モンハン飯   作:しばりんぐ

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 れいわん飯。





グルメの顔も三度まで

 

 

 あの時――――オルタロスの腹袋を天ぷらにした時。

 イルルが、ポーチから取り出した手紙。揚げようか、なんて冗談で言っていた師匠からの手紙。

 そういえばずっと放置していた。あの嫌な事件の時も、どうでもいい現状報告で苛立って破り捨てて、返事も書かないでいた。

 

 そんな師匠の手紙を、俺は何ともなしに開封して。この前は今雪山を拠点に活動している、みたいな話だったけれど。じゃあ今度は一体何なんだと。そんなことを考えながら、俺はその手紙に刻まれた文字を見た。

 その内容に、思わず目を疑った。

 

『わり、下手打っちまった。銀色の龍が、空から降りてきた。とりあえずお前、ポッケ村に来い』

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「ばっはっは!! 来るのが遅えよ、シグ!」

「……何だよ、全然ピンピンしてんじゃん」

 

 慌ててポッケ村に出立して。到着と同時にすぐ集会所へと駆け込んで。

 そこの医務室で横になっていた師匠は、野太い声で俺を迎え入れる。豪胆な彼らしい、快活な表情だった。

 

「にゃ……お師匠さん、大丈夫にゃ?」

「おうイルル。俺ぁこの通りだ。ボロボロだが、ピンピンしてるぜ」

 

 そう言う師匠の鮮やかな毛並みは、今や白い包帯に包まれた奇妙なものと化していた。その包帯もところどころ赤い色を滲ませており、彼の表情とは真逆なまでに痛々しい。

 

「……一体何があったんだ? 師匠が、そんな怪我するなんて」

「なぁに。未知のモンスターと遭遇しちまってな。そいつに腹をずぶり、だ」

「未知のモンスター?」

「おう。手紙に書いたろ? 銀色の龍だ。翼から赤い炎を撒き散らす、見たこともないヤツだ」

「…………ッ!!」

 

 その言葉に、俺の全身の毛が逆立ったような感覚が走る。

 銀色の龍。

 銀色の――――。

 

「銀色……? それは、クシャルダオラじゃなくてにゃ?」

「鋼龍なら、最初からそう呼んでらぁ。見たことも聞いたこともない奴だったね、ありゃあ」

「……手」

「あん?」

「その翼は、まるで手のようだったか?」

「……! ……あぁ」

「そいつの手足は、まるで猛禽類のように鋭いものだったか?」

「あぁ、そうだ」

「……そいつはまるで、流星のように空から飛来した?」

「……もしかしてお前、アイツと遭遇したことあんのか?」

 

 訝しむように、師匠は俺の顔を見た。

 その言葉に俺が頷くと、イルルははっとした表情で俺を見る。

 

「旦那さん……! もしかして――――」

「あぁ。未知の樹海で遭遇したあの古龍……だろう」

 

 いつかの、パエリアを作った時だった。

 イャンクックと、狂竜化したイャンクックを二頭同時に討伐して。非感染個体を調理しつつ、感染してしまった個体をどうしようかと考えていたその時だった。

 あいつが、空から墜ちてきた。

 

「ほーう? それでどうなったんだ?」

「戦ったけど、負けた。俺が気絶してる間に、イャンクックの肉を取られた」

「ははは! そりゃあ災難だなぁ!」

「笑い事じゃねぇっての。食い物の恨みは恐ろしいんだぞ」

 

 話を総合すると、どうやら例の古龍がここに来たらしい。

 俺の調理を邪魔して、イャンクックまで盗んでいき、挙句の果てに師匠に怪我を負わせた。そんなアイツが、このすぐ近くに――――。

 

「旦那さん、あの」

「分かってる、イルル。俺もアイツを放っておく気はない」

「……! にゃっ!」

「ほう……師匠のけつを拭いてくれるって訳かい。流石我が弟子。話が早――――」

「アイツは淆瘴啖を美味しく調理するヒントになるかもしれないからな。分かってるぞ、イルル」

「…………にゃ」

 

 以心伝心を感じて、俺は良い顔でそう返す。

 けれど、返ってきたのは呆れ返った彼女の表情。何でだろう。

 

