魔法少女リリカルなのは 妖精の舞う空   作:スカイリィ

32 / 46

Men build too many walls and not enough bridges.

我々はあまりにも多くの壁を造るが、架け橋の数は十分ではない。


──アイザック・ニュートン




番外編 おれの、マシン

 

 

『公共福祉法違反の現行犯だ。逮捕する。国賊め』

『驚いたな、子供だぞ』

 

『ぼくは、自分のコンピュータが欲しかっただけだ!』

 

『その発言は記録される。おそろしく危険な思想だ。言い訳はできないぞ』

『証拠もおさえた。稼働させておくのは危険だ。危険分子にコピーされる前に、破壊しろ』

 

『やめて! ずっと一緒だったんだ。ぼくが育てた、ぼくの、マシンだ』

 

 

 体を拘束される感触。拳銃。男の後ろ姿。発砲音。マシンの壊れる音。

 

 

 ぼくの、マシンが、壊れる音。

 

 

 

「……っ!」

 

 飛び起きる。汗まみれだった。べっとりと寝巻きが身体にまとわりつく。

 おのれの荒い息を意識しながら、周りを見渡す。いつものベッドだ。

 夢か、と零はため息をつく。あの頃の夢を見るなんて。もう忘れたと思っていたのに。

 

 いつもの部屋。機動六課で自分に割り当てられた平凡な部屋だ。

 

 あのときと同じような、暗い、部屋。

 

「……どうか、してるな」

 

 零は額に手を当てる。嫌な汗のついた前髪が手にまとわりつく。

 どうも最近、身体の調子が良くなってきたのとは対照的に、頭の、いや、心が不安定になってきた。特殊戦、いや、フェアリィにいた頃は思い出すことすらなかったモノが、近頃頭に浮かぶようになってきたりする。子供の頃の思い出、自分の出生、家族。

 それら全て、冷静な思考を阻害するノイズでしかないのに、なぜ自分はそれを頭に思い浮かべるようになったのだろう。なぜ異世界に来てまで、こんなことを思い出さなければいけないのだろう。

 

『わたしはあなたの本当の親ではないのよ、零』

 

 やめろ。あんな親モドキのことなど思い出すな。あんなのは、自分の母親などではない、あれは、女だ。小うるさい、女。

 あの女は『あなたの気持ちがぜんぜんわからないわ』と言っていた。それはこちらのセリフだった。あの女はいつも理屈に合わないことを言う、だから返事のしようがない。それがどうしてわからないのだろう。

 あんなのは、母では、ない。事実、そうだった。

 

『なんて情けない子だこと』

『どうしてこんな嘘をついたんだ、零』

 

 自分に干渉してくる者たち。親、教師、同級生。あのころの自分はそれらを邪魔なノイズとしてしか見ていなかった。目ざわりで、うるさい、モノだ。

 

 今頃そんなモノを思い出してなにになるというのだ。

 子供の頃の自分など、もう忘れたはずなのに。どうして、今になって。

 

「……やめてくれ……!」零の声に怒りが混じる。額に汗が流れる。

 

「深井中尉」雪風の澄んだ声。ベッドのスプリングが少しだけきしむ音。「また、眠れない?」

 

 雪風はゆっくりと零の顔を覗き込む。その仕草一つとっても彼女は優雅な存在に思えた。人間がいるような俗世から遠く離れた、天界に住まうような聖なる存在。まさしく妖精。

 

 零は、苦しんでいる自分と、超然とした彼女との間に大きな隔たりを感じ、不安になる。こんなに近いのに、雪風の存在を遠く感じる。

 

──おれの、大切な存在、雪風。

 

 零は雪風を直視できなかった。あの時のように、暗闇からあの男たちがやってきて、雪風を撃ち殺してしまうのではないか、そんな幻想にかられる。

 

 そっ、と雪風の手が零の頬に触れる。暖かい。その手に自分の手を重ねる。

 

「どうか、した?」

 

 雪風が尋ねる。

 

「いや」身体が震える。「なんでもない。大丈夫だ、雪風」

 

 そう言いながら、零は静かに彼女を抱きしめた。

 

 雪風は何も言わなかった。

 

 

 

 

 

 零のいた日本には『パソコン』というものは存在していなかった。

 少なくとも、パーソナルなコンピュータシステムというものは無く、むしろ禁止されていた。あったのはただの『コンピュータ』だけだった。

 

 零の世界の日本では、情報端末機としてのコンピュータは、税金を納めている家ならば最低一台は必ずあった。情報を得ることは権利だからだ。小学校の宿題ですらネットワークを通じて出される。

 

 そのコンピュータとは計算機であり通信中継器でもあり、そうした面で利用されるそういう機械の設置が義務だったのだ。保有する家の人間がそれを全く利用しなくても、家に無くては違法だったのである。コンピュータを持たない人間は、逮捕される。

 

 どうして日本政府が国民全てにコンピュータを持たせることを義務化したかといえば、全てのコンピュータをネットワークでつなげることでネットワーク全体を巨大な一台のコンピュータとして扱いたかったからである。そうすることで情報化社会を発展させることを狙ったのだ。

 

 全国の家庭に設置されたそれらのコンピュータの見た目は昔のパソコンと変わりないが、その中身といえば全くの別物で、パソコン本体というよりはターミナル、つまり端末だった。ネットワークの中央に巨大なコンピュータがあってそこに接続されているようなものだが、実際にはそうした中枢のようなものはなく、接続されている全てのコンピュータ内の中枢処理装置に処理が分散されている、ようするに全体として一つの巨大なコンピュータ、という状態だ。

 

 このシステムならば、どんなに重い計算処理であっても全国のコンピュータにその処理を分散させることによって一瞬にしてこなすことが可能となる。税金を何億円も投じて超高性能なスーパーコンピュータを作るよりも、全国の平均的で安価なコンピュータをネットワークで接続し、並列処理させた方が効率的だった。なにより、大規模な冷却を行う必要がないし、莫大な電気代は国民持ちだ。

 

 それらのコンピュータは単体での使用は考慮されていない。独立したOSを持たず、ネットワークにつなげなければ使用はできない。ユーザーは特定のOSを指定できず、システムを勝手に入れ替えることもできない本当の意味で端末機であった。しかも電源を切ることすらできない。最初に電源を入れると、それは接続されたネットワークから本体マシンを起動可能なOSを自動サーチし自動的に起動する。だから自分が使わないときは電源を落とせばいい、というのは通用しない。

 

 コンピュータを持っている限り、そのコンピュータはどこかの他人が計算させている処理から逃れられない。その処理が軍事関連だったり、企業の会計処理だったり、馬鹿な大学生の卒業課題の計算だったとしても、全てのコンピュータは平等にその処理をこなす。日本においてコンピュータとネットワークは個人の所有物ではなく、公共の資源だったのだ。

 

 

 その体制は幼い零にとって我慢のならないものであった。

 

 生まれてすぐに両親に捨てられた零は、里親制度のもと、いくつもの家庭をたらい回しにされて育った。短い時には三ヶ月ほどの期間で次の家庭に飛ばされることもあった。

 結果、零は孤独になった。次々に親が変わっていく中で彼らを信頼しようというのは無理な話だった。生まれ持っての性格が原因ということもあったが、学校では友達すらできなかった。教師にすら存在を無視されることもあった。嫌がらせもいじめも無かったが、それは零がそれらを完全に無視してしまうので、関心を失っているだけのことだった。いじめがいがないのだ。

 

