GAMERA-ガメラ-/シンフォギアの守護者~The Guardian of Symphogear~   作:フォレス・ノースウッド

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デート回から海外デビューを決めるまで、無印本編ではとんとんと決めたように見えますが、実際は決めるまで結構翼って悩んだんじゃないかって想像を膨らませながら書いた回です。



#47 - 想いの火(うた)

 まだ梅雨の真っただ中であるとは思えないほど、その日の昼間は夏が近づく青空広がる晴れであったが、夕刻に近づくにつれ、段々と雲たちが隊列と行列を作って律

唱市内上空に流れ着き。

 

〝忘れた頃にやってくる〟。

 

 この言葉を行動で示さんとばかり、まだ梅雨であると地上の市民らに知らしめようとするばかりに、放課後の時間帯にて、大量の雨粒を降らせてきた。

 俗に言う、〝ゲリラ豪雨〟と名付けられた大雨だ。

 市内に点在する公園の一つで、イギリス式の場景が広がり、古代ローマが舞台な漫画の実写映画のロケにも使われたことのある峯ヶ堂公園でも、木々に池に多量の雨が降り注ぐ中、三角屋根のベンチに、女子高生が二人、雨宿りで急ぎ駆けこんで来た。

 朱音と、髪型を二つ結びに変え眼鏡も付けた変装姿な翼の二人である。

 昼間の続きで、人目を気にせず話せる場所としてこの公園を選んで入園した矢先、この豪雨に見舞われたのである。

 

「全く……〝ゲリラ豪雨〟とは言い得て妙だ、この滝雨め」

 

 天候相手に愚痴った翼は、朱音の咄嗟の機転で彼女から貸してもらった折り畳み傘で何とかやり過ごしていた。

 

「すまない朱音、傘を借り受けたばかりにとんだ〝濡れ鼠〟にさせて――」

 

 傘の水気を飛ばして畳み直し、日頃鞄に常備しているタオルを渡そうと鞄の中に手を入れた翼は……朱音の現在の姿を目の当たりにした。

 翼に傘を貸したと引き換えに、朱音の全身は諸に瀧雨を浴びてしまい、制服のシャツもベストもスカートもすっかり濡れ切ってしまっていた。

 葡萄色がかったナチュラルストレートの黒髪も、すっかり多めの雨水を吸ってウェーブがかってしまっている朱音は、額に張り付く前髪に手を触れさせる。

 

「はっ…」

 

 細くすらりとした五指と絡み合う、きめ細やかな黒髪がかき上げられ、朱音の口からはかぐわしい吐息が零れ落ちた。

 

(な……何友を相手に見惚れているのよ………私は………奏だって、ともすれば朱音以上に豊かな見てくれをしていたではないか……)

 

どうにか直ぐに我に返ったが、水化粧に滴られ艶めかしさが増し、翡翠の瞳には妖しさすら帯びる流し目な朱音の美貌に、ほんの一時だったが、目を奪われていた。

 たった瞬刻だったが、胸の内の心臓が―――昂ってもいたのだ。

 僅かな時ながら、自分の内から沸いた感覚に戸惑う。

 

「た、助かった……これで体を拭くといい」

「ありがとう」

 

 何とか友に悟られまいと平静を心がけて、翼は取り出したタオルを投げ、受け取った朱音は全身の水気を拭き取る。

 幸い、二人の学生鞄はどちらも防水加工がしてあったので、教科書もノートも筆記具も、朱音の鞄に入っているライブチケットも込みで、中身は無事である。

 

 

 

 

 

 裏目に出てしまったと、翼から貸してもらったタオルを拭きながら思った。。

 朝のランニングコースにも使わせてもらっているこの公園なら、人目もある程度は気にならずに翼の〝悩み〟を、じっくり聞いてあげられると思って選んだのに。

 せめて翼を、翼の表現で〝濡れ鼠〟にさせずに済んだのは良かったけど、晴れ舞台――ライブの本番前に、体調を崩させるわけにはいかなかったから。

 お陰でずぶ濡れだけど、これでも、豪雨一つでやられるほど柔ではないくらい鍛えてますんで。

 けど、気のせいかな? タオルを渡そうとした翼、なんか一瞬心身一緒にフリーズしてた気がするんだけど、勘繰り過ぎか。

 

