彼――阿僧祇豪志はピトのリアルとの関係が深い人物だ。
その関係性については一言では言い表せないほど複雑な事情があるのだが、そこに踏み込むつもりは香蓮にはない。
ただ、彼について間違いないと言える事は、ピトに惚れているという事と、ピトについて誰よりも理解しているという事の二つだ。
そして彼は人脈も広く、香蓮とも面識があったことから、香蓮は彼を頼ることにしたのだ。
香蓮が昨日電話で話した事は一つ。
「キリトというプレイヤーと出会ってからピトの様子がおかしくなった」
そう伝えただけで彼は香蓮の言いたい事を察した。
なぜ、そうなったのかを教えて欲しいのだと。
しかしそれは彼にもまるで見当がつかなかったらしい。
だから彼はこう言った。
『明日まで待って欲しい。キリトという人物とピトの関係を調べてみます』と。
おそらく、それから徹夜で情報を集めていたのだろう。
そしてようやく纏まったものが手に入ったらしい。
といっても、わかった事はキリトという人物の事だけで、それがピトの異変の原因かは分からないがようだが。
「――キリトという方は、SAO
そう、最初に香蓮に告げた。
予想外の情報に、香蓮は言葉に詰まる。
「え…それって――」
「――そして、彼はピトと同じくβテスターでもあります」
と、向けられれば多くの女性がキャーキャー騒ぎ立てそうなほど真剣な表情で、彼は続けてそうも言った。
「香蓮さんには以前、SAO
「う、うん」
SAO生還者とは文字通り、2年間に及ぶSAOでの監禁生活を生き抜け、無事に現実に帰還できた者たちの事だ。
それに対し、SAO失敗者とは豪志がピトの境遇を説明する際便宜的に付けた名前だ。
SAOのたった1000人のβテスターに選ばれた者たちの中で、何かしらの事情からSAOの正式版を初日から遊ぶ事が出来ず、運良くSAOに囚われずに済んだ者たちの事だ。
ピトはその後者の方だったのだが、SAOをプレイ出来なかった事を“死ぬほど”悔やんでいた。
それが原因で第2回SJの時には色々あったのだ。
忘れるはずもない。
「それともう一つ、攻略組…前線組やトッププレイヤー、他にはフロントランナーなど様々な呼び名がありますが、そういう人達がSAOには居たようです。それについて知ってる事はありますか?」
もちろん知らない香蓮は首を左右に振るが、豪志も念の為の確認のようなものだったらしい。
すぐさま、スラスラと説明が口から流れてくる。
この人、教師にでもなったら良いのにと本気で香蓮は思う。
「そもそもSAOがどういうゲームかは知っていますか?噛み砕いて言うと、仲間を作ってダンジョンに潜りボスを倒すと次の階層に進める。それを第百層まで進めばクリア、というゲームです」
それくらいならネットで調べれば簡単に出てくる。
理解を示した香蓮を見て豪志は更に続きを話していく。
「攻略組とはその最前線に立ち、未踏破の階層のボスを狩る者たちのことです。――SAOは本物の命がかかっています。なので、街に篭って安全な暮らしをする者も多かったそうです」
「つまり、とっても危険な所に居た人達ってこと?」
「はい。死亡者数も多かったと聞いています」
子供っぽい表現をした香蓮の言葉に豪志は頷く。
聞いている――それは、豪志にはSAO生還者の知り合いがいるという事だろうか。
しかし、そんな余計な情報は頭から追い出し今の話の流れを読む。
キリトと全く関係の無い話ではないだろう。
なら――、
「もしかして、キリトさんは――」
「――そうです。攻略組の一人…それも、かなり中心にいた人物だったそうです」
その言葉に、香蓮は絶句する。
GGOでのいきいきとした彼の姿。
そんな危険な生活を2年間も経験しておいて、どうしてまだVRゲームが出来るのか理解できなかったからだ。
手元の紅茶を飲み、動揺を落ち着かせる香蓮。
「最期に――これは未確認情報というか、眉唾な情報なのですが」
歯切れの悪い豪志の様子は言うべきかそうでないか迷っているらしい事が伺える。
それは、確たる証拠がない情報を掴ませるのに抵抗があるからか。