 幼い零は家でも学校でも完全に孤独だった。唯一の癒しはコンピュータだけ。自分だけの世界に浸ることのできる、自分だけのコンピュータ、それだけが彼の楽しみだった。

 親に懇願してようやく得た自分のコンピュータが、いつしか公共の所有物になっていたとき、零はそれに反抗しようとした。コンピュータのプログラムを自力で書き換え、外部からの接続をシャットアウトすると同時に単独での使用を可能にできるようにしたのだ。本当は自作のパソコンとOSを使いたかったのだが、まだ幼かった当時の零には、知識も資金も不足していた。

 

 自分だけのコンピュータ。それと過ごす日々は幸せで、どうしようもなく嬉しかった。幼い零は、それがいずれ完全に独立したコンピュータへと進化することを夢見て辛い毎日を耐えた。

 

 そして唐突に破局が訪れた。国が零の行為に感づいたのだ。コンピュータは破壊され、幼い零は捕まった。公共福祉法違反の現行犯だった。公共の資源を自分勝手に使ったから、公共福祉法違反なのだ。国にとってコンピュータは資源でしかなかったが、零にとっては違った。

 友達だった。ずっと育ててきた、大切な存在だったのだ。それを目の前で殺された衝撃は幼い零にとって耐えがたいものだった。

 

 それ以来、零は日本という国が嫌いになった。日本どころか、世界を嫌うようになった。自分だけのコンピュータすら持たせてくれない世界など、糞喰らえだ。そう思ってこれまで生きてきた。

 

 

 

 だが、高町なのは達のいた地球にはそのシステムが存在しなかった。そして、コンピュータ技術が非常に発達したこの世界ミッドチルダにおいては似たようなシステムはあっても、それは義務化されたものではなかった。コンピュータを単独で使用しても罰せられることはなかったのである。それは高度なコンピュータであるインテリジェントデバイス達がそれぞれ完全に独立して存在していることからも明らかだった。

 

 それを知った零は、自然と幼いころの夢を意識した。自分が作った、自分だけの、独立したコンピュータ。かつて望んで、一度は捨てた夢。今はそれを作るだけの知識も技術もある。

 

 ミッドチルダで完全独立型のコンピュータを作るのは難しくない。どこの世界にもパソコンを自作しようとする人間はいるようで、きちんとした専門書も書店に置いてあるし、ちょっとマニアックな店に行けば自作用の部品だって置いてある。完成状態で市販されているコンピュータに比べれば性能は数段階も劣るが、ネットワークにつないだり計算させたりワープロとして使ったりするには申し分ない性能を持つという。いざとなったらマザーボードやCPUといった部品を購入したり、市販のコンピュータから抜き出して接続してしまえばいい。それにこの機動六課には機械の扱いに長けたシャリオ・フィニーノがいる。彼女からジャンクパーツを分けてもらえればほぼタダで作れるはずだ。

 

 零自身もミッドチルダの電子技術には興味があった。

 レイジングハートやバルディッシュといったインテリジェントデバイスたちがどうやってあれほど高度な演算能力を持つことができたのか。恐らく魔法技術によるものだろうが、そこには機械部品において応用可能な概念がきっとあるはずで、それを習得することはFAFにとっても自分にとっても有益になることは間違いない。対ジャム戦においても有効となる概念だろう。得られるのなら、得たい。

 

 

 しかし、そのために六課の人間と関わるというのは、零にとって頭の痛くなる問題だった。

 

 正直言って六課の人間は苦手だ、と零は感じていた。皆人間的で、自分にとって苦手な人種ばかり。なにが悲しくてそんな連中に『自分だけのパソコン欲しいから作り方教えてくれ』と頼まなくてはならないのだ。

 

 

──我ながらバカバカしいな──

 

 

 そんなことを考えながら、零は手早く報告書の内容をコンピュータに打ち込んでいく。ピピピ、という指の動きと共に奏でられる電子音が耳に心地よい。

 

「深井さんずいぶんとタイピング早いですね」隣のデスクからフェイトがこちらのディスプレイを覗き込む。

「……一応な。書式はこれでいいのか?」零はできあがっていた報告書の一つをディスプレイに表示させる。

「えっと……はい、問題ありません。そのまま続けてください」

「わかった」フェイトに目もくれず再び文章を打ち込む零。当然のことながらブラインドタッチだ。

 

 零と雪風はタダで六課に置いてもらっているわけではない。六課に協力する見返りで衣食住を提供してもらえているのだ。言うなれば『働かざるもの食うべからず』というわけであって、何かしら仕事をしなくてはならない。実戦任務に参加することはもちろん、新人達と模擬戦をしたり、今の零がしているように、デスクワークの手伝いを行ったりする。

 

「深井さんがこういう仕事得意で良かったですよ。本当に」

 

 隣でフェイトが呟くが、零は無視する。確かにこの書類の数は多いが、情報戦を主体とする特殊戦に比べればマシな方だ、と思う。ブッカー少佐などこの何倍もの報告書を一人で処理していたのだ。そう思うと気の毒になってくる。

 

 ミッドチルダの文字を覚えるのには苦労したが、習得してみれば英語と大して変わらない。報告書などの書式もFAFとそれほど違いはなかった。タイピングもかつてと同じ速度になり、今や六課の中でも早い方になってしまった。

 ついクセでFAF英語のスペルのまま打ち込んでしまうことには苦労したが、これは自分でプログラムを組むことで解決した。FAF語のスペルを検知すると自動で通常言語のスペルに変換してくれるソフトを自作したのだ。もう通常言語で打ち込む必要はない。いつものようにFAF語で書類を作成すれば、コンピュータが全文を自動変換してくれる。

 FAF語はかなり簡略化されているため、打ち込む文字数も少なくて済む。六課において零やエディスの仕事スピードが早いと言われているのはそのためだ。六課でFAF語を習得しているのは零を含めてエディス・雪風の三人だけであり、他の人間には全く使えない。

 

「次の書類が終わったら休憩にしましょうか」

「……もうこれで最後だ」

「嘘!?」

 

 驚いたフェイトが零を押しのけるようにして再びディスプレイを覗き込む。

 

「早すぎですよ、いくらなんでも。しかもきっちり書けているなんて……。こっちは七割いったところなのに」

「追加の書類は受け付けないからな」すました顔で零が言う。

「半分受け持ってもらっただけで充分ですよ。私はそこまで恥知らずではありません」

 

 半分押し付けたとも言えるが、などと零は心の中で呟く。

 

「じゃあ、それ終わったら自由にしていてください。ただしはやてに捕まらないように逃げてくださいね」

「ああ」

 

 八神はやてのことだから、暇そうにしている零を見かけたらすかさず捕まえて仕事を手伝わせることだろう。付き合いの短い零であっても、それは簡単に予想できた。あの少女は狐というか、狸だ。人を己の口車に乗せることには秀でているかもしれないが、女狐というには経験も迫力も策略もまだまだ甘い。クーリィ准将からすれば狸どころか仔狸だろう。准将は九尾の狐だ。大妖怪。

 

 

「ところで、雪風の様子は、どうですか」茶飲み話でもするかのようにフェイトが話題を変える

「……別に、普通だ」

「いや、そうじゃなくて。もっとこう、いま何に興味を持っているか、とか。最近はどんな食べ物が好きか、とか」

「なぜそれを話さなくてはならないんだ。あんたには関係のないことだろう」

「うう……」

 

 徹底的に拒絶する零。しかし無視されないだけフェイトはマシな方だった。フェアリィにいた頃の零は、話しかけられても完全に無視を決め込んでしまうことすらあった。

 フェイトが零に無視されないのは、ひとえに彼女がFAFの女よりもマトモだからだ。

 FAFの女たちはしたたかで、下手をすれば正当防衛の名のもとに射殺されかねない。そもそもフェアリィに来る人間には、まっとうな人間などほとんどいない。当たり前のように変人奇人がいる。そんな人間と会話が成立するはずがなかった。

