。ここから一歩踏み出せば竹刀が届くのでは、という距離。これなら、もしかしたら。
「俺は決めたんです。もう絶対に何かを諦めたりしないと。途中でやめないと。その信念をここで捨てるつもりはありません。絶対に貫き通してみせます。たとえ動けなくなったとしても!諦めないと決めたんです!」
キッと園田先輩の父親を睨む。誰かがハッと息を呑む。それは誰が息を呑んだ音なのかはわからない。目の前の男なのか、俺の後ろに立つ女性なのか、はたまた俺なのか。ただ、目の前に立つ人の剣道具の面の奥にある瞳が見開かれたような気がした。
「ダメだ。私が認めん。今日はもう終わりだ。来週にでも出直して来い」
俺に背を向ける園田先輩の父親。馬鹿にしてるのか?舐めてるのか?もしそうなら、ふざけるな。本気でやろうとしている人に向かって、何だっていうんだ。こっちが全力でやろうって言ってるんだから、全力で応えろよ。そっちがその気ならこっちだって、不意打ちというものをさせてもらうだけだ。油断したそっちが悪い。
「これでぇ!」
勢いよく跳ね上がると、無防備に佇む背中に向けて竹刀を突き出す。これは決まった、そう思ったのだが。
素早く体を半回転させた園田先輩の父親は半身になると俺の竹刀を避ける。ついでと言わんばかりに俺の手を自らの竹刀で叩く。反撃を予想もしていなかった俺は畳に向かって一直線、竹刀を離して手をつくこともできずに顔面から畳にぶつかる。
「いてぇ……」
あまりの痛みと、不意打ちを失敗に終えた恥ずかしさから俺はうつ伏せのまま動けない。だが、諦めはしない。さっきも言った、動かなくなっても諦めない。ゆっくりと体を起こそうとする。しかし、なかなか起き上がれない。腕に力が入らないのだ。俺の意思に反して身体は限界らしい。やがてしばらくした後、誰かに首根っこを掴まれて顔を上げさせられる。
「よくやったな。お前の勝ちだ」
「えっ……?」
視線の先。俺の持つ竹刀が、園田先輩の父親の爪先にヒットしていた。え、嘘。勝ったの?勝ったのか、俺は?
「私に竹刀を当てるとは。大したものだ。これで決まりだな、飛鳥、お前は」
勝った。あまり実感はわかないけど、勝った。ということは、俺は園田先輩の婿に?ま、まじか。つまり俺は園田先輩の許嫁?
「私の弟子だ」
……ん?あれ?
「え、ちょっと待ってください?たしか決まりごとは俺が勝ったら園田先輩をくれるってことでしたよね?」
別にそんなつもりはなかったのだが、園田先輩はスクールアイドルをやっちゃうくらいの美女である。しかも見た目からすると家事も何でもこなせそうな、いいお嫁さんになりそうなのだ。それを貰えるという話、どこにこれ以上の有難い話がある?どうせ勝ったのなら貰っちゃおうと思ったんですけど?
「飛鳥、試合中にそんなつもりはないと言っただろ?」
「いやいやいや⁉︎約束は約束でしょう⁉︎」
「自分から破棄しといて何を言う!娘はやらん!」
怒鳴って手刀を俺の後頭部に入れる園田先輩の父親。何だよ、この頑固親父。
「じゃあ、百歩、いや万歩計カンストまで譲ったとして、なぜあなたの弟子になるんです?」
「何だ、万歩計カンストって。まあいい。理由だな?そんなのは決まっている。私がお前の信念を、お前を気に入ったからだ」
……そうか。口は災いの元、そういうことか。俺がペラペラと喋ったがために勝負に勝ったのに園田先輩を貰えず、この人の弟子になっちゃったわけだ。いや、園田先輩を貰えたかどうかは知らないけど。たぶん本人が嫌がるだろうし。あれ、じゃあ結局この試合ってなんの意味があったの?
「これからは私のことは師匠と呼べ、飛鳥」
「……はい、師匠」
似たようなくだりを別のところでもやった気がする。この人もあの部長と同じように面倒な頼みごとをするのか?何だよ、あの部長。俺にμ'sの写真を撮影して来いとか。しかも自分からの依頼というのは伏せろって。おかげで俺がストーカー扱いをされたんだぞ。
「それから、毎週土曜はここに来て私の指導を受けるように」
「……それはちょっと」
「あ?何か言ったか?」
竹刀を肩に担ぐ師匠。その背後には只ならぬオーラが見える。やっぱりこの人は園田先輩の父親だ。だってそっくりだもん。つまり怖い、逆らえない。
「いえ。ありがたき幸せです」
「そうかそうか!はっはっはー」
俺の背中をバンバン叩く師匠。しかし、先ほどまで竹刀で叩かれっぱなしだった俺には相当キツい。痛い。というより、むしろ悪意を込めて強く叩かれている気がしないでもない。
「この後、味噌汁の作り方を教わるんだろう?頑張れよ」
そう言うと師匠は部屋から出て行く。その瞬間、うまく聞き取れなかったけど何かをボソッと呟いた。
「悔しいが、海未の気持ちもわかるな。悔しいが」
あまりはっきりとは聞き取れなかったけど、園田先輩がどうとか聞こえた。どうせ園田先輩の婿にはもっと男らしい人がいいとか何とか言ってたんだろ。
「悪かったですよ、園田先輩に不釣り合いな不出来な弟子で」
ポンと優しく肩を叩かれた。園田先輩の母親だ。
「飛鳥さん、鈍いんですね」
この人まで言うか。まあ、たしかに園田先輩の父親と比べたら剣を振る速さとか、動くスピードとか全然鈍いけど。
「違うんですよね……」
違う?何が?
「まあ、いいでしょう。それじゃあ味噌汁を作りましょうか?」
「はい、お願いし……」
立ち上がろうとして、止まる。体が痛くて動けない。
「……もう少し休んでも良いですか?」
「ごゆっくり」
にっこり微笑んで部屋から出ていった園田先輩の母親。
「これは明日は筋肉痛だな」
……筋肉痛だけで済めば良いけど。