 あの古龍が発した赤い光は、確かに龍属性エネルギーだった。けれど、淆瘴啖のそれとは大きく異なる。奴のものが腐敗した肉とするならば、例の古龍のものは新鮮なままに刺身にした肉だ。

 素材が活きている。肉を、細胞の脈動を活性化させてくれるような光。それがあいつの龍属性エネルギーなのだ。

 

「……で、師匠。その龍はどこ行ったんだ。どの方角に飛んでった?」

「まぁ待て。話は最後まで聞け。ほれ、コイツでも食いながらさ」

「にゃ? 缶詰?」

 

 宥めるように手渡されたもの。

 それは、イルルの言う通り缶詰だった。

 

「何だこれ。何の缶詰?」

「ガウシカだ。この地方は、ガウシカの肉をよく食べる。燻製にして缶に詰めれば、保存も効いて狩りの相棒にピッタシだ」

「へぇ……ガウシカか。いいじゃん」

 

 手に取ったそれに向けて、ナイフを突き立てた。平たい円柱状のそれの、表の面の端を這うように。手に取ったナイフでその隙間を穿ち、少しずつ刃を奥へと這わした。

 ぎちぎち、と耳障りな音を奏でる傍ら、俺は師匠の話に耳を傾ける。

 

「俺とてな、ただやられた訳じゃない。襲われたからには、俺もアイツを仕留めようと努力したさ」

「うにゃ」

「それでまぁ、俺も結構な怪我をアイツに与えたぜ。ほれ、見ろこの鱗。甲殻だって何枚か剥いできた。それに、尻尾もな」

 

 穴の空いた腹を痛がりつつも、師匠は大きな革袋をどんと置いた。ベッドからはみ出そうなそれに、イルルはそっと手を伸ばす。その口を大きく開ければ、確かに白銀に輝くあの古龍の鱗がそこにあった。

 

「……すげぇ。師匠、アイツ相手にここまでやったのか」

「ま、その代償として俺はこうなっちまったんだけどな。さて、問題はここからだ」

「にゃ?」

 

 一旦話を改めるかのように、師匠はすうっと息を吸う。

 それにイルルは首を傾げながらも、彼の言葉を待った。興味深そうに、細い髭がゆらゆらと揺れている。

 俺も缶のフタを開けるのに奮戦しつつ、彼の言葉を待った。

 すると、耳に入ってきたのは、予想だにしていなかった情報。

 

「俺にやられて相当気が立ったのか、アイツはこの雪山を根城にしちまいやがった」

「は?」

「大方俺を待ってるんだろうな。自分の尻尾を切った憎き獣人を仕留めようと、血眼で探してるんだろ」

「…………」

「おかげでこの村は商売あがったりだ。危険すぎて山に向かえない。常駐のハンターじゃとても解決できない。ギルドもさぞ困っただろうなぁ」

「……まさか」

「おう、そのまさかだよ。この状況を何とかさせようと、俺がお前を呼んだ訳だ。師匠からの推薦だ。シガレット、アイツを追い払ってくれねぇか」

 

 そう言って、師匠はニッと不敵に笑った。俺のことを信頼しているような、そんな色が垣間見える瞳だった。

 いつもなら、ふざけんな、だとか。勝手に俺を巻き込むな、だとか。そんな反応をしていただろう。

 けれど、けれど今は――――。

 

「……つまり俺は、アイツと戦える訳だ」

「旦那さん……」

「師匠、今回ばかりは感謝するぜ。俺も、アイツを仕留めたかった」

「そうか。なら話が早ぇ。決まりだな」

 

 師匠が突き出してきた肉球。黒く固いそれに俺も自らの手を差し出して、固い握手を繰り出した。

 触り心地は、やっぱりイルルの圧勝だった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……で? 他にも話がありそうな顔してんな?」

「まぁそう慌てるなよ。とりあえずそれを食え。ガウシカ食え」

 

 やっとこさ開いた缶を片手に、俺はベッドの横の椅子へと腰かける。懐から箸を出して食べる準備をしながら、師匠からの言葉を待った。

 

「今からお前に、俺が身をもって知ったアイツの癖を教えるぞ」

「出たよ。師匠お得意の筋肉見極め説」

「おうよ。役に立つだろ?」

「まぁ……たまには」

 