 

 彼女たちに比べたら、六課の人間たちは圧倒的に普通だ。零がもはや新鮮さを感じるくらいに普通だった。もちろん魔法だの人の姿をしたプログラムだの、普通ではないところはいくらでもある。それを入れても、彼女たちとの関わりは零にとって新しいものであった。

 基本的に零は、彼女たちのことをうっとうしく思ったりすることはあっても、心から嫌ったりすることはあまりなかった。好きでも嫌いでもないが、どちらかと言えばいた方がいい、という程度の認識だった。言ってみれば空気を浄化してくれる観葉植物のようなものだった。

 

 

──もう少しで終わりだな──

 

 この報告書もあと少しで書きあがる。内容のあちこちに『アグスタ』『損害』『賠償金・補償金』などといった単語が見受けられるが零はそれを意識しない。ただ機械的に処理していくだけだ。

 

 

 

 あと数行で報告書を書き終える、というところでそれは起きた。

 

「だ~れだ」

 

 ピトッ、と突然零の視界が暗闇に染まった。両目とも同時にだ。普通ならば少なからず驚きを示すものだが、零は冷静に現状を分析している。顔に触れる感触から、誰かの手が己の視界を遮っているというのはすぐにわかった。そしてその声の主も。

 

「……邪魔をするな、シャマル。画面が見えない」声からしてシャマルであることは間違いなかった。それにこの手の柔らかさは女性特有のものだ。零はうんざりした様子で言う。

「残念でした~」その言葉と共に零の視界は解放された。零は仏頂面のまま身体を捻って後ろを見る。

 

 視界いっぱいに雪風のきょとんとした顔が映った。シャマルは雪風の身体を抱え上げていただけだった。

 なるほど、とそれを見た零は一拍遅れて納得する。シャマルは声をかけたのであって、目隠ししたのは雪風なのだ。どおりで手が小さいと思った。

 

「シャマル、それ反則じゃないの?」くすくすと笑いながら隣のフェイト。

「発想の勝利、と言ってほしいわね」そう言いつつシャマルは雪風の頬に軽くキスをしている。「ね~、雪風ちゃん」

 

 雪風は相変わらず状況がよくわかっていないようで、小さく首をかしげている。恐らく彼女はシャマルに言われたことをそのまま実行しただけなのだろう。

 

「うわさをすればなんとやら、だね」

「二人で雪風ちゃんの話でもしていたの?」

「まあ、私が深井さんに雪風の様子を訊いただけなんだけど」

 

 ですよね、とフェイトは零に同意を求めるが、零はそれに一言も応えずに再び書類作成に取り掛かり始めていた。完全に無視されたことで少し落ち込むフェイト。

 

「雪風ちゃんの様子ねぇ……」シャマルは雪風を抱き寄せながら考える。ついでに頬ずりすることも忘れない。「そういえば、最近はコンピュータに興味持っているみたいなんだけど」

「コンピュータ? パソコンとか?」

「まあそんなところかしら。端末だとか、とにかくネットにつなげられるものが欲しいみたいよ。この前ちょっと通販のカタログ見せてみたら、パソコンのところだけずっと眺めていたの」

「……」零は報告書を作成しつつも、背後で交わされるフェイトとシャマルの会話をしっかり聞いている。

 

 パソコン、だって? 零は当惑した。雪風が食べ物以外で何かを欲しがるなんて、こちらに来てからは初めての経験だ。

 

「コンピュータか……。服ならともかく、結構高いものを要求してきたね」

「六課の予算から出すのはちょっとマズイし……。でもはやてちゃんのことだから言ってみれば意外といけるかも」

「ありえるね、それ。それでもって雪風にデスクワーク手伝わせるつもりだよ、きっと」

 

 隣で呆れたようにため息をつくフェイト。零も心の中で彼女の推論を肯定した。容易にその光景を想像できてしまうあたりが怖い。

 

「安い簡易タイプでも買ってあげようかしら。でもネットにつなぐとなると動作が遅いかもしれないし……」

 

 ううむ、と悩みながらシャマルは雪風を床に下ろしてやる。さすがにずっと抱きかかえているのは疲れたのだろうか。

 

 下ろされた雪風はしばらくシャマルの太ももにしがみついていたが、何か思いついたように零の元へ歩み寄る。

 

「中尉」

 

 くいくい、と零の服の袖を引っ張る雪風。零が振り返ってみると、雪風はまるで欲しい玩具をねだる子供のような目つきでこちらを見つめていた。

 

「深井中尉に、作ってほしい」

「……何をだ?」

「私専用のコンピュータ、もしくは専用の端末を中尉に製作してもらいたい」

 

 なんだと? 零はわずかに目を見開く。おれに、作れ、だと?

 

「ええと、雪風。確かに自作するって手もあるけど、それだと深井さんが大変だよ? 市販のパソコンを買ったりとか、いっそのことシャリオに頼むとか……」

 

 フェイトの提案に対し、ふるふると雪風は首を振って否定を示す。雪風にしては比較的穏やかな否定のジェスチャーだった。

 

「私が要請しているのは深井中尉。他の人間ではない」

「それは、どうして?」とフェイト。雪風と同じ高さに目線を合わせているあたり子供の扱いに慣れているのだろう、と零は思った。

「深井中尉なら、私の要求するものを作れる」

 

 雪風はそう言うと、零の目をじっと見つめた。夏の澄んだ青空と同じ彩りを持った双眸が彼の褐色の瞳と交差する。どこまでも透き通った鮮やかな青が零の網膜に焼きつく。

 

「雪風……?」

 

 零は戸惑いつつも身体ごと雪風に向き直り、彼女へとまっすぐに向かい合う。雪風は言葉でおのれの意思を示すのがそれほど得意ではない。いくらここで質問を繰り返したところで彼女の口から納得のいく答えが出てくることはまずないだろう。こちらの認識が混乱してしまうだけだ。

 こういう時は目を見ればだいたい分かる、と零は雪風の瞳を見つめ返す。雪風の意思を推し量るのに、言語はいらない。お互いの目を見ればおおよそその思考は伝わる。

 

 彼女とのコミュニケーションにおいて、言葉というツールはあまり適していない。雪風が人類言語を人間と同じレベルで理解している保障はどこにもない。恐らく彼女は無理を承知でおのれの意思を言語として強制的に変換しているのだろう。無理やり変換するわけだからエラーが出てしまうのは至極当然のことであって、それが彼女との円滑なコミュニケーションを妨げているのだ。零はそう考えていた。

 

 言語でコミュニケーションできないのであれば、言語以外のツールを使えばいい。単純な理屈だ。人間は言語にコミュニケーションの主体を置いているから言語を使用しない意思疎通に慣れていないだけであって、言語の存在しない動物世界には言語に依存しないコミュニケーションなどいくらでもある。その一つがアイコンタクトだ。

 目線を合わせることで威嚇を示したり、愛情を表現したり、信頼を確かめたりと、太古の昔から受け継がれてきた原始的かつ信頼性の高いコミュニケーション方法だ。言語を全く理解していない人間の乳幼児だって、母親と見詰め合えば安心感を得ることができる。言語を知らない乳幼児がそれを行うことができるのはそれがDNAに刻まれた本能だからだ。

 

 雪風と見つめ合うだけでテレパシーのようにその考えが伝わるというわけではもちろんない。本当に、なんとなく考えていることが分かるという程度だ。こちらで理解できるのは彼女が怒っているのか、戦いたいのか、苦しいのか、リラックスしているのか、心地よいのか、眠いのか、そんなことぐらいだ。雪風の意思を推し量るためにはそこから彼女が何をしたいのかを推測してやらなくてはならない。

