「お腹、減りました……」
空が高く遠く、透き通った青が眩しく切なく。
そこは日本近海から離れた場所、とある日本国軍が所有する海域。いや、所有は正しくない。言葉を選んで言うならば、守っている場所。一昔前の日本と米国のように、条約により金銭を要求し基地を置く代わりに、外敵から国土を防衛する役割を担う。
西暦は、何年にしようか。遠い未来でもいいし、近い将来でもいい。どうせここは、世界が違う。
ある日あの時あの場所で、世界は新たな外敵を発見した。
人間同士のいざこざ、ではなく。
未知の生物との邂逅、である。
ただしそれは、敵だけではなく、味方との出会いでもあったが。
「みんなついてきてーって言いました……はい」
ぷぅ、と音がなる。頬を膨らませ息を吐いた少女が出した音。
海上で仰向けに、両手足を伸ばし波に身体を委ね漂う少女。
健康的に日焼けした肌に、髪は真っ白で、左側にヒトデ型の髪留めを付けている。
ドイツから受け渡り日本で改造された呂号潜水艦、呂500だ。仲間内、艦娘達にはろーちゃんと呼ばれている。自分で自分のことをろーちゃんと呼ぶので、自然とそう呼ばれるようになった。
「誰もいません……はい」
ぷくりと頬を膨らませ、眉を曲げ怒った表情を浮かべる。
彼女は艦娘、潜水艦だ。
細かな説明は省こう、面倒だ。
そんなろーちゃんは、今、艦隊とはぐれて一人、海を漂っている。本人からしたら先頭を行く自分に誰もついてこれず、仲間外れにされた気分。しかしろーちゃんは旗艦でもなく先導していたわけでもなく、勝手に一人テンションが上がって突っ走った結果仲間とはぐれていた。
「みんな遅いです、はい」
空は穏やかで波は緩やか。
雲はのんびり風は優しく。
世界の日常は心を包み込む強さを秘めた、何気ない日々を思わせる時間。
ろーちゃんは思い出す。昔の記憶を。
戦争に参加できず、訓練の目標として終わったあの時を。
最後の作戦に参加することもなく、始まる直前で終戦を迎えてしまい、そのまま処分された無念の想いを。
嫌だった。嫌だ。暗くて冷たい、海の底。
沈むのが、嫌だった……わけじゃない。
もちろん、沈むのは好きだ。潜水艦だもの。
だが、同じ潜水艦が屑鉄のように泡を吐く姿。
だが、同じ潜水艦が処分される光景。
同じ沈むと言っても、まるで違う。意味が違う。安らかになんて、眠れない。
必要だから日本に来た。必要だから日本で改造した。
もはや祖国の頃とは違う姿になり、日本を第二の祖国として頑張ろうとした矢先の出来事。
嫌だ、嫌だった。暗くて冷たい、ひとりぼっちの海の底は……。
「何してるの?」
空を遮る影、首を傾げ不思議そうな顔でろーちゃんを見つめる人物。
海のど真ん中、音もなく近づき、さらには海の上に立っている彼女。
「むぅ……遅いですって」
「そんなことないかも! 秋津洲はちょっと周りと時間の感覚が違うだけで遅くはないかも!」
「意味わかんなーい!」
「ろーちゃん怒んないでかも。大艇ちゃんに触らしてあげる! ほらほら、撫でてみて!」
むくれるろーちゃんに、秋津洲の見当違いな返答。もし誰かが見ていたら早く誰か合流して指揮を取らせなきゃ、と頭を悩ませる場面である。
意外とこの二人、仲は良いのだ。元々お互いに人見知りをしない性格、ろーちゃんに至っては日本に来てからだが、素直で純朴な二人は気が合う。ちょっと抜けているところもあり、他者から見た場合、守ってやらなきゃと思わせるところがあるが、本人たちはそういったところに惹かれたわけではなく、単純に好意を持っているようだった。
だが、実はそこにもう一人。二人のほかに影がある。秋津洲の後ろ、後をついてきたかのように、静かに佇む一人の影が。
「あ! そうだ新しい艦娘と邂逅したかも! だから遅くなったのかも! 鎮守府じゃ見たことないから、きっと提督さん喜んでくれるかも!」
「わー新しい艦娘、来ますって! やったー!」
「ふっふっふ、もう上下関係は色々教えてあげちゃったかも! よーし君! 先輩ろーちゃんにもちゃんと挨拶するかも!」
「えへへー、よろし……く……で……」
秋津洲が偉そうに腰に手を当て、先輩と呼ばれ照れるろーちゃんが見たのは、秋津洲の背後でニコニコと笑顔を浮かべ、真っ黒のレインコートを来た、深海棲艦の隠し玉、戦艦レ級の姿だった。
「ヨロシク、先輩」
ヤァ、と敬礼に真似たポーズを取るレ級。その光景に、秋津洲がぷりぷりと窘めるように怒る。
「お願いしますをつけるかも! まったく、これは帰ったら色々教えなきゃ」
「はわ、はわわわわ」
「どうしたのろーちゃん? 電ちゃんの真似かも?」
「ちっ、違うんですって! あきちゃん何してるのー!?」
「何がかも?」
「あきちゃんはバカです! はい!」
「突然なんで!?」
うろたえるろーちゃんに、秋津洲はいまいち解っていないようだ。そもそも理解していたら深海棲艦を仲間と言ってろーちゃんに報告はしない。元々おバカだった。
「と、とにかくその子は連れてきちゃダメ! 元いたところに返すのー!」
「むっ、それはひどいかも! 仲間外れは良くないかも! ろーちゃんがそんなこと言うなんて、がっかりかも!」
「仲間外レハ、良クナーイ」
「うっ、ごめんなさいです……で、でもでもダメなんですって! その子は危ないから、どぼーん、どぼーん!ってなるって!」
「ふっふーん、秋津洲は強いから安心するかも! 実は昨日、田中さん家の秋田犬にお座りさせた事実をババッと公表しちゃうかも! どやぁかも!」
「オオ、凄イ?」
「あきちゃんはこの間たかしちゃん家のごーるでんれとりばーに負けたからダメです! はい!」
「あ、あれを持ち出すのは卑怯かも! 大きすぎるかも!」
「でもろーちゃんは背中に乗りました!」
「ずるいかも! 私も乗りたい!」
「エヘヘ~」
「乗りたいかもー!」
「乗リタイカモー」
「じゃあ今度みんなで乗るんですって! でも一人ずつです、はい!」
「解ったかも!」
「解ッター」
その後、三十分程同じようなハラハラしつつも和む会話をし、レ級が「ソロソロ来ルッテ尾ガ言ウカラ、帰ル」と言って帰ってしまった。レ級が消えた二、三分後、残りの艦隊が迎えに来た。
最近来たばかりの秋津洲に周囲の海域を見学させるための艦隊で、空母に戦艦と豪華だった。秋津洲が「新しい艦娘と会ったけど帰っちゃった」と不思議なことを言ったが、その真意を知るのは二人だけ。
勝手に一人で突っ走ったろーちゃんと、勝手に一人で捜索にいった秋津洲を説教しながら帰投する。罰として三日間オヤツ抜きの宣告で、二人の絶叫がほとばしるのはあと少し先の話。
今日も海は穏やかに、波は気高く美しく。
人の知る由もない、想いを乗せて。
世界は明日も、暮れていく。