「タオルはこっちで洗い直してから返すね」

「ああ」

 

 使ったタオルを仕舞うと、代わりにスマホを取り出して天気予報のアプリから律唱市上空の雨雲を確認、予想通りこの雨は長く続きそうにないので、焦らずここで雨宿りしていた方がいい。

 

「はいこれ」

「忝い」

 

 ここに来る前に買っておいた緑茶のボトル二本の内一本を翼に渡して、私たちは屋根の下のベンチに座り込んで、ほぼ同時に一口入れた。

 緑の中で飲むお茶は良い、苦味がよりやんわりと味わえる。

 これで友里さんの淹れたお茶なら、もっと最高なんだけど、今はそんな贅沢は控えておこう。

 

「あ……朱音」

 

 もう少しお茶を味わってから、本題に切り出そうと考えていたら。

 

「ん?」

「少々……と言うか……些か、近すぎるのではないか?」

 

 もじもじと、頬を赤くして恥ずかしそうな様子で、私を見てきた。

 近いって言われても、せいぜい互いの二の腕の肌同士は制服の布越しに密着して、手を触れ合えるくらいで、スキンシップとしてはまだまだ控えめ。

 それこそ生前の奏さんとの〝触れ合い〟に、比べれば、まだまだ慎ましい方だ。

 なのにそんなおぼこいリアクションを見せられると、こっちの悪戯心が燻られたので

 

「私の、華奢な体躯では、朱音の身を暖めるのは………心もとないぞ」

「なら―――」

 

 右の横髪を右手でかき上げながら、翼の耳元へ、そっと口を近づけて。

 

「―――その分私が、翼を温めてあげる」

「きゃっ!?」

 

 目と鼻の先より近く、唇が耳に触れるギリギリで囁くと、翼は猫みたいにびっくりした高音の奇声を上げて、私の声が入ったばかりの耳を手で抑えた。

 

「ま、ままままた朱音は………仮にも先輩たる私を、か、からかって、あ、温めるくらい普通に言えんのか!?」

「これで温まったでしょ?」

「最早温いを通り越して、周りの湿気まで沸騰しそうよ!」

「あら? じゃあストレートにハグした方が良かったかな?」

 

 口に手を添え、首を傾げて、次なるジョークボールを投げた。

 

「は、ハハハハハハッ―――ハグッ!?」

 

 先輩(つばさ)の顔は、吹きかけた耳にまで、もうそれは沸騰したお湯で芯から茹であがった蛸にも負けない真っ赤となっていた。

 

「今さら照れるようなこと? 見舞いに来てくれた時にもうしたじゃない、それに奏さんとだってしょっちゅうあったでしょ?」

「確かに………奏からはよく、『真面目が過ぎるぞ』と抱きしめられたりスキンシップすることは度々あったが―――って違ぁ~~う! いや……ち、違わ、違わなくはないがっ……」

 

 これはこれは♪ 鮮やかで見事なノリツッコミ♪

 尚、なんで二人がスキンシップする間柄であったと私が知っているのは、弦さんや二課の職員の皆さまから聞いていたからである。

 

「こっちにだって………それなりの時と場合があるのよ! そこは……そこは微妙な防人心を理解してほしい!」

 

 本当にこの先輩は、こっちの予想を常に超越したリアクションを取ってくれるから、面白くて―――可愛い。

 もっと意地悪(ジョークボール)を投げておちょくり、その姿をかのカードの魔法使いの親友(まさか本当にその子みたいな女の子と〝異世界〟会うとは、この時思ってもみなかった)みたいにスマホのカメラで収めたい気が沸き上がってくるが、ここはぐっと抑えて、こらえた。