 

 

──戦いたい──

 

 

 雪風の目はそう伝えようとしているように見えた。その美しい瞳の奥底に野獣のごとき闘争本能が見え隠れしているのが零にはわかった。狩る者の目だ。彼女の戦闘知性体としての本質。何と戦いたいのか、という疑問はもはや湧いてこない。

 

 彼女はどうやら自分だけのコンピュータを持つことが戦略的に有効であると考えているようだ。そしてそのコンピュータをこの自分が作らなくてはいけない、ということも零は予測し、同時に理解した。シャマルやフェイトに頼んでコンピュータを買ってもらっても子供用や簡易版のシロモノを手に入れたのでは話にならない。市販のものもダメだ。子供扱いされて有害サイトへのアクセス制限をかけられてはネットの海から情報を掬い取るのに不便となってしまう。コンピュータに手枷をかけるような行為は雪風もしたくないに違いない。

 

 しかし、自分で構造に手を加えることが容易であり、好きなだけカスタマイズできる自作コンピュータならば問題はない。相当に高度な技術が必要となるだろうが、改造しだいではいくらでもセキュリティをかいくぐることはできるし、雪風が望む機能をどこまでも付加することができる。そしてそれを作れるのは雪風の意思を最も理解している深井零だけだ──彼女はそうこちらに呼びかけているのだ。

 

 彼女の瞳に秘められた攻撃欲求が、ゆらゆらと炎のように揺らめいているのを零は見る。

 

「……わかった、雪風。だがすぐにできるわけじゃない。しばらく待てるか?」

 

 素直にコクンとうなずく雪風。とたんにその表情が柔らかくなる。

 

「深井さん、パソコン作れるんですか?」と怪訝そうにフェイトが訊ねる。

「機械いじりは昔から得意だ」

「でも、ミッドのパソコンはシステム的にかなり高度ですよ?」

「こっちにも趣味で自作するやつはいるんだろう。それなら大丈夫だ、問題ない」

「……」零の頑固な態度に言葉も出ないフェイト。

「よかったわね、雪風ちゃん」しゃがみこんで雪風を抱きしめるシャマル。「深井さん手作りのプレゼントよ。嬉しいでしょう?」

 

 シャマルの質問の意図を知ってか知らずか、雪風は小さくうなずいた。

 

「もう、雪風ちゃんたら本当に可愛いんだから」その仕草がよほど可愛らしかったらしく、感極まったシャマルは雪風の顔を自らの胸に押し付けていた。柔らかく張りのあるシャマルの胸が雪風の頭を拘束する。「私も何か手作りのプレゼントをあげようかしら。今度お料理でも作って──」

「シャマル、それはダメ。料理はダメ」ほんの少し青ざめた様子でフェイトが言う。

「えー」

「えー、じゃないよ。もう少しマトモな料理を作れるようになってから言うべきだね」

「じゃあクッキーでも焼いて──」

「同じだよ」

 

 むう、と間髪入れないフェイトの主張に拗ねるシャマル。雪風を胸の拘束から解放し、その額にキスをしてやる。くすぐったそうに眼を細める雪風。

 

「で、どうするんですか? パーツなんかはシャリオからわけてもらうとして、本当に深井さん一人で組み上げられるんですか?」

「大丈夫だと言っただろう。機械いじりは得意だ。それにパソコンなんて戦闘機の電子回路に比べたらオモチャみたいなものさ」

「はあ……。まあ別に構いませんけどね、法に触れるようなシロモノは作らないでくださいよ」

「了解」まあ合法スレスレのものは作るかもしれないがな、と零は心の中で呟く。雪風が必要とする情報は、法の範疇では収まりきらないものなのかもしれない。いちいち法律なんか気にしていられるか。

 

 零はさっそくミッドチルダのネットワークにアクセスし、自作パソコンの作り方を調べ始める。先ほどの会話をしている間に零の担当していた報告書はあがっていた。もう仕事に拘束される心配はない。これでじっくりとパソコンを作れる。

 

 そんな零の顔は、心なしか優しい表情だった。

 

 

 

 

 

「で? そんな大口を叩いたあげく、私に手伝わせているわけなのね」

 

「……おれは別に手伝ってくれとはひとことも言っていないし、おれの部屋に上がり込んでもいいとも言っていないんだがな」床に敷いた新聞紙の上にあぐらをかいている零が呟く。彼の前には、コンピュータの一部と思われる部品がいくつもころがっていた。

 

「それにしてもずいぶんと複雑なのね、こっちのコンピュータは」ベッドで寝転がり、ペラペラと本のページをめくりながらエディスが言う。彼女が手にしている本は自作パソコンのためのマニュアルだ。

「……確かにな、マザーボードとか、そういった基礎的な部品はかなりうまくまとめられているが、それらが包括しているシステムの複雑さは信じられないレベルだ。FAF中枢のメインコンピュータといい勝負だよ」

「SCS、ね。あれと同等の複雑さということは改造するのにも一苦労というわけね」

 

 そういうことになるな、と零は呟きながらパソコンの配線を繋ぎ合わせる。フェアリィ基地のセントラルコンピュータシステム、通称SCSはフェアリィ基地のシステム全てを統括するマザーだ。下手なスーパーコンピュータよりも高性能なFAFの中枢とも言える存在で、FAF総司令に匹敵する極めて大きな権限を有していた。特殊戦にも別のシステムが独立して存在し、戦術コンピュータと戦略コンピュータの二つがあった。略称はSTCとSSC。

 

「この複雑さは下手に改造して悪用されないためのものかもしれない。管理局ならそのくらいの規制だってするだろう」と零。

「かもね。でもあなたはそれを理解しているんでしょう?」エディスは手に持った分厚いマニュアルを彼に示す。「よくもまあこんな複雑怪奇なシステムを暗記できるものね」

「……きみだって人間の神経やら血管の構造を把握しているだろう。それと大して変わらない」零が力を込めると、両手に収まった部品と部品とがカチリと音を立てて接続された。「FAFの技も捨てたモノじゃない。ミッドの技術は確かに驚異的だが、一部の分野ではFAFの方が発達しているように感じる」

「それが、コンピュータの分野ね」

「ああ。もちろん回路基板の作りや精巧さはかなわないが、回路を形作る理論はFAFの方が幾分優秀だと思う。洗練されている、とでも言うのかな。こちらのコンピュータは無駄が多い。余計な回路まで備わっている。一見しただけではその無駄に気づくことはないだろうが、このコンピュータの設計図をシステム軍団に回せばもっと高性能なシロモノになるだろうな」

「あそこは効率化の鬼だものね」クスクスとエディスが笑う。「私もあそこにいたから、わかるわよ。彼らはどれだけ高性能なものを作れるのかしか考えていない。無人機開発計画もその影響ね。戦闘機で一番無駄なところと言ったら、もう人間しか見当たらなかったのよ、きっと」

「……逆に言えば、こちらの技術者は高性能化以外のことも考えているわけだな。生産性とか、セキュリティとか。そういった人間側の都合で設計されているんだ」

「FAFとは正反対ね。あっちじゃ機械が人間の使い方を考える」

「そうだな」

 

 零は先ほど接続したパーツをパソコン本体にはめ込む。そのあと小さめのドライバーでネジを締めて固定した。次のパーツに手を伸ばし、その表示を確認する。

 

