「ウヌ? お主は……? 」
突然葵に話しかけられたことにより、振り返ったガッシュはまず戸惑いの念を表情に浮かべていた。
それを見た葵は、しまったな、と思った。
ガッシュは葵のことを知らないのだ。葵からしたら度々突然教室に現れる金髪の少年は注目すべき人物であり、顔も名前も一瞬で覚えることが出来たのだが、ガッシュから見た葵はそうではない。
葵は、清麿と同じクラスにいる少女の中の一人でしかないのだ。実際にガッシュと葵には接点がないし、そもそも清麿とですらそう会話したことは多くはない。よく考えればガッシュの前では葵は声を出したことすらもない。
一方的に此方だけが知っているというのはどこか寂しさがあるが、ガッシュに非はまったくないので、葵はとりあえず手に持った本を閉まって、自己紹介から始めることにした。
「私は、橘 葵。高嶺君と……」
「うぬ! わかったのだ! お主は清麿と同じクラスのものだな! 」
葵の言葉を遮りつつ勢いよく自身の情報を口に出したガッシュに、葵は思わず、え、と聞き返してしまう。
「ねぇガッシュ君。なんで私のこと知ってるの? 」
「お主こそ、どうして私の事を知っているのだ? 」
「まぁ、君は有名人だからね」
うちのクラスでは、と付け足す。
ガッシュはその小さな、しかし意外にもごつりとした重みを感じる手で自分の鼻を指差した。
「清麿のクラスには何度も行っておるからの。クラスメイトは大体匂いで分かるのだ」
「に、匂い……」
乙女として言われてはならない言葉を言われた気がして、軽いショックを受けると同時に、葵は自分の腕を鼻に当てて匂いを確かめた。
……そんなに自分は匂っているのだろうか。
くんくんと鼻から空気を吸い込んで見るが、いつもの空気を吸う感覚と変わらなく、匂いはしなかった。自分の匂いは自分では分からない、という話をよく聞くし、実は私は臭いのだろうか、と葵は心配になって仕方なかった。
今まで私は不快な体臭を撒き散らしていて、周りは遠慮してそれを言わないけれども、影では噂になっていたりするのかもしれない。と、今後の学生生活を左右させるような想像までしてしまった。
思い切って、葵はガッシュに尋ねた。
「もしかして、私、くさい?」
「うぬ? そんなことないぞ! 」
「でも、匂いはするんでしょ? 」
「あのクラスの中でもお主は、上品ないい匂いがするのだ! だからすぐ分かったぞ」
「本当? くさいって訳じゃないんだね? 」
「うぬ。いい匂いなのだ 」
しっかりと頷くガッシュを見て、葵は胸を撫で下ろした。とりあえず自分はくさいという事ではないようである。
因みに山本は汗の匂いがしてスズメはフルーツの匂いがして、とガッシュは指を降りながらクラスメイトの匂いを説明していく。それぞれ確かに特徴を感じる答えを言っていたが、匂いでそこまで分かるものなのだろうか。
しかし、だとしても。
「ガッシュ君」
「うぬ? 」
「女の子にはね、匂うとか言っちゃだめ」
「う、うぬ」
「約束できる? 」
「や、約束するのだ。急にお主、顔が怖いのだ」
宜しい、と頷いて、葵は笑顔に戻った。
「それで、清麿のクラスメイトは、」
「葵、でいいよ」
「葵殿は私に何のようなのだ? 」
えとね、と葵は一度閉まった龍太郎の本を鞄から取り出そうとした。
しかしその時に、彼がいた砂場に出来た山が目に移った。
いや、山というより何かの建物に見えた。
長方形に積んだ砂の上に、少し小さくなった長方形がまた造られていて、その上にはお菓子の箱に割り箸を突き刺して出来たロボットに見立てているだろうものが、座ってるようにしてあった。窓のつもりなのだろうか、指一本入る程度の穴が所々出来ているのだが、不均等であり、その建物自体も歪んでいるように見えた。
「……ねぇ、これは」
思わず、葵はガッシュに訊いてしまっていた。
「これか! これは、バルカンのお城なのだ! 」
途端にガッシュは目をキラキラとさせて、まるで授業参観で子供が親に自分の作った作品を紹介するときのような、生き生きとした表情を見せた。状況から察するに上に乗っているお菓子の箱の名前がバルカンらしい。
「お城だったの」