 翼の、自分の他には奏さんぐらいしか拝めていないであろう、このコメディアンな顔は、まだまだ当分、そうだな――緒川さん辺りはマネジメントの方向性を転換するまでは、自分だけの楽しみに取っておきたいし。

 

「ごめん♪」

 

 我ながら、意地悪と言われても納得なニヤけた顔で詫び入れた。

 さっきのは、互いの距離が〝近い〟以外の理由で、若干張り詰めかけていた翼の心を、ほぐして余裕を持ち直させ、自分に打ち明けやすいようにする為の配慮でもあった(大半が、悪戯っ気で締めていたのは否定しないけど)。

 この先輩の本質の一部は、奏さんの言っていたように弱虫で泣き虫、臆病で引っ込み思案な女の子。

 学舎(リディアン)で生徒たちから衆目の的となる平時や、凛々しい姿を見せる舞台や、雄々しく剣を手に立つ戦場での姿も含めて、中々その一面を窺い難いのは、生来のその真面目さと奮い立たせた使命感と、きっと今までの身の上で………自分自身を〝演出〟する技術が、無自覚無意識に鍛えられてしまってからでもあるだろう。

 ならせめて、対等な友達の仲となった自分が、少しでも翼の〝女の子〟の顔を、引き出させてあげたい。

 これも、津山さんとの〝風鳴翼を独りぼっちにさせない約束〟の一環でもあるけど、私自身、それを望んでいる気持ちも強くあった。

 どうしてかって?

 それぐらい、一人の女の子として、翼を慕っているから。

 

「じゃあ私は翼が〝落ち着くまで〟、山の如く動かないでいるから」

 

 中国の兵法書の一節を引用した私は、そっと自らの瞼を下ろし。

 

「準備ができたら、呼んで」

「う……うん」

 

 目を瞑り、あらゆる感覚を、聴覚へと集中させ、研ぎ澄ます。

 耳をすましたことで、よりくっきりとクリアに、聞こえてくる。

 

 そびえ立つ木や草花の葉は、雨粒たちを受け止めて、揺れ、滴る雫が滑り落ち。

 樹の幹や枝、そして土に沁み込み。

 池に弾かれた雨玉が、小さく細かく分散して落ち、池と溶け合い。

 

 雲海から大地へ、恵みとなってぽたぽたと降りてくる、無数の雨粒たちの演奏会。

 

 雨の一粒一粒が、それぞれ違う透明感ある音色を、かき鳴らしている。

 こうしてじっとしたまま、無数の雨粒の多重奏の中で、音色の一つ一つを耳で見つけて、手繰り寄せるのが、雨が降る日の、私の楽しみの一つ。

 ガメラだった頃、海の底でじっと、ほんのひとときでささやかな安息の時間を過ごしていた時の、戦いで傷ついた身も、戦いで荒ぶられた心も、穏やかな水平線の様に安らげたあの感覚に、一番近い〝味わい〟を堪能できるからでもあった。

 

 しばらく、広大で果ても境界も無い音の海の中を、流れ漂って、雨天そのものが開催する音楽会を鑑賞していると。

 

「朱音………」

 

 何分経ったか、翼の声が聞こえてきてた。

 どうやら、〝準備〟はできたみたいだ。

 意識を音の海から浮上させ、開いた瞳と顔を、翼に向けた。

 

 翼は、膝の上に置いた握り拳を見下ろしたまま、決して器用とは言い難い重たい口を開けて、打ち明け始める。

 

「海外進出の話は……朱音も、存じているな?」

 

 こくっと頷き返す。

 予想していた通り、翼が抱えている悩みとは、イギリスの大手レコード会社メトロミュージックのプロデューサー――トニー・グレイザーから持ち掛けられた海外進出のことだった。

 修羅の奈落から這い上がって、吹っ切れた今の翼を悩ますものがあるとすれば、他にもあるのだが、一番を上げるとするならこの移籍の一件だ。

 