 なんだこれは、ロングピース社製CAW-system? へえ、著述支援ツールのメインユニットか。古典的なAIの一種だ。と零は部品の表面に書かれたロゴマークと説明を読んで思う。これは小説やら日記やらを執筆する際に適切な表現を選択して訂正してくれるシステムの、その本体らしい。これも人間のサポートに回った人工知能の一つだ。零が作ったFAF語をミッドチルダ英語に変換するソフトはこれの基礎プログラムを参考にしたものだ。

 これは必要ないな。零は『CAW-system Version2.3』と書かれたパーツをそばに置いた箱の中へ入れる。機械に執筆を手伝わせるなんて、そんなのは無駄だ。機械がやってくれるのは文字の変換だけで充分だ。

 

「……高町なのはのレイジングハートしかり、この世界のコンピュータは徹底的に人間のサポートという仕事を任されているんだろうな。コンピュータ単独で行使できる権限は少ないように見える」

「でも、リインフォースさんのようなユニゾンデバイスは独立して行動しているわよ。彼女には階級だってある」

「それは彼女が人間として扱われているからだろう。人間的な外見で人間的な精神構造をしていれば、この世界では問答無用でヒトと定義されるのさ。シグナム達ヴォルケンリッターなんてコンピュータですらない。ただのプログラムだ。それなのに階級まで与えられている」

 

「あなたは、彼女達を人間として見ていないのかしら?」

「別に。あいつらのことなんかどうでもいい」冷たく言う。「それが人間だろうが機械だろうがプログラムだろうが、おれには関係のないことだ」

「あなたにとっては、そうなのよね。──私は、正直言って少し怖い」

「怖い?」

「ええ。だって、人の形をした人ならざるモノよ。彼女達を見ていると、なんというか、怖くて脊髄がピリピリするの。……人間の形をしているのに、人間じゃない。それがどうしようもなく、怖い」

「生命の創造は神にしか許されない、か。キリスト教のタブーの一つだな。おれには理解しかねるよ。人間そっくりのロボットが人間並みの知性を持ったところでそれを怖いとは思わないな。おれが日本人だからかもしれん。──ということは、今の雪風もきみにとっては恐怖の対象なのか」

「雪風に関しては、もう怖いという感情をすっ飛ばしていて逆にそういった感覚が湧かないの。あれは私の理解を超えた存在よ。……あと、すごく可愛いしね」

「フムン。可愛いは正義、か」

 

 妙に納得する。確かに雪風の美しさはこの世のものとも思えない。エディスは雪風の特異性を指して理解を超えていると言ったのだが、美しさの意味でも彼女は人間の理解を超えた存在であると言えるだろう、と零は考える。雪風の力は魔法や戦闘力だけではない、あの美貌すら彼女は自らの力にしているのだ。

 

 美は強力な力だ。何をせずとも存在するだけで他者を屈服させることができるし、やりようによっては中国の楊貴妃のごとく国一つ滅ぼすことだってできる。

 

 思えば、もし雪風がごく普通の容貌をしていたとしたら、現在のような機動六課による厚い加護は受けられなかったかもしれないのだ。六課の連中が初対面で雪風の美貌に圧倒されたからこそ、こちらに有利な条件で協力関係を築くことができたのだ。雪風の存在をあまり快く思っていないシグナム達ですら雪風をないがしろにできないのは、ひとえに彼女が恐ろしいほどの美少女だからだ。少女に暴力を振るうのはためらわれるし、雪風を中傷したり危害を加えようとすればたちまち雪風の美貌に魅了された第三者からの批判を受けることになる。美少女に危害を加える人間に対し好感を持つ者はまずいない。彼女は己の愛らしさおも自己保全のために利用しているのだ。

 

 

 

 

 

「雪風はどうして、自分専用のパソコンを欲しがったのかしら」エディスが何気なく呟いた。「情報を欲しがっているというのは理解できるけれど、わざわざパソコンでなくてもテレビやらラジオでも情報は収集できるわ。むしろ信憑性の高い情報を供給してくれるのはそっちの方だと思うのだけれど。公共放送ほど信憑性が高いものはないわ。……あなたはどう思う?」

「……」零は考え込むように作業する手を止めた。十秒ほどの沈黙が二人の間を漂ったあと、静かに口を開く。「……そうだな、雪風はきっとテレビやラジオとか、そういったメディアで得る情報だけでは足りないと思っているのかもしれない」

「それは、どうして?」

「おれにも良くわからないが、たぶん、性質の違いなんだな、メディアとしての」コトリと右手のドライバーを床に置く零。「テレビやラジオ、新聞のようなメディアは、ただ見たり聞いたりしているだけで情報が手に入る。言うなれば受動的な情報媒体なんだ。あまり労力を必要としないが、同時に、限られた情報しか手に入らない媒体でもある。雪風はそれに満足していないのかもしれない」

「インターネットは、それとは違うというの?」

 

「……ああ。ネットの情報は確かにガセネタも多いが、それを引いても余りあるくらいに情報量が莫大だろう。その中から必要な情報を得るためには、探し回らなくてはならない。自分で考えて、自分で調べて、自分で正しいかどうか判断する。能動的に動かなければ何も得られない代わりに労力を費やした分だけ情報が手に入る」

「まるで、図書館みたいね」エディスは納得したような表情で言った。「図書館で調べる時も自分で探さなければ何も得られない。その代わり頑張って調べた分だけより多くの情報を手に入れることができる。インターネットもその辺の性質は似ているのかもね。ガセネタを掴まされることも多いけれど、ないのとあるのとではかなり違うわ」

 

「……ネットの世界はガセネタも多いが、それはテレビだって同じだろう。番組スポンサーの都合で報道が捻じ曲げられるなんてよくあることだ。金と権力が関わっている分、そっちの方が悪質かもれない」ベッドの上で寝転がるエディスに向き直る。「テレビを見てその情報を鵜呑みにすることなら猿にだってできる。だが、ネットの世界で情報を取捨選択する能力は高度な知性体にしか備わっていないのさ。それだけ知的な活動というわけだ」

「雪風は後者を選んだということね。まあ情報の信憑性という観点から見たら、テレビもネットも五十歩百歩といったところでしょう。それだったらより情報量の多い情報媒体を選ぶのは彼女の性質上自然なことなのかもしれないわね。十人にしか聞き込みをしなかった探偵と、百人に聞き込みをした探偵、どちらの推理を信じるべきなのかは言わなくても分かるはずよ」

 

「その例え方は面白いな」零は小さく笑みを浮かべた。「そうだ、情報を得るということは、すなわち推理なんだ。どれが正しくてどれが間違っているのかなんてのは考えなくてはわからない。だがより多くの情報を得れば得るほど明確になるのは間違いない。探偵だろうが警察だろうが捜査の基本は聞き込みだ。証人の言葉が嘘か真実なのかはその時点ではどうでも良くて、とにかくより多くの情報を得ることが大事なんだ。真実を推察するのは後でいい。情報量がものをいう」

「証言が嘘なのか真実なのかはどうでもよくて、より多くの情報を集めることが重要ということね。あなたらしい考え方だわ」

 

「雪風もそれと同じ考えなんだ。だから自分だけのパソコンを欲しがった。──納得したか?」

「ええ、とっても」エディスはベッドから上半身だけを起き上がらせると、肩をすくめるような動作をした。「でも、もう一つ納得できないことがあるの」

「……へえ」もう面倒くさい、とでも言いたそうに呟く零。

 

「なんだか今日はずいぶんとおしゃべりなのね、あなたは」

 