「うぬ、お城なのだ!」
「それにしては、ちょっぴり、あれだね。質素だ」
子供の造り物に言う台詞ではないかもしれないが、葵は正直にそう言ってしまう。
「う、うぬう。前はもっと上手くいったのだ。その話をしたら、清麿が今度は一緒に作ってくれると言ってくれたのだが……。やっぱり一人では造れないのう」
うむむ、とガッシュは悩むようにした。もっと水を一杯使っておったかのう、と呟きながら、バケツに汲んである水を見つめている。
葵は、昔の事を思い出していた。
珍しく、両親揃って葵を公園へ連れてってくれたことがあった。
おままごとと言って、砂を使って料理を造ろうとしていて、おぼつかない手で幾つもの泥団子を作った。濡れた手で砂を丸めるしか出来なかったのだ。
そこで母親も一緒に砂場に座ってくれて、三角にして、おにぎりだ、と言ったり、シャリを握るようにして、お寿司も出来たね、と微笑んでくれた。
父親も側に座って、こりゃ美味しそうだ、と大袈裟に喜び、葵が作ったものを食べるふりをしてくれた。当時の葵には本当に食べてるようにしか見えなくて、「パパ、だめだよ、泥だよ」と半泣きになりながら、笑う父親の手を止めていたのを、よく覚えていた。
もう、あんな風に遊べる時は来ないだろうな。
葵はふとそんなことを思ってしまった。両親と遊べないことが悲しい訳ではない。ただ、あの時よりも距離が出来てしまった今が、悲しい。
「ガッシュ君、私もお城作っていい? 」
本を取り出すことをやめ、葵は膝を折ってガッシュと視線を合わせた。
本の事は、今すぐである必要はない。龍太郎のことは気になるが、急ぐほどでもない。家に帰れば龍太郎はいるし、この本のことを知ったからと言って、龍太郎との付き合い方が何か変わるわけでもない。
本の意味を知らない葵は、そんな風に楽観的に考えていた。
「葵殿、手伝ってくれるのか? 」
「うん。私は高嶺くんみたいに頭が良くないから、立派なお城が出来るかは分からないけど」
「いや! 嬉しいのだ! 一人でやるより、二人で造る方がきっともっと楽しくて良いものが出来るのだ! 」
素直で、元気で、いい子だ。
ガッシュのキラキラとした瞳を見て葵はそう思った。
「それでは! まずは砂を真ん中に集めようぞ! 」
了解、と返事をして、葵はガッシュの砂のお城作りの手伝いを始めた。
○
(……ガッシュの奴、どこ行ったんだよ)
清麿は、モチノキ町を歩き回ってガッシュを探していた。
クラスメイトに言われたから、という訳ではないが、清麿自身がガッシュを一人にしていたことを多少なりとも気にしていて、せめて早く家に帰ってやろうとさっさと下校したのに、肝心のガッシュは家に居なかったのだ。
仕方なくガッシュのよく行く場所を調べてみようと植物園に言ったのだが姿は見えず、しらみ潰しに色々と見て回るが未だに彼を見付けることは叶わなかった。
(……あとは、あの公園くらいか)
比較的家に近い場所にある公園を最後にして捜索をやめようとしたところで、ちょうどガッシュを見つけた。
砂場に座り込み、目の前にある自分で造っただろう城にぺたぺたと泥をくっ付けていた。あの身長の金髪は、ガッシュ以外にはあり得なかった。
まったく、手間を取らせやがって。
そう心のなかで愚痴ってみるが、清麿自身手間がかかったとは思っておらず、むしろここにいてくれて良かったという安心感すらあった。
「おーい、ガ……」
手を振ってガッシュを呼ぼうとしたその時に、清麿は見つけてしまった。砂場のすぐ近くに置いてある鞄から、見える本を。
清麿は、唾を飲み込んだ。
それは、どうみても、魔物の本だった。
見間違う筈がなかった。
幾度となく見た本だ。
ガッシュをこの世界に留めるものであって、夢のために必要不可欠なものでもある。幾つもの本を彼らは燃やし、そして何度も燃やされそうになった。
それは、魔物とそのパートナーを、強く結び付ける
なら、近くに魔物か、パートナーがいるのか。
見渡してみれば、
「ガッシュ君、どうこの木の枝。てっぺんに突き立てれば旗があるようにも見えるよ」
「おお! ほんとなのだ! 」
「流石でしょ? 」