「てっきり、もう断ってたのかと思ってた」

 

 まだ正式な返答こそ公にはされていないけど、お昼に翼の顔から悩みの色を窺うまで私は、もう断りの返答を送ってその話は終わっていたと、そう思っていた。

 翼のことだから、『防人であるこの身は剣、ノイズの災厄を振り払うその日まで、戦場(いくさば)に立ち続けなければならない宿命(さだめ)であり、そのような暇はない』と言いそうだし。

 

「確かに一度は断ったのだが、トニー・グレイザー氏に……粘りに粘られてな」

 

 困り顔が混じった笑みから見て、納豆ばりにMr.グレイザーから粘られたみたいだ。

 あ、そう言えば彼って、デビュー当時からツヴァイウイングの大ファンだったと、昔読んだ音楽雑誌のインタビューで載っていた、二人のCDを手に満面の笑顔で映った写真を思い出した。

 

「それで、今の翼の気持ちは? どうしたい?」

 

 本題に切り込まれた翼は、一度、黙り込み。

 

「どう……したいのだろうな……私は……」

 

 そう――言葉を絞り出し。

 

「己が半生を顧みて見れば………今まで、自分で………決めると言うことを、行ってこなかった……気がするのだ」

「翼……」

 

 口元から、自嘲も入り混じった笑みを浮かべて、翼は応えた。

 

 自分は、今日まで、自分自身の意志で―――

 

 天羽々斬の眠りを覚まし、装者として宿命を背負った時も。

 奏さんから、二人で両翼なアーティストとして、一緒に歌おうと言われた時も。

 広告塔として、リディアンの学生となった時も

 片翼となってしまった、あの日でさえ。

 

 ―――何かを〝決めた〟ことは、ほとんど一度も………なかったと。

 

 胸に、握り拳を添える。

 翼からの告白を、私は黙々と、粛々と聞いて、この胸(こころ)に受け止めさせていた。

 これも薄々感じてはいたけど、私にとって難しい手合い。

 だって、翼の悩みの根源には、間違いなく………翼の〝家〟と〝家族〟に深く関わっていることでもあるからだ。

 創作(フィクション)において、名家と言う存在は、えてして暗く重い〝業〟を秘めて、呪いも同然な血の呪縛と呼べるものが存在しているものだけど。

 日本(このくに)を諜報――影の側より国防を担ってきただけあり、風鳴の家には、古今東西のフィクションで描かれてきたものとは比べものにならない、〝現実は小説より奇なり〟な、業と呪縛が根付いている―――のだと、なまじ、人一倍目敏い眼を持っているせいで、二課の傘下での装者としての活動と、翼との日々の交流から窺えてしまっていた。

 翼が最初に見舞いに来てくれた、あの日だって。

 

〝何だか今の朱音………〝母親〟………みたい、だな〟

 

 あの時の言葉が意味するのは――母親から愛情を、受け取った記憶が少なく。

 

〝なら………父親は? 母子家庭ってわけでは、ないのだろう?〟

 

 父親とも、決して浅くなく、小さくない確執を抱えている。

 

 そう、私の瞳は目にしてしまっていた。

 でもそれ以来、私は一切言及していない。

〝友達〟とはっきり断言できる仲になってからも、いや……なったからこそ、私たちは暗黙の内に、お互いの〝肉親〟に関係する話題は上げない了解を取り合っていた。

 きっと翼は、胸の奥底に抱えているものを、不必要に抱えさせたくない、想うからこそ背負わせたくないと、そんな思いを抱いていたからだろう。

 私だってそう。

 あの日翼に、また戦うことを選んだのはどんな理由があっても、家族を悲しませる自分の〝エゴ〟だと言ったのが、今の精一杯。

 前世(ガメラ)であった衣、この八年間のことも、その年月の間に、何度も見せられ………シンフォギアの形でガメラの力を再び手にした日を境に、一切見なくなってしまったある〝悪夢(ナイトメア)〟のことも入れて色々を、打ち明ける勇気が、全然足りずにいる。