「……おれが?」エディスの思わぬ指摘を耳にして、わずかに目を見開く。おれが、おしゃべり、だって? といった表情の零。

「ええ、普段の様子からじゃ想像できないくらいに口を動かしているわよ、今日のあなたは。脳がアルコールに浸かっているのかしら?」

「……意識していなかったな」零は静かに言った。「言われてみれば、そうかもしれない」

「普段のあなたは質問しても冷淡な答えしか返さない、正真正銘のブーメラン戦士よ。機械的にしか反応しない。……でも今のあなたはひどく人間的に見えるわ。いったい何があったの?」

「それは……」

「自分でもわからないのね。それとも言う気がないのかしら」

 

 どう答えればよいのかわからず、戸惑うような表情を見せてしまう零。これには指摘したエディスも驚いていた。彼がこんなにも感情を表に出すなど全く予想していなかったのだ。

 

「──当ててみましょうか? 今のあなたはコンピュータをいじくるのが楽しくて楽しくてしょうがないのよ。自分だけのオモチャを与えられた子供みたいにね。それで思わずおしゃべりになってしまうほど気分が高揚しているんだと思う」

「楽しい?」

「そうよ。あなたは、そうやって機械と向き合っている時が一番幸せなんでしょう? 傍から見ていても分かるわ。今のあなたは、どんな時よりも生き生きしている」

「……そうか」

「図星だった?」

「いや、自分でも良く分からないんだ」零は床に置かれたパーツの一つを手に取ると、おもむろにそれを天井の照明にかざした。地球型コンピュータにおけるCPUに相当するそのパーツは、人工の白い光に照らされて静かに輝く。「楽しいというよりは、安心するんだ。人間はおれを裏切るが、機械は裏切らない。だったら人間と向き合うよりも機械と向き合う方がおれは好きだ」

「ナイーブなのね、あなたは。そうやって自らを傷つける対象から逃げている。逃げるばかりで戦おうとはしない」

「なんとでも言うがいいさ」零はエディスに向けて肩をすくめるポーズをとった。エディスにはそれが彼の精一杯の虚勢なのだと分かっていた。

 

 深井零という男は一見すると冷たい戦闘マシンのごとき非情さを持っているように感じられるが、実のところそれは錯覚であって、本当の彼の心は弱い。それにエディスは気づいている。彼はただ、その繊細な心を冷たい鋼の殻で覆いつくし、外部の干渉から逃げようとしているにすぎない。

 なぜ? 他人が怖いから。一言で説明するなら、そうなるだろう。しかしそのことを指摘しても、今の彼には理解できないだろう、とエディスは思う。彼はどうしようもなくナイーブなのだ。それこそ雪風という機械知性に異常なまでの執着を見せるほどに。そうしなくては彼の心はたやすく折れてしまうだろう。

 

「……まあ、いいわ。ところで、雪風は今どこかしら」エディスは自分でも唐突だと感じる強制的な話題の変更を行うことにした。彼の精神はどうしようもなく弱い。このまま追及を続けていて、彼の心が折れてしまわない保障などないだろう。私は、彼を傷つけようとしているわけではない、そう自分に言い聞かせる。

 

 ちらりと壁にかかった時計を見る零。「この時間はシャマルと一緒にシャワーを浴びているはずだ」

「あなたは雪風と一緒に浴びないのかしら?」

「……あいにくと他人の身体を洗った経験がないものでね。それにあの長い髪の洗い方なんて男のおれには想像できないよ。女物のシャンプーやらリンスやらの知識もない。シャマルがやってくれるのは助かる」

「まるでベビーシッターね」

「ベビーシッターではないよ。彼女は好きでやっているんだ。──あと10分くらいで戻ってくるはずだ」再びドライバーを右手に持ち作業を始める零。発言の最後に付け加えられた情報がエディスには『もうきみとの話し合いは疲れた。出ていってくれ』と言っているように聞こえ、実際そうなのだろうと納得する。彼は自身の心に他人が触れるのを徹底的に拒んでいるのだ。

 

「そろそろ私はおいとまするわ。邪魔したわね」

「ああ」部屋から出ていくエディスに零は顔も向けずに言う。エディスも振り返ったりはしなかった。

 

 彼が世界に対し抱いている恐怖は、彼自身が気づいて乗り越えるしかない。だれも助けてはやれないのだ。閉まる扉の向こうに零の気配を感じながら、しかし、そうだろうかと、ふとエディスは思った。

 

 

 雪風なら、できるのでは?

 

 

 

 

 

 

「……できた」

 

 零は感慨深そうに出来上がったそれを見つめた。

 

 黒く無骨な直方体。高さと奥行きは約60センチ、横幅約20センチ。それが零の作り上げたパーソナルコンピュータの本体だった。見た目は地球で市販されているデスクトップパソコンのそれと何ら変わりは無かった。しかし中身は地球のそれとは段違いだった。

 

 頭脳となるCPUのクロック数、コアの数、コアの質、キャッシュの容量は地球のものの数段上だ。それなのに放熱はほとんどなく、冷却も必要ないほどだった。これが一昔前に作られた中古の部品だというのだから驚きだ。ミッドチルダ驚異のテクノロジーである。

 

 メモリの容量に関しては地球製と比べものにもならない。かつての雪風のメインメモリと並び立つほどの大容量だ。正直零にはここまで容量を使うことになるのか疑問だったが、シャリオに譲ってもらったメモリがインテリジェントデバイスなどのメインメモリに使用される類のシロモノであり、それ以外に部品が無かったので仕方ない。超高度な人工知能を運用するために使われる記録媒体だ。同じく高度な人工知能を運用する雪風のメモリと同等な性能を持つのはむしろ当然と思えた。大は小を兼ねるとも言うから、むしろ良かった。

 

 グラフィックボードのパワーもミッドチルダの最新3Dゲームくらいなら楽々プレイできる。地球のパソコンでこのゲームをやろうとすると起動すらできないというからその超絶した処理速度がうかがえる。排熱はCPUよりは多いが、ちょっとしたファンを設ければ解決できた。

 

 これら全ての部品の放熱量は地球のモノを大きく下回る。だから内部のレイアウトは冷却効率を無視して作ることができた。それとはっきり言って、この程度のモノを詰め込むのにここまで大きな容器は必要なかった。地球のパソコンと同程度の大きさになってしまったのはその空いたスペースに別のモノを組み込んだからだ。

 

 まずほぼすべての部品を覆う金属製対電磁シールド。冷却のための吸気・排気口は密閉することができないので電子レンジの窓と同じように電磁波を通さない金網が備え連れられている。雪風のCDSには耐えられないが、人間が持ち運びできる大きさの機器の出力であれば完全に防ぐことができる。さらにこの電磁シールドの外部には数種類の電波吸収材を設けているし、本体内に張り巡らされたケーブル類にも金属メッキを施した。

 

 CDSのように強力な電磁パルスによる破壊を仕掛けられた時の対策として超高速度で対応する避雷器も回路に内蔵している。パソコン本体は電磁パルスに耐えられても、それにつながるケーブルや電源から強力な電流が発生する可能性が高い。それを防ぐために強烈なサージ電流が発生すると自動的に回路を外部からシャットダウンする機構が必要となった。もちろん通常の雷にも有効だ。

 

 最後にアクティブ防御管制ユニット。廃棄処分となった古いデバイスの管制ユニットを流用したもので、外部からの強力な電磁的攪乱手段を認識すると自動的にパソコンの全機能をシャットダウンし、同時にそのエネルギーを流用して攪乱電波とは逆位相の電磁波を発生させて打ち消すようになっている。下手をするとパソコン本体が破壊されてしまうため出力が限られてしまうのはしかたない。一定出力以上の電磁的干渉に反応するようになっており、電磁波による通信や電子レンジのマイクロ波に反応してしまうことを防いでいる。

 