 箸で摘まんだ肉は、燻製らしいくすんだ色をしたものだった。

 香りとしては、控えめな塩らしいあっさりとした香り。独特の癖のようなものも広がるが、これが味付けのせいなのか、それともガウシカの肉の香りなのかが分からない。如何せん、ガウシカはあまり食べたことがないのだ。

 

「奴は、あの翼が一番の武器だ。あれを自由自在に操って狩りをする」

「……だな。俺もあれには手痛くやられたよ」

「にゃ……」

 

 以前突かれた箇所を軽く手で擦る。するとイルルが、心配そうにきゅっと服を掴んできた。

 彼女には笑顔で大丈夫と返し、師匠の方へと視線を滑らせる。

 師匠は、にやりと笑った。

 

「あの翼だよ」

「何がだよ」

「あの古龍の仕留め方。奴の翼を凝視しろ」

 

 燻されて水分を失った肉が、きらりと光る。それは雪の光の反射のせいなのか、それとも師匠の鋭い眼光のせいなのか。俺にはよく分からなかった。

 

 

 

 

 

「――――――――ッッッ!!!」

「にゃっ……!」

「うるせ……ッ!」

 

 雪に閉ざされたフラヒヤ山脈。

 一面雪に覆われた銀世界。

 そこへ差し掛かる銀色、そして鮮やかな赤色。

 

 ――――あの古龍が、今目の前で雄叫びを上げていた。

 

「……普通に考えたらさ! 相手は古龍じゃん!? 俺ら二人に押し付けるってなかなか酷くないか!?」

「ほんとにゃ! クシャルダオラだって、四人でも相当きつかったのにゃー!!」

 

 泣き叫ぶようにイルルも吠える。

 俺も負けじと声を張る。

 

 一方の例の古龍。奴はその碧く鋭い瞳で、じっとこちらの様子を伺った。

 確かに、体のところどころの鱗が剥がれている。尾は随分と短くなり、爪もいくつか折れているようだ。師匠、随分と健闘したんだな。

 

「……にゅっ」

 

 奴は、イルルを睨んだ。

 睨んで、じゃりっと雪を掻く。

 

「ボ、ボクお師匠さんと同じアイルーだから……もしかして勘違いされちゃってるにゃ!?」

「どうなんだろうな。飛行に特化してそうだから目は良さそうなんだけどなぁ。単純に気が立ってるだけじゃね?」

「う、うぅぅ! 来るにゃ旦那さん!」

「よしきた!」

 

 走り出した。

 例の古龍が、走り出した。

 

 四肢を使って全力疾走。猛禽類のような足で、雪に激しい傷跡を残す。体格はそこらの飛竜と同じくらい。それが走って迫ってくるのは、やっぱり圧巻だ。怖いまである。

 とにもかくにも、全力回避。俺とイルルは反対方向へ、奴を挿むようにして避けた。

 

「とりゃっ!」

「うみゃん!」

 

 そのまま後足へ突進。勢いに乗せた切っ先で、奴の剥げた皮膚を穿つ。

 小さな悲鳴と同時に、その古龍は身を翻した。羽のように軽々と浮かび上がるその様は、奴の異質さを際立たせる。

 

「……しかしなんだ、見れば見るほど変な奴だなコイツ。異質と言うか、無機質と言うか」

「にゃあ……確かに、生き物らしくないのにゃ」

「古龍って、ほんとに変な奴ばっかりだなぁ。……っと。イルル、今の翼の動き見たか」

「にゃっ……!」

 

 翼が、ぐるりと旋回した。

 銀色が美しいそれが、翻って裏を向く。赤い色が滲んだ、気色の悪い射出口。例えるなら、ボウガンの銃口のようなものが、ずらりと立ち並んでいる。

 

「あっあ、あの形態だと……にゃっにゃっ……!」

「龍属性エネルギーを撃ってくる!」

 

 そう言うや否や、翼が瞬いた。球状に押し留められた赤黒い塊が、風を斬って飛んできた。

 

 ――――奴の翼には、二つの形態がある。

 それが何かって? 馬鹿野郎。奴は形態ごとに行動を切り替えるんだ。逆に言えば、それさえ把握しとけばある程度の予想がつくっていう話。

 翼の赤い方……そうだな、掌と呼ぼうか。あれがこちらに向いている時は、奴は龍属性エネルギーを放ってくる。気をつけな。

 