「うむ! 葵殿は流石なのだ! 」
「うむ。私は流石なのだ」
ガッシュに笑いかける少女がいた。
肩ほど長さの茶髪は艶やかで、気品があった。顔は小さく、少し幼さは残っているがただずまいが上品で大人びて見える。
その少女は知っている顔だった。確か、橘という名前であった筈だ。
クラスメイトの一人で、一対一で話した記憶はないが、水野と仲が良かった筈だ。詳しくは知らないが、水野曰くいい子らしい。あとは噂で、豪邸に住むほどのお金持ちだと聞いたこともある。
清麿は、どうすべきか迷った。
清麿は幾人もの魔物とそのパートナーを見たことがある。彼等の行動は、大きく分けて二通りだった。
敵を倒すために好戦的であるか、自ら争いをしようとは思わないタイプであるかだ。
清麿は、もう一度ガッシュと遊んでくれているその少女に視線を向けた。
制服も手も泥だらけにしながら、ガッシュと一緒に一生懸命砂の城を作っている。
その行動は、もしかするとガッシュを油断させるための作戦なのかもしれない。
一瞬そんな考えが浮かんだが、清麿はすぐに頭を振った。
味方か敵かははっきりとは分からない。だが、敵と決めつけるようなことはしたくなかった。
彼女は、クラスメイトで、水野と友達だ。きっと、いい人だろう。
それに、彼女と、その魔物が心の優しい魔物であるならば……。
優しい王様を、目指してくれる。
ガッシュの、夢であって、目標である、優しい王様を。
不意に、ティオやキャンチョメ、ウォンレイの姿が浮かんだ。この苛酷な闘いの中で出逢えた仲間と言える存在。彼らのようにガッシュ以外にも優しい魔物がいるという事実は、自分達の闘いに癒しをくれた。決して孤独ではないと思えることは、確かな強さであった。
そう思える仲間が増えてくれたら、どんなにいいか。
清麿は心の中でそっと微笑んだ後、遊んでいる二人に声を掛けることを決めた。
○
清麿が声を掛けると、二人は同時に振り向いた。
「清麿ーーー!」
ガッシュは勢いよく清麿に向かって走っていき、ジャンプをしてから清麿に飛び付いた。葵も清麿と話すことを目的としていたので清麿の登場は嬉しかったのだが、流石にそんなことは出来る筈がなかった。
「ガッシュ! おまえ泥だらけじゃねぇか! 離れろ! 制服が汚れる!」
「清麿! お主遅いではないか! さっきまでずっとバルカンと私だけでお城を作っていたのだぞ! 葵殿が来てくれなかったら、私は一体どうなっていたことか……」
葵の名前が出たことで、清麿はガッシュに引っ付かれながらも葵へと視線を向けた。
視線を受けた葵は何て言ったらいいのか分からなくて、とりあえず、どうも、と頭を下げた。
「……橘、悪いな。ガッシュと遊んでもらって」
「……んーん。私も、楽しかったから」
葵の声がぎこちなくなってしまうのは、緊張しているからだろうか。葵自身男子と話した経験は多くなく、それも話そう話そうと意気込んでいた相手であったため、逆にプレッシャーとなっていた。
「……橘、あんた、魔物のパートナーだったんだな」
少しの沈黙の後、清麿は本題から切り出すことにした。
この話を後回しにしても仕方がないと思ったのだ。
葵側は、恐らく自分とガッシュが魔物とパートナーの関係にあるのは気付いているだろう。教室であれだけおおっぴらに赤い本を開いているのだ。気付かない方がおかしい。
葵がこの王を決める闘いに参加している限り、自分たちはいつかぶつかることになる。それならば、お互いに疑心暗鬼の時間を作るよりも関係をはっきりとさせた方が良いと思ったのだ。
「うぬ? 葵殿、そうだったのか?」
ガッシュは葵に対して警戒する様子はなく、単純に驚いていた。
一度遊んだだけだが、ガッシュにとって葵はもう味方なのだろう。その警戒心のなさは勿論危険ではあるが、器が大きく寛大であるともとれる。清麿はガッシュのそういう性格が嫌いではなかった。それが罠だとしたら、見破るのは自分の役目であって、ガッシュはそのままでいいと思っていた。
「……あの、ごめん。何て言ったの?」
葵は瞳をぱちくりと動かし、じっと考えた後にそう聞き返した。
「……あんた、魔物のパートナーだろ?」