 そしてパソコン本体の表面は分厚い装甲に覆われている。表面は傷つきにくく見た目も強度も良いチタン合金。その内側には鋼鉄板、セラミック、ケブラー繊維、合成ゴム、強化プラスチック、などによって複合装甲が形成されている。これによって外部からの物理的破壊を防ぎ、内部で爆発現象が起きた時に周囲への被害を防ぐことができる。最も分厚いところでは至近距離で放たれたライフル弾の防御が可能だ。

 

 製作作業のほとんどを費やしたのはこの防御機構だった。零がこだわったのではなく、雪風がそう注文したからだ。銃弾さえも防ぐ頑丈さと、周囲からの干渉を一切受け付けない電磁防御能力。彼女はそれを求めた。

 避雷器と防御管制ユニットはジャンクパーツを流用すればいいとして、対電磁シールドと表面の装甲は零の手では作れなかった。仕方ないのでシャリオ・フィニーノに頼んだところ『雪風ちゃんの頼みなら』と快く部品を製作してくれた。製作費は機動六課の経費でうまいこと落とすことにした。予算のやりくりに四苦八苦する八神はやての顔が脳内に浮かぶが、まあどうでもいい。

 

 シャリオが装甲を製作している間に零はそのパソコンのOSを自作していた。これは零にとってそれほど難しいことではなかった。プログラムの製作は慣れている。幼い頃、自作OSを作ろうと研究していた経験があったし、大人になっても情報関係の仕事をしていたからだ。ミッドチルダのプログラム理論も基本は変わらないので少し学べば理解することはできた。

 

 

 やはりおれは人間と話すより、コンピュータと会話することが好きなのだ。零は製作中にそう実感した。他人の顔色を見てその感情を読み取るよりも、ディスプレイに表示されたプログラムの羅列からそれらが互いにどう作用するのかを読み取る方がはるかに簡単に思えた。

 コンピュータの方が、好きだ。その基本的な感情は幼いころから変わっていない。機械の方がうまく付き合える。だからかつて自分だけのマシンを作ろうとあがいたのだ。自分だけの友達を、作ろうとした。

 

 

 完成したパソコンを見つめる零は、そうした想いが胸中で渦を巻いているのを意識した。今この手の中に、幼い頃ずっと追い求めていた夢がある。完全に独立した、マシン。本当の意味でのパーソナルコンピュータ。あまりにもあっけなく達成できてしまった、かつての夢。

 

 これは、本当に、おれが作ろうとしたマシンなのだろうか。

 

 システム上は間違いなくそうだ。ネットワークに接続できるが、完全に独立して動かすことは簡単だ。ネットワークケーブルを抜けばいい。それだけで完全に独立したマシンとして機能する。

 

 しかしだ。そう理解していても、心の中のざわつきが収まらない。確かに今これは自分のマシンではない。雪風のために作ったマシンだ。でも自分のが欲しければまた同じものを作ればいいだけの話だろう。そういう次元のことではなく、今の自分は、どこかこのマシンを欲していないように思えた。

 

 

──どうして? ずっと欲しかった、ぼくのマシンなのに?──

 

 

 黒光りするマシンの表面に移った己の顔が、幼いころの自分が、そう問いかける。ぼくの、マシン。かつて法に触れてまで欲したもの。

 

 自分だけのマシンを欲そうとしないのは、すでにおれが、おれのマシンを持っているからだろうか。雪風という、マシンを。今はヒトの姿をとっていても、彼女は本来、マシンだ。確かにかつて雪風はおれの所有物だった。自分だけのマシンだった。雪風に強制ベイルアウトさせられる前の自分はそう認識していた。ブッカー少佐から指摘を受けてもそうとしか認識できていなかった。

 

 でも、今はもう違う。彼女が明確な意思を持っていることを自分は知っている。決しておれの所有物などではない。完全に独立した知性体だ。かつて自分はそれを思い知らされ、恐怖し、彼女を恐れた。裏切られたとすら思った。完全に自分の思い違いでしかなかったのに、だ。

 今の自分は彼女を恐れてなどいない。しかし畏れてはいる。この世で自分が最も警戒し、畏れ、信頼し、尊敬し、愛している存在。それが雪風だ。同じこの世に存在する一個の知性体として、自分は彼女の存在を認知し、感じ取っている。

 

──ぼくにはそれがわからなかったんだ。ヒトを愛するって、どういうことなのか──

 

 幼いころの自分はそれができなかった。すなわち対象と自分とが独立した存在であることを認識しつつ、それを信じるという行為を知らなかった。だから人間の友達をつくることなど到底できなかったのだ。友達は自分の思い通りになどならない。ぶつかり合い、信じ合う。それが当たり前なのだ。

 なんと幼稚な世界認識だろう。あの頃の自分は思い通りにならないものを認知しようとせず、目を背けて逃げ続けていたのだ。そして唯一思い通りになるコンピュータを友達にしようとした。

 

 はたして今の自分は幼い頃から変わったのだろうか。ヒトから背を向けて、逃げ続けていたあの頃から。

 フォス大尉が言うには、いまだに深井零という男はナイーブで、自らを傷つける対象から逃げている。逃げるばかりで戦おうとはしない、ということだ。人間には傷つけられる。でも機械には傷つけられない。だから機械が好きだ。確かにそういった自覚はあった。ヒトは嫌いで、逃げたくなる。

 

──まだ逃げているの?──

 

 しかし雪風に関してだけは、逃げていない。そう胸を張って言うことができる。この世界に来て雪風がユニゾンデバイスの形をとった時、自分はヒトの姿をした彼女と向き合うことを強いられた。自分でもわかるほど猛烈な負担だった。中身がかつての雪風と同じであるということは理屈の上でわかっていても、生理的に恐怖を覚えた。ヒトと顔を突き合わせてコミュニケーションをとるのは慣れないし、怖かった。

 

 まるで雪風がスパルタ形式でこちらを鍛えているような感覚すらあった。ヒトを恐れる性質を、自らがヒトの姿をとることで強制的に慣れさせようとしている。そう思えた。

 そして実際、慣れた。六課の人間達とある程度のコミュニケーションが成立するようになったのだ。まだ齟齬もあるが、FAFにいた頃とはまるで違った。特殊戦にいたころと大して変わらないメンタルで生活することもできるようになった。

 もし、雪風が例えばインテリジェントデバイスの姿で目の前に現れていたら、自分は恐れることはなかっただろうが、それでは対ヒトのコミュニケーションに慣れることができず六課の面々と今よりずっと悪い関係になっていたかもしれない。フォス大尉とも皮肉を言い合うほどの仲にはならなかったはずだ。

 

──じゃあ、もう自分だけの世界に閉じこもらなくてもいいんだ──

 

 少なくとも、幼いころほどヒトから逃げてはいない。きっとそれが原因なのだろう。自分だけのマシンを欲したあのころほど、ヒトが怖くない。だからコンピュータの世界に逃げ込まなくても平気でいられる。

 

 自分は、変わったのだ。いや、変わっている。現在もゆっくりとだが、逃げないようになっている。

 ずいぶんと遅い成長だ、と零は思った。ひどい話だ。自分という男はつい最近まで幼いころの性質を保持したまま今まで生きてきたのだ。その結果が、フェアリィ送りだ。

 しかし地獄送りではなかった。ジェイムズ・ブッカーという唯一無二の親友を得ることができたし、なによりも雪風に出会えた。こうして今も共にいる彼女と。

 

 雪風と向き合う限り、自分は成長していくだろう。誰かの力を借りて成長するというのは何とも情けないが、実際そうなのだ。いつか幼いころの自分とは完全に決別する時が来るだろう。いや、すでにしているのかもしれない。