 回避する俺の頭に、師匠の言葉が反響した。あのガウシカの味と共に、俺の口内を廻り始めた。

 塩漬けとは何たることか。燻製とは何たることか。

 シンプルで実用的ながらも、旨味を忘れることはない。痛みやすい食材を塩漬けし、煙に当てることで保存の効く形態へと変化させる先人の知恵だ。

 木材を完全燃焼させると、煙に含まれる殺菌・防腐成分が失われてしまう。故にあえて不完全燃焼させて、それらを潤沢なまま食材へと当てるのだ。煙の香りを十分に吸った食材は、独特の香りを得る。あのガウシカの燻製も、それはそれは独特だった。

 

「にゃー!」

 

 雪山に響く、ネコの雄叫び。

 イルルがブーメランを撒き散らす傍ら、俺は奴の懐へと潜り込んだ。そうして、隙だらけの腹に剣を入れる。右へ、左へ、はたまた右へ。左腕にものを言わせ、その固い鱗に傷を走らせた。

 

「旦那さん! 羽!」

「うおっ……!」

 

 不意に、頭上に染み出す赤い色。

 見上げれば、奴の翼が派手に瞬いている。血流が溢れ返ったかのように瞬いている。

 

 翼の裏側――掌が向けられている時。

 それは、奴のエネルギーが照射されるということ。

 

「ぐあっ……!」

 

 直撃は避けた。避けたが、衝撃からは逃れられなかった。

 奴が放った光は、足元を焼いて炸裂。自らも巻き込んで、雪に鮮血のような色を焼き入れる。

 その衝撃に吹っ飛ぶ俺。雪の上を転がった。防具の上から、ひんやりとした感覚が襲い来る。

 ――――いや、これは。

 

「旦那さん!」

 

 てってってと、駆け寄ってくるイルル。

 彼女は心配そうにしゃがみ込んで、俺を抱き起そうと手を伸ばした。桃色の肉球が、俺に迫ってくる。

 

「……イルル、俺に触っちゃダメだ」

「にゃっ……?」

「あー……体が怠い」

 

 龍属性エネルギー。

 鮮血が撒き散らされたかのように、その赤い色が俺の体にこびりついている。

 体の怠さはこれだ。龍属性やられ。奴のエネルギーが俺の体を帯びている。

 

「今はダメだ。龍属性エネルギーが、まるで帯電してるみたいに俺についてる。今触ったら、イルルにも移るぞ。静電気みたいにビリッとくる。たぶん」

「にゃ……」

「俺は大丈夫だ。それよりも、気をつけろ。翼……」

 

 ぐるりと、奴の翼が再び旋回した。

 空の光を淡く反射する眩しい甲殻。それが俺たちの方を向く。鋭い切っ先は、まるでランスだ。ぞくりと、嫌な予感がした。

 

 ――――翼の切っ先がこちらを向いたら、気をつけろ。

 奴の翼は、剣にも槍にもなる。一瞬で倍の長さに伸ばして突いてくることもあれば、そのまま薙ぎ払ってくることもある。

 一番厄介なのは、急旋回からの突き下ろしだ。速度が尋常じゃない。懐に潜り込んだからといって、油断しちゃあダメだ。俺のようにはなるなよ。

 

 再び、師匠の声が反響する。

 ガウシカの味わいが、溢れ返ってくる。

 それらに――いや、肉の旨みに後押しされて、俺は何とか起き上がった。防具の隙間から、白い雪が零れ落ちた。

 

 刺突。

 回避。

 薙ぎ払い。

 しゃがんですり抜ける。

 

 ガウシカの肉は、何と言っても筋張っていた。柔らかな味わいは、もちろん最初から期待していなかったが――例えるなら、あれはモスジャーキーに近い味だったな。

 乾燥させて燻しているのだから、似通うのはある程度仕方ないだろう。塩漬け状態にして缶に詰めてあるのだから、そこそこの潤いこそあったけれど。けれど、筋張っているのは変わりない。ボソボソの肉という点では、食感は微妙としか言いようがなかった。