「マモノノパートナー?」
もう一度清麿が聞くと、葵は再びじっと固まった。
「……ああ、そういうゴッコ遊び? 急に始まるんだね。ごめん。私あんまり男の子の遊び分からなくて……」
「いやちがうわ! そーじゃなくて! あんたにも魔物がいるんだろ?! 」
「えーと、いるよ。……っていう設定で、いいの?」 「なぬ、もう何か遊びが始まっておるのか? 私も混ぜてほしいのだ」
「だー! ガッシュは黙ってろ! 話が進まん!」
惚けたような態度をとる葵に、清麿はつい語気を強めてしまう。
「あんたも知ってると思うが、俺とガッシュはパートナーだ。あんたのパートナーは誰だ。どこにいるんだ」
「あー……と。なら私のパートナーは……吉川さん?かな?」
「ヨシカワサン?珍しい名前の魔物だのう」
「違うだろ!どう考えても『吉川さん』は日本人だろ!」
再び大きな声を上げても、葵はきょとんとした表情を崩さなかった。
清麿は噛み合わない会話に疑問を感じていた。本気で困った顔をしている葵を見て、ある予感がした。
「……橘。本は持ってるよな? 」
「……うん。私、不思議な本を持ってるの。実は、そのことを高嶺君に聞きたくて。というか、何で本を持ってるって知ってるの?」
葵の返事を聞いて、清麿は予感がした確信へと変わった。やっぱりか、と小さく呟く。
葵はきっと、魔物の闘いの事を知らないのだ。
本は持っているが、それが何かも分からないという状況なのだろう。
「……橘。最近、何か変わった奴と会わなかったか?」 「変わった奴?」
「ああ。変わった子供、もしくは、変わった動物」
「……うん。あったよ」
葵は少し間を置いてから頷いて言った。
「信じて貰えないかもしれないけど、出逢ったよ。変わった……いや、凄い生き物に」
葵はやはり、魔物とも出逢っていたようだ。闘いを知らないという理由は幾つか考えられる。
コルルのように、闘いが嫌いで、それを避けるためにわざと葵に告げていない。もしくは、ウマゴンのように言葉を話すことが出来ないからか。レアなケースで言えば、ガッシュのように記憶を無くしているという可能性もある。
王を決める闘いが始まってからかなりの時間が経っているのに、未だにこのような状況にある魔物がいることは少し意外だった。だが、ウマゴンのように未だにパートナーを見つけていない魔物もいることを考えれば、おかしくはない。
「信じるさ」
清麿は葵と目を合わせてしっかりと返事をした。魔物と出逢ったのならば、葵もそれなりに苦労していくこととなる。この闘いのきつさを分かるのは、実際に参加しているものたちだけだ。清麿は、少しでも葵の力になれたら良いと純粋に考えていた。
「橘、このあと時間あるか?」
「……あるよ」
「なら、話をしたい。その本と、その、凄い生き物について。俺は、多分橘にそれらのことを説明できる。出来ればその生き物もここに呼んで欲しいんだが」
「……それは、さっき言ってた魔物のパートナーって話と関係あるんだよね」
「そうだ」
「……うん。話をしてくれるのは助かるんだけど……」
葵の脳裏に、庭で丸まっている龍太郎の姿が浮かんだ。
「ごめん。ここには連れてこれないよ」
「どうしてだ?」
「大きすぎる、ってのもあるし、あんまり動かなくて」
「大きい……。バルトロくらいかのう」
「もしそうだったら連れてこれねぇな」
清麿とガッシュは、イギリスで闘った巨大なバルトロの姿を思い浮かべていた。実際は小さな獣のような魔物であったが、最初に見たときはとても子供の魔物とは思えないほどの大きさをしていた。
バルトロ以外にも子供とは思えないサイズの魔物を、清麿は何度か見ている。ヨポポを襲っていた魔物も成人男性より大きかった。とすれば、魔物によってはここに連れてこれないほど大きい魔物がいるといっても信じられる。
どうするか、と悩んだ清麿を前にして、葵は考えるようにして間を溜めてから、だったらさ、と二人に呼び掛けた。
そして、私の家に来ないか、と提案する。
まだ日は落ちきっておらず、夕焼けが綺麗な時間だ。
この二人になら、夕陽に反射する龍太郎の銀色で美しい鱗を見せていいと、葵は思った。