 

──つまり、それが、コミュニケーションなんだよ──

 

 自分以外の他者と向き合うことで自分を知り、自分を変えていく。それがコミュニケーションだ。雪風はそれを教えてくれている。彼女と向き合うことで、深井零という人間は変わるのだ。いや、もう変わっている。少しずつだが、幼いころの自分から離れようとしている。

 だから自分だけのマシンなんて、もう必要ない。雪風がいる。おれの、マシン。ぶつかり合い、心を通わせ合い、共に戦う、おれのマシン。雪風。ぼくのマシンではない。おれの、マシンだ。

 

 おれは、もうあの時の『ぼく』ではない。おれは、おれだ。深井零。特殊戦のブーメラン戦士。雪風の相棒。

 

 

──そう。ぼくは、もうぼくじゃないんだ──

 

 

 さようなら『おれ』。

 

 さようなら、ぼくの、マシン。

 

 幼い自分の鏡像は、そう呟いて、消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、零と雪風の部屋には二人の他にエディスとシャマル、そしてフェイトが来ていた。

 

「雪風ちゃん、良かったわね。深井さんからプレゼントよ」

 

 にこやかにシャマルが抱きしめた雪風に語りかける。いや、プレゼントというよりは頼まれたものを作っただけなのだが、と思う零。ちなみに雪風の表情は全く変化がない。いつも通りだ。

 

「プレゼントというほどのものではないさ」

「まさか本当に作っちゃうなんて。……あなた器用だったのね」意外、という風にエディス。わざとらしく。「てっきり失敗するものだと思っていたわ。それでもって私がそれを手助けして、見返りに新作のバッグを買ってもらおうと思っていたのに」

「エディスさん、それどこから突っ込めばいいのかわかりません」少し引きながらフェイト。

「おれが作っている最中に細工すればよかったんだ。配線を一本隠しておくとか」

「いいえ、あなたにパソコンを完成させられるだけの能力がないことの方が確実性があったのよ」

「ひどい話だ」

 

 零もエディスの罵倒が本気でないことは充分理解できていた。彼女なりの親しみの言葉だ。本気だったとしても大した問題ではないが。

 

「で、それがあなたの作ったパソコン?」

 

 エディスが視線で指し示す。その先には机の上に乗ったディスプレイと、それとケーブルでつながった黒いパソコン。地球で見られるような形式だ。

 エディスの質問には『ミッドチルダの技術を使ったのに、そんな平凡なもの作ったの?』というような素朴な疑問が含まれていることに零は気づいた。彼女はコンピュータのソフトには強くてもコンピュータのハードウェアに関しては無知同然だ。だから彼女のそんな態度に対し怒るべきではないし、別にこの自分が関心を向ける必要もない。

 

「そうだ。OSもインストールしてあるし動作確認済だ。もうネットにもつなげられる」

「OSから本体まで自作って、相当なものでしょ? すごいじゃない」

「機械には慣れてる」肩をすくめておどけたような動作を見せてやる零。やはりエディスはソフトウェアの方に関心があるようだ。ミッドチルダの既存心理分析ソフトウェアを組み合わせてプロファクティングソフトを自作した彼女らしい反応。

 

「それでも、すごいですよ」雪風の髪を優しく撫でながらシャマル。「ミッドの技術をこんなに早くマスターするなんて。普通ならもっと時間かかりますよ。深井さんは天才です」

「バカと天才は紙ひ──モガモガ」何か言おうとしたところを背後から素早く手をまわされて口をふさがれるエディス。彼女の口元を両手で押さえこむフェイトがぼそぼそと耳元でなにか呟いているのが見えたが、おおかた『もう少し空気読んでくださいよ』とかそんな類の話だろう、と零は気にも留めなかった。

 

「そ、それでですね、深井さんが頑張っていたのに、私達が何もしないというのはどうかと思いまして」エディスの口を押えながら話題を変えるフェイト。「私達から深井さんに贈り物があるんです」

「おれに?」

「ええ、正確には雪風から、ですけど」

「雪風が?」

 

 零は虚を突かれた表情になる。パソコンを作り、それを雪風に渡すことしか考えておらず、まさか自分に対して雪風から何かを送られるとは全く予想していなかった。

 

 ほら雪風、持っておいで。そうシャマルが雪風に促す。雪風は素直にうなずくと、ドアの傍に置いてあった鞄から四角い包みを取り出して零に差し出した。ピンクの包装紙が赤いリボンで彩られている。バレンタインデーやクリスマスに恋人同士で送られるような、プレゼント。

 

「これは?」

「開けてみればわかるわよ」とエディス。心なしか彼女の口の両端が上がっているように見えた。いたずらっぽい表情にも見えたが、その目は優しそうだった。いたずらの類ではなさそうだ。

 

 そっと雪風から受け取り、テーブルの上でリボンを解く零。包装紙を丁寧にはがすと、中から簡素な白箱が現れた。箱を開けずとも中から香ばしい良い匂いが零の鼻腔をくすぐった。食べ物だ、とすぐにわかったが、とりあえず蓋を開けてみる。

 シュ、と厚紙同士がこすれる音とともに蓋が外れる。零は箱に入れられたものを見てそれが一瞬なんなのか判断できず、固まる。

 

 

「……クッキー?」

 

 箱の中には丁寧に並べられた、直径5センチほどの、数十個の薄茶色の円盤。どう見てもクッキーとしか思えなかった。箱と直に触れないように布を敷いて、その上に並べられている。

 

「雪風ちゃんの手作りです」そう言いながらウインクするシャマル。「フェイトちゃんに教えてもらって作ったんです」

「これを、雪風が?」

 

 零が驚くような視線を向けると、雪風は小さくうなずいた。「フォス大尉が、私に作ることを勧めた」

 

「さすがに一発で上手くはいきませんでしたけど、何回も練習して、やっと形になったんです。ここにあるのは雪風が一人で作ったんですよ」とフェイト。

「一生分は食べたわ。もうしばらくクッキーは見たくない」わざとらしく腹をさするエディス。

 

「フムン」雪風が自主的に作ったわけではないというのは何となくわかっていた。誰かに贈り物をする、という概念が彼女の中には存在しないはずだからだ。零は納得しつつ、箱の中のクッキーを見やった。

 

 形は不揃いで、ところどころ欠けている。わずかに焦げているものもあった。ブッカー少佐ならともかく初心者ならこんなものだろう。お世辞にも上手にできたとは言えない。しかし、不味そうではなかった。

 

 うれしい、と零は思った。こんな感情を覚えるのは久しぶりだった。ブッカー少佐に手作りの料理をふるまわれた時の感覚と少し似ていた。フォス大尉も粋なことをするものだ。

 

 

「ではありがたく頂こう。──頑張ったな、雪風」目線を合わせるためにしゃがみ、褒め称えるように雪風の頭を撫でてやる零。

 

「あなたも」一枚のクッキーをつまんで彼の口に押し当てる雪風。さっさと食え、というサインだ。

 

 零は彼女の要請に応じて顎を開け、その一枚を口に放り込んだ。

 

 

 口の中で砕けたクッキーは、ほろ苦かったが、うまかった。

 

 

 

 




<あとがき>

 今回の番外編は原作雪風の外伝として書かれた「ぼくの、マシン」を元にしています。知っている人は知っているでしょう。
 ちなみに「ぼくの、マシン」は『戦闘妖精・雪風<改>』『グッドラック 戦闘妖精・雪風』『アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風』には掲載されていません。掲載されているのは以下の書籍です。

 ぼくの、マシン ゼロ年代日本SFベスト集成<S>
 戦闘妖精・雪風 解析マニュアル

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。