 けれど、味は別だ。香りもまた別だ。

 

「……そうだよ。香りがいいんだ」

「にゃ? 旦那さん?」

「何て言うか、すっきりしてきたぞ。体の怠さなんてどこかに消えちまった」

「……うにゃ!? 旦那さん、血! 血!」

 

 どろりと、頭から血が流れてきた。衝撃で、防具のどこかとぶつけたのだろうか。

 慌てて回復笛を取り出そうとしてくれたイルルだったが、俺はそれを手で制止した。

 何だか、体の調子が良い。全身の感覚が研ぎ澄まされているような気がする。

 そう、まるで活性化でもされているような――――。

 

「――はぁっ!!」

 

 一閃。俺を貫かんとする銀の槍。

 それを俺は、研ぎ払った。

 盾の剣を抜いて、両の剣で研ぎ払った。

 

 剣には、あの赤い血潮がべっとりとついている。龍属性に塗りたくられて、このテオ=エンブレムは粉塵をばら撒けなくなってしまったようだ。後始末が面倒臭そうだと辟易するものの、今は考えないようにする。

 それよりも、研ぎ払った勢いで刺突を受け流す。そのまま斬り込んで、奴の首筋を裂いた。甲殻の隙間を撫でるように裂いた。

 

「――ッッ」

 

 一瞬小さな悲鳴を上げて、銀の古龍は後ろへと飛ぶ。そして、今度は掌を俺に向けてきた。

 

「旦那さん、またあの光が来るにゃ!」

「分かってら――――って、おっとぉっ!?」

 

 飛んできたのは、ジャブ。前脚を使って、俺を殴りにかかってきた。

 翼に比べれば小さな手だが、その爪は凶悪だ。危うい動きで、何とか躱す。身を捩るようにして、その切っ先から逃れた。

 ――――逃れたものの。

 

「上にゃ!」

「……っ!」

 

 今度は、奴の翼が空を覆った。

 光を放つ?

 それだけではなかった。

 まるでアイアンクローでも仕掛けてくるかのように、奴はその掌を振り下ろしてきた。

 

「がっ……!!」

 

 慌てて両の剣を交差する。交差してはその衝撃を受け止め、腕を振り払うようにして受け流す。背後に跳ぶのも忘れない。

 しかし、真上からの攻撃だ。とてもいなし切れるものではなかった。

 

「旦那さん!!」

 

 再び赤い光が、俺の体をじゅっと焼く。翼の鋭い爪に引っ掛けられ、防具が悲鳴を上げた。その下で、血が滲み始めているのが分かる。まずい、下手打った。

 

「ぐっ……」

 

 再び雪の中に転がって。白い雪が、じんわりと赤い色を灯し始める。

 やっぱり、強い。

 流石は古龍だ。本当に強い。

 

「旦那さん、待ってにゃ! 今回復薬グレードを……!」

「うぐ……肉……」

 

 駆け寄ってきたイルルは、慌てて雪の中を探り始める。いきなり何してんだと、軋む頭で思うものの――見れば、荷物が雪の中で散乱していた。どうやら、今の衝撃でポーチが破れたらしく、中身が飛び散ってしまったらしい。

 何とか回復薬グレードを探し当て、ピンと尾を立てるイルル。しかし、そんな彼女の背後では、バルファルクはぐるると声を上げていた。

 イルルを狙っている?

 いや、違う。

 俺を弾き飛ばした衝撃でばらまかれたポーチ。そこから転がったあれ(・・)を、しきりに嗅いでいた。

 

「あっ……てめぇ……!!」

 

 師匠から貰って、食べ終えてしまったガウシカの缶詰。

 ついつい、もう一缶買ってしまった新しい缶詰。

 狩りの後でじっくり食べようと思っていた、最後のお楽しみ――――。

 

 がりっと、嫌な音が響く。

 奴の鋭い嘴が、缶に穴を空けた。

 中に詰まった肉を、するんと口の中に滑らせた。

 小さな咀嚼音が、銀世界に響き渡る。

 

「…………ッッ!!」

 

 ――――奴の翼は、前を向くか後ろを向くかで行動を変える。形態変化みたいなもんだ。

 つまりな、前を向いている時と後ろを向いている時の行動は、同時には出来ないんだ。翼を武器のように扱う時はエネルギー放射が出来ないし、掌を向けている時はそれを剣にすることも出来ない。