 おっと……これ以上はまた、本題から脱線させてしまう。

 

「奏を喪って……一層の研鑽を重ね、数え切れないノイズを倒し、死線を越え、意味など求めず戦い続けてきたが為に、防人の剣としての自分以外の自分も、その自分が何を求めてたのかも………思い出せなくて」

 

 ようは―――風鳴翼と言う女の子は、その境遇ゆえに、まだ歳では〝子ども〟な年頃であることを差し置いても、自分で考えて〝選び〟、自分の意志で〝決める〟と言う機会に、同世代のティーンエイジャーよりも遥かに、余り恵まれたことがないのだ。

 

「せっかく……昨日は朱音からあのようなお褒めの言葉を頂いたと言うのに、とんだ体たらくだ」

 

 それ程までに、翼の境遇は、ある種の運命や因果に縛り付けられてきたものでもあり。

 同時に、真面目の度が過ぎて不器用な性分ゆえに、己に課せられた〝十字架〟に対し、ストイックに己を鍛え上げ、奏さんと共に飛んでいた日々を除けば、極端なまでに自らを〝防人〟だと言い聞かせ、律し、抑えつけ、世界との繋がりを断ち切らんとするまでに心を押し殺し続け、修羅の剣として使命を全うしてきた……代償でもあった。

 木の屋根(かさ)の外の、まふぁ降り続ける雨を私は見つめる。

 まるで、今の翼の〝悩み〟を映しているように、見えてきた。

 

「聞き手となってもらい、すまなかった……この話はもう、お開きに――」

 

 懐から取り出したスマートフォンで、緒川さんに迎えの連絡を取ろうと翼の手を。

 

「―――あ、朱音?」

 

 私は自分の手で握って、引き止め、翼の瞳を合わせる。

 戸惑った様子で、翼は私の瞳を見つめ返していた。

 まだ……ここでお開きには、したくない。

 

 

 

 

 

 朱音は軽々と、翼に海外進出を促す気などない。

 長いことアメリカで暮らしていたのもあり、朱音は海外の芸能界が、日本のと比べものにならぬ、強運すらも含まれた〝実力主義〟の世界であることは存じていた。

 現に、過去日本で人気を勝ち得て、勢い冷めやらぬまま海の向こうへ進出したものの、鳴かず飛ばずのまま古巣に戻ってきた日本人アーティストも少なからずいる。

 いくら現在の邦楽界のトップを走り、国外にもファンが存在するほど評判が轟き、それに見合う高い実力と技量を備えている翼でも、その歌声が本当に海外の場でも通用するか、保証はない。

 ないのに〝できる〟と口にすることは、無責任だと朱音は思っている。

 そんな海外の芸能事情を差し置いても、朱音は翼が自ら〝決断〟もしないまま、このまま状況に流させたくはなかった。

 

「確かに……私には翼の悩みも、抱えているものも打ち消せる、都合のいい解答(こたえ)なんてない」

 

 仮に……本当に〝都合のいい解答〟があったとしても、朱音はそれを実際に言葉にして、翼に伝えはしないだろう。

 それでは翼は、いつまでも自分を縛る呪縛の鎖から逃れられず、自分の〝翼〟で飛べないままだ。

 これは翼が、自分の目で向き合い、他者から助けをくれたとしても、最後には自分の頭で考え、自分の意志で選んで決め、自分の手でけじめを付けなければならない〝十字架〟でもあるからであり。

 こればかりは、朱音が助け船を出そうにも、限界がある。

 

「でも、これだけは―――言っておくよ」

 

 それでも朱音は、このまま〝お開き〟にしたくはなかったのだ。

 

「このまま中途半端に悩んで、後悔するくらいなら、とことん、はいつくばってもがいて足掻くくらい、悩みに悩んで、自分自身に、問いかけ続けるんだ」

「自分に……問いかける?」

 

 朱音の言葉の一つを鸚鵡返しした翼に、頷き返す。

 

