「トキの過去を知りたい、ですか?」
アスフィ・アル・アンドロメダが聞き返すと、彼女と向き合うように座っている2人はコクコクと頷いた。
ベル・クラネルとレフィーヤ・ウィリディス。トキと親しい2人だった。
「構いませんが……なぜですか?」
「その、トキって何でもできるじゃないですか。それでたまに聞いてみるんです、『どうしたらそんな風にできるようになったのか』って」
「そしたらいつも『秘密だ』って言われるんです。だから気になっちゃって……」
後ろめたいことをしている自覚がある2人は、若干うつむきながらも事のいきさつを語る。それに対しアスフィは──
(まあ、仕方ないでしょう)
と納得していた。
トキの過去を知る彼女からすれば、トキの反応は当然だと思う。もし自分が同じ軌跡をたどっていれば、断固としてそれを人に話したくはない。
「それで、ダメ元でヘルメス様に聞いてみたんです。そしたらアスフィさんの方が詳しいから聞いてきなさい、って」
「…………ヘルメス様」
かの主神の考えは予想できる。トキの話を聞いた2人が、今後どのようにトキに接するのか興味があるのだろう。
ヘルメスはトキを可愛がっているが、真に子を思うのなら愛情だけでは駄目だと、多くの子と接してきた神ならではの考えだった。
ため息をつきながら眼鏡をかけ直し、正面の2人をもう一度見てみる。
トキにとって
「いいでしょう。全てはお話しできませんが、個人的に印象深かった話をいくつか話しましょう」
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ある街でのこと。トキにお使いを頼んだ時のことです。
「トキ、お使いをしてきてください」
「……わかった。何を取ってくればいい?」
トキの言い方に若干の疑問を感じながらも、私は必要な物のリストを渡しました。それを受け取ったトキは、何故かお金を受け取らずに部屋を出ていきました。
「すぐに彼を追うんだ」
「どうしてですか?」
トキが部屋を出ていってからすぐ、ヘルメス様にそう命じられました。それに対し、私は疑問を投げかけました。トキに頼んだものは、そう難しいものではありませんでしたから。
「わかってる。だけど何か嫌な予感がするんだ」
「……わかりました」
すぐにトキを追いかけました。そしてその時私が見たのは………………少年が黒い短刀を手に、店の主人に襲いかかっている光景でした。
慌てて止めに入り、トキに事情を聞きます。すると、彼は小首を傾げながら、
「こうやって調達するんじゃないの?」
と返答しました。なんと、トキはお金のことを知らなかったのです。
私は唖然とし、店の主人も言葉を失いました。店の主人は激怒し、それに対して私は謝り倒しました。しかし許されることはなく、私達はそれ以来、その店どころか、その街を出禁にされてしまいました。
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「それは……」
「その後確認してみたのですが、当時のトキには常識というものが全くありませんでした」
それに、とアスフィは口に出さずに付け加える。
トキに欠落していたのは常識だけではなかった。感情や倫理観、さらには欲求など、人間として当たり前に存在する筈のものがとても薄かったのだ。
「それからのトキは、打ってかわって知ることに貪欲になりました。推測ですが、自分が知らなかったことにより私達に迷惑がかかったことを悔やんだのでしょうね」
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またある日のこと。その日、私はトキにあれこれと聞かれていました。生活に必要なこと、冒険者になるために必要なこと、全く関係のなさそうなこと等。すると、
「……じゃあ、人間の子供って……どうやってできるの?」
一瞬言葉に詰まりました。ええ、まさかこの歳で、子供に聞かれたら答えに詰まる質問をされるとは思っていませんでしたから。
すると私の横からヘルメス様が代わりに答えました。
「それはね、キャベツ畑から産まれてコウノトリさんが運んでくるんだよ」
別の意味で言葉に詰まりました。思わず振り返ると、その時のヘルメス様は
「……じゃあ、血の繋がりって何?」
再三言葉に詰まりました。
「……親子っていうのは、よく血が繋がってる、とか同じ血が流れてる、って言うけど、ヘルメス様の言った通りだと、コウノトリが選んだ、ただの他人だよね?」
……ええ、どこからそんな知識を仕入れてきたのかわかりませんでしたが、あの時は本当に困りました。私ももちろん反論出来ませんでしたが、ヘルメス様も尋常じゃない汗をかいていましたからね。
その後、いろいろと誤魔化そうとしましたが、その度に新たな質問で返され、結局嘘だと訂正して、正しい知識を教えました。
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「……え、正しい知識って」
「そうです。本来の性知識です。誤魔化し切れませんでしたから」
(あの時は、私が真っ赤になって教えているのに対して、あの子は淡々とそれを聞いていて、無性に腹が立ったのを覚えています。……思い出したらムカムカしてきました)
「後はそうですね…………ダンスを教える時は、なかなか呑み込みが早かったですね」
「ダンス、ですか?」
「ええ」
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トキを拾ってしばらく経った頃。ヘルメス様が、社交界にトキを出席させる、とか無茶ぶりを言って、そのためのマナーを私が教えている時のことでした。
「違います。お辞儀の角度は15°、30°、45°を、それぞれ相手や場合によって使い分けるのです」
「……こう?」
「……まあ、いいでしょう。では、次にダンスの練習です。私が
トキの手を取り、ステップを踏む。しかし彼は体が強ばっており、上手く踊れなかった。
「肩の力を抜いて」
一言言うだけで、彼の肩から力が抜けた。けれど今度は腕に力が入ってしまっていた。これでは
「腕だけで
「……難しい」
厳しい顔で右に左に足を動かす姿は、年相応の少年に見えた。そんな様子にクスリと笑う。
「ダンスには決まったリズムはありますが、貴族とか相手でなければ相手の目を見て判断しなさい」
苦戦するトキに一声かける。
「……目?」
「そうです。ダンスは駆け引きと同じです。相手を観察し、次にどう動くのか予測するのです」
先程から、彼はずっと足下を見ていました。ですが、それでは上手くならない。ならば、彼ができる方法で上達させるのが最善の方法でしょう。
「……それならできる」
「けっこう。では続けますよ」
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「その後たったの30分で、その社交界で踊るであろうダンスを全て覚えてしまったのです」
「す、すごいですね」
「ダンスかぁ。今度踊ってもらおうかなぁ」
懐かしそうに微笑むアスフィに、ベルの顔がひきつる。彼も『神の宴』の時に踊ったことがあるが、あれの動きを覚えるとなると、いったい何時間かかるかわからない、と冷や汗をかいていた。
対照的にレフィーヤは、妄想の中でトキに
「こんなところですかね。他にもいろいろありますが、全部話すとなると、いつまで経っても話し終わりませんからね」
「そうですか……」
「もう少し聞きたかったです」
ションボリする2人に微笑みながら、アスフィは話を締めくくる。
「また機会があったらお話しますよ。それでは、これにて失礼します」
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