 それを覚えておくと、戦いはぐっと楽になる。翼の向きを、よく見ておくんだな。

 

 師匠の言葉と共に――いや、それをも押し退けて俺の中に入り込んだガウシカの肉。

 特有の香りが、噛んだ瞬間に広がって。臭みというか、強い癖のような特異な香りだったけれど。しかし決して臭くない。肉らしい、直球の香りとも言える。煙を吸い込んだ肉の香りというのは、他の何物でも例えにくい香りだった。

 確かに食感は微妙だ。歯応えを取るなら普通の草食種のものの方が優れている。

 だが、ガウシカはガウシカだ。他の何物でもない、ガウシカだけの味。他の何物にも代えがたい味なんだ。

 

 塩っ気が効いていて。随分と硬派な味付けなのに、不思議と味わいは広がってくる。噛めば噛むほど、燻製に閉じ込めた旨みが溢れ出てくる。ボソボソとした肉が唾液を吸って、肉の繊維を少しずつほどいていって。その隙間に溶け込んでいた脂の味わいが、飛び出すのだ。肉の甘みが、上品な煙の香りが、染み出てくるのだ。

 あぁ、燻製。あぁ、ガウシカ。

 これはこれで、美味しいものだ。ビールによく合うかもしれない。オーロラを見ながら、山頂でじっくり食べるのも、悪くないかもしれない――――。

 

 そんな計画を、奴はぺろりと平らげた。

 俺の楽しみだった缶詰を、ぱくっと食べてしまった。

 

 ぼすっと、雪の中に缶が落ちる。中に湛えていたはずの肉を空虚で満たし、ただ虚しそうに雪を迎え入れる缶が、静かに泣いていた。

 俺の肉が、目の前から消えた。

 

「……も……」

「にゃ?」

「一度ならず、二度までも……ッッ!!」

「にゃ……旦那さん!?」

 

 立ち上がって、両の剣をより深く交差させて。

 そのまま、解放。虚無感を打ち払うように、剣を強く振り抜いた。

 

 腹が減った。

 楽しみにしていた肉を失って、俺はただただ腹が減った。

 まるで餓えた狼に憑りつかれたような気分だ。不思議と、視界が赤く染まる。

 

「絶対許さねぇ……丁寧に圧力鍋で骨の髄まで煮込んでやるッッ!」

 

 猛然と飛び出して、そのまま段差を踏み抜いた。空中で剣を逆手に持ち替えて、右の刃を打ち当てる。うなじを裂いたそれを軸にして、俺はとにかく回転する。

 回転すれば、それだけ威力がのしかかる。それを勢いにして、転がるように奴の背中を走った。右手が肉を感じれば、即座に左手を振り抜いて。左手に重い感触が走れば、右手を思いきり振り上げて。

 ただそれをひたすら繰り返せば、気付けば尾の先まで俺は走っていた。銀の古龍は、悲鳴を上げていた。

 

「今のは……お前に食われたガウシカの分だ」

 

 血走った眼で、奴は俺を振り返るように睨む。そのまま身を翻して、尾を天高く掲げた。

 俺に背を向けていたはずが、一瞬の跳躍でその身を翻す。俺に向かい合うようにして雪を掻き鳴らし、翼を唸らせた。一拍遅れて、銀の切っ先が振り下ろされる。まるでハンマーのように、俺を穿った。

 

「はっ!」

 

 ギリギリで、それを躱す。頬がずばっと裂けたが、今は無視。

 翼が雪に埋まって隙を見せた奴の頭部に、渾身の乱舞を叩き込む。逆手の刃の乱回転に、奴は堪らず悲鳴を上げた。

 

「今のもガウシカの分!」

 

 振り上げた翼で大回転。まるでディノバルドのように、奴は周囲を薙ぎ払った。

 それを、俺は跳躍して躱す。

 

「これもガウシカの分!」

 

 重力に任せて落下する。その軌道に剣を添えて、ただひたすらに身を捻る。

 鋭い切り傷がさらに増えて、古龍は忌々しそうに悲鳴を上げた。

 