しかし、ここまで来たら――と小声で呟いた後、豪志は意を決したようにこちらを向く。
そして、
「どうやらラスボスを単身で倒し、SAOをクリアした張本人こそが、キリトその人――らしいですよ」
もたらされた情報は香蓮の想像を超えたもので、香蓮は危うく紅茶を噴き出すところだった。
※ ※ ※
「はぁ〜…」
喫茶店での話し合いを終え、自宅に帰った香蓮はベッドに飛び込む。
そして、豪志が帰り際に言っていた事を思い出す。
『問題は、ピトがどこまで知っているかですが…間違いなく全てを知っています』
『僕に情報をくれた方――僕とピトの共通の友人とだけ言っておきます。彼もその攻略組の一人だったのですが、以前ピトにSAOについて詳しく教えて欲しいと詰め寄られて今のと同じ話をしたと言っていました』
『それと、こちらは全く把握できていませんが、もしかしたらβテスト時代にピトとキリトさんの2人が会っていた、という可能性もあります』
『――それで、非常に申し訳ないのですが…もし次キリトさんと会ったらさりげなく探りを入れてみてくれませんか?もしくは全てを話して助勢を求めるとか。その辺の判断は任せます』
正直、終わったと思っていたピトの妄執に再び巻き込まれると香蓮は夢にも思っていなかった。
「というか、だったらエムさんが直接会ってくれたら良いのに」
エムというのは豪志のGGOでの キャラクターネームだ。
だが、おそらくそれを提案しても「忙しい」の一言でバッサリ切られるのがオチだろう。
ピト――神崎エルザの人気に火がつき、それ関係の仕事が増えていると言っていたからだ。
一見薄情とも言える彼の態度は、香蓮を信用しているとも取れる。
色々な事を一辺に聞かされて疲れた香蓮は別の事を考える事にする。
「明日は平日かぁ…」
二限から大学があるが、香蓮の住むマンションは大学に近いため、10時くらいに起きれば十分間に合う。
朝早起きして暇になったら適当な店で読書でもしていようかな。
――が、その前に。
「モヤモヤする心は愛銃と共にふっ飛ばそう!まだ午後三時だし今からGGOにinしよ!」
ピトやキリトの事など一旦忘れ、楽しもうと香蓮は決めた。
※ ※ ※
豪志は香蓮に意図的に伏せた情報を頭に浮かべる。
曰く、βテスターは蔑まれ、迫害されていたと。
それは仕方の無い事だと豪志は思う。
知識量に差があるというのはデスゲームとなったSAOの中では余りに大きい。
その無意識の優越感や余裕の態度が軋轢を生むのは当然だと。
たが、βテスターからしてみればそれは辛いことだろう。
どこへ行っても卑怯者扱いされ、パーティに入ることはできない。
そんな状況が、一般プレイヤーとβテスターの情報量に差がなくなってくる第十層くらいまで続いたのだ。
特に、第一層のボス攻略の時起きた小競り合いの影響が大きい。
どうやらとあるβテスターが悪目立ちし、そのせいでβテスターに対する印象が悪化したとの事だ。
一部では、その男はわざとそうした態度を取り、他のプレイヤーの目をβテスターから自分に向けようとしたんだ、という擁護の声も上がったが、街に流れる噂はそんな細かい事情などお構いなしだ。
豪志の友人であるその男が最前線に追いついたのはもっと後の事で、実際には見ていなかったというが。
豪志が香蓮にこれを言わなかったのは、キリトというプレイヤーへの配慮だ。
おそらく今の香蓮のキリトへ抱くイメージは「そんな凄い人だったんだ!」という尊敬の念だろう。
だが、これを話せばその感情は憐れみに変わるだろう。
それと、余計にわからなくなったのはピトの事だ。
ピトはこの話の他にも、SAOの醜いところを余す事なく知ったはずだ。
それを聞いて何を思ったのだろうか。
どうしてそれでもSAOに執着したのだろうか。
――狂ってる。
かつて何度もそうピトを評した豪志だが、今回SAOの詳しい話を聞きその想いは深まるばかりだ。
まぁ、それでも好きかと問われればもちろん「はい」と即答するのが豪志が香蓮に変人と思われる所以なのだが。
「…香蓮さんは上手くやってくれるでしょうか」
先行きに不安の絶えない豪志であった。