「そこまで悩み抜いて、それでもどの道を進みたいのか分からなかったら―――その時、心に浮かんだ〝歌〟が、指し示す方角に向かっていけば、いいと思う」

「うた……」

 

 右手を翼の手に乗せた朱音は――

 

「そう、その強い想いが籠った胸の〝歌〟に従って、翼が自分で決めたことなら、どんな形でも尊重する」

 

 左手を、自身の胸の奥にて佇む心に置いた。

 

「だから、もう一度言うよ、〝自分は戦い以外何もない〟なんて、決してない………翼が忘れているだけで、翼の胸の中は、今でも消えない想いの炎がちゃんとあるんだから―――向き合うことを、〝諦めないで〟」

 

 と、朱音は、巣から飛び立つことを恐れるひな鳥の如き、悩める翼に、天羽奏が生前残した言葉も交えた、今伝えられる精一杯を、伝えきった。

 朱音の翡翠の瞳と、翼の碧い瞳は、合わさったまま、時が流れ続ける。

 気がつくと、屋根の外の雨の勢いが鎮まってきていた。

 

「全く……朱音もやっぱり、奏くらいの意地悪だ」

 

 翼は少々困った様子で、笑みを零す。

 だがそのはにかみには、憑き物が落ちたような麗らかさもあった。

 思わず二人は、この場で意味もなく、清々しく笑い声を上げて笑い合い。

 

「でも……ありがとう」

 

 翼は、お礼の言葉を朱音に送るのだった。

 

 

 

 

 

 そんな中。

 

「お二人とも楽しそうに談話なされて何よりですね♪」

 

 大分落ち着いてきた雨音の中から、聞き慣れたソプラノボイスな青年の声が聞こえた。

 

「お、緒川さんッ!?」

「あ、緒川さん」

 

 声の正体は、言うまでもなく眼鏡姿(マネージャーモード)でビニール傘を差した緒川。

 

「い―――いつからこちらに!?」

「お二人が笑い合い始めた時には着いていたのですが、良い雰囲気だったので中々声を掛けづらくて」

 

 と、絵に描いた好青年な笑顔を緒川は見せる。

 また茹蛸並みに赤くなった翼の声は、トーンが音痴な奇声となっていた。

 装者として死線な戦場を渡り歩いてきた朱音と翼に声を掛ける瞬間まで、全く二人に気取られることなく、まるでいきなりその場に現れたと思われかねない足取りでここまで翼を迎えに来たのである。

 

「ふ、雰囲気って別にそういうわけでは―――って、そこの意地悪な朱音、何そんな大破顔してるのよ!」

 

 大慌てで弁明する翼を前に、また朱音はお腹の内の笑いのツボが刺激されて、満面の笑いをその美貌に浮かべるのであった。

 

 

 

 

 

 

 とまあ、そんなこんなが、ありつつも。

 

「それじゃ朱音、また明日」

「うん、また明日」

 

 翼を乗せた緒川の運転する黒いセダンを、朱音は手を振って見送った。

 空はさっきまでの豪雨から一変して、青空と夕焼け空、二つの空色が彩る快晴へと様変わりしていた。

 その空を見上げて思うところがあったのか、朱音は周りの人気を確認すると、スマートフォンの音楽プレーヤーアプリを起動させる。

 学生鞄から出したワイヤレスイヤホンを耳に付け、再生ボタンを押し、帰り道によく使うネオ・バロック調のレンガ道な川岸を歩き始め。

 

 ~~~♪

 

 青春の挫折を味わった女子高生の、バイト先のしがない中年な店長への恋模様を雨上がりのような瑞々しさで描いた漫画原作のアニメの主題歌でもあるその歌を、ささやくような歌唱で、歌い、歩いていった。

 

つづく。

 

 




今回の話の締めで朱音が歌っていた歌のモデルは、Aimerさんが歌う『恋は雨上がりのように』のEDテーマのRef:rain(リフレイン)です。

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