「だ、旦那さん……」

 

 落下からの、空中回転乱舞。その勢いで奴の体を通り抜け、スライディングしながら着地する。

 その横で、イルルが呆れたように口を開けていた。

 

「ガウシカの分ばっかにゃ……」

「食い物の恨みは恐ろしい。だろ?」

「…………」

 

 同意を求めて振り向いたものの、彼女は何も言わず苦笑いした。

 苦笑いしつつも、回復笛を吹いてくれる。音色に乗って生命の粉塵が舞い上がり、視界がうっすら緑色に染まる。

 

「……どうやら、師匠はコイツをかなり削ったみたいだ」

「にゃ?」

「どうも消耗しすぎたらしいな。お前も俺も」

 

 ふらふらと、古龍は脚を引きずった。翼から放つエネルギーも枯渇し始め、その足取りは不安定。

 尾を斬るほどなのだ。師匠は、コイツ相手にも随分と健闘したのだろう。

 だからこそ、コイツを仕留めるのは弟子である俺の役目だと。そう思っていたのだが――――。

 不意に、奴が吠えた。

 

「……まさか」

「にゃ?」

 

 奴の翼に、再び赤い光が灯る。

 龍の光を撃つのとは、少し違った。まるで炉のように、内側で炎を押し留めるような揺らぎ。

 まさか、まさかまさかまさか。

 

「……てめぇ、このまま……あぐっ!」

 

 奴に肉迫しようと脚を前に出す――――と思いきや、それは俺の体を支え切れなかった。膝が笑って、腰が大地に吸い寄せられる。そのまま前のめりに、俺の体は倒れ込んだ。視界が真っ白だ。

 

「旦那さん、大丈夫にゃ!? 血流しすぎにゃ!」

「……った」

「にゃ?」

「腹、減った……」

「…………」

 

 ポーチをばら撒かれ、お楽しみの肉を目の前で奪われて。

 餓狼の如く奮戦したが、俺もどうやら限界らしい。腹が減って体に力が入らない。

 

「くそ……目の前で、みすみすと……畜生……っ」

 

 何とか頭は上げるものの、もう体は持ち上げれなかった。

 そんな俺の視界の先には、力強く炎を噴射させる古龍の姿。掌を背後に向けて、そこから赤い火花を描き出す。

 もう一度、甲高く吠えてから。

 奴はこの空に向けて、飛び立った。ものの数秒で炎を爆発させて、空の彼方へと消えていった。

 

「にゃ……凄い……」

 

 ちりちりと、赤い光の欠片が舞い散っている。肌を焼くように、ぴりぴりとした感触が伝わった。

 見上げれば、もうそこには奴の姿はない。空には赤い軌跡が絵の具のように残り、それが白い白い空の向こうへと続いていた。

 撃退は、どうやら出来たようだ。

 撃退は出来た。出来たには出来た。けれど、これじゃあ――――。

 

「……とけよ」

「にゃ? 旦那さん?」

「――――覚えとけよッ、鳥野郎!! お前絶対泣かしたるからな!! お前、淆瘴啖を旨くしないと承知しねぇから! お前食ったるからなぁーッッッ!!!」

 

 渾身の魂の叫びが、雪山に反響する。

 一度ならず二度までも、飯を奪われ逃げられてしまった。

 三度目は、なしだ。

 

 

 

~本日のレシピ~

 

『燻製! ポッケ印のガウシカ肉』

 

☆ポッケ村土産の定番。塩漬けガウシカ肉を燻製させた缶詰。その味わいから愛好家は多いものの、観光価格が足元を見過ぎているとも言われている。一缶130ゼニー。

 






回復薬は一つ66ゼニー。


とうとう元号変わっちまいましたねぇ。令和ですって奥様。まさかモン飯も年号渡るなんて。時間掛け過ぎってそれ一番言われ
ガウシカの缶詰は、フィンランドで食べたトナカイの肉がモデル。いやぁ、普通に鳥肉とかの方が旨いですね() てかサンタの相棒なのに普通に食うのか……ってびっくりした。まぁ日本も神の使いとか言いながら鹿食べてるし、似たようなもんなのかもしれませんね。
それでは閲覧有り難うございました~。感想や評価お待ちしておりますよっ!

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