自分の幸せを顧みず、愛する人のために「全て」を捧げることができるだろうか。そんな人を見つけられたなら、きっと至高の幸福と言えることだろう。
私は、そんな人に巡り逢い、決別の道を進んでしまった。予期せぬ未来、望まぬ運命。一言でまとめるとすれば、愛する人を奪ったのは、私自身だということ。
偶然知り合った女の子の神様が、私に告げた。今の私は「干渉者」だと。魂には、連続性があるという。それを歪めたのは、当事者でもある私で、それを正すのも、元凶──すなわち私にしかできない。
魂の連続性──いわば魂とは、電池のようなもので、肉体という器を動かすだけの原動力でしかない。変異することのないもので、そこに意思はない。
では、人間の意思を構成しているものは何なのか、となるわけで、これは肉体に刻まれるものである。「体の記憶」という言葉がある通り、記憶とは、肉体に宿る。肉体とは、ノートの様なもの。各々の言動が筆記用具となり、肉体にそれが記されるのだ。肉体には体の内部構造も含まれる。頭の記憶もつまりは体の記憶というわけだ。
個性を表すのが肉体の役割。そこに「生」を吹き込むことが魂の役割で、それらが二人三脚することで、初めて一人の人間が誕生するのである。
少し話を戻そう。魂は誰かの所有物ではなく、輪廻転生という霊魂論がある以上、魂とは万人に宿る「無」だ。そして、性質は常に不変である。これはすなわち魂は常に同じ運命へ肉体を導くということになる。
女の子の神様は、私が愛する人と喧嘩することはおろか、気持ちをぶちまけることですら予期せぬ事態でだったと言う。そして事故が起きてしまったことも。連続性が乱されるという事態が招く惨禍は、未だ伝説上のおとぎ話でしかないらしいが、良い結果にだけはならないらしい。
魂の変異がもたらす災いは、その魂に関わる者たちにまで降りかかる。だが、関わる者たちとは? 可能性としては、全ての魂に関与の余地がある。つまり、必然的にこの世を変えうる事態を招いていると言っても過言ではない──
そう。私が背負っている十字架は、ただの喧嘩だけに留まっていないということだ。
全くもって信じられない。私は神様なる者を退けようとしたが、彼女は一歩たりとも退こうとはしなかった。むしろ、熱弁に拍車がかかった。そこで私は尋ねた。
──どうすればいい? と。
そこで彼女は提案してきた。まだ、私たちは死んではいない。だからこそ、まだ引き返せる位置に立っている。
もしも、あなたが連続性を戻すと言うならば、もう一度だけ同じ魂を元の世界にいる肉体に宿らせようと。